2017.09.07

難民とデモクラシーを考える──デンマークの難民支援NGO「トランポリンハウス」

坂口緑 生涯学習論

国際 #難民#トランポリンハウス

ヨーロッパをめざす難民

近年、ヨーロッパをめざす難民が後を絶たない。アフリカや中東、西アジア諸国から、戦争や政治的対立を背景に、安全な生活を求めてやってくる人の多くは、命からがら母国を脱出し、親戚や知人を頼りながらも偶然のようにホスト国にやってくる。

一時期を除き2000年以降、右派が強い政権が続くデンマークでは、EUの中でも厳しい難民政策で知られる。それまで年間4000人から7000人程度だった難民申請が2014年に倍増し、難民をめぐる世論は急激に硬化した。滞在許可を得て長期滞在する人の数は隣国ドイツやスウェーデンと比較すると極端に少ないものの、1980年代はイランやイラク、1990年代はアフガニスタンやパレスチナ、2000年代に入るとポーランドやルーマニアから断続的に移民は流入しており、2014年にはシリアやエリトリアなどからやって来た14,732人、2015年には21,316人、2016年には 6,235人が難民申請をしている。2017年7月現在、デンマーク国内には34の難民センターがあり、約8000人が滞在している(注1)。

(注1)REFUGEES.DK2017年6月20日付の記事による。

デンマーク・コペンハーゲン市ノアブロ地区にあるNGOトランポリンハウス(Trampoline House)は、滞在許可を求めて難民センターに滞在する人や長期滞在する移民に、情報と居場所を提供するコミュニティセンターである。

都市郊外の難民センターの難民たちは、将来の見通しも立たないまま、数ヶ月から数年にわたり、極端に行動を制限された生活を余儀なくされる。子どもたちは幼稚園や学校に通うものの、大人たちがすることはほとんどなく、ホスト国の制度や慣習を知る機会もないまま排外主義に晒されることもある。

トランポリンハウスはこのような状況を改善しようと、2010年、アーティストや学生、難民、専門家によって設立された。理事会を構成するのは弁護士や大学教授、アーティストなど7名で、プログラムコーディネーター、ファンドレイザー、PR、ソーシャルワーカー等の役割を担う専門スタッフが6名いる。学生インターンやボランティアも積極的に受け入れ、年間200名ほどの難民たちの活動拠点となっている。

ワークショップ形式の授業

トランポリンハウスの活動の中心は、様々なワークショップ形式の授業である。法律、医療、心理相談、職業訓練、教育制度、社会福祉制度に関するカウンセリング業務のほかに、デンマーク語、英語、アラビア語、ペルシャ語、編み物と裁縫、合唱、ペルシャ語で読む聖書、女性クラブなど、数名から20名ほどが集まることのできるプログラムを定期的に開催している。

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(出典:Trampoline House HPより、カウンセリングの風景)

2016年2月に見学した英語の授業ではクウェート、イラン、パレスチナ、シリアから来た7人の男女がテーブルを囲んでいた。アフガニスタンで英語教師をしていたという男性が、この日の教師役を引き受け次々と質問をする。“How long have you been in Denmark?”, “How do you like living in Copenhagen?”, “What time did you have your dinner yesterday?”現在形と過去形の違いを中心に、母国で英語を学ぶ機会のないままやってきた人が文法を理解できるよう、男性は全員に質問を繰り返す。

英語は、外国人である彼らにとって、移動の先々で期待される言語であり、デンマーク以外の国に住むことになる場合にも必要となる。滞在期間が長く、デンマーク語を理解する人にとっても、英語がわかれば職を得る際に有利に働く。滞在期間が短く、デンマーク語をまったく解さないものの英語を話す人にとっては、教師役を補助し、持てる能力を発揮する時間となる。

郊外にある難民センターからコペンハーゲン市ノアブロ地区にあるトランポリンハウスまで移動するのは、交通費の高いデンマークでは経済的負担が大きい。活動を始めた当初、トランポリンハウスのスタッフは難民センターに滞在する人たちに無料の交通チケットを渡し、ハウスに来てもらおうと働きかけた。しかし、チケットをただ渡しても、街に出て買い物をするだけで帰ってしまったり、第三者に売り渡されたりしまうことがわかり中止した。無料というチャリティの論理が、難民たちに間違ったメッセージを与えていたのではないか、と創立者のひとりモーテン・ゴル氏は説明する。

