2013.09.10
シリア問題をめぐるロシアの戦略 ―― 地政学的思惑と限界
シノドス編集部より
本稿は、公益財団法人 中東調査会発行『中東調査 No.516(2013年2月22日)』に掲載された廣瀬陽子「シリア問題をめぐるロシアの戦略――地政学的思惑と限界(58-68頁)」からの転載となります。昨今のシリア情勢を受け、ロシアのシリア外交についてのご執筆を廣瀬様にお願いしたところ、本稿の転載をご快諾いただき掲載の運びとなりました。ご執筆日(2013 年1月10日脱稿)から半年以上の日が経っておりますが、現下におけるロシアのシリア外交について参考いただければ幸いです。
はじめに
シリアでの混乱が長期化する中、欧米の意向に反し、ロシアはシリアの体制派、すなわちバッシャール・アル=アサド大統領を支持してきた。シリアに対する制裁を警告する国連安全保障理事会(安保理)決議案は、ロシアと中国による3 度の拒否権発動により、否決されてきたし、ロシアはアサド側に武器や兵器の供与を続けていることでも諸外国から批判を受けている。ロシアが欧米の対シリア政策を阻んでいることがシリアの内戦の長期化と犠牲者の増大につながっているとして、ロシアに対する欧米諸国からの批判は高まっており、ロシアはシリア問題で国際的に孤立したとも言われている。
このように、ロシアはシリア問題の帰趨の鍵を握っているが、シリアはロシアにとっては、世界戦略のチェス盤の一駒でしかないといえる。その証左に、2012 年末頃からは、シリア問題に対する強硬路線に明らかに変化が見られるようになっている。
他方、シリア問題を考える上で、それを単に「アラブの春」の一部と見るのではなく、国際政治の大きな潮流の中で捉えることが肝要だ。特に、ロシアと米国の間で「冷戦的」な状況が現在も続いていることは重要な前提となる。2009 年に米国でバラク・オバマ政権が誕生し、ロシアとの関係を「リセット」する宣言を行ってからは、両国関係の改善の期待も持たれたが、依然として両国の関係は厳しいと言える(*1)。
(*1)ここ数年の米露関係に関しては、以下の拙著、拙稿等を参照されたい。拙著『ロシア 苦悩する大国、多極化する世界』アスキー新書、2008 年;拙稿「「リセット」できないロシアと米国」『Wedge Infinity 解体ロシア外交』2011 年5 月27 日(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1970);拙稿「プーチン大統領外遊で明らかになったロシアの対米姿勢」『Wedge Infinity 解体 ロシア外交』2012 年6 月8 日(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1970);拙稿「プーチンの愛国主義政策で米大統領選後の米ロ関係も期待できず」『Wedge Infinity 解体 ロシア外交』2012 年11 月5 日(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2333)。なお、本稿に記載したURL の最終アクセス日・確認日は全て2013 年1 月10 日である。
それでは、ロシアは何故、国際的に大きな損失を被りながらもアサド政権を支持してきたのだろうか。また、次第に路線変更をしつつあるかのように見えるのは何故だろうか。本稿では、そのような問いを明らかにすべく、ロシアの対シリア政策の背景を、特にロシアの国際戦略に焦点を当てて検討していく。
ロシアの立場
まず、シリア問題におけるロシアの立場を確認しておきたい。ロシアが模索しているのは平和的解決であり、そのために、国際会議の開催およびシリア体制派・反体制派の対話の必要性を主張してきた。国際会議開催について、ロシアは、米中英仏露の国連安全保障理事会常任理事国とトルコ、レバノンなどシリア周辺国、アラブ連盟などの参加に加え、シリアに影響力をもつイランも「絶対欠かせない」という立場だ(*2)。
(*2)実際に、2012 年6 月13 日にロシアのラヴロフ外相はイランを訪問し、イランから協力の快諾も得たが、米国はイランの参加に反対している。
また、リビアの反省を活かし、アサド政権崩壊時にも備えるかのように、ロシア首脳陣はシリアの反体制派とも接触している。非公式の接触は、2011 年末から始まっているが、2012 年6 月7 日には、ロシアのミハイル・ボグダノフ外務次官(中東・北アフリカ担当、兼・中東担当大統領特使)が、シリア問題に関し、「国民が支持すれば」という条件付きながら、「イエメン型の権力移譲」を受け入れる用意があるとの考えを示すなど(*3)、ロシアのしたたかさを露呈した。さらに、後述のように2012 年12 月になると反体制派への働きかけを公にするようになり、「アサド後」への備えをより積極的に始めた。
