グダンスク市長襲撃事件――英雄ではない私たちが憎悪の波を止めるために  

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2019年1月13日、日曜日の夕方、グダンスク駅近くの広場では、医療支援のための音楽イベントが行われていた。「クリスマス・チャリティ大オーケストラ」(WOŚP)と呼ばれるこのキャンペーンは、グダンスク出身でテレビやラジオ番組の司会者として知られるイェジ・オフシャクの呼びかけにより27年前から続いており、赤いハート型のステッカーをポーランドの家庭や町中のあちこちで目にする。この日の夜は、フィナーレに「オーケストラのためのグダンスク」と題された屋外コンサートがあり、集まった人々の手にする明かりの金色の光の点が無数に広がっていた。

 

8時からの打ち上げ花火を前に、ステージ上では、主催者らに手持ちのスパーク花火が数本ずつ渡され、グダンスク市のパヴェウ・アダモヴィチ市長も、左手にまとめた花火を掲げて正面の広場の観客に笑顔を向けていた。

 

「・・・6、5、4、3、2、1、さあ!」というカウントダウンに続いて、ステージ前面の仕掛け花火がはじけ、会場に歓声があがったのと、下手から黒いニット帽をかぶり黒いジャンパーを着た若い男が、アダモヴィチ市長に身体を低くして駆け寄っていったのと、ほとんど間がなかった。仕掛け花火と同時に出演バンドBlue Caféの「Zapamiętaj(憶えていて)」の演奏が始まっており、歌をバックに、黒いジャンパーの男は(相手を倒したボクサーがするように)両手をあげてステージの上を歩き回った。

 

Dobro dziel bez końca,    善は終わりなく分け与えられる

gdy do przodu idziesz.    あなたが先へ進むときには。

W sercu schowaj moment,   心のなかにしまっておいて

kiedy byłeś niżej・・・     苦しかったときのことを・・・

 

歌が途切れ、伴奏だけ残るなか、マイクを通して声が流れた。バンドは間奏を繰り返しており、男の声ははっきりしていたから、観客は出演者の誰かが曲に乗せて話しているように錯覚したかもしれない。

 

「なあ、よう、俺の名前はステファン・W・・・だ。無実で監獄に入れられていた。市民プラットフォームが俺を拷問した。だからここでアダモヴィチは死んだんだ」

 

警備員が男を押さえ込み、少しして音楽は止まった。男はナイフで市長を複数回刺していた。

 

取り押さえられた27歳の男は、2013年、22歳の時に、グダンスクの銀行4か所を襲う強盗事件を起こして5年半服役し、刑期をおえて、2018年12月8日に出所したばかりであった。母親は戻ってきた息子の精神状態に危険を感じ、警察に相談していた。男は「市民プラットフォーム」が与党であった時期に不当に投獄され拷問を受けたと主張し、同党のアダモヴィチ市長をターゲットに恨みを晴らしたと話したとされる。

 

グダンスク大学付属病院に救急搬送されたアダモヴィチ市長は5時間に及ぶ手術を乗り切ったが、容態は深刻なままで、意識を取り戻すことなく翌14日に亡くなった(注1)。

 

(注1)“Paweł Adamowicz nie żyje. Prezydent Gdańska zmarł w poniedziałek, 14 stycznia 2019 r. Kondolencje składają osoby z całego świata”, Dziennik Bałtycki (2019-01-16), https://dziennikbaltycki.pl/pawel-adamowicz-nie-zyje-prezydent-gdanska-zmarl-w-poniedzialek-14-stycznia-2019-r-kondolencje-skladaja-osoby-z-calego-swiata/ar/13806349.

 

アダモヴィチ市長には9歳と16歳の娘がおり、妻マグダレナ・アダモヴィチはグダンスク大学において海事法を教えている(注2)。市長は折に触れてグダンスクに対する深い愛着を表明する「グダンスク人」であったが、先祖代々ここに暮らしてきたわけではない。

 

(注2)アダモヴィチ市長の経歴についてPaweł Adamowicz, “O mnie”, http://adamowicz.pl/o-mnie/[最終閲覧日:2019年1月21日]参照。

 

かつてダンツィヒと呼ばれ、第二次大戦前には住民の9割をドイツ人が占めていた港湾都市には、バルト海に開かれたハンザの一員としての自立した歴史や文化があり、一筋縄では解けない自由都市の風土は、ギュンター・グラスのような特異な作家を生んだ。

 

20世紀には世界史的な変化の波の起点となり、グダンスク近郊の岬ヴェステルプラッテは第二次世界大戦勃発の地として知られる。共産主義体制の崩壊を導くことになる東欧革命は、1980年にグダンスク造船所で結成された「工場間ストライキ委員会」(後の自主管理労組「連帯」)から始まった。2014年からEU理事会議長を務めるドナルド・トゥスクは、グダンスク出身であり、沿岸地域の少数民族カシューブ人の出自を持つ。

 

 

モトワヴァ運河と木造クレーン(2018年2月)

 

 

