2016.08.09

亡くなられた方々は、なぜ地域社会で生きることができなかったのか?――相模原障害者殺傷事件における社会の責任と課題

渡邉琢 介護コーディネーター

福祉 #障害者福祉#相模原障害者殺傷事件

「勤君は、母親によって殺されたのではない。地域の人々によって、養護学校によって、路線バスの労働者によって、あらゆる分野のマスコミによって、権力によって殺されていったのである。」(横田1979:24)

はじめに

事件から二週間近くが経過した。事件についてはすでに多くの方々、あるいは団体が、意見や声明を発表している(注1)。報道では、容疑者がなぜ犯行に及んだのか、どんな人物だったのか、あるいはその責任能力はどうなのか、などに関心が高まっているが、ここでは容疑者個人の責任という側面はいったん脇におき、この事件を生む背景となった「社会の責任」、あるいはそこから浮かび上がる「社会の課題」ということを考えてみたい。

 

(注1)事件についての、各種団体の声明や報道記事等の情報は、次の立岩真也氏のページにある程度まとまっている。http://www.arsvi.com/2010/20160726ts.htm

もちろん、それによって容疑者の罪が免責されうるという話をしたいわけではない。彼自身は「障害者はいなくなればいい」と思い、今回の凶行に及んだわけだが、そういう考えをいだくことと、それを自分の手で実際に実行に移すとの間には大きな溝がある。

けれども、「障害者はいなくなればいい」という考えから自分は無縁であるとどれほどの人が言い切れるだろうか。「障害者はいなくなればいい」と思う人が多いから、地域社会から離れたところに、「入所施設」なるものができるのでないだろうか。障害者と共にありたいと多くの人が願うならば、障害者は施設で暮らす必要はなく、地域で暮らし続けるだろう、あなたの身近には常に障害者がいるだろう。

現状は違う。いたるところで、この社会には障害者を排除する論理が働いているのだ。その排除の論理が極端なかたちで顕在化したのが今回の事件でないだろうか。だから、この社会の一員である人々すべてが自分たちの足元を検証する必要があるのだと思う。そういう意味で、この事件に関する「社会の責任」や「社会の課題」を考えていきたい。

自己紹介――地域自立生活運動の随伴者として

まず、自分がどのような立場や経験から、意見を述べるかについて記したい。以下で述べることは、自分の日々の実践と結びついているからである。

今、ぼくは障害者の地域自立生活を支える介護コーディネーターを主な仕事としている。施設というのが、地域(在宅)で暮らすことが難しくなった障害者が施設職員の管理のもとで集合的に暮らすところだとしたら、地域自立生活というのは、障害者が地域の普通のアパートやマンションなどの自分の住居で、必要に応じて介助者などを入れつつ、自分なりのスタイルで暮らすところだ。

施設での暮らしは、その立地とかにもよりけりだが、地域社会との接点がきわめて限られている。たまに家族やボランティアが来るだけだろうか。外出も一年に1回~数回の人が多いだろう。一ヶ月に一度も施設の外に出ない人の方が多いと思う。

それに対して、地域生活は、毎日が地域社会との交流である。道をぶらぶら歩き人とすれ違うこと、スーパーやコンビニで買い物すること、電車やバスに乗ること。それらすべてが地域社会との接点だ。そうした地域自立生活を推進し、あるいは維持していくのがぼくの仕事だ。

そんな生活が送れるのは、ある程度できる障害者だけでないか、と思う人も多いかもしれない。そんなことはない。

今回の事件は、重度の障害者が入所していた、と伝えられている。障害支援区分6(最も重たい区分)の人が大半だったと。けれども、今ぼくの目の前で暮らしている方々も、区分6の方が大半である。

ぼくの所属する団体の設立の経緯からして自立生活している人は身体障害の人が多いわけだけど、別にみんなばりばりいろんなことができるというわけでもない。言語障害がとても重く、意思疎通に慣れるまで相当時間がかかる方々も多い。

