2014.12.22
国家のあり方を読み解く「未承認国家」という鍵
ウクライナ危機やロシアによるクリミアの編入問題など、「国」をめぐる問題で揺れ動く世界。これは、竹島や尖閣諸島の問題を抱える私たち日本人にとっても、決して遠い問題ではない。不安定化した世界を読み解く上で、大きなカギとなるのが「未承認国家」という存在だ。この未承認国家の存在から国際問題の原点を探ろうとしたのが、今年8月に出版された『未承認国家と覇権なき世界』だ。著者・廣瀬陽子氏に、未承認国家の概要と、そこから見えてくる今後の課題点についてのお話を伺った。(聞き手・構成/若林良)
「未承認国家」とは何か
―― 「未承認国家」は日本人にとってはあまり聞き慣れない言葉ですが、「国家」と「未承認国家」の違いとは何なのでしょう。
ごく簡単に言ってしまいますと、他の国からの広い国家承認を受けているか、否かですね。例えば台湾は後者で、60年以上も台湾島を初めとした領土を維持しておりますが、国際的な影響力が強い中国が台湾の独立を認めていないため、未承認国家のままとなっています。中国も台湾も、領域、人民、権力という、国家の要件のほとんどを満たしているので、逆に言えば、国家を考える上では、国家承認の意味がすごく大きいといえます。
未承認国家についてもう少し細かく考えてみると、ある一定の「国境線」をもつ「領土」が確保されていて、政治が機能しており、かつ「国民」ないし住民が、納税など「国民」としての権利や義務を果たしていて、その状態が2年間以上保たれている、というのがおおよその目安になっています。英語ではUnrecognized Statesですので、非承認国家という研究者も少なくありません。他に英語で、De facto States(事実上の国家)という呼び方も広く使われていて、この概念を示す言葉は画一的ではないというのが現状です。
―― 台湾のような冷戦期に生まれた未承認国家と、ウクライナのようにソ連崩壊に伴って生まれた国家の違いは顕著なのでしょうか。
冷戦時代に生まれた未承認国家については、明らかにアメリカとソ連を中心とした、東西分裂が背景にあります。一方、冷戦後の未承認国家は、純粋なナショナリズムと周辺国の個別の利害関係がその成立に大きく影響しているように思います。
構図的には、冷戦後に生まれている未承認国家の方が複雑な気がしますね。ソ連解体をはじめ、冷戦の終結でこれまでの国家のシステムが変わることで、「自分のアイデンティティが脅かされる」と感じる人が分離の動きに出たことが大きかったと思います。それが力のない動きであれば、簡単に潰されてしまう訳ですが、一定の力のある人たちが集まり、ある程度のリソースも得られれば、新たな「国」が生まれ、承認を得ていないながらも存続することができてきた。構図としては、だいたいそのような感じであると思います。
―― ソ連の崩壊にともなって生まれた未承認国家の方が愛国心は強いと思われますか。
それはまた別の問題だと思います。
多くの場合、国家の成立は戦争を経ていますが、戦闘の中で醸成されるナショナリズムは極めて強いと思うのです。たとえば、台湾と中国を分けたのも、最初は政策の方針やイデオロギー的な差異だったはずですが、戦闘のプロセスで「台湾アイデンティティ」が芽生え、大きくなってきた。韓国と北朝鮮の場合も、南北それぞれのアイデンティティがどんどん強化されていったはずです。そういう意味では、愛国心の強さを冷戦期、冷戦後で比べることはできないのではないかと思います。
領土保全と民族自決
―― 本書を読んで「領土保全・主権尊重」「民族自決」が恣意的に運用されてきたことで、問題が複雑になっていることがよくわかりました。
未承認国家に関わる国際原則として、「領土保全・主権尊重」と「民族自決」が対立する概念として、ずっと併存してきました。
実際のところ、基本的には、領土保全の原則の方が優位に立ってきました。小さい国がどんどん独立していくと、未成熟な国が増えるだけでなく、新たな国境がたくさんできて地域の秩序も崩れるなど、地域が不安定化しやすくなります。そのため、国家の数はむやみには増やさないという共有された方向性があるんです。また、国家の領土が保全されていないと、どの国も国家経営に常に不安を抱えることになります。
このように、領土保全の原則が基本的に最優先事項として認識されているのですが、その一方で民族自決という、様々な民族が他国や他民族に従属させられることなく、また干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定する集団的権利を持つという原則も存在します。
