2017.09.15
国際社会を生き抜くためのPR――国際情報戦の裏側に迫る
情報は、自分だけが知っていても意味がない。現代の国際社会で生き残るには、情報を「武器」として、効果的に人々に伝えられるかが鍵になる。そう語るのはテレビプロデューサーの高木徹氏だ。政治家、国家、テロ組織。さまざまなアクターが国際社会の中で地位を築くためにPR戦を戦っている。その熾烈な情報戦の裏側を、高木氏に伺った。(取材・構成/増田穂)
記事制作過程に影響を及ぼす
――そもそもPRとはどのようなものなのでしょうか。
PRは「パブリック・リレーションズ(Public Relations)」の略ですが、うまい日本語訳はありません。「広報」と位置付ける方もいらっしゃいますが、厳密な意味では広報とも異なります。
PRを説明するには広告と対比させるとわかりやすいかもしれません。広告というのはスポンサーがお金を払って、紙面や放送枠を購入します。お金を出しているわけですから、自分の宣伝を自由にできるわけです。CMのように明らかに宣伝だとわかるものもあれば、タイアップ記事のように一見すると普通の記事と見間違えるようなものもありますが、スポンサーがいて、その枠を買っているという点で、その本質は同じ広告です。
これに対してPR、特にマスメディアとの間で行われるメディア・リレーションズの対象は、新聞社やテレビ局などの報道機関が自ら取材して、自らの意思で編集して、自らの責任において出す記事、ということになります。ですから基本的には記事そのものなんです。報道機関が記事を作成する過程に影響を及ぼし、聴衆にクライアントにプラスになる、思惑通りの何かしらのイメージを抱かせる。それがPRの手法です。
――つまりそもそも報道機関は広告として情報を扱っているわけではないのに、広告のような効果をもたらすということですね。
そうですね。PRの場合、本来書き手のジャーナリスト側が自発的に情報を選び読者や視聴者に届けていると思っているところに介入するので、広告よりも高度な技術が必要になります。少し悪い言い方で言えば手練手管です。さまざまなテクニックを駆使して、メディアや政策決定者、有権者の代表である議会、オピニオンリーダーなどの対象とコミュニケーションをとり、クライアントに有利な世論を生み出す。それがPRの神髄です。
――PRというとアメリカが有名ですが、日本にもPR会社はあるんですか。
日本の場合はそもそもパブリック・リレーションズの概念がなく、宣伝活動においてはやはり広告会社がメインになってきます。博報堂や電通が有名ですよね。こうした会社が組織の中にPR部門を設けていたり、子会社としてPR会社を持っていたりします。もちろん独立系のPR会社も沢山あるのですが、欧米のように規模の大きい大手のPR会社はありません。結果余計に広告とPRが混同されてしまっていると思います。
――PRの重要性はどういった点にあるのでしょうか。
今申し上げたように、PRの重要性は世論を形成するところにあります。民主主義国家であれば、当然選挙によって政治が決まっていくわけですよね。その時のアジェンダセッティング、つまり今この社会で何が問題として取り上げられているのか、問題とするべきなのか、そうしたことはメディアの潮流の中から生まれてきます。
同時に、現代社会は間接民主制ですから、問題として位置づけられた諸課題に、政党の代表たちがどのように取り組むつもりなのか、そうした情報も集める必要が出てきます。選挙演説を聞く、集会に行くなど、候補者から直接話を聞く機会もないわけではありません。しかし忙しい我々のほとんどは、選挙に必要な情報をメディアから得るのではないのでしょうか。
となると、世の中では社会の問題を規定する上でも、また、その問題に対する政策を決定し、社会の進むべき方向性を決めていく上でも、メディアは民主主義社会の中で主役の一つにならざるを得ません。当然、世の中を動かすためはメディア上でどのように取り上げられるかが重要な部分になってくるわけです。PRとは、そうした社会の動きの根本に影響を及ぼす死活的な活動なのです。
ボスニア紛争の裏側で活躍したPR会社
――世論を動かす死活的な影響力という点では、ボスニア紛争時のアメリカでのPR活動が非常に印象的でした。
