2021.03.22
朝鮮半島有事と在韓邦人保護問題――日本政府は自国民を救えるのか
1.朝鮮半島有事における日本人保護問題
短期訪問や長期滞在を含めると、韓国には、常時8万人を超す邦人がいる。だが、ひとたび朝鮮半島で有事が起これば、そこにいる大半の在韓邦人は、戦火にさらされ、見捨てられるだろう。こう考えるには理由がある。
2017年、朝鮮半島では北朝鮮による核実験と長距離弾道ミサイル(Intercontinental Ballistic Missile, ICBM)発射実験を受けて、米朝による軍事衝突の懸念が急速に広がった。筆者は当時、調査や研修のため、北朝鮮の首都・平壌やワシントンD.C.を相次いで訪れ、軍事的緊張の高まりを肌で感じていた。
後年明らかになるように、当時、米国は、韓国と日本に住む米国市民を早期退避させる計画を検討していた。しかし、米軍が実際にこの計画を実行した場合、北朝鮮が米国による戦争の準備と「誤認」する恐れがあるとして、トランプ政権は、最終的に自国民の退避行動を実施しなかった【注1】。
安全保障研究の分野では、紛争・治安悪化・政情不安・自然災害等により、国外から自国の民間人を退避させる軍の活動を「非戦闘員退避活動」(Non-combatant Evacuation Operations, NEO)と呼ぶ。
今日のグローバル化された国際社会で、ひとたび各国がNEOを実行すれば、外交・人道・軍事・経済領域等、広範囲に影響が及ぶことは必至だ。このため、各国政府は、NEOを開始する前の段階で、可能な限り、民間の航空機・船舶を使用し自国民の輸送を行う。しかし、予期せぬ形で紛争等が発生すれば、NEOを実行する段階へと進む。この場合、各国政府は、他国の主権を侵害しないよう努めながら、海外に暮らす自国民の保護・輸送・救出にむけたNEOを計画しなければならない。
朝鮮半島で警告・事前通告なしの奇襲作戦や北朝鮮内部の急変事態によって戦争が突発的に再開した場合、日本は深刻な状況に陥る。自力退避はもちろん、民間アセットによる輸送・退避が困難であるだけでなく退避の緊急性が高まるため、政府専用機や自衛隊の輸送手段による大規模な退避・救出活動が必要になる。
本稿では、我が国の安全保障にとって喫緊の課題である朝鮮半島有事を念頭に、NEO実行の可能性と課題を論ずる。そのため以下では、米朝非核化交渉の現在地、NEOの国際法的な位置づけ、日韓NEO協力の現状と課題を分析する。
2.米国の対北オプションと「レッドライン」
米国の対北オプション
2018年に史上初となる米朝首脳会談と3度の南北首脳会談が開催された。朝鮮半島情勢には対立解消の兆しがみえたものの、2020年以降新型コロナウィルス感染症のパンデミックもあって、米朝交渉は行き詰まりを見せている。当初、トランプ政権は「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(Complete, Verifiable and Irreversible Dismantlement, CVID)」を掲げたものの、その文言が「COVID(COVID-19)」の陰に隠れるのにそれほど多くの時間を要さなかった。
北朝鮮核問題を解決に導く上で、米国の対北オプションは、次の3つに大別される。第一に、朝鮮半島の「完全な非核化」を求め、積極的に対話を進める外交主導型オプションである。2018年以降、トランプ政権はこの方式を採用した。第二に、先制攻撃・予防攻撃等、軍事的措置に踏み切るケースだ。米国は90年代以降、過去3度に及ぶ「北朝鮮核危機」を通して、被害予測を綿密にシミュレートした経緯がある【注2】。その際、人的・物的被害が甚大であること、また同盟国である韓国からの強い反発もあって、今日ではほとんど現実的な選択肢ではなくなりつつある。第三に、国連制裁の枠組みと米国の強大な軍事力を背景に抑止力を維持しながら北朝鮮を封じ込め、北朝鮮自らが政策転換するよう迫る方法である。2009年に発足したオバマ政権では、軍事的挑発で危機を煽る「瀬戸際政策」を続けてきた北朝鮮と対話せず、北朝鮮自らが非核化という不可逆的な譲歩を行うまで、米国は北朝鮮に譲歩しない姿勢を示した【注3】。「抑制」と「制裁」を掲げるバイデン政権もこうした政策を踏襲する蓋然性が高い。
