2014.03.25

ビットコインをめぐる共同幻想と同床異夢

山口浩 ファィナンス / 経営学

社会 #synodos#シノドス#ビットコイン#bitcoin#マウント・ゴックス#仮想通貨#Silk Road

要旨:

◎ビットコインは通貨としての機能には疑問符。むしろ投機対象

◎ビットコイン利用者のニーズは多様で、互いに相矛盾する

◎通貨として定着させたいなら価値の安定が必要

◎ビットコイン自体より、それが引き金となるイノベーションに注目すべき

*  *  *

ここのところ、ビットコインのニュースがさかんにマスメディアに流れてきている。

ビットコインが始まったのは2009年だったが、日本でメディアが取り上げ始めたのは2013年になってからのことだ。最初は「こんなものがある」といった紹介程度の扱いだった。それがその後、みるみるその存在感を増し、とうとう新聞やテレビのトップニュースを飾るまでになった。もちろん、ご存じの通り、悪いかたちでだ。世界最大のビットコイン取引業者になっていたマウント・ゴックス社の経営破綻のニュースは、その利用者が世界に広がっていたことや、そこで伝えられた損害のあまりの巨額さもあって、大きな衝撃として世界を駆けめぐった。

「ビットコインのマウント・ゴックス破綻 民事再生法申請」(朝日新聞2014年2月28日)

http://digital.asahi.com/articles/ASG2X64VLG2XUTIL03P.html

同社の調査では、顧客から預かったコイン75万枚(時価約410億円相当)と、自社でもつコイン10万枚(約55億円相当)の大半がなくなったという。さらに顧客から預かった現金のうち最大約28億円が同社の銀行口座になく、消失しているという。

マウント・ゴックス破綻の衝撃

実際にはその後、なくなったとした85万ビットコインのうち20万ビットコインは残っていることがわかったようだ。

「ビットコインの一部が残存 破綻した取引所で」(朝日新聞2014年3月21日)

http://digital.asahi.com/articles/ASG3N7WCKG3NULFA02Q.html

インターネット上の仮想通貨「ビットコイン」の私設取引所「Mt.Gox(マウント・ゴックス)」(東京)の運営会社は20日、消失したとしていた85万ビットコイン(時価約510億円相当)のうち、20万ビットコイン(約120億円相当)が見つかったと発表した。

とはいえ損失額合計は400億円弱ではあるわけで、かなり大型の経営破綻であることにちがいはないが、この大半は、同社が顧客から預かっていたり同社自身が保有していたりするビットコインを、破綻時点の交換レートで円に換算したものだ。ビットコインの相場は乱高下を繰り返している。2012年の秋ごろには1ビットコインあたりせいぜい100ドル程度だった。その約1年後、2013年の12月ごろにはその10倍以上に跳ね上がり、1月にその半値近くまで急落した後再び高騰し、マウント・ゴックス社の経営危機が表面化する前までは800ドル前後で推移していた。

もちろん、マウント・ゴックス社が顧客から預かっているビットコインの量も増えたのであろうが、このような大きな損害額のかなりの部分は、ビットコイン自体の価格高騰によるものだ。高いレートでビットコインを購入した人もいるから、問題は軽微とはいいがたいが、なんでそんな無名の会社がそれほどの金額を、と驚くのはややスジがちがう。もともとそんな金額ではなかったのだ。

マウント・ゴックス社自体、もともとはカードゲームのトレーディングカードのオンライン取引を行う業者だった。急成長したのはビットコイン取引に転業して以降のことである。ちなみに2010年5月、世界で初めてビットコインで購入された2枚のピザの代金は10000ビットコインだったという。仮にピザ1枚を20ドルとするなら、当時の1ビットコインの価値は0.004ドルといったところだろう。それからわずか4年でその約30万倍にも上がったわけだ。

念のため一応書いておくが、今回経営破綻したマウント・ゴックス社はビットコインそのものの発行や運営の主体ではなく、その一取引業者だ。顧客からビットコインを預かり、取引の注文に応じて決済を行ったり、現金との両替を行ったりする。破綻時点で世界最大のビットコイン取引業者であったとはいえ、この会社がなくなったからといって、ビットコインそのものの価値がなくなったり、すべてのビットコインが使えなくなったりするわけではない。実際、ビットコインは、ピーク時よりは低い相場(概ね600ドル前後だろうか)ではあるが、今でもふつうに使われている。ビットコイン自体が破綻したかのような言説は誤りだ。

「ビットコイン「破綻すると思っていた」 麻生財務金融相」(朝日新聞2014年2月28日)

http://digital.asahi.com/articles/ASG2X2VKKG2XULFA006.html

ただ、この会社に顧客が預けたビットコインのうちかなりの部分は奪われ、なくなってしまったようだ。ビットコインは、その取引業者も含め、少なくとも日本ではこれまで規制を受けておらず、もとより自己責任の世界の話だが、これほどの額となると、「あきらめろ」で納得する者は少ない。案の定、経営者には米政府から召喚状が送られ、米国では訴訟も起こされた。とばっちりで同社の取引銀行であったみずほ銀行も訴えられている。これから紆余曲折はあるだろう。しかし、被害者がこの件での損害をすべて取り返すことは難しいと思われる。

