2018.01.15

日本人は憲法九条と自衛隊にどう向き合ってきたのか?

『憲法と世論』著者、境家史郎氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー#「新しいリベラル」を構想するために

日本国民は憲法九条を支持してきたのか?

――憲法制定当初から、日本国民は九条を支持していたと広く考えられています。しかしながら、これは根拠のない「神話」だとされていますね。

「憲法制定当初から九条は圧倒的多数の国民から支持されていた」という見方は、高度成長期以降、今日に至るまで、多くの批評家、研究者の著作に現れています。多くの場合、まったく無根拠にそう書かれているのではなく、当時の世論調査の結果を参照し、「客観的に言えること」として、そのように主張されています。

――世論調査の数字をもとにしているのですから、客観的ではないのですか?

ええ。世論調査の結果というのは、数値で表されるがゆえに、その引用によって議論に「客観性の外観」を与えます。具体的には、1946年5月に「毎日新聞」が行った調査の結果が、これまで何度となく参照されています。この調査では、「戦争放棄の条項を必要とするか」という質問がなされ、結果はたしかに賛成論が圧倒的多数(賛成70%、反対28%)になっています。

ところが、社会調査法の世界では常識ですが、世論調査の回答というものは、その微妙な方法の違いによって影響を受ける、きわめて繊細なものなのです。サンプリング(調査対象者の選定)の仕方、質問文の表現や選択肢の置き方、質問の順序といったさまざまな違いが、回答を左右します。

実際、改憲問題に関する過去の質問例をみると、改憲反対方向の選択肢の表現を、「一切、改めるべきでない」とするか「変えないほうがよい」とするかだけでも、回答結果は大きく違っていることが分かります。

ですから、世論調査の結果を引用し解釈する際には、その調査の方法的な面での特徴を十分におさえておく必要があります。

――なるほど、ただ世論調査の数字をあげれば、それで主張が客観的なものになるわけではないということですね。

その通りです。では、先ほど紹介した「毎日新聞」の調査はどのようなものであったのか?

同紙の説明によると、この調査は「有識階級」を対象としたもので、回答者の9割弱が男性、約4割が大学卒業者で占められていました。他方で、農業従事者の割合は1割以下となっています。この標本は、当時の日本社会の「縮図」にまったくなっていません。質問文の表現などをどのように工夫したとしても、こうした調査で当時の日本人の「平均的」あるいは「全体的」な意見を探ることはきわめて困難です。

ではこの時期、国民の九条意識に関して、他にもっと信頼に足る調査がないのかと言われれば、それはおそらくありません。従来の議論ではもっぱらこの「毎日新聞」調査のみが論拠とされていますし、私が今回調べた範囲でも、たしかにこの時期(1940年代)、九条の是非について問う全国調査は行われた形跡がありません。

したがって、結局1940年代における有権者の九条意識は「不明」というよりなく、その意味で「憲法制定当初から九条は圧倒的多数の国民から支持されていた」という見方は「神話」だと言わざるを得ないのです。

一貫して強い自衛隊を保有することに対する支持

――それでは、少し時計の針を進めてお聞きしたいと思います。1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によって日本は主権を回復します。境家先生は、このとき「最低限の防衛戦力保持の可否」に絞ったならば、九条の改正は通った可能性があったと推測されています。

はい。1950年代になると、無作為抽出法というサンプリングの技術が、各機関の世論調査で用いられるようになり、調査の質が大幅に改善されます。また50年代にはエリートレベルで改憲論争が高まったことがあり、九条問題を含め憲法関連の世論調査が増えてきます。この時期になって、はじめて国民の全体的な(平均的な)九条意識について、ある程度、信頼性の高い推測が可能になったといってよいでしょう。

それらの調査結果をみると、1950年代中葉くらいまでは、改憲派の有権者は護憲派より明らかに多く存在し、とくに「改憲による軍隊保有」論はかなり有力であったことがわかります。例をあげれば、主権回復直前にあたる52年3月に「毎日新聞」が行った調査によると、「軍隊を持つための憲法改正」に対し、賛成43%、反対27%という結果でした。

