2018.08.29
政権交代から100日を迎えたマレーシア――希望連盟政権下での民主化に向けた実績と課題
世界に驚きを与えたマレーシア史上初の政権交代から、8月17日で100日が経過した。独立以来61年間政権を維持してきた統一マレー人国民組織(UMNO)。このUMNOを中核政党とする政党連合の国民戦線から、政党連合の希望連盟が政権を奪取した。希望連盟の動向には、最近あらためて国内外からの注目が集まっている。
マレーシアには5月9日に実施された総選挙の結果、当時92歳という高齢で首相に返り咲いたマハティールに注目が集まった。外交面では彼の政権が前政権とは異なり、東南アジアで台頭する中国から一定の距離をとる姿勢をみせていることに関心が集まっている。マハティールの首相就任後初の外遊先が日本であり、政権発足から100日もたたないうちに2度の訪日をしていることから、彼の日本重視の姿勢に好意を抱く日本人ファンも少なくない。
マレーシアの政権交代はマハティール個人のリーダーシップや外交だけでなく、グローバルな民主化のトレンドの文脈でも世界的な注目を集めている。トルコのエルドアン、カンボジアのフンセン、フィリピンのドゥテルテなど、近年、新興国では選挙を通じて当選した指導者が強いリーダーシップの下で頻繁にポピュリズムを煽り、政府機構を通じて抑圧的かつ強権的な政治を行う事例が増えている。マレーシアの隣国タイのように、軍政下にあって民主主義の基本である選挙も実施されていない国もある。
1980年代以降、「民主化の第三の波」とも呼ばれる新興国の民主化が一斉に起こった。また、2011年から2012年にかけては、アラブ諸国で「アラブの春」と呼ばれた民主化のトレンドが観察された。こうした時期と比べれば、ここ数年は世界規模で民主化が後退し、新興国の権威主義化が新たなトレンドとなりつつある。
抑圧的な法や不公平な制度を通じて、60年以上にわたって政権を維持してきたことで、国民戦線の統治体制は研究者の間では権威主義体制の一類型とみられてきた。それが、権威主義化がトレンドとなる中で、街頭デモやクーデターではなく、選挙によって崩壊し、その後大きな混乱もなく政権移行が進んできたようにみえる。このことが、世界中から大きな注目を集める要因となっている。
そこで本稿では、2018年5月の世界を驚かせた政権交代から、8月で100日が経過したマレーシアの現状について、国内政治に焦点を当て民主化の観点から考えてみたい。
希望連盟は100日間で何を達成したのか
そもそもなぜ政権交代から100日目に注目が集まったのか。それは、新政権を組織した希望連盟が、選挙前に発表したマニフェストで、政権獲得後100日以内に達成すべき10項目の公約を掲げていたことにある。この10項目の公約のうち、実際に100日以内に達成されたのは、日本の消費税にあたる6%の物品サービス税の廃止と燃料価格を安定化させるための補助金の再導入である。100日以内に果たすべきその他の公約は、政府内で検討が始まっているものの、依然として初期段階に留まるか、着手はされているが完遂されていない(注1)。
(注1)この他の項目は、連邦土地開発庁が提供した土地の入植者の負債軽減、日本の年金制度に相当する被雇用者退職積立基金を主婦層にも拡大、地域によって異なる最低賃金制度の平準化と最低賃金の増額、国家高等教育基金の提供する教育ローンの負担軽減、低所得者を対象としたヘルスケア・サービス制度の導入、1MDBを含む政府機関が関係するスキャンダルの独立調査委員会の設置、サバ州とサラワク州の自治権の回復、メガ・プロジェクトの見直し、からなる。
この100日以内に達成する予定だった10項目の公約を含めて、希望連盟のマニフェストは60項目あり、194ページの冊子にまとめられるほど多様な分野で複数の項目にわたっている。そのため、公約が達成されるとしても相当の時間がかかり、今後の紆余曲折が予想される。マハティールは非公開の場で、希望連盟は実際に選挙に勝利することを予想せずに、あらゆる分野にまたがる分厚いマニフェストを作成してしまった、と語ったとされる。
2018年8月末の時点で、希望連盟政権は選挙で約束した公約の多くを達成できていないが、一般国民からの政権への支持は現在でも高いままである。世論調査機関のムルデカ・センターの調査では、8月時点でマハティール首相個人の支持率は71%で、政権支持率は67%となっている。5月の政権発足直後のユーフォリアの時期に記録した83%首相支持率や79%の政権支持率と比べれば、若干落ち着いてきているものの、依然として高い支持率をたたき出している。