日本での巨額経営破綻にもかかわらず、国内でそれほど大きな騒ぎになっていないのは、利用者の99%が海外在住であるからだ。逆にいえばこの経営破綻は、海外では日本におけるよりはるかに大きなインパクトをもって受け止められている。諸外国では、今回の件が発生する以前から、ビットコインに対し、さまざまなかたちで規制をかける動きが広がりつつあったが、今後ビットコインをどう扱っていけばいいかはさらに大きな関心事となろう。日本政府に対応を求める声も上がっており、政府にも検討する動きが出ている。一方、これに対して、安易な規制をすれば新しい動きをつぶしてしまうといった懸念の声もある。

「ビットコイン規制の法整備「必要あれば検討」 政府見解」(日本経済新聞2014年3月18日)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC18001_Y4A310C1EB2000/?n_cid=TPRN0006

「ビットコイン「規制は拙速」 新経連の三木谷氏」(産経新聞2014年3月5日)

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140305/biz14030514310023-n1.htm

ビットコインについては、ここのところあまりに多くの情報が流れてくるため、かえって状況がつかみにくくなっているきらいがある。さまざまな見解があるのはそれぞれの論者が置かれた立場に違いがあるためでもあるが、問題は一刀両断できるほど単純ではない。ここでいったん、少し引いた視点で考えてみる必要があるのではないか。

ビットコインそのもののしくみや、今回のマウント・ゴックス社の経営破綻についてはあちこちで解説記事が書かれているので、ここではより根本的な部分を中心に、できるだけニュートラルな立場を心がけて書いてみる。ビットコインに関しては国際大学GLOCOMの楠正憲客員研究員がいろいろとまとめておられるので、そちらを併せご覧いただきたい。

「Bitcoinについて」(Slideshare 2014年3月17日)

http://www.slideshare.net/masanork/bitcoin-20140317glocom

「Bitcoinは当世のチューリップか、近未来のグローバル貨幣か(上)」(楠正憲 Yahoo!ニュース個人2014年2月28日)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kusunokimasanori/20140228-00033081/

ビットコインは通貨なのか

ビットコインは、ネット上で流通する仮想通貨の一種である。似たことばとして「電子マネー」があり、よく区別されないまま使われることが少なくない。これらの概念には必ずしも定まった定義があるわけではなく、文脈によってさまざまな意味に使われるので、安易に正誤を論じるのは適切ではないが、少なくとも一般的に使われる意味での電子マネーは、通貨の存在を前提として、その通貨での決済を行うサービスのことであり、通貨と似た性質を持つ別の存在を仮想空間内に作り出すという、一般的な意味での仮想通貨とは異なるものである。

ビットコインは、法的には通貨ではない。日本における通貨は法律で円と定められており、発行主体も、紙幣は日本銀行、硬貨(補助貨幣)は政府と決まっている。これが日本国内での円の強制通用力の根拠である。

日本銀行法

第四十六条  日本銀行は、銀行券を発行する。

2  前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。

通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律

第二条  通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする。

第四条  貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する。

したがって、これにあたらないものは少なくとも日本では法的な意味での通貨ではない。しかし、法律上通貨でないものが事実上の通貨として機能することはよくある。自国通貨の信用が失われた国などでは、米ドルのような通用力の高い外国通貨が自国通貨の代わりに通用することが珍しくない。そうした国の1つであるジンバブエでは、ドルの少額貨幣(硬貨は重く運搬しにくい)のかわりにあめ玉が使われたりもするらしい(※3月25日23時:お釣りとしてあめ玉を使用することはあるものの、通貨として使用されることはないようです。訂正してお詫びいたします。シノドス編集部)。北朝鮮でチョコパイがお金の代わりに使われるという話も聞いたことがある。あめ玉でもチョコパイでも、それを使う人たちがそれを通貨として認めれば、なんであれ事実上の通貨となりうる。

もちろん、通貨として広く使われるためには、貨幣として必要な一定の機能を備えている必要がある。経済学的な貨幣の機能としてよく挙げられるのは、価値の基準、交換の媒体、価値保存の手段の3つだ(あめ玉やロッテのチョコパイが価値保存の手段として適切かは疑問だが、比較的短期間なら機能するということだろう。この点は重要なのでまた後で触れる)。それらの機能を備えているとして制度的に保証されたものが法定通貨であるが、それ以外でも、これらの機能を備えたものであればよいわけだ。

ネットの中にもそうした存在は多数ある。さまざまな企業が実施しているマイレージなどのポイントプログラムも限定的な意味でこれらの機能を有する。そうしたものの中でも通貨と似た機能を果たすべく設計されたものを、ネットを「仮想世界」と呼ぶのと同じ意味で、ネット上の「仮想通貨」と呼ぶ。ビットコインもまたそうした仮想通貨の一種である。

価値の源泉

通貨の価値は何らかのかたちで裏付けられなければならない。書店で1000円札と価格1000円の本が交換(つまり購入だ)できるのは、その1000円札に1000円の価値があると店側が認めているからだ。当然ながら、店側が価値を認めるのはそれを支払いに使える、いい換えれば他の人たちもその紙幣に1000円の価値があるとして受け取ってくれるからであり、つまりそれが「交換の媒体」としての貨幣の価値ということになる。