(*3)イエメンでは、2011 年に反体制デモが続いていたが、11 月にアリー・アブドゥッラー・サーリフ大統領の退陣などを柱とする仲介案にサーリフ大統領本人および野党代表者が署名し、その後実施された選挙で副大統領のアブドラブ・ハディ氏が暫定大統領に選ばれ、今年2 月に権限移譲が実現したという経緯がある。
つまり、ロシアは、アサド政権の存続を第一義には目指しているものの、それに固執しているのではなく、シリア国民が合意するという条件さえ満たされれば、その結論を受け入れる用意はできている。ロシアにとって重要なのは、国際的な軍事介入を阻止し、「ロシアに近いシリアの政権」が継続ないし誕生することなのである。
ロシアがアサドを支持する理由~歴史的戦略関係と戦略的背景
それでは次に、ロシアがアサド政権を支持する理由を考えていこう。
ロシアとシリアはソ連時代から緊密な関係を維持しており、現在においても、ロシアにとってシリアは中東の重要な友好国である。特に、シリアの戦略的意義は極めて高く、ロシアはシリアのタルトゥース港に海軍基地を維持しており、それは、現在、旧ソ連諸国外で唯一のロシアの軍事基地(黒海艦隊所属の第720物的技術保障拠点)となっている。また、ロシアは、戦車、航空機、対空防衛システム、そして最新鋭の弾道ミサイル等の兵器・武器をシリアに供与してきたが、シリアへの武器輸出は、ロシアの対外武器輸出の8%を占めるという。そして、武器供与はシリアの内戦が泥沼化する中でも続いているとされる。
しかし、ロシアにとって、シリアとの関係は決して理想的なものではないという説もある。
何故なら、第一に、両国の関係が維持されたのは、ロシアの積極的な意向があったというより、むしろシリアが軍備を必要とし、さらにアサドが米国を信用しなかったからだという。
第二に、確かにロシアはシリアに多くの武器を供与してきた上、軍事基地も利用してきたが、武器売却の際に、武器購入資金としてクレジットを提供しなければならず、ソビエト期の約134億米ドルにおよぶシリアの債務のうち73%に相当する98 億米ドルを帳消しにすることにも合意しなければならなかった。
また、ロシアのメドヴェージェフ大統領(当時)が2010年にシリアを訪問した際には、シリアに原子力発電所を建設することを提案したが、結局、何も進展がなかったからである。
これらのことから、両国の関係の基盤となっているのは、アサドが米国よりロシアを志向したこと、ロシアの軍高官、兵器トレーダー、外交官とアサド政権の高官たちの個人的関係によって支えられている利益だというのだ(*4)。
(*4)ドミトリ・トレーニン「シリアを擁護するロシアの立場――宗派間抗争と中東の地政学」『フォーリン・アフェアーズ リポート』2012 年3月号。
だが、それだけでは、大きな政治的、経済的コストを甘受しながら、ロシアがシリアを支援してきたことの説明がつかない。ロシアは何故、アサド政権を擁護するのだろうか。理由は単純ではないが、大きく分けて、4つあると思われる。
第一に、ロシアのプーチン大統領とシリアのアサド大統領は、権威主義的ないし独裁的指導者としての利害を共有している。プーチンは「アラブの春」の影響がロシアに及ぶことを恐れ、2011年末から続くロシアの反体制運動にもかなり神経質になっている。
第二に、懐疑的な意見もあるとはいえ、前述の通り、軍事契約、タルトゥース港の海軍基地、原子力部門での協力構想など、ロシアはシリアにおける経済的・軍事的利権を持っているといえる。さらに、シリアはロシアの重要な、かつ唯一とも言える中東戦略の拠点である。
第三に、欧米への対抗という要素も大きいと思われる。ロシアと中国はシリアにおける欧米の武力介入に激しく反発しているが、そもそも、中東政策において、中露両国は、外国の軍事介入に関して繰り返し反対を表明してきた。その背景には、特に、2011年のリビアでの経験(失策)があると思われる。リビアに対する軍事介入は2011 年3月に成立した国連安保理決議1973 号を法的基盤としてなされた。もともとリビアに対する介入には及び腰だった中露だったが、同決議の性格は、リビアの民間人の保護を求め、そのために必要な行動を国連加盟国に認めるものだとされていたため、中露も拒否権を行使しなかったという経緯がある。
だが、介入は大規模に行われ、民間人保護という目的を超え、結局、カッザーフィー政権が転覆するまで攻撃が続けられたのだった。それは、中露にとってみれば、国連決議の前提を大幅に超えた介入であり、裏切られたと感じたことは間違いない。結果、ロシアは友好的関係にあったカッザーフィー政権を喪失し、また、ロシアはリビアの反体制派とは関係を構築していなかったため、同国に影響を行使できなくなってしまったのである。
