2010.11.04
継続するグルジアとロシアの「冷戦」
継続するグルジアとロシアの「冷戦」
2008年のグルジアとロシアの戦争が停戦を迎え、2年以上が経ち、その話題も日本ではほとんど触れられなくなっている。しかし、彼らの「冷戦」状態はいまだつづいている。
停戦成立後、ロシアは欧米諸国にグルジアに兵器を売らないよう働きかけたり、南オセチアやアブハジアが「反グルジア」プロパガンダを世界に広げるために米国のPR会社を雇う費用を提供したり(なお、グルジアはグルジアで米国の別のPR会社を雇って反ロシアプロパガンダを有利に展開してきた)、サアカシヴィリとたもとを分かったグルジア人政治家(ニノ・ブルジャナゼ元国会議長、ズラブ・ノガイデリ元首相など)の取り込みを図ったりと、グルジアに対し、多くの敵対的な行動をとってきた。
そして、「戦争」での勝利につづき、「冷戦」の遂行でもロシアが優勢に立っているかのようにみえていた。しかし、ここ1ヶ月ほどの間には、グルジアの方がむしろ優勢に思われる出来事がつづいた。その動向を具体的に追ってみよう。
グルジアが北コーカサス諸民族に査証免除へ
グルジアは、サアカシヴィリ大統領による大統領令で、10月13日から「北コーカサス在住の非ロシア人に対し、グルジアのビザ」を廃止した。
査証を免除された北コーカサスの人びとは、今回のサアカシュヴィリの決定を大歓迎している。北コーカサスには、紛争により難民がグルジアに避難しているケースが多いだけでなく、歴史的な近接性により、グルジアに親族や家族、友人が居住しているというものが多くいる。そのような人びとは、グルジアとの往来の障害がなくなったと大いに喜んでいる。
また、グルジアへの出稼ぎや商業活動のチャンスが増えたことを喜ぶ者も多い。グルジアの国境開放は、「陸の孤島」と化している北コーカサス地方に新しい門戸を開くことになる。
だが、ロシア政府はこの決定に激しく反発し、グルジアのプロパガンダだと断罪した。ロシアのラブロフ外相は「文明的な国家は、このような問題を相互に検討する」として、グルジアが一方的に決定したことに不快感をあらわにした。通常、査証に関する問題は、国家間の合意にもとづくものであり、今回のような一方的な措置は外交儀礼に照らして異例のものである。
ただ、ロシアとグルジアの外交関係は2008年グルジア紛争後に断絶しており、交渉すらままならないというのも事実ではある。ロシアではスイス大使館がグルジアの利益を代表し、査証発行など業務を代表しており、ロシア人がグルジアを訪れる際は、スイス大使館か空港で申し込むことが必要だ。
この問題、じつは根が深い。ロシアとグルジアの関係が悪化したのは、親欧米派の大統領サアカシヴィリが誕生した2003年の「バラ革命」以後だという見方をされることが多いようだ。だが、じつはそれは間違いであり、「バラ革命」で失脚したシェワルナゼ前大統領時代にも、ロシアとグルジアの関係は極めて悪かった。
グルジアのアブハジア紛争や南オセチア紛争をロシアが支援したことや、ロシアがグルジアに軍基地をおいていたことなどにより、グルジアの反露感情は悪化していた。
グルジアはグルジアで、ロシアが主導するCIS安全保障条約機構から脱退し、反ロシア的なグループGUAM(グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァで構成され、グループ名は構成国の頭文字をとっている。一時、ウズベキスタンも加盟していた)を結成して反ロシア色を鮮明に打ち出すなど、反ロシア的な姿勢を貫いた。
ロシアもそれに応えて、グルジアに送電を停止したり、CIS加盟国であれば免除される査証も、グルジア人に対してのみ「免除規定を一方的に無効にして査証を強要」する一方、アブハジアと南オセチアの住民には査証を免除としたり、とシェワルナゼ時代から多くの反グルジア的政策をとっていたのである(なお、グルジアはグルジア紛争後にCIS脱退を表明し、所定の事務手続き期間を経て、2009年に正式脱退した)。
このような経緯を見れば、グルジアがCIS加盟時代の査証問題に関する恨みを、いまロシアにつき返しているとも読めるのである。
チェルケス虐殺公認問題
そして、グルジアが「チェルケス人虐殺」を公認したことも、ロシアを苛立たせている。チェルケス人虐殺問題についてはきわめて大きな問題であるため、詳細は割愛せざるを得ないが、1864年にロシアがチェルケス人を、2014年にオリンピックが行われるソチ周辺で大規模に虐殺したとされる事件である。しかし、ロシア政府は虐殺の事実を認めていない。
