2016.09.16

あなたの思う福島はどんな福島ですか?――ニセ科学とデマの検証に向けて

林智裕 フリーランスライター

社会 #フクシマ#デマ#震災復興

福島第一原発事故の被害が伝えられる際には、客観的な根拠や現地の一般の人々の声以上に、政治的な思惑や社会的な影響力が強い人たちの「大きな声」ばかりが目立ちました。このことが情報を錯綜させ、福島に対しての誤解や支援のミスマッチによる復興の遅れ、風評被害などを拡大させてきたと言えます。

今回の記事では、そのような「大きな声」の一部を具体例として集めました。

目的としているのは、これらの事実を事実として、当時の空気感と共に記録に残すことです。震災と原発事故がとくに報道や伝達の段階において、どのような被害を実際にもたらし、なぜそのような事態が起こってしまったのか、それを考察するための記録資料として残すためです。具体的な記録を残すために実例を用いますが、一つひとつの事例をもって特定の人物や団体を非難することが目的ではありません。

なお、これらの「大きな声」はいわゆるノイジーマイノリティであって、震災後に福島に向かった声がすべてこのようなものばかりだったということでは決してありません。このような声をはるかに上回る、多くの温かい言葉やご支援に助けられてきたことを、はじめに記しておきます。

センセーショナリズムを優先に語られてきた「フクシマ」

震災以降、福島は政治的な思惑や象徴化された記号「フクシマ」として、まるで神話や怪談のように語られることがしばしばありました。さらには、「日本に人が住めなくなる」「フクシマだけでなく、東京も壊滅する」などの荒唐無稽な言説も飛び交い、メディアなどでも有名な人物や学者、ジャーナリストなどの一部までもがこれらに賛同してきました。

たとえばテレビ番組などでもお馴染みの、中部大学の武田邦彦氏などはとくに熱心に放射線被曝の恐怖を語り、震災後には沢山の関連書籍を執筆して、講演会などでも精力的に活動していらっしゃいました。2012年にはご自身のブログで『あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日』と書きました。

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武田邦彦氏の2012年のブログより。「日本に住めなくなる日」を、今から約1年半前の2015年3月31日と断言しています。

同様に、作家の広瀬隆氏は「タイムリミットは一年しかない」と、『東京が壊滅する日─フクシマと日本の運命』という本を出版しましたが、2016年7月17日でこの本の出版から一年が経ち、自ら設定したタイムリミットも過ぎました。(参照;「タイムリミットは1年しかない! 戦後70年の「不都合な真実」とは?」――広瀬隆×坪井賢一

日本社会では言論に自由がありますが、自由には必ず責任も伴うはずです。かりに持論で放射線の危険性を訴えるとしても、なぜ社会的な地位のある方々までもが、「日本に人が住めなくなる」「東京が壊滅」などと、比喩の範疇を超えた不正確で極端なフレーズを使う必要があったのでしょうか。

また、多くのメディアでも、放射線の影響についての報道はセンセーショナリズムが優先されて、その結果、様々な誤解が広がり続けました。なかには、先天性異常に関するものも多くみられました。

たとえば、2011年7月に発売された週刊現代では「残酷すぎる結末 20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」とのタイトルで特集を掲載し、低線量被曝によってガンや白血病の発症率増加、新生児の先天性異常率増加などの危険性があると主張しました。その上で、被曝の遺伝的影響や被曝による子どもの知能低下、犯罪に走る確率の増加にまで言及しました。しかも、「福島より首都圏のほうが危険なくらいだ」とも記載しています。

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同時期に出版された雑誌『クロワッサン』でも、表紙に「放射線によって傷ついた遺伝子は子孫に伝えられていきます」という誤った内容を記載し、こちらは後に出版元が公式サイトにて訂正・謝罪しています。

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同じく2011年に、ジャーナリストの岩上安身氏も、新生児の先天性異常について「おまたせしました。スクープです!!」などと伝えましたが、当然ながら放射線の影響とは無関係です。

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なお、岩上氏は、後の2014年には「福島県での享年が若すぎる」と主張するも、福島県民に新聞のお悔やみ欄を実際に集計されて、その主張が否定されています

また、メディア以外に公人による誤った言説も見られました。内閣府所管の公益財団法人「日本生態系協会」の池谷奉文会長は、自治体議員ら65人が出席した日本生態系協会主催の講演中(2012年7月9日)に、次のように発言しました。