同じ轍を踏まないためにも、そして大統領に再就任したばかりのプーチンは「強い大統領・強いロシア」を内外にアピールする必要があることからも、シリアでは欧米に妥協することなく、拠点を確保したいと考えていることは間違いない。特に、前述のように、ロシアはシリアの安保理決議案に拒否権を発動し続けているが、安保理常任理事国という立場を、欧米に対抗する「強力な武器」とみている。冷戦時代のように、世界レベルで影響力を行使する政治的切り札だというわけである。
第四に、中露両国はシリア紛争への国際的介入が国連による正統性(お墨付き)によって保証されること、そのような前例が生まれることを懸念している。何故なら、ロシア、中国は共に人権問題をはじめとした、多くの「介入されうる」問題を国内に抱えており、そのような前例を楯に今後、自国に国際社会の介入の手が及ぶことを避けたいのである(*5)。
(*5)リチャード・ハース「有志同盟でシリア紛争への対応を」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2012 年8月号、79 頁。
このように、ロシアがシリアで強硬姿勢を維持しているのは、内政的配慮に加え、中東における拠点の維持と国際的な威信確保のためだといえる。
ロシアによる3度の国連安保理決議における拒否権発動とロシアの意向
ロシアがシリアを巡る国連安保理決議に、2011 年10 月4 日、2012 年2 月4 日、同年7月19日(*6)の3度に渡り拒否権を行使し続けた理由も前節で述べた4 点にある。中露は「シリア政府と反体制派の政治的対話を促すこと」を求めていた。
(*6)当初、投票は18 日と予定されていたが、ロシアと中国が拒否権発動を表明していたため、西側と露中の歩み寄りを期待した期待した前国連事務総長のコフィ・アナン国連・アラブ連盟合同特使(当時。2012 年8 月辞任表明)の要請で、翌日に延期されていた。
なお、最後に拒否権を発動した2012 年7 月のケースでは、ロシアは国連安保理に「政治的プロセスを期待し、国連の監視団の活動期限を3 カ月延長する」という趣旨の代案を提出していた(*7)。その代案は同月17 日に発表されたが、同日、ロシアのプーチン大統領はアナン国連・アラブ連盟合同特使と会談し、ロシアはシリア情勢の正常化のために、できうる限りの貢献をする用意があると表明すると共に、7 月末にシリア周辺国による「連絡調整グループ」の第2回会合をモスクワで開くことも提案していた。
(*7)この代案提示の前にも、ロシアは歩み寄りを見せていた。具体的には、2012 年6 月26 日に、国連安保理がシリア情勢に関する非公開協議を行い、協議後、ロシアのチュルキン国連大使は、アナン国連・アラブ連盟合同特使(当時)が提案した、6 月30 日にジュネーヴで開催されるシリア問題国際会議に、ロシアのラヴロフ外相が出席することを発表した。ロシアは、シリア問題国際会議の開催をずっと提案してきたが、ジュネーヴで活動グループ会議を開催するというアナン特使の提案は、ロシアの立場と一致しているとしている。ロシアがシリアに影響力を強く持つ一方、米国との温度差やロシアがイランの参加を必要不可欠としていることなどから、ロシア主導の国際会議は難しいと考えられてきたなかで、国連主導の国際会議が行われることは現実的な展開だと考えられた。
だが、欧米諸国はロシアの代案を拒否したため、ロシアは同月19日になって、代案を投票に持ち込まない意向を表明したのであった。この際、ロシアのヴィタリー・チュルキン国連大使は、安保理で対決を続けるのは、無意味で非生産的だとも述べた。
他方、米国、英国の国連大使たちは拒否権発動を受け、シリアの混乱の責任は中露両国にあるとして激しく非難したが、チュルキン国連大使は「西側諸国はシリア国民のことを真に考えているわけではなく、自分たちの戦略的、地政学的な課題にしたがって、シリアの武力紛争を拡大させた」という声明を発表し、シリアの平和のために努力してきたロシアを批判する欧米を逆に批判した。ロシアにとっての拒否権発動の名目は、あくまでも中東での「地政学的な野心」を燃やす欧米諸国を制止するためなのである。
ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相も、ロシアは「シリアの『第二のリビア』化」を断固として許容できず、国連決議案には同意できないと強調した。さらに、同月19 日にシリア情勢のさらなる悪化を受け、派兵しているシリアの停戦監視団に、さらに30 名を追加して派遣する命令をプーチンが行ったことも発表された(*8)。
(*8)Александр Гаврилюк, “Снова вето Россия и Китайопять не согласились с Западом по поводу Сирии,ВЗГЛЯД Деловая газета, 19 июля 2012(http://vz.ru/politics/2012/7/19/589382.html).
