2017.01.06

渋谷のハロウィンは何の夢を見たか――スクランブル交差点から考える

社会学者・南後由和氏インタビュー

情報 #教養入門#ハロウィン#都市論

30年前、東京、渋谷。そこではたくさんの若者たちがファッションに身をつつみ、消費の戯れに興じていました。そして当時、その若者文化を分析するべく、学者たちが難しい言葉を使って都市について語る文化が存在していたのです。

明治大学4年生の私、白石がいままでずっと気になっていた先生方にお話を聞きに行く、短期集中連載『高校生のための教養入門特別編』の第3弾。熱狂するハロウィンについて、私たちは何を考え、何を見出すことができるのでしょうか。社会学者の南後由和先生に、『君の名は。』の都市論的解釈まで聞いてみました。(聞き手・構成/白石圭)

なぜいま、都市について考えるのか

――都市論とはどのような学問なのでしょうか。

都市論とは、日常生活の場であると同時に、文化・芸術・政治・経済などの営みが重層的に展開される場である都市を、様々なアプローチを駆使して通時的、共通的に捉えようとする領域横断的な学問です。僕のような社会学者のほかに文学者や歴史学者もいれば、工学系の建築学の人もいますし、経済学の観点で統計的に分析している人もいます。

歴史的には、80年代に都市論ブームというものがあったんです。70年代から日本は高度消費社会と呼ばれる時代に突入し、広告や雑誌文化が盛んになっていきました。東京がいまよりも輝いて見えた時代と言えるかもしれません。若者の多くが東京発のファッションに憧れていたんですね。また、バブル期には経済が過熱して、目まぐるしい速度で都市の景観が変わっていきました。

それと並行して、当時は「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる現代思想の潮流がありました。様々な社会現象に関して、文学や哲学、人類学や記号学、数学や物理学など領域横断的に語るということが流行ったんです。学会の論文を書くというよりは、アカデミズムの外にいる一般の人たち向けに知を伝達していました。たとえば当時は浅田彰さんの『構造と力』という現代思想の本が15万部も売れたりしたんです。

この高度消費社会とニュー・アカデミズムが結びついた流れが、都市論ブームの一翼を担っていました。当時はそのブームを支える出版メディアも元気で、『ぴあ』をはじめとする雑誌はもちろんのこと、パルコや建設会社などの企業が都市に関する出版事業を展開していました。

最近は、現代思想を駆使しながら都市について語るような出版物は減ってきています。とはいえ、都市論の対象となる題材は多々あります。たとえばスマートフォンで「食べログ」を見てレストランに行く行為と、雑誌などのグルメガイドを読んで街に繰り出すという行為との間に、どのような連続性と差異があるかを考えることも都市論の題材のひとつです。「ポケモンGO」も物理空間と情報空間を横断しながら、都市における人々の集まり方や歩き方を変えた一例です。

このように、メディア環境の変化によって、都市における振る舞いがどう変わっていくのかを考察することも、都市論の研究対象になるのです。

――都市論のフィールドワークはどのようにやっているんでしょうか。

量的調査と質的調査という2つのタイプの社会調査があります。量的調査は、世論調査などのように、標本を抽出し、調査票を作成・回収して、大量のデータを分析する統計的な調査のことです。質的調査は、特定の人や組織に重点的にインタビューしたり、場合によっては暴走族などのコミュニティに実際に潜入し、参与観察などをする調査です。社会学系の都市論のフィールドワークでは、量的調査に関しては既存のデータを分析に用い、後者の質的調査を採用することが多いです。

商業施設の調査の場合、フロアやテナント構成の分析はもちろん、特定の場所で定点観測したりもします。どのような属性の人がどの時間帯に、どのテナントに来て、どのような行動をしているかを類型化するんです。

たとえば現在建て替え工事中ですが、渋谷にパルコがありますよね。今年の夏に閉店するまで、1階にはコム・デ・ギャルソンやイッセイミヤケなどのジャパンブランドが並んでいました。以前は日本の若者をターゲットにしていましたが、いまや国内のマーケットが縮小しているので、インバウンドの外国人観光客をターゲットにするようになりました。