「放射能雲が通った、だから福島ばかりじゃございませんで、栃木だとか、埼玉、東京、神奈川あたり、だいたい2、3回通りましたよね、あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろうと。結婚をして子どもを産むとですね、奇形発生率がドーンと上がることになっておりましてですね、たいへんなことになるわけでございまして」

同様に、長野県松本市長菅谷昭氏が2011年12月号の「広報まつもと」で、「福島の汚染はチェルノブイリ周辺より高い」との旨の発言をしています。そこでは新生児の先天性異常の増加なども危惧される発言しています。

もちろん、「チェルノブイリ周辺よりも汚染されている」ということはありませんし(「東電福島第一原発の事故はチェルノブイリより実はひどいのか?――原発事故のデマや誤解を考える」菊池誠×小峰公子)、福島で新生児に先天性異常が増加しているという事実もありません

これらの誤解はいずれも人体や遺伝的影響についての誤解であり、たとえ「なんとなく不安」という意識から悪意無く発信されたとしても、差別に繋がる深刻なデマへと容易に変異する可能性があるのは言うまでもありません。

放射線被曝による次世代への遺伝に対しての影響は、これまでの信頼性の高い調査では見出されておりません。加えて、東電原発事故で胎児に先天性異常の増加に影響を与えるレベルの放射線被曝をした方は誰もいません。これは、70年以上の時間をかけた広島と長崎の被爆者調査と、東電原発事故後の実測データから明確に断言できます。これらはWHOの東電福島第一原発事故に関連したページでも確認することが可能です。

10. Will future generations be affected?(次世代への影響はありますか?)

A risk of radiation-induced hereditary effects has not been definitively demonstrated in human populations.(放射線が人の遺伝に影響を与えるリスクは実証されていません)

Frequently asked questions on health risk assessment

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被曝の恐怖を煽るのは「誰のため」なのか

先天性異常についての「議論」については、実際の被曝量からも予測されていた通り、他の地域との差は生じないという結果がとっくに出ています。このことに留まらず、5年の間には、大きな被害状況のなかでも不幸中の幸いと言える実測データや知見も次々に明らかになってきています。本来であれば、大きく不安の声を挙げた人たちにとっては、それらは真っ先に喜ぶべきニュースのはずでした。

しかし不思議なことに、一部の方々はそれほどまでに福島に「関心」を持ちながらも、この5年間で実際に出てきた事実やデータはことごとく無視し、まるで時間が止まっているかのように、今も悪質なデマを何度も何度もリサイクルさせています。

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そもそも、放射線の影響とは無関係に、社会には様々な事情を持った方がいらっしゃいます。もしそうした事情を(実際に被曝が原因であるかどうかに関わらず)放射線が原因だと主張するのだとしても、訴えの当事者が自分の大切な家族に対して「奇形児」などという鋭利な言葉を選ぶとはとうてい考えられません。

こうした言葉は、「他人事として被害を搾取・利用しようとする立場だからこそ使える言葉」ではないでしょうか。しかも、「問題提起」や「議論」ばかりを一方的に投げつける一方で、被害者が心身の平穏を取り戻すためのケアや具体的な問題解決策は彼らから提示されることはありません。「加害者」とされる政府や東電を糾弾することを、生活再建よりも優先させた振る舞いばかりを求められたりもしました。(私は事故の責任者を追求するなと言っているわけではありません)

放射線被曝による影響ばかりが福島での被害として独り歩きしていますが、福島での被害の実状は、たとえば健康被害であれば避難などに伴う震災関連死が他県に比べ突出して多い上に、生活環境の変化に伴った糖尿病の増加などが報告されています

東電原発事故において、これらは被曝の影響以上に明確な健康被害としてあらわれました。しかし被害が放射線被曝とは直接関係しないばかりに、県外へと被害が正しく伝えられる機会は相対的に少なかったのではないでしょうか。同様に、福島でも津波の被害は大きかったにも関わらず原発事故ばかりが取り上げられ、津波に言及されることは稀です。