身体障害の人は指示さえ出せれば自分で自分のことが決められるでしょ、でも、知的障害の人はそれができないから自立生活は難しいよ、という意見もある。

けれども、今、ぼくの目の前では、知的障害のある方々も自立生活をはじめている。身体と知的の重複障害の方もおられる。強度行動障害のある方も介助者を入れて、地域自立生活を送っている。

これまで施設に入っていたが、地域で暮らしたいという強い思いから一人暮らしをはじめる人もいれば、親元にいたけど、親にも限界がきて施設に入れられそうになり、それをなんとか避けるために自立生活をはじめた人もいる。そうした人々が、ぼくの目の前のリアリティだ。

もちろん、重度の障害者が地域で暮らせるようになりつつある状況というのは、一朝一夕でできあがったものではない。施設でなく、地域で普通にさまなざな人々と交わりつつ暮らしたい、そういう運動が40年以上前から起きて、少しずつ今の状況がつくられてきたわけだ(注2)。

 

(注2)障害者が施設でなく、地域で自立して生きていくための介護保障確立の歴史については、拙著(渡邉:2011)の第3章、第4章の「障害者介護保障運動史―そのラフスケッチ①、②」が分かりやすい。

知的障害者の地域自立生活は身体障害者のそれよりは少し遅れている。けれども、どんな重い身体障害の人だって、どんな重い知的障害の人だって、地域で生きていくことができる、そんな実践が広まりつつあるのだ(注3)。その実践の一端を担っているのがぼくの仕事だ。

(注3)知的障害者が入所施設でなく地域で暮らしていくためのノウハウを描いた本として、(ピープルファースト東久留米:2010)

障害者は施設で暮らすのがあたり前か?

残念ながら、今の世の中の現状は、障害者が上記の様に、施設でなく地域で暮らしていける、ということがほとんど知られていない。あまりに多くの人が、重度の障害があったら施設で暮らすのは仕方ない、と思い、そこになんの疑問も抱かない。

しかし、少なくとも、日本が批准している国連の条約や、国内法等では次のように言われているのだ。

どんな障害がある人でも、地域社会から分け隔てられることなく、人としての尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有し、どこで誰と暮らすかについて選択の機会が保障され、社会、経済、文化、その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されねばならない、と(注4)。

(注4)障害者権利条約や障害者基本法といってピンとこない方は、ぜひ、その条文を自分の目で確認してほしい。それは単なる建前としての理念ではない。具体化されるべき権利である。

障害者権利条約:

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

障害者基本法:

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO084.html

この日本社会では、今でも重度障害者の施設入所があたり前のように思われているが、だがその際、入所される方の権利、つまり地域社会から分け隔てられることなく、人としての尊厳にふさわしい生活を保障される権利が奪われるかもしれないと、どのくらいの人が気づいているだろうか。

他にいくところがなく、地域から追い出されるように施設に入所している人に対して、どこで誰と暮らすかについて選択の機会が保障されている、とだれが言えるだろうか。また外出する機会が一年に一回か、せいぜい数回しかないような施設入所者に対して、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されている、とどの口が言えるだろうか。

少なくとも条文の理念からいえば、障害者が施設で暮らすことを自明視してはいけないはずだ。

それなのに、一般の社会通念において、あるいは障害福祉関係者の間でも、入所施設は重度障害者にとっての居場所だという通念はいまだ抜き差しならないもののように思う。

中軽度の障害者は地域で生きることができるかもしれないが、重度の人、あるいは知的障害や重複障害のある人は難しいのではないか、そう一般の人は思うかもしれない。けれども、実は、そんなに重くない人も施設に入所している。他方、通常の施設では受け入れられないような最重度の障害のある人が地域で暮らしていたりもする。重度だから施設にいくしかない、というのは神話である。

