関東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか

91年前に起こった関東大震災。そこでは、「朝鮮人が武器を持って暴動を起こしている」、「井戸に毒を入れている」などといった流言が広まり、日本人によって多くの朝鮮人が命を奪われる事態になった。では、なぜそのような流言が広がり、朝鮮人の虐殺に繋がっていったのだろうか。ヘイトスピーチが問題となる今、関東大震災について考えることで、私たちは歴史から何を学ぶべきかを追求していく(TBSラジオ 荻上チキSession-22 「加藤直樹×山田昭次『関東大震災』もうひとつの記録」より抄録)。(構成/若林良)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

 

 

なぜ、関東大震災への関心を持ったか

 

荻上 今夜のゲストをご紹介します。まずは今年3月に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の証言や記録をまとめた『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』を出版されました、フリーライターの加藤直樹さんです。よろしくお願いします。

 

加藤 よろしくお願いします。

 

荻上 続きまして、歴史家で立教大学名誉教授の山田昭次さんです。山田さんは著書に『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後―虐殺の国家責任と民衆責任-』などがあり、近代日本の、アジア侵略に関する問題の追及を続けています。

 

山田 よろしくお願いします。

 

荻上 まずは、加藤さんにお聞きできればと思います。この『九月、東京の路上で』は僕も拝読し、新聞書評も書かせていただきました。なぜこのタイミングで、こうした内容の本を執筆することになったんでしょうか。

 

加藤 関東大震災に焦点を当てて本を書かなければいけないと思ったのは、2000年の「三国人発言」がきっかけですね。

 

当時東京都知事だった石原慎太郎が、東京で大きな地震が起きた際に、「三国人」が大きな暴動を起こす可能性があると。その時は自衛隊が治安出動してほしいということを言いました。

 

当時これは非常に問題になって、石原都知事がかなり批判されたんですけれど、どうしてもその焦点が「三国人」(終戦直後に使われていた朝鮮人、台湾人を指す差別語)という差別表現を使ったという言葉の問題だけに終わってしまっていたんですね。でも、そもそも地震の時に外国人が暴動を起こすという、その発想自体が「なんかおかしいな」と思ったんです。

 

そこで、いろいろ調べているうちに、そんなことは過去に起きたことがないし、むしろ災害時に外国人やマイノリティを攻撃する流言が広まり、そうした人々が暴力を振るわれたり、殺されたりするという事態が、世界的に繰り返し起きてきたことが分かったんですね。

 

そういうことが分かってきた後で、もう一度関東大震災について調べた時に、本当にこれは恐ろしいことだと思いました。関東大震災時に起きたのは単なるパニックではなくて、行政が流言を広めてしまったために事態がさらに悪化したという出来事だったわけです。災害時の流言に対して行政が適切に対応するのか、あおってしまうのか、そういう問題意識をもって振り返ると、関東大震災は単なる昔の話じゃないと思ったわけです。

 

荻上 なるほど。石原さんの発言は、災害時における流言のステレオタイプでもあると。「三国人」発言について、僕は当時大学一年生なので分からなかったんですけど、ちょっと歳を重ねて統計を見ると、彼が言ったような外国人犯罪が増えているという認識自体も、実際は問題がありましたね。

 

でも、そうした認識が「ホントそうだよね」という感じに広まってしまうと、結果として誰かが一線を越えたとしても、それを止めることが難しくなってしまう。ですので、関東大震災を現在の教訓として、改めて今日は色々考えていきたいと思います。

 

そして、山田さんにお聞きしたいのですが、山田さんはこの問題を長らく研究されておりますが、どうして関東大震災、時の朝鮮人虐殺の問題を研究しようと最初は思われたんですか。

 

山田 うーん、僕は日韓条約反対闘争の頃から、朝鮮問題に関わっていますからね。それで、朝鮮人学校に対する弾圧問題なんかの場にもいてね。そうした経緯で、いろんな朝鮮人の苦しみを聞いて、朝鮮の方たちが抱える問題が、他人事とは思えなかったんです。

 

荻上 テーマとしても、自分の中にあった。

 

山田 ええ、付き合って行く中でね。そうした中で、日本の左翼も朝鮮人に理解がないってこともよくわかった。私の動機には、左翼に対する憤慨もあったんですよ。

 

 

本当に虐殺はあったのか

 