また、食品の危険性を訴える声があれほどまでに多かった一方で、検査体制はもちろん実測データや数値の意味についても、ほとんど話題にのぼりません。たとえば、福島での米の全袋検査では、諸外国に比べ桁違いに厳しい食品中の放射線量基準値が設定されており、かつ出荷量の全てがそれをクリアしています(99.99%以上の米が、基準値どころか検出限界値未満です)。ところが、今でも県外では6割以上の方に検査の実態は正しく知られておらず、およそ5人に1人が福島県産品を忌避し続けています。(「なして福島の食はさすけねえ(問題ない)のか――原発事故のデマや誤解を考える」林智裕)

科学的な意味での安全性はとっくに確保されているにも関わらず、社会的な情報の更新と共有、合意形成が極端に遅れているために、莫大な税金が投入されている食品の放射性物質検査を止めるタイミングの見通しすら掴めていません。そうした現状を反映してか、避難区域以外からの自主避難者もいまだ数多く、家族の分断の解消はなかなか進んでいないという状況です。

これらの被害はいずれも「正しい情報が伝わっていない」ことに主要な原因を求めることができます。これほどまでに福島の情報がまともに伝わっていない以上、それらを伝える役割を担ってきたマスメディアの責任は軽くないと言えるでしょう。多くのメディアが震災や福島をどのような「演出」や言葉を使って伝え、それらがどのような印象と影響を社会に与え、原発事故に対しての社会の雰囲気をつくってきたのか。主張が事実かどうかの議論とはまた別の視点からも、並行して検証されるべき問題だと思います。

「加害者」と「被害者」とに仕分けされた被災者

こうした社会の雰囲気のなかで、被害当事者への配慮の無い言葉を振り回す方々の一部は、被害者に「寄り添って」その被害者性を搾取しようとしました。たとえば、「フクシマの怒りの声」を政治的な主張に利用しようとする人たちの他、すでに福島では沢山の子供たちが日常的に外で遊んでいるにも関わらず「フクシマの子供たちは外で遊べない」と言ってみたり、検査されている食品を危険だと謳って高額な「ベクレルフリー」食品を買わせようとするなど、事実に反する宣伝文句を今も掲げている団体などには注意が必要です。

一方では、「(思い通りにならず)被害者として相応しくない(と彼らが認定する)」被災者を無視するだけに留まらず、叩くべき敵に仕立てようとする言説に加担するケースも多数見られました。

福島市で震災前から続く東日本女子駅伝が開催されたときにも、ジャーナリストの岩上安身氏はそれを「殺人駅伝」と呼び、現在参議院議員の山本太郎氏は「中止に追い込みたい」と発言しました(「東日本女子駅伝を中止に追い込みたい」山本太郎、ランナー被曝の可能性を憂慮)。

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https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/135215512216018944

また、同様の事例として、去年の秋、地元の中高生たちが普段通う通学路の清掃ボランティアをしただけで、「殺人行為」「狂気の沙汰」「明らかな犯罪」などの誹謗中傷が1000件以上殺到しました。放射線量などには細心の注意を払った上での活動であったのですが、抗議する方々の多くは持論を展開するばかりで、まったく聞く耳を持ちませんでした。(「福島の中高生が清掃ボランティア→誹謗中傷1000件「明らかな犯罪」」)

清掃活動の当日、「被曝を心配している」はずの学生たちの清掃を、彼らが代わりに行ったり手伝うことはもちろんありませんでした。掃除している学生のすぐ近くで、防護服に身を包んで側溝など、高めの放射線量が出やすい場所ばかりを狙っての放射線測定を続けたり、参加者に付きまとうなどの嫌がらせもあったといいます。

社会的な立場がある方々や、事実を伝えるべき責任があるはずの方々が、こぞって「殺人」という極めて強い言葉で中傷したこの駅伝や清掃活動は、当然、被曝による健康被害も起こらず終了しました。ですが、中傷した方々は言いっ放しで、自身の発言に何ら責任をとらないまま、次のネタを探すばかりです。

これでは、誹謗中傷や嫌がらせを受けるなどした被害者の立場はありません。おそらく言葉をぶつけた側の方にとって、自分の思い通りにならない被害者は、加害者側を助ける「工作員」あるいは「権力に騙されて安全を妄信する愚か者」へと勝手に変換されているので、「加害者」側へと石を投げることは無罪、あるいは「無知で哀れな」存在を助けるための正義だと思っているのかもしれません。しかし彼らが石を投げた相手は、現実には彼らのような社会的な立場や発信力すら持たない一般人や子供たちです。