ユーゴスラビアの解体とともに誕生したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナ政府が、独立に反対する隣国セルビアとの紛争中、アメリカをはじめとする国際社会からの援助を得ようと、アメリカのPR会社に依頼して自分たちに有利な国際世論を形成した話ですね。
――はい。結果として、それまでボスニアの内戦に無関心だったアメリカ政府は軍事介入を行うまでになりました。高木さんは『戦争広告代理店』でその詳細をレポートされていますが、当時はどのようなPR活動が行われたんですか。
依頼を受けたルーダー・フィン社は本当に様々な手練手管を駆使しました。注目すべきテクニックとしては「サウンドバイト」「バズワード」「サダマイズ」があげられるでしょう。これは現在の国際メディア情報戦にも通じるPRの基本的なテクニックです。
まず「サウンドバイト」はもともとテレビの業界用語ですが、記者会見での長い発言の中で、重要な部分だけを切り取った短い断片のことです。本来会見は数分から数十分続きます。しかしニュースの枠の中でその全ては放送できませんし、だらだらと長い会見は視聴者も飽きてしまいます。そこでメディアでは要人の発言の中から最もインパクトのある部分を、十数秒という長さに切り取って報道することが一般的です。
ボスニアからは外相のハリス・シライジッチがPRためにアメリカに滞在していました。依頼を受けたルーダー・フィン社でボスニアの案件を担当したジム・ハーフは、内戦が激化するボスニアの情勢を伝えるスポークスマンとして、シライジッチを徹底的に訓練します。もともと大学で歴史を教えていたシライジッチは、テレビでボスニア紛争に関して説明をする際も、民族対立の歴史的な背景などを説明したがりました。しかし十数秒しかない枠の中で、長々と講釈を垂れるのはPRとしては最悪です。ジム・ハーフはアメリカのメディアを相手にした簡潔な喋り方をシライジッチに叩き込んだのです。
もともとメディア映えする風貌だったシライジッチは、サウンドバイトをはじめとするアメリカメディア向けのプレゼンテーション術を習得することで、「危機に瀕するボスニア人のために、つい今しがた、流血と殺戮の現場サラエボからやってきた外相」というイメージを見事に作り上げ、アメリカ世論に影響力をもつキャラクターとなっていきました。
――ボスニア紛争のバズワードと言えば何といっても「民族浄化(Ethnic Cleansing)」ですよね。これもジム・ハーフが定着させたものだと聞いています。
少なくとも定着に大きく貢献したと言えるでしょう。「バズワード」とは、うるさいほどにメディアを騒がす流行言葉、というような意味合いですが、ボスニア紛争のPRでは「民族浄化」というフレーズがすさまじいほどの効果をもちました。本来「清潔にすること」という肯定的な意味で使われる「cleansing」という単語が、「民族を除去する」という意味で使われるというのは、非常に大きなインパクトを与えました。特に英語圏の人々にはぞっとするような語感を与えるんですね。
ジム・ハーフはバズワードを生み出すうえでとても慎重でした。出生がある民族であるからという理由で人々が大規模に迫害された事例といえば、ボスニアでの民族浄化以前にも、第二次世界大戦期のホロコーストがありました。ですから、セルビア人の行為をナチスになぞらえてPRに利用するという手もあったんです。しかしジム・ハーフはそうした手法は取りませんでした。
――あえて新しく「民族浄化」というキャッチフレーズを浸透させたと。
そうです。「ホロコースト」という言葉はアメリカやヨーロッパでは特別な意味を持っています。それはナチスが行った行為にのみ使われるべき言葉であり、不用意なホロコーストとの比較は欧米社会やユダヤ人社会から批判を買い、結果的にPRの効果を弱めてしまうのです。ジム・ハーフはそうした点も十分に理解した上で、「民族浄化」というバズワードを広めていました。
徹底的でしたね。ルーダー・フィン社の記録を見ても、「ホロコースト」という言葉は一切出てきません。代わりに「民族浄化」という言葉が、つながりのあるメディア関係者に向けて周到に発せられました。結果として、「ホロコースト」と言わずに、非常に効果的にホロコーストを連想させたのです。ジム・ハーフはそうした欧米社会の心理を熟知していました。
