2018.03.07
永世中立の概要と永世中立国の平和外交の意義
われわれがスイスをイメージするもののひとつに「永世中立」がある。スイスでは、このことが一層明確に現れており、「スイスを象徴するもの」を問うたクレディ・スイス社の調査(2015年)によれば、2位の「安全保障・平和」(19%)を大きく引き離し、実に32%ものスイス人が「中立」と答えているのである。
ところが、スイスの象徴にもなっている永世中立とは、そもそもどのようなものなのかを問われたとき、われわれがそれに適切に答えるのは至難なことである。
そこで、本稿では、永世中立とはどのようなものなのか、永世中立国はどのようにしてその地位を保持しているのか、といったことを永世中立国として200年以上の歴史を有するスイスを中心に、スイスの平和外交の意義にも触れながら、明らかにしようと思う。
1.永世中立とは
永世中立とは、端的にいえば、戦争に巻き込まれないための、主として小国によって採用される安全保障制度であり、将来の戦争に対していずれの戦争当事国にも援助してはならない義務を国際法に基づいて負う国家の法的地位をいう。
(1)安全保障としての永世中立
永世中立国には、スイスのほかにオーストリア、コスタリカ、トルクメニスタンなどがあり、永世中立国となった歴史的背景はそれぞれ異なる。しかし、これらの国に共通しているのは、大国や近隣諸国間の戦争に巻き込まれることなく、その独立を堅持するための安全保障政策として永世中立を選択したという点である。
さて、国家の領土保全や独立が外国からの武力によって脅かされないようにする安全保障としてよく知られているのは、国連の集団安全保障であろう。
集団安全保障とは、第一に戦争を禁止し、第二にそれでもなお戦争が発生した場合、集団安全保障体制に加わる国家が共同で違反国に対して制裁を加えることで、平和を維持・回復しようとするものである。国連は、安全保障理事会に集団安全保障措置に関する権限を集中させたが、とりわけ冷戦中においては、安保理常任理事国の度重なる拒否権行使もあって、この制度は十分に機能しなかった。そこで、東西の盟主であるアメリカとソ連は、それぞれ北大西洋条約機構(NATO)およびワルシャワ条約機構といった軍事同盟を結び、安全保障上の協力関係を構築した。
歴史を振り返ると、同盟締結による安全保障は、近代ヨーロッパにおいて支配的な原則であった勢力均衡政策にみられた現象である。勢力均衡は、いずれの国も突出した大国となることがないよう列強国の力の均衡によって平和を達成しようとする安全保障モデルで、通常、他国との同盟締結によって力の均衡を実現しようとする。ここで重要なのは、近代ヨーロッパにおける古典的な勢力均衡の第一の目的が大国の存続を大国が相互に保障しあうことにあったのであり、大国間のパワーゲームを前に小国はときとして大国にのみこまれることさえあった。
そのため、小国のなかにはこうしたパワーゲームに加わらず、その独立を守るために永世中立を採用する国が現れるようになる。後述するように、スイスは、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814年−15年)において、勢力均衡を実行するヨーロッパ列強から永世中立を承認された。以降、いかなる同盟にも加盟することなく、また他国の戦争にかかわることなく現在に至っている。
(2)国際法上の地位としての永世中立
安全保障としての永世中立は、永世中立国が国際法に定める一定の義務を履行することによって、当該国が戦争に巻き込まれないようにすることを目的としている。
ここで、永世中立国に課せられる一定の義務とは、(a)他国間で現に戦争が発生した場合、戦争の非参加国が負う戦時中立義務と、(b)平時において将来の戦争に巻き込まれないための義務に大別される。(a)が基本的には戦争に参加しないすべての国家(単に中立国という)に対して課せられる義務であるのに対し、(b)は永世中立国のみに課せられる特別の義務である。
なお、永世中立の「永世」とは、「戦時のみならず平時においても」という意味であり、永世中立国は、戦時のみならず平時においても中立であることを要求される国をいう。
(a)戦時の義務
戦時に中立国に求められるのは、戦争当事国を平等に扱うことであり、そのために中立国が負う重要な義務を「公平義務」という。
公平義務はさらに、戦争当事国双方への援助を差し控えなければならない「回避義務」と、戦争当事国が中立国の領域を利用することを防止しなければならない「防止義務」の2つにわかれる。