ただし、そこに暮らす誰もが、放射線に関しては身近な問題として5年以上真摯に向き合い続けてきました。ですから、同じ年月を外から石を投げて騒ぐだけの繰り返ししかできなかった方々よりも、遥かに深い放射線の知識と危険性に対する相場観、実測データや量の概念を持っています。

他にも、まだ生きている子供を死んだことにして行われた葬式デモもありました。そこには、「子供を県外に避難させない親は人殺しだ」という、震災直後にしばしば言われたメッセージが強く含まれていました。以下に挙げる被災地や被災者を強烈に侮辱・揶揄した「原発ガッカリ音頭」なども同様に、原発事故の責任を被災者と被災地になすりつける意識がはっきりと見て取れます。

明るい未来のエネルギーなんて甘い言葉に踊らされ

大事なふるさとサヨウナラ

いくら泣いてもいくら泣いても後の祭り

札束の山に目がくらみ札束の山に目がくらみ

豊かな暮らしと勘違い差し出しちゃった差し出しちゃった 子どもの笑顔

ドカンと爆発ドカンとねドンガラガッタ地震もドカンとね

原発危ない原発いらないオヤメナサイ

原発ガッカリ音頭(歌詞と動画)

原発事故の後から「原発を誘致したフクシマ土人の自己責任」「フクシマのせいで日本中が迷惑している」「人殺し」などの類の言葉も、何度ぶつけられてきたことでしょうか。

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福島の農家を「加害者」だとして中傷を繰り返した群馬大学教授の早川由起夫氏
福島の農家を「加害者」だとして中傷を繰り返した群馬大学教授の早川由起夫氏

「福島を不安から忌避するのは当然で、差別ではない。信用されるようにもっと努力しろ」「文句があるならこちらではなく東電と国に言え」というように、被害者に責任を負わせて一方的な努力を求めるような言葉も良くかけられました。しかし、平等に扱われるためだけに、当然のように努力を強要されている状況こそが、差別の構図そのものです。

福島で事故を起こした原発は「東京電力」の発電所で、発電された電気がすべて首都圏に送られていた首都圏用のインフラです。地元にも当然恩恵はありましたが、それを支払っても余りあるほどの恩恵が消費地に送られていました。

脱原発を目指す主張自体は自由に行われるべきです。しかし日本で生活していた以上は、原子力発電に対する個人の賛否、あるいは直接か間接かに関わらず、誰もがその恩恵を受けて生活してきたはずです。彼らはその前提から自分たちだけ逃避して責任転嫁しているに過ぎません。これは原発推進か反対かの議論とは、まったく別の問題です。

原発事故が起きた双葉郡内にある火力発電所は震災後、避難した住民が町内へ帰還するよりも先に首都圏への送電を再開しています。福島県には、古くは明治時代から水力発電で首都圏の電力を支えてきた歴史もあります。もちろん、それぞれの地域ごとに役割分担は必要ですから、互いに敬意を持って共栄を目指すかぎり、消費地と生産地という単純な文脈で対立させることは不毛です。

ただし、だからと言って今までの協力関係を軽視し、生産地だけに責任を押しつけて一方的な努力を求めたり、憎しみをぶつけたり、やたらと神話化させた原子力もろとも忌み嫌ったり、「福島の核はいらない」などと、用済みになった流行遅れのものをポイ捨てするかのように扱う消費者意識の塊のような「反原発」では、決して成功しないと私は思います。

こうした「運動」や言説がどれだけの二次被害をもたらしてきたのかについては、「風評被害」という曖昧な言葉で雑にまとめられるばかりで、具体的な言語化は非常に遅れています。そのようななかでも、たとえば福島の地元新聞紙の一つ、「福島民友新聞」では2014年7月2日に「反原発デモに違和感や反感 「福島差別」を助長した側面」という記事を掲載しました。

「反原発デモが福島のためと言いながら、一方で『あんなところ住めない』とか『障害児が産まれまくっている』とか平然と言う人が(運動の)内部にいることが、嫌悪感すら呼び起こしている面がある」「反原発の活動、言動が福島差別を助長してきた面はある。社会運動として非常にまずいことをした(記事より一部抜粋)」などと取り上げ、大きな反響を呼びました。

