「なぜ日本では運動部活動なるものがあるのか? Amazing!」――『運動部活動の戦後と現在』(中澤篤史)ほか

『運動部活動の戦後と現在』(青弓社)/中澤篤史

 

本書のテーマはいわゆる部活。日本の中高校に通ったことのある人なら、だれもが知っている運動部活動である。だがつぎのような事実はご存じだろうか?

 

じつは運動部活動が日本ほど盛んな国はほかにない。ヨーロッパや北米では運動部活動は存在するものの、地域社会のクラブのほうが規模も大きく活動も活発であるし、ドイツなどそもそも運動部活動が存在しない国もめずらしくない。中国や韓国では運動部活動が中心だが、そこに参加するのは一握りのエリートだけだ。「部活動は日本独特である」といわれる所以である。

 

ところが、教師や生徒の声に耳を傾けるならば、日本にあっても部活動はもろ手を挙げて受け入れられているわけでは決してない。カリキュラムに含まれない課外活動である部活は、指導や運営に携わる教師にとって多大な負担だし、関心がなかったり運動が苦手だと忌避する生徒も少なくない。にもかかわらず、半分以上の教師が顧問に就き、7割の中学生と5割の高校生が加入しているのが実態だ。

 

しかも奇妙なことに、この決して歓迎されているわけではない部活動が、日本にあっては教育の一環となっている。つまりスポーツと学校教育が結びついているのが部活なのだ。本書が迫ろうとしているのは、この奇妙な結びつきの由来であり、またこの結びつきを教育現場が「自発的に」拡大させてきた力学である。

 

運動部活動の起源は明治時代にある。しかしながら、現在にまでつづく部活の原型がかたちづくられたのは、戦後の学校教育改革においてであった。戦前の軍国主義への反省から、民主主義的な国家と人間を形成することが目指されたのだが、そのとき高い価値を見出されたのが自由と自治を象徴とするスポーツだった。

 

要するに、子どもの自由と自主性をスポーツを通じて実現しようとした、(自主性を教育するという点で)多分に緊張関係をはらんだ教育実践が部活動だったわけである。(そして現在、運動部活動の新自由主義的/参加民主主義的な再編プロセスのなかで、子どもの自主性の意味内容は変容しつつある-追記)

 

外国人研究者たちは「なぜ日本では運動部活動なるものがあるのか? Amazing!」と驚くという。本書はこの驚きに答えを与えるべく書かれた好著である。(評者・芹沢一也)

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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