なにが、地域か施設かの間で違いをつくっているかというと、まわりの環境である。まわりがこの人には施設しかないと思えば施設で暮らすことになる。本人やまわりの全体が地域で暮らし続けようと思うのなら、地域で暮らすことが可能である。施設に入っている多くの人は、まわりが施設しかムリ、と思い込んでいるケースが多いように思う。

行政職員や障害福祉関係者の間でも、「入所施設は重度障害者にとっての居場所」という通念に疑いを入れる人はあまりいない。障害者支援の現場では、重度の障害者に対しては、家族介護がムリになると、地域生活の可能性に言及することなく、ショートステイからの施設入所を勧めるケースワークが横行している。

地域で自立して暮らすことが可能だとは、本人も家族も知らないことが多い。ある意味で致し方ない。でも、だとしたら、行政やまわりの支援者がそれは可能だと本人や家族に伝えていくしかないわけだが、まったく不十分である。

なぜ、家族や本人が施設入所を選ぶのか。それしかないと思わせているまわりの責任も大きいのでないだろうか。

「障害者がいなくなればいい」という発言に対する社会の責任

今回の「障害者はいなくなればいい」という容疑者の言説には、言うまでもなく多くの障害者団体が厳しく抗議している。この考えについては、容疑者個人の特有なものではなく、社会に広く流布しており、その社会のあり方から見直さないといけないという見解も多い。

神経筋疾患ネットワークという障害当事者グループによって書かれた非常に印象的な声明を引用する。

「今回の事件がなぜ起きたのかについて、TVや新聞、ネット等で様々な議論がなされています。その多くは、容疑者がいかに異常で残忍であるか、特殊な思想の持ち主であるかを語りあげています。しかし、今回の事件を彼の特殊性の問題として片付けてしまう態度にこそ、この事件の本質があるのではないでしょうか。

 

そもそも、彼の言う「障害者はいなくなれば良い」という思想は、今の社会で、想像もできない荒唐無稽なものになり得ているでしょうか。現実には、胎児に障害があるとわかったら中絶を選ぶ率が90パーセントを超える社会です。障害があることが理由で、学校や会社やお店や公共交通機関など、至る場所で存在することを拒まれる社会です。重度の障害をもてば、尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬことだけを許可する法律が作られようとしている社会です。

 

そんな社会の中で生きる彼が、「障害者はいなくなれば良い」という差別思想に陥ったのは、ある意味、不思議ではありません。彼のやったことは、まったく肯定できるところがありませんが、彼の思想を特殊だと切り捨てている限り、同じことが起こり続けるのではないでしょうか。

 

このような事件を二度と起こさない方法は、彼を異常者と認定して納得するのではなく、「障害者はいなくなれば良い」という思想が本当に荒唐無稽に思える社会を創ることのみです。そのためには、障害者が生まれてくることも地域社会で当たり前に暮らすことも阻害されない社会を実現させることが、本当の問題解決ではないでしょうか。」(「相模原市障害者殺傷事件への声明文」2016年7月29日神経筋疾患ネットワーク)

障害者問題(あるいは障害者をとりまく社会の問題)に慣れてない人にはひょっとしたらわかりにく文章かもしれない。

おりしも、殺傷事件の少し前、新聞紙上で、「新出生前診断3万人超す 染色体異常の9割中絶」という報道があった(2016年7月19日日本経済新聞など)。つまり、胎児の段階で染色体異常(障害)が見つかったら、ほとんど(報道では94%)がその命を途絶えさせてしまうわけである。端的に言いすぎるのはよくないのだけど、「障害者は生まれてこないほうがいい」ということではないだろうか。

重度の障害があって生まれた子どもで、普通校に行ってみんなと学べる子はどのくらいいるだろうか。障害があって、特別の教育を受ける必要があるから特別支援学校にいくのは仕方ないことだろうか。その裏には、障害のある子がきたらとても手が回らないという普通校の先生たちの事情や、うちの子の足をひっぱらないでほしいという他の親の気持ちもあるのではなかろうか。