歴史的には、例外的に民族自決が優位になった時期がありました。第一次世界大戦の後、第二次世界大戦の後、冷戦の後になります。二度の世界大戦後は主に旧植民地が宗主国から独立したことで、また、冷戦後はソ連、ユーゴスラビア、チェコスロバキアの解体とそれらを構成していた国の独立によって、独立国の数は一気に増えました。またそれ以外でも、東ティモールや南スーダンのように、本国が認めたことによって新たに独立するケースもあります。でも、基本的には、民族自決の原則が尊重されることはまれなのです。
冷戦後の話で言いますと、ソ連などの解体にあたって、西側諸国はかつての連邦内の行政境界線を維持し、その境界線の変更は認めない、つまり、たとえばソ連の場合は15の共和国で成り立っていたので、それら15の共和国はそれぞれ独立するけれども、それ以上の境界線の変更は認めないということで合意しました。
「アゼルバイジャンやグルジアは独立したのに、なぜ同じコーカサスに位置するチェチェンは独立できないのか」ということをよく聞かれますが、それは、今申し上げた原則に基づけば当然のことで、前者と後者では行政の単位が違うからなのです。アゼルバイジャンやグルジア、またアルメニアという南コーカサス三国はソ連を構成していた共和国なのですが、チェチェンはロシアの中の自治共和国でした。つまり、行政のレベルが一段下になるわけです。
これはロシア人形のマトリョーシカを例に考えるとわかりやすいかと思います。マトリョーシカは胴体の部分で上下に分割でき、中にはより小さい人形が入っている。そしてその中には、またさらに小さい人形が入っているという入れ子構造となっているのですが、この例を当てはめると、ソ連という一番外側のマトリョーシカを1個開けて出てきた人形は、みんな独立できたけれども、その中の人形は独立できなかったというわけです。
そういう風に、「一個開けたところしか独立させない」という約束をしたにも拘らず、セルビアの中の自治共和国であるコソヴォについては特例として独立させる方針を取り始めた欧米は、やはりダブルスタンダードなのではないか。そういった考えは、必ず付きまといますね。
―― そもそも、民族自決を一時的に優先した時に、自治共和国の中にいた人たちはどうしてダメなのかという問題もあるでしょうし、マトリョーシカを、1個開けたところまでで止めるのは恣意的だなと……。
そうですね。もっと突き詰めると、ソ連時代に行われた国境線引きにも多く起因する問題といえるでしょう。中央アジアの地図を見ると、ソ連構成共和国の間に直線の国境があるのがご理解いただけると思います。それはアフリカと同じように、「上が勝手に引いた」境界線である証拠ともいえます。
そもそも現在の中央アジア諸国には、「国」という概念がなく、ソ連が国境線を引き、人々が何民族であるかを確定して、はじめて、「国」が成立したという経緯があります。たとえば、ウズベキスタンとタジキスタンの間に境界はなく、彼らはほとんど同じ民族として生活し、都市に住む人は「サルト」と呼ばれるくらいの状況でした。しかし、ソ連がウズベキスタン、タジキスタンの二つの共和国に分割するに際し、トルコ語系の言葉を話す人はウズベキスタン、ペルシャ語系の言葉を話す人はタジキスタンという形で住民を分け、領土にも線引きをしてしまったのですね。
つまり、それ以前は民族的な分け方はなかったにも関わらず、勝手な線引きをされて、「国」にされてしまったわけです。それは後に民族問題にも影響していくのですが、押し付けられた独立では、ナショナリズムはなかなか育たないですよね。
やはり国民国家としての伝統を欠いている国では、民族問題も生じやすい傾向があるように思えます。中央アジア諸国も、ソ連解体後に急に独立国として放り出されたので、自分たちのナショナルアイデンティティを作るために、いろいろ苦労しました。タジキスタンは長期化した激しい内戦を経験しましたし、キルギスでもウズベク人問題が影を落としています。また、ウズベキスタンは、ウズベク人でもないティムールを国の英雄として祭り上げて、ナショナリズムの高揚に一役買わせるなど、どの国も国民を1つにまとめるために、本当に涙ながらの苦労をしてきたのだと思います。
ソ連の崩壊に伴って生まれた、未承認国家の持つ特色
―― 本書では、未承認国家の生まれる背景として、冷戦期の構造を取りあげられています。先ほど簡単にお話いただいたソ連の解体のあたりについて、詳しく教えてください。
ソ連解体ないし、冷戦終結で生まれた中で代表的な未承認国家は、グルジアのアブハジアと南オセチア、モルドヴァの沿ドニエストルと、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフと、セルビアのコソヴォでしょう。