今日忘れられがちですが、当時は新聞論調でも、少なくとも九条については改憲容認論が主流であった時代です。この当時の社会風潮として、改憲再軍備論は異端でも何でもなく、ごく普通に存在した言説であったということです。こうした社会的文脈において、有権者の改憲志向が強くみられたことは、じつのところまったく自然なことであったといえます。

――当時は、やはり軍備は必要だという認識が普通だったと。ただ、それ以降、九条改正論は下火になりますね。

1950年代を通してみると、後期になるにしたがって、有権者のなかでもたしかに九条改正論は下火になっていきます。しかしこれは、間違っても自衛隊廃止論の高まりがあったことを意味するわけではありません。

自衛隊を保有することに対する支持は、戦後一貫して強く存在しています。50年代における九条改正論の後退は、むしろ、自衛隊・日米安保条約による安全保障体制の整備により、国民が九条を「許容」し始めたことを意味すると考えます。

――なるほど、自衛隊創設によって実質的に再軍備されたから、九条があってもオーケーだとされたということですね。この時期の新聞の論調はどうだったのでしょうか?

1950年代の新聞論調については梶居佳広氏が、地方紙を含め、きわめて詳細な検討を行っています。この研究によると、50年6月の朝鮮戦争勃発以降、九条改正・再軍備論が新聞各紙で広まったとのことです。新聞の改憲論調がもっとも強まったのは54年頃で、この時期には少なくとも九条については大多数の新聞が改正賛成の論陣を張っていました。

――それは意外です。

はい。ところがこの年を境に、新聞論調は変化を始め、徐々に改憲慎重論が強まります。その原因のひとつは、この時期に鳩山一郎ら保守改憲エリートが強く打ち出した「全面改憲論」にあります。ここでは九条改正・再軍備にとどまらず、人権制限や天皇元首化など復古主義的な改憲項目が含まれていました。

九条改正はやむなしとしていた各新聞も、こうした復古色の濃い改憲案には抵抗が強かったようです。地方紙については「一県一紙体制」、すなわち県民全体から広く読まれることを前提にしていた都合上、保革対立争点として先鋭化した改憲問題で一方に肩入れすることが難しくなった、という事情もあったようです。

――九条改正による再軍備は主権国家として当然視されていたものの、戦前型体制に回帰することには抵抗があったということでしょうか。

そうですね。それから、1950年代中期以降に新聞論調が変化したもうひとつの要因として、明文改憲なしに現実の防衛体制の整備が進んだということもあったかと思います。54年の自衛隊創設により、九条の早期改正の必要性が薄れたという認識は、鳩山首相など当時の改憲派エリートの言説からさえもみてとれます。こうした安全保障環境の変化は、当然、新聞論調にも影響を与えたでしょう。

そして、1955、56年の国政選挙の結果、護憲派勢力が3分の1以上の国会議席を占めるようになり、改憲発議の道が閉ざされると、自民党政権は改憲の早期実現方針を鈍らせるようになります。

こうした政界での流れもあり、この時期以降、マスメディアでは憲法問題について取り扱う機会自体が少なくなります。世論調査でみても、60年代になると、憲法に関する質問は全国紙でさえ行われなくなっていきます。高度成長期に入り、憲法問題への社会的関心は失われることになるのです。

「九条の平和主義」とは?

――60年代の高度成長期を経て、現行憲法の枠内での自衛隊・日米安保条約の運用が定着していきます。この時期、「九条の平和主義が国民に定着した」と言われますが。

これは「九条の平和主義」の具体的意味によります。「改憲による軍隊保有」論の退潮という意味であれば、1960~70年代、たしかにそうした世論の動きはあったといえます。

しかしそのことは、高度成長期に自衛隊否定論の高まりがあったことを必ずしも意味しません。現存しているデータをみる限り、自衛隊について、1960年代以降に廃止論が高まったという証拠はありません。むしろ、自衛隊を明記するためということであれば、改憲に対してさえ一定以上の支持が根強く存在したのです。