障害をもった人が普通に暮らせる住宅はどれくらいあるだろうか。なんとなく、お断りしたいという大家さんや近所さんは多いのではないだろうか。

街のレストランやお店は、普通に障害のある人を受け入れているだろうか。車いすの人が入れるお店が、この社会の何パーセントくらいあるか、想像してみてほしい。障害のある人と障害のない人が一緒に入れるお店なんて、今のところ、この社会では限られた数しかないのだ。

あげくには、介護を受けて暮らしたり、医療機器を利用して生きることは社会にとってムダであり、みにくいことだとして、そうなる前の医療のストップ(=尊厳死)を合法化する尊厳死法案が何度も上程されようとしている国である。

つまり、生まれる前から、死にいたるまで、障害者のまわりには、「いないほうがいい」というメッセージがいたるところにある社会なのだ。その社会のあり方こそ、まずは問われるべきでないだろうか。

なぜ施設入所者が狙われたか

容疑者は、今回のターゲットを、明確に施設入所者に定めていた。また特に意思疎通できない者を狙ったともいわれている。

「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。」(容疑者の手紙より)

言いぶりはひどいと思う。こうした言説に対して、意思疎通できないのではなく、本人がとろうとしないだけ、その感性がなかった、などの識者のコメントもある。そして、どのような命も、精いっぱい生きようとしていて尊い、というコメントも多い。それは否定しようもないが、それだけを言ってもこの事件の本質は見えてこないのではないか。

まず、なぜ、施設入所者は、施設で暮らさざるをえなかったのか。言葉は悪いが、地域社会から見捨てられたからではないだろうか。地域社会が受け止めてくれるのなら、なにも住み慣れた地域を離れて、不自由な集団生活がまっている施設に入ることはない。

障害があるせいで、住み慣れた地域から離れざるをえない、地域の人々とのつながりも断たれる、そして自分の好みやライフスタイルを押し殺して施設の集団生活になじんでいくしかない、施設のルールを守れないと職員から厳しく叱責される、そうした過程で、人は、人としての固有の尊厳をどれほど奪われていくだろうか。

時には、家族、親族から厄介者扱いされ、入所する人も多い。「保護者が絶縁状態」という容疑者の言葉にさほど嘘はないと思う。家族、親族も、最初から好きこのんで障害者を厄介者扱いするわけではないだろう。隣近所の目、そして介護の負担、そうしたものをカバーしてくる支援がなかったからこそ、厄介者扱いせざるをえなかったのではないだろうか(注5)。

 

(注5)昨年のNHKドキュメンタリーのETV特集「それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦障害者虐殺70年目の真実」の締めに流されたある女性の言葉が印象深い。その女性の叔母(父の妹)は、10代のとき、てんかんの障害があるという理由で、病院内のガス室で殺されたらしい。でも父はその後、殺された妹のことは一切しゃべらなかった。叔母は存在しないものとされていた。そのことについてその女性は「叔母が殺されたことは私にとってとても悲しいことです。でも私が本当に悲しいのは叔母の死ではなく、家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです」と述べる。社会からの視線がこわいとき、家族ですら、障害者を差別し、いなかったものとして扱うことがあるのだ。この女性は、叔母さんの死そのものよりも、叔母さんが社会からいなかったものとされるその存在の忘却をこそもっとも悲しんだのだ。

ぼくは、今回の事件は、障害者全般が狙われたというよりも、社会からの支援が受けられず地域社会で暮らし続けることができなくなり、そして社会からのつながりを断たれ、施設でただ生きるしかなくなったとみなされた障害者の命が狙われたのだと思う。

もちろん、どんな状態の命だって、奪われていいわけがない。そして、施設に入所されている方々が、ただ生きているだけとは思っていない。けれども、社会からの差別と排除のはてに施設に入り、多くの尊厳が奪われている命が、容疑者の目には社会にとってのムダと映った。そういう思考の道筋は、容疑者固有のロジックではなく、現在の社会のあり方、あるいは人々の障害者に対する意識によってつくられているのではないだろうか。