ちなみに、この「民族浄化」という言葉は今では国際社会で定着しています。「民族浄化」を起こしていると認定されることは国際的なメディアの上では致命的なことで、たとえば最近では、ミャンマーの指導者アウンサン・スー・チーさんが、少数民族ロヒンギャ族に関して現地で起きていることは「民族浄化」ではないと否定に躍起になるという事例がありますね。
――一方で敵に対しては非常に厳しいPR戦略をとっていました。
ハーフはセルビアの大統領であったスロボダン・ミロシェビッチを徹底的にサダマイズしました。「サダマイズ」とは当時悪の権化とされていたサダム・フセインのように、対象を悪魔化するという意味です。
国や組織の方針を批判する際、対象が国や組織の名前だとインパクトが薄いんです。反対に一人を黒幕として標的にし、一貫して攻撃するのは、人の心を動かし世論を形成するためには大変効果的です。ボスニア紛争におけるジム・ハーフのPRでは、ミロシェビッチが徹底的にサダマイズされました。結果ミロシェビッチには20世紀末を代表する国際的大悪人のイメージがつき、政敵に逮捕され、ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷に引き渡され、獄中で死亡しました。
事実は捻じ曲げない
――ルーダー・フィン社のPRを見ていると、本当に一つ一つ戦略が洗練されていて驚きます。
そうですね。PR会社が世論を動かすことになった時、一つやり方として想像できるのは、事実を捻じ曲げるパターンです。でっち上げですね。『戦争広告代理店』にも書きましたが、有名なものでは湾岸戦争時の「ナイラの証言」があります。ナイラはイラクに侵攻されたクウェートから奇跡的に脱出した少女として、米下院議会の公聴会でイラク軍の残忍な行為を告白しました。しかしあとでわかったことでは、ナイラはワシントンにいたクウェート政府の外交官の娘でクウェートには行っておらず、彼女が語ったストーリーもPR会社のでっち上げだったというものです。
こうしたPRは露見してしまえばPR会社にも依頼したクライアントにも多大なダメージを与えます。ルーダー・フィン社やその他の真っ当なPR会社ではでっち上げはしません。その点で彼らは大変気を使っていて、少なくとも彼らが信じるところの事実を伝えています。ただ、事実の中からどの情報を伝えるのか、どういった手法で伝えるのかという点で、非常に戦略的に介入するのです。
情報の選択性について、ジム・ハーフはプロでした。ボスニアの動向に関しては、当然ボスニア政府から情報を得ていましたが、その他にもアメリカのタブロイド紙などでボスニアの記事があるといち早く目をつけて、使える場合は積極的に利用しました。
さらに、彼はコミュニケーションの面でも非常に優れていて、とても誠実な人です。メディアに対してとても対応が丁寧なんですよ。ボスニアに関する情報を取り上げてくれたメディアには、丁寧なお礼状を書くし、必要とあれば私たちの取材にも土日でも快く取材に答えてくれました。そういうきめの細かい気遣いをする人です。ジャーナリストも人間ですから、こうした真摯な対応をされればついついほだされてしまうようなところはあるんです。何か特別なテクニックというわけではありませんが、こうしたコミュニケーションで相手をいい気持ちにさせる基本が重要なんでしょうね。
――PRというと華々しい感じがしますが、実際はとても地道なんですね。
そう、意外と地道なんですよ。ただそれがしっかりできる人が意外と少ないんです。
――PRは世論形成、ひいては政策決定に対して、時には決定的な影響を及ぼしかねないということですが、こうした情報操作に倫理的な問題はないのでしょうか。
そうですね。事実を伝えているとはいえ、PR会社はビジネスですので、クライアントに有利な事実を選択的に流しているわけです。当然倫理的に疑問を持つ方もいるでしょう。しかしPR会社、特にルーダー・フィン社に聞くと、やみくもに契約をするのではないと言っています。つまり、クライアントが倫理的に間違ったことはしていないか、そのクライアントのPRをすることは倫理に反しないか、契約をする前に事前に審査をしているのです。社会的な倫理から逸脱しないか、慎重に判断した上でのPR活動だというのが彼らの立場です。
――むやみやたらに利益を求めてPRをするわけではないと。
