2018.05.31

大方の予想外だったマレーシア史上初の政権交代はなぜ起こり、どこに向かうのか

伊賀司 政治社会学・マレーシア研究

国際 #マレーシア#マハティール

2018年5月9日に投開票された総選挙の結果、マレーシア史上初の政権交代が起こった。マレーシアでは61年間にわたって、国民戦線(BN)が政権を担当してきた(注1) 。国民戦線(BN)とは、マレー人政党の統一マレー人国民組織(UMNO)を中核として、民族と地域のラインに沿った13政党が参画する政党連合である。

(注1)国民戦線が発足したのは1973年であり、それ以前は連盟党(Alliance Party)が国民戦線の前身の与党連合としてマレーシアを統治してきた。

国民戦線は今回の総選挙で、連邦下院議席の全222議席のうち79議席を獲得するにとどまり、与党から転落した。国民戦線に代わって与党の座についたのは、元首相マハティール・モハマドが率いる政党連合の希望連盟(PH)である。

政権交代をはたした希望連盟は、次の4党からなる。まず人民公正党(PKR)。1998年にマハティールによってUMNOを追放された、元副首相のアンワル・イブラヒムが事実上の党首である。ついで民主行動党(DAP)。おもに華人やインド人を中心とした、非マレー人の間で支持者が多い。そして国民信託党(Amanah)。イスラーム主義を党是に掲げて、長年UMNOのライバルとしてマレー人からの支持を競ってきた汎マレーシア・イスラーム党(PAS)の党内対立によって離党したグループが2015年に設立した。最後にマレーシア統一プリブミ党(PPBM)。UMNOから離党したマハティールや元副首相のムヒディン・ヤシンらが中心となって2016年に設立した。

希望連盟が今回の選挙で獲得した議席数は113議席。選挙後に希望連盟に加入した独立系候補と、事実上の同盟関係にあるサバ州の地域政党、サバ伝統党(WARISAN)を加えて希望連盟は連邦下院で124議席を確保することになった。

希望連盟の支持者たち

選挙結果は日本のメディアでも報道されている。しかし、日本でのマレーシアの政権交代のニュースは、同時期に注目を集めた北朝鮮関係の報道の陰に隠れてしまった感が否めない。報道のされ方も、1981年から2003年まで22年間にわたって首相を務めたマハティールが今回の選挙で返り咲いたことや、彼が92歳という高齢で首相に就任したことにとくに注目が集まっている。

その一方で、今回の政権交代がなぜ起こったのか、そして今後のマレーシアの政治や社会にどのような影響をもたらしうるのかについて分析しようとした記事や論考に出会うことはいまだ稀である。しかし、それは理由のないことではない。海外のメディアや研究者などからなるマレーシア・ウォッチャーの大半は、今回の政権交代を予想していなかったからだ。マレーシア国内の主要な世論調査機関も、選挙キャンペーン中に希望連盟の勝利に向けた大きな追い風が吹いているものの、政権交代が起こるまでには至っていないとの予測を伝えていた。恥ずかしながら、筆者も予想外の政権交代に驚いた一人である。

筆者も含め、なぜ大半のマレーシア・ウォッチャーや世論調査機関が政権交代を予想できなかったのか。少なくとも3つの理由がある。第1に野党が分裂状態にあって統一候補を立てられなかったために、与党の国民戦線に対して、野党の希望連盟とPASが競合する状況となったが、この状況が国民戦線に有利だと考えられたからである。

第2に東マレーシアのサバ州およびサラワク州や、政府の連邦土地開発庁(FELDA)の事業(注2)で入植した住民やその子孫たちが集住する、マレー半島のFELDA選挙区が国民戦線の長年の強固な支持基盤として存在していたからである。

(注2)FELDAは1957年の独立以来、マレー半島のジャングルを切り開くことで、土地を持たないマレー人を対象とした入植と土地所有を達成してきた。FELDAによって土地を与えられたマレー人農民とその家族および子孫たちは、与党UMNOの強力な支持者となって、UMNOが主導する国民戦線体制を支えてきた。

第3に連邦下院解散の直前に法案が通過し、国民戦線に有利とされた新選挙区割りが実施されたからである。

生活コストの増加への不満

希望連盟はなぜ、与野党3党の競合状況、国民戦線の長年にわたる強固な地盤、国民戦線有利の新選挙区割りといった不利な条件を覆し、大方の予想を超えた政権交代を果たすことができたのか。