被害者の名前

今回の事件で、最初に報道を聞いたときももちろんショックだったが、二日目の朝、「被害者、実名報道されず」との記事を見たとき、なにかもっとショックを感じた。言葉が適切かどうかはわからないが、「障害者は死においても差別されるのか」と、とても辛い気持ちになった。

事件から一週間ほどたったころから、ようやく怪我をおった入所者の家族が実名で取材にこたえたり、あるいは亡くなられた被害者の遺族の方が匿名で出たりで、どのような方々が事件の被害にあわれたか、その一端が見えてきたが、基本はやはりブラックボックスのままである。

通常の事件ならば、被害者の名前が出てきて、その人となりがしのばれる。もちろん実名がすべていいというわけではない。けれども、今回実名公表できない理由はなにか。

警察が配慮したとか家族が要望したとか報道されているが、より本質的には、施設が、地域社会では生きることができずそこから排除された人たちを受け入れている場所であり、社会からタブー視されている場所だからだろう。名前の公表すらはばかれるということは、入所者は社会から忘却されるべき存在と見なされていたということでないだろうか。

事件から一週間ほどしたある新聞記事で、亡くなられた被害者の遺族の方が匿名でインタビューを受けておられた。亡くなられたのは60歳の脳性マヒの女性。その女性の弟がインタビューに答えていた。

「男性一家はかつて、親戚とともに出身地の関西に住んでいた。「障害のある子がいることで(親戚の)縁談に影響が出るのでは」。長女が10代のころ、神奈川県に住まいを移した。施設を探し、長女が園に入って30年以上。」(2016年8月2日朝日新聞)

これだけではほんとに一端しかわからないけど、家族全体が、身内に障害のある子がいるということで、差別され、住居を移転せざるをえなかった。長女の施設入所の理由までは書いてないが、地域なり、親族なりに差別のまなざしがあったことは十分にうかがわせる。

実名報道については、弟は次のようにも苦悶されている。

「『実名を出した方がいいだろうか。自分は姉の60年の人生を否定しているのか』。家族とも相談した。『自分勝手かもしれませんが、取材を受けるたびに姉のことを話さなければならないと思うと、感情が高ぶって耐えられない』と話した。」(同)

これだけの文章から勝手な推測はいけないけど、姉の実名を出すことで、家族は何をしていたんだということも問われてくるような、その辛さ、いらだちが伝わってくる。けれども、社会がそれを問いただすとしたら、まったくお門違いだろう。なぜ、家族全体が引っ越しせざるをえなかったか、なぜ姉が30年以上施設に入らざるをえなかったか、それは決して家族だけの問題でなく、社会のあり方そのものの問題のはずだ。

施設入所者の尊厳

事件がセンセーショナルなものだけあって、その直後に出た各団体の声明文は、「わたしたちが全力であなたを守ります」「優生思想に断固抗議する」というようなわりと硬質なものだった。その中で、ふと目に留まり、心にじーんと沁みた記事があった。

 

「津久井やまゆり園での大量殺人事件には、強い怒りと深い悲しみを感じる。現在、多くの報道が特に容疑者に関して行われている。加害者のことを含め、なぜこのような残虐な行為が行われてしまったのか、私は知りたい。

 

同時に、暴力的に命を奪われてしまった被害者の方たちのことも、もっと知りたいと思う。生前お一人お一人、何を楽しんでいた方たちだったのだろう。何に取り組んでおられただろうか。

 

被害者には「障害者」という共通項はあるだろう。しかし、障害者である前に、どなたも障害者でない人と同じように、喜怒哀楽のある人生をそれぞれ送られていたに違いない。

被害者個人個人の姿、人となりを知ることで、私たちはこの悲惨極まりない事件からより深く、くみ取ることができるのではないだろうか。命の大切さを、一層痛切に学べるのではないか。」(2016年7月28日神奈川新聞 長瀬修氏(立命館大学)寄稿)