難民たちは活動に参加し、能力を開発し、次のステップに進みたいと考えているが、援助されたいと思っているわけではない。現在では、トランポリンハウスでの仕事、料理、皿洗い、掃除、庭仕事、コーヒーカウンターの当番といったハウスの仕事をする代わりに交通費が無料になるというシステムに変更し、ハウスに通う人の数も増加した。多くの参加者が集まるようになったおかげで、新しい活動も生まれている。

デモクラシー・ワークショップ

トランポリンハウスの活動を象徴する重要な活動に、「デモクラシー・ワークショップ」がある。1年半前に始まったこのワークショップは、難民がデモクラシーについて理解し発言するために学び合う、週1回90分のプログラムである。

2017年8月に見学した回では、ゴル氏を中心にシリア、イラン、アフガニスタン、コンゴ民主共和国出身の9名が集まっていた。一人の参加者が書いてきた詩を朗読したいと言いだし、みんなで朗読に耳を傾けた。デモクラシーの精神を表現したという詩は、チェ・ゲバラから毛沢東まで、「革命」に関わったとされる人の名前を順不同に列挙する素朴な内容だったため、朗読のあとなぜこの人物を選んだのかという質問や批判が相次いだ。文学に精通し世界の詩にも詳しいと自負する男性は、デモクラシーというのは過程に過ぎず、現代の視点から革命の帰結を評価することはできないと反論しながらも、参加者たちは自由な議論を楽しんでいる。

democracy workshop

(出典:Trampoline House HPより)

その後、ゴル氏が短い動画を上映する。高校の社会の授業で、専制的な高校教師が銃を片手に代表制民主主義について説明するという一風変わった設定の英語ドラマである。教師は無理矢理2名の生徒を代表に選び、クラスメイトの中から誰か一人を犠牲にするよう投票で決めさせようとする。ワークショップの参加者は、あり得ない設定の動画の内容にあきれながらも、多数派のために少数派が犠牲にならなければいけないという論理が、現実の世界でも多くの政治家が好んで使うレトリックだという結論にたどりつく。

議論が一段落したときに、シリアからきた男性が問いを投げかけた。「誰が難民センターにいる僕たちのような人を代表しているのか。誰が僕たちを守ってくるのか」。そして男性は、その前の日に妻が泣きながら電話をかけてきた話を語り始めた。妻と子どもたちがスーパーマーケットに買い物に行ったら、荷物として持っていたシーツをレジ係に指さされ、盗んだのではないかと疑われ、30分も問い詰められていたという。

デンマーク語も英語も解さない妻は、二人の子どもとともに泣きながら途方に暮れていた。別の場所にいた夫は急いでタクシーで店に駆けつけ、持っていたレシートを見せ疑いを晴らす。けれども納得のいかなかった彼はすぐに店長を呼び出し、なぜこのようなことが起こったのかについて、警察の立ち会いのもとで説明するよう強く求めた。

しかし奥から出てきた店長はただただ謝罪するばかりで、男性をなだめ、タクシー代やお詫び金を渡そうとする。男性はそのことにたいへん傷つけられた、と憤る。男性の訴えに応えてゴル氏が話す。「誰が守ってくれるのか、それは自分自身なんだ。そしてあなたは昨日、金銭で事態を収拾しようとした店長に、基本的権利を主張した。素晴らしいことだよ」。

トランポリンハウスの唯一のルール、それは、「条件なしに互いを認め合うこと(‘unconditional mutual respect’)」。難民申請者のように個人識別番号(CPRナンバー)を持たない人も暮らす社会では、選挙権をもつかどうかがデモクラシーの及ぶ範囲ではない。ゴル氏は、20世紀前半に活躍したデンマークの政治学者ハル・コック(Hal Koch)を引用し、投票ではなく対話を重ねることがデンマークのデモクラシーなのだと語りかける。

デンマークのデモクラシーのためにも、難民が自分の声で語り始めることが必要だ、とトランポリンハウスは考える。最近ではデモクラシー・ワークショップのメンバーたちが政治集会や大学の講義、市民講座に講師として呼ばれることも増え、難民を代表して彼ら自身の声を社会に届ける活動につながっている。

democracyworkshop_soupkitchen

シスターズ・キュイジーヌ

トランポリンハウスが力を入れているもう一つの活動に、「シスターズ・キュイジーヌ」がある。毎週土曜日は女性だけが参加できる女性クラブが開催される。

難民センターに住む亡命者、難民、移民、デンマーク人、留学生など、女性問題と世界の料理に関心のある女性たちがチームを組み、2015年に「国境なき食卓(food without borders)」を謳うシスターズ・キュイジーヌが始まった。そこには、普段、男性と同じ場所では活動できない人がわざわざ遠くからもやってくる。

