永世中立の概要と永世中立国の平和外交の意義

われわれがスイスをイメージするもののひとつに「永世中立」がある。スイスでは、このことが一層明確に現れており、「スイスを象徴するもの」を問うたクレディ・スイス社の調査(2015年)によれば、2位の「安全保障・平和」(19%)を大きく引き離し、実に32%ものスイス人が「中立」と答えているのである。

 

ところが、スイスの象徴にもなっている永世中立とは、そもそもどのようなものなのかを問われたとき、われわれがそれに適切に答えるのは至難なことである。

 

そこで、本稿では、永世中立とはどのようなものなのか、永世中立国はどのようにしてその地位を保持しているのか、といったことを永世中立国として200年以上の歴史を有するスイスを中心に、スイスの平和外交の意義にも触れながら、明らかにしようと思う。

 

 

1.永世中立とは

 

永世中立とは、端的にいえば、戦争に巻き込まれないための、主として小国によって採用される安全保障制度であり、将来の戦争に対していずれの戦争当事国にも援助してはならない義務を国際法に基づいて負う国家の法的地位をいう。

 

(1)安全保障としての永世中立

 

永世中立国には、スイスのほかにオーストリア、コスタリカ、トルクメニスタンなどがあり、永世中立国となった歴史的背景はそれぞれ異なる。しかし、これらの国に共通しているのは、大国や近隣諸国間の戦争に巻き込まれることなく、その独立を堅持するための安全保障政策として永世中立を選択したという点である。

 

さて、国家の領土保全や独立が外国からの武力によって脅かされないようにする安全保障としてよく知られているのは、国連の集団安全保障であろう。

 

集団安全保障とは、第一に戦争を禁止し、第二にそれでもなお戦争が発生した場合、集団安全保障体制に加わる国家が共同で違反国に対して制裁を加えることで、平和を維持・回復しようとするものである。国連は、安全保障理事会に集団安全保障措置に関する権限を集中させたが、とりわけ冷戦中においては、安保理常任理事国の度重なる拒否権行使もあって、この制度は十分に機能しなかった。そこで、東西の盟主であるアメリカとソ連は、それぞれ北大西洋条約機構(NATO)およびワルシャワ条約機構といった軍事同盟を結び、安全保障上の協力関係を構築した。

 

歴史を振り返ると、同盟締結による安全保障は、近代ヨーロッパにおいて支配的な原則であった勢力均衡政策にみられた現象である。勢力均衡は、いずれの国も突出した大国となることがないよう列強国の力の均衡によって平和を達成しようとする安全保障モデルで、通常、他国との同盟締結によって力の均衡を実現しようとする。ここで重要なのは、近代ヨーロッパにおける古典的な勢力均衡の第一の目的が大国の存続を大国が相互に保障しあうことにあったのであり、大国間のパワーゲームを前に小国はときとして大国にのみこまれることさえあった。

 

そのため、小国のなかにはこうしたパワーゲームに加わらず、その独立を守るために永世中立を採用する国が現れるようになる。後述するように、スイスは、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814年−15年)において、勢力均衡を実行するヨーロッパ列強から永世中立を承認された。以降、いかなる同盟にも加盟することなく、また他国の戦争にかかわることなく現在に至っている。

 

(2)国際法上の地位としての永世中立 

 

安全保障としての永世中立は、永世中立国が国際法に定める一定の義務を履行することによって、当該国が戦争に巻き込まれないようにすることを目的としている。

 

ここで、永世中立国に課せられる一定の義務とは、(a)他国間で現に戦争が発生した場合、戦争の非参加国が負う戦時中立義務と、(b)平時において将来の戦争に巻き込まれないための義務に大別される。(a)が基本的には戦争に参加しないすべての国家(単に中立国という)に対して課せられる義務であるのに対し、(b)は永世中立国のみに課せられる特別の義務である。

 

なお、永世中立の「永世」とは、「戦時のみならず平時においても」という意味であり、永世中立国は、戦時のみならず平時においても中立であることを要求される国をいう。

 

(a)戦時の義務

戦時に中立国に求められるのは、戦争当事国を平等に扱うことであり、そのために中立国が負う重要な義務を「公平義務」という。

 

公平義務はさらに、戦争当事国双方への援助を差し控えなければならない「回避義務」と、戦争当事国が中立国の領域を利用することを防止しなければならない「防止義務」の2つにわかれる。

 

回避義務を定める条約上の規定には、戦争当事国への軍艦や弾薬などの提供を中立国に禁止する海戦中立条約6条(1907年)や、中立国国民が製造開発した武器弾薬などの中立国による制限・禁止措置は戦争当事国双方に平等に適用しなければならないと定める陸戦中立条約9条(1907年)がある。

 

中立国(国民)は、戦時において戦争当事国と通商活動をする自由が認められていることもあって、回避義務については、通商活動との関係でその違反事例がしばしばみられる。例えば、第一次ソ連・フィンランド戦争(1939年−40年)で、中立国スイスは、国家として製造した兵器をフィンランドに輸出するとともに、スイス企業によるフィンランド向け兵器の輸出を支援する一方で、ソ連に対しては兵器の輸出を禁止する措置をとった。これらが回避義務に反する行為であるという評価は免れない。

 

また中立国は、その領域内において戦争当事国の敵対行為を防止し(海戦中立条約2条、25条)、中立国領域の戦争当事国軍隊の通過を阻止しなければならない防止義務(陸戦中立条約2条、5条)を負う。近年の例でいえば、1999年のNATOによるコソボ空爆や2003年のイラク戦争において、スイスはNATOや米軍によるスイス領空通過の要請を防止義務に基づき拒否している。