――それもかなり意外です。一般に広まっているイメージとはだいぶ違いますね。

たとえば80年に「朝日新聞」が行った調査では、「自衛隊を憲法ではっきり認めるよう、憲法をかえること」に対し、44%もの回答者が賛成しています。この数字は、巷間で思われているより、はるかに高いのではないでしょうか。

――戦後日本人の「平和主義」という言い回しはだいぶ割り引かなくてはまりませんね。

「九条の平和主義」が、当時社会党が主張していたような「非武装中立論」として理解されるならば、そうした安全保障政策が国民の多数から支持されていたなどとは到底いえません。

さらに、「憲法改正に賛成か」を一般的に問う質問でみた場合、1960~70年代、護憲派だけでなく、改憲派の有権者もまた「増えていた」ことが確認されます(その分、無回答者が減少しています)。これはかなり通念に反したデータではないかと思います。

――なんと、改憲派も増えていたんですね。それはどのような人たちだったのでしょうか?

私はこの時期に「増えた」改憲派の多くは、革新政党支持者が占めていたと考えています。

1950年代までは、保守政党支持者では改憲派が、革新政党支持者では護憲派が多い、というのが明確な傾向としてありました。ところが70年前後の調査結果によると、自民党支持者と社会党支持者、それぞれに占める改憲派の割合にはほとんど差がみられません。

つまり、60年代以降、一見不思議なことに、自民党支持者において護憲志向が強まり、社会党支持者において改憲志向が強まったという動きがあったようなのです。

――社会党支持者がですか?

はい。高度成長期に社会党支持者が改憲志向を強めた背景には、皮肉にも、社会党指導部による非武装中立論へのこだわりがあったと私はみています。

当時の調査から明らかですが、社会党支持者たちの多くは、非武装中立論に全面賛成していたわけではありません。しかし九条条文と現実の安保体制に不整合があるという、指導部の提起した論点自体は浸透していました。それがゆえに、社会党の支持者たちは改憲の是非を問われた場合、「九条か自衛隊・日米安保か」の二者択一を迫られたと感じたはずです。

その結果、少なくない社会党支持者が、九条改正賛成(あるいは自衛隊・日米安保維持賛成)の立場に回ったのだとみています。

逆に、自民党については、政府与党として事実上「九条と自衛隊・日米安保体制の共存」を認める立場を取ったがゆえに、支持者レベルでも抵抗感なく、九条維持賛成の回答が行われるようになっていったと考えられます。

国際貢献と自衛隊の海外派遣

――なるほど、自民党支持者であれ社会党支持者であれ、いうなれば国民はきわめて「常識的」な判断をしていたんですね。さて、冷戦崩壊後の90年代になると、国際貢献を名目とした自衛隊の海外派遣が推し進められることになります。この時期はいかがでしょうか?

1990年代前半に、国民の九条意識は急激かつ大幅な変化をみせるようになります。重要な契機となったのは、90~91年に起きた湾岸危機/戦争です。このとき、日本政府は国際社会から自衛隊の現地派遣を強く期待され、実際に91年4月に自衛艦のペルシャ湾派遣に踏み切ることになります。

これを境に自衛隊の国際活動が積極的に進められるようになり、92年にはPKO協力法が制定され、カンボジアPKOなどに実際に参加していきます。こうした動きは、現実の安全保障政策と九条条文との不整合感を一層強め、その結果、政界で長く封印されていた九条改正論議が再び活発化することになりました。

一般有権者のレベルでは、自衛隊の海外派遣はその目的を問わず大反対、というのが1980年代までの状況でした。ところがこうして海外派遣の実績が積み上げられ、既成事実化していくと、これを認める意見が強まってきます。

90年代も後半になると、自衛隊の国際活動のために必要ということであれば、憲法改正にも賛成という有権者が多数派となってきます。これにともなって、(海外派遣の前提となる)自衛隊そのものの保持、あるいは自衛権の保持について憲法に明記することについても、当然ながら、賛成論がさらに高まったとみられます。

「現状保守主義」という有権者の意識

――そして2000年代に入ると、アメリカの対テロ戦争への協力を契機に、いよいよ集団的自衛権の行使容認問題が浮上します。しかし、九条をめぐる有権者の意識は「現状保守主義」的だとされていますね。

