2013.12.25
『自由と壁とヒップホップ』――今は行き場のない世界でも、魂の叫びは壁を越えていく
パレスチナのラップ・ミュージシャンたちの活動と交流を描いたドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』(原題:Slingshot Hip Hop)が、渋谷イメージフォーラムで公開中だ。イスラエルの支配によってばらばらに分断されたパレスチナ各地の若者たちが、音楽と詞の力で苛酷な現状に立ち向かい、互いの絆を深めていく姿が胸に響く。12月14日の映画公開を前に来日した、パレスチナにルーツを持つアラブ系アメリカ人のジャッキー・リーム・サッローム監督に話を聞いた。
ネガティブなステレオタイプ
山本 『自由と壁とヒップホップ』はすごくパワフルな映画ですね。「パレスチナ」と「ヒップホップ」という組み合わせも新鮮ですし、登場人物がすごく生き生きしています。「パレスチナ人」という言葉だけでは括れない、一人ひとりの個性が光っている映画だと思いました。
ジャッキー そう言ってもらって嬉しいです。ありがとうございます。
山本 最初に、ジャッキーさんの生い立ちについてうかがいたいと思います。ジャッキーさんは米国ミシガン州のデトロイト市に近い、ディアボーンのご出身ですね。ディアボーンは全米でもニューヨークに次いで大きい、アラブ系住民のコミュニティがあることで知られています。お父さんがシリア出身、お母さんがパレスチナ出身ということですが、幼いころは自分の出自についてどう感じていましたか。
ジャッキー アメリカで生まれ育ってきましたが、メディアを通じて描かれるアラブ人像はほとんどネガティブなものでした。アラブ人やパレスチナ人のイメージは、だいたい「テロリスト」や「野蛮な人々」というものなんです。
ですから、自分がアラブ系であることを友だちに隠していた時期もありました。母がアラビア語なまりの巻き舌でRを発音するのも恥ずかしかった。母は「アラブ人であることに誇りを持て」と教えてくれましたが、私は「アラブには料理以外に誇るべきことなんかないわ」と言い返すこともありました。
しかし、成長するにつれ、私は自分のルーツを受け入れていきました。特に、パレスチナの政治状況を意識するようになってからは、それを人々に伝える仕事をしたいと思うようになりました。
山本 アラブ人の中でも、特にパレスチナ人は、米国のメディアでは悪く描かれるんでしょうか。
ジャッキー そうですね。米国はイスラエル寄りですから。一方で、そうした状況があったからこそ、私は今の仕事をしています。アートを通じてアラブ人に対するステレオタイプに挑戦したいと考えるようになりました。
山本 そもそもアートの道に進もうと思ったのはなぜですか?
ジャッキー 子どものころから絵を描いたりするのが好きでした。でも、「アーティストになりたい」と両親に伝えると、「とんでもない」と反対されました。大学でグラフィック・デザインを専攻したいと言っても理解されなかったのですが、「コンピューターを学ぶところだよ」と言ったら「コンピュルタル? それはいい!」って(笑)。エンジニアなどの実務的な仕事について、お金を稼ぐことで将来が開けるという考えの人がアラブ系には多いんです。
山本 一般のアメリカ人が持っているアラブ人像はどのような感じなのでしょうか。
ジャッキー もちろん人によって違いますが、たいていのアメリカ人はあまり海外旅行もしないし、異文化について無知なところがあります。だから、テレビや映画を通じて繰り返し刷りこまれるイメージに影響される部分が大きいんです。
約1000本のハリウッド映画を分析したジャック・シャーヒーンの著書『Reel Bad Arabs』によれば、アラブ人が悪く描かれていない映画はほんの一握りです。コマーシャル同様、そういう映画に繰り返し触れることで、アラブ人に対する悪いイメージが刷り込まれてしまいます。
私がその『Reel Bad Arabs』の内容を映像で表現した『アラブの惑星』という短編映画を制作し、サンダンス映画祭に出品した際、何人かの観客に「ごめんなさい、私もこれまでこういう映画をあたりまえに受け入れていました」と言われました。多くの人が、映画の中のネガティブなステレオタイプを、無意識のうちに受け入れてしまっていたんです。
山本 日本でも同じことが言えます。たとえば『バック・トゥー・ザ・フューチャー』にアラブ人テロリストが出てくるシーンがありますが、大半の人が娯楽作品として違和感なく観ています。しかし、あなたの『アラブの惑星』を観ると、我々がネガティブなステレオタイプを無意識のうちに受け入れていたことに気がつくんです
ジャッキー ネガティブなステレオタイプは依然として残っていますが、最近ではインターネットの発達によって世界の状況がより伝わるようになっていますし、アラブ人を等身大の人間として描く、アラブ系の映画監督などの作品も増えてきています。
私の『自由と壁とヒップホップ』もその一つです。この映画を見たユダヤ系の青年に声をかけられたことがありますが、彼は「アラブ人は悪い人間だ」と教えられて育ったそうなんです。でも、私の映画に出てくるアラブ人とは友達になれそうだ、って(笑)。この映画で私はパレスチナ人の抵抗を描くだけでなく、彼ら一人一人の人間としての側面を描こうとしました。
山本 そこがこの映画の大きな魅力でもありますよね。たとえば「かわいそうなガザ地区の子どもたち」というような集合的な描き方ではなくて、登場人物ひとりひとりの状況や個性がはっきりと印象に残ります。
『誰がテロリストだ?』
山本 「自由と壁とヒップホップ」のアイデアは、どうやって生まれたんですか?
