2016.04.15
リベラル親中派?――豪州ターンブル政権の外交・安全保障政策
2013年から2014年にかけて、日豪関係は安倍晋三首相と保守連合のアボット(Tony Abbott)首相との親交もあり、「特別な戦略的パートナーシップ」と呼ばれるに至るほど飛躍的な発展を遂げた。
しかし、アボット首相とその側近による独善的な政権運営に対して与党内の不満が募り、世論調査でも与党保守連合が野党労働党にリードされる状態が長期間続いた。首相自身の不人気も深刻で、アボット政権のままでは2016年に予定されている選挙では勝てないと踏んだ党内に見限られ、2015年9月に、アボット首相は有権者に受けの良いターンブル(Malcolm Turnbull)通信相に党首の座を奪われた。
信条的に保守派で対米対日関係重視のアボットに対して、リベラル派で親中色の濃いターンブルという対照的リーダーの下で、日本にぐっと接近したオーストラリアはどのような動きを見せているのか。そこで、本稿では外交・安全保障政策に焦点を当てて、成立後半年余りを経たターンブル政権の実相を考察したい。
中国への近い立ち位置
ターンブル首相はビジネス出身で、この国の財界人が概ねそうであるように、自国に大きな経済的恩恵をもたらすとして親中的である。その息子の妻は中国出身で、しかも岳父は中国共産党員の著名な学者となれば、中国への近い立ち位置は納得できよう。
豪中ビジネス界に向けた演説の中では、太平洋戦争中にオーストラリアは日本の軍事侵攻の危機を迎えていたが、中国という当時の同盟国の粘り強い対日抵抗がなければ、オーストラリアは日本の侵攻を跳ね返せなかったかもしれない、と中国の歴史的な役割を讃えている。
野党時代には、中国が台頭して東アジアの中心国になっている現状では、アメリカが地域の優越的大国であり続けることはできず、オーストラリアがアメリカの主導に追従していることは国益にそぐわないと、米中間でのパワーシフトに適応して外交路線の修正を提唱しているほどである。
アボット政権下では、その前の労働党政権がセキュリティ上の理由で、元人民解放軍将校が起業し共産党政府との密接な関係が噂されるファーウェイ社の全国ブロードバンド・ネットワークへの参入を排除してきたのに対し、2013年9月の政権奪還早々に、価格が安くすでに英国でも受け入れられているとして、同社の参入認可を熱心に提唱したのも、ターンブル通信相であった。
無難に安全運転
そのようなターンブル首相率いる保守連合政権が成立以後半年余りを迎えたが、外交・安全保障政策の分野では無難に安全運転に徹しているというのが率直な印象である。初の本格的外遊で英米中と訪れながら、日本を訪問先から外し、捕鯨問題も絡んで反日的と受け取られた労働党のラッド(Kevin Rudd:首相任期2007-10, 13年)首相の轍を避けるべく、2015年末に慌ただしい日程ながらも中国よりも先に日本を訪問し、対日関係を大きく発展させたアボット前首相とのギャップを感じさせないよう気を配っている。
ちょうど同じ時期に日本が国際司法裁判所判決後中断していた南極海での捕鯨を再開しようとしたことに対しても、安倍首相との首脳会談で捕鯨再開に対するオーストラリアの深い失望を伝えるに留め、以後日本の捕鯨はオーストラリア国内で大きな騒ぎになっていない。
さらに中国の人工島埋立活動が露骨になってきた南シナ海に目を向ければ、2015年11月にオーストラリア空軍の哨戒機が、人工島付近を飛来し、それに対して中国艦艇から警告を受けたところ、哨戒機から国際法に則り飛行していると往信があった。すなわち航行の自由作戦を遂行していたことが判明した。
この事実は間もなくオーストラリア国防軍(ADF)によって確認されたが、通常のパトロール活動の一環であったという公式見解を取っている。ターンブル政権は中国の人工島に対する航行の自由作戦を実施しているとは公言していないが、アボット前首相は自分の政権が地域での空と海からのパトロール活動を「静かに」増やしたと証言しており、オーストラリアは南シナ海での少なくとも空からの航行の自由作戦に、目立たない形で参加を継続しているのではないかと思われる。
今後20年間の戦略的国防目標