それらは完全に同じ論理では語れません。もともと自治を与えられていた地域と、そうでなかった地域があるのですが、前者の場合は、自分たちの言語や文化への、危機感が強まったことが分離・独立運動の契機となっています。これまでは認められていた自分たちの民族語での会話や学校教育が、ソ連解体の動きの中で危うくなった。だから、分離しようという動きに繋がったわけです。
他方、沿ドニエストルや、現在「ノヴォロシア」としての独立を掲げて内戦化しているウクライナ東部のように、かつて自治を与えられた行政区でなかった場合は、民族的な要因よりも、経済や政治を含めた総合的な利害から分離・独立に踏み切っているという印象が強いです。沿ドニエストルは、ロシア人、ウクライナ人、モルドヴァ人がそれぞれ同じ比率くらいの多民族「国家」ですが、それぞれの民族的なアイデンティティが強く出ることはなく、むしろ名目的には、三民族の平等を謳っているという感じなのですね。だから、決して何かひとつのナショナリズムを持っているわけではない。
ウクライナ東部についても、彼らは別に「ノヴォロシア」としてのナショナリズムをもっているわけではありません。ウクライナ人もロシア人も混じっている地域ですし、もともと一枚岩でもないわけです。日本のメディアでは、ウクライナからの独立や、ロシアとの併合を求めるウクライナ東部の人たちを「親ロシア派」とよく呼んでいます。しかし、8月にウクライナで調査をしたところ、知識人の方々は、「東部の人たちは親ロシア派ではなく、親ソ連なのだ」「ソ連へのノスタルジーが強くて、その空気を残しているロシアがいいだけなのだ」ということを言っていました。実際、その説明で納得のいった部分もあります。
―― ソ連に対するノスタルジーといわれると、今一つピンとこない部分があります。国家体制としては失敗したわけですし、そこに対する憧れというのはどういったものなのでしょうか。
私も最初は分からなかったですし、説明が難しいのですが……現地に行くと分かるんですよね(笑)。
最近はそのような発言を聞く機会は確かに減ってきましたが、旧ソ連のほとんどの場所で、みんな「ソ連時代は良かった」という意見が聞かれます。特にソ連解体から十年強くらいの間は本当に頻繁に聞きました。つまり、ソ連を知っている世代の多くはソ連に対するノスタルジーを持っている。最近そのような発言を聞く機会が減ってきたのは、ソ連時代を知らない世代が増えてきたのと、生活が安定してきたという二つの理由があると思います。
ノスタルジーが強く共有されていた理由は、ソ連解体後の生活があまりに混乱し、厳しいものだったからだと思います。ソ連時代は言ってしまえばひとつの停滞期で、働こうが働くまいが同じ給料だから働かなくてもいい、という発想の人がたくさんいた。それだからソ連としての経済はどんどんダメになったのですが、逆に言うと、働かなくても食べていける状態にあったのですね。
しかも、ソ連体制下では家だけでなく、ときには別荘までもらえる。品不足だから行列に並ばなくてはいけないけど、食べられないことはない。学校も医療も無料だし、保養施設や文化施設など社会福祉もものすごくよかった。すごく金持ちになることはないけれど、みんな平等に豊かだったというイメージが定着しているんです。
加えて、現在ではアゼルバイジャンやトルクメニスタンなどの資源産出国が医療を無償化しているなど、だいぶ状況が変わってきたのですが、ソ連解体後10年間くらいは、病院に行こうとしても診療費が高く、さらには医師がわいろを要求することが常態化していました。わいろを払わないと診療が6ヶ月先など随分先延ばしにされて、本来なら治るはずの病気で亡くなってしまうことも珍しくなかったんです。そういうこともあって、かつての社会保障のほうがよかったという声をよく聞きます。
―― 現状への不満が、ソ連へのノスタルジーを駆り立てるという感じでしょうか。
そう思いますね。たとえば、ウクライナでは去年の年末くらいから危機が続いています。民衆が反政府行動を始めた直接のきっかけは、ヤヌコーヴィチ前大統領がEUとの連合条約の締結をキャンセルしてしまったことなのですが、実際のところは、別にEUがどうというよりも、「生活をよりよくしたい」という切実な感情の方が強い気がします。
ウクライナでは意識調査が頻繁に行われていますが、政治的な願望としては、「EUに入りたい」や「民主化してほしい」という項目には10%も入っていませんでした。逆に、「経済をよくしてほしい」や「生活の安定がほしい」という項目には、80~90%が入る(回答は複数回答可)。実際、一般民衆の心にあるのは、高尚な政治的理想というよりも、もっと身近な毎日の生活をどうするかというところにあるのだと思います。