ただの紙切れにこのような価値が認められるのは、法律で決まっているからというだけではない。経済が混乱している国などでは、法律で決められた自国通貨が信用されなくなっていることがよくある。典型的なのは、政府の支払いのために通貨が乱発されてその価値が暴落、裏返せば物価が暴騰してしまうケースだ。いわゆるハイパーインフレーションである。

これを防ぐため、多くの国では政府から独立した中央銀行に通貨発行を行わせ、「通貨の番人」としている。日本銀行の貸借対照表をみれば、発行銀行券が負債の部に計上されていることがわかる。紙幣は日銀の債務証書なのである。その価値は、直接的には日銀が保有する資産ではなく、日銀が行う金融政策の健全性によって保たれるべきものとされるが、日銀がその資産内容を健全に保つことがその前提となっていることはいうまでもない。

抽象的にいえば、通貨の価値の源泉は有用性と希少性、及びそれらに関する評価の共有ということになろう。かつて貴金属で通貨が作られたのは、その素材である貴金属の美しさと希少性に関する認識、すなわち「誰もが欲しがるが皆に充分行き渡るほどたくさんはない」ということが広く共有されていたからであった。現代では、有用性を法律や制度で担保しつつ、それが乱発されないように中央銀行がコントロールしてその希少性を保つことで、信用力が社会の中で共有されるようなしくみがとられている。

こうした価値の源泉は、仮想通貨についても同様のことがいえる。仮想通貨として現在出回っているものの多くは、ポイントプログラムのように企業が発行する企業通貨である。ポイントを多く発行する企業では、一定の額を引当金として負債に計上することが少なくなく、そうした企業通貨の価値の源泉は、つきつめれば発行体企業が保有する資産や信用力である。実際のところ紙幣も、法律による強制通用力の有無という観点では大きな差があるが、日本銀行がその信用力をベースに発行するものという意味では基本的には変わらない。これはかつての金本位制下における紙幣のように、同価値の金との交換を保証された兌換紙幣のようなものに限った話ではなく、現在主流となっている不換紙幣でも同じことがいえる。

仮想通貨としてのビットコイン

さて、以上をふまえて、ビットコインについて考えてみよう。ビットコインの特徴は、細かい技術的な部分を端折ると、一般的には次のようなものであるとされる。

(1)発行者が存在しないこと

一般的な仮想通貨と異なり、ビットコインは誰かが発行するものではなく、所定の法則に従った数列を見つけることによって「採掘」される。「採掘」は誰でもできるが、「採掘」には膨大な計算が必要であり、その困難さが発行量が増すごとに増大していくため、現状では素人が手を出せるものではなくなっている。

(2)発行量の上限が理論的に決まっていること

「採掘」が誰でもでき、発行量のコントロールは行われていないが、ビットコインの「採掘」による発行量の上限は2100万ビットコインと理論的に決まっている。また上記のように「採掘」の困難さがどんどん上がっていくので、乱発によるハイパーインフレーションの懸念はない。

(3)P2Pで管理されていること

ビットコインはその「採掘」から取引の認証までがP2Pで行われており、国や企業の関与を受けずに取引ができる。どこかに特定の管理者がいるわけではなく、デジタルデータであることから、一見複製や偽造が簡単に行えそうなイメージもあるが、取引履歴(ブロックチェーン)をユーザー間で共有しているため、そうした偽装を行うことは容易ではない。

(4)国境に縛られず安いコストで送金できること

(少なくとも現在の日本では)法令などによる制約を受けず、どの国でもネットがつながっていれば送ることができ、銀行などを通す場合と比べ、送金の手数料が圧倒的に安くすむ。

こうした「利点」を強調し、ビットコインを「インターネット時代の革新的な通貨」としてもてはやす人が少なからずいる。供給量に上限があり、供給が政府の意向などによって左右されないことなどもあって、ビットコインを金になぞらえる人もいる。

「【経済快説】ビットコインに前向きな適応を 日本円と併存できる仕組み作り」(ZAKZAK2014年3月6日)

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140305/ecn1403051748009-n1.htm

筆者の理解では、ビットコインは、通貨としての「金(きん)」を理想化してデジタル空間に作り出したようなものと思える。金は、新たに作ることが不可能で、埋蔵量に限りがあると考えられている。その希少価値と伝統的経緯から、中央銀行の準備資産としても保有されていて、通貨の側面を持つ。

実際、ビットコインを作った人々も、「採掘」という表現を使うなど、金をイメージしていたふしがある。一方で、さまざまな問題点があるとして批判する人も少なくない。例として、ノーベル賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンが「新たな金本位制だ」と批判したコラムを挙げておく。

Golden Cyberfetters (The New York Times 2011.09.07

http://krugman.blogs.nytimes.com/2011/09/07/golden-cyberfetters/

In effect, Bitcoin has created its own private gold standard world, in which the money supply is fixed rather than subject to increase via the printing press.