ターンブルが多少独自の外交色を打ち出したと見られるのは、2016年1月の首相として初の訪米時にワシントンの戦略国際問題研究所で行った演説である。ここで同首相は、新興国アテネの台頭に、それまでの優越国スパルタが強い警戒を抱いたことがペロポネソス戦争を導いたという、「トゥキディディスの罠」を避けるべきとの習近平主席の発言を採り上げ、正にその通りと持ち上げる一方で、アメリカが国連海洋法条約に未批准なのは同国のリーダーシップへの信憑性を損なうと指摘している。
この演説を捉えて、ターンブル首相がいよいよ独立志向の外交に舵を切り替えたと評する豪メディアもあった。しかし、同じ演説の中では、オーストラリアはルール本位秩序のために責任を分ち合う、アメリカのパワーが衰退との主張には与さないと明言し、アメリカ主導の地域アーキテクチャーの構築に協力していく姿勢を明確に表している。
そのような姿勢を裏付けるのが、2016年2月末に発表された、日本の防衛計画の大綱に相当する2016年国防白書である。同白書は、中国やインド、インドネシアなどの台頭によって2035年までの20年間に地域の戦略バランスは大きく変化し、多極化の方向に進む、一方で、インド太平洋地域は大きな経済的潜在力を備えており、オーストラリアはこれまで自国に大きな恩恵をもたらしてきた地域の潜在力を削がないように努めることが国益につながると論じている。
そこで今後20年間の戦略的国防目標として、(1)オーストラリアへの攻撃・強要・脅迫などへの防衛・抑止・打破、(2)海洋東南アジア及び東ティモールを含む南太平洋の安全への貢献、(3)ルール本位のグローバル秩序維持への貢献の3点を掲げている。
この目標遂行に向けて、潜水艦12隻の新規調達を始めとして、フリゲート艦、イージス艦、F-35ジョイントストライクファイターなどに、向こう10年以上で総額1950億ドルを投入する壮大な装備調達計画によりADFを増強していくことを約束した。それと同時に対米同盟を主軸に日本、インドネシア、インド、韓国など、価値を共有する国との戦略的連携を強化していく方針を明確に打ち出している。
強調される対米同盟
2016年白書を一読して、1976、87、94、2000、09、13年と、これまで発表されてきた国防白書のパターンから大きく飛躍していることが容易に窺える。ベトナム戦争後の国際環境に対応すべく76年白書で打ち立てられた国防自助の精神が、13年白書ではそのトーンがかなり薄まったとはいえ、これまで国防戦略の一大原則として脈々と踏襲されてきたのに対し、この白書ではその記述が極端に減りごく軽くしか触れられていない。
自助に取って代わるように強調されているのが、対米同盟である。戦後オーストラリアの外交・安全保障政策の主軸は、保守連合と労働党の政権間で程度の差こそあれ、一貫して対米同盟であり、実際に第2次世界大戦以来アメリカが参加する戦争にはすべて派兵してきたが、それとは裏腹にこれまでの国防白書では、同盟国であるアメリカをことさら特別な存在として記述することは避けられてきた。ところが、2016年白書では巻頭の国防大臣の言葉の中で、いきなり国防戦略の中心として対米同盟が特記されている。
もう1つの大きな変化は、先に挙げた3つの国防戦略目標にすべて同等の比重が置かれていることである。87年白書で目標(1)に相当するオーストラリアの防衛に徹する大陸防衛戦略が確立され、東ティモール国際軍への派兵の教訓を受けて、00年白書で第2の優先順位として南太平洋、第3の海洋東南アジア、第4のアジア太平洋地域、第5のグローバルと、オーストラリアの国防戦略の優先順位が規定され、以後の09年、13年白書でもこの「同心円型」優先順位が基本的に踏襲されてきた。
これに対して2016年白書では、(2)で従来の優先順位第2位であった南太平洋に海洋東南アジアが併記され、しかも(3)のルール本位のグローバル秩序維持と並んで自国の国防と同等の優先順位が与えられている。そのことは、ますます自己主張を強める南シナ海・東シナ海における中国の一方的行動に対して、オーストラリアが明確に異を唱えていく、そして必要とあればアメリカや地域で価値を共有する諸国と密接に連携して対応していく、という意思を内外に宣言したと解釈できよう。それを裏付けるかのように、中国国防省は白書発表の日の夕刻には、南シナ海に関する記述に強い懸念を表明し、豪米同盟は冷戦思考を捨てるべきと、直ちに反発の意を示している。
