2014.06.19

パレスチナ統一内閣の光と影――ファタハ・ハマース連立に課された課題

錦田愛子 パレスチナ政治/中東地域研究

国際 #パレスチナ#ハマース

2014年6月2日、長年対立していたファタハとハマースの間で合意が成立し、パレスチナ自治区に統一内閣が発足した。

その背景にあるのは7年前に起きた政権分裂である。2006年に行われた立法評議会選挙でハマースが勝利すると、国際社会はパレスチナ政府に対して経済制裁を科した。その後経済危機に陥ったハマース政権は、ファタハとの連立を試みるが結局失敗し、政権は分裂することになった。以降、今回の統一内閣発足まで、パレスチナ自治区は、ガザ地区のハマース政権とヨルダン川西岸地区のファタハ政権という二重政府状態が続いていた。

今回の合意では、その分裂状態がようやく解消されることになった。ファタハとハマースの交渉は予定された期限をやや過ぎたものの、概ね計画通りに組閣人事が合意された。首相には、ファタハのラーミー・ハムダッラーが就任した。ハムダッラーは無党派のナジャフ大学学長で、昨年6月にファイヤード首相の後を継いで首相に就任した。途中で辞任騒ぎなど起きたものの、その後辞意を撤回し、今回の統一までハマース側のイスマーイール・ハニーヤと並びたつ首相を務めていた。

新しい閣僚メンバーは9人の新顔を加えた17人で構成される。そのうち3人が女性閣僚で、5人がガザ地区からの選任だ。無党派のテクノクラートにより構成され、議会選挙までの中継ぎの役割を担う。

受け入れられたハマースの政権参加

注目に値するのは、ハマースとの合意により組閣された今回の内閣に対して、アメリカ政府が承認に踏み切ったことだ。イスラエル国家の存在を承認しないハマースが参加する内閣をイスラエルは否認しており、これまでアメリカもその動きに同調してきた。だが今新政権の樹立にあたっては、カルテット(アメリカ、EU、ロシア、国連)が繰り返し提示してきた「イスラエル国家の承認、テロの放棄、これまで交わされた国際合意の遵守」という三条件を前提に、政権を認めることになった。

組閣が発表される前日、アメリカのケリー国務長官はアッバース大統領と電話で会談し、新政権におけるハマースの役割に懸念を伝えた。だが実際に統一政権が発足すると、ケリーは新内閣に対する対応を「構成と政策、行動」によって判断するとして、発足の翌日には上記の留保つきの承認を表明した。「即時承認はしない」と聞いていたイスラエル当局関係者は、事前の約束を裏切られたと、アメリカに対する反発を強めている。

EUと国連もまた、組閣の翌日に歓迎の意を示した。キャサリーン・アシュトンEU外交代表は、統一政権の形成を「重要なステップ」として評価した。インド、中国、トルコも新政権の承認に加わり、統一内閣承認の動きが広がっている。

ハマースが加わった組閣に対して、国際社会が支持を表明した意味は大きい。2006年の選挙後の組閣では、ハマース首班の政権に対して国際社会は全面的な経済制裁で応じたからだ。これにより自治政府は経済危機に陥り、ファタハとの連立交渉をめぐり錯綜した後、政権は分裂することとなった。このときと今回との反応の違いには、今政権が無党派のテクノクラートで構成されていることの影響が大きい。

また8年前には強い拒絶が示されたイスラーム主義政権に、「アラブの春」で同様の政党が民主的に選出される例をいくつも目の当たりにした国際社会が耐性をつけ、拒否反応が少し弱まったという面もあるのかもしれない。いずれにせよこの度の統一新政権は、国際社会から比較的寛大な承認を得て始動することができた。

ただしEU代表部が承認を述べる声明のなかで釘を刺したように、国際社会がパレスチナ政権に望むのは、上記の三条件に加えて1967年時点の境界線を国境としたイスラエル・パレスチナによる二国家解決の選択である。ハマースは現在のところこれらを拒否し続けており、同意までの道のりは遠い。

カイロ合意で決めた国民和解の達成

ファタハとハマースの間で統一政権を作ることは、3年前に実現を約束された内容のひとつだった。2011年1月、チュニジアで起きた民衆蜂起から各地に伝播した「アラブの春」と呼ばれる民主化運動は、パレスチナでは政権分裂に対する抗議運動という形をとった。ファタハとハマースという二大政治派閥が互いに対立し内部分裂を続けていることが、パレスチナ全体の政治的停滞を招いているとして、自治区全土で運動が起きたのだ。