荻上 今日はまず、この質問を読みたいと思います。

 

「今日のテーマですが、本当に虐殺はあったんでしょうか。このようなテーマ設定をすることこそが、無実の日本人を貶めることに繋がると考えないのですか」

 

というメールをいただきました。昨今、朝鮮人虐殺はそもそもなかったのだ、という主張も出ていますので、その妥当性は番組内で少し取り上げたいと思いますが、こうした意見は山田さん、いかがですか。

 

山田 (朝鮮人虐殺は)ありました。あったというより、他ありません。実に残酷な殺し方をしたんですよね。特に女性に対しては、陰部をわざと刺すとか、妊婦だと腹を裂いて、中の胎児を引き出すとかね。

 

男性に対しても、竹やりで殺したり、火の燃えている中に投げ込んだり、そういうことをやっているんですけど、女性に対する殺し方は更に残酷でした。民族差別と女性に対する性的な差別が、二重になっていたと思います。

 

加藤 僕からもそのご質問に対しては、簡単にお答えできると思います。たぶんその方は忘れているんでしょうけれども、昔から、歴史の教科書で朝鮮人虐殺に触れていないものはほとんどないんですよね。中学か高校で目にしているはずなのです。今でも、中学の歴史教科書で朝鮮人が虐殺されたことに言及していないのは、一番右寄りの自由社の教科書だけです。

 

あるいは、内閣府中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」で出した「1923関東大震災報告書第2編」の中でも、「混乱の拡大」「殺傷事件の発生」というタイトルで、虐殺をメインに取り上げて、それがどのように展開したかということを論じているんです。

 

荻上 2009年だから、自民党政権の時ですよね。

 

加藤 そうですね。この報告書では、虐殺によって殺された人々(朝鮮人と、誤殺された日本人、中国人)の数は、震災全体の死者数の1%から数%に上るだろうとまとめています。当時震災で死んだ人は10万5000人ですから、1%はほぼ1000人です。そういう規模の虐殺があったことを、内閣中央防災会議の報告書が明らかにしているわけです。つまりこれは、歴史学の常識なのであって、まともな歴史学者の範疇に入る人で、「朝鮮人虐殺はなかった」と言っている人は一人もいないのです。

 

また、震災後の2年後に出た警視庁の報告でも、「朝鮮人が暴動を起こした」といった話が流言であって事実ではなかったということを前提に書かれています。そうした流言がどのように発展し、どのように広がっていったのかということも分析しています。多くの朝鮮人が殺傷されたことについても書いています。

 

当時のメディアでもそれは同様です。例えば、戦前を代表する保守派のジャーナリストである徳富蘇峰も、「かかる流言飛語―即ち朝鮮人大陰謀―の社会の人心をかく乱したる結果の激甚なるを見れば、残念ながら我が政治の公明正大と云ふ点に於て、未だ不完全であるを立証したるものとして、また赤面せざらんとするも能はず」と書いています。

 

要するに朝鮮人虐殺が実際にあったこと、朝鮮人暴動などデマだったことは当時から常識だった。今になって、暴動はデマじゃなくて本当にあった、虐殺はなかったというようなことを言い出すのは、90年経って当時を知る人がもはやこの世にいなくなったのと、それをいいことに歴史を改ざんしようとする人々が増えたということです。

 

 

根底にある愛国心教育と、朝鮮人への差別意識

 

荻上 ちなみに、このメールの方がどうかは分からないですが、最近言われている「朝鮮人虐殺は無かった」との主張には、実は言葉のお遊びみたいなところが少しあります。実際に殺された朝鮮人は確かにいたが、彼らは悪い朝鮮人だから殺されても仕方がなかった、つまり正当防衛であって虐殺ではない、というロジックになっているんですね。山田さん、なぜ自警団は、朝鮮人をターゲットにして、殺害を行うことになったんでしょうか。

 

山田 例えば、1919年3月1日に起こった3・1運動なんて大きな独立運動がありましたよね、朝鮮全土にわたって起こった。それは、参加人数が200万人で、約6ヶ月続いているんですよ。日本人は官民ともに、これに恐怖感を抱いたわけですね。しかし、日本人には、朝鮮人に対する恐怖感もあると同時に、差別意識も非常に強かったと思います。

 

