2011.11.08

誰にでも出番がある社会を実現するために  

安藤至大 契約理論 / 労働経済学 / 法と経済学

経済 #比較優位#障害者

私は料理を作るのが好きで、自宅に友人を招いてホームパーティーを開くことがあります。このとき調理を手伝ってくれようとする人も多いのですが、たいていの場合、私は「いいから先に飲んでいてよ。僕も飲みながら作るからさ」などと言って缶ビールを渡します。

さて、なぜ私は友人に手伝ってもらわなかったのでしょうか。「そんなことを聞かれても知らないよ!」などと言わずに、もう少しお付き合いください。

それには、いろいろな理由があります。まず私はそもそも自分で料理をするのが好きなわけですし、また「相手に作業内容を細かく説明するよりも、自分でやった方が早いしね」とか「任せても、ちゃんとやってくれなかったら結局は二度手間だからなぁ」などと考えてしまい、任せないのです。

私がいったい何の話をしているのかと不思議に思われたかもしれませんが、この話は、ちゃんと今回の内容に関係しています。なぜなら、本稿で扱う内容は、人はなぜ他人に仕事を任せないのかを考えることだからです。

仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人

最近、非正規雇用の増加が問題視されています。しかし同時に、正規雇用ならば幸せだというわけでもありません。長時間労働で家族と過ごす時間がなかったり、場合によっては過労により健康被害が発生したりするからです。その意味では、わが国では仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人が共存しているわけです。

ここで疑問になるのが、なぜ忙しい人が暇な人に仕事を分け与えないのかという点です。そうすれば両者ともに得をすると思われるのに、なぜそうしないのでしょうか。

比較優位の原理

このことを理解するために有益なのが、リカードによる比較優位の原理です。以下では、簡単な数値例を用いて、その内容を説明しましょう。

阿部さんが遭難

ある日、阿部さんが海にボートを出して遊んでいたところ、乗っていた舟が流されてしまい、遠い無人島に辿り着きました。もう舟は壊れてしまっていますし、持っていた携帯電話も電波が届かなくて使えません。救助が来ないかと海を眺めながらひたすら待っていましたが、いくら待っても助けは来ません。そこで、とりあえず生きて行くために食べ物を手に入れることにしたのです。

阿部さんにできることは、野菜を作るか魚を釣るかの二つだとします。そしてこのあたりは幾分非現実的ですが、野菜を一個作るのには20分かかり、魚を釣るには一匹あたり30分かかるとしましょう。なおこの無人島では、夜間は非常に危険で、働けるのは日中の8時間のみだとします。

このような状況の下で、阿部さんがすべての時間を野菜作りに使うと、一時間あたり3個なので、一日で24個の野菜が取れますね。同様に、魚釣りにすべての時間を使ったなら、一日で16匹が釣れます。

普通の人は、野菜だけとか魚だけを食べるよりは、両方をバランスよく食べたいと思うでしょう。阿部さんもそのように考えて、両方の仕事に4時間ずつ使って、一日当たり野菜を12個と魚8匹を食べることにしました。本当はもっと食べたいのですが、野菜の量を増やすためには魚を減らさないといけないですし、魚を増やすには野菜を減らさないといけないので、これ以上は無理ですね。

伊東さんも遭難

さて、このような野菜作りと魚釣りの日々が続いていたところ、ある日、海の向こうに舟が見えました。これを見た阿部さんは「とうとう助けが来たか!」と喜んだのですが、実はこの舟には、同じく海に流された伊東さんが乗っていたのです。

瀕死で島にたどり着いた伊東さんの舟も良く見ると壊れてしまっていて、これも脱出には使えなそうです。こうして島の住人が2人に増えました。

伊東さんも生きていくためには野菜作りと魚釣りをしなければなりません。しかし彼は阿部さんと比べると、どちらの仕事も上手にはこなすことができず、野菜を一つ作るのに30分、魚を一匹釣るには1時間かかってしまいます。つまり一日をすべて野菜作りに費やせば16個を、また魚釣りに費やしたなら8匹を手に入れることができます。