本格的な考察は別稿に譲りたいが、ここでは現地での選挙キャンペーン中に筆者が感じた印象と、各地で選挙取材を行っていたジャーナリストたちとの会話から得たヒントなどから、予備的な考察を提示したい。ちなみに、本稿の議論はおもにマレー半島を対象としたものであり、東マレーシアのサバ州とサラワク州については別途考察が必要であることを指摘しておきたい。

選挙キャンペーンに入る前から頻繁に指摘されていたのは、所得からみて中間層および下層にあたる国民の間に広がっていた経済的不満である。2017年のマレーシアの実質GDP成長率は5.9%であり、失業率も2016年の統計では3.4%と、統計数字上はそれほど悪くない数字を示している。ただし、近年、国民の間では、日常の生活コストの増加が急で、成長を実感できないとの声が大きかった。

生活コストの増加をもたらした筆頭だったのは、日本の消費税にあたり2015年に6%の税率で導入された物品・サービス税である。他にも、補助金削減によるガソリン価格の上昇や、近年の都市部を中心にした不動産価格の上昇などによって、国民の多くが生活コストの増加に不満を漏らしていた。

人々の間に広がっていた生活コスト増加への不満を感じ取った希望連盟は、マニュフェストにそれを反映させている。希望連盟は長大な選挙マニュフェストの中で、政権交代から100日の間に直ちに達成すべき主要目標として10項目を掲げたが、その中の7項目(注3)は、減税や財政支出を通じて国民へ利益供与を行う政策で占められていた。

(注3)物品・サービス税廃止、ガソリン補助金の一部復活、FELDA入植者の負債軽減、日本の年金制度に相当する被雇用者退職積立基金(EPF)を主婦層にも拡大、地域によって異なる最低賃金制度の平準化と最低賃金の増額、国家高等教育基金の提供する教育ローンの負担軽減、下位所得者を対象としたヘルスケア・サービス制度の導入である。

生活コストの増加に不満を抱く人々からの支持を狙って、希望連盟が大胆な利益供与政策を打ち出したのと同様に、国民戦線の側も、母親や女性への財政支援、低所得者への直接現金給付制度(BR1M)の拡充、住宅購入への支援、最低賃金の増加など、利益供与の政策を打ち出していた。

国民戦線と希望連盟の双方の選挙マニフェストともに、財政を通じた利益供与の政策が目立っており、程度の差こそあれ、両者とも選挙向けに国民への「バラマキ」政策を公約として掲げていたことに大きな違いはない。ただし、希望連盟がマニフェストの筆頭に置き、選挙期間中でも目玉政策として繰り返し約束していた物品・サービス税廃止は、他の政策と比べても全国民対象でわかりやすいこともあって、人々の間に広く浸透したとみられる。

とはいえ、今回の総選挙で筆者が観察した限りでは、生活コストの増加による経済的不満は、多くの人々を野党支持へと走らせた重要な条件の1つであるものの、それだけでは政権交代を説明できないと考えられる。

失われたプライドの回復とマハティール効果

経済的不満に加え、人々を野党支持に走らせたのは、ナジブ・ラザク首相の直接的関与が疑われたワン・マレーシア開発公社(1MDB)に関連するスキャンダルへの怒りと、それをナショナリズムの発露へと昇華させた希望連盟の戦略の巧みさであった。1MDBとは電力、土地開発、観光、アグリビジネスなどの分野で、外国企業とも協力して国内外で大型の投資を行ってきた財務省傘下の国営投資会社である。この1MDBの資金の約7億米ドル(日本円で840億円)が、ナジブの個人口座に流れた疑惑がもたれている。

今回の選挙戦で、希望連盟はナジブ政権下の政治を「泥棒政治」(Kleptocracy)と呼び、1MDBスキャンダルを通じてナジブやそのファミリーの汚職を厳しく糾弾した。ただし、1MDBスキャンダルの全貌はグローバルなマネーロンダリングとの関係上、一般市民が把握するのは困難である。