肯定的にみる前者の経済評論家・山崎元氏の主張は、金のように希少で価値ある存在になっているというものであるのに対し、クルーグマンの批判は、金本位制のようにマネーサプライがコントロールできずその価値が乱高下するために貨幣としての機能を果たしていない、というものである。ビットコインを同じ「金」になぞらえ、その供給制約に着目しながらも両者がまったく異なる評価につながっているのは興味深い。

ビットコインの問題点

上記のクルーグマンによる批判以外にも、ビットコインについては少なからぬ欠点が指摘され、実際、問題が発生している。代表的なものを列挙すると次のようになる。

(1)価格の変動が激しい

ビットコインの価格は短期間に大幅な高騰や暴落を繰り返している。価値の安定性を欠くことは、通貨としては問題がある。上記のクルーグマンのコラムは、価格の変動が大きいため、ビットコインは使われずに死蔵され、取引を媒介するという貨幣の機能を果たしていない、と指摘している。

「仮想通貨「ビットコイン」、人気急上昇で価値高騰」(AFP2013年4月11日)

http://www.afpbb.com/articles/-/2938295

「架空通貨ビットコイン暴落 巨大化警戒、中国が禁止」(朝日新聞2013年12月21日)

http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312200453.html

(2)闇取引に用いられる

ビットコインの「所有」や取引は、政府や銀行などの金融機関を通さずに行えることから、違法な物品の売買やマネーロンダリングなど、違法性のある取引に使われるおそれがある。実際、「闇のアマゾン」とも呼ばれ、FBIによって閉鎖、多額のビットコインが押収された売買サイト「シルクロード」での主要な販売品の中には違法薬物や銃などがあった。

「FBI、悪名高いオンライン闇市場Silk Roadの所有者を逮捕、サイトを閉鎖―麻薬、殺し屋募集など容疑続々」(TechCrunch2013年10月3日)

http://jp.techcrunch.com/2013/10/03/20131002fbi-seize-deep-web-marketplace-silk-road-arrest-owner/

(3)脆弱性がある

ビットコインはP2Pで取引を行うことができるが、実際にはビットコイン銀行とも呼べるような取引業者にビットコインを預けて取引を行う場合が少なくない。マウント・ゴックス社もこうした取引業者の1つであった。

こうした取引業者は、一般的な銀行などの金融機関とくらべてサイバー攻撃に対して脆弱であることが少なくなく、実際、サイバー攻撃によって顧客から預かったビットコインを引き出されてしまうケースが相次いでいる。取引の認証をP2Pで行うため、決済完了までに10分程度の時間を要し、この時間差を利用した不正行為が行われうることが判明している。

「ビットコインの不正な引き出し相次ぐ、別の取引所にも被害」(ITmedia2014年03月06日)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1403/06/news040.html

取引業者のこうした脆弱性は、銀行が行っているようなセキュリティ対策をこれらの業者が行っていないことに起因し、銀行送金などと比べてビットコインによる送金が安価であることの理由ともなっている。

暴騰も暴落も防げない

ここで重要なのは、これらの問題点が、ビットコインの成り立ちそのもの、あるいはその利点と考えられている点そのものに起因しているということである。

たとえば、ビットコインの激しい価格変動を取り上げてみよう。これがマネーサプライのコントロール不在によるというのはクルーグマンの指摘通りであるが、これはビットコインの設計者あるいは信奉者にとって、ビットコインの価値を守るために有益だとして採用されたしくみだ。どこぞの政府のように通貨を乱発しないから価値が守られる、という発想であるが、これは通貨が市場で取引される資産でもあるという性質を理解していない考え方である。供給量に上限を設ければ、確かに乱発による価値の暴落は起きないが、それを求めて多くの資金が市場に注ぎ込まれれば当然のように価格は暴騰する。暴騰を防ぐことができなければ、その反作用としての暴落も防ぐことはできない。ビットコインに生じているのはまさにこれである。

現在、ビットコインは、理論上の供給総量である2100万BTCの約半分程度が「採掘」された状態であるが、仮にすべて「採掘」が終わったとして、これまた仮に1BTC=10万円で換算すると、最終的なビットコインの「時価総額」は2兆1000億円ということになる。一方、外国為替市場の取引高は1日当たり平均で500兆円超にも達する。株式市場でも、2013年の東証一部の国内株取引高は1日平均で2.6兆円であった。すなわち、資本市場の規模に比べて、ビットコインの総量はあまりに小さいのである。したがって、資本市場で流れている資金のほんの一部でも流入ないし流出すれば、簡単に大暴騰や大暴落を招く。ヘッジファンドなどがその気になれば、思うままに相場を操縦できるだろう。

もちろん、世界の通貨の中には、その発行総額がビットコインの時価総額とそう変わらない規模のものも少なからずあるが、これらの通貨の価値は、それぞれの国の中央銀行や、国際金融機関などによって守られているため、ビットコインで生じているような暴騰や暴落はそう簡単には起きない。一方、こうした制度的な保護策はビットコインには存在しないため、市場の「暴力」に直接さらされるのである。ビットコインの時価総額がさらに増大していけば、投機対象としての旨味が増すため、価格変動リスクは減少することなく、むしろ飛躍的に高まっていくのではないか。