回避義務を定める条約上の規定には、戦争当事国への軍艦や弾薬などの提供を中立国に禁止する海戦中立条約6条(1907年)や、中立国国民が製造開発した武器弾薬などの中立国による制限・禁止措置は戦争当事国双方に平等に適用しなければならないと定める陸戦中立条約9条(1907年)がある。
中立国(国民)は、戦時において戦争当事国と通商活動をする自由が認められていることもあって、回避義務については、通商活動との関係でその違反事例がしばしばみられる。例えば、第一次ソ連・フィンランド戦争(1939年−40年)で、中立国スイスは、国家として製造した兵器をフィンランドに輸出するとともに、スイス企業によるフィンランド向け兵器の輸出を支援する一方で、ソ連に対しては兵器の輸出を禁止する措置をとった。これらが回避義務に反する行為であるという評価は免れない。
また中立国は、その領域内において戦争当事国の敵対行為を防止し(海戦中立条約2条、25条)、中立国領域の戦争当事国軍隊の通過を阻止しなければならない防止義務(陸戦中立条約2条、5条)を負う。近年の例でいえば、1999年のNATOによるコソボ空爆や2003年のイラク戦争において、スイスはNATOや米軍によるスイス領空通過の要請を防止義務に基づき拒否している。
(b)平時の義務
上で述べたように、中立国は、その領域を戦争当事国に利用させてはならない防止義務を負うが、永世中立国は、この義務を適切に果たすために、平時から他国の軍事基地をその領域内に設置させてはならない。
日本国憲法9条に基づき、日本は永世中立国になるべきであるという議論があるが、この試みにとって障壁となるのが、日米安全保障条約6条に基づき設置された在日米軍基地の存在である。また永世中立国は、以下のように軍事同盟への加盟も禁止されるので、日米安保条約そのものを解消することも日本の永世中立化の条件となる。
永世中立国は、自国が攻撃を受けた場合に反撃する個別的自衛の場合を除いて、戦争に参加してはならない。そのため、被攻撃国を援助する集団的自衛権を永世中立国が行使することは許されない。そして、集団的自衛権と結びつく軍事同盟に加盟することもまた、将来起こりうる同盟国の戦争に巻き込まれるおそれがあるため、永世中立国はこれを控えなければならない。
スイスは、NATOに加盟している近隣諸国と政治的、経済的な価値観を共有する西欧民主主義の国家である。したがって、NATOの存在は、スイスの平和にとって必ずしも脅威になるとはいえないが、上記の軍事同盟非参加の義務によって、永世中立国であるかぎり、NATO加盟国になることは認められないのである。
ただ、スイスは、NATOとの軍事的協力関係をまったく有していないわけではなく、1994年にNATOが創設した「平和のためのパートナーシップ」(PfP)に参加している。
NATOは冷戦終結後、その役割を集団防衛のみならず、NATO域内外の危機管理や協調的安全保障へと発展・拡大させた。PfPはその一環と位置づけられ、国防計画・予算の透明性の促進や平和維持活動、災害救助、人道援助などの分野でNATOと連携を図ることを目的とした、ヨーロッパ大西洋諸国との2国間協力プログラムである。
スイスがこのプログラムへの参加を決意したのは、PfPがNATO本来の目的である共同防衛の義務(NATO条約5条)を参加国に課すものではなかったことに加え、PfPには参加国の独自の外交政策に応じて、NATOとの協力関係を決定できるアラカルト方式が採用されていたためである。PfPはたしかに、参加国とNATO間の軍事的協力を促進するものではあるが、永世中立国に課せられた中立義務を侵すような性格ではないという判断が参加の誘因となったのである。
2.スイスはどのような経緯で永世中立国となったのか
(1)パリ議定書(1815年)
スイスの永世中立の起源となる特定の事件や行動については、1515年にミラノ公国の争奪をめぐって、ヴェネチア・フランスとの間で争ったマリニャーノの戦いとする見解がある。この戦いでの敗北が、スイスのそれまでの軍事的領土拡張主義から戦争を回避する中立志向へと向かわせたというのである。
しかし、独立国家としてのスイス(30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約で神聖ローマ帝国から独立)が法的に永世中立国として承認されたのは、1815年のウィーン会議においてである。すでに中立を慣行としていたスイスは、ナポレオン戦争に対しても中立を宣言していたが、フランス軍がスイスに侵攻し、「ヘルヴェティア共和国」を樹立、スイスは事実上フランスの支配下に置かれることとなった。