匿名報道という中でも、被害にあわれた一人一人がどのような方々であったか、なにが好きで、なにに取り組んでいたか、そうしたことに思いをはせること、それが今、一番大事なことなのではないか。という趣旨だと思う。

ぼくも本当に、そのことこそ、今大事なのだと思う。一人一人がどういう思いで、どう生きてきたかに思いをめぐらすこと。

先ほどは、いろんな尊厳を奪われつつ施設に入所したのではないか、と書いた。けれども、どんなにいろいろ奪われても、そこに生きる存在は尊く、そしていくらかでも楽しみ、悲しみ等の喜怒哀楽がある。その存在の尊さをまずは認めること。

そしてその上で、もし人生の様々な段階でその固有の尊厳が少しずつ奪われていたとしたら、それをどう回復できるか、それを考えること。たとえもう亡くなっていたとしても、被害にあわれた方々の人生の尊厳がいかに回復できるか、それを考えていくこと。

そうした、追悼、ふりかえりこそ、大事なのだと思う。

正直、言うと、亡くなってから追悼していては、遅いのである。亡くなる前になぜより多くの人とつながれなかったのか。より多くの人とのつながりがあったら、今回の事件には至らなかったかもしれない。なぜそれ以前につながれなかったのか。それまで社会の人々は何をしていたのか。

これからの社会の課題(1)

「障害者はいないほうがいい」という社会全体の差別意識のはてに、入所施設があり、そこでは少なくとも入所者の社会的存在は忘却され、その忘却された命に対して、社会のムダであるとのまなざしが向けられ、今回の凶行が行われたのではないか、ということを述べてきた。

どんな命であっても尊いという価値観を踏みにじり、実際に大量殺人を実行した点で、容疑者の責任はきわめて重い。

他方で、なぜ、重度の障害をもつ人たちを社会的に忘却された存在としたのか、ムダであるとみなされるような存在にしたのか、その点については、社会の一人一人の責任がきわめて大きいと思う。

私たちは、「障害者はいないほうがいい」という差別意識の連鎖の中に生きている。胎児として身ごもられ、誕生し、赤ちゃんとして育ち、小中高を経て、社会人となり、そして老後、死を迎える、その全過程で、「障害者はいないほうがいい」というメッセージがいたるところで発動しているのだと思う。

くしくも、今年2016年4月より、障害者差別解消法が施行された。社会のあらゆる領域で、障害者への差別をなくしていこうとする法律だ。つまり、社会、経済、文化、あらゆる領域で、「障害者はいないほうがいい」なんて言われないための法律だ。

自分の職場、自分の子どもが通う学校、自分のよくいくお店などで、「障害者はいないほうがいい」みたいなメッセージが出てないか、常に点検することが大事だ。

そして、共にあるためには、しばしば、社会的な支援も必要だ。バリアフリーの整備だってそうだし、介助等の人的支援も必要だ。その方策や支援の実施は、すべての人が平等に生きるための社会の義務である。そのためにはお金もかかる。だけど、それは、社会の一人一人がもれなく尊厳もって社会の構成員となるための費用だ。高いわけがない。

すでに入所施設に入られている方々と関わりをつくっていくことの大事さも述べたい。

今、知的障害者の施設には11万人が入所。精神病院には30万人もの人々が入院されている。その人たちと、亡くなる前につながること、関係をもつこと、それが今、社会の課題としてとても大事だと思う。

今回の報道でも、施設労働者の過酷な労働実態についての報告はあったと思うが、施設に入所している障害者一人一人の声を拾い上げようとしている報道は皆無だった。だれが狙われたのか。施設に入所している、無力化された障害者たちである。その人たちとつながりをもとうとするメディアはどれくらいあったろうか。皆無だろう。

