震災後の日本社会と若者

「3.11で社会は変わった」という言説に根本的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「本当に震災後に日本社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか——。(東京堂書店HPより)

 

 

ジャーナリズムとアカデミズムの間

 

小熊 ご新著の『絶望の国の幸福な若者たち』を拝読しました。いろいろ欠点はありますが、ある意味歴史に残る本かもしれないと思いました。

 

これは必ずしもいい意味ばかりではない。たとえば、1979年に発刊された『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著)は、あの時期の日本の気分をよく表したタイトルで有名になりましたが、そういう意味で名前が残るかもしれないと思います。過去の若者論の系譜を踏まえながら、現在の日本の若者が置かれている状況の統計的研究もフォローし、格差や年金財政の問題もおさえたうえで論じているわけですけれども、全体的には、若者は絶望的な状況にありながらおおむね幸福である、と捉えていますね。

 

古市 状況認識としてはそうですね。日本社会全体に関しては多額の財政赤字、少子化による現役世代の減少と、高齢化による社会保障費の増大、廃炉もままならない原発など、まさに題名の通り「絶望」的ともいえる状況です。しかし、20代における生活満足度の推移、幸福度の推移を追ってみると、彼らの満足度や幸福度がこの数十年で最高水準であることがわかります。

 

また、意識ではなく客観的な水準で考えても、現代の若者は少なくとも物質的には「幸福」であるといえると思います。先行世代が残した社会的なインフラもある。本のなかでも書きましたが、そこまでお金をかけなくても、そこそこ楽しい暮らしができてしまう。さらに親世代がまだ元気だから、金銭面や住居面を含めて様々なサポートを受けることができる。そのような意味を込めて「絶望」の国なのだけれども、「幸福」な若者たちである、という題名の本になりました。

 

小熊 しかし前著の『希望難民ご一行様』より、新著は劣っていると思いました。前著は、ピースボートのスタッフ側の視点が欠けているとは思いましたが、一つの社会をよく描いていると思いました。たとえばピースボートに乗る人には30前後の看護師が多いという調査結果がありましたね。看護師というのは、お金がある程度作れて、腕一本で渡っていけて、真面目な人が多くて、次の職場に行く前に乗船の時間が空けられるという人です。そういう女性たちが、ここで人生の転機をちょっとはかりたいということでピースボートに乗るのでしょう。この人たちの労働状況とメンタリティをよく表しています。

 

それに比べると、今回の本は調査がとても粗い。2、3人街頭で捕まえて聞いただけみたいなものが多いですし、あなたが自分の持っている憶測や仮説を当てはめて全体を作ったように感じます。調査というのはちゃんとやれば自分の仮説が打ち崩されるものなんですけれども、安全な範囲で聞いているなという印象を持ってしまいました。

 

ただ、たぶんこれが今の日本社会の気分なのだろうな、というものを捉えているとは思います。その点は、あなたの優れた勘を示しているし、その意味で歴史的な本になるかもしれないと思いました。

 

古市 2、3人よりは多いと思いますが、そこにサンプル・バイアスという問題があるのはご指摘頂いた通りだと思います。

 

『希望難民ご一行様』はもともと修士論文として書いた論文です。だからはじめから研修者目線で、何かの規範的な命題を打ち出すためというよりは、先にフィールドワークのデータがあって、そのなかからどのように論文を組み立てられるかを考えて書いたものです。自分がピースボートのなかで見てきたものや、アンケートの結果からどのような分析を導き出せるかを試行錯誤するという作業です。もともとが学術論文であるため、仮説があり、検証部があり、結論があるといういわゆる「論文」としても読めるような内容になっていたと思います。

 

一方で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、はじめから「若者」について書きたいという動機があった一冊です。今僕は26歳なんですけれども、自分が若者であるうちに、若者として、若者というものを描いてみたいなという想いがありました。学術書とエッセイ、ジャーナリズムとアカデミズムの真ん中を目指した本です。自分の「感覚」というものをそのまま織り込んでしまったのも事実だと思います。

 

「こう思っている」とか、「こんな感じではないか」とか、論証しきれていない部分も多い。そして仮にも社会学者を名乗るならば、サンプル・バイアスがかからざるをえないワールドカップ時の街頭調査なんてやらないほうがいいのかも知れない。だけど、そういうスケッチも含めて2010年代の若者のリアリティを残しておきたいという気持ちがありました。ワールドカップのあの雰囲気を切り取るには、他に方法が思いつきませんでした。小熊さんにおっしゃって頂いた「日本社会の気分」を切り取っておきたかったんです。

 

小熊 別に学術書らしくないから不満だというのではなくて、著者が自分のなかに予めある見解をそのまま出しましたという本は、好きじゃないんですね。その作品を作る過程で著者自身が変化していったり、化学反応を起こしているものが好きです。そういう化学反応がない人は、何を書いてもみんな同じになってしまう。

 

あなたが今、日本で若者と分類されるぐらいの年齢で、ある種記念写真的に書いておきたかったというのであれば、それはそれでいいと思います。たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。

 

古市 そうですね。親も元気だし仕事もある。そんなに毎日の生活に不満はない。だけど、そのリアリティが「自分だけ」のリアリティとは思いません。この5年間ぐらい、世の中には不幸な若者論―非正規雇用者がこれだけ多くて若年層はこれだけ貧困な状況に置かれていて、若者はなんて可哀想なんだ―という議論が世の中を賑わせてきました。しかし、それも一つのリアリティなんだけれども、「幸せな若者がいる」というリアリティも確かにある。親の経済状況や大学進学率を考えると、それは決してマイノリティとはいえない。もちろんどっちが正しい、間違っているというわけではなくて、それを示すこと自体が、論争なり話し合うきっかけにするために必要なことだと思ったんです。だから「著者自身の変化」や「化学反応」というものは、むしろ本を出版したあとに色々と経験しました。

 

 

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