在日朝鮮人が増えてくるのは第一次世界大戦の頃からです。その頃に朝鮮人について書かれた文書なんかを見ますとね、朝鮮人の賃金は日本人より2、3割安いというんですよ。それでなおかつ、長時間で危険で汚い、労苦の多い仕事に従事されられたのです。

 

朝鮮人は恐ろしい人間であると同時に、差別された蔑視の対象としても見られていて、そこから、「排除しても構わない」という意識が生まれてきたのがひとつ。また、自警団に入ったのは貧しい人が多かったんですけど、大正デモクラシーの時代と言えども、民衆はまだ皇国臣民だったんですね。お上のいう事は間違いないだろうという意識がありましたから、官憲が流言朝鮮人暴動のデマを信じてしまったのです。

 

荻上 ある種、大本営発表のような形として、流布されていた。

 

山田 お上の言う事は絶対だと、そういう意識が民衆にありますからね。それから、裁判で「なぜ朝鮮人を殺したか」と問われた時に、「国のためを思って殺しました」と答えるケースが多いんですよ。

 

荻上 実際に殺した人がそう証言している。

 

山田 ええ。いわゆる愛国心を叩きこまれているんですよ。

 

今の若い人は、戦前の愛国心教育がどんなにひどかったかもうお分かりにならないだろうと思います。僕の体験を言いますとね、小学校では、毎朝朝礼の時は宮城に向かって敬礼し、それから天皇の写真や勅語をしまっておく奉安殿の前では頭を下げるようにしつけられていました。

 

それから、入学式や卒業式、お正月となると、校長が、教育勅語をおごそかに読みます。小学校1年生2年生とかじゃ、勅語の難しい文章はわからないですよね。だけど感情的にね、天皇や皇后は尊いものだということを、小さいころから叩きこまれるんです。

 

荻上 山田さんは1930年生まれですから、終戦のタイミングで15歳だった。

 

山田 ええ、だから、皇民化教育が一番厳しい時ですよ。だって、小学校2年生の時日中戦争が始まります。それで、敗戦の時は商業学校4年生だから、だいたい小学校から中等教育の時期まで戦時下の皇民化教育を受けました。

 

 

「国のため」としての虐殺

 

荻上 自警団の論理の中では、お上も言っているし、それからメディアも朝鮮人は危険なやつらだと報じているし、いざとなったら戦うのが、国のためだという人が多かったと。

 

そしてまた、震災が起きる前も、それから震災が起きてからも、さまざまに朝鮮人は危険だ、実際に暴れているじゃないかというような情報がどんどん流されたんですね。

 

山田 こういうエピソードもありますよ。9月4日の夜、埼玉県本庄警察署にね、自警団が押し寄せてそこに収容されていた朝鮮人を殺してしまいました。翌日、本庄署の警察官がある農民に会ったら、「ふだん剣をつって子どもなんかばかりおどかしやがって。このような国家緊急の時には人一人殺せないじゃないか、俺たちは平素ためかつぎをやっていても、昨晩は16人も殺したぞ」と言われました。

 

加藤 埼玉では、夜道で朝鮮人を見つけ、殺して川に投げ込んだ男が、翌日警察に行って、「俺は朝鮮人を殺してきたぞ」と威張ってそのまま逮捕されたという事件がありましたね。本人は勲章でも貰えると思っていたと。だから、本当にそういう意識があったんですよね。

 

山田 ええ。彼らは朝鮮人を殺すことを、国のためと思い込んでいたんですね。

 

荻上 加藤さんも本の中でお書きになっていましたけど、朝鮮人を殺したという人がむしろ同情された、といった反応もあったとかありますが。

 

加藤 東京だと、多くの人が一度に殺されて大きな裁判になったという事例はなくて、一人とか数人を殺した人が捕まって裁判になったという事例が多いですね(多くの人が一度に殺された事件自体がないわけではありません)。一方、埼玉や群馬では、何十人っていう人たちがいっぺんに殺されて、しかも警察署を襲って殺したりしている例が多いんですね。

 

そういう時は、地域の人々が集団で襲っていますから、実際には誰が殺したのかははっきりしないわけですよ。そうすると結局、事件後に捕まった人というのは、独身者だったりして、捕まっても大丈夫そうな人を地域共同体の中で選んで差し出していたようです。

 