そして後から流れ着いた伊東さんも、いろいろと考えた結果として、4時間ずつ時間を使って、毎日野菜を8個と魚を4匹食べることにしました。

分業と交換のメリット

数日後、体を動かすのは苦手でも、考えることは得意な伊東さんがあることに気づき、阿部さんに話を持ちかけました。

「ところで阿部さんは毎日野菜を12個と魚を8匹食べていますよね。もっと食べたいとは思いませんか?」

「それはそうだけれど、これ以上は働けないし」

「そうですよね。でも良いアイデアがあるのです。明日から阿部さんは6個の野菜を作り、12匹の魚を採ってください。畑で2時間と海で6時間働けば、それだけ手に入りますよね。」

「嫌だよ。今まで通り、野菜を12個と魚8匹を食べる方が・・・」

「いやいや、ちょっと待ってください。私が毎日野菜を7個あげますから、その代わりに私に魚を4匹くれれば良いのです。そうすると阿部さんは、魚はこれまでと同じく8匹ですが野菜を今よりも一つ多い13個食べられます」

「えっ」

「実はこの取引は私にとっても得になるんです。私はすべての時間を野菜作りに使って、16個を収穫します。そして阿部さんと交換すると、私もこれまでと比べて野菜を一つ多く食べられるのです」

絶対優位と比較優位

さて、このような取引によって両者が得をするのはなぜでしょうか。まず、この数値例では野菜作りも魚釣りも阿部さんのほうが伊東さんよりも優れているわけです。これを絶対優位といいます。反対に伊東さんはどちらの仕事に関しても絶対劣位です。

しかし注目して頂きたいのは、阿部さんは野菜作りでは伊東さんの1.5倍の能力しかありませんが、魚釣りでは2倍の能力があるという点です。このとき、阿部さんは魚釣りに比較優位があると言い、反対に伊東さんは野菜作りに比較優位があると言います(*1)。どちらについても能力が絶対的に劣っている伊東さんであっても、阿部さんと比較したときに、よりマシな仕事は何かと考えたら、それは野菜作りだったというわけですね。そして阿部さんは能力比がより大きい魚釣りに使う時間を増やし、反対に伊東さんは能力比が小さい野菜作りにすべての時間を使うことで、二人合わせた時の生産量を増加させることができるのです。

このように、すべての面で絶対優位の人と劣位の人との間であっても、相対的に得意な分野に特化し、結果を交換することにより全員が得できるというのが比較優位の原理の内容です。

この原理は、様々な場面に応用できます。例えば優秀なビジネスマンと新入社員との関係を考えたとしても、また先進国と途上国の貿易を考えたとしても成り立ちます。前者の場合では、例えばお客さん向けの資料作成でもコピー取りでも、ビジネスマンの方が新入社員よりも効率的に行うことができるとしても、ビジネスマンが自分で両方の仕事をやるよりは、コピー取りを新人に任せて、自分は資料作成により集中したほうが良いといった結論が得られます。

さて、この比較優位の話が正しければ、それによりどんな人にでも何らかの役割や居場所があるといった主張ができそうな気がしませんか。

なぜなら、忙しく働いている人がいるときには、誰か手の空いている人が手伝うことによって、仮に手伝う側の人がすべての面で劣っていたとしても、両者が得をするからです。実際に先ほどの例では、伊東さんが島に流れ着いたことで阿部さんは得していましたね。

しかし現実には、分業が行われず「仕事がなくて死にそうな人と仕事が多すぎて死にそうな人」が存在しています。なぜ比較優位の原理の通りにはならず、一部の人だけが仕事を抱え込んでしまうのでしょうか。

前提となる条件は何か

このように理論と現実に差があるとき、「この理論は間違っている!」と思いたくなるかもしれません。しかしそうとは限りません。理論自体は正しくても、その使い方が間違っている可能性があるからです。そして実際に、今回紹介した比較優位の原理は理論としては正しいのです。この理論がなぜ現実を上手く説明できないのかを理解するために本当に必要なのは、暗黙のうちに仮定されている前提条件について知ることです。