取引需要の不在

通常の通貨は、その通用する地域の中に経済圏を有している。たとえば日本では円で物品やサービスが取引される経済圏があり、同様に米国にはドル、西欧にはユーロで取引される経済圏がある。こうした国内(域内)市場では、その通貨建ての物品やサービスの価格は、それほど大きく動かないのがふつうである。たとえば1985年のプラザ合意で円がドルに対して2倍近くに高騰した際も、それによる日本国内の物価変動は比較的小さなものであった。

アダム・スミスは『諸国民の富』(いわゆる『国富論』)において、「人々が貨幣を欲求するのは、それ自体のためではなくて、その貨幣で購入しうるもののためである」と指摘した。海外旅行時にその旅行先の通貨を持っていくのはそこで買い物をするためである。同様に、仮想通貨が保有されるのも、一般的にはその仮想通貨でしか買えないものがある場合である。航空会社のマイレージを貯めるのはそれが航空券と交換できるからであり、『人生ゲーム』や『モノポリー』においてプレイヤーがおもちゃの通貨を求めて競い合うのはゲーム内で建物等を購入するために必要だからである。オンラインゲームなどの仮想通貨も、同様の目的で保有される。そこにはそれぞれの通貨の経済圏が存在する。

しかしビットコインには、そうした「国内」市場はなく、ビットコインでしか買えないものは存在しない。ビットコインでの支払いを受け付ける事業者はいるが、それらはあくまで「ビットコインで支払ってもよい」ということであり、最終的には現実通貨との交換が前提となっている。そもそも、ビットコインでの支払いを受け付ける事業者は、増えているといわれるが、全体からみればまだ皆無に等しいため、実際のところビットコインの使い道はほとんど存在しない。すなわち、ビットコインを欲求するのは、ビットコインそのものを保有する目的ゆえなのである。極論すれば、ビットコインにはケインズがいうところの貨幣需要のうち取引需要が存在せず、ほとんどすべてが投機的需要であるといえる。クルーグマンは上記コラムで以下のように指摘しているが、この点をふまえたものだろう。

What we want from a monetary system isn’t to make people holding money rich; we want it to facilitate transactions and make the economy as a whole rich. And that’s not at all what is happening in Bitcoin.

ビットコインが採用した、通貨の供給を制約し市場の状況に合わせたコントロールを行わないことで通貨の価値が安定するという考え方は、こうした投機的需要の存在を無視したものといえる。すなわち、金になぞらえたこと自体が、通貨というものの経済学的性質に対する理解を欠いた設計であることを露呈しているのである。

共同幻想としての通貨

通貨の価値がいわゆる共同幻想だとする考え方がある。岩井克人著『貨幣論』のように、「貨幣が貨幣として流通するのは、それが貨幣として流通しているからである」 といった自己実現的な存在として貨幣をとらえる考え方である。これはまさにその通りであって、信用をベースに成り立つ現代の通貨は、それが通貨として信用されているがゆえに信用されるという構造となっている。

この見方を援用して、ビットコインもまた、利用者の間で「価値がある」とみなされるがゆえに価値を認められる存在なのであるから、円やドルのような通貨との間に基本的な違いはないと主張する人々がいるようだ。

「ビットコイン―人間不在のデジタル巨石貨幣」(斉藤賢爾2013年12月31日)

http://member.wide.ad.jp/tr/wide-tr-ideon-bitcoin2013-00.pdf

もちろん、理屈上は確かにそういう表現もできなくはない。しかし、実態を考えると、これはいささか乱暴な議論といわざるを得ない。貨幣の価値が共同幻想だというのは、確かに乱発によって自国通貨の価値が暴落してしまった国のことを考えるとわかりやすいが、現実に各国で使われている通貨の多くは、このような急激な暴騰や暴落をしていない。それは、繰り返すがそれぞれの国の中央銀行や政府、ときにはIMFや世界銀行といった国際機関などが、通貨の価値を保つためにさまざまな管理を行っているからであって、一般的な通貨の価値に関する共同幻想はこうした制度や関係者の努力の上に成立しているものである。これを、そうしたしくみがまったく存在しないビットコインと同等に考えるのは不適切だ。

もちろん、ビットコインの価値もまた共同幻想であること自体を否定するものではない。しかしビットコインの価値を支える「幻想」は、現実通貨の価値を支える「幻想」とは異なる種類のものと考えるべきである。ビットコインには、その価値を下支えする資産や信用力、制度的な通用力の保証などは何もない。ビットコインが「採掘」されたことを示す数列を紙に印刷しても、それを金と同じように「おお美しい」と愛でる人はいないであろうし、産業用資材として使えるわけでもない。すべては利用者の中にある純粋な「幻想」に支えられているのである。では、その「幻想」とはどのようなものなのであろうか。

ビットコインをめぐる同床異夢

実際のところ、ビットコインをもてはやす人々の中には、いくつかのタイプがあるように思われる。1つのグループは、コンピュータやネットに詳しい、いわゆる「ギーク」と呼ばれる人々である。インターネットは、国境を越え、国家の干渉を受けず人々が自由に情報をやりとりできるある種の理想郷として誕生した。ギークの人々の中には、こうした初期のインターネットに対する信仰、いい換えればリバタリアン的な思想が根強く残っている。