これを受けて同年5月、両派閥の指導者はカイロで会談し、統一政権に向けて協議を開始することで合意した。西岸地区とガザ地区で引き裂かれていた住民に、一つの政府を作ること、すなわち国民和解を約束したのだ。今回の政権樹立はこのカイロ合意を基にしている。

カイロ合意以降、ファタハはいわば、イスラエルとの和平交渉と、ハマースとの統一交渉との間で、綱引き状態におかれてきた。中東地域の安定を望む部外者にとって、どちらも和解というプラスのベクトルをもつように見えるこの二つの選択肢は、実はアンビバレントな関係にある。イスラエル国家の存在を認めないハマースを含む政権を、イスラエルは一貫して否認してきた。イスラエルはハマースをテロ組織と呼び、ハマース側もイスラエルとの交渉を拒否している。こうした関係は2006年のパレスチナ立法評議会選挙以降も変化していない。他方で統一政権は、パレスチナ自治政府の政権にハマースが参加することを意味する。あちらを立てればこちらが立たず、という関係だ。

昨年7月以降、アメリカのケリー国務長官を中心とした和平交渉が活発化してからは、天秤の針は和平交渉重視に傾いていた。それが今年4月末に設定されていた期限を前にして、和平交渉がこう着状態に陥ったため、ファタハは和平交渉に見切りをつけて国民和解に踏み切ったとものと考えられる。和平交渉の期限が切れる直前の4月23日、ファタハはガザでハマースと会合を開き、5週間以内の統一内閣の形成と6ヶ月以内の選挙の実施で合意した、と発表した。ハマースのハニーエ首相は、「これで分裂は解消された」と和解を宣言した。それから内閣統一までの期間は、いわば政治的決定が下された後のテクニカルな調整期間だったともいえる。

こうした選択は、統一交渉について何も知らされていなかったケリー国務長官を激怒させた。ケリーは4月末の時点でもまだ和平交渉の復活に希望を捨てておらず、アメリカにパレスチナとイスラエルの双方の関係者を呼んで、財界人を交えた協議を予定していた。会合は結局開催されたものの、イスラエル側が和平交渉の中断を宣言したため、なんら成果を生むことはできなかった。イスラエルの諜報機関もこの急展開は予見しておらず、治安会議で釈明に追われることになった。イスラエルのネタニヤフ首相は統一発表を受けて「ハマースを選ぶ者は和平を望んでいない」と発言し、中東和平交渉とパレスチナの内閣統一は両立しないとの認識を再確認している。

統一の背景

それではハマースにとって、今回の統一政権の樹立はどんな意味があったのか。こちらはより深刻な協力の必要性が背景にあると考えられる。

エジプトでムルシー政権が崩壊した後、ムスリム同胞団を出身母体とするハマースはシーシー暫定政府から敵視されるようになった。ガザ地区とエジプトを結んでいた無数のトンネルは注水・破壊され、使用不可能となった。トンネルからの物資の搬入と、それに際して徴収していた「トンネル課税」による税収の激減は、ガザ地区の市民のみならずハマース自体をも経済的に困窮させることになった。またハマースのシリア事務所閉鎖と政治局長であるハーレド・ミシュアルのカタール脱出以降は、イランやシリアとの関係も悪化し、修復できていないという。

資金が不足する中、今年に入ってからはガザ地区の政府職員の給与も削減され、ハマースはファタハへの接近を余儀なくされていたものと考えられる。その意図はハマース側の発言からもうかがうことができる。ハマースの首相補佐バッサーム・ナイームは4月の和解宣言後、今回の内閣の使命は外交交渉ではなく、「パレスチナの組織を統一して、選挙の準備を行ない、ガザを立て直すこと」だと明言している。

和平交渉の傍らでイスラエル側が進める入植地の建設は、交渉の中断をファタハ側が正当化する口実を与えることになった。イスラエルの左派日刊紙ハアレツの4月28日付の報道によると、入植地拡大のための土地接収は近年、これまで以上のペースで進んでおり、2013年には2万8千ドナム(28平方キロメートル)の土地がイスラエルの国有地に併合された。うち3476ドナム(3.47平方キロメートル)は西岸地区中部のアリエル入植地に供されている。アッバース大統領はこうした状況を指して4月の和解宣言の後、パレスチナ解放機構(PLO)の中央評議会の席で「イスラエルが入植地の建設を凍結すると誓約し、約束された残りの囚人を解放するなら〔和平交渉の〕期限を延ばしてもよい」と発言している。