歴史的にみると、現状の防衛政策を実質的に変更するような(ようにみえる)憲法改正案に対し、有権者の多くは反発する傾向があります。

たとえば、2012年に自民党が出した改憲草案には、九条を改正し「国防軍」の保持を明記することが提案されています。この案に対しては、これまでいくつかの調査で賛否が聞かれていますが、いずれも反対論がかなり優勢になっています。

「軍」の設置は、現状の自衛隊による防衛体制からの大きな逸脱だと捉えられているようなのです。たとえ自民党案の意図が、単なる自衛隊の名称変更、「看板かけ替え」であったにすぎないとしても、です。

――かつてはタブーであった自衛隊の海外派遣も、既成事実化すると受けいれられていくのに、看板のかけ替えすら、憲法改正から入ると不思議にダメなんですね。

自衛隊の海外派遣の可否についてみると、1980年代まで、ペルシャ湾やカンボジアに自衛隊が派遣される以前ですね、その時期の世論ではほぼ反対一色となっていました。これは海外派遣の目的によるものではなく、国際社会からの要請があるような場合でも同じです。

古いデータになりますが、政府が63年に行った調査によると、「国連から求められた場合には、国連に対する義務を果すため、海外派兵もできるように」憲法を改正することについて、賛成10%、反対42%という大差でした。80年代までは、改憲の是非以前に、自衛隊を海外派遣するという行為そのものに対する抵抗感が非常に強かったのです。

自衛隊の海外派遣のための9条改正について賛否を問うような質問は、どの調査機関も70~80年代には行った形跡がありません。聞くまでもなく反対一色になることが明らかとみられていたためでしょう。

このように、有権者は一般に、現状の安保政策を変更することを避けたい傾向があります。こうした有権者の志向を私は「現状保守主義」と呼んでいます。これは「九条保守主義」とは同じではありません。むしろ、「現状」と「九条」の乖離が強く認識される場合には、有権者の多くは「現状」の保守を優先し、「九条」のほうを修正することを期待する傾向がみられます。

――なるほど、ということは、自衛隊の存在を否定する、いわゆる「自衛隊違憲」論は支持を得られないということになりますね。

そうですね。自衛隊は、憲法制定時には想定されていなかった組織ですが、1950年代中葉以降、自衛隊による防衛体制が現実に整備されると、有権者の多くはこの組織を維持することを望むようになりました。これまで現実に改憲がなされなかったのは、政府与党の方針自体が、自衛隊と九条の共存を認めるものとなり、九条改正が切迫した争点となってこなかったためです。

仮に今日、「九条を維持するか、自衛隊を維持するか」を二者択一的に選ばなければならない状況を突き付けられたとするならば、国民の多数派は九条を改正して自衛隊を維持するほうを選択するに違いありません。

先ほどご指摘された自衛隊の海外派遣の問題でも同じで、実際にPKO活動など実績が重ねられると、多くの国民はこれを肯定的にみるようになりました。1990年代後半以降の調査をみると、自衛隊の国際協力のために必要ということであれば、九条改正に対してさえも賛成という声が多数になっています。安全保障政策に関する現状が変化して定着すれば、九条に対する国民の認識のほうが変化するのです。

このように、有権者は現状保守主義的であるがゆえに、すでに現実世界で定着した防衛政策について「追認」するタイプの改憲には強い抵抗は示さない、というのが歴史的な傾向だと言えます。有権者の多くは、安全保障政策について、プラグマティックな姿勢をとっています。言い換えると、「憲法典の規定がこうであるから、安保政策はこうでなければならない」というような教条主義的な見方はとっていないように思われます。

イデオロギー化する憲法問題

――いよいよ現在ですが、現在は憲法問題がふたたび「イデオロギー化」しているとされていますね。

「憲法問題がイデオロギー化している」というのは、近年、憲法改正の論点が九条にふたたび収斂している状況を指しています。九条問題は、いわゆる五五年体制の時代、保守/革新エリートの間で立場が分かれてきた「イデオロギー的」争点です。

