東日本大震災――いま、もう一度確認したいこと/目を向けたいこと

福島県浪江町に見る状況

 

2013年4月11日、私は浪江町にいました。目的は、原子力発電所事故の影響で震災後2年間もの間アイソレートされてしまった町の状況(*5)を肌で知るため。そして同時に、浪江町にある祖父の家の状況を確認するという個人的な理由でもありました(幼少期には、しばらくその祖父の家で暮らしていました)。

 

(*5)2013年4月1日、福島原子力発電所事故の影響により設定されていた「警戒区域」・「計画的避難区域」が「避難指示解除準備地域」・「居住制限地域」・「帰還困難区域」に再編にされました[1]。それに伴い、浪江町内の一部地域について、日中の一時立ち入りが可能になりました。浪江町の最近の様子については、区域再編実施に先だって公開されたGoogle Street Viewの様子がニュースにもなり、Googleを通じて町の様子を実際にご覧になった方もいるかもしれません。今回の訪問では、友人のジャーナリストである粥川準二さんに同行をいただきました。

 

浪江町には、請戸川という川が流れています。かつてこの川で虫とりや魚とりをした時の光景と記憶が筆者の原風景になっています。浪江町に行くことができた4月11日、ちょうど請戸川の桜並木が綺麗に咲き誇っていました(写真2)。しかし、見る人はいません。人通りのなくなった道には枯草が伸びてしまっています(写真3)。それでも、この日は幸運にも一時立ち入りで戻っていらした一組の地元住民の方にお会いすることができました。この桜並木を見にいらっしゃったとのこと。今は福島市に避難されているとのことでした。短い時間ではありましたが、昔話をすることもでき(*6)、懐かしくもある一方で、ここに「普通に」人が戻る日はいつになるのかということを強く意識せざるを得ない出来事でもありました。

 

(*6)お会いできた方は、祖父が経営していた小さい病院にも来ていただいていた方で、昔のことや、病院に勤務されていた看護婦さんの話などができたことは幸運なことでした。しかし、こういう状況でなければもっともっと良かったのですが。

 

写真2:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)

写真2:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)

写真3:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)

写真3:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)

 

 

祖父の家は古い木造の家でした。祖父の家は、3月11日の大地震、そしてその後の大きな余震によって二階部分は完全に崩壊し、一階部分はかろうじて残っているものの、全体的に傾いてしまいました(写真4)。そして地震で倒れた家具やわれた食器が散乱したままになり、また屋根が崩れてしまった影響で、家の中の壁にはカビも生えてしまいました(写真5)。

 

 

写真4:浪江町にある祖父の家の概観(2013年4月11日撮影)

写真4:浪江町にある祖父の家の概観(2013年4月11日撮影)

写真5:家の内部(2013年4月11日撮影)

写真5:家の内部(2013年4月11日撮影)

写真6:町の商店街の一角(2013年4月11日撮影)

写真6:町の商店街の一角(2013年4月11日撮影)

写真7:浪江駅前-落ちたままの街灯(2013年4月11日撮影)

写真7:浪江駅前-落ちたままの街灯(2013年4月11日撮影)

 

 

祖父の家に限らず、浪江町内には、3月11日の大地震、そしてその後の大きな余震によって倒れてしまった家が多くあります。また完全につぶれていなくとも、大きく壊れてしまった家屋やビルはそれ以上にあります。それらの倒れた家屋が、破壊された商店街が(写真6)、閉じられたスーパーマーケットが、落ちた街灯が(写真7)、2年間もの間そのままになってきたのです。

 

この事態をどのように捉え、また今後を考えるべきなのでしょうか。少なくとも現時点で言えることの一つは、一部の地域において日中における立ち入りが容易になったことは一つの進展を意味する一方で、被害の状況がまだ何も終わっていないという現実でもあります。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

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・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
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