2010.12.18
軍事的緊張に際しても平穏な韓国、そこで考える世論の政治的機能
あたかも開戦前夜であるかのように
去る11月末、韓国・ソウルを訪問した。来年に予定されている学会のパネル組織について、知り合いの研究者と打ち合わせをするためだった。
仁川に到着したのは11月28日正午だった。これに先立つ23日、北朝鮮から大延坪島へ砲撃が加えられ、軍人だけでなく民間人にも死者が出たことにより、南北関係には一気に緊張が高まっていた。28日は韓米軍事演習の開始日にあたり、この演習は南北関係をさらに刺激することが確実とされていた。
仁川空港が大延坪島からほど近いこともあり、率直にいって渡韓にあたり多少の不安があった。実際には、一時的に北から再攻撃の兆候ありとされ、島民に退避命令が出たものの、具体的な衝突が再発することはなかった。
仁川空港から市内へ向かうバスには、テレビがついていて、ニュースが流れている。ニュースはこの事件一色であり、砲撃事件とその後の経緯が報じられるとともに、北朝鮮のもつ兵器の威力を示す映像などが繰り返し流されていた。
テレビ、および主流派の新聞の報道だけをみていると、まるで南北は開戦前夜であるかのようであり、韓国人の大半がそれを大いに予測しまた危惧しているかのようにみえてしまう。
拍子抜けするほどの平穏
しかし市内に出てみると、状況は拍子抜けするほど平穏だった。さすがに延坪島への攻撃が起きた当日は軍事行動拡大への恐怖心が広まっていたようだが、数日中には収まったようだ。
週末には在郷軍人会など保守団体の主催による、強硬的対応を求めるデモがいくつかあった。しかしもともとデモの多いお国柄の韓国で、それ自体はさして特別なことではない。
知人たちに話しても、さらなる衝突の拡大を危惧する声はほとんど聞かれなかった。「日本の知人たちには、今ソウルに行かない方が良いんじゃないかといわれた」などと話すと、「外国人は南北関係の内実をよく知らないから極端な反応をしている」というような答えが多く返ってくる。
韓国と北朝鮮はいまだ休戦中であるが、普段それが意識されることはそう多くない。しかし、もともと学校教育やメディアの報道、あるいは国内の徴兵制などを通じ、たとえふだん意識しなくとも認知はせざるをえない。良い意味でも悪い意味でも、韓国人はこうした事態に広く「馴れて」いる。
他方、とりわけ若い世代は、南北が軍事衝突するということを現実的な可能性として想像できないということもあるだろう。また逆に、625(朝鮮戦争)の経験を踏まえれば、万が一開戦などといった事態になれば逃げ場などどこにもなく、憂慮しても仕方がないという諦念があることも事実だろう。
李明博現大統領に集まる批判
とはいえ当然ながら、これは南北関係に対する憂慮が存在しないということではない。ただ、憂慮の発露のされ方には、ふたつのタイプが存在している。
哨戒艇「天安」事件の際は、主にアメリカや韓国内の対北強硬論を批判する左派と、対北強硬姿勢をもつ右派の間で、ネット上などにみられる世論は二分していた。
しかし今回は、北に対する批判的な意見が大多数である。なかには、戦争を辞さないような威勢のよい意見も散見される。
李明博現大統領は「実用主義」を掲げ、これまで韓国の政治を二分してきた左右のイデオロギー対立そのものから距離を取りつつ、主に継続的経済発展という意味での「実用」を重視するとしてきた。
南北関係は、とりわけ民主化以後、イデオロギー対立の文字通り最大の議題となってきた。知識人のあいだでは、「李明博は南北関係に対してポリシーや哲学を何ももっていないため、何をするか予想がつかない」という危惧がしばしば聞かれた。
ネットなどで盛り上がる北朝鮮への敵意の高まりは、(多くが左派的な)韓国の知識人からすればネット世論の「保守化」ということになる。
実際、攻撃直後には大統領が「戦線の拡大防止を第一に行動せよ」という主旨の指示を出したと報じられたが、反撃の発砲数が少なかったことと併せ「弱腰」との批判を国内から浴び、大統領はのちにこの報道を否定せざるを得なくなった。
情報の自由化による内閉化
ここでひとつ問題なのは、国際的パワーゲームの舞台となっており、韓国がその主要なプレイヤーとならざるを得ない南北関係について、李明博大統領および現与党との距離感というかたちでしか、それが議題化され得ない状況があるように見受けられることである。
インターネットをはじめとする情報の世界的な流れの「自由化」が、逆説的に自国の内向きな文脈への「内閉化」をもたらしてもいることは、さまざまな国について多くの論者が指摘してきた。すべての議論が現政権の評価につなげて論じられている現在の状況は、韓国もその例外ではないことを示している。
李明博大統領は、就任直後から世論と無数の軋轢を起こしてきた。その多くは韓国の国内問題であり、世論がチェック機能を果たしてきた功績は無視することができない。しかしたとえば現在の南北関係は、中国やアメリカそれぞれの内部事情を加味した、複合的な認知図をもたなければ、把握することが難しい問題である。
世論が、単に「ノー」を突きつけたりするだけでなく、「情報の自由な流れ」を武器として、そうした認知図を集合知として練り上げていくことができるのだろうか。日本の政治状況とも決して無縁ではない、そうした問いを抱かされる韓国滞在だった。
推薦図書
政策決定過程に世論が影響力を及ぼしはじめること、それ自体がすなわち「民主化」を意味する訳ではない。この本は、「大衆志向」のエリートの煽動に、伝統的共同体を失って原子化した個人による大衆行動が呼応し、両者が結託することこそ「全体主義」であると定義した古典である。メディア論などで「すでに乗り越えられた」とする議論も多いが、現在の東アジアにおける世論と政治の関係を考える際、そうした議論の大半よりよほど現代的な視点を提供してくれる。
プロフィール
高原基彰
1976年生。東京工科大学非常勤講師、国際大学GLOCOM客員研究員。東京大学院博士課程単位取得退学。日韓中の開発体制の変容とグローバリゼーションにともなう社会変動を研究。著書に『現代日本の転機』(NHKブックス)、『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)、共著書に『自由への問い6 労働』(岩波書店)など。