そこで、希望連盟の指導者たちは、わかりやすく具体的な疑惑をあげて、ナジブと彼の家族、そして一家の友人であるジョウ・ロウらを厳しく糾弾した。1MDBの資金が、ナジブの妻であるロスマ・マンスール夫人の高級ブランドのハンドバッグや巨大なピンク・ダイヤモンドの購入に使われたり、ナジブ一家と親しい華人企業家のジョウ・ロウが、1MDBから抜き取った資金を使って、オーストラリア出身の有名モデルのミランダ・カーに9億円相当の装飾品をプレゼントしたこと、などである。

加えて、マハティールが今回の選挙の中で繰り返し説いたのは、失われたマレーシア人のプライドを取り戻し、マレーシアを危機から救うという言説である。マハティールは次のように説く。

かつては「アジアの虎」ともいわれて世界から賞賛されていたマレーシアは、1MDBスキャンダルのために世界の笑いものになった。しかも、ナジブ政権は負債を増やし続けており、このままでは国が破綻して子供や孫の世代が苦しむことになる。負債を返済するために、マレーシアの国土を外国に売り渡そうとさえしている。ナジブが人々を懐柔する手段はつねに少額のカネを配ることであり、彼は「現金が王様」(Cash is king)だと信じているのだ。今回の総選挙はマレーシア人が一致団結して、ナジブによって貶められた国のプライドを取り戻し、迫りつつある破滅から国を救うための闘いである。

上記のようなマハティールの言説は、典型的なナショナリズムの言説であり、ナジブを「国民の敵」とする反ナジブのフレームによって、国民からの支持を動員しようとしたのである。そして、その意図は今回の選挙でかなりの程度成功したと考えられる。選挙戦がナショナリズムの色彩を帯びながら反ナジブを軸に展開したことで、国民戦線体制を長年支えてきた公称300万人のUMNO党員の中からも多数の離反者が出たとみられる。

マハティールや元副首相ムヒディンらPPBMの指導者たちは、UMNOはマレー人の民族や宗教に奉仕するための党ではなく、ナジブ個人を守るための党になってしまったと主張した。そして、UMNOは個人を特定できないので、恐れることなく希望連盟に投票してほしいと呼びかけたのである。

加えて、マハティールやムヒディンのような元UMNO政治家の存在は、従来の野党をめぐってマレー人の間に存在した懸念を軽減することにつながった。UMNOはマレー人に対して、もしUMNOが政権を失えば、野党の中で華人を主な支持基盤とするDAPが政権を牛耳って、マレー人がこれまで受けてきた特別な権利(注4)が失われることになると説いてきた。UMNOは長年DAPをマレー人の脅威として喧伝してきたために、マレー人の間では地方にいくほどDAPおよびDAPと連合を組む野党への警戒心が強く存在してきた。

(注4)マレーシアでは、マレー人およびサバ州のカダザン人やサラワク州のイバン人などの先住民は、ブミプトラ(マレー語で、土着の民の意味)と呼ばれる。マレーシアの憲法は153条で、ブミプトラの特別な権利を保障している。マレー人が多数を占めるブミプトラに与えられる権利の中には、新規住宅プロジェクトでの一定割合のブミプトラ向け住宅の割り当てや、そうした住宅の割引価格での販売、ブミプトラ系企業のみに入札が認められる政府関連事業、ブミプトラのみが購入できる非常に高利回りの政府系投資信託スキーム、などが含まれる。

しかし、今回の選挙では、希望連盟側に元UMNOの政治家が多数存在し、さらにマレー・ナショナリストとしての名声を半世紀以上にわたって確立してきたマハティールを、新政権での首相とすることを事前に公表していた。そのおかげで、仮に希望連盟が政権を獲得したとしても、マレー人の特別な権利は変わらず維持されるとの希望連盟の主張が説得力を持つことになった。このため、マレー人が政権交代を選択することへの懸念がかなり小さくなったとみられる。

筆者は連邦下院の解散前にすでに複数のジャーナリストから、去年から今年にかけてマハティールが実際にFELDA選挙区に入って演説会を行い始めており、その際に非常に多くの聴衆を集めていることを聞いていた。これまでUMNOの強固な支持基盤を形成していたFELDA選挙区で、多数の聴衆を集めて演説会を開くことは、おもに都市部の方に支持者の多いアンワルではおそらくできなかったことで、マハティールだけがなしえたことであろう。