「ふたたび」収斂しているというのは、1990年代から2000年代初頭まで、九条以外にも改正論点が拡散した時代があったからです。

典型的には小泉政権時代に話題になった首相公選制導入論がありますが、もっと一般的にいって、この時期には統治制度改革、あるいは体制改革のための改憲論がエリートレベルで浮上し、有権者からも意識されていました。そのなかには、内閣・首相権限強化、地方自治制度改革、二院制改革などが含まれます。

こうした体制改革論における対立軸は、保守/革新という従来のイデオロギー対立に沿ったものではなく、むしろ保守陣営内での主導権争いに沿ったものだったといえます。90年代に体制改革論の視点から憲法見直しを主張した「新党」指導者の多く(細川護熙、小沢一郎など)が自民党の出身者であったことを想起されるとよいでしょう。こうした新しい改憲派エリートの主張は、大震災や金融危機など90年代の諸危機を経験するなかで、影響力を強めていきます。

このように改憲論点が多様化したことは、有権者のなかで「一般論として」改憲を支持する意見を増加させることになりました。たとえ九条改正には反対の有権者であっても、首相公選制に賛成であれば、「憲法を改正する必要があると思いますか」という質問に賛成することは十分ありうることだからです。論点が拡散することは「それ自体として」、世論調査で測定される改憲派の増加をもたらします。まして、体制改革関連の改憲案には、総じてかなり高い有権者の支持があったのです。

――なるほど、体制改革をめぐる改憲論として、憲法改正論議は一度、脱イデオロギー化していたんですね。

はい。ところがポスト小泉政権期には、こうした体制改革関係の改憲論は訴求力を失うようになります。その理由として、1990年代以降に、実際に(明文改憲を伴わない)大きな政治制度改革が重ねられてきたことがあります。90年代から小泉改革期まで、選挙制度改革、省庁再編、内閣機能強化、地方制度改革など、かなり大がかりな制度改革が実施されています。

こうした成果を経て、ポスト小泉政権期には、エリートレベルでは体制改革論の文脈で改憲が主張されることが少なくなり、伝統的な九条問題が相対的に重要な争点として浮上してきます。とくに2000年代に入ると、アメリカの対テロ戦争への協力問題、集団的自衛権行使容認問題が争点化したことで、九条問題に一層注目が集まるようになりました。

エリートレベルの改憲論争がこのように「再イデオロギー化」した結果として、有権者のほうでも憲法問題を九条問題としてもっぱら理解する傾向が強まりました。この10年ほど一般論として改憲に賛成する人は減る傾向にありますが、その大きな要因は、改憲論点が九条に収斂しているということにあります。これは有権者が左傾化しているかどうかとは、また別の問題です。

いま、国民は九条をどうとらえているのか?

―― いま九条について、国民はどういう見方しているのでしょうか?

それは九条を「どのように」変えるかという具体案しだいということになります。一般論としていえば、有権者は、これまで述べてきたように、安保政策を実質的に変化させるような(ようにみえる)改憲案については、総じて否定的です。

――となると、いわゆる「九条加憲」は支持を得られやすいのでしょうか?

一般論としては、そう言えると思います。安倍晋三首相が提案した、九条に自衛隊を明記するという改憲案は、比較的国民から理解を得やすい案だということになります。実際、自衛隊について明記するという改憲案については、戦後何度も世論調査が行われてきましたが、そのほとんどで賛成派が反対派の数を上回ってきました。

もっとも、世論調査の回答がその聞き方(質問文や選択肢などの形式)に強く影響されるものであることを考えれば、現実の国民投票における有権者の行動も、具体的な改正条文案しだいで大きく変わる可能性があるでしょう。改憲派エリートとしては、発議に踏み切ってしまえば、国民投票で失敗することは許されませんから、これから改正案は慎重に詰めていく必要があります。

今後、自民党が実際に改憲発議を進めようという場合、一般論としては、連立与党である公明党はもちろん、野党も含めた幅広い合意を取り付けられるかが成否を分けるカギとなるでしょう。

歴史的にみて、エリート間で賛否が大きく分かれるような改憲論点に、世論の強い支持があったという例はありません。自民党としては、まず国会のなかで熟議を尽くすという王道を行き、他党からの意見も建設的なものは大いに取り入れ、「最終確認」の意味で満を持して国民投票に臨めばよいのです。

――お話を聞いていると、なし崩しに進む「現状」を前に、憲法解釈による適応が重ねられてきたわけですよね。「本来」の解決をあいまいにする、きわめて日本的なやり方に見えますが、この点はいかがでしょうか?