つまり実際に殺した人が捕まって裁判を受けたというよりは、「みんなの代表として」という例が多かったみたいですね。逮捕された人たちもそういう意識ですし、帰ってきた人たちも自分たちの地域のために頑張ってくれたと迎えたわけです。

 

もちろん自分たちのやったことが正しかったと、みんなが思っていたかはわかりませんよ。だけれど、皆のために彼は刑に服したんだ、という発想が強かったみたいですね。

 

 

デマや流言の大きな広がり

 

荻上 虐殺を促すことになったデマや流言には、どのようなものが、いつから広まっていったんでしょうか。山田さん、いかがですか。

 

山田 内容としては、朝鮮人が暴動を起こしたとか、毒を井戸に入れたなどですね。しかし、朝鮮人と付き合いがあった人は殺しておらず、積極的にかくまっています。

 

例えば、千葉県東葛飾郡法典村丸山部落の農民たちは、2人の朝鮮人がその部落の人たちと日常的に付き合っていました。だから他の部落の人が殺しに来た時には、丸山部落の農民たちは朝鮮人を守っています。

 

工場なんかでも、小さな工場主はしょっちゅう朝鮮人と付き合っているので、彼らは震災時に、朝鮮人をかくまっています。

 

やっぱり、生活の中で「自分たちもあの人たちも同じ人間だ」という感覚になれば、偏見なんて吹っ飛んで、逆にかくまって守るんです。

 

僕なんかも朝鮮人に対する認識が変わったのは、一人の朝鮮人と長年付き合ったことが大きかったですしね。建前じゃなくて腹の底を言いあっているうちに、こちらも変わるし、向こうも変わる。だから、交流がすごく大事なことだとは思いますね。

 

荻上 「暴動を起こしている」という情報を信じた人たちが、どういった形で虐殺という行動に繋げていったのでしょうか。

 

加藤 地域やシチュエーションによっても違うと思います。自警団を町内で組織して、検問で引っ掛かった人を殴りつけたり殺したりするというパターンがひとつの典型ですよね。

 

当時の、東京府の人口は400万人ぐらいでしたが、その4分の1にもなる100万人が流出するほどの、避難民の大移動が起こるわけです。そうすると、自分たちの町にも色々な人が通っていくわけですよ。

 

そういった時に見かけない人とか、どうも怪しいぞと思ったような人に対して、おい待て、お前日本人なのかという風に聞いて、「ガキグゲゴと言ってみろ」とか、「十五円五十銭」と言ってみろと自警団が詰問するんですね。朝鮮人にとっては、頭に濁音がつく言葉の発音が難しいので、そこから発音がおかしいと感じたら、殺してしまう。

 

そうなると、朝鮮人じゃなくても、怪しいと思われた人は殺されてしまうことにもなります。例えば看護婦さんが朝鮮人と勘違いされて火に投げ込まれそうになって、看護婦章を見せてようやく疑いが晴れたという話があって。看護婦って白い服を着ていますよね。それが朝鮮の民族衣装と間違えられたのかなと思いますが。

 

あるいは聾唖の人や沖縄の人が、言葉がおかしいという理由で殺されたりとか、そういう例もたくさんありますね。

 

さらに、都心から広まったデマが埼玉や千葉に流れていき、被災地でもないのにデマに興奮した人たちが、警察が移送してきたり、保護している朝鮮人を襲うのがもうひとつの典型ですね。

 

警察が朝鮮人を移送するのは、別に彼らが犯罪を行ったからではありません。当初の数日間は、警察の中でも流言を信じている部分があるわけです。それで、もしかしたら朝鮮人が悪さをするかもしれないと言って、予防拘束として全部捕まえて来るんですね。暴動がデマだと分かったあとは、保護の名目となりますが。それで、警察が移送していたり、保護していたりする朝鮮人に人々がわっと襲いかかって、皆殺しにしてしまうことがありました。

 

山田 みんな、デマに踊らされていました。特に関東に近い、東北とか中部地方でも、朝鮮人が爆弾やピストルを持ってくるというデマが流れ、みんな震えあがっていました。虐殺までは至らなかったけれども、やっぱり自警団がいっぱいできるんですよ。

 

富山県や、仙台にも自警団がたくさんできて、中には警察じゃ不安だから軍隊に来てもらいたいという声もありました。当時は、本当にすごかったんですよね。【次ページへつづく】

 

 

 

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