ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開

●新潟県立大学学生×田村優輝「質疑応答」

 

 

スタンダードをまずは手にする

 

学生A ケンブリッジ大学での研修期間をどのようにお過ごしになったんですか。

 

田村 私はケンブリッジ大学の修士課程に入って、1年目は地域研究、2年目は歴史学の勉強をしました。日本で所属していた学部は法学部でしたが、あえて法律と違う分野にしようと思ったのも、「引き出し」の多さを意識したからです。地域研究では東アジアに関するテーマで修士号を取得しました。大学院の休暇期間に、欧州諸国をバックパッカースタイルでひとり旅したのもこの時期です。直接外交には結びついていないかもしれませんが、ネタとして、そういう引き出しを持っておく点では、とても貴重な経験になりました。

 

学生B 通訳は、プレッシャーのかかる仕事ではないですか。一回失敗したら明日どうなるかわからないという厳しい環境は、精神的にもキツいと思うのですが、それでも続けることができている理由と、そもそもなぜそういう仕事に就こうとしたのか、教えてください。

 

田村 外務省で通訳業務を担当することで金銭的に得られるものがあるかと言えば、特別な手当があるわけではありません。さらに通訳をしている間はデスクを離れなければならないので、「やれやれ、ひと仕事終わった」と職場に戻ってくると、机の上には大量の書類があって「これがお前のいない間に溜まっていた仕事だから早くやれ」となります。にもかかわらず、なぜやるのか。理由はシンプルで、面白いし楽しいから。それに尽きます。

 

こんなことでもなければ、30歳過ぎの若輩者が、総理大臣や外務大臣の隣で通訳をしたり、首脳間のやりとりを聞いたりする立場になることはまずありません。それに、「うまくいったな」というときの達成感はなかなか癖になります。「通訳するのが嫌でたまらない」という人は、しないほうがいい仕事だと思います。しかし、うまく通訳できた瞬間が楽しい、また面白いネタが増えたと思える人にとっては、こんな魅力的な仕事はないのではないかと思っています。

 

そして、なぜ外務省に入ったのかという質問ですが、私は高校生の頃、世捨て人になりたいと思っていました(笑)。大学に入って、ずるずる留年を重ねて、女の子と同棲して、授業にもぜんぜん出ないで……みたいな。しかし、高校生3年生のときに未来を大きく変える出来事があったんです。イギリスのイートンカレッジというところに、2カ月ほど交換留学する機会がありました。いわばイギリスで最もいい男子校です。そこで同年代の17歳の男子は私とこうも違うのか、と痛感させられたわけです。彼らは、自分がイギリスで最もいい教育を受けていて、親が年間300~400万円を自らの教育費に費やしていることをよく理解していました。先生からもことあるごとに「お前たちはイギリスで一番いい教育を受けているんだ」と叩き込まれていました。「一番いい教育を受けている自分たちは、社会に出たらその分を還元する義務、ノブレスオブリージュがある」と彼らは言っていたんですね。同じ17歳の男子の私は、世捨て人になりたいなんて恥ずかしくて言えなくなっちゃったんです(笑)。

 

日本に帰ってきて、イギリスとは状況が違いますが、東京大学に進学する中で、自分にも何かできるのではないか、何かしないといけないのではないか、と思うようになりました。私は外国語が比較的好きだったこともあり、いろんな世界を見てまわれる仕事ということで、外交官を選んだわけです。

 

学生C 通訳をする際に小さい努力を地道に積み重ねているということでしたが、努力をするときのモチベーションを生み出すのは何なのか、伺いたいです。

 

田村 私の場合、通訳の準備をするモチベーションは2つあります。「失敗できない」という恐怖心と「やっていてよかった」という感覚です。通訳は、まったく知らない単語が出てきて詰まってしまったらどうしようという恐怖心と常に戦っています。どんなに準備をしても避けがたいもので、可能性はゼロではありません。それを少しでも取り除くためには努力するしかない。そのうえで、事前に準備していた内容が通訳の本番で出てきた時は、内心「これ、言うと思ったんだよね」と思いつつ、あたかも何事もなかったように冷静な顔をしながら訳す。これはすごく気分のいいものです。これに快感を覚える人は、通訳としてかなり向いているタイプだと思います。

 

学生D 最後にお話いただいたメッセージの中に、「限られた準備時間の中で「正しく努力する」ことを意識する」とありました。努力しすぎもダメだし、やらなかったらもちろんダメだとおっしゃったんですが、「正しく努力する」ラインを見極めるコツはありますか。

 

田村 すごくいい質問だと思います。そこがわかりにくいことが、努力の難しいところです。

 

みなさんが授業を受けて、試験に臨むときも、「どこを、どれだけやればいいんだろう」ということは常に迷うことだと思います。一番いいのは授業をしっかり聞くことです。自分自身はまったく授業に出ないで、試験でどこが出るのかがわかっていい点を取る天才的な人も世の中にいます。しかし最も効率がいいのは、先生が何を言ったのか、講義でどこに注目していたのか、どの点を特に強調していたのか、先生が推薦した教科書は何か、その教科書には何が書いてあって、どういうアプローチが示されているのか、スタンダードなものから学ぶことだと思います。

