亡くなられた方々は、なぜ地域社会で生きることができなかったのか?――相模原障害者殺傷事件における社会の責任と課題

「勤君は、母親によって殺されたのではない。地域の人々によって、養護学校によって、路線バスの労働者によって、あらゆる分野のマスコミによって、権力によって殺されていったのである。」(横田1979:24)

 

 

はじめに

 

事件から二週間近くが経過した。事件についてはすでに多くの方々、あるいは団体が、意見や声明を発表している(注1)。報道では、容疑者がなぜ犯行に及んだのか、どんな人物だったのか、あるいはその責任能力はどうなのか、などに関心が高まっているが、ここでは容疑者個人の責任という側面はいったん脇におき、この事件を生む背景となった「社会の責任」、あるいはそこから浮かび上がる「社会の課題」ということを考えてみたい。

 

(注1)事件についての、各種団体の声明や報道記事等の情報は、次の立岩真也氏のページにある程度まとまっている。http://www.arsvi.com/2010/20160726ts.htm

 

もちろん、それによって容疑者の罪が免責されうるという話をしたいわけではない。彼自身は「障害者はいなくなればいい」と思い、今回の凶行に及んだわけだが、そういう考えをいだくことと、それを自分の手で実際に実行に移すとの間には大きな溝がある。

 

けれども、「障害者はいなくなればいい」という考えから自分は無縁であるとどれほどの人が言い切れるだろうか。「障害者はいなくなればいい」と思う人が多いから、地域社会から離れたところに、「入所施設」なるものができるのでないだろうか。障害者と共にありたいと多くの人が願うならば、障害者は施設で暮らす必要はなく、地域で暮らし続けるだろう、あなたの身近には常に障害者がいるだろう。

 

現状は違う。いたるところで、この社会には障害者を排除する論理が働いているのだ。その排除の論理が極端なかたちで顕在化したのが今回の事件でないだろうか。だから、この社会の一員である人々すべてが自分たちの足元を検証する必要があるのだと思う。そういう意味で、この事件に関する「社会の責任」や「社会の課題」を考えていきたい。

 

 

自己紹介――地域自立生活運動の随伴者として

 

まず、自分がどのような立場や経験から、意見を述べるかについて記したい。以下で述べることは、自分の日々の実践と結びついているからである。

 

今、ぼくは障害者の地域自立生活を支える介護コーディネーターを主な仕事としている。施設というのが、地域(在宅)で暮らすことが難しくなった障害者が施設職員の管理のもとで集合的に暮らすところだとしたら、地域自立生活というのは、障害者が地域の普通のアパートやマンションなどの自分の住居で、必要に応じて介助者などを入れつつ、自分なりのスタイルで暮らすところだ。

 

施設での暮らしは、その立地とかにもよりけりだが、地域社会との接点がきわめて限られている。たまに家族やボランティアが来るだけだろうか。外出も一年に1回~数回の人が多いだろう。一ヶ月に一度も施設の外に出ない人の方が多いと思う。

 

それに対して、地域生活は、毎日が地域社会との交流である。道をぶらぶら歩き人とすれ違うこと、スーパーやコンビニで買い物すること、電車やバスに乗ること。それらすべてが地域社会との接点だ。そうした地域自立生活を推進し、あるいは維持していくのがぼくの仕事だ。

 

そんな生活が送れるのは、ある程度できる障害者だけでないか、と思う人も多いかもしれない。そんなことはない。

 

今回の事件は、重度の障害者が入所していた、と伝えられている。障害支援区分6(最も重たい区分)の人が大半だったと。けれども、今ぼくの目の前で暮らしている方々も、区分6の方が大半である。

 

ぼくの所属する団体の設立の経緯からして自立生活している人は身体障害の人が多いわけだけど、別にみんなばりばりいろんなことができるというわけでもない。言語障害がとても重く、意思疎通に慣れるまで相当時間がかかる方々も多い。

 

身体障害の人は指示さえ出せれば自分で自分のことが決められるでしょ、でも、知的障害の人はそれができないから自立生活は難しいよ、という意見もある。

 

けれども、今、ぼくの目の前では、知的障害のある方々も自立生活をはじめている。身体と知的の重複障害の方もおられる。強度行動障害のある方も介助者を入れて、地域自立生活を送っている。