――商業施設の分析は施設の運営側にとっては経営のヒントになるので、有用ですよね。ただ、社会学は施設の運営のためにやっているわけではないですよね。社会学にはどのような意義があるのでしょうか。

社会学では、「個人に関する私的な問題」と「社会構造に関する公的な問題」がどのように関係しているのかを統一的に把握しようとします。たとえば、最近は駅チカや駅ナカなど、時間を短縮して買い物ができる時間節約型の商業施設が増えています。その一方で、イオンやららぽーとなどの、半日過ごせる時間消費型の商業施設もできています。

僕たちは日常、そうした商業施設へなんとなく行って買い物をしています。社会学は、その「日常」や「なんとなく」に注目します。当たり前とされていることや前提自体を疑ってみるのです。なぜいま時間節約型の商業施設が増えているのか、そこで消費者はどのような原理にもとづいて行動しているのか、そして個人のミクロなレベルでの行動原理はマクロレベルでは何によって規定されているのかということを考えていくのです。

インターネットが普及して以降、ネットで検索し、必要な情報を瞬時に得たいという欲求が一般化するようになりました。買うものが決まっているときは、街に出てぶらつくよりは、駅ナカや駅チカのほうが便利ですよね。現実世界でも人々はできるだけ時間を節約し、瞬時に必要なものを手に入れ、最短距離で移動することを優先するようになったわけですが、このような行動原理の背景には、マクロレベルでは、ネットの普及にともなう情報をめぐる時間感覚の変化が影響しています。

その一方で、ネットが普及したために、逆にリアルな場所でしか得られない経験や体験の価値が相対的に高まりました。2000年代に入ってから時間消費型の巨大なショッピングモールが人気を博すようになった理由のひとつは、そうした時代的な背景があったからです。音楽業界で、CDは売れなくてもライブの売上は伸びている理由も同じように考えることができます。

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パルコや携帯電話が渋谷を変えていった

――先生は渋谷について研究されていますが、なぜ渋谷なんですか。

駅のターミナルとして渋谷を多く利用していたということもありますが、社会学の系譜に、吉見俊哉さんの『都市のドラマトゥルギー』という本に代表される先行研究の蓄積があったのが理由のひとつですね。これは、東京の盛り場の変遷について考察した本なんです。この本のなかで、渋谷は「見る―見られる」の関係を軸とした、まなざしの快楽を享受する舞台装置として論じられています。

たとえば、僕たちはいつも服を選んで着ています。そのコーディネートは、自分が気に入っているかどうかという基準で決めることもありますが、それと同時に自分がどう見られたいのかという基準がありますよね。つまり、ファッションというのは自分を演じる装置のひとつなんです。

そしてファッションを身にまとって街に出ると、必然的に他者からのまなざしを受けます。視線のコミュニケーションとして、自分がすれ違う人からどのように見られているのかを気にするし、周りの人がどのような格好をしているのかを見ようとします。だから都市は、自らが演者にも観客にもなる、ひとつの舞台のように捉えられるんです。

ただし、都市は通常の舞台と同じではありません。通常の舞台には演者と観客がいて、その役割は固定されていますよね。観客は一方的に演者を見ています。でも都市を舞台装置としてみると、自らが演者にも観客にもなるわけですから、演者と観客の関係はつねに反転しつづけます。

このような舞台装置としての都市的現象は、1973年に渋谷パルコができた頃から現れ始めたというのが吉見さんの議論です。渋谷パルコのオープン時のキャッチコピーは、「すれ違う人が美しい 公園通り」でした。美しいと自覚している人だけがパルコに来る、あるいはパルコに来る人は美しくあらねばならないというメッセージを感じますよね。渋谷を他の都市と差異化し、そこを訪れる人を選別しようとする意識を見て取ることができます。このように企業が都市の空間演出の一端を担うことで、都市のイメージや人々の振る舞いも変わっていったというわけです。

――それが80年代の都市論ブームにもつながっているんですね。90年代以降は渋谷について語る人はいなかったのでしょうか。

吉見さんの弟子である北田暁大さんが『広告都市・東京』という本で、2000年代初頭までの渋谷について論じました。90年代後半に携帯電話が普及してから、渋谷の様子も変化していきました。若者がみんな携帯の画面ばかり見るようになり、街を「見流す」ようになっていったというんですね。そうして「見る―見られる」の関係が弛緩していった。