こうして、シリアの内戦は悪化の一途を辿り、死傷者や難民が激増する中、国際社会のロシアに対する風当たりも強くなっていった。欧米のみならず、中東諸国の多くもロシアによるアサド支援が続いて、混乱が長期化すれば、中東全域でイスラーム過激派が台頭し、内戦や宗教間紛争のリスクが益々高まるとして批判的だ。
米露代理戦争の様相
ロシアに対する批判はロシアのアサド派への軍事支援に関しても高まる一方である。前述のように武器供与に加え、タルトゥース港の海軍基地を守るために特殊部隊も派遣されている(*9)。ロシアの貨物船や航空機によるシリアへの軍事物資の補給については、度々報じられており、相当量の軍事支援がなされていることは間違いない。ロシア国営の武器輸出企業ロスオボロンエクスポルト社は6月15日に、シリアに高度の防衛ミサイルシステムを輸出することを明らかにしており、それらの兵器システムは最先端の兵器とはみられていないものの、国営企業によるシリアへの武器供給をわざわざロシア側が明らかにしたことで、その輸出は軍事的な意味よりも、政治的な意味合いが強いと見なされた。また、2013年の年始現在、シリア沖には、ロシアの軍艦が16隻待機しているという報道もあるほどだ(*10)。ロシアの軍事物資補給については、英米のメディアを中心にその「発見」が頻繁に報じられており、軍事支援のレベルが大きいのは間違いなさそうだが、その具体的な規模は把握されていないのが現状である。
(*9)たとえば、米国防総省は、兵器や弾薬、小規模の部隊兵士を乗せたロシア軍の大型の揚陸艦船で物資1700 トン、兵士300 人の搭載が可能な「ニコライ・フィルチェンコフ」が2012 年6 月7 日に、黒海に面するウクライナ・セバストポリ港のロシア軍基地で荷物を積み、シリアへ出航したと発表している。
(*10)“Bolstered by 16 Russian warships, Assad nixes dialogue with “Western puppets,” DEBKA file Special Report, 6 January 2013(http://www.debka.com/article/22663/Bolstered-by-16-Russian-warships-Assad-nixes-dialogue-with-%E2%80%9CWestern-puppets%E2%80%9D).