 

これまで施設に入っていたが、地域で暮らしたいという強い思いから一人暮らしをはじめる人もいれば、親元にいたけど、親にも限界がきて施設に入れられそうになり、それをなんとか避けるために自立生活をはじめた人もいる。そうした人々が、ぼくの目の前のリアリティだ。

 

もちろん、重度の障害者が地域で暮らせるようになりつつある状況というのは、一朝一夕でできあがったものではない。施設でなく、地域で普通にさまなざな人々と交わりつつ暮らしたい、そういう運動が40年以上前から起きて、少しずつ今の状況がつくられてきたわけだ(注2)。

 

(注2)障害者が施設でなく、地域で自立して生きていくための介護保障確立の歴史については、拙著(渡邉:2011)の第3章、第4章の「障害者介護保障運動史―そのラフスケッチ①、②」が分かりやすい。

 

知的障害者の地域自立生活は身体障害者のそれよりは少し遅れている。けれども、どんな重い身体障害の人だって、どんな重い知的障害の人だって、地域で生きていくことができる、そんな実践が広まりつつあるのだ(注3)。その実践の一端を担っているのがぼくの仕事だ。

 

(注3)知的障害者が入所施設でなく地域で暮らしていくためのノウハウを描いた本として、(ピープルファースト東久留米:2010)

 

 

障害者は施設で暮らすのがあたり前か?

 

残念ながら、今の世の中の現状は、障害者が上記の様に、施設でなく地域で暮らしていける、ということがほとんど知られていない。あまりに多くの人が、重度の障害があったら施設で暮らすのは仕方ない、と思い、そこになんの疑問も抱かない。

 

しかし、少なくとも、日本が批准している国連の条約や、国内法等では次のように言われているのだ。

 

どんな障害がある人でも、地域社会から分け隔てられることなく、人としての尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有し、どこで誰と暮らすかについて選択の機会が保障され、社会、経済、文化、その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されねばならない、と(注4)。

 

(注4)障害者権利条約や障害者基本法といってピンとこない方は、ぜひ、その条文を自分の目で確認してほしい。それは単なる建前としての理念ではない。具体化されるべき権利である。

障害者権利条約:

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

障害者基本法:

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO084.html

 

この日本社会では、今でも重度障害者の施設入所があたり前のように思われているが、だがその際、入所される方の権利、つまり地域社会から分け隔てられることなく、人としての尊厳にふさわしい生活を保障される権利が奪われるかもしれないと、どのくらいの人が気づいているだろうか。

 

他にいくところがなく、地域から追い出されるように施設に入所している人に対して、どこで誰と暮らすかについて選択の機会が保障されている、とだれが言えるだろうか。また外出する機会が一年に一回か、せいぜい数回しかないような施設入所者に対して、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されている、とどの口が言えるだろうか。

 

少なくとも条文の理念からいえば、障害者が施設で暮らすことを自明視してはいけないはずだ。

 

それなのに、一般の社会通念において、あるいは障害福祉関係者の間でも、入所施設は重度障害者にとっての居場所だという通念はいまだ抜き差しならないもののように思う。

 

中軽度の障害者は地域で生きることができるかもしれないが、重度の人、あるいは知的障害や重複障害のある人は難しいのではないか、そう一般の人は思うかもしれない。けれども、実は、そんなに重くない人も施設に入所している。他方、通常の施設では受け入れられないような最重度の障害のある人が地域で暮らしていたりもする。重度だから施設にいくしかない、というのは神話である。

 

なにが、地域か施設かの間で違いをつくっているかというと、まわりの環境である。まわりがこの人には施設しかないと思えば施設で暮らすことになる。本人やまわりの全体が地域で暮らし続けようと思うのなら、地域で暮らすことが可能である。施設に入っている多くの人は、まわりが施設しかムリ、と思い込んでいるケースが多いように思う。

 

行政職員や障害福祉関係者の間でも、「入所施設は重度障害者にとっての居場所」という通念に疑いを入れる人はあまりいない。障害者支援の現場では、重度の障害者に対しては、家族介護がムリになると、地域生活の可能性に言及することなく、ショートステイからの施設入所を勧めるケースワークが横行している。

 

