2014.11.20
「忘れられる権利」のいま
忘れられる権利とは
「忘れられる権利」というキーワードを耳にするようになった人も多いのではないでしょうか。
忘れられる権利とは、「個人が、個人情報などを収集した企業等にその消去を求めることができる権利」のことです。「EUデータ保護規則案」に「rights to be forgotten」として盛り込まれ、その後、データ保護規則で「right to erase」として議決されました。表記は変わっていますが、その内容は同じであると説明されています。
2014年5月には、EUの最高裁にあたる欧州司法裁判所が、Googleに対して個人名の検索結果から、個人の過去の事実について報じる内容へのリンクの削除を命じる判決を言い渡しています。この判決の中に、「いわゆる忘れられる権利」という表現があるため、欧州司法裁判所が、データ保護規則17条を先取りする形で「忘れられる権利」を認めたと言われています。ただ実際には、Googleはサイトを管理している者(controller)であり、自身が管理するサイトに存在する違法な情報を削除しなければならないと、現行法を適用しただけです。
この判決を受けて、Googleでは、検索結果から個人情報を含むウェブサイトへのリンクの削除を請求することができるフォームを設けて、欧州域内からの請求については対応をしているようです。
ところで、「忘れられる権利」が認められたからといって、請求をすれば無条件に削除される(=忘れられる)」というわけではありません。欧州司法裁判所の判決においても、「検索を通じて情報を得るという一般市民の利益の優越を基礎づける特段の事情が見当たらない本件においては」という限定を付して請求を認めています。したがって、「忘れられる権利」といっても、他のどのようなものよりも優先するという類のものではなく、あくまで他の権利・利益との調整が必要になるということです。
また、仮に削除がされるとしても、あくまで、ある検索キーワードで検索した際の検索結果から削除されるだけで、問題のウェブサイト自体が削除されるわけではないという点は見落とされがちなところです。
さらに、検索から削除されたことを記事の配信元が把握し、削除されたことと削除された内容とが改めて報道されたり、検索から削除された記事を集めて公開しようという動きもあるようです。これは検索エンジン側の問題と言い切れませんが、「忘れられよう」とすることで逆に記憶されてしまうということもあるということです。
「忘れられる権利」というと、被害を受けている人からするとバラ色の権利のように思われがちかもしれませんが、万能性があるものではないということは意識する必要があるでしょう。
私のところにも「この判決の影響は日本でもあるのか」「日本でも忘れられる権利が認められるのか(法制化されるのか)」といった質問・相談は非常に多くあります。日本では、おそらく今後法制化されることも(少なくともしばらくは)ないのではないかと思われますが、「忘れられる権利」に類似した請求は可能で、以下に述べるように「忘れられる権利」よりも柔軟な運用ができる可能性もあるのではないかと思います。
Googleに対する検索結果削除を認める仮処分決定
そのようなものとして注目するべきは、2014年10月に東京地方裁判所が、Googleに対して検索結果の削除を命じる仮処分決定を発令したことです。これは、検索結果自体の削除を裁判所が命じた日本初の事件であり、かなりの報道もされたので、記憶に新しい方もいるでしょう。この決定では「忘れられる権利」を認めるといった認定はされていないようですが、日本でも「忘れられる権利」が認められたといった報道もあったようです。
これまでも検索エンジンに対して、同じような請求は幾度もされてきています。しかし、判決や決定といった裁判所が関与する手続きにおいては、そのいずれもが認められてきませんでした。今回の仮処分決定がどのような論理で認められたのかを検討することにしましょう。
なんらかの権利を侵害するインターネット上のコンテンツは、削除の請求をすることができます。その場合、当該コンテンツの内容にプライバシー権侵害等の人格権侵害があるということを理由に、そのコンテンツ(サイト)を運営する会社(コンテンツプロバイダ)などに削除を請求するということになります。この請求は特段珍しい類いのものではなく、ごく普通に行われています。