ジャッキー 2002年にニューヨークのラジオ番組で、DAMの『誰がテロリストだ?』を聴いたのがきっかけでした。私は「パレスチナにヒップホップ?」とびっくりして、すぐにインターネットで調べました。
そして、『誰がテロリストだ?』に歌詞の英訳と、アメリカ人が目にしたことのないようなインティファーダ(パレスチナの民衆蜂起)のニュース映像をモンタージュして、ミュージック・ビデオを作り、当時学んでいたニューヨーク大学大学院の芸術コースの授業で見せました。
それまで、アラブについての作品をいくつかつくってきましたが、この作品には多くの人が強い関心を抱いてくれました。これまでの作品と何が違うのか聞いてみると、「ヒップホップはプロパガンダじゃなく、彼らの心からの表現に思えるからだ」と言うんです。それで私は、ヒップホップを取り上げることで、パレスチナの現状を人々により強く伝えられるのではと確信したんです。
指導教官にも「ドキュメンタリーを撮ったらいい」と背中を押されました。それで、知人のつてを辿って、映画に登場するアッカのマフムード・シャラビーというラッパーに電話をかけたんです。「パレスチナのヒップホップについて映画を撮りたい」って言ったら、「そいつはすげえ、すぐ来いよ!」っていうことになって。当時は完成までに5年もかかるなんて、思いもしませんでした。映画制作については全くの素人でしたから、失敗もたくさんしました。でも、知らなかったからこそ、予算がなくても情熱と勢いで行動を起こせたし、ガザ地区初のヒップホップ・ショーのような、一度きりの貴重な瞬間に立ち会えたのだと思います。
山本 それが初めてのパレスチナ訪問だったんですか?
ジャッキー いいえ、母や祖母と一緒に何度か訪ねた事がありました。ヨルダン川西岸地区にあるベイト・ジャラという町に、母方の親戚が住んでいるので。
山本 あなたは父方よりも母方への思い入れが強いようですね?
ジャッキー 父はシリアの出身で、ほとんどの親族がシリアに残っていますが、ご存じのようにシリアはとても抑圧的な政治体制の国なので、彼らは政治的な話をしたがりません。一方、私はミシガン州で母方の親族に囲まれて育ちました。特に母方の祖父は、アフマド・シュカイリーがPLO(パレスチナ解放機構)の初代議長を務めていた時代に政治活動に身を投じ、投獄されたこともある人物でした。そのため母も政治的な意識が高く、また私が中東に関わる仕事をすることをずっと応援してくれていましたので、より強く影響を受けたのだと思います。
音楽でつながる
山本 映画にはたくさんのパレスチナ人ラップ・ミュージシャンが登場しますよね。先程話に出た、『誰がテロリストだ?』を歌っている史上初のパレスチナ人ヒップホップグループDAM。その他にも、ガザで暮らすPRというグループや、アビールという女性ミュージシャンなど、様々な境遇の人が登場します。どうやって彼らを見つけたんですか?
