北方領土問題 ―― 大統領訪問の背景とロシアの見方 

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メドヴェージェフ大統領の北方領土訪問

 

11月1日にロシアのメドヴェージェフ大統領が北方領土のひとつである国後島を、ソ連・ロシア歴代の首脳としてはじめて訪問したことは、日本に大きな衝撃を与えた。

 

メドヴェージェフは、9月末に訪中した頃から、北方領土への訪問を明言していた。当初は訪中の帰りに北方領土に立ち寄る予定であったが、そのときは悪天候により断念したと報じられており(それは事実らしい)、その後、日本政府は再三、北方領土に訪問しないよう、ロシア側に呼びかけてきたが、日本の呼びかけは通じなかった。

 

ロシアとしては、北方領土はロシア領であるのだから、訪問の際に日本に了承を取る必要があるはずもなく、ましてや日本に訪問を止められる立場にもないという主張を繰り返すばかりだ。

 

なぜメドヴェージェフは北方領土訪問を敢行したのだろうか。理由は単純には語れず、多くの要素が複合的に絡み合っている。以下、考えられる理由を列挙してみよう。

 

 

第一の理由 内政におけるアピール

 

第一の理由としては、内政におけるアピールがあげられる。

 

2012年の大統領選挙、その前哨戦となる2011年の議会選挙を前に、ロシアは「政治の季節」を迎えた。現在、ロシアはメドヴェージェフ大統領とプーチン首相の「双頭体制」によって統治されているが、プーチンの影響力の強さはやはり揺るぎないようだ。

 

2012年の次期大統領選挙については、プーチンとメドヴェージェフの合意により、どちらかが出馬するという方針が示されているが(ロシアの大統領は、二期までしか連続で就任できないが、一期あければ、ふたたび就任することは可能である)、国民の支持率からしても、プーチンのほうが、断然有利であると考えられている。

 

しかし、たとえ大統領になれなかったとしても、ロシア政界においてよいポジションを得るためには、大統領としての名声を残す必要があると、メドヴェージェフは焦っているといわれている。

 

逆にいえば、大統領として国民の厚い支持を得ることができれば、もしかすると二期目も大統領の座につけるかもしれないし、大統領の座から降りたとしても、首相など確固たるポジションを得られると考え、メドヴェージェフはよりよい大統領であることを演出するために必死になっているのである。

 

プーチンは野生の生物と闘ったり、レーシングカーに乗ったり、2010年夏の森林火災のときには自ら消火活動にあたったり、スポーツをしたり…と非常にマッチョなイメージをアピールすることに成功しているが、それに対してメドヴェージェフは、知性やテクノロジーをはじめとした近代派イメージのアピールに必死になっている。

 

メドヴェージェフはプーチンがやったパフォーマンスを「自分流」にやっているようで、ふたりのパフォーマンスは異なる性格を持ちながらも、きれいに対比できるのである。

 

メドヴェージェフはとにかくプーチンと異なることをやろうとしているようだ。たとえば、「近代化」路線をとって、ロシア版シリコンバレーを建設したり、国務省を改組し、ロシア軍やロシアの兵器も近代化しているほか、長年権力の座にいて一家の汚職などが問題視されていたルシコフモスクワ市長を解任したりしてきた。

 

今回の北方領土訪問でも、メドヴェージェフは主に二つの側面で国内にアピールすることができた。第一に、強い外交を展開できる「強い大統領」というアピール、第二に、国内の隅々にまで配慮をしているのだという、「国民生活の安定を保証する大統領」としてのアピールである。具体的にみてみよう。

 

 

「強い大統領」と「国民生活の安定を保証する大統領」

 

強い外交を展開できる強い大統領というアピールについては、これまでソ連、ロシアの首脳が誰一人訪れなかった北方領土に、日本の抗議に屈せず足を踏み入れたとなれば、歴史的な意義もあり、国内で大きなポイントを稼げる。

 

しかし、この訪問は、突発的に行われたものではなく、ロシアの対日強硬政策の「グランドストラテジー」の一環であると思われる。

 

じつは、ロシアの対日姿勢は2009年頃から強硬になっていた(論文では、2005年くらいから強硬なものがみられる)。ビザなし交流のトラブルが増え、日本の北方領土に対する援助船が上陸できなくなったり、これまでビザなしで行われてきた事業に対し、入国書類の提示を要求されたり、さまざまな制限をつけられたりすることが多くなったのである。

 

ビザなし交流は、外交的にみれば、その地の所属を不問にするという暗黙の合意にもとれる重要な意義をもつものであるため、ロシアの強硬化には日本はもっと警戒をすべきであったのだ。

 

そして、2010年に入り、ロシアの強硬さはより際立ってきた。後述のように元外交官の東郷氏も指摘しているが、7月にラブロフ外相がアジアで協力したい国から日本を外したり、同月に択捉で軍事演習が行われたりしたほか、9月には太平洋戦争の書類記念日が制定され、メドヴェージェフが訪中して相互に歴史認識の確認、とくに、第二次世界大戦における中ソの平和への貢献とその後の「領土」の確定の確認ということがなされたのである。

 

こうして考えると、強い外交ができる大統領という演出を行うために、外交的に弱腰の日本がスケープゴートとして選ばれたとも考えられる。

 

国民生活の安定を保証する大統領としてのアピールについては、メドヴェージェフがそもそも、法律家の出身であり、FSB(ロシア連邦保安庁)出身のプーチンとは対極的に「安定」イメージがあったにもかかわらず(たとえば、テロリストの征伐についても、プーチンが力を用いようとするのに対し、メドヴェージェフは「テロリストを法廷へ」というスローガンで、法的アプローチを行使する)、2010年の夏の森林火災で安定イメージが大きく失墜したことで打撃を受けていた。

 

そのような折に、「国の隅々にまで配慮を怠っていない」というポーズを示せば、「安定」イメージの回復にもつながると考えたのではないだろうか。実際、メドヴェージェフは短時間の国後島滞在中に、2015年までに6億2千万ドル資金を投じ、北方領土の発展、および住民の3分の2が貧困ラインを下回っており、失業者も多い、北方領土住民の劣悪な生活水準の改善を図ると約束している(Kommersant, November 2)。

 

 

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