在日韓国・朝鮮人の戦後史――「特別永住資格」の歴史的経緯とは

在日韓国・朝鮮人の排斥を訴え、人種差別的な街頭宣伝やネットでの書き込みを行うヘイトスピーチが問題になっている。ヘイトスピーチ的な言説において、しばしば在日韓国・朝鮮人は「不当に特別な権利を持っている」という主張がなされ、その代表例として「特別永住資格」が挙げられる。いったい、「特別永住資格」はどのようにできたものなのか。その歴史的制度に迫る。 TBSラジオ・Session-22「在日韓国・朝鮮人の戦後史」より抄録。

 

■ 荻上チキ・Session22とは

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在日韓国人という外国人を特別扱いしない

 

維新の党橋下共同代表は、特別永住資格を「特権」と非難する「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長と面会をしたのち、2014年10月21日、次のような発言を行った。

 

 

歴史的な経緯等踏まえてね、特別永住者制度というものが設けられたと考えていますので、これはもう根底から、根こそぎ、その制度がつくられた時点から否定するのは違うと思いますけれど。ただ、同和対策事業と同じようにね、ある一定の年数が経って来た時に、やっぱりね、特別扱いするということはかえって差別を生むんですよ。だから、しっかりと時間をかけ、ある程度の時間を置いた上でね、ぼくはもう、今、日本と韓国というものは主権国家どうしの関係になっていると思ってますから。主権国家のね、独立した国家と国家の関係になっていると思うので、在日韓国人の皆さんにもね。まぁあとどれくらいの期間なのかということは、これから、維新の党や政治家、国会議員とみんな議論しなければいけませんけども、もう在日韓国人という外国人を特別扱いするのではなくて、通常の外国人と同じようにしてですね、永住者制度のほうに一本化していくと、ということは必要になるかと思います。(動画:2014年10月21日(火)橋下徹市長登庁会見https://www.youtube.com/watch?v=CTpNllYYq9w  07:43~08:52部分 )

 

 

日本における外国人

 

荻上 ゲストをご紹介いたします。在日外国人の現状や法制度に詳しい一橋大学名誉教授の田中宏さんです。田中さんは岩波新書から『在日外国人』という新書を出されています。現在は第三版となっていますね。

 

田中 初版が91年でしたが、どんどん状況が変わっていくので、中身もそのたびに変えています。

 

荻上 ご自身が留学生と接していく中で、法や制度のみならず、外国人に対する偏見などがあることを思い知らされた体験を綴っておられますね。

 

田中 留学生相手の仕事をしているときに、日本で外国人がどのような立場に置かれているのか、しみじみ感じました。

 

ベトナムの学生が、「日本人はシャイだから字で書く時は『外の国の人』と書くけども、内心では『国に害になる人』で『害国人』だと思っているんじゃないか」と言われてドキッとしたんです。つまり、日本国にとって自分達は害になると思われているのではと。

 

当時は、外国人登録証に指紋が押してあるものを、いつも持ち歩かなければいけませんでした。指紋は犯罪と結びつくわけですから、自分たちは犯罪予備軍だと思われているのではないかと。その言葉は今でも覚えていますね。

 

荻上 日常のきっかけから、歴史的な経緯や事実を踏まえながらお書きになった本なんですね。

 

また、在日朝鮮人の歴史がご専門で、明治学院大学教養教育センター准教授の鄭栄桓さんにも参加していただきます。ご専門は「在日朝鮮人の歴史」ということですが、「在日韓国人」と「在日朝鮮人」は違うのでしょうか。

 

 同じです。私は日本の朝鮮植民地支配の結果、日本に渡り暮らすことになった朝鮮民族全体を指す言葉として「在日朝鮮人」という言葉を使っています。誤解している人が多いですが、朝鮮民主主義人民共和国出身の在日朝鮮人と、大韓民国出身の在日韓国人という異なるグループの人々がいるわけではありません。地域でみるとそのほとんどは朝鮮南部の出身です。韓国人と朝鮮人という民族的に異なるグループがあるというわけではありません。

 

 

優遇されている!?