はい。それにそもそもPR会社はクライアントに有利な情報を流すのが仕事ですからね。私はそれが悪いことだとは思っていません。逆に我々のようなジャーナリストや報道機関が偏った報道にならないよう、PR会社から受け取る情報にはしっかり注意を払うべきだと思います。
実際メディアは入ってきた情報を精査なしに全て報道しているわけではありません。例えば私はNHKでドキュメンタリーを制作してきましたが、決められた時間内で、一筆書きのように話がつながるように、そして視聴者が退屈してチャンネルを変えないように、取材して入手した情報や映像をどのように並べるのか、切り出すのか、技巧を駆使して編集を行います。当然、全ての情報を盛り込むことはできません。皆さんにお見せしているのは、知り得た情報の一部にならざるを得ないのです。
仮にこうした事情を悪用しようとして、世論を一定の方向にもっていく意図をもって編集すれば、それは可能でしょう。しかし倫理観のあるジャーナリストなら、バランスがとれるように情報を取捨選択して報じます。PR会社からの情報も、ジャーナリストが責任をもって精査して人々に伝えていかなければならないと思いますし、情報が無限に広がる一方使える時間は限られている現代社会の中で生の情報を追い続けるのが困難な以上、視聴者の方々にはそうした編集の不可避性を理解して情報に接して欲しいですね。
――高木さんはご自身もジャーナリストとして様々な取材をされていますが、利益団体などから意図的な情報を流されていると感じたご経験はありますか。
影響力が大きいテレビの取材をする以上、すべての取材先が何らかの意図を持っているはずですが、かといって今すぐ思い出せるあからさまな経験はあまりないんです。私がドキュメンタリーのディレクターだからかもしれません。ドキュメンタリーは自分でテーマを設定して取材を始めるし、テーマごとに自ら必要と考える取材先にコンタクトをとって回るので、露骨な意図をもって流された情報をもとにすることは少ないんです。
ただ、記者の方々はより警戒が必要な状況で仕事をしているかもしれません。記者は政治家や官僚の世界などに持ち場を持ち、関係を築いて情報を得ることも多いですし、そうすると相手との距離の取り方はさらに難しくなります。こうした取材相手の場合、意図的な情報のリークなどもあるでしょう。それがわかっていてもスクープとして報じたい気持ちはあるし、せめぎ合う部分はあると思います。
PRが変わる?
――近年は本当にPRが世界を動かす鍵になっていますよね。政治とPRと言えば、高木さんは『国際メディア情報戦』の中で、アメリカの大統領選挙を「地上で最も熾烈な情報戦」と表現されていますが、大統領選ではどのようなPR戦が行われるのですか。
著書の中ではオバマ氏のTV公開討論を紹介しています。彼は本当にPRマインドが高くて、非常に洗練されたPRを行っていました。トランプ氏とは対照的な教科書通りのすばらしいPR戦略でした。
例えば写真1枚出すにもとても気を使っています。オバマ氏にはお抱えの専属カメラマンがいて、リリースされる写真は彼の撮影のもと、好感度の上がるイメージを非常に効果的にコーディネートしています。たとえば土曜日にホワイトハウスで海外の首脳と電話会談を行ったなら、リリースされる写真に写るオバマ氏はノーネクタイの少しカジュアルな装いで、電話をとっている姿の画像を出すという具合です。これがまたいいアングルで撮影されたものなんです。
そういう写真が出れば当然マスコミはその画像を使いたくなります。テレビでは、さらにその写真を徐々にズームインするなど、より劇的に映像効果を持った動画を放送するということもおきます。自分のイメージを上げる画をメディアに使わせたくさせる手法を心得ていましたね。
PRを考える上で、写真や映像の写りはとても重要です。オバマ氏のイメージ向上のためのPR戦略とは逆に、2011年のオサマ・ビンラディン殺害作戦の時、アメリカ政府はしょぼくれたみすぼらしい老人姿のビンラディンの映像を公開し、そのカリスマ性を破壊しました。
――初めて公開討論がテレビ放映された1960年の大統領選挙では、その映り栄えを考え、ケネディ候補が徹底的に服装やジェスチャーにこだわったという話もありますよね。それだけ見た時の印象がPRに影響するんですね。