 

(b)平時の義務

上で述べたように、中立国は、その領域を戦争当事国に利用させてはならない防止義務を負うが、永世中立国は、この義務を適切に果たすために、平時から他国の軍事基地をその領域内に設置させてはならない。

 

日本国憲法9条に基づき、日本は永世中立国になるべきであるという議論があるが、この試みにとって障壁となるのが、日米安全保障条約6条に基づき設置された在日米軍基地の存在である。また永世中立国は、以下のように軍事同盟への加盟も禁止されるので、日米安保条約そのものを解消することも日本の永世中立化の条件となる。

 

永世中立国は、自国が攻撃を受けた場合に反撃する個別的自衛の場合を除いて、戦争に参加してはならない。そのため、被攻撃国を援助する集団的自衛権を永世中立国が行使することは許されない。そして、集団的自衛権と結びつく軍事同盟に加盟することもまた、将来起こりうる同盟国の戦争に巻き込まれるおそれがあるため、永世中立国はこれを控えなければならない。

 

スイスは、NATOに加盟している近隣諸国と政治的、経済的な価値観を共有する西欧民主主義の国家である。したがって、NATOの存在は、スイスの平和にとって必ずしも脅威になるとはいえないが、上記の軍事同盟非参加の義務によって、永世中立国であるかぎり、NATO加盟国になることは認められないのである。

 

ただ、スイスは、NATOとの軍事的協力関係をまったく有していないわけではなく、1994年にNATOが創設した「平和のためのパートナーシップ」(PfP)に参加している。

 

NATOは冷戦終結後、その役割を集団防衛のみならず、NATO域内外の危機管理や協調的安全保障へと発展・拡大させた。PfPはその一環と位置づけられ、国防計画・予算の透明性の促進や平和維持活動、災害救助、人道援助などの分野でNATOと連携を図ることを目的とした、ヨーロッパ大西洋諸国との2国間協力プログラムである。

 

スイスがこのプログラムへの参加を決意したのは、PfPがNATO本来の目的である共同防衛の義務(NATO条約5条)を参加国に課すものではなかったことに加え、PfPには参加国の独自の外交政策に応じて、NATOとの協力関係を決定できるアラカルト方式が採用されていたためである。PfPはたしかに、参加国とNATO間の軍事的協力を促進するものではあるが、永世中立国に課せられた中立義務を侵すような性格ではないという判断が参加の誘因となったのである。 

 

 

2.スイスはどのような経緯で永世中立国となったのか

 

(1)パリ議定書(1815年)

 

スイスの永世中立の起源となる特定の事件や行動については、1515年にミラノ公国の争奪をめぐって、ヴェネチア・フランスとの間で争ったマリニャーノの戦いとする見解がある。この戦いでの敗北が、スイスのそれまでの軍事的領土拡張主義から戦争を回避する中立志向へと向かわせたというのである。

 

しかし、独立国家としてのスイス(30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約で神聖ローマ帝国から独立)が法的に永世中立国として承認されたのは、1815年のウィーン会議においてである。すでに中立を慣行としていたスイスは、ナポレオン戦争に対しても中立を宣言していたが、フランス軍がスイスに侵攻し、「ヘルヴェティア共和国」を樹立、スイスは事実上フランスの支配下に置かれることとなった。

 

ナポレオン体制の崩壊後、ヨーロッパの政治的秩序の再建と永続的平和の確立を目的としたウィーン会議で、スイスは、スイスの中立がヨーロッパ全体の安全保障となることを強調した。これに対し、ロシア、イギリス、プロシア、オーストリアの列強国は、「スイス問題検討委員会」を設置するものの、主導権争いから一致した結論に至らずにいた。

 

こうしたなか、ナポレオンのエルバ島脱出の報が入り、各国は自国の要求を自制し、1815年11月20日、「スイスの永世中立及びその領域の不可侵の承認及び保障に関する議定書」(パリ議定書)を採択し、スイスの永世中立を「正式且つ真正に承認」した。パリ議定書の原署名国は、オーストリア、プロシア、イギリス、フランス、ポルトガルの6カ国で、のちにスペイン、スウェーデン、イタリアが加盟し、スイスの永世中立を保障した。

 

(2)スイスが永世中立国を選択し、諸外国が承認した背景

 

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地理的にみるとスイスは、ヨーロッパの中央にあり、軍事戦略上の要衝として、大国からの干渉の対象となりやすい位置にある。スイスが永世中立国であることを選択したのは、小国スイスにとっては、中立によらなければ独立を堅持することができず、大国から侵略されるのは必至であると判断したからである。

 

逆に、スイスの永世中立を承認したヨーロッパ列強からみても、スイスが永世中立国となることにはメリットがあった。つまり、ヨーロッパ列強間で戦争が起こったとしても、スイスが中立国であることで、敵対国がスイスを占領しスイスから攻撃することを考慮する必要はないのである。

 

上記のことから、スイス自身の国家としての存続だけでなく、ヨーロッパ列強の国防の観点からも、スイスを永世中立国とする必要にして十分な理由があったことがわかる。このことは、パリ議定書が「スイスの中立及び不可侵並びに全ての外国勢力からの独立が全ヨーロッパの政治体制のために真に有益である」と述べていることからも明らかといえよう(太線、筆者)。【次ページにつづく】 

 

 

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