ジャッキー 最初に連絡をとったアッカのマフムード・シャラビーが知り合いを紹介してくれて、またそこから人脈が広がっていきました。でも、ガザ地区に関しては事情が異なります。誰もガザ地区のラッパーを知らなかったんです。
ある時、私はネット上のフォーラムで「僕はガザのラッパーなんだけど、サポートしてくれる人はいないかい?」っていう書き込みを見つけました。「うわあ、ガザにもラッパーがいるんじゃない」ってびっくりしました。それがPRというグループのムハンマドでした。
連絡してみると、他に7人もラップをやっている仲間がいて、来週、初ライブをするって言うんです。奇跡的なタイミングで、そのライブをフィルムに収めることができました。
そして、私が撮ったガザでのライブ画像をDAMたちに見せると、とても驚いていました。彼らはガザにラップがあるなんて、知らなかったんです。一方で、ガザのラッパーたちはDAMたちに影響を受け、憧れていました。分断されていた彼らが音楽を通じてつながっていくという映画のストーリーが、ここから始まったんです。
山本 そこがこの映画の核になっていますね。同じパレスチナ人といっても、イスラエル国籍を持つ「アラブ系イスラエル人」と言われるDAMやマフムード・シャラビーたちと、ガザ地区に住むPRのメンバーたちの置かれている状況には大きな違いがある。
また、イスラエルによって人と物資の出入りを厳しくコントロールされているガザ地区は、イスラエル国内はもちろん、ヨルダン川西岸地区からも隔絶されてしまっている。彼らは心理的にも物理的にも大きな壁に隔てられているわけですが、そんな彼らの間をアメリカ国籍であるあなたがカメラを持って行き来することで、新たな結びつきが作られていった。
ジャッキー 私がいなくても、いずれ彼らはつながったと思います。今はインターネットがありますから、どこにいても簡単につながることができます。でも、私がいたことでそのプロセスが少し早まったかもしれません。
アラブ系イスラエル人
山本 アメリカで生まれ育ったあなた自身も、この映画を通じてパレスチナというあなたのルーツと、新たな関係を築きました。
ジャッキー そうですね。この映画の撮影を通じて私もパレスチナについて多くのことを学びました。特に、DAMたちのようなイスラエル国内にいるパレスチナ人(アラブ系イスラエル人)のことは、私も私の家族もよくわかっていませんでした。
アメリカで彼らについて知る人はほとんどいません。ヨルダン川西岸地区やガザ地区についてのドキュメンタリーは数多いですが、イスラエル国内のパレスチナ人を取り上げた映画はほとんどありません。大学での中東に関する講義でこの映画がこれまで何度も上映されているのはそのためです。
山本 日本でも、イスラエル国内で、イスラエル国籍を持って暮らすアラブ人がいることは、ほとんど知られていません。
簡単に歴史を説明すると、パレスチナ地域にヨーロッパから移民してきたユダヤ人が、1948年に現在のイスラエルという国を作ったことに伴い、その地に元々暮らしていたアラブ人の多くが難民となって離散しました。また、1967年の戦争では、パレスチナの残りの地域―ヨルダン川西岸地区とガザ地区―もイスラエルに占領されました。我々が通常「パレスチナ人」として思い浮かべるのはこうした難民と、ヨルダン川西岸地区およびガザ地区の住民です。
ところが、イスラエル建国時に国内に留まり、その後イスラエル国籍を認められた「アラブ系イスラエル人」と呼ばれる人々が実は存在し、現在ではイスラエル人口のおよそ2割を占めています。彼らはいわゆる「パレスチナ人」と同じルーツを持ち、親族関係でも結ばれていますが、イスラエル国内で生きていくために、「パレスチナ人」であるというナショナル・アイデンティティをあえて主張しないという人も少なくありません。
しかし、あなたの映画に登場するDAMたちアラブ系イスラエル人はみな、自分が「パレスチナ人」だという自覚を持ち、そのことに誇りを持っていますね。イスラエルで彼らが置かれている状況について、もう少し説明してもらえますか。
ジャッキー DAMたちは、イスラエルの中における自分たちの状況を、アメリカにおける黒人に重ねています。アメリカの2パックやパブリック・エナミーは、まるで自分たちのことを歌っているように感じたというのです。彼らが生まれ育ったイスラエル国内の町、リッダのアラブ人地区は、住民間での暴力沙汰や麻薬といった問題を抱え、差別のために仕事を見つけるのも容易ではありません。こうした状況は、アメリカにおける黒人の状況と似ています。
また映画の中には、彼らの母語であるアラビア語をしゃべっているというだけで疑いの目を向けられたり、差別的な扱いを受けたりする場面もあります。彼らがこのような状況におかれていることは、ヨルダン川西岸地区やガザ地区のパレスチナ人にすら、きちんと理解されていません。イスラエル国内で良い暮らしをしているんだろうと思われがちです。しかし実際には、住居をブルドーザーで破壊されるといった、差別的な扱いを受けています。もちろん中にはイスラエル政府に協力的だったり、恵まれた暮らしをしているアラブ系もいますけれども。
山本 私も今年(2013年)の3月にリッダを訪問し、DAMのメンバーの一人で、映画ではナレーションも担当しているスヘイルにアラブ人地区を案内してもらったのですが、現地の状況は映画で見た以上にひどいものだと感じました。
アラブ系住民に対して建築や増築の許可を出さず、法律を盾に住居を破壊するイスラエルの差別的な政策に、DAMたちが歌で抗議をするシーンが映画の中にありますが、すでにいくつもの住宅が破壊され、家を失った人たちが出ていました。インフラも劣悪で、まさしく映画の中で彼らが言うとおり、パレスチナ難民キャンプさながらの様相でした。ユダヤ系が多く暮らす地区との間が一部、長いコンクリート壁で隔てられているのも衝撃的でした。
