世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発

福島第一原子力発電所での事故を受け、世界で、自国の原子力発電所の再チェックと対策強化を進めるとともに、原発計画を見直したり、凍結したりする動きが強まっている。特に、4月26日には、旧ソ連のチェルノブイリ(現在は、ウクライナに位置)原発事故から25周年を迎え、欧州、旧ソ連各地で追悼行事が行われたことも、原発廃止論をさらに勢いづかせた感がある。

 

しかし「やめたくてもやめられない」事情を抱える国も少なくない。

 

 

やめられない「持たざる国」

 

財政難の旧ソ連諸国は、原発をやめたくてもやめられない懐事情がある。原発は、やはり、コストが抑えられるだけでなく、国際的要因を受けることもなく(ウクライナ・ロシアのガス紛争に象徴されるように、旧ソ連では政治問題にエネルギーカードが切られることが少なくない)、きわめて安定的な電力源となっているからである。

 

チェルノブイリを抱えるウクライナのアザロフ首相も、金持ちの国だけが原発閉鎖の可能性を議論できると述べている。同国では、4つの原子力発電所があり、15基が稼働中で、国内の電力需要の約半分を支えている。さらに、2030年までに11基が増設される模様だ。ウクライナでは、比較的安価に安定した電力を得られる原発のメリットは危険性を上回ると考えられており、もっとも現実的な方策とみなされている。

 

それは資源を有さず、国境の約80%を、敵対しているトルコとアゼルバイジャンに囲まれて、陸の孤島となっているアルメニアも同じである。

 

他方、ロシアは「多くの国では原発抜きでのエネルギー政策は考えられない」という立場にもとづき、中小国への原発プラントの輸出を推進する考えを示している。3月15日にロシアがベラルーシに原発建設の協力を約束したことはその一例だ(ただし、ロシアはトルコやイランをはじめとした地域大国への原発計画の支援も熱心に進めている)。

 

しかし、そのようななか、アルメニアの原発への危機感が世界で強まっている。

 

 

アルメニアの原発と地震

 

アルメニアで原発といえば、首都エレバンから西方約30キロメートルのメツァモール村にある、メツァモール原子力発電所をさす。同発電所は、ソ連型軽水炉(VVER-440)2基からなり、出力はそれぞれ40.8万キロワットで、1号機は1977年から、2号機は1980年から操業を開始した。

 

アルメニアはそもそも地震が起こりやすい土地柄であったため、同発電所は通常のソ連型PWR(VVER-440/V-230)に耐震補強を行ったV-270型とされ、震度階6以上の地震で緊急防護装置が作動して自動的に停止する設計となっており、震度8までの地震には耐久できるように建設されていた(なお、ソ連政府は、震度9以上の地震が想定される場所での原子力発電所の建設を禁じていた)。

 

このようにかなり大きな地震にも耐久できるよう建設されたアルメニア原発であったが、大きな地震に直面すると、想定外のことが発生してしまった。1988年12月7日にアルメニアの第二の都市レニナカン(現、ギュムリ)市から東方50キロメートルの地点で、マグニチュード6.9(震源の深さは3キロメートル)の地震(スピタク大地震)が発生したのである。

 

首都エレバン市では大きな被害はなかったが、人口29万人のレニナカン市は町の75%が、人口16万人のキロバカン市では町のほぼ半分が、そして人口7万人のスピタク市では町全体が壊滅的被害を受けた。こうして、25,000人を超す犠牲者が出て、50万人が家を失った。

 

この地震の際、震源地から75キロメートルのメツァモール原発では、5.5の揺れを観測したが、上述のように、震度6以上で自動停止するように設計されていたため、地震が起きても原発は正常に運転していた。つまり、地震による被害はなかったと思われる。しかし、じつはその地震の際に、メツァモール原発からスタッフが逃げてしまい、原子炉加熱の危機も生じていたのである。

 

 

ソ連原発計画への地震の影響とメツァモール原発の閉鎖

 

また、この地震はソ連の原発政策に大きな影響をもたらした。同年12月23日に、ソ連のルコーニン原子力発電相(当時)は、敷地が不適切であることを理由に、6か所の原子力発電所の建設計画を放棄することを発表したのだ。

 

その決定によって、アゼルバイジャン、グルジア、南ロシアのクラスノダールにおける計画が白紙とされ、設計上の安全問題を理由に白ロシア(現在のベラルーシ)のミンスクとウクライナのオデッサで建設中だった熱供給用原子力発電所計画が途中放棄されることになり、アルメニアのメツァモール原発で予定されていた2基の追加建設計画も取り消された。

 

そして、既述のように、地震による直接の被害はなかったものと思われるのだが、旧ソ連の閣僚会議は「アルメニア原子力発電所の停止と対コーカサス諸共和国の電力供給の保証措置について」という決議を採択し、メツァモール原発の1号機を1989年2月25日に、同2号機を同年3月18日に運転停止にすることを決定した。それとともに、原子力に関連する省庁が、1989年末まで停止した原子炉の安全確保、建造物の耐震性を向上させる措置を取ることを義務づけた。

 

なお、メツァモール原発の運転停止は、地震が発生する前の1988年10月にはほぼ決定されていたという。というのも、1986年のチェルノブイリ原発事故以来、同原発に反対する運動が高まっており、後述のように、ナゴルノ・カラバフ問題でナショナリズムが高揚し、抗議行動を繰り返していたアルメニアの民衆が運転停止要求を行っていたからである。

 

また、ソ連としても、チェルノブイリ原発事故で諸外国にも多大な迷惑をかけたため、安全性が保てない原発計画については、放棄したり、安全性を高める必要性を強く感じていた。

 

メツァモール原発の立地は耐震という観点からはきわめて悪く、同原発の近くには5つの断層があり、とくにそのうち3つの断層との距離は、500メートル、16キロメートル、34メートルとかなり近い。また、同原発は、ソ連が1970年代に開発した、第一次格納容器をもたない第一世代型の加圧水型原子炉であり、同タイプの原子炉は5基現存するが、すべて、設計寿命を超えているか、終えようとしており、ヨーロッパの安全基準には適合していないことも、閉鎖を早めたとされている。

 

 

 

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