とはいえ、筆者はこの話を聞いた時には、はたしてFELDA選挙区で演説会に参加した人々が、本当に希望連盟に投票するかどうか疑問視していた。しかし、選挙結果から考えるに、マハティールのカリスマを通しての希望連盟の訴えは、UMNOの強固な地盤であるFELDA選挙区にも確実に浸透していたのであろう。FELDA選挙区では、生活コスト増加の問題や1MDBスキャンダルの他に、2017年から2018年にかけて相次いで発覚したFELDAをめぐる複数の資金スキャンダルも、国民戦線の支持が落ち込む原因となったとみられる。

マハティールら希望連盟の指導者による選挙キャンペーン中の演説は、そのほとんどがネット・メディアを通じて中継され、多数の人々がスマートフォンによって動画を視聴した。前回の総選挙以上に今回の総選挙では、ライブ配信を使った選挙活動が活発に行われた。

結社登録局と選挙管理委員会への怒り

希望連盟による反ナジブの選挙フレームの巧みさや、マハティール個人のカリスマ的効果だけではない。今回の選挙では、結社登録局や選挙管理員会による希望連盟の不公平な扱いが、人々の政府・与党に対する怒りに火を注ぐとともに、逆に希望連盟を勢いづかせるきっかけとなった可能性が高い。

連邦下院が解散される前日の4月5日になって、結社登録局はマハティールが議長を務めるPPBMの結社登録に問題があるとし、PPBMの活動の一時停止を命令した。この活動停止命令によって、PPBMは自党のロゴを使った選挙活動が不可能になり、選挙キャンペーンに深刻な影響を及ぼすことが懸念された。さらに、この時点で結社登録局は希望連盟を公式の政党連合として認めていなかったために、希望連盟の統一ロゴを使用することもできず、PPBMだけでなく希望連盟の他の構成政党もロゴ問題で困難に直面していた。

そこで、希望連盟は逆転の一手を打ち出す。希望連盟の全構成政党が、アンワルが事実上の党首を務めるPKRのロゴを、選挙キャンペーンで使用することにしたのである。PKRのロゴを共通のロゴとすることついて、自党のロゴの使用に問題のなかったDAPの党員の一部では反対がみられたものの、希望連盟各党の党員や支持者の間では非常に好意的に受け止められ、連帯を強める効果があったと考えられる。

さらに、PKRの統一ロゴのおかげで、希望連盟の指導者が選挙キャンペーン中に繰り返し主張することで定着させようとしたセルフ・イメージ、つまり、希望連盟は民族や宗教の違いを乗り越えて一致団結した組織であるとのイメージを、国民の間にかなりの程度広めることに成功したと考えられる。希望連盟は適切な対応によって、ピンチをチャンスに変えることができたのである。

結社登録局だけでなく選挙管理委員会の与党寄りの姿勢もまた、一般の人々の政府・与党への反感を生み、結果的に希望連盟への支持を勢いづかせることにつながった。選挙キャンペーン期間が始まる前には、投票日を水曜日に設定することで、国民戦線に批判的な都市部住民の帰郷を困難にして投票率低下を狙ったことや、立候補受付の際に一部の野党候補者の資格を不適格として立候補させなかったことが、一般の人々からの大きな反発を招いた。

11日間の選挙キャンペーン期間中には、アエヒタム選挙区の希望連盟の屋外掲示について、候補者がマハティールと一緒に写っていることが規則に反するとして、マハティールの顔の部分だけが選挙管理員会によって切り取られる「事件」が発生した。マハティールの顔写真の切り取りについて選挙管理委員会は、掲示板やポスターで候補者は自党の党首以外と一緒に写ってはいけない規則であると説明した。当該候補はDAPの候補者だったが、選挙管理員会が認めていない非公式政党連合の希望連盟の議長であるマハティールと一緒に写った掲示物は、規則に反しているとしたのである。

しかし、同じ選挙区には、国民戦線の構成政党であるマレーシア華人協会(MCA)の代表が、中国の国家主席の習近平と握手をして一緒に写っている掲示物があった。そこで、希望連盟はマレーシアの元首相の写真を選挙掲示で使えないとしながら、中国の国家主席が写っている国民戦線の掲示物を認めているのは、選挙管理委員会のダブルスタンダードだと非難した。