米国の「レッドライン」とは何か
このように米国側の対北オプションは複数の政策オプションの間で揺れ動いてきたのに対し、北朝鮮の政策は一貫している。すなわち、米国が対北武力行使に踏み切る「レッドライン」を超えない範囲で、自国の核・ミサイル開発を粛々と進めることだ。では、北朝鮮が想定する米国の「レッドライン」とは何か。
まず、米国は自国への攻撃に対しては、いかなる代償を払ってでも武力行使を躊躇わないだろう。この点について北朝鮮も熟知しているため、通常戦力・核戦力ともに大きく遅れを取る北朝鮮が、米国本土を射程に入れたICBMを先制使用する等して、米国を攻撃する可能性はない。「レッドライン」をめぐる実際の駆け引きは、以下の2点が争点となる。
ひとつは、中東地域や国際テロ組織に北朝鮮の核ミサイル技術が広がることへの懸念、すなわち、大量破壊兵器(Weapon of mass destruction, WMD)の拡散に対する米国の懸念である。いまひとつは、米国の同盟国に対する核または通常攻撃によって、「拡大抑止」の信頼性が損なわれる懸念である。具体的に上記の懸念が現実のものとなれば、米国が多大なコストを払ってでも軍事行動を起こす可能性がある点を、北朝鮮は熟知している。
前者に関する傍証として、これまで北朝鮮は、自国の核開発があくまで「敵対的態度」を取る米国から自国を守る「自衛的措置」である点を繰り返し主張してきた。2003年には、日本の国会に相当する最高人民会議で、核抑止力の維持・強化のため、核開発が不可避であると公式に宣言した【注4】。また、2016年第7回党大会では「核拡散防止義務を履行し、世界の非核化の実現に努力する」とし、国際社会に対して「責任ある核保有国」としての地位を求めた【注5】。2021年第8回党大会でも、敵対勢力が使用しようとしない限り、核兵器の先制使用を否定した【注6】。
つまり、北朝鮮の論理では、核兵器はあくまで自衛的な軍事力に過ぎず、核兵器や核技術の拡散に反対の姿勢を示すことで、米国の「レッドライン」を超えない立場を示し、米国による自国への軍事措置を回避し続けている。
3.北朝鮮核問題の「3つの難問」
日・米・韓関係のほころび
以上のような前提を踏まえれば、北朝鮮の核保有国化に対して、日本・米国・韓国の3ヵ国は緊密な連携を内外に示し、抑止力を維持しながら、対北交渉を進める必要がある。しかし、実際の非核化交渉には、解決の糸口を見いだせない難問がある。
そのひとつが日・米・韓関係のほころびだ。朝鮮半島で南北間の体制競争が繰り広げられていた冷戦期、おおむねこの三角関係は機能していた。だが、現在においては、北朝鮮の非核化を推進する日・米・韓の利害関係が一致しづらくなっている。
米国にとって本質的な脅威は、北朝鮮が保有する核・ミサイルと技術の拡散だ。また、目下の交渉では、核兵器と米国本土を射程におさめるICBMの開発を断念させることが目標となる。一方、日本にとって主要な脅威は、日本全土を射程に収めるノドンやスカッドER等の準中距離弾道ミサイル(medium-range ballistic missile, MRBM)である。北朝鮮を体制競争の相手と見做さなくなった韓国にとって、北朝鮮核問題は非核化そのものよりも、「第2次朝鮮戦争」をいかに防ぐのかにあり、その先に見据える統一を平和裏に進めることが重要だ。北東アジアのパワーバランスを保ち、北朝鮮に圧力を加える三角関係の協力の足元がおぼつかないのである。
北東アジアの「パワー・トランジッション」と韓国
さらに政策を調整するうえで困難に直面しているのが、日・米・韓関係の一辺である日韓関係だ。慰安婦や徴用工等の歴史認識をめぐっては、「歴史事実はひとつしかない」というある種の「ナイーブな歴史観」が前提にある。だが、歴史認識問題それ自体は冷戦期から存在しており、決して目新しいものではない。むしろ、国際政治学的に重要なのは、日韓両政府が、歴史認識問題のような摩擦を「適切に管理する必要性」を認識しなくなった点にある。