―― 未承認国家がアイデンティティを必ずしも前提としているわけではないということにも繋がる話ですよね。根本的な生活の方が大事という。
繋がりますね。アイデンティティについて、もう一つ違いが出るのは、ナショナリズムを主張しているところでは、必ず民族浄化が起きているということです。自分たちの民族以外のものは基本的に追い出してしまう、ないし、あるところに押し込めてしまうというような行動が見られます。逆にウクライナ東部やクリミア、沿ドネストルなどは、民族共存を強く打ちだしたりもしています。そういうところもまた、違いだと思いますね。
―― ひとつの民族を絶対視するか、三つの民族で仲良くやっていこうとするか、そうした行動の違いには、地理的な要因が大きかったのでしょうか。
そうかもしれないですね。ただ、民族浄化には定式があるわけではなく、ちょっとしたことで火がついて、今までの様々なこと、特にネガティブな側面がすべてその民族問題に帰せられてしまうという側面があると思います。
ジェノサイドに関連した話になるのですが、そのやり方もすごく多彩なんですね。ルワンダのようにただひたすら殺すものもあれば、旧ソ連のように、殺しもするけど文化的なものも壊して、その国の歴史をなきものにしてしまうというようなこともあった。旧ユーゴスラビアで起きていたのは、完全に民族の血を断つことを目指す動きでした。殺しもするし、女性を徹底的に強姦して純血の子どもを作らないようにする、また妊娠した女性を隔離して外に出られないようにして、堕胎もできないようにしたという、もっとも残酷さの際立ったものでした。もちろん個別の事例によりますけれど、島国よりも、大陸の中でいろんな民族が入り混じっている方が、激しく民族的な浄化がなされる気がしますね。
―― ちなみに、いま注目されている「イスラム国」と未承認国家とは繋がってくるのでしょうか。
イスラム国は、未承認国家ではないですね。軍隊などは整えていますけれど、国境は未画定ですし、あそこに囲われている人の中には、単に奴隷化されていたりするだけで、国民としての自覚はない人がたくさんいます。
先ほども述べましたが、未承認国家でも、「国民」が自身の義務や権利を果たすことが大きな条件となっているので、イスラム国はとても未承認国家とは言えないと思います。言ったもの勝ちなので、「国家」を自称しているのでしょうけど、日本の報道で「国」と言っているのは、ミスリーディングな気がしてすごく抵抗があります。単にIS(Islamic Stateの略称)などでいいのではないかと思ってしまいますね。【次ページへつづく】
未承認国家の問題に、メディアが与える影響
―― 問題を読み解くためには、当事者としての自覚を持つことは大きいですよね。そのためには、メディアの果たす役割も大きいと思います。
それは本当におっしゃる通りです。私は拙著で、コソヴォの例外問題が非常に大きな問題を引き起こしているということを書きました。コソヴォだけ例外的に多くの国からの承認を受けたのは、メディアの問題も大きかったと思います。
コソヴォは、もともとはセルビアに属する自治共和国のひとつでしたが、2008年に議会が独立を宣言し、以降は「コソヴォ共和国」を名乗っています。そこまでコソヴォが行き着いた背景には戦争広告請負会社の影響が大きいと思います。コソヴォのみならず、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアは、アメリカの戦争広告請負会社を雇って、セルビア悪玉論を世界中に植え付けることに成功しました。ユーゴスラヴィアでは各地で紛争が発生しましたが、その実態はセルビアだけが悪玉というわけではなく、多くのケースでは「どっちもどっち」というような側面も見られました。
コソヴォについてもKLA(コソボ解放軍)がセルビア人をかなり残虐に虐殺していますし、麻薬や臓器売買などの違法行為も行っていました。実際、アメリカ政府も当初はKLAをテロ集団と位置付けていたんです。しかし、多くのKLAメンバーがコソヴォの政治の中枢でポストを得ていったんです。臓器売買などに加担していたとみられるコソヴォの政治家を批判する声も特に欧州からは多く出ていましたが、セルビアの残虐性がクローズアップされる一方、KLAの蛮行は世界的に大きな注目を浴びてこなかったと思います。