さらに、希望連盟側は、選挙管理委員会がマハティールの顔を切り取っているシーンを中継しビデオで流したり、マハティールの顔が切り取られた後の掲示物の写真をソーシャルメディアで拡散した。この「事件」は国民戦線がコントロールする新聞でも大きく取り上げられ、人々の政府・与党に対する怒りに火をつけた。今回の選挙戦では上で挙げた例以外にも様々なかたちで中立を守るべき機関による野党への選挙活動の妨害が起こった。そうした妨害行為は、希望連盟よって政府・与党の不公平さを示す例として逆に利用され、希望連盟の側への支持に勢いを与えることにつながったのである。

希望連盟の勢いに焦りを感じていたであろうナジブは、選挙キャンペーン最終日の5月8日の夜になって自らの選挙区で演説を行い、26歳以下の若者の所得税を無税にすること、ラマダンが開始される2日間を公休日にすること、ラマダン明けの高速道路料金を無料にすることなど、国民に対する具体的な利益供与の政策を打ち出した。しかし、ナジブの演説は声を張り上げるものの、ときどき下を向いて大きなメモを見るなど、いかにも取ってつけたような感が否めないものだった。

これに対し、同じ日の夜に演説を行ったマハティールは、ナジブと金権政治への批判の他は政権交代後の具体的政策はほどんど語らなかったが、政権交代によってナジブを追放し、失われたマレーシア人のプライドを回復させて国を救うと人々に説いた。今回の選挙結果をみるに、国民への個別具体的な利益供与政策をひたすら押し進めてきたナジブは、国民感情をほとんど理解できていなかったことを露呈したと言えるだろう。

総選挙後のナジブ

政権交代の意味、新しいマレーシアの行方

政治体制の視点からみると、今回のマレーシアにおける政権交代はどのような意味を持つのだろうか。1つの見方として、2015年にナジブが1MDBスキャンダルに直接関与していると報道されて以降、権威主義化が進みつつあったマレーシアの政治体制の振り子が、ふたたび民主化の方向に揺り戻ったとみることができる。

1MDBスキャンダルの暴露以降、ナジブは自らの生き残りのために、抑圧的な法律の制定、市民社会や野党への締め付けの強化、政府の独立機関への介入などを行い、首相への権力集中が大きく進んだ。今回の政権交代によって、少なくともマレーシアの政治体制、法律やガバナンスは、1MDBスキャンダルの暴露以前の時点までは民主化することは確実であると考えられる。

焦点となるのは、希望連盟による新政府が、国民戦線体制下でナジブ政権以前から長年にわたって形成されてきた、抑圧的な法、メディア統制の仕組み、執政権による司法権の侵食、独立機関への干渉、野党指導者や市民活動家へのハラスメントの伝統、汚職や非透明な決定をもたらすガバナンスなどの構造的問題に着手して、改革をもたらすことができるかであろう。

じつのところ、15年のインターバルを経てふたたび首相に就任したマハティールは、前回の22年間の首相在任期間中にこれらの構造的問題の多くを生み出すか、悪化させた張本人でもある。そのため、マハティールの首相再任をとらえて、今回の政権交代の性格は、高度経済成長が続いた1980年代から1990年代のマハティール時代への回帰を人々が求めたもので、UMNO中心のBN体制が名前を変えて復活したにすぎず、体制変動と呼ぶことはできないのではないかとの疑念が、おもに海外の一部メディアを中心にあがっていることも確かである。

今回の政権交代が、誰もが認めるような民主的な体制変動とみなされるようになるか否かは今後の展開をみていくしかないが、そのカギとなりそうなポイントを3点あげておきたい。

第1に、希望連盟が選挙マニュフェストで約束した項目のうち、経済に関わる項目をどれだけ実施できるかが重要である。政権交代後、マハティールは政府債務が1兆リンギ(28兆円)を超えていると発表した。2017年末の政府債務は6868億リンギ(19兆円)と公表されていたので、前政権下で赤字の粉飾が行われていた疑惑がある。

すでに指摘したように、希望連盟の選挙マニフェストの多くは、国民への多額の利益供与をともなう政策からなっている。中でも物品・サービス税の廃止やガソリン補助金の一部復活などは、すでに悪化している財政に一層重い負担となる政策だが、希望連盟の選挙マニュフェストの目玉であり、国民からの期待も大きいことから、新政権はこられの政策を実施せざるを得ないであろう。新政権は発足直後から、財政悪化と国民の経済的不満の解消との間で難しいかじ取りを迫られている。

