2013.10.10
アラブの怪談――ランプの魔人「ジーニー」とは何者か?
幽霊と妖怪
日本で怪談といえば、多くの場合いわゆる幽霊が主人公ということになるであろうが、アラブ世界については、そもそも幽霊に関する報告自体が少ない。しかも、18、19世紀に同地を旅したヨーロッパ人の旅行記や探検記のなかの数少ない記述を見ると、「幽霊(ghost)は知られていない」とか「ふつうの幽霊の概念は存在しない」といったことが書かれていたりする。
ここで「幽霊」という日本語を使ったが、この「幽霊」をどう定義するかはそう簡単ではない。ことにその類似の概念である「妖怪」、「化け物」、「オバケ」等とどこでどのように区別するかは、日本でも柳田國男以来議論されてきた大きな問題である。その柳田は、「幽霊」とその他の「化け物」とを、主に出現する場所と時間によって区別した(『妖怪談義』、1956年刊)。それによると、前者は出現する場所が決まっておらず、これに狙われたらいくら遠くに逃げても追いかけられるが、後者は出現する場所が決まっているので、そこを避ければ一生出くわさずにすむこともある。また、前者が真夜中など出現する時刻がほぼ一定しているのに対して、後者の場合は、出現する時刻が一定せず、なかには白昼でも四辺を暗くして出てくるものもあるという。
この柳田の定義に対してはさまざまな批判があり、なかには、幽霊を妖怪の一種と考える研究者もある。幽霊とその他の妖怪などとの区別をどうするかの議論の決着を、この小稿でつけるのはとうてい不可能なので、そういう議論があるということを記すにとどめるが、私自身は幽霊と妖怪の類を区別して考えている。たとえば、「妖怪」といわれたときに、一般の日本人が即座に思い浮かべるものには、おそらく個人差があろう。なかには河童を思い浮かべる人もいるだろうし、また、なかには一つ目小僧や天狗を思い浮かべる人もいるだろう。今の子どもなら、ゲゲゲの鬼太郎やねずみ男を思い浮かべるかもしれない。だが、「妖怪」といわれて幽霊を思い浮かべる人が、はたして何人いるであろうか。
阿部正路は、すべての幽霊の共通点として、「一度死んだものである」ということと、「どこまでも人間である」ということの2つをあげており(『日本の幽霊たち<怨念の系譜>』、1972年刊)、諏訪春雄は「幽霊は人が人の形状をそなえて出現するものであり、死者のおもむく他界に居住し、祖霊信仰が生み出したという三点で妖怪とは区別される」と述べている(『日本の幽霊』、1988年刊)。彼らの指摘にもあるように、「幽霊」といわれたときに、日本人が即座に思い浮かべる一般的なイメージというのは、「一度死んだ人間が、生前の姿のまま目に見える形で生者のところに現われた場合の、その現われたもの」というようなもので、ほぼ固定していると思われる。
アラブ世界の幽霊
私が1980年代後半に約2年間住み込み調査を行なったヨルダン北部の村クフル・ユーバーにも、何らかの理由で死者が生者の前に現われる、と考える人たちはいた。多くの場合、死者は夢のなかに現われるのだが、村人のなかには、死者が夢のなかではなく、ときとして直接生者の前に現われると信じている人もいる。また、自分自身で見たことはなくても、そういう類の話を聞いたことがあるという人たちもおり、そのなかの一人によると、自分が殺した者が恐ろしい姿で現われたため、それに恐れをなした男が殺人を自白したのだという。殺された者が幽霊となって殺した者のところに現われるというのは、日本の怪談でもよくある話だ。
このような殺人による死のほか、焼死や溺死など、いわゆる非業の死を遂げた者の幽霊に関しては、サイイド・ウワイスというエジプトの社会学者が行なった、エジプト人の幽霊信仰に関する実態調査(『現代エジプト人の生活における永遠性』(アラビア語)、1973年刊)が興味深い。彼は、1961年から1962年にかけて、カイロおよびその近郊に住む研究者や大学生など比較的教育水準の高い人たちを対象に、非業の死を遂げた者の幽霊に関する調査を実施した。すると、調査対象となった529人中、110人がその存在を信じると答え(約20.8パーセント)、さらにその110人のうちの27人が、実際にそのような幽霊を見たことがあると答えている(全体の約5.1パーセント)。さらに、こういう幽霊を見たという話を、友人や知人から聞いたことがあると答えた者は、この529人のうち379人にのぼったという(約71.6パーセント)。この調査の結果を見ただけでも、エジプト社会にいかに幽霊話が多いかがわかるであろう。
ウワイスの著書で使われた、日本語の「幽霊」に当たるアラビア語(文章で用いられる標準アラビア語)はシャバフ(複数形はアシュバーフ)であるが、一般のエジプト人のあいだでは、非業の死を遂げた者の幽霊に対して用いられるアラビア語(エジプト方言のアラビア語)は、ふつうアフリートである。この点については、私もカイロ留学時代(1970年代後半)に聞いたし、ほかにも19世紀以来多くの報告がある。
たとえば、イギリスの東洋学者E・W・レインは、カイロに住んでいたときに、彼が雇っていたエジプト人コックが見たというトルコ人兵士のアフリートに言及しているし(An Account of the Manners and Customs of the Modern Egyptians、1836年刊)、イギリスの言語学者A・H・セイスの「カイロの民間伝承(Cairene Folklore)」(1900年)には、ギーザのピラミッドから転落死したイギリス人兵士のアフリートの話のほか、機械にはさまれて死んだ男のアフリートの話や木から落ちて死んだ男のアフリートの話が記されている。イギリスの女性人類学者W・S・ブラックマンは、上エジプトの農村に関する事例をいくつかあげているが(The Fellahin of Upper Egypt、1927年刊)、そのうちの一つに次のようなものがある。これは、彼女が訪れた村の近くで起こった出来事であるという。