とはいえ、この首相と政権支持率を民族別にみてみると、希望連盟政権の課題もみえてくる。8月時点の首相支持率はインド人が93%、華人が83%であるのに対し、マレー人が62%と、マレー人からの支持が低くなっている。政権支持率も同様の傾向を示し、インド人89%、華人79%、マレー人58%である。つまり、希望連盟政権は非マレー人からの高い支持を獲得しているものの、全人口の6割程度を占めるマレー人からの支持が相対的に低い。
このマレー人からの相対的に低い支持率の原因として考えられるのは、後述するように、選挙前からの政党間でのマレー人支持の分裂や、野党となった国民戦線の中核政党UMNOおよび、汎マレーシア・イスラーム党(PAS)によるマレー人支持者へのはたらきかけが指摘できる。加えて、希望連盟政権が公には特定の民族に偏らないマルチ・エスニックな政治を語り、1970年代以降では初の非マレー人の法務長官を任命したこと、さらには、華人向けの中等教育の分野で新政権が従来よりも華人寄りの政策を発表したことで、一部のマレー人団体から批判が起こったことも影響しているとみられる。
希望連盟の公約が実際に達成されなくても、民主化の進展にプラスとなる実質的変化も起こっている。具体的には、政権交代によって、言論や表現の自由はナジブ前政権期と比べて明らかに拡大した。メディアの報道や個人のSNSを通じた意見の表出が格段に自由になる中で、市民社会組織の活動が活性化している。例外的なケースとして、タブーとなっている国王やスルタンへの侮辱的な文章を書いたという理由で、活動家が警察から取り調べを受けたことはあったものの、現在のところ深刻な事態には至っていない。
政権交代によって社会の雰囲気は変わったが、今後問題となるのは、新政権がメディアや市民社会組織に対する抑圧的法を撤廃することを通じて、制度的な改革を着実に実行できるかにかかっている。新政権が政権交代を通じて生まれた改革の機運の高まりを着実に制度化していくという課題は、メディアや市民社会の分野だけでなく、警察、司法、選挙制度、反汚職対策など、様々な分野において求められていることでもある。
危うさをはらむ希望連盟のガバナンス
希望連盟政権は2018年8月時点で、国民からの依然として高い支持を誇っているものの、ガバナンスの観点から今後の安定的で民主的な政権運営にとってマイナスとなりかねない兆候もみられる。ここでは2点ほど指摘しよう。
その1つが政権交代から現在までのところ、新政権がマハティール首相の個人的リーダーシップに大きく依存しすぎていることにある。新たに与党となった希望連盟所属の議員は、その大多数が、過去に州政権を運営した経験はあっても連邦政府を運営した経験がない(マハティールとともにUMNOから離党した議員で構成されるマレーシア統一プリブミ党(PPBM)の一部はそうではない)。
政府に入った新人大臣たちは、国民戦線体制下で採用された官僚との関係を新たに構築し、連邦政府の行政手続きを学習する必要がある。希望連盟の大臣やそれを支える一般議員が政権運営に習熟していない結果、22年間首相として政権を運営した経験のあるマハティールが、政策決定は無論のこと、記者会見の場面でもつねに前面に立つ場面が必要以上に多くなっている。
マハティールは政権発足直後に、希望連盟のマニフェスト実現の方策を模索した。そして、経済や財政面を中心とした改革案を作成する顧問組織として、賢人会議を発足させた。賢人会議のメンバーは、下記の5人である。議長の地位にあって1980年代から1990年代のマハティール政権下で財務大臣を務めたダイム・ザイヌッディンを筆頭に、中央銀行のバンク・ヌガラ元総裁のゼティ・アジズ、国営石油会社ペトロナス元総裁のハッサン・マリカン、華人企業家のロバート・クォック、元マラヤ大学教授のジョモ・クワメ・スンダラーム。いずれもマレーシアで尊敬を受けている長老格の人物である。
賢人会議の下には、1MDBスキャンダルの調査委員会や制度改革案を作成する委員会が設置された。賢人会議は8月20日に、改革案をまとめたレポートを完成させて首相に提出した。賢人会議は当初は政権交代後100日間限定の臨時会議として組織されたが、マハティールは100日を過ぎた後も賢人会議を存続させる意向を示している。希望連盟の議員や識者の一部には、これまでの賢人会議の貢献を評価しつつも、賢人会議がこのまま存続することになれば、内閣や与党の希望連盟をバイパスして政策決定が行われるのではないかとの懸念が存在している。
ナジブ前政権下では首相への権力集中が進んで首相府が肥大化した結果、政府内部のチェックアンドバランスのシステムが作用せず、汚職や非効率な政策を生む温床となった。マハティールは首相就任直後に首相府の職員向けに行った演説や幾つかのインタビューで、新政権の重要課題が政府内のチェックアンドバランスを回復させることだと明言している。