ビットコインの概念もまたこうした考え方に親和性の高いものであることは、ビットコインの基本概念を示した2008年のサトシ・ナカモト名義の論文からも伺える。通貨は今や物理的実体から離れ、デジタルデータとして世界中を飛び回るものとなっているが、ネット上のさまざまな情報と異なり、通貨は依然として政府などの強い監視下に置かれている。上記のような考え方からすれば、ビットコインの登場によって、ネット時代にふさわしい通貨がやっと生まれた、ということなのであろう。そこにあるのは、ビットコインが広く使われるようになることが、社会が彼らの「理想郷」に近づくから、その価値を認めたいという「幻想」なのではないか。

Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System (Satoshi Nakamoto

https://bitcoin.org/bitcoin.pdf

しかし、このような考え方は、もともと初期のインターネットがそうであったように、ある意味性善説に立脚したものである。制約を受けず自由に利用できるということは、その分だけ不正な利用者を誘引する力も強い。上記の「シルクロード」は摘発され消滅したが、ビットコインを闇取引に使う人々は他にも数多くいるだろう。実際のところビットコイン自体は必ずしも匿名性を保証するしくみとはなっていない(むしろアカウント単位であれば個々のアカウントのビットコイン保有量はすべて公開されている)が、国境がないという利点を活かし、さまざまな国や地域の法や制度の隙間をついて、闇取引のニーズを満たそうとする動きは今後も続くと思われる。もちろん、それを規制しようとする権力側とのいたちごっことなるはずだが、完全な統制が不可能であることは、インターネットにおける情報の流れをみれば明白である。

もちろん、実際にビットコインには上記のようなさまざまな利点がある。特に、さまざまな国で使え、送金などの手数料も安くすむというのは、2つめのグループ、国際的に活動する人々にとっては大きなメリットである。実際、国によって通貨が異なる状況は国境を越えて活動する人々には大きな不便を強いており、また国際送金の手数料の高さは、少額の送金をする個人にとっては暴力的なほどである。

もちろん、現在の金融のしくみは、セキュリティその他、他人のお金を扱う事業者として備えるべきさまざまな条件をしかるべき水準でクリアするために必要なコストがかかっており、利用の際の手数料もそれを反映したものではある。しかし、ごく少額のやりとりを行う個人のレベルでそこまで必要かといわれれば、必ずしもそうではない、という考え方もあろう。Paypalのような少額決済のしくみが世界で広く受け入れられているのは、現在の金融サービスが個人にとって「牛刀をもって鶏を割く」類のオーバースペックなものになってしまっている可能性を示唆する。ここにあるのは、手軽に安価に使える決済手段があれば旅行や買い物に便利だからビットコインには価値があるという「幻想」である。

しかし、こうした利便性を必要としている人々は、現在のビットコインの利用者全体からみればあまり多くはないのではないだろうか。ビットコインが今これほど大きな注目を集めているのは、それを取引に使いたいからというより、驚異的な値上がりをしていたからである。すなわち、3つめのグループは、投機的需要に基づいてビットコインを保有する人々であり、これが昨今のビットコインの人気を支える大きな原動力となっている。

その「成功」を見て、ビットコインと同様の、あるいは「改良」したと称するいくつもの類似サービス(「暗号通貨」などと総称される)が導入され、ビットコインの高騰に乗り遅れた人々を惹きつけようとしている。当然ながら、ここで利用者が抱くのは、その値上がりにより保有者が豊かになるからビットコインには価値があるという「幻想」であろう。

「続々生まれる新手の「暗号通貨」」(読売新聞2014年1月15日)

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/fx/tokudane/20140115-OYT8T00664.htm

すなわち、ビットコインの価値や将来性を認める人々は一様ではなく、そこには明らかに同床異夢と呼べる状況が存在する。そしてそれらの少なくとも一部は、あまり相性がよくない。国家の管理を受けないことは、ネットの自由を理想とする人々や闇取引に使いたい人々にとっては欠くべからざる必須の条件であるが、安価にやりとりできる国際通貨として便利に使いたいだけの人々にとっては必ずしもそうではなく、安全性とコストとの兼ね合いの問題としてとらえられるであろう。

また価格の乱高下は投資対象としてビットコインをみる人々からは歓迎すべき条件(暴落は歓迎しないだろうが)であるが、通貨として便利に使いたい人にとっては、価値はむしろ安定している方が便利であろう。その価値を認める部分では同じでも、ビットコインを支持する人々の「幻想」はその細部において一様ではなく、そこには摩擦があるのだ。

ビットコインに寄せられる多様な期待の中には、多くの善良な人々からなる現実社会との相性がいいものもあればそうでないものもある。犯罪や闇取引に使うために政府の関与を嫌う志向は、社会からは是認されにくいものであろう。実際、金融機関によるビットコインの取り扱いを禁止してしまった中国を始め、取引業者に届出義務を課す米国など、各国でビットコインの流通に関して何らかの制度的な枠組みをはめようとする動きが広がっている。これは取引上の利便性ゆえにビットコインを利用する人たちにとっては必ずしも嫌われるものではなく、むしろ歓迎されるかもしれない(地下金融の利用者がもともと多い中国では規制は不評のようだが)。

