誰にでも出番がある社会を実現するために  

私は料理を作るのが好きで、自宅に友人を招いてホームパーティーを開くことがあります。このとき調理を手伝ってくれようとする人も多いのですが、たいていの場合、私は「いいから先に飲んでいてよ。僕も飲みながら作るからさ」などと言って缶ビールを渡します。

 

さて、なぜ私は友人に手伝ってもらわなかったのでしょうか。「そんなことを聞かれても知らないよ!」などと言わずに、もう少しお付き合いください。

 

それには、いろいろな理由があります。まず私はそもそも自分で料理をするのが好きなわけですし、また「相手に作業内容を細かく説明するよりも、自分でやった方が早いしね」とか「任せても、ちゃんとやってくれなかったら結局は二度手間だからなぁ」などと考えてしまい、任せないのです。

 

私がいったい何の話をしているのかと不思議に思われたかもしれませんが、この話は、ちゃんと今回の内容に関係しています。なぜなら、本稿で扱う内容は、人はなぜ他人に仕事を任せないのかを考えることだからです。

 

 

仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人

 

最近、非正規雇用の増加が問題視されています。しかし同時に、正規雇用ならば幸せだというわけでもありません。長時間労働で家族と過ごす時間がなかったり、場合によっては過労により健康被害が発生したりするからです。その意味では、わが国では仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人が共存しているわけです。

 

ここで疑問になるのが、なぜ忙しい人が暇な人に仕事を分け与えないのかという点です。そうすれば両者ともに得をすると思われるのに、なぜそうしないのでしょうか。

 

 

比較優位の原理

 

このことを理解するために有益なのが、リカードによる比較優位の原理です。以下では、簡単な数値例を用いて、その内容を説明しましょう。

 

 

阿部さんが遭難

 

ある日、阿部さんが海にボートを出して遊んでいたところ、乗っていた舟が流されてしまい、遠い無人島に辿り着きました。もう舟は壊れてしまっていますし、持っていた携帯電話も電波が届かなくて使えません。救助が来ないかと海を眺めながらひたすら待っていましたが、いくら待っても助けは来ません。そこで、とりあえず生きて行くために食べ物を手に入れることにしたのです。

 

阿部さんにできることは、野菜を作るか魚を釣るかの二つだとします。そしてこのあたりは幾分非現実的ですが、野菜を一個作るのには20分かかり、魚を釣るには一匹あたり30分かかるとしましょう。なおこの無人島では、夜間は非常に危険で、働けるのは日中の8時間のみだとします。

 

このような状況の下で、阿部さんがすべての時間を野菜作りに使うと、一時間あたり3個なので、一日で24個の野菜が取れますね。同様に、魚釣りにすべての時間を使ったなら、一日で16匹が釣れます。

 

普通の人は、野菜だけとか魚だけを食べるよりは、両方をバランスよく食べたいと思うでしょう。阿部さんもそのように考えて、両方の仕事に4時間ずつ使って、一日当たり野菜を12個と魚8匹を食べることにしました。本当はもっと食べたいのですが、野菜の量を増やすためには魚を減らさないといけないですし、魚を増やすには野菜を減らさないといけないので、これ以上は無理ですね。

 

 

伊東さんも遭難

 

さて、このような野菜作りと魚釣りの日々が続いていたところ、ある日、海の向こうに舟が見えました。これを見た阿部さんは「とうとう助けが来たか!」と喜んだのですが、実はこの舟には、同じく海に流された伊東さんが乗っていたのです。

 

瀕死で島にたどり着いた伊東さんの舟も良く見ると壊れてしまっていて、これも脱出には使えなそうです。こうして島の住人が2人に増えました。

 

伊東さんも生きていくためには野菜作りと魚釣りをしなければなりません。しかし彼は阿部さんと比べると、どちらの仕事も上手にはこなすことができず、野菜を一つ作るのに30分、魚を一匹釣るには1時間かかってしまいます。つまり一日をすべて野菜作りに費やせば16個を、また魚釣りに費やしたなら8匹を手に入れることができます。