このようなロシアによる武器供与は、シリアの内戦を拡大させるものとして、度々米国などから批判されてきた。だが、ロシア側は、シリアへの武器供与は、防衛用に限定していると反発すると共に、米国も反体制派に武器を供与していると激しく批判する。
こうして、米露のシリア問題を巡る応戦は激しさを増している。特に、2012年6月18日にメキシコのロスカボスで始まった主要20カ国・地域(G20)首脳会議でも、米国と中露の間の溝の深さが浮き彫りになった。特に、両者間の「暴力」の解釈の相違は極めて顕著である。米国のオバマ大統領が言うところの「暴力」は、市民を虐殺するアサド政権の行為であるが、プーチンは「暴力」に、反体制派の動きも含めている。プーチンは、この解釈では絶対に譲歩ができない。何故なら、ロシアでも、2011年末から暫く、頻繁に抗議行動が起きたため、シリアの状況は他人事ではなく、この解釈次第で、自らの首を絞めることにもなるからだ。2012年は米露共に大統領の選挙年だったこともあり、国内世論にとりわけ敏感になっていたこともある。
そして、米国サイドもシリア反体制派への武器補給を続け、次第に米露間の冷戦的状況が顕在化してきた。
米国政府が再三にわたってロシアを批判する一方、2012年6月には米国の中央情報局(CIA)がシリア反体制派に武器を供与していること、さらに少人数のCIA官僚がトルコ南部に配備され、群雄割拠していたシリア反体制派のどのグループに武器を供与するか決定しているということが報じられたのである。
さらに、2012年8月には、米国とその西側のパートナー達が、反政府勢力に人道支援、非致死性の装置、諜報、訓練、地政学的支援などの支援を行ってきたが、その支援のレベルが変化したことも報じられた。具体的には、オバマ大統領が、CIAによる秘密工作を承認し、反体制派を密かに支援することを可能にする文書に署名したというのだ。武器の供与などが含まれていないとはいえ、同署名内容からは、アサド政権の打倒に向けて米国政府が積極的に動いていることが明らかになった。米国の目的は、親米的かつ民主的に選択されたシリア政府を構築することと、シリアの軍や治安部隊を掌握することにより、シリアの兵器、とりわけ化学兵器のヒズブッラーなど過激派への流出を封じ込め、主に米国を狙った世界におけるテロを未然に防止するということであるが、加えて、イランとロシアの中東への影響力ないし地域覇権を阻止する思惑も強く持っている(*11)。
(*11)Robert Maginnis, “Syrian conflict a proxy war to reshape the Middle East,” Human Events, 7 August2012(http://www.humanevents.com/2012/08/07/syrian-conflict-a-proxy-war-to-reshape-the-middle-east/).
なお、米国による批判に対し、ロシアのラヴロフ外相が発言した内容については、二通りの報道がある。一つは、ロシアのシリアに対する武器供与は(米国から再三批判を受けているが)国際法に反していない一方、米国のシリア反体制派に対する武器供与はシリア政府を脅かすものだとして米国を激しく批判する発言である。もう一つは、ロシアは決してシリアにもその他の地域でも、米国と違って、平和的住民に向けて使用される武器は一切供与していない、という発言だ。ロシアの立場はともあれ、シリア反体制派に武器を供与する米国に対し、ロシア側は激しい批判をし続けているわけだが、これらのロシアの批判を米国サイドは一蹴し、反体制派への武器供与は行っていないという主張を繰り返している(*12)。
(*12)“Russia, US trade barbs over sending arms to Syria,” ABC News, 14 June 2012(http://www.abc.net.au/news/2012-06-14/russia-hits-back-over-syria/4069534).
2012年10月24日には、ロシアのニコライ・マカロフ将軍が、シリア反体制派が、米国製のスティンガー(ないし、MANPAD)ミサイルをはじめとした地対空ミサイルシステムなど、米国製を含む外国製の兵器を多数所持していることを明らかにし、その出所の明確化と取り締まりの必要性を主張した(*13)。これに対し、米国務省サイドは、米国はそのような武器供与を一切行っておらず、米国がシリアで目撃しているMANPADは全てソ連製だとしてマカロフ将軍の発言内容を否定した。
(*13)“Russia: Syria rebels have US-made weapons,” BBC, 24 October 2012(http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-20055271).
だが、ロシア外務省も翌10月25日に、米国務省は米国がシリア反体制派に対する軍事支援を行っていないと名言しているにもかかわらず、実際は反体制派への武器輸送の「調整」や「ロジスティックな支援」までも行っているとしてワシントンを批判した(*14)。
(*14)“Russia: U.S. Coordinates Weapon Deliveries to Syria Rebels,” Agence France-Presse, 25 October2012(http://www.defensenews.com/article/20121025/DEFREG02/310250006/Russia-U-S-Coordinates-Weapon-Deliveries-Syria-Rebels).