 

そして読み込んだうえでなお、わからないことはたくさんあるでしょうし、新たな疑問も出てくると思います。そうしたら「先生、私はここまで読みました。ここまで演習も解きました。それでもここがよくわかりません。どうなんでしょう」と質問することです。まったくやらずに「先生よくわかりません」と言われると、教える側もやる気がなくなります。しかし、「ここまでは自分でやった。それでもちょっとよくわからない」「この先どうすればいいか」といったかたちで先生に訊いてみると、先生のモチベーションは100倍くらい高いはずです。

 

努力をしすぎるのはよくないと言いましたが、やや語弊があって、みなさんの段階では、しすぎてもしすぎることはないはずです。ただし、変な方向に行くのはダメです。最初でつまずき、トンデモ本ばかりを読むと、とんでもない方向にどんどん進んで行ってしまうことになります。まずは入門編です。1年生で学習する内容は、今後どんな学問分野に進もうとも、応用編に取り組むうえで、必ず基礎としなければいけないことを、教科書なりこの授業なりでしているはずですから、しっかりと聞いて、自分なりに消化してください。それでもなおわからないことがあったなら、「ここまでわかったけれど、ここから先がわかりません」という言い方で先生に訊く。これが私のやり方です。

 

浅羽 この授業で指定している『政治学の第一歩』という教科書はそういうスタンダードですから、そのように使ってほしいですね(先生方向けに、昨年度の講義スライドなどを版元の有斐閣のウェブサポートページで提供していますので、ご笑覧ください)。最後の最後までサービス精神旺盛ですね。「サービス(service)」というのは、「誰かのために仕える(serve)」という意味ですよね。このとき、この場にいるみなさんのために、一番役立つメッセージを、「今日、この授業の中でやっている」という意味も踏まえて、まとめてくださいました。

 

みなさん、1年生のこのタイミングでこの話を聞けたということを、どうか人生を変えうるチャンスにしてほしいと切に願います。私自身、19歳の大学1年生のとき、1995年にこの話を聞けていたら、いまと違ったキャリアパスに進んでいたかもしれないということを思わざるをえません。今日そういうチャンスをつくってくださった田村さんに心からの拍手で感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。

 

田村 ありがとうございました。互いに違うステージで、またコラボしましょう。

 

 

●新潟県立大学学生「受講生による解題」

 

聞き手に期待しないこと

 

私はいま、日常生活の大部分を、新潟県立大学というハイコンテクスト社会の中で過ごしている。学生同士であれば、あらかじめ共有している情報が多いため、わざわざ言葉にしなくても、その場の雰囲気や話の流れでコミュニケーションがとれることが多々ある。

 

しかし、大学を出れば、様々な背景を持った、自分と共有する情報がまったくない人たちに囲まれたローコンテクスト社会で生きていくことになる。そこで求められるコミュニケーションは、私がいま生きているハイコンテクスト社会でおこなっているものとは異なるはずだ。では、そのようなローコンテクスト社会では、どのように情報をハイコンテクストな表現からローコンテクストな表現へ<通訳>して伝え、人と関わっていくべきなのだろうか。

 

まず、聞き手に対して、「これくらいのことは当然知っているだろう」「言わなくても察してくれるだろう」というような期待は持つべきではない。ハイコンテクスト社会では、このような期待のもとに、はっきりとモノを言わずに、遠回しな表現を使うことがある。自分と同じ背景を持ち、情報を共有している限られた人たちとの間では、それで十分伝わるからである。しかし、ローコンテクスト社会では、自分と異なる背景を持ち、共有する情報がない人たちと交流する際には、聞き手にとっては自分が話す内容が、その場で得られる情報のすべてになる。つまり、ローコンテクスト社会では、言葉のみで相手に情報を伝える必要があるということだ。

 

相手に知ってもらいたいことは、言葉にしなければ伝わらない。ローコンテクスト社会において、もし上記のような期待を聞き手に持ってしまえば、当然聞き手に伝わる情報が不足し、自分と聞き手との間に理解の差が生まれてしまうだろう。そのような状況を少しでも避けるためには、ローコンテクスト社会では、相手に自分の常識は通じないということを前提として、明確で誰にでもわかりやすく、誤解を与えないような表現を使うべきである。

 

たしかに、ハイコンテクスト社会でのコミュニケーションは、仲間内の一体感につながるなど良い点もある。しかし、それはあくまで限られた仲間内だけで効果を発揮するものであり、ローコンテクスト社会では通用しないということを弁えておかなければいけない。グローバル化が進み、世界各地の様々な文化を持つ人たち同士が交流する機会が増えている。そうした中で、自分と異なる背景を持ち、共有する情報がない人たちともよりよい関係を築いていくためにも、「聞き手に期待しないこと」を念頭において、ローコンテクスト社会に適した表現を使うことを、私は心がけたい。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

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・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
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