また、90年代にはバブル景気の揺り戻しで、渋谷への憧れや東京のなかにおける渋谷のステータスも下がっていきました。それは具体的には、渋谷に大型家電量販店などのチェーン店が増えたことに現れています。そして同時期、柏や大宮などの郊外におしゃれなカフェや雑貨屋が増え、プチ渋谷化していきました。つまり、渋谷の郊外化と郊外の渋谷化が起こったんですね。

それで渋谷はどこにでもあるような街になり、特権性を失っていったというわけです。若者にとっても積極的に渋谷に足を運ぶ理由がなくなりました。そうして渋谷は「脱舞台化」した。それが2000年代初頭までの議論でした。

――それ以降の渋谷についてはどうでしょうか。

2000年代のことをゼロ年代、2010年代のことをテン年代と呼びますが、この間に携帯電話がスマートフォンになり、SNSが普及したのは大きなメディア環境の変化ですよね。吉見さんの議論は、雑誌やファッションを軸とした若者と街の結びつきについてでした。北田さんの議論は、携帯電話を軸とした若者と街の結びつきについてでした。

このように考えると、僕たちの都市のイメージや経験というのは、つねにすでにメディアに媒介されていることがわかります。たとえばパリに行ったことがない人でも、エッフェル塔がどういうものかはメディアによって知っているわけです。そしてそのイメージを抱きながらパリに旅行に行き、すでに知っているものを確認するかのように写真に撮ります。したがって、テン年代におけるスマートフォンの普及とSNSの発展も、僕たちの都市のイメージや経験に何かしら影響を与えているはずです。

そしてもうひとつ、渋谷には興味深い変化が起きています。リオオリンピックの閉会式で流れた東京大会のPR映像は、渋谷スクランブル交差点の場面から始まりましたよね。渋谷スクランブル交差点は東京の都市イメージを代表するスポットとして、近年は国内のみならず世界的に注目されています。そしてその渋谷の変化を端的に表している現象が、ここ数年で話題になっている、ハロウィンです。

渋谷独特の坂道の多さがパーティーを引き起こした

――渋谷のハロウィンはなぜあのように大規模化したのでしょうか。

スマートフォンやSNSの普及に加え、渋谷独特の空間的・地形的な構造が影響していると考えています。99年にQFRONT、2000年に渋谷マークシティができて、建物内の人々がスクランブル交差点を見下ろすような構図ができ上がりました。そもそもスクランブル交差点は、すり鉢状にくぼんだところに位置しています。そこから道玄坂や宮益坂が放射状に伸びていき、標高が上がっていきます。

つまり、渋谷は物理的な空間として、アリーナのような形状になっているんです。スクランブル交差点を横断している人は見られる演者になり、その人たちをQFRONTやマークシティにいる人たちが観客になって見ています。大量の巨大な群衆が行き交うことのできる空間的構造を持つ渋谷スクランブル交差点周辺は、定点カメラの数が多くて、テレビなどのマスメディアに露出する機会も多い。そうした背景から、一旦「脱舞台化」した渋谷は、ゼロ年代からテン年代にかけて「再舞台化」化するようになったと考えられます。

たとえばハロウィンで盛り上がるだけなら、べつに明大前でも御茶ノ水でもいいはずじゃないですか(笑)。でも人々は渋谷を選んだ。それはなぜなのかというと、今説明してきたような、大量の巨大な群衆とそれを許容する渋谷に固有の空間的な特徴があるのではないかと。そういう意味で、吉見さんの「舞台化」、北田さんの「脱舞台化」を継承する形で、僕は渋谷の「再舞台化」について論じたんです(三浦展・藤村龍至・南後由和『商業空間は何の夢を見たか』)。

――再舞台化した渋谷ではどのようなことが起きているのでしょうか。

さきほどお話ししたように、テン年代に入り、スマートフォンとSNSが急速に普及しました。このメディア環境の変化は、人々の都市へのイメージや経験に影響を与えています。たとえば、誰かがスマートフォンで撮影した写真をSNSにアップロードし、それを見た人が渋谷に来る……といった流れが起きています。