交渉の仲介役を務めてきたアメリカの特使マーティン・インディクも、交渉中断後の5月8日、入植地建設に対して改めて懸念を表明した。「このまま建設を続けると、イスラエルのユダヤ人国家としての性格を損ねることになる」との発言ではあったが、入植活動が和平交渉の障害になった事実を、慎重に指摘したものともいえるだろう。

アッバースの発言でも言及されたように、今回の和平交渉決裂の背景にはもう一つ、拘束されているパレスチナの囚人の問題もある。交渉が暗礁に乗り上げた直接のきっかけは、イスラエルが3月末に、約束していたパレスチナ人政治囚104人のうち最後の26人の釈放を見送ったことにあった。イスラエル側としては、解放のたびに国内で反対運動が盛り上がるパレスチナの囚人を、明確な交渉の成果もないままに引き渡すわけにはいかない、という立場がある。相手に譲歩しすぎると弱腰と見られ、国内の右派の支持を失うからだ。だがパレスチナ側としては、前提となる約束も果たされぬままに、次の約束を結ぶことなどできない。

囚人に関しては、この他に国際的にはあまり注目を浴びていない別の問題もある。それを顕著に示すのが、イスラエルの刑務所内で2年ほど前から断続的に行なわれているパレスチナ人服役囚によるハンガーストライキだ。

これはイスラエルが罪状を明らかにせず、裁判なしで何ヶ月も拘束する、行政拘禁に対する抗議で、ストライキの長期化のため囚人の生命に危機の及ぶ例も出ている。「怒りの日」と指定された今年の5月9日には、5千人以上がハンガーストライキに参加した。行政拘禁自体は、第一次インティファーダの起きた1980年代から既に頻繁に行なわれており、当時も人権団体から批判されてきた。6月初め現在では180人以上行政拘禁され、そのうち100名前後がハンガーストライキを行なっている。

こうした背景から、今回の内閣統一交渉で最後まで難航したのは、外相人事と、囚人担当省をめぐる調整だった。外相については、ファタハ側が西岸政府の現職リヤード・アル=マーリキーを推したのに対して、ハマース側は副首相のズィヤード・アブー・アムルを推した。マーリキーはハマースに対して否定的過ぎるというのがその理由だ。結局、外相にはマーリキーが選任され、二人の候補者はそれぞれ以前と同じ役職を継続することとなった。

囚人担当省は、対イスラエル抵抗運動で家族が拘留されることの多いパレスチナ人にとって、重要な役割をもつ部局である。しかしアッバースは今回の改組で、囚人担当省の廃止を提案した。囚人解放の問題が和平交渉のつまずきとなったため、今後はこの問題を大統領の直接裁量権の下に置きたいとの考えによるものと推察される。交渉の末、こちらでもやはりファタハ側の意見が通され、囚人担当相職は廃止されることとなった。

外相職は今後の中東和平交渉の復活如何では、対イスラエル交渉に関わる立場となり、また囚人の問題は、多くの国民に影響するとともに残された交渉の課題でもある。これらの重要な争点でいずれもハマースが譲歩せざるを得なかったことは、今回の統一交渉における力関係を示唆しているようにも思える。

ラーマッラーの時計広場で開かれた囚人連帯集会(2011年10月) 
ラーマッラーの時計広場で開かれた囚人連帯集会(2011年10月)

統一後の内閣の課題

長年の対立を乗り越え、なんとか統一政権の樹立に成功したとはいえ、ファタハとハマースをとりまく環境は決して容易なものではない。イスラエル政府内部の反応は、統一内閣を「スーツを着たテロリスト」と呼ぶ右派政党「ユダヤの家」のナフタリ・ベネット党首・経済相のような強硬な立場から、しばらくは新内閣の動向を見極めるべき、とする「未来」党党首・財務相のヤイール・ラピドの立場まで様々だ。とはいえパレスチナに対する従来の政策に変更の兆しは見られない。自治区からの移動規制も健在で、西岸地区のラーマッラーで行なわれた新閣僚の就任式には、イスラエル軍に移動を禁じられたガザ地区からの3人の閣僚は参加できなかった。

また、国際的には、アメリカやEUなどからのハマースに対するテロ組織指定が解除されたわけではない。解除を求めるなら、イスラエルの承認などの三条件の受け入れが、踏み絵として必ず要求されるだろう。それを認めず、次の選挙でたとえまたハマースが勝利を収めても、再び制裁を受ける可能性があり、直面する政治状況はあまり変わっていない。