さらにロシアにとって不愉快な展開は、シリア情勢の悪化を受け、トルコが北大西洋条約機構(NATO)にミサイル防衛(MD)システムの配備を要請し、NATOが対シリア国境近くのトルコ領に地対空ミサイルシステム「パトリオット」の配備を決定したことである(*15)。
(*15)2013 年に入ってから、NATO 加盟国である米国、ドイツ、オランダにより設置が開始された。ドイツはパトリオットミサイル2台とトルコ・シリア国境周辺に350 人の兵を派遣し、米国は同ミサイルのバッテリー2台と兵士400 名、オランダはバッテリー2 台を供与した。2013年1月末までに6台のバッテリーが配備される予定[“Germany Begins Deployment Of Patriot Missiles To Turkey”, RT, 9 January 2013 (http://www.eurasiareview.com/09012013-germany-begins-deployment-of-patriot-missiles-to-turkey/)]。
ロシアはこれまで欧米諸国のMDシステムでロシアが包囲されることに激しく反発してきた。MD問題は米露間の難問の一つで、MD網を拡大したい欧米と、それを阻止するか、そのシステムに自国も平等の権利で交えて欲しいロシアの意見対立が収束に向かう様子は見られなかった(*16)。
(*16)(*1)で掲載した拙著、拙稿の多くに本問題についても触れてある。
そのため、シリア情勢を「名目」にMD網を拡大しているとして、ロシアは激しく反発している。
結果、ロシアとトルコの関係も緊張するに至った。
この様相は、まさに冷戦期の代理戦争である。特に、1980年代に米国がアフガニスタンのムジャーヒディーンに武器供与を決定した時から、アフガニスタン内戦が泥沼化していった過去の残像がよみがえる。
加えて、現在の代理戦争には、エネルギー戦略上の代理戦争の要素もある。ロシアはかねてよりエネルギー覇権国を目指してきたが、その上で、中東が混乱している状況は、エネルギー価格の上昇や安定エネルギー供給源としてのロシアの石油や天然ガスの重要性向上の面で、ロシアにとっては都合が良い。加えて、シリア情勢の混乱は、ロシアが建設を阻んできた「ロシアを迂回するエネルギールート」のプロジェクトの阻害要素にもなり、政治的・戦略的含意も大きいのだ(*17)。
(*17)Marin Katusa, “Syria: An Energy-Based Proxy War in the Making?,” Casey Daily Dispatch, 16October 2012 (http://www.caseyresearch.com/cdd/syria-energy-based-proxy-war-making).
以上述べてきたように、シリア情勢の泥沼化の背景には、米露関係も無関係ではないと考えられる。イランの問題を巡っても米露は対立しており、中東問題は米露関係において多くの緊張をはらんでいる。このようなシリア問題と切り離せない米露関係にも配慮していく必要がある。
ロシアの対シリア政策に変化?
そして、最近まで、シリア問題に対するロシアの姿勢は不変であるかのように見られていたが、2012年12月に入り、ロシアのサイドに明らかに変化の様子が見えてきた。
12月初旬には、ロシア外務省トップによる、シリア情勢の評価書が出されたが、それによると、ロシアは「アサド政権は政治的にも軍事的にも敗北しつつあり、もはや交渉による解決は不可能だとみている」ことが明らかになった。特に、シリア政府側がスカッドミサイルやサリンなどの神経ガスを用いたとされる報道は、ロシアにとっても打撃となったようだ。
そして、12月13日に、ロシアのミハイル・ボグダノフ外務次官は、シリア情勢について「(政権側が)シリア国内の広い範囲でますます支配を失いつつある」とした上で、反体制派の勝利の可能性を排除しない旨の発言を行った。翌14日にはその発言内容は撤回されたものの、それこそが「ロシアの本音」だと見る向きは少なくなかった。加えて、米政府もロシア政府が「ようやく現実に目覚めた」として、その発言を歓迎すると共に、ロシアが米国などと組んでシリアの民主化に共闘していく可能性が出てきたという見解も示した(*18)。
(*18)Ellen Barry and Steven Erlanger, “Russia Offers a Dark View of Assad’s Chances for Survival,” NewYork Times, 13 December 2012(http://www.nytimes.com/2012/12/14/world/middleeast/russian-envoy-says-syrian-leader-is-losing-control.html?pagewanted=1&_r=0).
加えて、12 月18日には、ロシアの戦艦がシリア在住のロシア市民の避難幇助を可能とするために地中海に送られたと報じられた。この動きからはロシアの焦りが見て取れる。
さらに、20日にはプーチン大統領が、シリアは変化を必要としており、自分はシリアの大統領を保護しないと発言した。プーチンは同時に、アサド外しはシリアをさらなる暴力の渦に追いやることになると欧米諸国に対する警告も忘れなかったものの、ロシアがシリアから距離を置き始めたことは明らかとなった(*19)。
(*19)Rajeev Agarwal, “The Signs of Change in Syria: Share on twitter Share on facebook Share on print MoreSharing Services,” IDSA Comment, 24 December 2012(http://www.idsa.in/idsacomments/TheSignsofChangeinSyria_RajeevAgarwal_241212).