アダモヴィチの両親は、第二次大戦終結後の1946年に、ヴィレィンシチズナ(現在のリトアニア、ベラルーシに含まれる地域)からグダンスクへ移ってきた。彼らのように新しくポーランド領「グダンスク」となった都市に移ってきた人々は、戦争で破壊された市街地を復興し、近所の教会を再建することで、住民自らが都市の運営に参加していくという自治の気風を育み、実践しながら、生活の場と帰属先を自分たちの手で作っていった。

 

 

グダンスク造船所(2018年2月)

 

 

1965年生まれのアダモヴィチは、レフ・ワレサ(1943年生まれ)やアダム・ミフニク(1946年生まれ)ら、「連帯」メンバーとして、戒厳令下に拘束されながら民主化運動をけん引した世代とは20歳ほど年が離れている。アダモヴィチは1988年に、グダンスク大学の学生「連帯」委員会でストを主導したことで知られるが、一口に「連帯」に参加したといっても、ミフニクやワレサら共産主義体制との交渉を前線で担った人々の経験とは異なる。

 

アダモヴィチは1980年から84年まで、グダンスク第一普通科高校に通い、在学中に地下出版の発行と配布に関わり始めた。ワレサらが始めたストがポーランド全域に波及し、政府から譲歩を引き出した「8月合意」が、グダンスク造船所のホールにおいて署名された翌9月に、アダモヴィチは高校に入学し、同17日に、独立自主労働組合「連帯」が結成された。

 

そうした意味では、十代から二十代にかけての基本的な価値観が形成される時期に、当時「連帯」が獲得しようとしていた自由や民主主義の意味を身近に感じ、その理念を真に受けて育った最初の世代の一人であった。

 

体制転換後おおむね順調に2004年のEU加盟まで歩みを進めてきたポーランド社会は、2010年春にスモレンスクで起きた大統領機墜落事故に深い衝撃を受け、その反動から急速に愛国的な行動を求める言説が強まった。ソ連による支配から解放されて「復帰」したはずのヨーロッパ・アイデンティティは次第に後退し、2015年に右派政党「法と正義」の単独政権が成立すると、各分野への介入が公然と行われるようになった。

 

その過程で公共放送(TVP)やラジオ放送の内容が規制され、従来番組を作ってきたスタッフの多くが解雇された。とくにニュース番組の目的は、政府見解を伝え、野党が国益を損なっていると非難し、対外関係におけるポーランド国家の主張の正統性を訴えることに占められていった。こうした雰囲気は、とりわけ2018年のポーランド独立回復100周年が近づくにつれ常態化した。

 

独立回復100周年の節目は、強力な磁石のように、歴史上のあらゆる出来事をひきつけ、2018年を通じて何らかの記念日が来るたびに(その出来事の時期に関わりなく)、独立100年と結びつけてポーランドの近現代史が語りなおされた。

 

その際、かつては反ユダヤ主義的な「黒い英雄」として、存在を不可視化されていた右派の政治家ロマン・ドモフスキが、「建国の父」であるユゼフ・ピウスツキや初代首相イグナツィ・パデレフスキと共に並び称されるようになったことは、ここ10年間にポーランド社会の雰囲気がいかに大きく変わったかの指標であった。ドモフスキの復権は、体制転換と民主化を成し遂げた時代の象徴や言葉の内実が、内向きに閉じたナショナリズムへ置き換えられていくのと軌を一にしていた。

 

そうした変化を象徴的に表したのは、2018年9月1日にグダンスク近郊のヴェステルプラッテで行われた第二次世界大戦勃発79周年を記念する式典であった(注3)。午前4時45分、ヴェステルプラッテがドイツの戦艦シュレジヒ・ホルシュタインによって攻撃を受けたのと同時刻に、長いサイレンが鳴らされ、記念式典が始まった。

 

(注3)Anna Iwanowska, “79. rocznica wybuchu II wojny światowej – obchody na Westerplatte”, Portal Miasta Gdańska, https://www.gdansk.pl/urzad-miejski/79-rocznica-wybuchu-ii-wojny-swiatowej-obchody-na-westerplatte,a,123185[最終閲覧日:2019年1月21日].

 

グダンスク市長をはじめ、ポーランド政府の要人や各宗教コミュニティの代表が、式典においてスピーチし、祈祷を捧げた。前日(8月31日)は、グダンスク協定(1980年の8月合意)から38年目の記念日であった。

 

モラヴィエツキ首相はスピーチにおいて、第二次世界大戦の最初の数日間にポーランド防衛のために命を落とした人々について、「国民全体にとって独立以上に価値あるものはないと彼らは知っていた」とし、「誰もが自分のヴェスタープラッテを持っている」と付け加えた(注4)。これはヨハネ・パウロ二世が1987年6月に、グダンスクにおいて若者たちがコミュニズムに抵抗するよう触発した言葉である(注5)。モラヴィエツキ首相は次のように続け、スピーチを締めくくった。

 

(注4)“Premier Mateusz Morawiecki: Nie ma cenniejszej rzeczy dla całego narodu niż niepodległość”, premier.gov.pl (2018-09-01), https://www.premier.gov.pl/wydarzenia/aktualnosci/premier-mateusz-morawiecki-nie-ma-cenniejszej-rzeczy-dla-calego-narodu-niz.html.

