計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来

ある個人的な経験から話を始めたい。半年ほど前、翻訳会社でアメリカ製オンラインゲームを翻訳するアルバイトをしていた私は、数時間後に迫った締切りに冷や汗をかきながら翻訳校正用のソフトを操作していた。

 

翻訳を仕上げる際かならず使うよう上司に指示されたそのソフトは、私の作った翻訳文に数百個のエラーがあると指摘している。だが、その大半は、数字が正しく訳されていない(Ex.「10」を「十」と訳している)、訳語が統一されていない(Ex.「order」を「注文」と「順番」で訳し分けている)、違う原語に同じ訳語が使われている(Ex.「Objective」と「Objectives」をどちらも「目的」と訳している)といった意味のない指摘なのだ。

 

文脈に応じて適切な言葉を選び自然な翻訳を作ろうとしてきた私の努力が、文脈を全く考慮しないソフトによって無残に打ち砕かれる。もちろん明らかな翻訳ミスを指摘している箇所もあるし、校正ソフトのエラー評価の少なさが完成品の質を保証するため、全ての指摘を無視するわけにもいかない。締切りの時刻は迫る。十数個の有意な情報を得るために数百のエラーリストに目を通し、ソフトがミスと認識できないよう語彙ファイルを修正するといった姑息な手段も使い、朦朧とする頭とマウスホイールをフル回転させて作業を進めながら私は考えていた。

 

「この状況って、最近どこかで見たなぁ」

 

便利な道具であるはずの最新のソフトウェアに追い詰められ、明らかにおかしな要求もされながら、結果を出すため、それとなんとか折り合っていかなければならない。私の置かれた状況と良く似た、それでいて、どこか突き抜けた楽しさをともなった出来事。それが5人の棋士と5つのソフトが戦った第二回将棋電王戦だった。

 

昨年の3月から4月にかけて行われた第二回電王戦は、現役プロ棋士とソフトが対決する初めての公式対局として大きな注目を集めた。動画サイト「ニコニコ生放送」で中継され、総視聴者数200万人を超えたこのイベントについてはウェブマガジンや関連書籍において既に多くが語られている。だがその大半は「プロ棋士と将棋ソフトのどちらが強いのか」、「コンピュータは人間の思考を超えたのか」という問いを軸にしたものとなっている。

 

ここでは少し違う観点から電王戦について考えてみたい。コンピュータやロボットといった知能機械が(特定の場面では)人間に匹敵する思考能力をもちつつある現在、あるいはその能力のさらなる拡大が予想される近未来の状況において、私たちは「彼ら」とどうつきあっていけるのか。その先駆的なモデルケースとして電王戦を捉えてみたいのだ。

 

言葉を交わさずとも指し手の応酬だけで相手と様々なコミュニケーションをとれることから「棋は対話なり」と言われる。電王戦全五局における棋士とソフトの「対話」をもとに近い将来における知能機械と人間の関係を考えることが、この文章の目的である。

 

 

*以下の分析には、対局の熱を伝えるため若干の将棋用語が混じりますが、コンピュータと人間の相互作用を考察することが主題なので、わからない用語は無視してもらってかまいません。興味をもった方はネットで調べるなどしていただけるとよいかと思います。

 

 

将棋というゲームには、複雑なパズルのような論理的な側面と、武道やギャンブルに近い勝負としての側面がある。形式的に表現すれば、(1)論理的に正解(「最善手」)を導き出せる局面が少なくないが、(2)正解がわからない状況も頻繁に現れ、(3)だからこそ正解が分からない場面で特定の行為(指し手)に賭けて勝負しなければならない。もちろん強くなればなるほど正解を発見できる確率は上がるし、後で時間をかけて考えれば分かることも多いが、トップ棋士でさえ最善手が分からない局面もしばしば現れる。

 

将棋ソフトでも状況は変わらない。原理的にはオセロやチェッカーと同じく完全解析が可能なゲームでありながら、その実現の見通しはいまのところ立っていない。

 

第一の特徴から棋士とソフトの戦いを捉えると「論理的な計算をまちがえないソフトに人間が勝てるはずがない」というソフト寄りの見方が生まれ、第二の特徴から捉えると「正解の分からない局面を鍛えられた直観(「大局観」)で捉えることに優れた棋士がソフトに負けるわけがない」という棋士寄りの見方が生まれ、第三の特徴から捉えると「一手一手に人生を賭けて戦う棋士の姿にファンは感動するのであって、合理的な計算しかできないソフトとの戦いが面白くなるわけがない」というシニカルな見方が生まれる。

 

電王戦が始まる前、将棋ファンや関係者が囁いていた下馬評の多くは、この三つの見方に基づくものだった。だが、これらは電王戦が進むにつれていずれも妥当性を失っていく。将棋ソフトは様々な間違いを犯し、棋士の大局観はしばしばソフトに圧倒され、人間とソフトの戦いはトップ棋士同士の対局に劣らない興奮と感動を生み出したのである。

 

 

 

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