ナポレオン体制の崩壊後、ヨーロッパの政治的秩序の再建と永続的平和の確立を目的としたウィーン会議で、スイスは、スイスの中立がヨーロッパ全体の安全保障となることを強調した。これに対し、ロシア、イギリス、プロシア、オーストリアの列強国は、「スイス問題検討委員会」を設置するものの、主導権争いから一致した結論に至らずにいた。
こうしたなか、ナポレオンのエルバ島脱出の報が入り、各国は自国の要求を自制し、1815年11月20日、「スイスの永世中立及びその領域の不可侵の承認及び保障に関する議定書」(パリ議定書)を採択し、スイスの永世中立を「正式且つ真正に承認」した。パリ議定書の原署名国は、オーストリア、プロシア、イギリス、フランス、ポルトガルの6カ国で、のちにスペイン、スウェーデン、イタリアが加盟し、スイスの永世中立を保障した。
(2)スイスが永世中立国を選択し、諸外国が承認した背景
地理的にみるとスイスは、ヨーロッパの中央にあり、軍事戦略上の要衝として、大国からの干渉の対象となりやすい位置にある。スイスが永世中立国であることを選択したのは、小国スイスにとっては、中立によらなければ独立を堅持することができず、大国から侵略されるのは必至であると判断したからである。
逆に、スイスの永世中立を承認したヨーロッパ列強からみても、スイスが永世中立国となることにはメリットがあった。つまり、ヨーロッパ列強間で戦争が起こったとしても、スイスが中立国であることで、敵対国がスイスを占領しスイスから攻撃することを考慮する必要はないのである。
上記のことから、スイス自身の国家としての存続だけでなく、ヨーロッパ列強の国防の観点からも、スイスを永世中立国とする必要にして十分な理由があったことがわかる。このことは、パリ議定書が「スイスの中立及び不可侵並びに全ての外国勢力からの独立が全ヨーロッパの政治体制のために真に有益である」と述べていることからも明らかといえよう(太線、筆者)。
3.永世中立国スイスはどのように国際的な地位を守っているのか
ここでは、スイスが中立を維持するための重要な手段ととらえている軍備の保有と、第二次大戦においてスイスが中立を守るために行った負の活動について概観する。
(1)武装中立
スイスは、永世中立の地位を強力な軍備で保持しようとする武装中立の国である。前述したように、スイスは軍事大国に囲まれたヨーロッパ中央に位置する軍事的に重要な要衝とみなされていた。そのため、スイスは、1815年に永世中立を承認された際に、自国の中立と独立を軍事力によって防衛することを対外的に宣言した。
スイス憲法は、軍隊保持と国民皆兵制を規定し(58条、59条)、軍事力を保持することで国家の防衛を図るものとしているが、近年、軍隊廃止の議論も活発に行われている。2013年には、市民運動団体によるイニシアティブを受けて、軍隊廃止に関する国民投票が実施された。結果は、軍隊がスイスにとってのアイデンティティともいえる中立とともにスイスに深く根づいていることもあって、73%の圧倒的多数で否決され、徴兵制の存続が決まった。
核戦争が勃発する危険もあった冷戦期において、スイス政府は、スイスの独立と中立を堅持するために、核兵器が効果的な兵器であることを表明したことがある。当然のことではあるが、それは、永世中立国の武力行使が自衛の場合に限定されることと関連して、他国からの攻撃を排除するための戦術核兵器の保持を意味していた。
結局スイスは、1969年に核拡散防止条約に参加し、非核保有国として核兵器不保持の条約上の義務を負うことになるのであるが、スイス政府の核保有も辞さないという姿勢は、核武装によって独立と中立を守るという断固とした意思を示すものであったといえよう。
(2)ナチス・ドイツへの協力
第二次大戦において、スイスは、スウェーデン、ポルトガルなどとともに、戦時中立を維持できた数少ない国であった。
しかし、スイスが大戦中、とりわけドイツからの侵略を免れ中立を維持できた要因のひとつに、ユダヤ人に対する対応とドイツ帝国銀行との金取引があったことが指摘されている。
1990年代半ばに、アメリカに本部を置く世界ユダヤ人会議によって、スイスに対し、ホロコースト犠牲者の休眠口座の返還を求めるキャンペーンが繰り広げられたのを機に、この調査に乗り出した米国政府は、1997年、スイス政府の責任を厳しく指摘する報告書を発表した。スイス政府もまた、スイスに預けられたとされるユダヤ人資産の行方を調査するための独立専門家委員会を設け、2002年に詳細な報告書を公刊した。
これらの報告書において、スイスの銀行に預けられたユダヤ人犠牲者の資産が休眠資産となっていること、中立国スイスはユダヤ人迫害の事実を知りながらユダヤ人難民のスイス国境での受け入れを拒否したこと、スイスの銀行がドイツから購入した金のなかにホロコーストの犠牲者から強奪したものも含まれていたことなどが明らかにされた。