こうした変化には、構造的な要因が関係している。すなわち、北東アジアにおける「中国の台頭」と日本の影響力の減退がもたらす地域のパワー・トランジッション(力の移行)である。冷戦期とは異なり、日韓両国は経済的重要性が相互に低下し、代わって両国にとって対中関係の重要性が高まった。日韓は共通の同盟国である米国を軸とする「擬似同盟(quasi-alliance)」【注7】の関係にある一方、韓国の「戦略的協力同伴者関係」【注8】にある中国は、米国を抜きいまや韓国最大の貿易相手国である。日米と比べて貿易依存度が高く、貿易立国として経済的成功を収めてきた韓国にとって、対中経済協力関係の維持・発展は国家運営の至上命題である【注9】。このため、日韓両国は歴史認識問題をはじめとする外交懸案を適切に処理する動機を失いつつある。
さらに重要なのは、こうした変化が安全保障分野にも及び始めている点だ。冷戦期の韓国は、日米同盟が対北抑止力を補完することを歓迎し、日韓の安保協力を段階的・漸進的に進めてきた。しかし、高高度迎撃ミサイルシステムであるサード(Terminal High Altitude Area Defense missile, THAAD)配置による中国政府の報復措置と「3不原則」【注10】の経験から明らかなように、中国経済に依存する韓国は、たとえそれが対北抑止を念頭に置いた三角関係の強化であっても、「対中配慮」の観点から躊躇するようになった【注11】。
特に、中国が日米同盟や日米韓安保協力の強化を「対中封じ込め政策」と認識し、域内に軍拡競争が生じることに対して、韓国は強い懸念を抱いている。北東アジアでの米中覇権競争は、韓国の安保政策の幅を狭めている。実際、文政権の外交・安保政策の立案に深く関与した文正仁(大統領統一外交安保特別補佐官)は、米中対立の激化により、米国が在韓米軍へのTHAAD追加配備や中距離弾道ミサイルの新規配備に踏み出す可能性があると指摘し、「そうなれば中国は韓国を敵対視し、北朝鮮への軍事支援に乗り出す可能性もある。韓国にとってこれが大きなジレンマだ」と述べている【注12】。
米朝・南北間合意の抜け穴
加えて、米朝間の直接交渉においても、今後、大きな難題が待ち構えている。まずは合意文の抜け穴だ。2018年「9.19平壌共同宣言」では、米国が相応措置を採る場合、寧辺の核施設廃棄が約束された【注13】。しかし、寧辺以外の未公表のウラン濃縮施設は、合意の対象外のままだ。実際、北朝鮮核問題や米朝協議を担当していた元韓国政府高官によれば、北朝鮮では、秘密施設を含め濃縮施設は最大で10か所前後、核物質の生産施設や核兵器を貯蔵する施設等が300か所程度あるという【注14】。
同様の問題はミサイル関連施設においても生じている。2018年の「9.19平壌共同宣言」では「東倉里のエンジン実験場とミサイル発射台」の永久廃棄も合意された。しかし、北朝鮮政府による未公表のミサイル施設は、すでに10数か所特定されており【注15】、東倉里だけを明文化した現行の合意文では、北朝鮮の核・ミサイル能力は確実に温存される。
いまひとつ注目すべき点として、トランプ・金正恩時代の首脳交渉では、「非核化」の定義すら合意できなかったことである。トランプ政権は、当初、北朝鮮の非核化について、「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」という文言を多用した。しかし、2018年7月以降、FFVD(Final, Fully Verified Denuclearization)、すなわち「最終的、最大限に検証された非核化」へと表現を修正した。「完全」「不可逆的」という文言が抜け落ち、段階的な非核化交渉を求める北朝鮮に対して安易な譲歩を示したのだ。当時、大統領再選を目指していたトランプ政権が、外交上の遺産構築を急いだ結果でもあった。
以上のような米朝交渉の特性を踏まえれば、今後の非核化交渉には、米国の国内政治に左右されない中長期的な視点に立ったアプローチが不可欠であり、非核化に向けた具体的なロードマップの策定が求められる。そのためにも、短期的には、米朝両国がある種の相互信頼醸成措置を講じていかなければならない。国連制裁の枠組みを堅持しながらも、原子力の平和利用に向けた準備、防疫体制の強化、環境・経済・エネルギー分野といった幅広い分野で、相互依存性を高める仕組みを取り入れることが、根深い相互不信の連鎖を断ち切ることにつながる。
4.NEOの必要性と課題
NEOの法的根拠と韓国政府の対応