日本との連携の重要性
このような国防戦略の中で、日本との連携の重要性もこれまでのどの白書にも増して強く認識されている。2016年白書の中での国別の言及回数は、アメリカ128回、中国53回、日本36回、インドネシア32回、インド24回の順になっており、日豪あるいは日米豪の連携が重視されていることが窺われよう。
実際白書が発表される10日ほど前に訪日したビショップ(Julie Bishop)外相は、東京での演説の中で、多極化する戦略環境の下での日本の役割拡大は、アメリカの対アジア・リバランスへの核心的かつ必要な補完であるとした。オーストラリアは現在、過去にない高みに達した日豪特別な戦略的パートナーシップの下、今後も共同演習などを長期的に発展させ、互換性を高めていきたい、と日本との連携をさらに深めていく意向を唱え、アボット政権時代から変わらぬ日豪連携への熱意を伝えた。
国防白書が対日連携に付した高い重要度を裏付ける演説内容と言えよう。とはいえ新規潜水艦の選定については、現在、日本・ドイツ・フランスが入札しているが、アボット政権の下で問題が政治化して、潜水艦のメンテナンス基地がある南オーストラリアの州都アデレードに、どのメーカーがどれだけの雇用をもたらしうるかが注目の的となってしまっているため、予断は許されない。
ルール本位のグローバル秩序維持
また対米関係においても不協和音がないわけではなく、2015年10月には海兵隊がローテーション配置されているダーウィンの港湾施設を、北部準州政府が中国のランドブリッジ社に99年リースする契約を結んだことが判明。アメリカに事前協議もなく戦略的に重要な決定がなされたことに対し、オバマ大統領自らターンブル首相に心外との意を伝えている。
これは州や準州の専管事項は連邦政府の外国投資審査委員会(FIRB)の審査の対象外であることの隙を突かれた形であり、州や準州による重要なインフラの外国民間企業への売却もFIRBの審査の対象に含めると規定が強化された。
また今年に入って米軍高官の間から、航行の自由作戦への参加を呼びかけたり、ダーウィンへのB-1戦略爆撃機のローテーション配置もありうるといった、オーストラリアに対中牽制への一層のコミットを求めるような発言が出てきているが、そのような声に対しターンブル政権は沈黙を守っている。
とはいえ、ターンブル保守連合政権が発表した2016年国防白書は、対米あるいは対日連携を通じて、ルール本位のグローバル秩序維持に努める姿勢を明確に打ち出しており、現在そして将来のオーストラリアの戦略環境に適切に対応した内容と各方面での評判も高い。最大野党である労働党も基本的に支持していることからすれば、今後もオーストラリアは開かれた経済、ルール本位の秩序といった価値を追求し続けるのは間違いなく、そういった価値を共有する日米といった地域のパートナーと協働していくものと見てよいだろう。
今週からターンブルは首相として初の訪中に出かけているが、千名にも上るビジネス使節団を同行することからも窺われるように、対中関係では経済面での協力を前面に押し出し、経済での対中関係、安全保障での対米関係の両立を追求しようとすると考えられる。
プロフィール
福嶋輝彦
防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。専門はオーストラリア地域研究、とくにオーストラリア政治、対外政策および日豪関係。オーストラリア国立大学より学術博士取得。主な著作に、「同盟か、市場か?:オーストラリアの対中アプローチ」『主要国の対中認識・政策の分析』(日本国際問題研究所、2015年)”Japan-Australia cooperation in humanitarian assistance and disaster relief”, Strengthening rules-based order in the Asia-Pacific: Deepening Japan-Australia cooperation to promote regional order, (Australian Strategic Policy Institute, 2014)など。現在オーストラリア学会代表理事。