 

そして後から流れ着いた伊東さんも、いろいろと考えた結果として、4時間ずつ時間を使って、毎日野菜を8個と魚を4匹食べることにしました。

 

 

分業と交換のメリット

 

数日後、体を動かすのは苦手でも、考えることは得意な伊東さんがあることに気づき、阿部さんに話を持ちかけました。

 

「ところで阿部さんは毎日野菜を12個と魚を8匹食べていますよね。もっと食べたいとは思いませんか?」

「それはそうだけれど、これ以上は働けないし」

「そうですよね。でも良いアイデアがあるのです。明日から阿部さんは6個の野菜を作り、12匹の魚を採ってください。畑で2時間と海で6時間働けば、それだけ手に入りますよね。」

「嫌だよ。今まで通り、野菜を12個と魚8匹を食べる方が・・・」

「いやいや、ちょっと待ってください。私が毎日野菜を7個あげますから、その代わりに私に魚を4匹くれれば良いのです。そうすると阿部さんは、魚はこれまでと同じく8匹ですが野菜を今よりも一つ多い13個食べられます」

「えっ」

「実はこの取引は私にとっても得になるんです。私はすべての時間を野菜作りに使って、16個を収穫します。そして阿部さんと交換すると、私もこれまでと比べて野菜を一つ多く食べられるのです」

 

 

絶対優位と比較優位

 

さて、このような取引によって両者が得をするのはなぜでしょうか。まず、この数値例では野菜作りも魚釣りも阿部さんのほうが伊東さんよりも優れているわけです。これを絶対優位といいます。反対に伊東さんはどちらの仕事に関しても絶対劣位です。

 

しかし注目して頂きたいのは、阿部さんは野菜作りでは伊東さんの1.5倍の能力しかありませんが、魚釣りでは2倍の能力があるという点です。このとき、阿部さんは魚釣りに比較優位があると言い、反対に伊東さんは野菜作りに比較優位があると言います(*1)。どちらについても能力が絶対的に劣っている伊東さんであっても、阿部さんと比較したときに、よりマシな仕事は何かと考えたら、それは野菜作りだったというわけですね。そして阿部さんは能力比がより大きい魚釣りに使う時間を増やし、反対に伊東さんは能力比が小さい野菜作りにすべての時間を使うことで、二人合わせた時の生産量を増加させることができるのです。

 

このように、すべての面で絶対優位の人と劣位の人との間であっても、相対的に得意な分野に特化し、結果を交換することにより全員が得できるというのが比較優位の原理の内容です。

 

この原理は、様々な場面に応用できます。例えば優秀なビジネスマンと新入社員との関係を考えたとしても、また先進国と途上国の貿易を考えたとしても成り立ちます。前者の場合では、例えばお客さん向けの資料作成でもコピー取りでも、ビジネスマンの方が新入社員よりも効率的に行うことができるとしても、ビジネスマンが自分で両方の仕事をやるよりは、コピー取りを新人に任せて、自分は資料作成により集中したほうが良いといった結論が得られます。

 

さて、この比較優位の話が正しければ、それによりどんな人にでも何らかの役割や居場所があるといった主張ができそうな気がしませんか。

 

なぜなら、忙しく働いている人がいるときには、誰か手の空いている人が手伝うことによって、仮に手伝う側の人がすべての面で劣っていたとしても、両者が得をするからです。実際に先ほどの例では、伊東さんが島に流れ着いたことで阿部さんは得していましたね。

 

しかし現実には、分業が行われず「仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人」が存在しています。なぜ比較優位の原理の通りにはならず、一部の人だけが仕事を抱え込んでしまうのでしょうか。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

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・平井和也「ジョージ・フロイド殺害事件から考える米国の人種差別問題」
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