2014.07.28
あらゆる「権利」が行使できる社会へ――価値観を共有し、権利の幅を拡張していくために私たちができることとは?
「権利」という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。「『権利』という概念の重要さを、あえて復権したい」。そう語るのは、今年5月に上梓された『未来をつくる権利』(NHK出版)の著者、荻上チキだ。あらゆる「権利」が当然のように行使できる社会を実現するために、私たちはどう考え、どう行動していけばよいのだろう。荻上に話を聞いた。(聞き手・構成/倉住亮多)
「記憶の継承」を目指して
―― ご著書ではさまざまな権利を通して社会問題を議論しています。まずは「権利」をテーマにされた経緯をお聞かせください。
この本は、ちょっと変わった本ですね。さまざまなテーマの取材報告、あるいは多分野の統計を紹介しながら、「新しい権利」について語り合うことの重要性を説くというものなのですから。
権利に関する議論というのは、一般的には、哲学的・抽象的な議論だと思われがちかもしれません。ただ、権利というのは常に、それを欲する社会運動の現場から生まれたり、不当な侵害と争う中で磨かれたりしてきました。権利を巡る哲学史や法学史のようなほんとはまた別の仕方で、権利を日常のものとして語り、その拡張を検討するというやりかたがあり得るわけです。だから、ルポでも哲学書でもなく、随筆として書きました。
『未来をつくる権利』では、さまざまな媒体と仕事する中で取材した社会問題が多く紹介されています。ハンセン病や水俣病など、忘れられてはいけないテーマについて報告する一方で、ストーカー問題や障害福祉機器の発達、スポーツにおける差別など、近年の時事的な問題にも触れています。
社会問題を考える上では、誰の権利が、何によって侵害されているのかを考える必要がありますね。そして新しい社会問題は、もしかしたら、新しい権利概念が構想されていないために、あるいは共有されていないために、議論が混乱しているのかもしれない。
そんな意識を持ちながら、「権利」という一つのコンセプトを通じて、特に若い読者にさまざまな社会問題を知ってほしかったというのが一つ。そうして問題をリマインドしつつ、新しい未来について考えるために、権利をめぐる議論をリブートしたかったのが一つですね。
難しい社会問題ばかりを取り上げているわけではありません。睡眠やウンチなど、日常的な活動の中にも、権利という観点から改善要求できる論点があるとか書いてもいます。「快便権」「快眠権」のくだりですね。僕は特にこの章が好きです。僕は、寝不足と便秘に弱いもので。というか、ウンチに悩んだことがない人なんていないんじゃないでしょうか。
たとえば日本の教師という職業が睡眠不足になりがちなこと。男性より女性の方がトイレの混雑率が高くなりがちなこと。そうした問題を改善するために、「こんなもんでしょ、世の中」と吐き捨てる前に、「何かの権利が侵害されていないか」と立ち止まってみる。いまの社会では「わがまま」と切り捨てられてしまうかもしれないものでも、未来では当たり前の権利になっているかもしれないというわけですね。
身近に潜む「社会の穴」を探すことから
―― ご著書を出されて、読者からの反応はどうですか?
若い人がツイッターで感想をつぶやいてくれたり、ファッション誌などでインタビューを受けたりといったことは、うれしい反応でした。女性ビジネス誌向けには、本には書かなかった「授乳権」について考えてみました。女性が飲食店などで授乳をしていたら、追い出されたという海外事例を例に、誰の何の権利を侵害しやすい社会なのかを考えてみようということですね。
日本ではベビーカーを公共機関に乗せるなとか、泣く子を飛行機に乗せるなといった主張もありますが、それはつまり、「育児期間の女性からは、交通アクセス権を制限してもいい」という主張にもなっている。
この本は、「新しい法律や法案を作ろう」というような、個別具体の政策提案をしているものではありません。ある種の「風景」を共有するための本ですし、同時にそうした風景を共有するための手続きを踏もうぜ、と呼びかける本でもあったりするわけです。シンプルですが、これをきっかけに、知らなかったことを知ることができたと言ってくれる人が増えればいいですね。
運動や事件が何らかの概念を生み、その概念によって社会に埋もれていた新しいニーズが発掘される。そのニーズに注目することで、新しい法律や新しい政策を生む。そういう段階を経て、私たちは未来を構築していく。そんな作業に参加しませんかという説得をしているわけですから。人の暮らしにとって、「社会の落とし穴」はいったいどこに潜んでいるのだろうと探すところからでないと、政治ははじまらないんだという一つの宣言でもあります。
わかりやすい「ワンアクション」があるわけではないので、おそらくそのあたりで反応はあがりづらいのかなという気はします。間違いを指摘する本とか、これが正解だと叫ぶ本でもないですからね。ですが、ここに書かれている「発想の仕方」、「寄り添い方」、「テーマ選び」などは、ジャーナリズムを志しているような若い人たちやメディアの中にいる同世代の人たちに響くものがあればいいなと思っていますね。
縁を切れる仕組みをつくる
―― この本の第一講は「縁を切る権利」です。リベンジポルノやストーカー被害の問題などは、情報化社会において被害が拡大しているように思います。その辺りは今後どのような対策が必要だとお考えですか?