仕事量に上限がない

まず先ほど説明した比較優位の原理では、実は仕事が十分に多く存在していることが仮定されています。そこでは、野菜作りや魚釣りに使う時間を倍にしたら収穫量も倍になることが想定されていました。これに対して畑の面積や魚の絶対数に上限がある場合には、分業が成り立たないかもしれません。

例えば畑の広さが野菜9個分であり、海で獲れる魚の量は一日あたり8匹までだったとしましょう。このとき島に阿部さんしかいなかった段階で既に資源を獲り尽くしていることになります。阿部さんが8時間をフルに使わなくても、野菜作りに3時間と漁に4時間をかけただけで、上限である9個の野菜と8匹の魚が手に入るからです。

したがってこのケースでは、後になって伊東さんが流れ着いたとしても、阿部さんにとっては伊東さんと取引することにメリットがありません。

次に畑の広さが野菜16個分であり、魚の量は一日当たり10匹までだったとしましょう。この場合は、島にいるのが阿部さんだけならば資源が余っていますが、伊東さんも島に住むようになると資源が足りませんね。阿部さんがこれまで通りに野菜を12個作って魚を8匹釣ってしまったとすると、残されているのは野菜4個分の畑と海には魚2匹だけになり、伊東さんがこれらを手に入れるためには4時間あれば十分です。

このように仕事の絶対量が足りない場合には、つまり失業が発生している時には、得意分野に特化して交換するといった取引が成立しないことが考えられます。

仕事を切り分けることが容易

次に、ここで考えた例では、野菜作りと魚釣りという二つの仕事を柔軟に組み合わせることができることが仮定されています。阿部さんは一人で仕事をするときには畑と海で4時間ずつ働いていましたが、伊東さんと分業する時には漁に6時間をかけるなどと細かく変更できたわけです。しかし現実には、一塊の大きな仕事があって、それを複数人で分担することが難しいといったこともあり得ます。

まず、炭坑労働や工場の生産ラインで働く場合などを考えると、仕事を分けることは比較的容易でしょう。特定の生産ラインを24時間動かし続けるとしたら、3交代制で8時間ずつ三人が分担することができます。

これに対して、ホワイトカラー労働者や例えば研究者の仕事などは、分業することが相対的に難しいと言えます。なぜなら仕事の分担を実現するためには、当事者が互いの能力に関する情報を共有していること、また業務の分割・割り振り・成果の統合が容易であることが必要だからです。仕事を他人に任せたとしても、その成果を再度確認してから取り纏めなければならないのであれば、最初から自分でやってしまった方が早いと感じることもあるでしょう。

このように仕事を切り分けるのが難しい場合には、人々の能力差以上に仕事量が偏ってしまうことにもなりかねません。例えば二人の労働者の能力の違いが51対49という少しの差であったとしても、一人にまとめて任せるしかない場合には、仕事の割り振りが100対0になってしまうわけです。したがって、仕事をすべて任されたからといって自分は相手よりも格段に優れていると考えるのは、この場合は間違いだといえますね。

ここで述べたように、仕事の性質として切り分けが難しい場合には、忙しい人と暇な人がいたとしても、分業が行われないことになります。

最終的な消費量のみが関心事

そして、ここで考えた例では、阿部さんも伊東さんも、より多く食べることができたほうが嬉しいという好みを持っていることが仮定されていました。分業して交換をすると、結果的に食べられる野菜の量が増えるというのが大事だったわけです。

しかし人々の満足度に影響を与えるのは、食べる量だけとは限りません。仕事自体が楽しいとかつまらないといったことも影響を与える可能性があります。例えば、野菜を作るのはつまらない単純作業であるが魚釣りは楽しいなどという場合には、それにより食べられる量が増えるとしても、伊東さんは野菜作りに特化しようとは思わないかもしれません。

ここで三つ挙げた比較優位の原理の前提条件が満たされていないとき、阿部さんと伊東さんの間で分業や交換が行われないことが考えられます。そして一部の人だけが仕事を抱え込んでしまうことも起こりえるわけです。