 

荻上 さて、在日特権を許さない市民の会(在特会)が、2014年、橋下共同代表(当時)と「会談(?)」を行うという動きがありましたよね。田中さんはどのように感じられましたか。

 

田中 「在日特権を許さない市民の会」という名称を聞いた時、沖縄にいるアメリカ兵の横暴を批判するグループかと思ってしまったんです。一番特権を持っているのはアメリカ兵なのでは、と感じていました。ですが、活動を見ているととんでもない誤解で、在日朝鮮人は「出ていけ」「死ね」といったヘイトスピーチを繰り返している。

 

彼らの言っている事を見ると、歴史には無頓着で、思い付きで言っているように思います。それが、ネット上でウケて騒がれているのが現状で、非常に問題だと思います。

 

荻上 在日特権について、ネット上で流言が広がりましたよね。はじめは「日本人と比べて」優遇されていると主張していましたが、今は「他の外国人と比べて」にトーンダウンしている一面もあります。鄭さんはどう感じられましたか。

 

 「在日特権」という言葉を用いる排外主義者たちの歪んだ認識の背後には、日本国民と外国人の間に権利の差があることは当然である、という感覚があります。なのに、外国人の中であの集団だけが優遇されている。これは「特権」に決まっている。という理屈なんですね。この「特権」という言葉の使い方自体が非常に奇妙で、理解に苦しんでしまいます。

 

たとえば、「特別永住者」の資格について「特権」と言われることがあります。私自身も特別永住者ですが、実際にこれが「権利」なのかと言われると実際にはそのような扱いを受けることはできていません。あくまで「許可」であって、強制退去の対象にもなりますし、再入国許可の対象にもなります。

 

荻上 再入国許可とはなんでしょうか。

 

 日本にいる外国人が出国する際には、在留資格を継続するために、再入国許可を得る必要があります。再入国許可を取らずに外国に出ると、在留資格を失ってしまうんです。

 

荻上 「特別永住」とは言いながらも、外国に行って戻ってくるには、手続きが必要だという事ですね。国外退去の対象にもなってしまうのでしょうか。

 

 他の永住許可の外国人に比べれば、適用される条項が少ないのは事実です。しかし、内乱の罪などに関連した場合は強制退去、つまり強制送還になる可能性が残っています。

 

荻上 「強制送還」と言われても、日本で生まれた在日朝鮮人の方はどこに送還される事になるのでしょうか。

 

 たとえば、韓国籍者の場合、韓国に送られることになるでしょう。しかし、韓国政府は受け取りを拒否するでしょう。さらに、私の場合は韓国籍者ですらなく、朝鮮籍のままなので、どこに行くのか、私も分かりません。

 

現在の「特別永住」ですら様々な不便な思いを日常的にしているわけです。その「特別永住」すらなくしてしまえ、という声には到底賛同できません。

 

 

日本人? 外国人?

 

荻上 さて、ここから、「特別永住資格」の歴史的経緯について伺っていきたいと思います。「特別永住資格」はどのような背景で生まれたのでしょうか。

 

田中 朝鮮はかつて日本の植民地でした。台湾人や朝鮮人は日本の内地でも、建前は「帝国臣民」として扱われていました。

 

それが、「外国人」になってしまったのは、講和条約の発効日である1952年の4月28日です。これは、占領軍がいなくなって日本が主権を回復した日。その時に日本国籍が無くなり、外国人になったというのが、正式な日本政府の見解です。

 

「外国人」って普通は外から入って来るものですよね。留学生や、観光客、新聞記者、などパスポートを持って日本にやってきます。ところが60万の在日朝鮮人が1952年4月28日に突然外国人になるわけです。入国を経ずして外国人になった、文字通り「特殊」な外国人と言えます。植民地支配に起因する、他の外国人と違った存在なんですね。

 

もう一点、重要なのは、日本の国籍法が血統主義を採用している点です。アメリカだといわゆる出生地主義ですから、アメリカで生まれた子供は両親とも外国人でも日本流に言えばアメリカ国民です。だからアメリカには二世の外国人はいません。二世は全員アメリカ国民だからです。

 

ところが日本の場合、外国人はいつまでも外国人ということになっています。子々孫々、未来永劫に。なので、国籍について独自の課題を日本は持つことになります。

 

 朝鮮半島から域外への移動は19世紀の半ばに始まりますが、当初の移動先はロシアの沿海州や中国東北部でした。しかし、日朝修好条規の締結から日清・日露戦争をへて日本人商人の進出や植民、軍事的介入が強まると、日本資本の朝鮮人の労働者募集が行われることになります。日本の朝鮮侵略過程と朝鮮人の渡日と労働には密接な関係がありました。第一次世界大戦期には、こうした労働目的の渡日者数がさらに増えることになります。

 

渡日した朝鮮人たちは、はじめは男性中心だったのですが、1920年代から30年代にかけて家族を呼び寄せることで人数が増え社会が形成されていきます。そこに日中戦争後の強制連行、総動員体制があり、更に日本の朝鮮人の数が増えることになりました。1945年の段階で200万人を超える朝鮮人が日本にいたといわれています。

 