しかし、戦争請負会社は、客観的な「良い」「悪い」ではなくて、白でも黒でも、依頼者の有利になるような宣伝を行うのが仕事ですよね。それにのせられたメディアが文字通りの発信を行うことで、問題に対する誤った認識が世界中に広がっていく。そういった悪循環は、大きな問題であり続けると思います。
―― メディアの役割として、ひとつの固定観念に捉われない、複合的な視点を身につけさせるというようなことがあると思うのですが、それはここでは、確実にないですね。
そうですね。たとえば、冷戦時代は西と東で言っていることがかなり異なっていましたけれど、現在のウクライナ問題についても、ロシアと欧米が言っていることは全く食い違っています。ロシアのメディアも問題は大きいのですが、欧米のメディアも、都合のいいところだけ切り取ったり、嘘を大っぴらに吹聴したりしています。あのような報道にさらされていると、客観的な評価は絶対にできないと思います。
―― しかし、それが独立の大きな助けになったりもする。そういう意味では、この問題はダブル・スタンダートに該当すると思うのですが、そういったことは許容されるとお考えでしょうか。
私としてはあまり許容したくはないですが、止めることもできないと思います。これだけ情報化社会になってきてしまうと、正しい、正しくないにかかわらず、情報は極めて容易に世界中に拡散してしまいますので……。
例えば7月のマレーシア機の撃墜事件でも、あの直後にウクライナ政府が、これを盗聴しましたみたいな感じで、親露派が喋っているとされる会話を公開しましたよね。その時は、親露派が撃墜した証拠のように報じられていましたが、後にあの会話は偽装だったとドイツの調査団が発表しています。そういう事実一つ見ても、「ロシアは悪玉だ」という偏見があるから、撃墜も親露派をロシアが支援して行われたに決まっていると、そう捉えられてしまうのだと思います。
この件についても、例によって様々な報道がなされており、その事実がどうであったかは明言できません。とはいえ、偏見から評価が始まることには警鐘を鳴らしたいです。メディアの問題と同様に、偏見がもたらす影響もとても大きいです。アメリカやヨーロッパは正義で、ロシアや中国は悪といった、「旧・現共産圏=悪い」といった図式はどうしても根深いように思えるのですね。
「最も独立に近い」未承認国家とは
―― 未承認国家にとって、独立が望ましいかどうかはケースバイケースだと思うのですが、どのような国が最も独立すべきか、あるいは独立に近いとお考えですか。
中立的な第三者としては、「独立すべき」未承認国家を名指しすることは不可能です。その独立は、あくまでも法的本国の意思が尊重されるべきですから……。ただ、客観的に見て、独立に近いのは、台湾とコソヴォですね。それらは国際的にも安定していると認知されていて、直行便も外国からたくさん飛んでいます。コソヴォはいま、欧米の支援に頼って何とかやっている状態ですが、台湾は、経済的にも非常に豊かですし、中国よりむしろ国際的な信頼度も高く、国家として自立することは十分可能だと思います。
コソヴォの場合は、国家承認している国がとても多いのが強みです。台湾よりもずっと多いくらいですから、実際のところ、むしろ台湾よりも可能性としては高いかもしれません。ただ、国内に分離独立運動を抱えている国はコソヴォ独立には猛反対をしていますので、容易ではないでしょう。
たとえばアゼルバイジャン人は、「アブハジア人のようにグルジアのアブハジアにのみに居住し、同胞の国が他にない人たちが独立したいと言うならわかるが、ナゴルノ・カラバフの人たちはみんなアルメニア人で、アルメニアという国があるのに独立を要求している。アゼルバイジャンに文句があるなら、領土を要求せず、アルメニアに帰れ」と口を揃えて言います。それはコソヴォについても同じことが言えて、セルビアに文句があるなら、アルバニアに帰ればいいという主張をする向きは間違いなくあります。このような状況も独立にとっては、ひとつの足かせになるのではないかと思います。
―― 未承認国家が、うまく独立に持っていける場合と持っていけない場合については、やはり明確な違いがあるのでしょうか。
うまくいく場合というのは、その法的本国がその未承認国家を切り離した方が得だという政治的判断をして、合法的に独立を認めるような状況に限られると思います。その存在が負担となっている場合やそれを維持することで国際的に不利益を被る場合などとなるでしょう。東ティモールなどはその好例だと思います。インドネシアは領土として維持したいはずでしたが、これだけもめるのであれば、切り離した方が得策であると。それは妥当な判断だったと思います。