ビットコインが今後どうなっていくかは、こうした利用者のニーズのそれぞれに対してどう応えていくかによって異なってこよう。

ビットコインの未来

マウント・ゴックス社の破綻はあったが、ビットコインは今でも世界の中で多くの人々(とはいえどの国においても多数派ではない。また日本ではまだほとんどいないに等しい)に使われており、一定程度の存在感を持つようにはなった。2013年12月(すなわち、中国での規制導入発表を引き金とするビットコイン暴落の前である)にメリルリンチが出したレポートは、当時のビットコインの価格高騰についてバブルの疑いをはさみながらも、ビットコインが現実通貨に代わる有力な支払手段になりうるとし、その将来について楽観的な見方を示している。

Bitcoin: a first assessment (Bank of America Merrill Lynch: 2013年12月5日)

We believe Bitcoin can become a major means of payment for e-commerce and may emerge as a serious competitor to traditional money transfer providers. As a medium of exchange, Bitcoin has clear potential for growth, in our view.

一方、ゴールドマン・サックスが2014年3月(すなわち、マウント・ゴックス破綻後である)に発表したレポートは、通貨としての機能には疑問を呈し、むしろコモディティや金融資産に近い存在であると評価している。その上で、ビットコインの意義はそれ自体の価値よりも、そこに使われたイノベーションが今後の資金決済技術の発達にもたらすインパクトの方にある、と結論づけている。

All About Bitcoin (Goldman Sachs: 2014年3月11日)

With the conclusion that bitcoin likely can’t work as a currency, but some sense that the ledger-based technology that underlies it could hold promise.

現在、ビットコインは各国の政府が少なくとも注目するような存在となった。もちろん国によって態度に差はあるが、現段階で、人々にビットコインを利用させまいとまで考えている国は多くはないようにみえる。少なくとも米国は、ビットコインの利用を禁止するのではなく、透明性を確保した上で利用していこうという方向性のようだ。

「ビットコインが広く悪用されている証拠なし-米財務次官」(Bloomberg.co.jp 2014年3月19日)

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N2O2AC6S972E01.html

同次官は規制すれば仮想通貨の技術革新を米国外に取り逃がすことになるとの見方を否定。「金融の透明性は仮想通貨市場の安定化に寄与し、利用者や投資家に安全性をもたらすことができる」と述べ、「賢明で柔軟、さらに技術用語を用いれば拡張可能な規制を通じてわれわれが行おうとしているのはこのことだ」と説明した。

日本では、極端な安全志向で自由を制限する方向の規制がなされることがしばしばあるが、広まる前に大きなトラブルが起きた「おかげ」で、不注意な人々が市場に入り込んでくるリスクは多少減ったかもしれない。米国にならって、ビットコインそのものというより、その取引所サービスについて一定の枠をはめる方向に進んでいく可能性が高いのではないかと思われる。

「ビットコインは金融規制枠外 政府見解、流通は容認」(日本経済新聞2014年3月8日)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC0701C_X00C14A3EE8000/

貨幣と認め、金融商品と同じように扱えば、高い参入規制や強い罰則を課し、国家が積極的に介入することになる。米国や英国などの金融当局・中央銀行はこの点を踏まえて、存在を黙認する。日本は米英と似たような立場を選んだ。

すなわち、社会の制度から切り離された領域で生まれ、束縛を嫌う人々に愛されたビットコインが、やがて社会との折り合いをつけ、共存をめざす方向へと向かうのではないか、ということである。場合によっては、ビットコインがそうした社会の要請に応えられずに見放され、後続の暗号通貨にその地位を譲る日が来るかもしれない。ビットコインに類似する暗号通貨はいくつも出現しており(下記の記事によると、60以上あるらしい)、それらはビットコインの持つ欠点を改良したと主張している。その多くは早晩消え去るだろうともいわれるが、中にはビットコインより広く受け入れられるものが出てくる可能性もある。

「Dogecoin:ミームから生まれた柴犬印の暗号通貨」(Wired2013年12月27日)

http://wired.jp/2013/12/27/dogecoin-cryptocurrency/

また、ビットコインが実現した手軽で安価な決済手段へのニーズを満たすべく、現実通貨を使った新たな決済手法が発達する可能性もある。銀行などの金融機関は、安全性を高めるために莫大なコストをかけているが、利用者が日常的に行っている少額のやり取りにおいては、若干のリスクはあっても、もっと簡素で低コストの決済手段であればそれで充分かもしれない。日本では規制があってあまり活用されていないが、海外におけるペイパルの普及は、そうしたニーズの存在を示すものといえる。ビットコインが仮想通貨として広く定着していくために最も求められるのはこの要素であろう。