12月28日には、ロシアのラヴロフ外相が、在エジプト・ロシア大使館を介してシリア国民連合の指導部とすでに接触していること、ロシアはシリア国民連合の指導者のアフメド・モアズ・アル=ハティーブ議長と会談をする準備があることを発表した。ただし、ラヴロフは、接触しているとは言え、ロシアは国民連合を公認しておらず、彼らがアサド政権打倒を目指していることを遺憾だとしつつ、国民連合を公認した欧米を批判した。また、ラヴロフは、アサド大統領に対しても、国民連合と対話することを呼びかけた(*20)。そして、同日、ボグダノフ外務次官も反体制派に招待状を送ったことを公にした。これは、ロシアがこれまで密接な関係を維持してきたアサド政権に見切りをつけつつあり、「アサド後」の準備を始めた証左であろう。なお、ハティーブ議長は中立国での会談を希望しているとのことで、ラヴロフはサウジアラビアや、シリアのアサド政権に近いイランを調停に参加させるべきだと述べている。
(*20)“Russia agrees to talk to Syrian opposition, urges Assad to do the same,” Albawaba News, 28December 2012 (http://www.albawaba.com/news/russia-assad-syria-459828).
そして、ロシアは少なくとも2012 年末の段階では、シリア問題の平和的解決の路線を維持している。その象徴的な出来事が、年末に行われたロシアの首都モスクワでのシリア問題を巡る和平会談である。
まず、ロシアのラヴロフ外相は12 月27 日に、モスクワを訪問したシリアのファイサル・アル=ミクダード副外務大臣と会談を行い、「対話と政治プロセス」以外の選択肢がないことを強調したうえで、解決のチャンスは「減りつつある」と述べたという。つまり、武力による解決を諦め、退陣も視野に入れた現実的な対応を要請したことになる。ロシアはアサドがかなり劣勢であることを理解しており、自分達のそのような思いをアサド政権側にも伝えたといえる。実際、ロシアはアサド政権と心中するつもりはなく、そろそろ限界が近づきつつあるという認識を持ち始めていると、国連なども理解しているようだ。そして、そのような国連サイドの理解が、後述のラフダール・イブラーヒーミー国連・アラブ連盟合同特別代表がロシアへのアプローチを活発化させる背景にあると言って良い。同代表は、米国とロシア主導による調停案が2012 年12 月末段階で存在しないものの、危機打開には両国の協力が必要だと強調していた。
そして、イブラーヒーミー代表はモスクワを訪問し、12 月29 日にはロシアのラヴロフ外相と会談を行った。これに先立ち、同代表は5 日間シリアのダマスカスに滞在して、アサド大統領らと会談し、内戦終結のための平和的改革を求めていたが、その成果を踏まえつつのモスクワ訪問であった。これらは同代表の調停外交の一環であるが、ロシアはシリア問題で鍵を握る重要なアクターであり、ロシアとの共闘は不可欠だとするという氏の考えによって行われた。同代表が描いているシナリオは、アサド大統領退陣を念頭に置いたシリア各派による移行政府の樹立である。なお、同代表は、彼が進めてきた和平プロセスにおいて、シリアを巡るいかなるプロジェクトでも米露間の政治的取引はなかったことを明言している。
会談では、「アサド抜き」の政治的解決の可能性を協議すると報じられていたが、実際の成果はなかったようである。会談後の共同記者会見では、シリア問題の政治的解決の可能性が残されているという見解では一致していることが明らかにされた。イブラーヒーミー代表は特に、シリアには安定した政治プロセスが必要であり、さもなければ、ソマリア化するとして、交渉の必要性を強く説くと共に、内戦終結のための調停作業を継続していく重要性を強調した。
また、ラヴロフ外相は、事態は行き詰まっており、状況は悪化の一途を辿っているとした上で、シリアの反体制派がアサド退陣を交渉の条件としている点については、間違いであり、非生産的だと批判し、アサド大統領サイドとの交渉のテーブルに着くよう反対派を改めて説得する発言を行った。ラヴロフは、シリア国内での暴力停止と紛争当事者間の対話に基づく政治的プロセスの開始こそがロシアが望んでいる展開だとした上で、停戦の折には国連派遣団を派遣して平和の維持を国際社会が見守る必要性についても併せて強調した。