首相への権力集中の問題に対処するため、新政権では前政権まで行われていた首相と財務大臣の兼任をやめるとともに、首相府の下にあった部局を廃止し、各省の下に移行し、あるいは連邦議会の管轄とする行政改革が進行中である。それと同時に、新政権ではナジブ前政権の息のかかった省庁、独立機関、政府関連企業(GLC)のトップたちを退任させ、新たな人間をトップにつけることも行なわれている。
繰り返しになるが、問題なのはこうして矢継ぎ早に発表される政策の多くが、マハティール首相の個人的リーダーシップに依存しすぎている点にある。政府内での適切なチェックアンドバランスの制度を確立するうえで、強力な個人的リーダーシップを必要とするマレーシア政治の現状が、民主化定着に向けた移行期特有の問題に留まるのか、あるいは、強力なリーダーシップの遺産が今後の民主化に向けての悪影響としてあらわれてくるのかは、今後の展開をみなければならない。
ガバナンスの観点からの新政権のもう1つの不安材料は、希望連盟を構成する政党間の問題である。希望連盟政権には、大臣ポストと、連立を組む政党の勢力との間に見過ごせないギャップがある。
希望連盟の構成政党は、元副首相でマハティールから首相を継承するとみられているアンワル・イブラヒムがリーダーの人民公正党(PKR)、華人やインド人など非マレー人に支持基盤を持つ民主行動党(DAP)、マハティール首相の所属するPPBM、PASからの離党組で結成された国民信託党(Amanah)である。この4党のうち、連邦下院議員数で最大の政党は選挙で47議席を獲得したPKRであり、その後にはDAPの42議席、PPBMの13議席、Amanahの11議席と続く。その一方で、各党が獲得した大臣ポスト数はPKRが7、DAPが6、PPBMが(首相ポストを含めて)6、Amanahが5である。
各党の議席数と輩出する大臣ポスト数を比べれば、少数党のPPBMとAmanahが議席数以上に大臣ポスト数で優遇されているのがわかる。さらに、重要ポストの財務大臣はDAP、内務大臣はPPBM、国防大臣はAmanahが獲得しているが、最大勢力のPKRは重要ポストからは外されている。前政権の国民戦線政権下では、長年、最大勢力のUMNOが首相や副首相を輩出するだけでなく、大臣数でも主要大臣の獲得でももっとも有利な扱いを受けていた。前政権とは異なり、希望連盟政権では現在のところ、PPBMとAmanahという少数党が優遇されていることが、連立内の各党が対等な立場でコンセンサスを形成していることを示しているといえるだろう。
しかし、多数党のPKRの一部からは、議席数とポスト数の不釣り合いに不満の声も漏れている。現在のところは希望連盟各党が政権交代を協力して成し遂げた達成感とマハティールの強いリーダーシップによって、多数党からの不満は最小限に抑えられている。しかし、希望連盟内で明確に多数を占める政党が存在せず、少数党がポスト配分で優遇される現状は、今後の対立を生む火種となる可能性が高い。
希望連盟は2015年に結成され、PPBMが公式に加入して現在の形になったのは2017年になってからである。結成されてから3年ほどの歴史の浅い政党連合であり、反ナジブと国民戦線からの政権獲得を旗印にして構成政党間の団結を維持してきたが、与党となった今、構成政党間の新しい関係性を維持し、どう再構築していくかが今後の課題となる。
「新しいマレーシア」の行方
今後の希望連盟政権の行方に影響を与えるのは、公約の達成、制度改革の進捗、政府・与党のガバナンスの問題だけではない。民族、宗教、セクシュアリティなどのアイデンティティをめぐる政治の動向も大きく影響する。5月の総選挙は従来の選挙とは異なり、民族や宗教をめぐるアジェンダがほとんど表面化しなかったまれな選挙であった。このため、総選挙直後には、民族や宗教などの違いを超えて国民が団結する「新しいマレーシア」が誕生したとの言説がメディアを中心に広がった。
政権交代から100日が経過した今でも「新しいマレーシア」を信じて期待を寄せる人々は主に都市中間層の間で多いものの、それに反する現実も表面化しつつある。まず、2018年総選挙の結果をみれば、そもそも新たに政権についた希望連盟は、国民の各層からまんべんなく支持を得たのではないとの研究者の選挙分析が登場してきた。
総選挙で希望連盟は、華人やインド人などの非マレー人からの圧倒的支持を得たものの、全人口の6割程度を占めるマレー人の間の支持は、希望連盟、国民戦線(とその中核政党のUMNO)、PASの3政党(連合)の間で分裂したままである。5月の2018年総選挙で希望連盟は、生活コスト上昇やナジブ前首相の関与が疑われる1MDBスキャンダルなど、民族や宗教などとは直接的には関係ないアジェンダを前面に掲げて政権交代を実現した。そのため、マレー人の間ではUMNOやPASから希望戦線の構成政党に鞍替えしたものも少なくなかったが、依然としてマレー民族主義やイスラーム主義に基づいてUMNOやPASを支持し続けているマレー人の存在も無視できない。