経済理論の知見を現実に適用する際には、前提条件が満たされているかどうかを確認することが重要だということがお分かり頂けたでしょうか。

というわけで本稿の最初に述べた料理のお話は、比較優位の原理の前提が満たされていない状況の一例だったのです。私が料理をする際には、まず作業の総量が決まっているため、他人に任せると自分の仕事が減ってしまいます。また仕事内容を説明することや、任せた部分がちゃんと出来ているか確認することにも手間がかかります。そして、そもそも私は料理すること自体が好きなので、人には任せずに自分で全部やってしまったのです。

誰にでも出番がある社会を実現するために

私たちが生活をしていく上で、働く場があることは重要です。それは単に生活に必要なお金を稼ぐというだけでなく、仕事を通じて得られる達成感や様々な人間関係など貴重なものが得られるからです。だからこそ、仕事がない人や稼得能力が低い人に対して、生活できるだけのお金を単に渡すことよりも、教育や職業訓練を行うことの方が望ましいと考えられているのです。

しかし皆に出番がある社会を作るのは簡単なことではありません。本稿で説明したように、まず必要なのは仕事の総量を増やすことです。景気が悪ければ仕事の総量が足りないために失業者が生まれます。しかし景気が良くなれば、当然仕事の総量が増え、より多くの人が活躍できる場が生まれる可能性があるわけです。

ただし仕事の総量が増えただけでは、いまでも忙しい一部の労働者がさらに忙しくなるだけかもしれません。

そこで多くの人に仕事をもたらすためにも、仕事の切り分けが容易であることが求められるのです。仕事の総量が増えることと切り分けが容易になることの二つが合わさることで初めて働く場所が増えるわけですね。

以下では障害者雇用について考えてみましょう。

皆さんは日本理化学工業という会社を知っていますか。この会社は、本やテレビなどで何度も採り上げられているため、ご存知の方も多いかもしれません。

この会社では障害者雇用率が7割を超えているそうです。事業内容は、黒板に文字を書くためのチョークを作ることなのですが、様々な障害を持つ人でも仕事が可能なように仕事が設定されています。例えば知的障害があり数字が苦手な労働者のためには、色分けされた分銅と秤を使って作業するように製造工程を作り替えていったのです。このような成功事例がより多くの人に知られることは有益でしょう。

もちろん仕事の内容によっては、仕事を切り分けたり個々人に向けて微調整をしたりすることが難しい場合もあります。だからこそ、例えば障害者雇用を企業に対して一律に課すのではなく、企業の特性に合わせた柔軟な取り組みが求められるのです(*2)。

本稿ではリカードの比較優位の原理を題材として、誰にでも出番がある社会を実現するためには、どのような取組みが必要なのかについて検討しました。我が国における働き方や職場における仕事の分担について考える際の一助になれば幸いです。

(*1)一般的な教科書では、阿部さんにとっては魚を一匹多く釣るために失われる野菜の数(つまり機会費用)が1.5個であり、伊東さんにとってはそれが2個であるため、阿部さんが魚釣りに比較優位を持つといった形の説明がされるのですが、今回は分かりやすさを優先してこのような説明をしています。なお本稿の設定であれば、結果として同じことを意味しています。

(*2)例えば障害者雇用促進法で定められている法定雇用率をどのように柔軟に考えるべきかについては、日本労働研究雑誌に掲載されている土橋・尾山論文「経済学から見た障害者雇用納付金・ 調整金制度」が参考になります:http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/09/pdf/043-052.pdf

推薦図書

本書は、障害を社会との関係として理解することにより、障害者とはどのような存在か、またどうしたら社会を障害者にとっても生活しやすい場とすることができるかを考えた学際的な取り組みの成果です。今回の記事に関心を持って頂けたのであれば、まずは序章の「社会の中の障害者 ―なぜ、「障害」を問い直さなければならないのか?」と第5章の「「ふつう」の人の国の障害者就労」から読みはじめることをお勧めします。

プロフィール

安藤至大契約理論 / 労働経済学 / 法と経済学

1976 年東京生まれ。日本大学総合科学研究所准教授。04年東京大学博士(経済学)。政策研究大学院大学助教授等を経て15年より現職。専門は契約理論、労働経済学、法と経済学。著書に『雇用社会の法と経済』(有斐閣、2008年、共著)、『これだけは知っておきたい 働き方の教科書』(筑摩書房、2015年)など。

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