「憲法典」を変えずに「憲法(の運用)体制」が変えられてきたことが、日本的文化の表れであるとは思いません。比較憲法学的にみて、日本国憲法は規定の数が少ない憲法典として知られています。その分、そもそも憲法典が規定する内容の抽象性が高く、解釈によって運用しなければならない余地が多い憲法典なのです。

憲法の実際の運用規則は、内閣法、国会法、公職選挙法といった下位の法律によって規定されていますが、こうした憲法附属法についてはこれまで状況に応じて改正がなされ、それで間に合わせることができたのです。

要するに、憲法典がこれまで不変でありえたのは、日本人の「問題先送り気質」など文化的要因によるのではなく、単にこの憲法典そのものの性質による部分が大きかったということです。

――しかし、九条については、「現実」と「条文」とのずれが、だれの目にも明らかではないですか?

そうですね。九条については、その規定内容と現実の安保政策とのズレがあまりに大きい、という見方が強いことは事実です。歴代保守政権は、たしかにこの問題の「本来の解決をあいまいに」してきました。

しかし、これも(白黒つけたがらない?)日本人気質が表れた結果などと理解する必要はないと思います。むしろ、どの国でも普遍的にみられる、政治家たちのしたたかな計算の帰結として理解したほうがよいと思います。

――計算といいますと?

60年安保闘争以降の自民党政権は、革新勢力の批判をかわすために、あえて党是である改憲を正面からは訴えなくなりました。自衛隊・日米安保と九条が現に共存し、大手メディアや司法でそのことが大きな問題とされていなかった以上、政治的リスクを冒してまで自民党が改憲を推進しなかったことは当然のことと言えます。

逆に、改憲を無理に進めようとしていたとすれば、そのほうがむしろ「非合理的」な行動である、すなわち、「獲得議席数の増大を目指す」という、政党の一般的な行動原理から外れていると言うべきです。

こうした議論を裏返すと、2000年代にエリートレベルで改憲機運が高まったことは、憲法をめぐる世論が変化したことの帰結として、十分に理解することができます。

今日、各政党・政治家が憲法問題について論じることはごく日常的なことであり、改憲志向を表したからといって、即座に選挙で責めを負わされるというような状況ではありません。2012年に復古色の強い改憲草案を作成し、その後も選挙公約で改憲についてふれている自民党が、国政選挙で連戦連勝していることからも、その点は明らかなことです。

――改憲を提起するのに、いまは時宜に適っていると。

改憲の必要性について言及しただけで大臣の首が飛ぶというような、五五年体制期の状況とはまったく異なる政治状況がいまはあります。改憲の国会発議が現実の政治日程に上がるに至った要因の大きな部分は、少なくともそれを大きな問題とみていないという、有権者の意識にあると言ってよいのです。

もっとも、では個々の有権者が具体的にどのような改憲を積極的に望んでいるか、という点になるとこれは大きなブラックボックスと言わざるを得ません。我々は調査によって世論を推測するほかなく、したがって、調査で聞かれていない改憲案についてその賛否を知ることはできないのです。

今後、実際に改憲を進めるべきか否か、またどのような改正案について検討すべきなのか、これらのことを議論するうえで、精度の高い世論調査の存在がこれからますます求められることになるでしょう。

プロフィール

境家史郎日本政治論、政治過程論

1978年、大阪府生まれ。2002年、東京大学法学部卒業。2004年、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。2006年、カリフォルニア大学バークレー校修士号(政治学)取得。2008年、東京大学博士(法学)取得。日本政治論、政治過程論を専攻。東京大学社会科学研究所准教授等を経て、首都大学東京准教授。

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