ライフの視点からみた日本のワーク・ライフ・バランス

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はじめに

 

いわゆる「働き方改革関連法」が今年4月から順次施行されるなど、働き方に関してこれまで以上に注目が集まっている。そうした中、働き方改革の「処方箋」として、よく「ワーク・ライフ・バランス」が持ち出されるとともに、ワーク・ライフ・バランスという言葉に過剰なまでに期待が寄せられているようにも見える。

 

ともすれば、企業が抱える経営課題に対して、ワーク・ライフ・バランスがあたかも「万能薬」のごとく語られるきらいすらある。一方で、ワーク・ライフ・バランスがたんに労働時間削減の問題や育児休暇制度の話に矮小化されるなど、さまざま誤解があふれているのも事実である。

 

それでは、ワーク・ライフ・バランスとはそもそもどのようなものなのであろうか。たとえば、内閣府の男女共同参画会議では、ワーク・ライフ・バランスを「誰もが、仕事、家庭生活、地域活動、個人の自己啓発など、様々な活動を自分の希望するバランスで実現できる状態」と定義している。また、厚生労働省の男性が育児参加できるワーク・ライフ・バランス推進協議会は、「働く人が仕事上の責任を果たそうとすると、仕事以外の生活でやりたいことや、やらなければならないことに取り組めなくなるのではなく、両者を実現できる状態」と定義している。

 

後者の定義で重要なのが、一方の責任を果たそうとすると、もう一方が取り組めないという両者の間にある「コンフリクト」であり、ワーク・ライフ・バランスは、逆説的に説明すれば、このワーク・ライフ・コンフリクトのない状態ということができるであろう。まとめると、仕事と生活のあいだにコンフリクトがなく、しかも自分の希望するバランスでそれらを実現できることがワーク・ライフ・バランスのエッセンスということになる。

 

したがって、重要なのは多種多様なコンフリクトを抱えている個人個人の個別のニーズを満たすことであって、一律に残業を減らし、すべての人が同じ程度に仕事と生活のバランスを取ればいいという問題でもない。むしろ、極端な例では、仕事一筋の人間であっても、自身がそう望み、生活とのコンフリクトがなければ、その人のワーク・ライフ・バランスは整っているということになる。

 

 

従来のワーク・ライフ・バランス研究

 

これまでワーク・ライフ・バランスに関して、学問的には比較的新しい概念ではあるものの、経済学、社会学、経営学などの幅広い分野で数多くの研究がなされてきた。ただし、そのほとんどがワークのほうに焦点を当てたものだと考えられる。もちろん、たとえば生活時間などライフに焦点を当てた研究も数多くあるが、そうした研究においても、あくまでワークが所与としてあり、ワークがライフを規定するという発想が前提となっている点ではワークありきの研究であるといえる。

 

ワーク・ライフ・バランス研究の主流である、ワークがライフを規定する、あるいはワークがライフに影響を与えるという発想は、たとえば、長時間労働だから私生活が充実しない、残業をなくせばプライベートが充実するといったものである。また、ワークスタイルがライフスタイルを規定することもある。たとえば、高度成長期の働き方は、夫が働き、妻が専業主婦になるといった性別役割分業といった生き方を推進することとなったのである。

 

 

ワークとライフの新たな関係

 

しかし、ワークとライフの関係はつねにワークが所与で、一方的にライフに影響を及ぼすだけのものなのだろうか。逆に、ライフがワークを規定する側面もあるのではないか。たとえば、便利な社会を成り立たせるには、その分、誰かが余計に働かなくてはならない。便利な世の中やサービスの裏には、便利な生活を維持させるために、必ず誰かが働いている。このように、ライフが人々のワークを規定している面も否定できない。

 

ともすると、どうしても労働の側面から見がちなワーク・ライフ・バランス。実際、ワーク・ライフ・バランスの施策はどれも働く労働者を対象とされているのが当たり前となっている。それをあえて、ライフの側面からみようとするのが本稿の試みである。