スヘイルは「イスラエル国内にも分離壁があるなんて、知らなかっただろ?」という言い方をしていましたが、イスラエルのど真ん中にそんな世界があるなどということは、ほとんど知られていない事実です。
ジャッキー そうですね。彼らはヨルダン川西岸地区やガザ地区のパレスチナ人よりもずっと複雑な、アイデンティティーの問題を抱えていますよね。彼らはイスラエルの学校に通い、社会生活の中でも様々な障害に直面します。だから子どもに「パレスチナ人」としてのアイデンティティーを教えず、単なるアラブ系イスラエル人として育てようとする両親もいます。映画の中でも、DAMのターメルが子どもたちに「君たちはパレスチナ人なんだ」と語りかけても、「え、僕もパレスチナ人なの?」ときょとんとしている子どもが出てきます。
山本 しかもDAMたちは、イスラエルの政策を批判するだけではなく、麻薬や暴力の蔓延といった、イスラエルのアラブ人コミュニティ内部の様々な問題にもきちんと向き合っています。アラブ社会における女性への抑圧といった問題も取り上げていますね。
ジャッキー それはDAMだけではなく、ほかのミュージシャンたちも同じです。彼らはイスラエルだけでなく、アラブ社会を批判していますし、女性の権利についても歌っています。盛り上がったり、楽しんだりするための曲もたくさんありますし、彼らの扱うテーマには多様性があります。
タンクトップ姿で
山本 アラブ社会で女性が置かれている状況に関心を持っている人は、日本でも多いと思います。この映画を見た人は、タンクトップ姿の女性ラッパーが人前でパフォーマンスをしている姿を見て驚き、アラブ女性についてのイメージを一変させるんじゃないでしょうか。
ジャッキー アラブの女性はみんなベールをかぶっていて、あれもこれも禁じられていると思われてますからね。
山本 あなたの映画はもちろん、女性たちの苦難を描いています。たとえば女性歌手のアビールは、親族に人前で歌うことを反対されて悩みます。しかし同時に、彼女がそうした抑圧的な社会のありように立ち向かう様子も描かれていて、勇気づけられます。
ジャッキー そう、多くの女性たちが、アビールが歌い続けることに勇気づけられています。また、アラピーヤートという女性ラップデュオの存在も重要です。彼女たちの場合、両親がとても協力的で、海外に出てパフォーマンスをすることも応援しています。アビールの事例だけだと、「ああ、やっぱりアラブの女性は抑圧されているんだ」というステレオタイプが強化されてしまいますので、アラピーヤートのような別のケースを見せることも重要だと思いました。
山本 さらにDAMは、あなたが監督を務めた新作のミュージック・ビデオ『時を遡れるのなら』で、親が決めた結婚から逃げようとした女性を父と兄が殺害するという、いわゆる「名誉殺人」をテーマにしています。近代化が進んでいるように見えるイスラエル国内のアラブ人コミュニティにも、こうした慣行が残っていることを知って、驚きました。
ジャッキー この曲は今年リリースされたDAMの最新アルバム『Dabke on the Moon』の中の一曲です。ミュージック・ビデオの制作にあたって国連ウィメンの助成を受けましたが、国連ウィメンは中身には一切関与していません。
パレスチナのテレビ局は、教育的な意義があるということでこのビデオを放映しましたが、ほとんどのアラブ諸国のテレビ局はこのビデオを放映しようとしませんでした。名誉殺人という問題に、背を向けているのです。
山本 当然、とても悲しい歌なわけですが、あなたが撮った映像はとても美しいですね。
ジャッキー 確かに暗くて悲しい歌ですが、アマル・マルコスという女性歌手が「時を遡れるのなら、絵を描き、文を書き、歌を歌うのに」と歌うサビの部分は、魔法の世界のように表現したかったんです。
山本 このミュージック・ビデオからは、芸術の力というものを感じます。芸術には社会的なメッセージを、教訓的ではない形で伝えることができます。
ジャッキー その通りです。子どもや若者たちから尊敬されているDAMのようなグループが、「女性には何を言っても、何をしてもいいんだ」と思い込んで育つかもしれない彼らに「いいや、その考えは間違っている」と伝えることはとても重要です。そこから対話が生じ、こうした問題を話し合う素地ができるのです。アラブ諸国にはもっとこのビデオを放映してもらいたいですね。
息苦しさを感じる人に
山本 パレスチナは、あなたの映画に出てくる女性ミュージシャンの他にも、歌手や俳優、作家や詩人、映画監督など、たくさんの女性アーティストを輩出しています。また女性に限らず、ガッサーン・カナファーニー(『
ハイファに戻って/太陽の男たち(河出書房新書)』)やエミール・ハビービー(『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事(作品社)』)、マフムード・ダルウィーシュ(『詩集 壁に描く(書肆山田)』)、ファドワ・トゥカーン(『「私の旅」パレスチナの歴史―女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝(新評論)』)といった文学者の作品は日本語にも翻訳されていますし、ミシェル・クレイフィやエリヤ・スレイマン、ハーニー・アブーアサドといった映画監督は国際的に高い評価を受け、日本でも作品が公開されています。あの『オリエンタリズム』で知られる批評家のエドワード・サイードもパレスチナ出身です。
パレスチナの人々が文化や芸術の分野でこんなにも活躍している秘密はなんだと思いますか?