法改正や加害者ケアなど、包括的な議論は本に書きました。ただ、技術的な限界によって、いまは打てない対策というものが当然あるでしょう。一方で、技術を拡張していくことでそのうち対応が変わる可能性もあるわけですね。
他人に住所を知られることで、ストーカー被害に発展してしまうということもある。個別のストーカー事案にどう対処すればいいのかというときに、警察が介入するとか、あるいは加害者に対してストーキングをやめさせるような対応はもちろん必要ですが、そもそもストーカーだけでなく、迷惑な相手に近寄られないためにはどんな社会がいいか。
たとえば、自分の住所を教えたくないというニーズに対しては、「郵送先記号」と「地図上の住所」を分離するのはどうだろうという議論も見かけますね。郵送先を相手に教えることが、直ちに住所を教えることにならないような仕組みにするとか。このシステムの利点は、引っ越しをしても、いちいち一人ひとりに「住所を変えました」メールを送る手間を省ける(笑)。メールアドレスとリアル住所の関係に近いですね。
これを実現しろという話ではなくて、このたとえ話から見えてくるのは、もしかしたら現実はネット以上に「嫌な相手をブロック」しにくく設計されているのかもしれないね、ということです。現実社会に、良質なスパムフィルターを導入するためには、まだまだ工夫が必要なんだな、と。
不幸が起きる前に、アイデアを出す
最初に「縁を切る権利」を持ってきたのは、最近では、「つながり」の重要性が強調されがちなので、あえてというか。特定のつながりから「オプトアウト」(離脱)しやすい構造の設計に、リアルも近づけたいなと。暴力の被害を受け続けた経験があると、ついそう思うんですよね。
法律上はストーカー規制法を改善したり、あるいはDVや児童虐待にあった児童の権利を守ることの延長で、加害者に対して情報提供しないようにしたり、一方で出所後の加害者の状況を被害者がある程度知ることができたりということが、おそらくこれから十数年間で最低限求められていくことだとは思います。それとは別に、普遍的に、「嫌な奴と縁を切りやすくなる」こと、それでいて「なんとかる社会」を考えていきたいんですね。
世の中の「不幸待ち」なところがあって、不幸が起きてから改善しようという議論が起きる。どうしても対応が後手後手になってしまう。ならばせめてすでに起こってしまった事件をフル活用しつつ、そこから抽象化された「権利」というものをより満たしていくためには、どんなものが必要だろうかということを議論することが大事だろうと。
「排便」の問題から見えてくるもの
―― 「排便権」(快適な環境で排泄をおこなえる権利)のお話は非常に印象的でした。ここに荻上さんが注目されたきっかけはなんだったのでしょうか?
僕は痔になりやすいんです。年に何度かは苦しみます。常にナイーブな出口戦略を求められる人生です。ウォシュレットがない3・11以後の排便環境には、本当に困っていました。省エネにより、尻の負担が増したからです。
それは置いておくとしても、たとえばプライドパレードへ取材に行くと、いつも性的少数者にとってのトイレのありかたが話題になっているわけです。トランスジェンダーはどっちに入ればいいんだとか。
それを解決する手段の一つが「だれでもトイレ」(多目的トイレ)ですが、「だれでもトイレ」は誰でも入ることを「眼差し」が拒んでいたりする。たとえば、端から見ると健常者と変わらないような、「見えない障害」のある人たち。足に障害があって便座に座りにくい、けれどもズボンをはいているからわかりにくいとか。社会心理が利用を阻害する場面を結構見てきた。
災害時には、避難所や仮設住宅でのトイレ問題がありますね。排便環境が悪化することで便秘が増えたり、感染症のリスクが増したりする。仮設住宅は狭いので、車いすユーザーでも使いやすいトイレ作りには難儀もします。「排便権」という観点は一見すると目新しいように思うのだけれども、排便に関する困ったことというのは、多くの当事者運動を見ていると「あるあるネタ」なんですよね。
男女の排便権格差など、いろいろな問題が見えてくるところがあると思うので、以前までは見えにくかった運動や問題に言葉を与えてみるんです。そうすると誰もが同じくらいの条件で快適な便をしたいというのは、ほとんどの人が合意できることだと思うんですよね。
「ウンチは我慢したくないよね」とか「おしっこに行きたいのに時間がかかるのは嫌だね」とか、「トイレでのプライバシーは必要だよね」とか「隣のトイレの音を聞きたくないし、聞かれたくもないよね」というようなことは、みんな共有できる。そういう状況を見ていると、排便保障の観点から、もう少しいろいろなインフラや法整備を議論することも必要なのではないかと思ったんです。
「権利の幅」を拡張する
―― 権利を主張しようとしても、自分の権利に気づけない当事者は多いように思います。日々の生活のなかで当たり前のことになってしまっていて、困っていることに気づけないということがありそうです。自分の権利に気づくためのヒントのようなものはあるのでしょうか?