 

これはいい換えれば、労働者すなわち生産者という側面はもとより、生活者すなわち消費者の側面からも検討しようする試みでもあろう。今回は、ライフの部分に力点をおき、ライフがワークを規定するという視点に立って、改めて日本におけるワーク・ライフ・バランスを考えていきたい。

 

 

GDPと生活水準

 

ライフについて、まずはわれわれの生活水準に着目してみよう。はたしてわれわれの生活はどの程度の水準なのであろうか。また、その生活水準は身の丈にあっているのであろうか。この生活水準をどのように定義し、どのように測定するかは大いに議論のあるところである。ただ、その国の生活水準は、その国の一人当たりGDP(以下単にGDP)と強い相関であることはたしかであるので、まずは、日本の生活水準について、GDPの推移を歴史的に分析してみよう。

 

 

図1 一人当たりGDPの歴史的推移

(出所)世界銀行

 

図1によると、1960年にはアメリカの15%程度、フランスの35%程度でしかなかった日本のGDPは、高度成長期を経験するなかで上昇し続けた。その結果、1983年にフランスと肩を並べることとなり、87年にはアメリカを超えることとなった。また、その後も勢いは止まらず、90年代にかけて伸び続けることとなった。このことから、日本は、GDP上は高度成長期を経験し、80年代には欧米並みの水準に、90年代にかけては欧米以上の生活水準になったことがわかる。

 

しかし、バブル崩壊後の90年代半ばを境に、GDPは下降のトレンドを歩む。2001年以降、アメリカに引けを取ることになり、2006年にはフランス、ドイツに劣ることとなる。2017年には、フランスとは同様のGDPであるものの、対独比で86%、対米比で64%の水準にまで低下している。

 

GDPが下がったのであれば生活水準も下がることも考えられる。しかし、一方で、一度味わってしまった高い生活水準はなかなか下げることができないのも事実であろう。すなわち、GDPが少々下がったくらいでは、これまでの生活水準は落とせないという下方硬直的な特徴があるといえる。換言すれば、GDPは生活水準を押し上げる効果があっても、押し下げる効果は限定的だと考えられる。

 

 

営業時間からみる生活水準

 

そこで、次は、GDPという生産側の視点からではなく、それに代わる消費側の視点から改めて生活水準に関して考察していこう。具体的には、バブル期から現在までの生活水準に関して、日本の消費行動に着目し、国際比較も踏まえながら検討してみたい。

 

たとえば、日本の消費を支える小売業に目を転じると、コンビニはもちろんのこと、他の業態でも24時間営業や深夜営業を行っており、生活に便利な環境は整っているといえるだろう。実際、小売業全般では、ここ30年間の営業時間の長期化がデータで読み取れる。

 

図2-1 営業時間階級別の事業者数


(出所)経済産業省『商業統計表』をもとに筆者作成

 

図2-2 営業時間階級別の売り場面積


(出所)経済産業省『商業統計表』をもとに筆者作成

 

 

図2-1は、『商業統計表』をもとに算出した1982年以降の営業時間別の店舗数の推移である。たしかに、商店数ベースではむしろ12時間未満の割合が増えており、一見すると営業時間が年々短縮されているように見える。しかし、売り場面積ベースでみると、その姿は一変する。12時間以上の割合が増加のトレンドを示している(図2-2参照)。

 

とくに14時間以上の店舗が1982年では5.7%であるのに対し、2014年では10.1%と2倍近い伸びを示し、82年にはほとんどなかった終日営業は全体の5.2%を占めるまでになった。これは、比較的売り場面積の大きいチェーン店や大型店などを中心に、営業時間の延長をしてきた結果といえる。このように、生活水準のなかでもとりわけ暮らしに便利な環境という点では、バブルが崩壊し、GDPが下がった後も維持されるどころか、むしろますますよくなっていることがわかる。【次ページにつづく】

 

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vol.269 

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