5月の総選挙で敗れて政権から転落した国民戦線では、連合から離脱する政党が相次いだ。総選挙前には複数の民族と地域を支持基盤とする13党で構成された政党連合だった国民戦線だが、7月になるとわずか3党のみの政党連合になっていた。さらに、総選挙で54議席を獲得したUMNOに対して、国民戦線に残留した他の2党は合計しても3議席だけであり、現在の国民戦線はすでに政党連合というよりUMNOとほぼ同等の存在であるといっても過言ではない。
そこで、もともとマレー人の民族政党であって、国民戦線の他の構成政党を考慮する必要がほとんどなくなったUMNOが、今後ますますマレー人を対象としたイデオロギーや主張に接近していく可能性は十分ある。実際に、8月4日にスランゴール州のスンガイ・カンディス州選挙区において、希望連盟所属のPKR候補と国民戦線所属のUMNO候補との間で争われた補選で、そのような傾向がみられている。UMNOはマレー人有権者にターゲットを定め、マレー人の権利が希望連盟政権下で失われつつあるとして、民族的な危機意識を煽る選挙戦術をとったのだ。加えて、補選では長年UMNOとマレー人票をめぐって対立してきたイスラーム主義政党のPASが、UMNOと事実上、共闘する姿勢をみせた。
補選結果は、投票率が49%と、マレーシアでは異例の低投票率(注2)のために、PKRとUMNOの双方とも5月の総選挙と比べて大幅に獲得票数を減らしたものの、PKRが勝利した。補選結果について様々な分析は可能だが、ここで重要なのは、UMNOとPASが将来のさらなる連携の可能性をみせつつ、ともにマレー民族主義やイスラームのアイデンティティに沿った自党のブランディングを強めていることにある。野党のUMNOやPASが人口の多数を占めるマレー人へのアピールのために、民族や宗教に基づく政治へのシフトを今まで以上に強めるならば、希望連盟側もマレー人に向けて特別な対応を迫られる可能性が少なくない。
(注2)マレーシアの2018年総選挙では全国の投票率は82%であり、2013年総選挙では85%だった。一般に補選の投票率は総選挙よりも低下する場合があるが、基本的に70%から60%台を記録し、50%を下回ることは近年ではなかった。
5月の政権交代から8月までの間に、民族や宗教とも深いかかわりのあるセクシュアリティをめぐる話題も人々の関心を集めている。具体的には、新政権の大臣のスタッフとしてゲイを認めるか否かの問題、ペナンで行われた展示会でマレーシア国旗とともにゲイとトランスジェンダーの活動家が写された人物写真を政府が撤去するように命じた問題、ムスリムの11歳タイ人少女と41歳マレー人男性との結婚に関する問題が3か月間に次々と話題となった。
とくに前二者の性的マイノリティに関わる問題は、政権交代によって生まれた「新しいマレーシア」のメンバーとして誰が認められるべきか、新政権がマイノリティの人権をどの程度まで守ろうとするのか、という問題であり、マレーシア国内だけでなく海外からも注目されている。新政権の副首相や宗教大臣は性的マイノリティが私生活や自分たちのコミュニティ内で活動を留めるならば容認するが、政治やコミュニティ外の活動を通じて公的な場面で意見を表出しようとすることは認めない方針を表明している。
しかし、5月以降で性的マイノリティについて話題になったニュースをみれば、海外観光客から知られるほど有名だが、前政権では長年見て見ぬふりをされてきたゲイ・クラブが初めて摘発された。また、イスラーム法に基づいた裁判で、レズビアンのカップルにむち打ち刑を科す判決が出されたり、路上でトランスジェンダーに暴力が振るわれる事件などが起こっており、性的マイノリティへの抑圧は政権交代後にむしろ強まっているようにもみえる。性的マイノリティへの抑圧が今後も続くようであれば、マレーシアの民主化の将来にも暗い影を落としかねない。
5月の総選挙から100日を過ぎた現在でも、史上初の政権交代を果たしたことの達成感が社会を覆っている。希望連盟政権が約束した公約を十分に果たせず、政権のガバナンスにかかわる問題で危うさをはらんでいても、国民の大多数はもうしばらくの間は新政権を信じて支持しようとする姿勢を続けている。
しかし、公約やガバナンスの問題に加えて、民族、宗教やセクシュアリティなどのアイデンティティをめぐる政治も次第に活性化しつつある現状をみれば、新政権に今後残された時間はそれほど多くない。政権交代によって生まれた「新しいマレーシア」
プロフィール
伊賀司
京都大学東南アジア地域研究研究所連携講師。