少なくとも、現在のビットコインのしくみでは、市場での需要の変動に伴う価格の乱高下を防ぐことはできず、取引の媒介という通貨本来の機能を期待するのは難しい。クルーグマンが批判する通り、価値が乱高下する通貨は、取引の媒介として用いるには不適である。価格安定に正面から取り組むなら、必要なのは何らかのかたちでマネーサプライのコントロールを行うことだ。中央銀行のように人が関与する金融調節機能を持つためには、やはり企業などの組織が責任をもって運営する必要があるだろう。結果として現在よりは高コストになるだろうが、既存の金融機関より安くできれば、ある程度の競争力を保つことはできよう。

しかし、価値を安定させるために、中央銀行のような組織を設置し、マネーサプライをコントロールさせるという既存通貨と似た運営を行うのであれば、もともと特定の管理者を置かずに供給量を制約するために採用した暗号通貨という手法自体の必然性は減少する。その意味で、今後の流れによっては、暗号通貨というジャンル全体が消滅していく可能性もあるのではないか。

人が関与するしくみをとりたくないのであれば、自動化されたプログラムで調節を行わせることも考えられる。各ユーザーのビットコイン口座情報はコミュニティで共有されているのであるから、たとえば残高の一部を取引価格の動向に応じてシステム的に凍結し、預金準備率操作のような調整を行うことは不可能だろうか。これはもちろんただの思いつきで、有効かどうかもわからないが、何であれスタビライザー的な金融政策を自動的に行うしくみを実装できるのであれば、非常にイノベーティブな仮想通貨システムといえるだろう。

「国から自由な通貨」としてのビットコイン

一方、少なくとも一部のビットコイン支持者にとって、ビットコインの最大のメリットは、政府による関与を受けないことであり、そうしたニーズは厳然として存在し続けている。しかし上記のように、現在の流れは、世界最大の取引業者の破綻や犯罪利用への懸念などもあって、少なくともビットコインの取引に関して何らかの制度的な枠をはめ、利用者の自由の一部を制約する方向へと向かっているようだ。

これは、ビットコインをその利便性ゆえに愛好する人々にとっては悪くない方向である。ビットコインがより安心して使えるものになれば、より多くの事業者がビットコインを受け付けるようになり、利便性はさらに高まっていく。しかし、政府による関与の排除を最大限に重視するタイプのビットコイン利用者にとっては、必ずしも望ましい事態ではないだろう。

ビットコインが政府当局の注目を集めるようになったのは、端的にいえば、その時価総額や利用者数が大きくなり、無視できない存在となったためである。そうだとすれば、政府の関与を受けないことを最重要視する人々にとって、ビットコインが魅力的なものであり続けるために必要なのは、むやみにユーザー数を拡大することなく、国家経済や国際経済に影響を与えないごく小規模の存在として目立たない状態を保つことであったろう。

ビットコインが今からこの状態に戻ることは難しいだろうが、類似の暗号通貨の中には、この条件を満たすものがあるかもしれない。ギークのような人々であれば、そうした新しい暗号通貨を次々と乗り換えつつ、政府の目をかいくぐって自由な資金移動の手段を保ち続けるというのが現実的な対応なのではなかろうか。

貨幣の機能の1つが価値保存の手段であるという点については前に述べた。しかしこれは、その価値が永遠に保たれることを必要とするものではない。ジンバブエにおけるあめ玉、北朝鮮におけるチョコパイのように、一時的にでも価値を保つことができるものであれば、その間は通貨として用いることができる。古くなったら新たなあめ玉や別の菓子、たばこなどに取り替えることもできよう。ビットコインやその類似物も含め、暗号通貨が長期間にわたって価値保存の手段として用いられるかどうかはわからないが、裏を返せば、使えなくなったら他に乗り換えればいいだけのことともいえる。

いずれにせよ、ビットコインの登場は、それ自体というより、既存の通貨が社会の中で唯一の決済手段というこれまでの常識をゆさぶったという点で、より大きなインパクトを持っているものと考えるべきではないか。もちろん既存の金融システムにおいてもこれまで数々のイノベーションがあったが、ビットコインはそれらとはまったく異なる方向性のイノベーションがありうることを示した。駿河台大学の八田真行氏は、ビットコインにおけるイノベーションを「枯れた技術の斬新な組み合わせ」と評しているが、これまでの発想から自由になれば、金融まわりには他にもいろいろとイノベーションが生じる余地があるように思われる。

考えてみれば、1つの国に1つの通貨という状態は、近代国家が成立して以降の比較的新しいものである。日本でも、江戸時代には関東で金、関西で銀が主に使われる複数通貨制であった。通貨の統一は経済活動を活発化し、国家権力をよりはっきりと示すものとなるが、現代社会においては、逆に複数の通貨を場合に応じて使い分けることの方が、メリットが大きくなっているのかもしれない。その中には、価値保存の機能をあまり長期間にわたって保証するのではなく、一時的に使われ消えていくものもありうる。

そうした使い分けや乗り換えを前提とした通貨と既存の通貨とを組み合わせて使うことが社会の中で一般的になっていくのだとすれば、それこそが、ビットコインやその他の暗号通貨、あるいは種々の仮想通貨がもたらす、通貨の歴史を変える一大イノベーションといえるのではないだろうか。

サムネイル「Bitcoin Wallpaper (2560×1600)」Jason Benjamin

http://www.flickr.com/photos/jason_benjamin/8631889965/

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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