しかし、ソチでの五輪開催が決定されてから、チェルケス人は虐殺公認の運動を広範囲に行うようになった。そして、その動きは、「ソチ五輪中止」の運動と連動している。ソチ五輪の主要会場とされているクラースナヤ・ポリャーナ(「赤い林間地」の意)は、ロシア人とチェルケス人の古戦場である。ロシア人はそこに生える幼葉が赤い色をしていることが命名の由来だとしているが、チェルケス人はその赤はチェルケス人の祖先の血に由来すると考えているほどであり、チェルケス人は環境団体などとも連帯して、ソチ五輪に対しても強い反対運動を繰り広げてきた。
チェルケス人は虐殺の影響もあり、トルコなど黒海周辺の各地に多く居住しており、各地のチェルケス人が結集して、虐殺の公認運動を行っている。その運動は、ロシアに対してのみならず、欧米諸国や国際組織に対しても繰り広げられている。とくに、最近ではチェルケス人がグルジアに対して、虐殺問題を認めるように再三、アプローチしており、グルジアでは「チェルケス虐殺」を公認する機運が高まっているという。
グルジアとしても、チェルケス問題はロシアを批判する上で利用価値があることから、グルジアが世界で最初の「チェルケス虐殺」公認国になる可能性は否めない(ジャン=アルノー・デランス、ローラン・ジェラン「黒海の港をめぐる」『ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版』2010年8月号)。
北コーカサスファクターの重み
これらのことから、グルジアは北コーカサスファクターを利用してロシアに揺さぶりをかけているといえる。
南北コーカサスは南が独立した3ヶ国(グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア)で構成されている一方、北はロシア連邦を構成する共和国群であり、外部からは一見異質にみえるが、じつはかなり密接であり、ロシア帝国時代からロシア人がコーカサスに対して政策をとる場合も南北別々ではありえなかった。
そのため、どちらかにおける動きはすぐに連動し合う。たとえば北コーカサスでロシアが失策を犯せば、南コーカサスはそれを「好機」と捉えて、大きな動きを起こすことがあるし(たとえば、ロシアが第一次チェチェン紛争で1996年に事実上の敗北を甘受した翌年に既述のGUAMは結成された)、南コーカサスの動きにも北コーカサスは敏感に反応する(たとえば、ロシアが2008年に南オセチア、アブハジアの独立を承認すると、北コーカサスのいくつかの共和国が独立機運を強めた)。
他方、近年、北コーカサスの無法状態はロシア政府にとって大きな悩みの種である。日本ではあまり報じられていないが、連日のように大小様々なテロや殺人、誘拐などが横行している。
そして、北コーカサスにいかに安定をもたらすかということで、メドヴェージェフ大統領の手腕が問われているところでもあり、その結果が2012年の大統領選挙にも大きく影響するといわれている。この問題についてはまた稿を改めたいが、ただでさえロシア首脳陣が神経質になっている「ロシアの軟らかい下腹」をグルジアが刺激しているのだから、ロシア首脳陣がグルジアに感じる憤りは相当なものであることは間違いない。
ロシアのWTO加盟問題
さらにロシアがグルジアに苛立っている問題がある。それはWTO(世界貿易機構)加盟問題である。
ロシアは1993年からWTOの前身である「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」への加盟申請を開始し、GATT、ついでWTOへの加盟を目指して様々な交渉や準備を進めてきた。だが、2008年のグルジア紛争で、ロシアのWTO加盟問題は一旦白紙となった。しかし、「リセット」により、オバマ政権はロシアのWTO 加盟を支援する立場を取るようになった(参考:拙稿2010年7月13日号:http://webronza.asahi.com/synodos/2010071100001.html)。
しかし、ここで問題となるのがグルジアとの交渉である。WTO憲章によれば、新たにWTOに加盟する国は、すべてのWTO加盟国との間で二国間の個別交渉を行わなければならないことになっている。そして、ロシアはほとんどの国との交渉を終えているが、未交渉のいくつかの国にグルジアが含まれている。つまり、グルジアと交渉し、合意を得なければロシアはWTOに加盟できないのである。