そして、日本が戦争に敗北すると150万前後の人たちが朝鮮半島に帰っていきました。当時の調査を見ると、残りの人たちも多くが帰国を希望していました。しかし、日本での在留が長くなっていますから、向こうに生活基盤も無い人もいます。持ち出せる財産にも制限がありました。このためすぐには帰れず、日本で暮らす人も出てきます。

 

先ほど52年の4月に国籍の喪失措置を取られるという話がありましたけど、実は「外国人」としての扱いそのものは、もっと早くから始まっています。それが1947年5月2日、日本国憲法施行の前の日ですね。

 

荻上 明治憲法最後の日。

 

 そうです。その日に天皇最後の勅令として、外国人登録令が出ます。外国人登録令は戦後日本の出入国管理法制のはじまりに位置する法令です。外国人の登録や証明書の常時携帯・提示義務、違反した際の罰則などを定めたもので、後に外国人登録法となり、悪名高い指紋押捺制度が導入されます。

 

この外国人登録令では、朝鮮人と台湾人については第十一条で同令適用に限り「外国人とみなす」とされました。ここには一見矛盾があります。当時の日本政府は、無条件降伏直後より、朝鮮人や台湾人は講和条約発効までは日本の「臣民」だという解釈を採っていたからです。にもかかわらず、外国人登録令に限っては「外国人」として扱われました。

 

荻上 「臣民」だけど「外国人」であると。不思議ですね。なぜ、そのような扱いになっていたのでしょうか。

 

 日本が敗戦したことは、朝鮮民族にとっては植民地支配からの解放でした。在日朝鮮人たちも「自分たちは解放民族だ」と主張します。ポツダム宣言とカイロ宣言を前提とした要求です。戦時体制下において朝鮮人をがんじがらめにしていた支配と弾圧の治安体制から解き放たれたいと願うのです。

 

これは一般に考えられているように、乱暴で無法な振る舞いを正当化したいからではありません。未払い賃金の支払いや帰還を実現するために朝鮮人団体は自治を求め、治安維持については連合国の法に従うことを要求したわけです。

 

しかし、日本としては戦時体制期のような取り締まりを続けたい。炭坑や軍需産業における朝鮮人や中国人の労働争議に対抗したい。こう考えるわけです。このため朝鮮人側の「解放民族」としての主張を否定しようとします。朝鮮の主権は講和条約発効までは日本のもとにある、よってそれまで「朝鮮人は日本国民だ」という解釈を取るんです。

 

ですが、1947年5月3日には新憲法が施行されます。日本政府としてはこの朝鮮人たちに日本国憲法上の権利を与えたくないと考える。当時、1945年から帰還が進んでいましたが、46年には、朝鮮半島から日本に戻ってくる人も出てきました。この往来を取り締まりたいとも考えるわけです。

 

そのため外国人登録令に限り適用し「外国人」として強制退去や登録を義務付けることになります。居住権とか在留権が不安定な状態におかれますので、事実上日本国憲法上の居住・移転の権利を否定できることになる。ただ5月3日をまたぐと、国会を通さなければならなくなる。その前に何とか勅令の形式で通したいわけです。「最後の勅令」としての外国人登録令は、こうして生まれることになりました。

 

荻上 権利を付与することに、抵抗感を示した結果、「外国人」の線引きを設けたのですね。

 

田中 戦前あった参政権も停止をもくろんでいました。45年12月に衆議院議員選挙法が変わります。一般的には婦人に参政権を付与したことで有名な法改正です。戦前、選挙権や被選挙権を女性は持っていませんでした。ですが、マッカーサーの鶴の一声で、婦人参政権付与をやらざるを得ない。

 

そこで法改正をするのですが、そこには旧植民地出身者の参政権は当分の間止めるという旨が法律に書かかれたんです。以前は、同じ帝国臣民ですから、内地にいる限り選挙はちゃんと出来ていた。「外国人登録をしろ」と、「選挙はさせない」とがセットになっているんです。建前としては日本国籍があることにしないといけないので、当分の間、参政権を停止する、という書き方をしています。

 

荻上 「当分の間」っていうのは、当時はどのくらいを想定していたんでしょうかね。

 

田中 日本の法律では時々「当分の間」という言い方をします(笑)。後で考えると、講和条約が発効する1952年なのかもしれません。ですが、「当分の間」という言葉には、明確な基準が定められていません。

 

荻上 とにかく「今じゃないよ」っていう事なんでしょうね。47年5月の段階で外国人扱いされていき、52年の段階ではもう完全に日本国民としても見なされなくなってしまったというわけですか。【次ページに続く】

 

 

 

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