ええ。見栄えや振る舞いの一つ一つが非常に重要になります。オバマ氏はそうしたパフォーマンスに天性の才能を持っていたと思います。公開討論でもテレビ的な演出を本能的に察知して当意即妙な回答をしましたし、うまく相手がやり込められているような図になるように立ち振る舞うんです。
――そんなオバマ氏も再選を狙った2012年の大統領選では、第1回目のテレビ討論で芳しくない成果だったとか……。
第1回目のテレビ討論後の世論調査では72%もの人々が対立候補のロムニー氏を優勢と答えていました。それだけオバマ氏が劣勢に立たされたということです。
この時決定的だったのは、発言していない時の態度でした。テレビ討論では発言している時も、していない時も、民主共和党両候補のバストショットが映し出される画面が多用されます。オバマ大統領は相手のロムニー氏が発言中、手元のメモを見て視線が落ちていました。その様子がバストショットでしっかりと国民のもとに届けられてしまったのです。
一方でロムニー氏は終始討論に注意を払い、オバマ氏の発言に異議がある際は発言に割って入ってでも反論する姿勢でした。強い語調での反論にオバマ氏が思わず小声で「OK」と認めるような発言も音声マイクを通して伝わり、ロムニー優勢の構図が出来上がったのです。
このようにPRでは身振り、発言、声のトーンなど、非常に総合的なパフォーマンス能力が必要になります。オバマ氏は1回目の討論後、続く第2回、3回公開討論に向けてこうしたPRテクニックを徹底的に叩き込みました。泊まり込みで連日あらゆる議論を想定してリハーサルしたそうです。後日のテレビ討論では、その努力を遺憾なく発揮して、危うい質問も効果的に切り返し、逆にロムニー氏をやり込めています。
――今回の大統領選はいかがでしたか?
トランプ氏はオバマ氏とは対照的です。全く洗練されていない。PRの基本と真逆のことをやっています。例えばCNNやNew York Timesなどの大手メディア、私はメガメディアと呼んでいますが、本来のPR戦術ではこうした大手報道機関とは友好的な関係を築こうとするものです。しかしご存知の通りトランプ氏はCNNなどを目の敵にして、徹底的に対立しています。
――にも関わらず大統領に当選しました。PRの常識では考え難いことだったのでしょうか。
そうですね。そういう意味ではこれまでのPRテクニックの話が通じなくなっています。トランプ氏の場合、ああした洗練されていない俗っぽいパフォーマンスが一部の人に強く支持されたのだと思います。トランプ氏のメディア経歴としては、アプレンティスというリアリティーショーという分野のバラエティ番組での司会がありますが、他にもプロレス興行などに関わっています。ですからエンターテイメント系の番組の文脈は心得ているわけです。つまり、CNNなどジャーナリズム系とは違った種類のテレビ番組での語り口を心得ているということで、彼の大統領選のパフォーマンスにはそうした背景が色濃くでていると思います。
こうした彼のパフォーマンスに喝さいを送る層は、今までの洗練されていたPRが対象としてきたNew York TimesやWashington Postのようなメディアの読者層とは全く異なります。言ってしまえば、あまり知的ではないオーディエンスです。これまでPRは正統的なジャーナリズムと真剣に対峙する人々を相手にしていました。それで世論を形成している気になっていたんです。しかし有権者の中にはNew York Timesなんて読まない人もたくさんいるわけで、トランプ氏のパフォーマンスはそうした層をうまく取り込んだと言えます。
――これまで取りこぼされていた層に響くプレゼンテーションだったと。
そうです。今までのメディア・リレーションズはハイブロー重視な側面があったかもしれません。その潮流から見過ごされていた層は確かに存在していて、そこを突いた。「国際メディア情報戦」的に解釈すると、今回の大統領選はそう分析できると思います。
テロ組織とPR
――近年ではその重要性からテロ組織などの非国家組織も積極的にPR戦略を打っているそうですね。
その点で革新的だったのはオサマ・ビンラディンです。彼もまた、メディア情報戦に類まれなる才能を持った人物でした。ビンラディン以降のテロ組織は彼のPR戦術を踏襲しているといっていいでしょう。
――ビンラディンは具体的にどのようなPR戦略をとったのですか?