地域で自立して暮らすことが可能だとは、本人も家族も知らないことが多い。ある意味で致し方ない。でも、だとしたら、行政やまわりの支援者がそれは可能だと本人や家族に伝えていくしかないわけだが、まったく不十分である。

 

なぜ、家族や本人が施設入所を選ぶのか。それしかないと思わせているまわりの責任も大きいのでないだろうか。

 

 

「障害者がいなくなればいい」という発言に対する社会の責任

 

今回の「障害者はいなくなればいい」という容疑者の言説には、言うまでもなく多くの障害者団体が厳しく抗議している。この考えについては、容疑者個人の特有なものではなく、社会に広く流布しており、その社会のあり方から見直さないといけないという見解も多い。

 

神経筋疾患ネットワークという障害当事者グループによって書かれた非常に印象的な声明を引用する。

 

「今回の事件がなぜ起きたのかについて、TVや新聞、ネット等で様々な議論がなされています。その多くは、容疑者がいかに異常で残忍であるか、特殊な思想の持ち主であるかを語りあげています。しかし、今回の事件を彼の特殊性の問題として片付けてしまう態度にこそ、この事件の本質があるのではないでしょうか。

 

そもそも、彼の言う「障害者はいなくなれば良い」という思想は、今の社会で、想像もできない荒唐無稽なものになり得ているでしょうか。現実には、胎児に障害があるとわかったら中絶を選ぶ率が90パーセントを超える社会です。障害があることが理由で、学校や会社やお店や公共交通機関など、至る場所で存在することを拒まれる社会です。重度の障害をもてば、尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬことだけを許可する法律が作られようとしている社会です。

 

そんな社会の中で生きる彼が、「障害者はいなくなれば良い」という差別思想に陥ったのは、ある意味、不思議ではありません。彼のやったことは、まったく肯定できるところがありませんが、彼の思想を特殊だと切り捨てている限り、同じことが起こり続けるのではないでしょうか。

 

このような事件を二度と起こさない方法は、彼を異常者と認定して納得するのではなく、「障害者はいなくなれば良い」という思想が本当に荒唐無稽に思える社会を創ることのみです。そのためには、障害者が生まれてくることも地域社会で当たり前に暮らすことも阻害されない社会を実現させることが、本当の問題解決ではないでしょうか。」(「相模原市障害者殺傷事件への声明文」2016年7月29日神経筋疾患ネットワーク)

 

障害者問題(あるいは障害者をとりまく社会の問題)に慣れてない人にはひょっとしたらわかりにく文章かもしれない。

 

おりしも、殺傷事件の少し前、新聞紙上で、「新出生前診断3万人超す 染色体異常の9割中絶」という報道があった(2016年7月19日日本経済新聞など)。つまり、胎児の段階で染色体異常(障害)が見つかったら、ほとんど(報道では94%)がその命を途絶えさせてしまうわけである。端的に言いすぎるのはよくないのだけど、「障害者は生まれてこないほうがいい」ということではないだろうか。

 

重度の障害があって生まれた子どもで、普通校に行ってみんなと学べる子はどのくらいいるだろうか。障害があって、特別の教育を受ける必要があるから特別支援学校にいくのは仕方ないことだろうか。その裏には、障害のある子がきたらとても手が回らないという普通校の先生たちの事情や、うちの子の足をひっぱらないでほしいという他の親の気持ちもあるのではなかろうか。

 

障害をもった人が普通に暮らせる住宅はどれくらいあるだろうか。なんとなく、お断りしたいという大家さんや近所さんは多いのではないだろうか。

 

街のレストランやお店は、普通に障害のある人を受け入れているだろうか。車いすの人が入れるお店が、この社会の何パーセントくらいあるか、想像してみてほしい。障害のある人と障害のない人が一緒に入れるお店なんて、今のところ、この社会では限られた数しかないのだ。

 

あげくには、介護を受けて暮らしたり、医療機器を利用して生きることは社会にとってムダであり、みにくいことだとして、そうなる前の医療のストップ(=尊厳死)を合法化する尊厳死法案が何度も上程されようとしている国である。

 

つまり、生まれる前から、死にいたるまで、障害者のまわりには、「いないほうがいい」というメッセージがいたるところにある社会なのだ。その社会のあり方こそ、まずは問われるべきでないだろうか。【次ページにつづく】

 

 

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vol.214 特集:資源

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