ハロウィンの日に渋谷へ行くと、みんな仮装・コスプレしていますよね。人々は演者として演じているし、観客として仮装・コスプレした人たちを見てもいるわけです。しかも仮装・コスプレした人は、たんに同じ時間と空間を共有する、80年代的な「見る―見られる」の関係にとどまっているわけではありません。多くの人は写真を撮影し、SNSでアップすることを目的にしています。あちこちで写真を撮ってもいいですか、というコミュニケーションが発生しています。

渋谷にいる人たちのコミュニケーションは、街という物理空間に閉じられているように見えながら、同時にインターネットという情報空間に「離脱」している。つまり、物理空間と情報空間のあいだを行き来しているんですね。スクランブル交差点は、「物理空間と情報空間の交差点」でもあると考えられるわけです。

そして渋谷スクランブル交差点をめぐる現象は、日本における「広場」について考えることにもつながります。話が脱線してしまうので深くは立ち入りませんが、日本には西欧のように建物に囲まれ、都市の核となるような「広場」がなかったと言われています。日本では、お祭りにおける神社の参道のように、ハレの日に、道や通りが一時的に広場として使われてきました。

道が交わる、渋谷スクランブル交差点も同じです。スクランブル交差点の信号が青の間だけ、そこは一時的に広場へと変容する。しかもその物理空間は、情報空間へとつながっている。そういう意味では、渋谷スクランブル交差点は日本的広場の現在形であるといえるんです。

――渋谷のハロウィンのフィールドワークはどのような視点で見ていましたか。

去年(2015年)はスクランブル交差点を中心にフィールドワークしていました。ここは歩道と車道の交差点なので、当然途中で立ち止まってはいけないですよね。ですが、何度も往復して横断する人や、立ち止まって写真撮影をしようとする人もいる。そのため多くの警官が動員され、信号が赤になりそうになると、規制の紐を引っ張って歩行者を歩道に押しやっています。一見、ハロウィンの渋谷スクランブル交差点は、錯乱状態に見えますが、実は過剰に秩序立っています。

また、ハロウィンは年1回のイベントだから今日ぐらい騒いでも許されるんじゃないか、という非日常感を楽しんでいる人が多い。普段は絶対に会話しなさそうな、10代の女性グループとスーツ姿のおじさんが一緒に写真を撮っていたりする。しかも連絡先を交換したりするわけでもなく、一過性の刹那的なコミュニケーションを楽しんでいる。

今年(2016年)のハロウィンは、スクランブル交差点ではなく、センター街や井の頭通りなど、ストリートを中心にフィールドワークしました。センター街の建物の2階にあるカフェからその様子を眺めていたんですが、センター街にも警官がたくさんいる。ところが警官のコスプレをしている人もいて、区別がつかない(笑)。そしてセンター街ですら、写真を撮っていると、警官に「そこ立ち止まらないで」と注意を受けて、滞留することが禁止されてしまっている。また、ストリートごとにそこに集まっている人の属性やコミュニケーションのあり方が異なっているのが面白かったですね。

リチャード・フロリダという都市社会学者が、創造的な都市の成立要件として「3つのT」を提唱しています。Talent(才能)、Technology(技術)、Tolerance(寛容性)です。渋谷には、ハロウィンの騒ぎもここであれば許されるのではないかという寛容性があるのは確かなのですが、じつは必ずしも「自由」というわけではなく、監視や管理によって秩序立てられている。比喩的に言えば、渋谷という都市自体が見せかけの寛容性をコスプレしているということです。

建築から読み取る時代の記憶

――先生は商業施設を分析するにしても、「なぜ人はこの場所に来るのだろう」といった、欲望の理由を探る方向に関心があるのかなと思いました。どうしてそういったことに興味をもち始めたんですか。

僕は大阪の堺市にある郊外のニュータウン出身です。高校は1時間ぐらいかけて電車で通学していました。車窓からは、日本史の教科書に出てくるような古墳が見える。海側の工業地帯には、コンビナートも見える。そして乗り換えの駅には、都会的な高層ビルが林立している。このように、都市にはいろんな時代のものが同時に集積しています。

しかも都市では、外国人や地方出身者など、互いに異質で見知らぬ他者がともに生活をしている。互いによく知っていて、同じ小中学校に通う子どもを持つ家族が多く住むようなニュータウンと比べると、これらのことが不思議で面白く、漠然とした興味関心を抱いていました。