(メディアの方々には、施設長や職員たちではなく、入所している当事者の声、あるいはその生活の実態を拾うよう努力してみていただきたい。そうしたら、おそらく、「あんな事件が起きたから(表に出しにくい)」とか「家族の意向もあるので」と様々な抵抗にあう。そのときはじめて、どんな差別的環境の中で入所者たちが生きているか、気づくだろう。なお、くれぐれも、入所者は重度の人たちだから発する声などない、と思わないでほしい。)

知的障害者の入所施設や精神病院は、その内部に踏み込むには、きわめてハードルが高い。おそらく今回の事件で、施設の安全性強化とか措置入院の見直しとか、とにかく施設や病院の閉鎖性を高めている方向で社会が進んでいくおそれがあるので(注7)、ますますハードルは高くなっていくかもしれない。けれども、それでも施設や病院に入っている当事者たちとつながっていくこと。まずはそこからスタートだろう。途方もなく困難な課題である。

(注7)そうした隔離、閉鎖性の強化は、この社会を「障害者のいない社会」にしてしまうおそれがあるので、そうではなくインクルーシブ社会への転換こそ必要と主張する声明として、DPI日本会議「相模原市障害者大量殺傷事件に対する意見」(2016年8月2日)

それができずに、今回亡くなられた方についてのみ追悼するのは欺瞞だと思う。すでにもろもろの尊厳を奪われてきた方々の命がそこにはある。もはやだれしも面会者のいない方だってたくさんおられる。社会的に忘却されつつ、生存している方がおられる。亡くなる前に、その忘却から救い出し、その尊厳をいくらかでも回復していくために、地域社会の人々のやる課題はたくさんある。

これからの社会の課題(2)――どんな障害のある人でも、地域社会で暮らしていくために

最後に、具体的に障害者が施設ではなく地域で自立して生活していくための課題を挙げておく。

DPI日本会議という障害当事者のNGOで、反優生思想、地域自立生活推進の立場から、数々の政策提言を行っている団体は、「今回の事件を受けてなすべきこと」として、「施設からの完全な地域移行計画と地域生活支援の飛躍的拡充を」と提言の一つでうたっている。

「今回の事件の背景に、とりわけ重度の知的障害のある人、重複障害のある人、高齢の障害のある人の地域移行が遅々として進んでいない状況があるのではないか。事件に遭われた施設の管理体制を直接批判するものではないが、今後の在り方として入所施設ではなく、地域での生活を基本に進めていくべきである。

 

国も「施設からの地域移行」を掲げて 10 年余り経つが、今回の事態をきちんと受け止めて抜本的な地域移行策を打ち出すべきである。施設や病院に誰も取り残されることなく完全な地域移行が可能となるような計画と、どんな重度の障害があっても地域で暮らせるように重度訪問介護などの地域生活支援を飛躍的に拡充して頂きたい。」(「相模原市障害者大量殺傷事件に対する意見2016年8月2日」)

実のところ、国はすでに「施設からの地域移行」という目標を10年余り前から掲げている。施設からの地域移行の数値目標や、施設入所者数の削減も数値目標として定めている。国の意向を受けて、各自治体でも数値目標を定めており、いくらかは進展している部分もあるが、なかなか進んでいないのが現状だ。

地域移行する人がいても、施設入所の待機者がいるため、全体数はなかなか減らない。自治体ごとのばらつきもある。ぼくの住む京都市では、障害福祉計画における施設からの「地域移行」の目標値も実績値も、現在のところ(第4期京都市障害福祉計画(平成27年3月))、国の定める目標よりも半分くらいしかない。そして、施設の待機者が多いから、という理由で、本来定めるべき施設入所者数削減の目標値すら、設定していない(注8)。

(注8)平成19年3月に策定された第1期京都市障害福祉計画では、国目標とほぼ同程度の地域移行および施設入所者数削減の目標値であったが、その後、次第に目標値は低下していき、途中から施設入所者数削減の目標値の記載をなくした。