しかし、グルジアはアブハジアと南オセチア領内への通関の問題が未解決の内は、ロシアのWTO加盟申請を支持しないとの声明を出している。そのため、10月初旬には、ロシアのクドリン財務相が「WTO加盟申請は、グルジアによって長引く可能性がある」という声明も出している。WTO加盟問題では、グルジアがロシアの弱みを握っている状態だ。
NATO連絡事務所開設
さらに「リセット」により関係を改善しているはずの米国の動きにも、ロシアはまた苛立ちを隠せない。
上述の拙稿で論じたように、米国は「リセット」により、東欧へのミサイル防衛システムの配備やNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を取りやめることを表明しつつも、じつは、レベルを引き下げたとはいえ、ポーランドにミサイル防衛システムを配備することを決定し、ウクライナやグルジアにも「NATO加盟の可能性」を含ませた発言を行っている。それに追い打ちをかけたのが、グルジアへのNATO連絡事務所の開設である。
10月1日、NATOのラスムセン事務総長はグルジアの首都トビリシで行われたNATO連絡事務所開設式に出席した。NATO加盟の目標を断念しないグルジアにとっては、喜ばしいことであり、サアカシヴィリ大統領も、NATO加盟の意思を強く再表明した。
他方、ラスムセン氏は「同事務所はNATOとグルジアとの協力、グルジアの民主主義発展と国防分野の改革に役立つ」と、その意義を称賛し、また、NATOとロシアの関係改善は、ロシアとグルジアとの緊張緩和を促進すると述べた。
この発言の背景には、11月5日に予定されているラスムセン氏のロシア訪問や、11月19~20に予定されているNATOのリスボンサミットにロシアのメドヴェージェフ大統領が出席することなど、2008年のグルジア紛争を機に悪化したロシアとNATOの関係が、最近、改善されつつあることがある。
NATO側としては、ロシアとの関係改善に対するグルジアの反発を抑えるためにこのような連絡事務所を開設したとみられるが、国際政治的にもロシアとグルジアの問題は大きなネックでありつづけている。
長期化しそうな「冷戦」的状況
グルジアとロシアの間では、一部のチャーター便が運航されるなど若干の「雪解け」もみられたが、現実を見れば、両国間の緊張はむしろ高まっているように思われる。
10月29日にも、ロイター通信社が、ロシアのためにスパイ行為を行っていた疑いで、グルジア警察がグルジア人20人を拘束したと報じた。その情報は、グルジアの治安当局によるものとされるが、20人は、旧ソ連諸国で諜報網を構築し、機密情報をロシアに流していたという。詳細はいまだ明らかにされていないが、もし事実であれば、グルジアとロシアの関係にさらなる悪影響を及ぼすことは間違いない。
そのような「冷戦」的状況は、ロシア国内の安定にも、地域の安定にも悪影響であり、地域の発展の大きな阻害要因となって行くことは間違いない。
サアカシヴィリ大統領は、9月2日に「グルジアの脅威評価文書2010-2013年」に署名をした(大統領令第707号)。その文書では、グルジアの新たな脅威が5つのパートから論じられているが、いうまでもなく、ロシアファクターがとりわけ重要な位置づけとなっている。グルジアの反ロシア的立場はますます強くなっているように思われる。
さらに、政府のみならず、グルジア市民の反ロシア感情がきわめて高いなかで、グルジアがロシアに屈するとは到底思えず、ロシアも大国のプライドをかけて、グルジアに対して容赦しない政策をとっていくだろう。
このように現状においては「冷戦」状態が長期化するのは間違いなさそうだ。
推薦図書
本記事で一番分かりにくい内容が、北コーカサス問題をグルジアが利用している点ではなかったかと思われる。本文でも触れたように、南北コーカサスは密接であり、とくにロシアはロシア帝国時代からコーカサスを、南北をつねに切り離すことなく一体的なものとして政策を試みてきたことを忘れるべきではない。そのため、本問題の本質を理解するためには、南北コーカサスを理解する目が必要だ。
残念ながら日本には南北コーカサスを共に理解できる書籍は少ないが、本日紹介する書は南北コーカサスをあらゆる側面から論じており、一般の方々でも気軽に南北コーカサスを身近に感じることができるようになるのではないかと思う。
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。