オサマ・ビンラディンがアルカイダを組織し、グローバルジハードを提唱し始めた当時は、ちょうどアルジャジーラというカタールの衛星放送局が国際メディアの中で存在感を表していたころでした。アルカイダはアルジャジーラのカブール支局の郵便受けに組織のスクープビデオを送りつけたり、ジャーナリストを呼び出して独占でビンラディンと会見させたりしていました。アルジャジーラがスクープを流せば、BBCやCNNなど欧米系のメディアはそれを孫引きする形で取り上げます。こうしてまさにグローバルに彼の思想やリクルートメッセージが送り届けられたのです。
また、アルカイダは「アッサハブ」という独自のメディア戦略部隊を持っていました。彼らは我々のようなプロのメディアの人間が制作した映像と遜色のない広報映像を配信していました。1990年代から2000年代初期ですから、まだパソコンの編集ソフトなども今ほど普及していません。それにもかかわらずCGなども使われていて、編集機やちょっとしたスタジオなどの設備がないと作れないようなものが制作されていました。
あれは衝撃的でしたね。「アッサハブ・メディアプロダクション」としっかりクレジットも入っている。我々が番組を作る時と同じように、彼らも物づくりをする者としての堂々たる誇りをもっているように感じられてとても印象的でした。今でこそISやその他のイスラム過激派でもPRを重視したメディア専門部隊を持つようになっていますが、当時は本当に画期的なことだったんですよ。
――アルカイダはマガジンも出していたと聞いています。
「アラビア半島のアルカイダ」というアルカイダの分派が「インスパイア」というオンラインマガジンを発刊していました。これはアンワル・アウラキというアメリカ生まれのイエメン人が編集をしたと言われていて、見てみると本当にきれいで洗練された雑誌です。全ページカラーで、ファッション誌のようにハイセンスです。そこに戦闘員のドキュメンタリーとかジハードのレポート、欧米への非難などの特集が組まれている。しかも結構格調高い論文風に書かれているんです。やはりプロの編集経験がある人たちがやっていたと思います。
「インスパイア」は英語で執筆され、英語圏の読者を対象としていました。アメリカや欧州に住む仲間を文字通りインスパイアし、テロを起こすように喚起していました。まさにホームグロン型のテロのきっかけとなったマガジンです。
――現代のテロ活動の原点と言えるPR戦略だったわけですね。
現在のイスラム系過激派組織はほぼ確実にビンラディンのPR戦略を模倣しています。ISもインスパイアと同じようにインターネットマガジンを出しています。当初は「ダビーク」という英語版のものでしたが、現在は「ルミア」というものを月刊で出していて、こちらは8か国語で配信されています。
ISは映像配信の方も、「アルハヤート・メディアセンター」という英語版の組織と、地域ごとのメディア組織を有しています。一応国土統治をしている建前だから、県のようなものがあるんですよね。そこがそれぞれ報道組織を持っているんです。アルカイダのメディア戦略の進化系です。そうした地方メディアでは拉致したイギリス人ジャーナリストをレポーターに立てて、ISが統治している街でいかに人々が朗らかに楽しく暮らしているのかといったことをレポートさせて、インターネット上で世界中に配信している。ISがイラクやシリアで窮地に追い込まれる一方、フィリピンなどアジアでの浸透が危惧されていることを考えてみると、世界の隅々まで彼らのPR戦略の危険性が浸透している証拠と言えます。
日本が情報戦で生き残るために
―テロ組織も含め、国際的にPRやメディア戦略が重要な役割を果たす中、日本はその波に乗り遅れていると言われています。日本の国際PR戦略はどのような現状なんですか。
日本は海外発信が弱くて、国際的地位が落ちてきているとよく言われますね。ただ、例えば国家安全保障局や外務省などではメディア戦略に高い意識をもっている人が増えてきました。政府の音頭で国際報道を充実させる動きもとられています。しかし、日本の国際情報戦の現場で、実際に具体的なアイディアや手法として、効果的なPRが行われているようには見えないです。