まずは権利概念を口にしてみることって大事だと思います。障害者運動の多くも、それまで「わがままだ」とか「しょうがない」とか言われていたものを「本当にそうなの?」と疑問視して権利を主張し始めたことから始まっています。「俺たちにも電車に乗る権利はあるよね」とか「一人暮らしする権利あるよね」というようなかたちで主張を始めたことが、いま認められている権利につながってきました。
どの分野においても、万人がその権利に「気づく」ことはなかなか難しいです。少数の人が権利を主張し、それを実現して、制度に埋め込むというプロセスを経て、ようやく社会全体の当たり前の権利として認められるという流れがあるのは否めないですね。それに、既にある権利ですら、侵害されていても黙認されたり、自覚されなかったりする。心地よく働く権利は誰にでもあるはずだが、セクハラはスルーされがちだったり。
とはいえ僕は当事者運動をしている人に向けてこの本を書いたのではなく、「読書好きの一般人」くらいの層に向けて書いているわけです。そういう層が運動を見た時に、「それってわがままじゃないの?」と思うのか、「本で読んだことあるけどそういうことだったのか!」と腑に落ちるのか、受け止める側の言葉として事前にどんなものがプレインストールされていたのかによっても変わると思います。
だから「権利の幅」といったものは人それぞれ違うわけだけれども、その違うものに対して、「こういった権利を主張してる人たちもいるよ」とか「こうやって変わってきたこともあるよ」と言い続けていくことで権利の概念を拡張し、共有していくということはできるだろうと思っています。
―― 取材されたなかで、本には収められなかった興味深いエピソードはありましたか?
ここのところは、東日本大震災直後に遺体安置所でボランティアしていた人たちなどのインタビューをしていて。それに関してはいずれ書きたいなと思っています。震災直後の石巻市などでは一時期、ご遺体の火葬ができない状態だった。「仮埋葬」というかたちで土葬をしなければいけなかったわけです。また、未発見のご遺体、身元不明のご遺体もあります。
今回の本と紐づければ、「火葬する権利」「弔う権利」が果たせない状態でした。結局、一部のご遺体に関しては、東京都などの他の地域が手を挙げ、火葬支援がおこなわれたわけです。また広域災害が起きたときに、「火葬する権利」を満たすためにできる支援や連携はどういったものか。議論すべき論点の一つだと思います。
「価値観をシェアするだけで、世の中はすでに動き始めている」
―― これらの権利が当然のように行使されるために、読者であるわれわれができることは何でしょうか?本で語られた事実を知るだけでもいいのでしょうか?
「まずは知る」だけでも十分だと思います。知っておくだけで、議員が何かポロッと失言をしたときに、「あれ?いまの発言はあの権利を侵害してないか?」と気づくことができる。たとえば都議会のセクハラヤジ問題は、あの発言が性差別だと気づく人と気づかない人との間にすごく断層があったと思うんですよね。
性差別ではないという人たちは、塩村都議の過去の発言などを根拠に、「彼女はこういうことを言われてもしょうがないんだ」という文脈を構築していたりして、「今後はどうすればいいのか」という議論を後退させました。何かが起きたときに「いやいや、あれは問題でしょ」とその問題を共有できる人が、一人、二人とどんどん増えていくだけでも、変化の速度というものを変えるためには役立つものだと思いました。ヤジ問題も、数年前ならスルーされていた可能性もありますし。
加えて、身近な問題について、たとえば「もう少しここのトイレこうしたほうがいいんじゃないですか?」とか「ここの標識これだと見えづらくないですか?」とか「この表現は少し差別的だと思うんですけど」とかいったように些細なことに気づくだけで、変更のチャンスに立ち会ったとき、そのチャンスをロスしないで済むわけですよね。これは少し消極的なパターンですけれど。
より積極的には、本の中で自分が欲しいと思う権利を率直に主張してみるとか、自分が気づいた身近な人の問題に対してサポートしてみるとか、そういったかたちで具体的アクションを一つでも起こすことが、世の中を動かすことには当然なると思います。
「価値観をシェアするだけで、世の中はすでに動き始める」ということが、この本で言いたいことなんです。その価値観に言葉を与えるためには、いろいろ人たちが犠牲になったり、いろいろ人たちが戦い続けて、ようやく言葉にできるわけです。その言葉を獲得するまでのプロセスに対する「寄り添い」を、手を抜くことなくやってくれる人が、ジャーナリストや役人になっていってほしいなという思いはありますね。
プロフィール
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。