しかし、これが検索エンジンに対する請求となると、検索エンジン側からは「自分たちはインターネット上にある情報を整理して並べ替えているだけであり、コンテンツの提供者ではない。削除を請求したいということであれば、コンテンツの提供者に削除を請求すべき」という趣旨のことを言い、原則的に削除に応じません。これは裁判を起こしても同様であり、「自動的かつ機械的に、サイトの記載内容や所在を示したに過ぎない」ということを一つの理由として、これまでは裁判所でもことごとく削除が否定されてきました。
「自動的かつ機械的に、サイトの記載内容や所在を示したに過ぎない」という主張は、検索エンジンは「自動的かつ機械的に」サイトの記載内容や所在を示したに過ぎない以上、権利侵害を主張する人に対して何らかの害意があるわけではなく、また、権利侵害がある内容が表示されていてもそれは検索エンジン側の恣意的な表示でもないから、検索エンジン側には責任がないという意味です。
一見すると「なるほど」とも思える主張で、検索エンジン側に何らかの義務や責任を負わせることは不当と考える人もいるでしょう。
しかし、削除を請求する根拠は、「人格権を侵害する」ことにあります。人格権侵害に基づく削除請求においては、人格権が違法に侵害されている「状態」があれば足りるのであり、その際「故意・過失」といった内心の事情は関係がないとされています。「故意・過失」が必要とされるのは、不法行為を根拠にする場合に要請されるものです。そのため、「自動的かつ機械的に」=人の意思を介していない、ということは、人格権侵害の判断に関して全く考慮する必要もないもののはずなのです。
つまり、これまでの裁判所の判断は、削除を請求する側の人格権侵害を理由とする請求にもかかわらず、検索エンジン側の主張(反論)に引きずられて、裁判所が故意・過失が必要とされる不法行為の判断をしてしまっていたということです。もちろん、この点は裁判所にのみ責任があるわけではなく、削除を請求する側も気づくことができていなかったという問題があります。
ところで、インターネット上のコンテンツの多くは匿名で書かれていることが多いです(匿名掲示板に書き込まれている場合を想起してください)。その場合、書き込みをしている人が分からない以上、掲示板運営会社などに削除を請求していくわけですが、掲示板運営会社も書き込みをしている当人ではなく、あくまでサービスを提供していて、そのサービスに沿って「自動的かつ機械的に」表示をしているだけです。そして、検索結果として表示されたページにもそれぞれURLが与えられ、そこには人格権を侵害するような内容の記載がある以上、その検索結果が表示されたウェブページそれ自体がコンテンツの一つであると言うことができます。
2014年10月の仮処分決定においては、このことが明確に意識され、「自動的かつ機械的」かどうかというのは判断する上で関係がなく、人格権侵害があるかどうかだけが判断された結果、これまでの判決とは違う結果となったようです。
つまり、検索エンジンが特殊ということはなく、検索エンジン側もコンテンツプロバイダの一つに過ぎないということが確認され、そのような前提の下、人格権侵害があるかどうかが率直に判断された結果、仮処分決定が発令されたということになります。【次ページへつづく】
EU「忘れられる権利」と日本の仮処分決定の違い
では、EUの「忘れられる権利」と日本の仮処分決定(日本版「忘れられる権利」)の違いはどのような点にあるのでしょうか。
EUの「忘れられる権利」は、個人情報やプライバシーといったものを対象にしています。他方、日本の仮処分決定においては人格権侵害の有無を基準にするため、プライバシー侵害のみならず、名誉権侵害、名誉感情侵害といったものまで対象に含めることができます。また、名誉権侵害などを対象に含めることができるということだと、私人(個人)だけではなく法人(会社)もその請求をしていく余地があるということになります。
したがって、後者の方が適用の範囲が広いということができ、法制化をする必要は必ずしもないともいえます。
日本版「忘れられる権利」の限界はどこか
日本版「忘れられる権利」が認められるためには、人格権侵害があるといえればよいということを説明しました。しかし、人格権侵害は自分が不快だと思えば成立するといったものでは、必ずしもありません。人格権侵害があるといえるためには、人格権を侵害する状態とその侵害状態を正当化する事情がないといえることが必要になります。