海外に広がる偏見と風評被害

国内でさえ情報のアップデートが遅々として進まず、デマが蔓延している状況ですから、海外ではなおのことです。先月、2016年7月には、写真家を名乗るマレーシア人の方が、避難区域内の住宅や店舗などに無断で侵入して撮影した写真が波紋を拡げました。

彼はこの写真をレッドゾーン、「福島の立ち入り禁止区域の、今まで誰も見たことのない写真」と書きました。しかし、実際には周囲に復興に関わる人や車が毎日たくさん往来している騒がしい場所で、「誰も見たことないような」場所ではありません。しかも、この近辺で作業をしている人たちで、今も防護服や全面マスクを着用しているような人は誰もおりません。いちえふ(東京電力福島第一原子力発電所)敷地内ですら、そうした装備が不要のエリアは拡大しています。

彼は現場までの道中にその光景を必ず見ているはずですし、彼自身も半ズボンというラフな格好のまま侵入しています。つまり、彼は意図的に人や車が写らないようにして、「半ズボンにガスマスク」という放射線防護の意味すらなさない珍妙な出で立ちで、被災者の住居などに不法侵入した上に、自分に都合の良いシーンだけを切り取る演出で「ドラマ」を作り、それを世界に発信したのです。

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彼が事実の断片を切り取って創作した「ドラマ」に対しての検証と反論は、福島県在住の外国人の方々が率先して行って下さいました。詳しくは以下の記事をご覧ください。

(参照;「マレーシアの写真家「福島の立入禁止区域を撮影」→地域の外国人たちが激怒「コスプレで風評流すのやめて」」)

しかし、この「写真家」が公開したフェイスブックには、7月14日までに世界中から43000件以上の賛意を示す「いいね!」が付きました。それだけでなく、CNNやガーディアンといった海外主要メディアが、実情を取材や検証することもなく、この「写真家」の創作ドラマをそのまま世界中に報道してしまいました。残念なことに、海外の主要メディアのレベルは今でもこの程度ですが、裏を返せば、このレベルが5年の間に日本国内で行われてきた議論や海外への情報発信の結果でもあるとも言えます。

経済的な悪影響も出ています。韓国が2013年から科学的根拠を明確しないまま、日本の水産物に禁輸措置を行った影響で、震災前に生産量の7割を韓国へと輸出していた宮城県の養殖ホヤは販路を失い、育て続けたホヤを最大1万トン規模で廃棄することになってしまいました。この数字は日本一のホヤ水揚げ量を誇る宮城県の、昨年の全水揚げ量約4100トンの倍以上にのぼります。

海外からの風評被害は、国内だけで通用する「フクシマ」の線引きの範疇にはまったく収まらず、日本全体に及びます。だからこそ日本全体が協力して、今福島で多くの方が必死で努力しているように、「実際の汚染状況や放射線による影響を、主観的な感覚やイメージに頼らず数値化させ、その数値に対してリスクを誰でも客観的かつ普遍的に判断出来る状況を作っていく」必要があるのです。

東京でのオリンピック開催が決定された際にフランスのアンシェネ誌に掲載された、奇形を揶揄した「風刺画」。内容を踏まえれば、差別的に侮辱している対象が福島だけではなく、「東京」とそのオリンピックも含まれていることに気付かされます
東京でのオリンピック開催が決定された際にフランスのアンシェネ誌に掲載された、奇形を揶揄した「風刺画」。内容を踏まえれば、差別的に侮辱している対象が福島だけではなく、「東京」とそのオリンピックも含まれていることに気付かされます

情報発信への動き

まだまだ充分なレベルだとは言えないものの、海外への情報発信もされはじめています。

福島の地元紙の1つ、福島民報新聞社は「Disaster and Nuclear Accident」(災害と原発事故)のタイトルで英文ページを作り、福島の地元紙として海外への記事発信をしています。

昨年は英国のウィリアム王子が「被災者と会わないのでは訪日の意味がない」と、ご本人の強い希望で福島県や宮城県などの被災地を訪問しました。海外の要人としては震災後初めて福島県内に宿泊した上、夕食はすべて福島県産品をお召し上がりになられました。ウィリアム王子、ひいては英国が福島県をどのように捉え考えているのか、それを行動として世界中に強く示すことで支援して下さったと言えるでしょう。

(参照;「新潮社フォーサイト2015年03月13日 06:00「外国要人初」ウィリアム王子「被災地1泊」の意味」西川恵)