以上見てみたように、非核化交渉は依然として難航が予想され、朝鮮半島有事のリスクは払拭されていない。こうした中、近年、軍によって民間人を退避させるNEOが人道・外交上重要な懸案として注目を集めている。NEOで中心的な役割が期待される米国は、これまで30以上のNEOを実施してきた。1975年「サイゴン陥落」直前に約5万人、2006年「レバノン侵攻」で約1.5万人のNEOを実行したが、2020年の統計によれば、半島南部には約252万人を超える在韓外国人、そのうち邦人が約8.6万人おり【注16】、有事の際には過去前例のない規模のNEOが予想される。
他方で、国際社会ではNEOの法的根拠をどのように位置づけているのだろうか。米国・英国・フランス等、主要国では、軍による自国民救助が必要な場合、国連憲章第51条に定められた自衛権、あるいは、人道的介入を根拠に、事前同意を得ない形でNEOを実行するケースもある。しかし、現代の国際的な規範や各国の国内法制度に照らして見れば、NEOを円滑に実施するために重要なことは、領域国である韓国から事前に「受入同意」を取得しておくことだ。
日本の場合、民間機が運航しなくなれば、自衛隊の輸送機や艦艇の派遣が不可欠だが、自衛隊法上、朝鮮半島有事の際には、以下の厳格な3要件を満たさなければならない。
・韓国政府が公共の安全と秩序の維持にあたり、戦闘行為が行われていないこと
・韓国政府の同意があること
・予想される危険に対応して保護措置をできる限り円滑・安全に行うための自衛隊部隊等と韓国軍や韓国警察等との連携・協力の確保が見込まれること
ここから明らかなように、我が国の法制度で在韓邦人を救出するには、国際法上「戦闘行為」が行われていないだけでなく、韓国政府からの同意取り付けと軍同士の連携・協力が不可欠である【注17】。
在韓外国人に対する第一義的な保護責任は韓国政府にあり、彼らの一時避難場所は日本になるため、日韓間で船舶を往来させるピストン輸送が想定される。こうした活動は、自衛隊や海上保安庁の船舶が韓国港湾に入らなければ円滑に実施できるものではない。この意味において、有事におけるNEO成否の鍵は日韓両国のNEO協力にある。したがって、韓国は同盟国・米国とともに日本の自衛隊と協力して、在韓外国人保護問題を適切に処理しなければならない。
しかし、韓国政府は、在韓外国人のNEOで主要な役割を果たす自衛隊の受入問題をめぐって事前協議を拒み続けている。その原因として、過去の植民地支配をめぐる歴史認識問題に起因する関係の悪化を理由にあげるが、本質的には、北東アジアの戦略環境をめぐる利害の不一致が作用している。米国を軸とする地域の安全保障体系に深く組み込まれる韓国だが、対中政策の観点から、有事を想定した日・米・韓の連携強化が進まないのが実態だ。前述したように、現在の日韓安保論議は、北朝鮮核問題を直接の契機とし、「中国の台頭」という地域のパワー・トランジッションのなかで進められている点を看過すべきではない。
日韓NEO協力の現状と課題
これまでのところ、日本政府は、有事以前の段階、すなわち民間機が運航しているうちに大量の在韓邦人を退避させる方針である。運悪く韓国国内にとどまった邦人がいれば、前述の自衛隊法上、艦艇や輸送機の派遣は不可能だ。実際、日韓両政府の協議を見ると、この線での調整が進められている。地下鉄駅・教会・商業施設等の韓国国内に設けた退避所に関して、在韓邦人が使用する点が合意され、日本政府は900カ所以上の施設を在韓邦人に情報提供した【注18】。だが、これでは雨露をしのぐだけだ。日本政府が在韓邦人を保護・救出する姿からかけ離れている。
韓国にとって日本と事前協議を進めることは、有事の際、半島南部で発生する大量の避難民や傷病者をどう保護・輸送するのか確認することになるため重要である。2003年の日本政府の試算によれば、その規模は約10万から15万人にのぼる【注19】。有事の推移次第では、難民の規模や発生場所も変化する。韓国から脱出した避難民と一部の北朝鮮人が対馬海峡を越えて日本に押し寄せることが予想され、「難民条約」に加盟する日本は人道主義の下、難民キャンプを設置・運営するだろう。また、有事で民間人に死者・傷病者がでれば、当然、韓国内だけでは収容できず、日本国内の病院等で収容することになる。医療協力ひとつとっても、具体的な病院名やベッド数等、日韓で協議すべき項目は多岐に及ぶ。