ジャッキー そうですね。抑圧されている人間は、自分の考えを表現したいという欲求を持ち、自分の周囲のネガティブな状況を転換したいと願うようになるのではないでしょうか。たとえばガザ地区では、とても保守的な社会であるにもかかわらず、急速にヒップホップが広がりつつあります。それはガザ地区がとても抑圧されているため、芸術を通じた自己表現、あるいは苛酷な現実からの逸脱が、切望されているからじゃないでしょうか。
山本 大きな反対があったにもかかわらず、つい先日、特定秘密保護法が成立し、言論の自由が抑圧されることへの懸念を感じる人が日本でも増えています。『自由と壁とヒップホップ』は、今の社会で息苦しさを感じている人たちにぜひ見てもらいたい映画です。映画が完成してからすでに5年近く経っていますが、パレスチナの現状にはほとんど前向きな変化が見えません。むしろそうだからこそ、粘り強く声を上げ続ける人間が必要なんだということを、DAMたちの存在はわれわれに教えてくれているような気がします。
(2013年12月11日 渋谷にて)
[『自由と壁とヒップホップ』は現在、東京、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。その後は新潟、愛知、大阪、兵庫、京都、広島など、順次全国公開されます。詳細は公式サイト(http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/)で。]
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プロフィール
山本薫
東京外国語大学ほか非常勤講師。2002年に東京外国語大学大学院より博士号取得。専門はアラブ文学・文化論。主な論文に「社会に息づくアラブの詩―過去から現在まで」『現代アラブを知るための56章』(明石書店)、「若者文化と「1月25日革命」―ネット世代のカウンターカルチャー」『現代エジプトを知るための60章』(明石書店)、「社会・文化運動としてのエジプト“一月二五日革命”―グラフィックス・映像・音楽の事例から」『〈アラブ大変動〉を読む―民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会)、「我々を隔てることはできない―映画『スリングショット・ヒップホップ』が見せたパレスチナラップの可能性」『インパクション175号』(インパクト出版会)ほか。
ジャッキー・リーム・サッローム
パレスチナ人とシリア人の両親を持ち、ニューヨークを拠点に活動するアラブ系アメリカ人アーティスト・映画監督。ニューヨーク大学大学院で芸術学を専攻。在学中よりポップ感覚のアート(おもちゃ、ガムボール自販機など)を用いて、自分の家族や人々の歴史を実証的に示し、それによってアラブについての画一的なイメージに疑問符をつけ、固定観念を修正し、払拭することに挑んできた。初めて制作した映像作品は2005年のサンダンス映画祭に出品した「プラネット・オブ・ジ・アラブズ」。これをきっかけに故郷のパレスチナに戻って最初の長編ドキュメンタリー「自由と壁とヒップホップ」(2008年サンダンス映画祭正式出品)を監督することになる。最近の活動には、PBSテレビの短編ドキュメンタリー「アラブ系アメリカ人の物語」、国連ウィメンの資金提供によるDAMの音楽ビデオ“If I Could Go Back in Time”や、子供向けの短編映画“Yala to the Moon” (2012年トロント映画祭子供部門出品)などがある。現在、執筆活動や映画や音楽ビデオの監督を務めるほか、米国や海外の大学や教育機関でワークショップも行っている。