先ほどお話したマレーシア人「写真家」による事件の際にも、多数の反論や事実の検証をして下さった方々のように、震災後にも福島に残り、あるいは留学やビジネスで滞在している外国人の方々も、福島の現状を発信して応援して下さっています。

福島大学のウィリアム・マクマイケル氏が語った「福島は死んでいないと伝えたかったんです。たくさんの課題がありますが、それでも復興に向けて人々が頑張っていることを伝えたかった」という言葉や、南相馬在住のクレア・レポード氏の「リスクを伴う予想外の状況に、感情的に反応してしまうことは理解できる。最悪の状況を想定し、噂を広めた方が楽なのかもしれない。だが、誤った情報がもたらす結果について、意識を持つことが何より重要だ。」という言葉は、実際に現地に暮らし、原発事故の被害に真摯に向き合ったからこそ出てきた言葉ではないかと私は感じます。

(参照;「ウィリアム・マクマイケル氏 「海外での風評被害を払拭する」新渡戸稲造を目指すカナダ人が福島にいた」)

(参照;「クレア・レポード氏 福島と、「知る」という技術」)

これらのような支援が意味するところや、福島に関する情報の実像が、海外でも日本国内でももっと大きく繰り返し報道され、沢山の方に伝わってほしいと私は強く願います。

厳しい状況の一方で、明るい兆しも出始めています。福島の日本酒は新酒観評会での金賞受賞数が4年連続で日本一となり、名醸造地として国内外での評価がますます高まってきています。海外への輸出量は、すでに震災前を上回りました。

さらには、震災直後から5人組の人気兼業農家グループTOKIOがずっとPRを続けて下さっている福島の桃のタイ向け輸出は今年、昨年の約15倍となる約20トンが出荷されることになりました。マレーシア向けも百貨店などでの好調な売れ行きを受けて、昨年の約2倍の13.5トンの輸出が予定されています。

こうした流れを本格的な軌道に乗せていくためにも、国内外に向けてさらなる情報の発信が不可欠です。

あなたの思う福島はどんな福島ですか?

2016年3月11日で、東日本大震災から5年となりました。その翌日となる3月12日、大手新聞各社の朝刊に掲載された福島県からのメッセージ広告を最後に添えて、この記事の終わりとさせていただきます。

悲しいことも、悔しいことも沢山ありました。しかし、それ以上の温かい応援の方がずっと多いこと、素晴らしいご縁を頂けたことを改めて思い出す、私にとってはそんなメッセージです。今回の文章で私がお伝えしたかった内容も、最終的にはここに集約されます。

一人でも多くの方に、これらの言葉に込められた想いが真っ直ぐに伝わることを願ってやみません。

あなたの思う福島はどんな福島ですか?

福島県という名前を変えないと、復興は難しいのではないかと言う人がいます。

海外のかたのなかには、日本人はみんな、防護服を着ていると思っている人もいるそうです。

あなたの思う福島はどんな福島ですか?

福島にも、様々な人が暮らしています。

括ることはできません。

うれしいこと。くるしいこと。

進むこと、まだまだ足りないこと。光の部分、影の部分。

避難区域以外のほとんどの地域は、日常を歩んでいます。

お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね。

ふらっと、福島に。

いろいろな声によって誇張された福島はそこにはありません。

おいしいものが、きれいな景色が、知ってほしいことが、たくさんあります。

おもしろい人が、たくさんいます。

未来に向かう、こどもたちがいます。

あなたの思う福島は、どんな福島ですか?

あなたと話したい。

五年と、一日目の今日の朝。

福島の未来は、日本の未来。

昨日までの、あたたかなみなさんからの応援に感謝します。

原発の廃炉は、長い作業が続きます。

名前は変えません。

これからもどうぞよろしくお願いします。

ほんとにありがどない。(本当にありがとうございます)

福島県

福島

プロフィール

林智裕フリーランスライター

フリーランスライター。1979年福島県いわき市生まれ。茨城大学人文学部社会科学科卒業。首都圏や仙台で会社員として勤務した後、東日本大震災の前年に福島県内へUターン。震災後は福島県内の被災地復興に関連した業務にも従事する傍ら、現場からの実情を伝えるべく社団法人ふくしま会議のホームページ「ふくしまの声」にて執筆活動を行う。趣味はお酒や名産品などの地域文化。

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