そして大学生のときに、フランスの思想家で社会学者のアンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』という本を手に取ったんです。ルフェーヴルはそこで、空間を生産している主体には建築家などのプランナーや国土交通省などの役所の人だけでなく、そこに住んでいる人や買い物をしに来るような人たち、すなわち僕たちも含まれると指摘していたんですね。それが僕にとって都市に対するモノの見方を変えるきっかけになったんです。

都市は、自分を含んでいながら自分を超越した存在だし、特定の作者がいないじゃないですか。絵画や音楽のように、特定の作者がつくったわけではないですよね。もちろん国交省が法規やインフラを整備し、建築家が建物を設計するということはあります。

けれども都市は単一の主体によっては計画、コントロールされえないものです。都市は、不特定多数の人々の欲望が絡み合ってできた集合的作品です。しかも時代によって、集合的作品のあり方は変化していきます。もともとは実体験に基づいた都市に対する漠然とした興味関心が、ルフェーヴルの本をはじめとする学問を経由することで言語化されていく感覚は刺激的なものでした。

――大阪で感じられていた不思議な感覚を、社会学の本で解説された気持ちよさがあった、ということですね。東京で都市や建築について考えるとしたら、どういうものがありますか。

2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開かれることになっていますが、1964年の東京オリンピックの頃に建てられた建築が現在どうなっているのかを観察してみると面白いかもしれません。たとえば渋谷の代々木体育館。1964年当時は水泳やバスケットボール会場でしたが、今はファッションショーやライブなど、様々な文化イベントが行われています。

これは丹下健三という建築家が設計した建築ですが、彼は東京で他にも多数の建築の設計を手掛けています。新宿の東京都庁やお台場のフジテレビ、明治大学の近くの東京ドームホテルも丹下健三の設計です。特定の建築家について注目して調べることで、その人が時代の制約下において、どのような思想やヴィジョンをもとに、それぞれの建築物を設計したのかを知ることができます。

また、建築というのは、時代の記憶が刻印されたメディアとして捉えることもできます。メディアというと新聞やテレビを思い浮かべがちですが、見方を変えれば、丹下健三の代々木体育館のような建築も、日本が戦後に敗戦から立ち上がり、国際社会に復帰していく当時の集合的記憶が刻印されたメディアであるといえます。明治大学の入学式や卒業式が行われる日本武道館も、同じ1964年のオリンピックの柔道会場として開館しました。建築を通して、当時の都市や社会のあり方を考えることもできます。

余談ですが、今年『君の名は。』がヒットしましたよね。この映画では、飛騨に住む主人公の女の子の視点から、東京はとてもキラキラとした対象として描かれています。監督の新海誠さんは1973年の長野県生まれです。新海さんが若かった頃は、冒頭に触れたように東京がまだ元気で輝いて見えた時代で、その頃に感じていた東京への憧れが作品に反映していると考えることもできます。

より都市論的に面白いのは、東京に住む男の子と地方に住む女の子が入れ替わるという設定であり、東京だけでなく、主人公の男の子から見た飛騨という地方もキラキラと輝いて描かれていることです。2020年のオリンピックもそうですが、都市をめぐる問題は、もはや都市のことだけを考えているだけでは十分ではありません。

現代では、都市と地方の関係性を横断的に考えることの重要性がますます高まっています。モビリティ(移動)のあり方が目まぐるしく変わり、多拠点生活が増える現代において、都市と地方の境界はどんどん書き替えられています。このような都市と地方をフラットに捉える視点を、『君の名は。』の設定から汲み取ることもできます。

――最後に高校生へのメッセージをお願いします。

大学での学問に興味をもつ方法は、2つあると思うんです。ひとつは趣味や興味の延長線上にあるような、自分にとっての「距離の近さ」。もうひとつは、理解しがたい、得体が知れないような、自分にとっての「距離の遠さ」。

僕は以前グラフィティの研究をしていました。いわゆる、街の落書きですね。僕はストリート・カルチャーをたしなむ学生ではありませんでした。けれど、得体の知れない匿名的な表現であるグラフィティが同時代的に都市に増殖し始めた現象自体は興味深いと感じていました。自分にとっては、わからないからこそ近づいてみたい。その「距離の遠さ」が、研究につながることもあります。