シスターズ・キュイジーヌの主な活動は、ケータリング事業である。会社や家庭でのパーティーに、世界各国のエスニック料理を取り入れたフードやデザートを届け、売り上げをトランポリンハウスの寄付金として受け取る。女性たちがレシピを考え、材料を調達し、役割を分担しながら調理し、配達をする。

トランポリンハウスの中にあるキッチンは、おしゃべりをしながら野菜を刻み、歌いながら食器を洗う人たちでいつもあふれている。2017年7月、ヨーロッパ最大規模の野外音楽フェスとして知られるロスキレ・フェスティバルに出店した屋台でも、オーガニック野菜を多用したシスターズ・キュイジーヌのメニューは人気を集めたという。

このプロジェクトをリードするトーネ・オラフ・ニルセン氏は次のように話す。「デンマーク社会では、女性が自己表現するのは当然とされ、そうしないと奇妙に思われることもあります。けれども難民としてここにやってきた人の中には、その社会規範に戸惑う人も多い。料理はそのような人にとって自分の力を表現する有効な手段なんです」。今年2月には、難民の身の上に起こったストーリーとレシピとを紹介する料理本『シスターズ・キュイジーヌ・クックブック──国境なきレシピ』が出版された。この本の売り上げもトランポリンハウスの活動に充てられている。

sisters' cuisine

(出典:Trampoline House HPより)

わたしの家、あなたの家

トランポリンハウスは、民間や政府の補助金、企業や組織からの寄付金、そして多くの個人からの寄付金でまかなわれている。大型の補助金の終了年を迎えるたびに、何度も経済的危機を迎えるが、そのたびにみんなの知恵と工夫で生き延びてきた。ファンドレイザーは各種の補助金獲得のために政府、財団、企業に働きかけるほかにも、アート作品の展覧会や販売会、クリスチャニア自治区でのクラブイベントなど若者文化のチャネルも利用し、寄付金と賛同者を集める活動に余念がない。それでも寄付金の多寡は、デンマークの移民政策に大きく左右される。

1990年頃まで移民に寛容だったデンマークの世論が変化したのは1995年に移民政策を重要政策に掲げる政党「DF(Dansk Folkeparti; The Danish People’s Party)が結成されてからと言われている(注2)。

(注2)Ulf Hedetoft, 2006, Multiculturalism in Denmark and Sweden, Danish Institute for International Studies.

1992年には、それまで配偶者に関しては無条件で可能だった家族呼び寄せのルールが厳しくなり、呼び寄せる側に一定の財産要件を課すようになった。デンマークはヨーロッパでも最初の社会統合法を設立されたが、そこで定められた毎月の難民手当が生活保護水準より低く設定され物議を醸した。

2003年には「24歳ルール」として知られる家族呼び寄せ規則のいっそうの厳格化が導入され、配偶者が北欧諸国以外の出身者である場合、両者が24歳以上にならないとデンマーク国内に定住できないとした。市民権獲得のための試験では「デンマークの価値」も重視されるようになり、正規雇用の年数などに加え社会的活動の経験も加味されるようになった。2016年には難民申請者の有する1万クローネ(約17万円)以上の財産を政府が没収できる法案をデンマーク議会が可決している。

トランポリンハウスは、このような難民に対する逆風の中、難民自身の力を引き出すための活動を継続している。「デンマークのデモクラシーはそのようなものだから」(ゴル氏)、というのが理由のすべてなのだろう。トランポリンハウスのホームページに最初に現れるのは、次のようなハッシュタグ付きの言葉である。「#わたしの家あなたの家(#MY HOUSE YOUR HOUSE)」。NGOが運営する難民のためのコミュニティセンターは、このようにしてみんなの「家」として重要な機能を果たしている。

Trampoline House

【HP】http://www.trampolinehouse.dk/

【住所】Thoravej 7 DK-2400 Copenhagen NV Denmark

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プロフィール

坂口緑生涯学習論

1968年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。2008−2009年、オーフス大学客員研究員。明治学院大学社会学部教授。専門は生涯学習論、市民社会論。

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