進歩しない人間だからこそ、歴史に意味がある ―― 「経済学史」とはなにか

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研究室の扉を開けてみると、そこは本の山、山、山。今回の「高校生のための教養入門」は経済学者の若田部昌澄先生に、ご専門の経済学史についてお話を伺いました。「経済学史は地味な学問です」と言い切る若田部先生。思想史の中でも独特の発展をとげた経済学史の魅力をご紹介します。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

普遍的なこと

 

―― 今回の「高校生のための教養入門」は、「経済学史」の若田部昌澄先生にお話をうかがいます。今日はよろしくお願いします!

 

よろしくお願いします。経済学史は非常に地味な学問なので、高校生に向けての企画なんて聞いたことがないですよ(笑)。

 

 

―― 地味な学問なんですか!?

 

私の学生時代はそれなりに人気だったのですが、最近の経済学の中ではあんまりポピュラーじゃありませんね。

 

 

―― たしかに、「経済学史」と聞いても、なにをしているのかピンときません。「経済史」とはなにが違うんですか。

 

そうそう、「経済学史」と「経済史」はよく間違われてしまします。「学」が入っているかいないかだけの違いですが、大きな違いがあります。

 

「経済史」という学問は、文字通り経済の歴史です。事件や制度や技術の発達といった、経済的なイベントがあり、その結果どのような作用があり、なにが生まれたのかを研究します。つまり、イベントの歴史といえます。一方、「経済学史」は、イベントを見た人達が、どのように考えたのかを研究する学問です。

 

たとえば、航海技術の発達により、貿易が活発化したというのは、経済的なイベントです。そのイベントを見た人達の間で、貿易が活発になっているのかどうか、貿易が活発化することは良いことなのか悪いことなのかといった、議論が生まれます。それぞれの解釈は「経済学」、「経済思想」と言えるでしょう。その「経済学」を整理するのが「経済学史」です。学問についての学問と言えるでしょうね。もっとも経済史は経済学史を理解するのにとても大事です。

 

シノドスでは、隠岐さや香さん(広島大学大学院総合科学研究科准教授)による科学史についての紹介がありましたが(「文系、それとも理系? いや真ん中系――『科学史』とはなにか」https://synodos.jp/intro/4262)、学問分類でいえば経済学史も科学史ですね。ただ、経済学史は経済学との関連でかなり独自の発展を遂げてきて、対象である経済学との関わり方でちょっと独特のところがあります。

 

 

―― 先生はどんな研究をされているんですか?

 

私は1930年代の大恐慌や1970年代の大インフレ、1990年代からはじまる日本の大停滞といった、経済危機の時代を主に扱っています。経済学史を研究している方の多くは、一人や二人の経済学者を選び、その人について深く研究していきます。私も当初はそうしていたのですが、現在は、経済危機時代の複数の経済学者を同時に研究しているんです。

 

経済危機について研究しようとおもったのは、次第に最近の経済停滞に関心を持ったからです。特にここ10年ほどは大恐慌・昭和恐慌時代の経済学者の論争を中心に研究しています。

 

 

―― 最近の経済停滞に興味を持ったのに、なぜ昔の経済危機について研究しているのですか?

 

人間が経済について考えつく大きなパターンは、もうすでに昔の経済学者によって考えつくされている気がしますね。細かい議論や計算や実証は今の経済学者の方がはるかに優れていますが、基本的な考え方は昔から変わっていないように見えます。

 

 

―― 過去の議論も現在の議論もあまり変わりがないということですね。

 

そうですね。たとえば、ディビッド・ヒュームの『経済論集』に、「貿易に関する嫉妬について」という論説があります。それが非常に面白いんですよね。ヒュームが生きていた、18世紀は貿易競争が盛んに行われた時代でした。オランダやイギリス、フランスといったヨーロッパの国々は、競うように貿易をしていたんです。

 

当時の人びとにとっては、敵国が豊かになることは、嫉妬心をかきたてられることでもありました。しかし、ヒュームは、敵国が豊かになることで自国も貿易が盛んになり豊かになることができると説いたのです。この、ヒュームが指摘した「貿易に関する嫉妬」は、その時代だけではなく、繰り返されます。時代が下っていけば、イギリスとドイツの競争になりますし、日本とアメリカになり、日本と中国であったり、アメリカと中国であったりと形を変えつつ受け継がれているんです。

 

少し意地悪にいうと、基本的なところで人間というのは進歩していないといえます。同じようなことを繰り返している。そういう意味で、経済学史というのは、経済についての人間の考えのパターンを取り出す上で、普遍的なことをやっていると感じています。

 

 

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