2025.12.07
知性の敗北と、再生の物語。なぜ「シノドス式」は生まれなければならなかったのか。
1.オーストラリアで起きた悲劇
シノドス英会話コーチの芹沢一也です。
この記事では、ぼくが英会話コーチになった経緯について、お話ししようと思います。
それはいまから7年くらい前にさかのぼります。
ぼくは妻と一緒に、オーストラリア旅行に行きました。
はじめてのオーストラリア。
グレートバリアリーフをヘリコプターから眺めることができる、コアラやカンガルーを自然のなかで間近にみることができると、心躍らせていました。
しかし、旅行2日目の朝、腰の激痛で目を覚ましました。
悲しいことに、宿泊したホテルのベッドが柔らかすぎて、腰を痛めてしまったのです。
とはいえ、ぼくがいたのはオーストラリア。
残りの8日をホテルで寝て過すなんてもったいなさすぎます。
当然、痛みをおして、オーストラリア観光を敢行しました。
狭いヘリコプターのなかで、無理な態勢からくる腰の激痛と闘いながら、グレートバリアリーフの美しさを堪能しました。
一歩一歩が腰に響きましたが、広大な自然公園を歩き回りながら、愛らしいコアラやカンガルーに心和ませました。
そして、これでようやく日本に帰れるという最終日、緊張感が途切れたせいもあったのでしょう、腰がついに限界を迎えました。
ほとんど歩けなくなるまで悪化してしまったのです。
こんな状態ではとても8時間のフライトには耐えられそうもないと、病院に行くことを決意しました。
2.言葉の壁がもたらした苦労
しかし、当時のぼくは、英会話の勉強などしていませんでした。
だから、まずホテルのフロントにタクシーを呼んでもらうのが一苦労。
タクシーに乗ってからも、行き先を伝えるのがまた一苦労。
さらには、英語が不自由な日本人観光客だということで、距離を稼ぐために、運転手が明らかに遠回りしている様子でした。
「腰が痛くて死にそうだから、最短で病院に行ってくれ」などとは、とても伝えることができませんでした。
やっとのことで病院に到着したものの、ほっとしたのもつかの間、本当の苦労はそこからでした。
言葉の通じない異国の地で病院にかかるのが、こんなに不安なことなのかと痛感しました。
そもそも、病院のシステムがさっぱり分からない。
受付で何を、どう伝えればいいのか分からない。
なんとか医師の診断までこぎつけても、今度は英語で状況を説明できない。
「8日前に泊まったホテルのベッドが柔らかすぎて、持病の腰痛が悪化したのですが、かまわず観光していたら、いまはほとんど歩くのもつらい状況でして、今日、日本に帰ることになっているので、少しでも痛みを抑えてほしいんです」
日本語だったらどうということのない言葉が、口からまったく出てきません。
結局、ブロークンな英語で、身振り手振りを交えながら、効き目抜群の鎮痛剤を処方していただきました。
ようやく日本に帰国することができ、そのとき心にこう誓ったのです。
「真剣に英会話をはじめて、英語を話せるようになるぞ!」
3.英会話学習への挑戦
基本的に「思い立ったら実行!」なタイプなので、腰の痛みが癒えると、すぐに行動に移しました。
よさそうな英会話スクールを探し、そこに入会し、オンラインでの英会話レッスンもスタートしました。
スクールで英会話のイロハを学びながら、オンラインレッスンで話す経験を重ねていけば、必ずや英語が話せるようになるだろう。
当時はこう、楽観的に考えていました。
4.上達しない焦りと迷走
しかし、ふた月たち、三月たちするうちに、どうも様子が違うと思いはじめます。
違和感ばかり大きくなっていきます。
英会話が上達しているという手ごたえが、まったくないのです。
調査が甘かったのかなと、今度はもう少し詳しく調べました。
スピーキングの上達に役立つとされている瞬間英作文やシャドーイングもはじめてみました。
ほかにも、ありとあらゆることを試してみました。
しかし、手ごたえがまったくありません。
当時の状況を思い起こすと、こんな感じだったと思います。
頭のなかで、日本語を英語に訳せれば、何とかそれを言うことができる。
そうでなければ、何も言えずにフリーズ。
そのような状況の延長線上に、「言いたいことを英語で話している自分」など、まったく想像できませんでした。
まさに五里霧中という言葉がぴったりでした。
何の指針もないなかで、どこを歩いているのかも分からない広大な土地を、たださまよっている感覚でした。