 

(注5)Jan Paweł II, “Każdy ma swoje Westerplatte” (1987-06-12).

 

「この神聖な場所から、私はすべての同国人に(私たちを支持する人々だけでなく、反対する人々にも)思い出させたい。こうした場所が、合意の場となるように。・・・もっとも重要な日に、私たちは団結するべきである。その日とは11月11日であり、独立回復の100周年である。その時は共に独立行進に参加しよう。英雄たちに名誉と栄光あれ。」

 

このようにしてモラヴィエツキは、独立100周年、第二次大戦勃発、そして連帯運動の始まり(8月合意)を一つに結びつけ、それらすべてをヨハネ・パウロ二世の言葉によって包摂しつつ、その意味をナショナリスティックなものに限定したのだった。

 

個々の記念日(出来事)の文脈が本来異なるにもかかわらず、他の参列者たちもまた、これらの出来事を関連づけ、独立の価値、自由、連帯といった共通の諸要素を強調した。それに対して、アダモヴィチ市長のスピーチは、ヴェステルプラッテにおいてポーランドの兵士がヨーロッパで最初にナチスおよびソヴィエトの全体主義に抵抗し、ヨーロッパ的諸価値(自由、自立、デモクラシー)の防衛のために立ち向かったのだと位置づけ、次のように続けた。

 

「全体主義との私たちの格闘の終結が訪れたのは、ようやく1989年になり、連帯という偉大な平和運動によって、ヨーロッパの一角に私たちが占めるこの場所において、共産主義が崩壊したときであった。その間に私たちは知った。人の自由にとって、単一のグループによる権力の保持や、法に優越する政治的な意思以上に危険なものはないのだということを。私たちの目標は統一されたヨーロッパであった。

 

しかし今日、いかにこれらすべてのことが過去のものになってしまったか、そして、私たちが歴史から学んだことの影響力がいかに弱まっているかを私たちは目にしている。法の支配は疑わしくなっており、欧州連合における私たちの地位を損ないつつさえある。

 

その上、ポーランド人それぞれにとってもっとも重要な言葉――祖国、ポーランド、自由、ヨーロッパ――の意味や価値がどれほど変化しているかを私たちは目にしている。そうした変化は、合意のための架け橋ではなく壁を築いているのだ。」(注6)

 

(注6)“Uroczystości związane z rocznicą wybuchu II wojny światowej”, Onet Trójmiasto (2018-09-01), https://trojmiasto.onet.pl/uroczystosci-zwiazane-z-rocznica-wybuchu-ii-wojny-swiatowej/nf7rz82. “Fragment przemówienia Pawła Adamowicza”, Trojmiast.tv (2018-09-01), https://trojmiasto.tv/Fragment-przemowienia-Pawla-Adamowicza-29623.html.

 

モラヴィエツキ首相とアダモヴィチ市長、二人のスピーチは、同じキーワードを用いているにもかかわらず、異なる歴史観を語っており、アイデンティティの核となる重要な諸概念の意味の変化と縮小を示していた。

 

比較的開放的な空気を保ってきたグダンスクにおいても、第二次世界大戦博物館の展示や人事に関して「法と正義」の介入が起きており(注7)、体制転換と民主化を牽引した倫理感覚が、今となっては浮いて見えるような雰囲気がワルシャワから発信されるなかで、アダモヴィチの言動やそれを支えるグダンスクの地域共同体が変わらずに価値観を保とうとするとき、幾つもの紛争が表面化するのは避けられなくなっていた。【次ページにつづく】

 

(注7)歴史家パヴェウ・マフツェヴィチは2000年から2005年まで国立記憶院(IPN)に務め、2008年11月から2017年4月まで、グダンスクの第二次世界大戦博物館(2017年3月から一般公開)の館長であった。

さまざまなアクターの歴史観を比較展示するという同博物館の理念に関して、設立が決定された2008年にはすでに「法と正義」のヤロスワフ・カチンスキが批判を始めており、2013年には展示が「ポーランドの視点」を表明する内容となるよう博物館のかたちの変更を求めた。

これに対しマフツェヴィチは「何をもってポーランドの視点とするのか、独占的に判断を下せる者などいない」と指摘し、「ポーランド人は互いに異なっており、それこそが、1989年以来我々が享受している独立した民主主義国家の擁する最大の価値の一つである」と応じた。

マフツェヴィチは8年間かけて準備してきた博物館を去ることになり、「法と正義」が推薦するカロル・ナヴロツキが後任となった。オリジナルの展示内容は変更され、マフツェヴィチは「博物館に損害を与えた」として検察の取り調べを受けた。Paweł Machcewicz, “Machcewicz jest już trupem. Powiedzieli mi to Joachim i Mariusz. Tak zniszczono Muzeum II Wojny Światowej”, Wyborcza.pl (2017-11-24), http://wyborcza.pl/magazyn/7,124059,22694644,machcewicz-jest-juz-trupem-powiedzieli-mi-to-joachim-i.html.

 

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