ファタハをめぐる綱引きも、根本的に事態が変化したわけではない。ファタハ側は中東和平交渉の推進を断念したわけではなく、アッバース大統領は今回の統一内閣の形成について、中東和平との間に矛盾はないとしている。イスラエルと平和的に共存する独立国家が目標であることに変化はない、というのが彼の立場だが、ハマースとの連立によりイスラエル側の不信感は急激に増大している。

パレスチナの内政という点では、統一政権の運営について、ファタハとハマースの間でどこまで方針や決定に合意が得られるかという点にも懸念が残る。組閣の発表そのものについても、ファタハ側のPLO幹部が「合意に至った」ともらしたのに対して、その数時間前にはハマース広報官が「まだ公式合意は結ばれていない」と発表するなど、足並みの乱れが見られた。

またイスラエル国家の承認については、4月の和解宣言後にアッバース大統領が、統一政権はイスラエル国家の存在を認める、とくり返したのに対して、ハマースの報道官ターヘル・アル=ヌーヌーがこれを否定したと報じられる場面が起きた。ハマース側は後にこれを訂正し、「一党派が国家の承認を決めることはできない」と発言の意図をぼやかしたが、基本的な方向性が異なるまま組閣に至ったことは否めない。

さらに今後、イスラエル側による暗殺攻撃や入植地の増設など、挑発を受けて若手が暴走すれば、再び分裂の危機が訪れる可能性も否定はできない。

暫定首相とはいえ、今回就任したハムダッラー首相はパレスチナ人全体をまとめるカリスマ性には欠ける。ハマース側が早い段階からハムダッラーの首相就任を認めていたのは、むしろそのためとも考えられる。指導者として、ハマースへの支持に影響を及ぼす脅威にならないからだ。他方で国民からのアッバースへの支持は、ハムダッラーに比べるとまだ高いが、圧倒的な指導力をもつというわけではない。新内閣の就任式の際に壁に貼られた巨大なヤーセル・アラファートのポスターは、PLOがいまだにこの人物の威光に頼っていることの暗示ともいえるだろう。

パレスチナ世論の反応

移行政権を経て、今後のパレスチナ政治を率いていくのは誰なのか。この点を考える上で興味深いのは、5月後半に報道された世論調査の結果である。そこでは待望される政治家として、複数の終身刑を受けてイスラエルの刑務所で服役中のマルワーン・バルグーティーの名前が浮上していた。

調査は2014年5月5日から15日にかけて、ベツレヘム市の郊外にあるパレスチナ世論センター(Palestinian Center for Public Opinion)が実施したもので、西岸地区とガザ地区、東エルサレムの18歳以上の住民、合計1015人を対象としている。まず、統一政府が目標とする6ヶ月以内の選挙の実施が可能かどうか、との問いに対して28.3パーセントが「確実だ」、52.3パーセントが「おそらく可能だろう」と答えており、期待の高さが感じられる。続いて次期の大統領候補として望ましい人物を選択させる質問では、ハマースよりはファタハ、ファタハの中ではアッバースよりもバルグーティーを推す声が強いことが示されている。

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この設問は、一問目でアッバース(ファタハ=F)とハニーエ(ハマース=H)、二問目でバルグーティー(F)とハニーエ(H)、三問目でバルグーティー(F)とアッバース(F),四問目でバルグーティー(F)とミシュアル(H)を比べる形式をとっているため、4人の候補者のうちで誰の支持率が一番高いのかが一見したところでは分かりづらい。しかし明白なのは、ファタハとハマースの候補者が比較される場合、常にファタハの方が高い支持率を得ていること、またどの候補者と比べてもバルグーティーがより高い支持を集めていることだ。

マルワーン・バルグーティーは、占領地での対イスラエル抵抗運動の指導者として名を上げ、2000年に始まった第二次インティファーダではタンジームという民兵組織を率いた。イスラエルに拘束され、裁判を受けて5つの終身刑で服役中だが、広い層から人気があるという。若さによるカリスマと、外地から戻ったPLO幹部と違って占領地でずっとイスラエルの占領に耐えてきたという経歴が、人気の理由だろう。手錠をかけられた両手を掲げてみせる彼の姿は、囚人との連帯運動のシンボルにも使われている。