――アメリカのように専門のスタッフはいないのですか。
日本にもPR会社はあるのですが、最初に指摘したようにアメリカほどには存在感はありません。日本の場合、マインドセットとしてPR、つまりパブリックリレーションという感覚が抜けていると思います。PRというとなんとなくやらせっぽい感じになる。
――なぜ日本のPRは遅れているのだと思われますか。
遅れているという表現が適切かわかりませんが、そもそもPRという考え方自体欧米のものですから、日本が不利になるのはある意味当然のことだと思います。さらに言えば、国際メディア空間というのは、基本的には英語による欧米流の価値観が圧倒的に支配的なので、そもそも土俵が違うんです。結果として国際的に存在感が薄いという話になってしまうのでしょう。
こうした欧米式のメディア潮流にはアルジャジーラや中国の国際報道CCTVがオルタナティブを提示することが期待されていますが、まだそこまではいっていません。中国はメディアの検閲が多く、未だ欧米では報道機関として信頼されていないという話も聞いています。この問題は難しくて、否が応でも情報戦に参加する必要性がある一方で、単純に欧米式を追いかけても日本が本家欧米式のPRにかなうことはない気もするし、そもそも欧米に追従することがよいことなのかという疑問もわいてきます。
さらに歴史的な観点からは、日本は第二次世界大戦中、枢軸国側としてナチスと同盟して戦いました。日本がナチスほどの「人道に対する罪」を犯したということではありませんが、中国やアジア各地で泥沼の戦いを行い、国家の戦略としてナチスの勝利を前提に政策をとっていたことは事実です。これはPRの観点から言うと非常に重い十字架です。歴史認識の話が出るたびに日本にはそのイメージが付きまとう。この点は意識して情報を発信していかなければならないでしょう。
ただ、特別なPRがなくとも、もともと日本が国際的に高い評価を受けていることはあります。例えばCNNではアマンプールという女性司会者が、自身の番組で日本の治安の良さを、アメリカでの銃乱射事件に沿って言及したことがあります。これは日本の評判をよくする情報、PRになるものです。他にも日本はよくオーガナイズされた国だとか時間に正確だとか、評価が高い部分がありますよね。そうした点を足がかりにしていくことはできると思います。
この点で、2020年の東京五輪はチャンスだと思っています。前回のリオは工事が間に合わなかったり治安が悪かったり、やはりあまり国際的な評判がよくないんですよ。結果としてブラジルの国際的なレピュテーションが下がったとさえいわれています。海外からの視線で見れば、ここで日本が普通に五輪を開催しただけでも評価はあがる状況です。東京五輪は問題点もいろいろと指摘されていますが、日本の国際的なPRという観点からはまだまだ前向きに捉えることも可能です。五輪の際は各国からジャーナリストも来日しますから、彼らにどのように満足して帰ってもらうかというのはPRの点からは重要な点ですね。
――包括的な視点で国際情報戦に臨む必要性がありますね。高木さん、お忙しいところありがとうございました。
※本稿はαシノドスvol.213からの転載です
プロフィール
高木徹
1965年東京生。東京大学文学部卒業後、NHKにディレクターとして勤務。「おはよう日本」、「NHKスペシャル」、「クローズアップ現代」などの企画・取材・制作を担当。主な制作番組は「民族浄化~ユーゴ情報戦の内幕~」(2000)、「バーミアン 大仏はなぜ破壊されたのか」(2003)、「パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知らせざる攻防」(2007)、「ドラマ東京裁判」(2016)など。著書に「戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争」(2002)「大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか」(2004)「国際メディア情報戦」(講談社現代新書・2014)などがある。現在報道局チーフ・プロデューサー。