第2に、希望連盟各党の結束の維持と、ポスト・マハティールを見すえたスムーズな権力継承のプロセスが重要なポイントとなる。反ナジブを旗印とする選挙キャンペーンを勝ち抜いたことで、希望連盟を構成する4党間の結束はマハティールのリーダーシップの下に強まった。しかし、4党は本来、イデオロギーや支持基盤のかなり異なる政党である。本稿の執筆時点では、史上初の政権交代を達成した後のユーフォリアの感覚が、希望連盟の党員や支持者の間に強く残っているが、ユーフォリアの時期が終わった後も、各党が一定程度の妥協を図りながら結束を維持していけるかが重要になってくる。

希望連盟を率いる92歳のマハティールは、2年程度首相を続ける意向を示しており、その後はアンワルに政権を譲るとみられている。2度目の異常性愛の罪で2015年から拘禁されていたアンワルは、国王の恩赦によってすでに釈放されたが、直ちに新政権に参画するのではなく、しばらくは政権の外から政府・与党を支えると表明している。今後の政治日程では、いつアンワルが補選に出馬・当選して下院議員に復帰するのか、その後どのようなかたちでマハティール政権からの権力継承をはたしていくのかが問題になってくる。

第3に、野党に転落したUMNOや、クランタン州とトレンガヌ州で一定の存在感を示した野党PASが、どのようなかたちで希望連盟と対抗していくかがポイントになる。今回の総選挙での各政党連合の得票率をみると、希望連盟が48.3%(注5)、国民戦線が33.8%、PASを中心とする政党連合が17%であり、政権交代ははたしたものの、希望連盟が国民の過半数の支持を得ているわけではない。

(注5)サバ州の地域政党のWARISANや選挙後にPKRに入党した独立系候補を含む。

とはいえ、野党側も現在苦境に陥っている。今回の総選挙で国民戦線は、マレー半島に基盤をおく非マレー系政党が、ほとんど議席をとれず壊滅的な打撃を受けた。そのため、政党連合であるはずの国民戦線は、以前にもましてUMNOと同義であるような状況に陥った。加えて、すでに与党ではなくなった国民戦線からは、希望連盟へ移籍を希望する議員がかなりの数いるともいわれている。

その一方で、今回の総選挙で国民戦線と希望連盟の間で第3勢力を立ち上げてキングメーカーとなろうとしたPASは、マレー半島東海岸では一定の存在感を示しているが、事実上、地域政党の性格が強くなり、国政レベルでは埋没する可能性も高くなった(注6)。

(注6)ただし、連邦下院の選挙と同時に行われた州議会の選挙で、PASはクランタン州やトレンガヌ州以外にも、クダ州やパハン州などで一定の議席を確保しており、州レベルの政治で重要な役割を果たす可能性は大きい。

今回の総選挙の特徴の1つは、以前の選挙と比べて、民族や宗教が選挙の主要なアジェンダとならなかったことであろう。しかし、選挙の結果、苦しい立場に立たされたUMNOやPASが、今後、民族や宗教の問題を争点化して党勢回復のきっかけをつかもうとする可能性も否定できない。

一時的で不十分なものであったとしても、今回の総選挙を通じて希望連盟は民族や宗教を越えた連帯感を国民に強くアピールすることができた。長らく民族や宗教によって分断されてきたマレーシアの国民が、今回の選挙後にも連帯感を高め続けていけるかは、野党のUMNOやPASの動向にも大いに左右されるだろう。

プロフィール

伊賀司政治社会学・マレーシア研究

京都大学東南アジア地域研究研究所連携講師。神戸大学大学院国際協力研究科博士課程修了。博士(政治学)最近の主な著作に、「活性化した社会運動と市民社会の変貌―ブルシ運動による街頭デモの日常化」中村正志・熊谷聡編『ポスト・マハティール時代のマレーシア:政治と経済はどう変わったか』アジア経済研究所(2018年、173-212)、「現代マレーシアにおける『セクシュアリティ・ポリティクス』の誕生―1980年代以降の国家とLGBT運動」『アジア・アフリカ地域研究』第17-1(2017年、73-102)、「マレーシアにおけるメディア統制と与党UMNOの起源脱植民地期のマレー語ジャーナリズムと政治権力」『東南アジア研究』551(2017年、39-70)、などがある。

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