加えて、ラヴロフは「ジュネーヴ合意」が紛争終結につながる政治的プロセスの唯一の基礎であることを再度強調し、「サウジアラビアやイランなど、いわゆるジュネーヴ・グループの最重要国」の同合意への参与も提案した。
一方、イブラーヒーミー代表もアサド退陣に固執しているわけではなく、「政権交代が必ずしもシリアの危機を解決することになるとは思わない」とも発言し、アサド大統領の即退陣を求めている反体制派が歩み寄る必要性についても触れた。反体制派はアサドの出国が保証されなければ政権との対話には応じないという強硬路線は崩していないが、イブラーヒーミー代表もロシア側も、反体制派のそのような姿勢には苦言を呈している。
つまり、平和的な解決を望むという点では両者は一致しており、イブラーヒーミー代表もアサド退陣のみを追求しているわけではないのだが、ロシアはやはりアサド退陣を容認することは現状では出来ず、まずはシリア国内の対話を求めているということが明らかになった。
だが、ロシアのボグダノフ外務次官は、シリア問題を協議するため、同次官、イブラーヒーミー代表、そして米国のウィリアム・バーンズ国務省副長官による三者会合が再度予定されているとも発言しており(同じメンバーによる密室会談が2012 年12 月初旬にもジュネーヴで行われた)、ロシアがシリアに対する政策を見直しつつあることもまた事実だろう。
結びに代えて――シリアがアフガニスタンの轍を踏まないように
これまで述べてきたように、シリアの内戦は、米露間の代理戦争の様相も深まる中で泥沼化している。米国はロシアの通常兵器をシリアに全て出し尽くさせ、米露関係の基盤を有利にしたいと考えているという説さえある中、米露間の政治対立は厳しくなる一方だ。
他方、ロシアはアサド政権サイドに武器供与をしつつも、政治的解決を終始一貫して主張するという矛盾した姿勢を貫いている。米国などが主張してきたシリアへの軍事介入を回避し、仮に、政治的解決を目指すとしても、その際には、ロシアと欧米諸国の対シリア政策に、「アサド退陣」を前提とするか否かで隔たりが依然としてあることが最大の障害となっている。
現状は、関係国の利害対立や意見対立など矛盾に満ちており、解決は極めて困難に見える。
とはいえ、前述のように、ロシアがアサド政権に見切りをつけはじめたのもまた事実であろう。ロシアとしては、ロシアが働きかける形で、シリアの政権と反対派が交渉を通じて政治的解決を進めた上で、親露政権が生まれるのが大国としてのメンツを保つ上でもベストだが、アサド派劣勢の状況に鑑み、もはや反対派の勝利でも、最後に親露政権が樹立されれば御の字という姿勢に転換しつつある。つまり、トップが誰でも、シリアに親露政権が存在し続け、シリアをロシアの中東の拠点として維持できれば、どうでも良いと考えているようにも見える。
シリア紛争の背後には、シリアを食い物にする大国間の国際政治がある。シリア国民の利益より、大国がそれぞれ自国の利益を追求することに最大のプライオリティをおいた形での和平プロセスにはシリア国民も同調できないだろう。現在のシリアのイメージはどうしても、冷戦末期のアフガニスタンと被ってしまう。今でも続くアフガニスタンの混乱を見るにつけ、シリア情勢には本当に深い懸念を抱いている。シリアがアフガニスタンの轍を踏まないように、そのことこそが世界の平和になり、ひいては大国にとっても利益になることを大国はそろそろ気づくべきだ。そして、より現実的かつ効果的な政策が構築されるべきだろう。
2013 年になっても、アサドの強硬姿勢は強まる一方であり、平和的解決への展望は暗くなる一方だ。だが、アサド政権に限界を感じつつあるロシアの対シリア政策は、明らかに変化しつつある。そうなれば今後、アサドの基盤は益々崩れていくだろうし、姿勢の転換を迫られるかもしれない。国際社会はシリア国民の利益を最優先に平和的解決のために協力してゆくべきだ。
(2013 年1 月10 日脱稿)
サムネイル「Syria independence flag flies over a large pathering of protesters in Idlib.」Freedom House
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。