5.英会話難民の現実
当時のぼくは、英会話を習得するための確固とした方法論があると、なんとなく思っていました。
やがて、どうやらそうではないのだな、と気づくことになりました。
そして、とても多くの人たちが、「英会話難民」さながら、いろいろな学習方法を試しては、挫折を繰り返しているらしいということも知りました。
そのなかには、何となく英会話をはじめて、うまく行かなくて挫折する人たちもたくさんいるのでしょう。
しかし、少なからぬ人たちが、一定以上の英語の素養をもちながらも、スピーキングに苦しんでいる現実が見えてきました。
ぼく自身が、そうした人たちに分類されました。
ぼくは以前、プロ家庭教師として長年英語を教え、慶應の大学院では難解な英文献とも格闘してきました。
客観的に見て、文法や語彙の知識量は、日本人の上位数パーセントに入っていたはずです。
言葉を選ばずに言えば、「知のプロフェッショナル」であるという自負がありました。
しかし、その自負は脆くも崩れ去りました。
知識はある。論理もある。
なのに、口を開いた瞬間に「子ども」のような言葉しか出てこない。
この「知的落差(ギャップ)」こそが、何よりも耐えがたい屈辱でした。
「なぜ、ぼくの知性は、英語になると無力化してしまうのか?」
ぼくは、この問いに憑りつかれました。
6.徹底的な調査と研究
そこでぼくは、ある決断をしました。
「一人の学習者として努力するのはやめよう。研究者として、この構造を解明しよう」と。
もともと研究者であったぼくにとって、文献にあたり、仮説を検証するのは得意中の得意です。
脳科学、認知言語学、第二言語習得理論(SLA)……。
「英語を話すとき、脳内で何が起きているのか?」を突き止めるために、ありとあらゆる論文を読み漁りました。
そこで見えてきたのは、衝撃的な事実でした。
ぼくが必死に取り組んでいた「瞬間英作文」や「シャドーイング」は、そもそも「思考を言語化する回路」を育てるようには設計されていなかったのです。
7.メソッドの完成と成果
構造的欠陥がわかれば、あとは正しい設計図を引くだけです。
ぼくは自分の脳を実験台にし、仮説と検証を繰り返しました。
翻訳ではなく、構築(Construction)を。
模倣ではなく、概念化(Conceptualization)を。
霧が晴れるように、「ああ、こういうことだったのか」と、言語習得のからくりがクリアに見えた瞬間がありました。
それは偶然の発見ではありません。
迷宮からの脱出ルートを、論理的に割り出した瞬間でした。
こうして、後に「シノドス式」と呼ばれることになる独自の体系が完成したのです。
そして、あれほど英会話に苦労していたのに、1年くらいたつと、英会話にほとんど困らなくなりました。
そして、思ったのです。
ぼくが苦心してつくりだしたこのメソッド、はたしてほかの人にも効果があるのだろうか?
そして、生徒をとり、教えはじめることになりました。
最初の頃は、やはり一人ひとり個性があり、またつまずいているポイントも、その乗り越え方もさまざまだったために、メソッドの修正作業をする必要がありました。
しかし、その作業が完了すると、ほぼすべての学習者に適用可能なメソッドが完成しました。
ついには、『シノドス式シンプル英会話』というタイトルの書籍にまとめることもできました。
現在では、このメソッドを使って、教えた生徒のすべてが、英語が話せるようになっています。
以上が、ぼくが英会話コーチになった経緯です。
「シノドス英会話」に興味をもたれたら、ぜひ以下のページをご一読ください。
英語を学んできたのに話せない。
問題は知識量ではありません。
あなたの脳が「英語で思考を組み立てる回路」を持っていないだけです。
「文法や単語は知っているのに、言葉が出てこない」
「訳しながら話そうとして、途中で止まってしまう」
それは、頭の中で日本語を英語に変換しているからです。 これは「翻訳回路」であって、「英語の思考回路」ではありません。
実際の会話では、日本語の台本など存在しません。
思考を直接、英語の語順で組み立てる——
この回路がなければ、いくら知識があっても話せないのです。
シノドス英会話は、6ヶ月の個別コーチングで、 「翻訳回路」から「思考回路」へ、あなたの脳を根本から変えます。
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