獄中にいるバルグーティーが、6ヵ月後に予定される大統領選挙に立候補できるとは限らない。2005年の大統領選挙では立候補を表明したものの、ファタハ内部の圧力で辞退させられた経緯もある。また仮に大統領に選出されたとしても、それによってイスラエル軍が彼を釈放するとは考えられず、実際の執務を行なうのは困難である。その意義は象徴的なものにとどまる。しかし彼の存在がこうして世論調査で取り上げられ、公然と高い支持率を得ていることは興味深い。またその高い支持率の陰には、既存の政治家の中で他に同様の支持を得ることのできる人物が不足していることが示唆されているともいえるだろう。

カランディアの分離壁に描かれたマルワーン・バルグーティーの絵(2011年11月時点)
カランディアの分離壁に描かれたマルワーン・バルグーティーの絵(2011年11月時点)

期待の薄い中東和平交渉

ラーマッラー市内の囚人連帯のための抗議テント(2013年3月)
ラーマッラー市内の囚人連帯のための抗議テント(2013年3月)

それでは今後、中東和平交渉はどうなっていくのか。これについてはまず、頓挫した交渉の再開にアメリカがどれだけ今後も関与していく意志を示すかが問題になるだろう。現在の中東和平交渉は、あまり積極的とはいえないイスラエルとパレスチナの双方をアメリカ側の主導で牽引する形で展開されている。その役目を、パレスチナの新内閣を相手にケリー国務長官が今後も続けるかどうかが、とりあえずの鍵となる。

昨年7月の交渉再開から中東和平特使としてケリーとともに牽引役を担ってきたマーティン・インディクは、4月の連立合意の後に辞任説が一部で報道された。インディク自身はパレスチナ側に受けのいい人物ではないが、ともかくも仲介役を担う人物が交渉の努力を続けることが必要である。

パレスチナ側にとって、和平交渉への参加は、国際政治上のプレゼンスを示し、場合によっては相手から譲歩を引き出す上で有効なカードとなり得る。逆に言えば、その他の方法でイスラエルによる占領の進行を止めることは困難だからだ。段階的に実行された囚人解放は、その成果の一例といえる。しかしカードが常に有効とは限らない。むしろ交渉により既存の力関係の差を既成事実として定式化されてきたのが、1993年のオスロ合意の現実だった。また今後はハマースが政権に加わることで、必ずしもこれまで通りの交渉が可能とはならないだろう。具体的な成果を伴わず、交渉のための交渉をくり返すだけならば、政権運営には負担となるばかりと考えられる。

イスラエル側でも、今の段階で和平交渉への関心はそれほど高くない。むしろ兵役制度の改正や、労働移民など国内問題が注目を集めている。国内経済や治安が安定している中で、和平交渉によって得られる旨味が少ないことも、インセンティブを下げている理由だ。

交渉はむしろ、パレスチナ側に対する譲歩やコストが増えることを意味する。その典型としてのパレスチナ人政治囚の釈放は、実施のたびに国内世論で反発を招いている。今年初めにイスラエルの国防相モシェ・ヤアロンは、「ケリーはノーベル平和賞が欲しいだけだろう」と皮肉り、外交問題となった。発言はすぐに撤回されたが、ある意味でイスラエル側の政権当事者の本心を突いているようにも思われる。

こうした状況の中、イスラエルとパレスチナの関係が今後どのような方向に向かっていくのかはまだ読めない。だがこれまでの、内政と外交双方における膠着状態に変化がもたらされたことは事実だ。パレスチナ自治政府は、統一された政府組織として意思決定を下し、政策を実行していける政体となった。外交上の立場はまだ不確定だが、国民の半分しか代表しない政府が進める外交交渉よりも、実行力のある結果をもたらせることは事実だ。

また今回の選挙管理内閣ではなによりも、選挙を実施し、任期が切れた大統領と立法評議会議員の改選を果たすことが望まれる。法的・制度的にも正統性のある政治家に担われてこそ、今後のパレスチナ政治の未来を語り始めることができるといえるだろう。

(2014.06.07脱稿)

プロフィール

錦田愛子パレスチナ政治/中東地域研究

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授(博士・文学)。早稲田大学イスラーム地域研究機構研究助手を経て、現職。専門はパレスチナを中心とする中東地域研究。著書に『ディアスポラのパレスチナ人―「故郷(ワタン)」とナショナル・アイデンティティ』(有信堂高文社)、『中東政治学』(共著・有斐閣)、『鏡としてのパレスチナ』(共著・現代企画室)など。

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