韓国政府は、米韓同盟を強化すれば、有事の際、在日米軍基地を無条件で使用できると考えている【注20】。米国と調整を済ませてさえおけば、日本の意向を踏まずとも、有事に対応できると想定しているのだ。
だが、冷戦期とは異なり、現代の日本政府は在日米軍及び朝鮮国連軍の軍事施設使用に対して承認する権利を法的に有している【注21】。さらに、韓国がNEO協力を拒否し続け在韓邦人に多数の犠牲者がでれば、日本の対韓世論は一気に硬化するだろう【注22】。これでは、朝鮮有事の際、自衛隊による米軍への後方支援活動に対する国民的な合意形成を期待できない。結果的に、同盟国や友好国への後方支援を可能にする「重要影響事態」をはじめとする事態認定や、迅速な国会承認手続きが行われるかも疑わしい【注23】。日本の後方支援がなければ、米韓による対北軍事行動はより困難なものとなる。
米韓が対北抑止力を維持するか、平時の段階で各国が在韓外国人を退避できれば大規模NEOを実行に移す必要はない。だが、日韓NEO協力が不十分な現状の下、有事に至れば惨憺たる結果となる。日韓の市民社会に共通して見られる「韓国不要論」や「日本不要論」は、北東アジアの権力政治の実態を捉えず、戦略的問題から目を逸らした空想に過ぎない。そして、日韓両政府は現実の脅威を見据え、安保協力を深める責務がある。
5.おわりに
2017年の朝鮮半島危機から何を学ぶのか。米国の対応は迅速だ。約15.6万人の米国市民と国防総省の軍属を対象に、数理モデルを援用しながら、輸送部隊に必要なリソースと時間を精緻に算出する等、研究を進めている。それによれば、韓国軍に対する戦時作戦統制権【注24】を米国が持つ一方、朝鮮半島NEOの計画・実行に責任を持つ韓国軍第2歩兵師団(2nd Infantry Division, 2ID)を動員し、韓国国内の公共交通機関を活用する方針も打ち出された【注25】。もちろん、機微に富むこれらの見解が米国政府の公式見解というわけではない。
だが、北朝鮮の妨害【注26】が想定されるなかでNEOが大規模化し、韓国全土に分布する米国人を救出・保護・輸送するための現実的な検討であることに変わりはない。このシミュレーションに、日本を含む同盟国のNEOが想定されていない点を深慮すべきだ。多くの同盟国を持つ米国にとっても、同盟国のNEOを引き受けることは、あまりに負担が大き過ぎるのだ。自国民保護の原則は、自国で対処することだ。米国に頼れないなか、「専守防衛」を掲げる日本に残された選択肢とは何か。邦人保護問題が我々に問いかける厳しい現実を直視すれば、日韓関係の再構築が安全保障上重要である点が浮かび上がる。安全保障問題が日韓関係の「隠れた柱」であることを指摘して、本稿の結びとしたい。
【注1】在韓米軍司令官であったビンセント・ブルックス陸軍大将による証言。「日韓から米国人退避 一時検討」『朝日新聞』2020年1月19日。
【注2】William Perry, My Journey at the Nuclear Brink, Stanford Security Studies, 2015.
【注3】「米新政権の対北朝鮮政策「戦略的忍耐」の復活も」『東洋経済』2020年11月11日
【注4】朝鮮労働党機関紙『労働新聞』2003.9.4.(朝鮮語)
【注5】「「自衛の核、強化」「非核化へ努力」」『朝日新聞』2016年5月9日
【注6】「【革命活動便り】ウリ式社会主義建設を新たな勝利に導く偉大な闘争綱領朝鮮労働党第8回大会で敬愛する金正恩同志の報告に対して」朝鮮中央テレビ、2021年1月9日(朝鮮語)。 http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=ccentv&mtype=view&no=51982#pos (最終確認日:2021年1月12日)
【注7】Victor D. Cha, Alignment Despite Antagonism: The United States-Korea-Japan Security Triangle, Stanford University Press, 1999.