金取引については、大戦中から連合国が、スイスとドイツの金取引について、略奪金塊である可能性を指摘し、スイスに取引をやめるように警告していたが、スイスは当該取引が中立国や中立国国民に許された「通常業務」であると判断し、終戦間近までやめることはなかった。
第二次大戦において、オランダやデンマークなどの中立国がドイツによって中立を侵害され占領されたにもかかわらず、スイスがその独立や中立を維持しえたのは、こうしたドイツとの緊密な関係によるものであり、中立を隠れ蓑にしたナチスとの協力関係が、ドイツに不当な利益をもたらし、戦争を長期化させたとして、スイスは国際社会の厳しい非難にさらされた。
4.永世中立国の外交から学ぶこととはなにか
永世中立国は、他国の戦争に関与せず、当事国に対して公平の態度をとるという中立の特性を活かして、次の平和外交を展開している。
(1)利益保護国としての役割
利益保護国とは、敵の権力内にある自国民の利益保護を託された国家をいい、通常中立国や、当事国以外の第三国がその任務を引き受ける。利益保護国の存在は、戦争犠牲者を保護する人道的観点から有益であり、1929年の捕虜条約で利益保護国制度が公式に承認された。その後、傷病者、捕虜、文民の保護を目的とした1949年のジュネーブ諸条約にも、この制度は引き継がれている。
利益保護国の起源は、1870年の普仏戦争で利益保護国となったスイスにあるとされる。第二次大戦では、スイスは、30カ国以上の利益保護国となり、そのなかにはアメリカ、イギリスに対する日本の利益代表も含まれていた。キューバ危機では、スイスの中立性を信頼して、アメリカ、キューバ双方の利益代表となっている。
冷戦終結後は戦争の形態が国家間の戦争から内戦へと変化していることもあって、利益保護国としての任務は減少しているが、スイスは、利益保護国としての活動を平和外交政策と位置づけており、永世中立国スイスが果たしうる国際貢献のひとつとみなしている。
(2)積極的中立
これまで述べたように、永世中立国は、戦争当事国のいずれにも肩入れせず、また平時から中立をまっとうするための特別の義務を負うことで、自国の独立を堅持しようとする。こうした他国の戦争にかかわらないという永世中立国の基本姿勢は、「消極的中立」と呼ばれる。
冷戦期には、この消極的中立に加えて、東西のイデオロギー対立を契機とする戦争に巻き込まれるリスクを回避するべく、戦争当事国や対立する当事者の間で仲介の役割を果たす「積極的中立」外交を展開するようになっている。
具体的には、永世中立国は、対立する当事者間の利害調整のための交渉の場として、また国際会議の開催場所として利用される。冷戦の開始以降、はじめて米英仏ソの首脳が集結した4巨頭会談(1955年)や、最近の例ではシリア内戦の終結のために国連が主導する和平協議など、スイス・ジュネーブは、これまで数多くの国際会議や和平協議が開催されている。
積極的中立外交は、冷戦終結後の現在においても、すべての永世中立国によって実践されており、永世中立国に共通する平和外交政策となっている。なお、コスタリカのアリアス大統領(当時)は、積極的中立のもと、長引く中米紛争の和平実現に尽力し、1987年にノーベル平和賞を受賞している。
おわりに
スイスは、国民皆兵と軍備を保有する武装中立国であり、皆兵制のもとにあるスイス国民の国防意識は、非常に高いといわれる。その反面、いや、そうであるからこそ、銃をとるまえの外交努力こそが、スイスや国際社会の平和の実現に決定的に重要であり、永世中立国スイスがその役割を果たすのに適任であることを深く理解しているのである。
スイスは、戦争に対して一致団結して対処する国連の時代を迎えてなお、孤立的、利己的と批判された永世中立政策を貫き国連加盟を控えてきた。2002年にようやく国連加盟を果たすが、その背景のひとつに、国際テロや核兵器の拡散など、国際社会との協力・連帯を必要とする新たな脅威が顕在化したことが挙げられる。先に述べたNATOのPfP参加もこの文脈のなかでとらえることができる現象である。
永世中立国は、戦争への不関与を根幹とする中立政策を維持しつつ、自国の安全と独立を堅持するために、国際社会との連帯も視野に入れた外交・安全保障政策をとり入れている。そこには、中立の特性を活かした永世中立国固有の武力に頼らない国際貢献が含まれていることも忘れてはならないだろう。
プロフィール
礒村英司
元福岡国際大学教員。専門は国際法学、特に永世中立制度、武力紛争時の環境保護。著書に『戦争する国にしないための中立国入門』(平凡社新書、2016年)、『現代に生きる国際法』(共著、尚学社、近刊)。