大学では何かひとつ自分の軸や武器となるものを身につけてほしいです。大学の学部の多くは、縦割りです。法学だったら法学、経済だったら経済というように、近代は専門性を特化させることによって発展した時代でした。

僕が大学生であった90年代になると、総合○○学部とか、国際○○学部といった名前の学部が増えてきました。それは世界が複雑化し、単一の専門分野だけでは解決できない問題が生じ、領域横断的な研究をしなければならないという問題意識があったからです。異なる領域の専門家同士が協働することで、新たな知見が生まれるという期待がありました。

しかしインターネットが普及したゼロ年代以降、とりわけデジタル・ネイティブの世代にとっては、領域間の見通しがよくなりすぎで、専門分野間の境界は希薄化したように思います。いまの大学生は、ネットを介して、様々な分野の知識をつまみ食いすることは得意です。けれど、そのような広く浅い知識は、大学に行かなくても身につけることができるものです。

そのような時代だからこそ、大学で何かひとつの専門性を身につけることが重要なのですが、欲を言えば、二つ以上の専門性を身につけることが好ましいです。その方がある専門分野の固有性や見方を相対化できますし、異なる分野同士をつなぐ共通言語を生み出すこともできるようになるからです。異なる領域で何が行われているかを「翻訳」することで、新たな化学反応を生むこともできます。都市論もまさに、そのような専門性と学際性の往還によって発展してきた学問なのです。

高校生におすすめの3冊

hyosi

都市論ブックガイド2――つぎたして150冊

発行元:南後ゼミ編集部

定価:¥1,000

単行本(222ページ)

明治大学情報コミュニケーション学部の僕のゼミでつくった本です。都市論・社会学の古典や名著の書評150冊分のほか、年表、インタビューやフィールドワークなどの記事をゼミ生が執筆しました。都市論の領域横断性を把握するにはうってつけです。

表紙のデザインやページレイアウト、印刷会社とのやりとり、広報などもすべてゼミ生が行なっていますので、学生でもこのような取り組みができるんだということが伝われば幸いです。公式HPで通信販売をしています(http://www.nango-lab.jp/bookguide/)。

路上をよく観察してみると、先に進めない階段や、壁でふさがっている門など、用途を失った不思議なオブジェがあることに気づきます。それらを撮影し、「純粋階段」や「無用門」などのニックネームをつけて記録した本です。面白いものを見つけて、写真に撮って記録、共有するという点では、現代のツイッターやInstagramの先駆けとも言えるような本ですね。

「面白いね」で終わってもいいんですが、なぜこのような事物が都市に残っているのかというところまで考えると、思考が一歩先に進みます。純粋階段や無用門は、もともとはきちんとした用途があったはずなんです。でも改修工事や区画整理などの再開発が行われた。通常は撤去すべき対象なんですが、費用などの関係上、そのまま保存された。この本に収集されている事物は、都市の変化が刻まれた痕跡なんです。

僕が博士課程の大学院生から助教時代に、大学院生主導で企画していたプロジェクトをまとめた本です。建築家と音楽、演劇、映画、生物学、数学などの専門家をお呼びし、建築を軸とした専門性と学際性をめぐるシンポジウムを実施しました。皆さんも大学で講義を聴くだけでなく、自分たちでプロジェクトを企画、発信するような機会を設けるとよいと思います。大学生になったら教員に働きかけるなどして、知的インフラとしての大学という場を積極的に活用して下さい。

プロフィール

南後由和社会学

1979年大阪府生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部専任講師。専門は社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。主な編著に『建築の際』(平凡社、2015)、『磯崎新建築論集7 建築のキュレーション』(岩波書店、2013)、『文化人とは何か?』(東京書籍、2010)、共著に『商業空間は何の夢を見たか』(平凡社、2016)、『TOKYO1/4と考える オリンピック文化プログラム』(勉誠出版、2016)、『モール化する都市と社会』(NTT出版、2013)、『路上と観察をめぐる表現史』(フィルムアート社、2013)などがある。http://www.nango-lab.jp

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