たとえば、プライバシー権侵害の場合であれば、プライバシーを侵害している状態のほかに、当該プライバシーを公開する正当な理由(それが社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでないといった事情など)があるといえることが必要です。また、名誉権侵害の場合であれば、社会的評価の低下があるといえる状態のほかに、当該インターネット上の表示が、公共性、公益性、真実性のいずれかを欠いているといえることが必要です。
これらのような事情を「違法性阻却事由」といいますが、違法性阻却事由が必要であるとされるのは、表現行為を安易に削除させるべきではない、知る権利を安易に損害するべきではないといった、「忘れられる権利」とは逆方向からの要請のためといえます。そのため、「表現の自由」や「知る権利」の要請が強いものであれば、削除をすることができないという限界があるということになります。
具体例で考えてみましょう。
たとえば、Xさんは10年ほど前に麻薬取締法違反で起訴され、有罪判決を受けたが、逮捕直後からメディアでXさんの氏名やこれまでの活動履歴とともに報じられ、報道の様子は匿名掲示板などに多数コピーされているという場合はどうでしょうか。
10年ほど経過しているということであれば、いまさらその報道を蒸し返す必要は原則としてないといえます。そのことは、その後罪を犯すこともなくまじめに生活をしていたということであれば、より強く言うことができます。また、罪を犯したことについては一度大々的に報じられ、その役目を終えたということもできるかもしれません。そのため、このような場合は「忘れられ」てもよいと言えるでしょう。
他方で、その後再び罪を犯し逮捕されたというタイミングであれば、常習性などを報じるなどの理由で、過去の報道を持ち出すことも許容され得るところであり、このような場合は「忘れられる」べきではないという結論に傾くと思われます。また、事例とは異なりますが、たとえば有罪判決を受け30日程度しか経過していないという場合も、まだ社会の正当な関心事といえるでしょうから、「忘れられる」べきではないということになるでしょう。
今後の課題
現状で削除が認められるのは、検索エンジンのスニペット部分(検索結果として表示される3行ほどの説明文の部分)に人格権侵害がある場合に限られています。人格権侵害があるといえるためには、このスニペット部分に氏名が表示されるなど、それが自分のことであると同定できる必要があるとされています。つまり、リンク先を読めば自分のことであると容易に分かるにもかかわらず、スニペット部分には氏名の表示がない場合は、人格権侵害があるといえないと判断されています。
このような場合も実際上の不利益の程度は変わらないと思われるため、適用範囲を広げるべきと思料されます。実際に、サイト内のリンクは、リンク先の内容を読めることが前提といえるということで、その記事をサイトに取り込んでいるといえるとする東京高裁の裁判例もあります。この裁判例と組み合わせることで、スニペット部分に氏名の表示がない場合でも、「忘れられる」ことができるようになるのではないかと思います。
インターネットは非常に便利です。一度情報が出れば積極的に削除しない限り情報が残り続けるため、一種のデータベースとなっています。そのため、インターネットは権利侵害の温床になる一方で、非常に便利で使い勝手のよいものであるともいえます。「忘れられる」ことが行き過ぎることは、このような利便性を損なうという側面もあるといえます。今後、この点の調整を適切に図っていくことが必要になるわけですが、それを裁判所が担うのか、検索エンジン側が担っていくのかということが注目されます。
サムネイル「google」Carlos Luna
プロフィール
清水陽平
インターネット上の誹謗中傷対策や炎上対策などを数多く扱う。2014年1月にはTwitter に対する開示請求、2014年8月にはFacebookに対する開示請求で、それぞれ日本初となる事案を担当。
2007年弁護士登録(旧60期)。東京弁護士会所属。2010年11月に法律事務所アルシエンを開設。
インターネット問題に関するメディアでのコメント多数。『企業を守る ネット炎上対応の実務』(学陽書房、単著、近刊)、『ケース・スタディ ネット権利侵害対応の実務――発信者情報開示請求と削除請求』(新日本法規出版、共著、近刊)などの著書がある。