【注8】中韓関係は1992年の国交正常化を契機に「友好・協力」関係を構築。2008年李明博政権期に外交・安保の戦略的協力を内包する「戦略的同伴者関係」へと発展。その後、朴槿恵政権は、中国を米国に次ぐ第2の戦略的パートナーとして位置づけ両国協力の格上げを図った。阪田恭代「北東アジアにおける日韓戦略協力:三つの課題」日本国際問題研究所『コラム』2013年9月17日
【注9】松浦正伸「東アジア地域変動と韓国の国家戦略」『目白大学総合科学研究』11号、2015年、pp.59-60
【注10】THAADの追加配備をせず、米国のミサイル防衛網に加わらず、日米韓の安保協力を軍事同盟に発展させないという原則。この点について詳しくは、本連載企画に掲載された伊藤弘太郎氏の論考「韓国の安全保障・外交戦略」を参照されたい。
【注11】松浦正伸「韓半島有事日本人非戦闘員護送作戦関連韓日安保協力の方案:韓日関係、米日関係、国際比較の観点を中心に」『韓日軍事文化学会』第27輯、2019年、p.205(韓国語)
【注12】「米中のはざま、悩む韓国」『朝日新聞』2020年11月27日
【注13】「平壌共同宣言の要旨」『朝日新聞』2018年9月20日
【注14】「北朝鮮、ウラン施設多数か」『朝日新聞』2019年1月22日
【注15】David E. Sanger and William J. Broad, “In North Korea, Missile Bases Suggest a Great Deception” The New York Times, Nov. 12, 2018
【注16】大韓民国法務部『2019出入国外国人政策統計年報』2020年(韓国語)
【注17】「同意が得られない場合に自衛隊の部隊を派遣して自国民を保護、救出することを可能ということについては、やはり法整備を行うことについては、憲法上も国際法上も難しい問題であると認識」『第189回国会衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会議録』第6号、2015年6月1日、39頁
【注18】「在韓邦人保護、備え急ぐ」『日本経済新聞』2017年9月5日
【注19】「周辺事態対応に不審と期待」『朝日新聞』2007年4月21日
【注20】こうした点は2014年参院予算委員会での「事前協議」に関する総理答弁後の韓国政府の反応を見れば明らかである。「安倍の’脅迫’」『朝鮮日報』2014.7.17.(韓国語)
【注21】日米安全保障条約第4条で「随時協議」を、国連軍地位協定締約国第5条で「合同会議」をそれぞれ必要としている。また、2015年の日米防衛協力ガイドラインでも、日米両国の全ての行動及び活動は、各々の憲法及びその時々において適用される国内法令、及び国家安全保障政策の基本的な方針に従うことが確認されている。「日米防衛協力のための指針」2015年4月27日。外務省ウェブサイトhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000078187.pdf
【注22】日朝国交正常化交渉において、拉致問題が浮上した直後の日本の対北世論の硬化を想起すれば明らかであろう。
【注23】事態認定の問題については次の文献を参照。日本国際問題研究所『安全保障政策のリアリティ・チェック』平成28年度外務省外交・安全保障調査研究事業、2017年。
【注24】戦争が起きた際に部隊の作戦を指揮する権限。韓国は朝鮮戦争中の1950年、米国のマッカーサー国連軍司令官に軍の作戦指揮権を委譲した。現代でも韓国軍は戦時に米軍の指揮下に入る。
【注25】John A. Kearby, Ryan D. Winz, Thom J. Hodgson, Michael G. Kay, Russell E. King and Brandon M. McConnell “Modeling and transportation planning for US noncombatant evacuation operations in South Korea,” Journal of Defense Analytics and Logistics, Emerald Publishing Limited, 2020.
【注26】北朝鮮の朝鮮中央通信は論評を通して、有事を想定した日本のNEO訓練に対して「日本の再侵略の目的によるもの」と強く批判した。「北、日本「自衛隊日本人保護」訓練実施及びメディア公開非難」『聯合ニュース』2020.12.17(韓国語)
プロフィール
松浦正伸
福山市立大学都市経営学部准教授。ソウル大学大学院社会科学大学政治外交学部外交学科修了(外交学博士)。外交・安全保障問題を中心に朝鮮半島をめぐる国際政治学についての研究を専門とする。最近の業績として『韓日関係の軌跡と歴史認識』(韓国語・共著)東北アジア歴史財団研究叢書110、2020年;「朝鮮半島有事日本人非戦闘員退避活動(NEO)に関する日韓安保協力の方案」『韓日軍事文化研究』(韓国語)第27輯、2019年;「朝鮮半島有事における在韓邦人非戦闘員退避活動(NEO)に関する政策的研究」『国際安全保障』第47巻第3号、2019年など。