どの国家にとっても領土が広い方が国力的には良いに決まっていますし、少なくとも歴史的に領有していたところに関しては、確保したいという意識はあると思います。そこが政治的な計算に働いてきて、領土を維持することと、手放すことで得るものとを天秤にかけると思うのですね。
東ティモールの例であれば、インドネシアが自国の安定と政治発展、また国際関係を考慮しての決断だと思いますし、またコソヴォであれば、セルビアのEUへの加盟というところが、大きなキーポイントになるかと思います。EUはセルビアに対して、EUに入りたいのであれば、コソヴォの領有は諦めろと事実上言っている状況です。セルビアとしてはやはり、EUに入りたいですし、EU加盟のためと割り切ってコソヴォを諦める可能性は、低くはないと思います。つまり、未承認国家の法的本国にとっては、そこをあきらめるに足る、もっと大きな理由があればあきらめる可能性も高いということですね。ただ、他の旧ソ連の国などは、なかなかそういったおいしい話がないのですが……。
「未承認国家」をより身近に
―― 先生が未承認国家の本を出されて、周りからの反響はいかがでしたか。
本は全然売れてないんですけど(笑)、反響はかなりありました。未承認国家の問題は多くの地域にまたがっているので、それぞれの地域の研究者の方がお読みになって、「こういう見方もできるんだ」と言っていただいたこと。また今後を見据える新しい視点として捉えてくださった方もいらっしゃって、「視点としてはいい」という評判をいただいています。
―― 日本がこの先、どのように未承認国家の問題に関わるべきか、また日本にはどのような弊害が生まれえるかについて、お考えをお聞かせいただければと思います。
未承認国家は、国家の領土や主権の問題と直接関わってくるので、領土問題を数多く抱える日本がそうした問題に流されると、日本の国益に即した立場を強く主張できなくなると思います。
たとえば、ロシアのクリミア編入は、未承認国家問題の亜種的なところがあると思うのですが、日本は強い態度を見せませんでしたよね。このことは、武力や国際法に基づかない高圧的なやり方での国境変更を容認したということにも受け止められかねず、日本の領土政策として大きな失敗であると思います。
他の国の未承認国家の問題にも、他人事だと思って傍観せず、何が問題なのかという事を常に考えていくことが大事です。未承認国家そのものが悪いとは言えず、彼らには彼らの論理があります。たとえば、自分たちの言語や文化の問題でかなりの圧力を受けたことが背景にあるようなことも多く、民族の権利を無視することもまた出来ないでしょう。日本も、第二次世界大戦後にアメリカに占領されていた時期がありましたけれど、もしその時、日本語が廃止され、英語が強制されていたとしたら、やはり嫌ですよね。
そういう目にあっていたことを想像して、共感することもまた必要であると思います。けれども、やはり違法なことをやっているということと、その存在を利用して利益を得ている人たちがいるということは問題で、違法なところは究極的に突き詰めていかないと、同種の問題があちこちで起こり得るとも思いますね。
―― では最後に、先生が日本人にとっての未承認国家の認識について改めて気付いたことや、それを受けての先生の今後の意気込みを、聞かせていただければと思います。
やはり「未承認国家」という言葉は、日本人にとっては全然なじみがないのだということを実感しました。これは編集者の方から言われたのですが、タイトルに「未承認国家」は失敗したかな、と。内容は面白いと思う人が多いはずなのに、タイトルでピンとこないから、もう少し平易なものに変えるべきだったと。日本人にとっては、未承認国家という存在そのものが、非日常的なのだということを改めて痛感しました。冒頭でも申し上げましたように、研究者の間でも統一された呼称がない概念ですから、確かにそれも当然ですよね。
しかし、そういう状況を、やはり私としては改善していきたいと思います。実際に、今年、世界の政治を賑わせているものとして、未承認国家に関わる問題は決して少なくはないですし、今後ますます国家の形は変動していって、未承認国家、ないしはその亜種のような問題がいろいろ出てくると思うんですね。そういう意味で、未承認国家の基礎的なものを押えておくと、新しい動きがでてきたときに、ある程度は自分で分析ができたり、比較ができたりするのではないかと思っています。そのために、私は未承認国家に関する発信に、今後とも誠心誠意取り組んでいきたいと考えています。
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。