枠組み外しの旅 ―― 「個性化」が変える福祉社会 

社会を変える前に自分を変える

 

今回上梓した『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』は、著者であるぼくにとっても「予想外」の内容となった。ぼくはこれまで、福祉現場からのソーシャル・アクションに関する研究や実践に関わり続けていたので、その原理と方法論を示したい、と元々考えていた。だが、書き進める中で、「社会を変えたい」というスタンスの中に含まれている誤謬や矛盾に気づいてしまった。社会の「枠組み」を変えようと志すならば、まずはその前に、自分自身の変容という「個性化」が必要不可欠なのである。

 

社会を変える前に自分を変える。

 

この言葉が陳腐なフレーズに聞こえるなら、それはあくまでも「他人事」だからである。これを「自分事」として受け止めるならば、このフレーズはとてつもない重さを持って響いてくる。

 

 

「反-対話」の構造

 

私たちが何気なく口にする「○○が悪い」という表現。これは、まじめに考えてみると、「そう評価・査定する私は悪くない」という査定者の無謬性が潜んでいる。こういう他者への責任の転嫁は「他責的」である。しかも、自分を無意識に大所高所に置き、その高見から相手を糾弾する、という意味で、「反-対話」的な関係である。さらに言えば、「反-対話」的な関係性の中から、その関係性そのものを変容させる論理は出てこない。言うまでもなく、相手との「対話」が出来ていないのだから、いくら相手を説得する論理を美しく仕上げても、相手の納得を導けるはずがない。

その場合、強制代執行や強制排除、あるいは火炎瓶や棍棒を持っての抵抗……などの暴力闘争になりやすい。安保闘争にはじまり、米軍基地問題や原発問題にしても、その賛成と反対の両者が「対話」することなく、お互いを他責的になじっている限り、いつまで経っても泥仕合であり、問題がこじれたまま、放置される。むしろ、その放置された事態を「どうせ」「しかたない」と諦めている「無関心層」も少なくない。

 

だが、本当に何かを変えたいと願うなら、まずはこの「どうせ」「しかたない」の壁を越える必要がある。無理だ、できっこない、と決めつけている人とも対話をしなければならない。そうなると、「○○が悪い」という「他責的」な立ち位置こそ、もっとも対話を阻害する要因となる。自分は相手と意見を異にしている。それは事実であっても、だから「相手が悪い」とあからさまに決めつけても、何も事態は変わらない。これは、大学という現場で教育をしていても、ひしひしと感じる事実である。

 

たとえば授業中におしゃべりをしたり、寝ていたり、携帯に夢中だったりする学生がいるとしよう。その際、教員が一番取りやすい反応であり、一見すると最も効果的に思える方法は、「ちゃんと授業を聴かないと単位をあげないよ」と注意や恫喝、宣言をするやり方である。だが、これは教員がつまらない授業をしている、あるいは学生がわからない・とっつきにくい難しい表現を多用している……などの、教員の側の問題を免責した注意・恫喝・宣言ではないだろうか。

「授業に集中できないあなたが悪い」という「○○が悪い」の骨法は、教員自らの変容可能性に蓋をした上で、学生の変容のみを強いる、という意味で、権力関係的であり、かつ「反-対話」的、である。相手が寝たりおしゃべりしたり携帯に夢中である、という形で表現しようとしている、授業に対する(無意識の)抗議や反論等のSOSサインやボディ・ランゲージを無視した振る舞いである。こういう無意識的・非音声言語を無視する教師は、「学ぶ先達」の資格がない。なぜなら、「学び」とは、「自分には知らないことがあることを知る」ことからしか始まらないからである。

 

 

「枠組み外し」とは何か

 

あなたが書いた本は「福祉社会」の本らしいのに、どうしてそんな対話とか学びの話をしているの? そんな疑問も聞こえてきそうだが、実はちゃんとつながっている。教育と福祉の現場は、「支援」関係が簡単に「支配」関係にすり替わりやすい、という「権力と情報の非対称性」の共通点を抱えている。ぼく自身は入所施設や精神科病院への「社会的入院・入所」問題を研究してきたが、他国より多すぎる施設や病院構造の問題を分析する中で、この「支援」関係が「支配」関係にすり替わる、という問題をずっと考え続けてきた。

そして、自らの大学教員としての実践に重ね合わせた時、教育を受ける学生や支援が必要な社会的弱者の側ではなく、教員や支援者の側こそ、まず自らの常識や支配的な考えを再考しなければならない、と気づいた。他者を変えたい、と思うなら、その前に、まず自らの「あるべき姿」やその方法論こそ問い直さなければならないのではないか、自らの立ち位置の無謬性の限界に気づき、新たに学び直さなければならないのではないか、と気づいたのである。

 

この、自らの暗黙の前提を、メルロ=ポンティは「世界の定立」と整理し、それ自身をも眺める営みのことを現象学的還元と名付けている。だが、ぼく自身は、自らの考え方と人生観を基礎づけている枠組みそのものを疑い、問い直す意味を込めて、「枠組み外し」と名付けた。そして、何かおかしい、社会を変えたい、という問題意識をもつ人は、まずその疑いのまなざしを自らの枠組みにこそ向けなければならないのではないか、と気づき始めた。

 

自分自身の強固な常識という堅い岩盤を突き崩し、掘り下げ、その下に広がる(枠の外にある)普遍的な世界にアクセスしないと、他者との「対話的関係」は始まらない。「○○が悪い」「そう査定・評価する自分は悪くない」という自らの暗黙の前提を突き破り、その下にある、価値観や思想の異なる相手との共有できる何かを掘り下げない限り、対話的関係は始まらない。これは、世間の常識に対して徹底的に疑いのまなざし持つ、という意味で、「反社会的」であり、自己否定的に見える。だが、その先にしか、社会を変える論理にはたどり着かないのである。

 

 

 

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