施設入所の待機者が多いから、施設入所者数を減らすことができない、と行政はいう。しかし、大事なのは、なぜ施設入所を選ぶのか、その理由を探ることだろう。

理由は多くは、地域での支援があると考えることなく、施設しかないと思っているからだろう。家族としても好んで施設に入れたいと思っているわけではない。でも、これまでだれも助けてくれず、高齢になるまで精いっぱいやってきた。ここまでやってきたんだから、あとはもう施設ね、となることも多いだろう。

最近でも、何十年も障害のある子を介護してきた親(70代)が、子(40代)を殺してしまう、という事件が起きている。なぜ、ここまで抱え込ませてきたのか。そこを振り返らずに、家族が倒れたら施設へ、という話にはすべきでないはずだ。

今でも、高齢になりつつも社会の支援を受けずに障害のある子(といっても大人)を養っている家庭もあるだろう。そこにどう社会が手を差し伸べていけるか。地域生活の支援を充実させ、どう施設入所待機者を減らしていくことができるか、つまり障害者が施設にいかなくてもすむような社会をどうつくっていくかを考えていかないといけない。

また、先にも述べたが、知的障害者に関していえば施設入所者11万人、精神障害者の精神病院入院者30万人。この方々が、これからどう地域に移行していくか。途方もない課題とも思える。一人一人、丁寧につきあいながら地域移行を進めていくほかないわけだが、社会全体がそれを応援する雰囲気をつくっていくことがとても大事である。

地域での介護保障等ももっと整備されていかないといけない。先の提言にあるように「「重度訪問介護」などの地域生活資源を飛躍的に拡充」する必要がある。(重度訪問介護というのは、重度の障害があり、いつも人がそばにいないといけない人のための、長時間介護保障制度。24時間介護の支給が認められることもある。)

現行では、身体障害者の24時間介護保障は多くの自治体で認められつつあるし、また知的障害者の24時間介護保障も少しずつ、認められるようになってきている。特に、知的障害や重複障害のある人たちの地域自立生活は「支援付きの自立生活supported independent living」とも呼ばれる。障害が重く、意思の表明がいくらか難しいとしても地域で生きる権利を奪われないためには、こうした概念が広まっていくことも大事である(注9)。

(注9)困難とみられていた重度の知的障害、自閉症の人たちがどのように地域自立生活(支援付きの自立生活)を営んでいるかについては、寺本他:2015を参照にしてほしい。

 

現状ではまだまだ24時間介護を利用して地域で自立生活するには、それなりの力のある団体と結びつかないと難しいところはある。そして、どの団体も現状でもアップアップである。けれども、一歩一歩粘り強く進めば、どんな人でも地域自立生活ができる地盤は形成されつつあるのだ。

私たちにどれだけのことができるか。障害のある人とない人が共にある社会をつくるには、差別や優生思想などが許されないような社会環境をつくっていき、また地域自立生活を進めていく方向での社会全体あげての取り組み、支援が不可欠である。ほんとうに途方もない課題であるが、そうしたことを地道に一つ一つやっていくことが、今回亡くなられた方への本当の追悼になるのだと思う。

【参考文献】

寺本晃久、岡部耕典、末永弘、岩橋誠治2015『ズレてる支援! 知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』生活書院

ピープルファースト東久留米2010『知的障害者が入所施設ではなく、地域で暮らすための本―当事者と支援者のためのマニュアル』(増補改訂版)生活書院

横田弘1979『障害者殺しの思想』JCA出版(2015(増補新装版)現代書館)

渡邉琢2011『介助者たちは、どう生きていくのか』生活書院

プロフィール

渡邉琢介護コーディネーター

日本自立生活センター事務局員、NPO法人日本自立生活センター自立支援事業所介護コーディネーター、ピープルファースト京都支援者。著書に『介助者たちは、どう生きていくのか——障害者の地域自立生活と介助という営み』(生活書院)など。

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