「ある日、一人の女が学校に行っている孫にパンと卵をもって行こうと、自分の村からほど遠くない別の村に向かって一人で歩いていた。彼女が、かつて殺人事件が起こった場所を通りがかると、いかにも病気と思われる一人の男に出会った。その男は、『お父さん、お父さん』といって泣いていたので、彼女は近づいて手をとり、元気づけて、一緒に少し歩いたところ、男は突然消えた。彼女は怖くなって泣き出したが、たまたま同じ村へ行く途中の男がそこを通りがかり、彼女に何が起こったのか尋ねた。彼女が事情を話すと、その男は、自分もここでその幽霊(ghost)に出合ったことがあるが、大丈夫だから心配しないようにといった。この不可思議な幻影は、殺された男の幽霊、すなわちアフリートである、と一般には考えられている」
私自身、カイロ留学中に、エジプト人の友人から、彼の母方の叔母の家に出るアフリートの話を聞いた。それによると、彼女が住んでいる家では昔一人の男が殺されたそうで、出没するのはその男のアフリートだという。彼女自身実際にそのアフリートを見たが、人間の姿をしていたという。
クフル・ユーバーでも、生者の前に現われた死者のことをアフリートや、次で述べるジンと呼ぶことがあるという。そのほかにも、レヴァント地方では死者の幽霊をさしてアフリートと、モロッコでは同じく幽霊をさしてジンと呼ぶところがある、と報告されている(D.B. Macdonald The Religious Attitude and Life in Islam(1909年刊)、E.A. Westermarck Ritual and Belief in Morocco(1926年刊))。
アフリートとジン
アフリートは口語的な発音であり、標準アラビア語ではイフリートと発音される。イスラームの聖典クルアーン(コーラン)にも1個所だけ記述が見られ(第27章39節)、そこには、「ジンのなかのイフリート」とあり、イフリートがジンの一種であることが記されている。ジンはアラブ世界の妖怪の代表的な存在で、クルアーンにも、「ジンの章(第72章)」をはじめ、あちこちに記述がある。
私の大学の卒業論文は、「アラブのジン信仰に関する一考察」という題だった。その第1章で私は、ジンという言葉は標準アラビア語では複数形だが口語では単数形として用いられることがあると述べ、モロッコの例をあげた。この点クフル・ユーバーでも同様で、標準アラビア語でジンの単数形であるジンニー(英語のgenie、すなわちディズニーの「アラジン」に登場するジーニーの語源)はあまり用いられず、ジンを単数形のように使うことが多い。
このジンの存在を信じる者が、クフル・ユーバーには少なくなかった。これはおそらく、ジンがこの世に存在することがクルアーンに明記されているからであろう。クルアーンに書かれていることは、神アッラーの言葉であり、ムスリム(イスラーム教徒)にとっては疑いを差しはさむ余地のない真理とされているのだ。そのせいか、ジンにまつわる話もいろいろと耳に入ってきた。そのなかでもっとも興味深かったのは、『アル・ハキーカ』という週刊紙(ハキーカは「真実」の意)に載った、「クフル・ユーバーのT字路でジン踊りをしているのは誰か」という記事(1987年5月26日付)である。
これは、クフル・ユーバーの隣村に住む男が、村境であるこの村のT字路で、ジンが踊っているとしか考えられないような物音を聞いたという内容である。この男が迷信など信じる類の人間ではなかったということから、新聞記事にまでなってしまったらしい。
私はいうまでもなく、この記事についてクフル・ユーバーの人たちに意見をきいた。返ってきた反応は、予想していたように3通りあった。一つは記事の内容はでたらめだろうというもの、もう一つは本当だろうというもの、そして三つ目はどちらとも判断しかねるというものである。
“でたらめ派”の人たちは、「ジンは確かに存在するが、人間には姿も見ることもできなければ、声を聞くこともできない」という。それに対して、“本当派”の人たちの意見は、「すべての人間がジンの姿を見たり、その声を聞いたりできるわけではないが、そういうことのできる者もいる」というものであった。
恐れられるジン
クルアーンによると、ジンにはイスラームに帰依した良い者とそうでない悪い者とがいる(第72章)。だが、クフル・ユーバーの人たちの多くは、ジンはみな悪い者だといって恐れているのが現実だ。このことを知ったとき、カイロ留学時代にエジプト人の友人が、「私がギンという言葉を口にしただけで、家族の者はみな怖がるでしょう」といっていたのを思い出した(カイロではJ音がG音になるので、ジンは「ギン」と発音される)。アラブ人のジンに対する恐怖について、アメリカのアラブ系人類学者S・ハマディは、「ジンは本質的に有害である。たちが悪く、執念深く、人に害を及ぼす。不幸や病気を引き起こしたり、人が何かで失敗するようにしむけたりするのである。そのため、人々はたいへんジンを恐れているが、とくに女性はそのほとんどがジンの存在に対してつねに恐怖を抱いており、ジンをなだめることに心を砕いている」と述べている(Temperament and Character of the Arabs、1960年刊)。
ジンが恐れられる大きな理由としては、この妖怪がどういうものか人々がよくわかっていないということがあげられよう。だが、彼らがわからないのも無理はない。クルアーンには「ジンは火から創造された」とあるだけで(第15章第27節、第55章第15節)、ジンがどういうものか、たとえばその生活とか本来の姿とかについては何も書かれていないのである。
それだけに、人々はいろいろと想像をめぐらすのであろう。人間や動物に姿を変えるというような超能力があると考えられているうえに、正体がよくわからないのだから、不安に感じて悪いほうに想像したとしてもやむをえまい。『アラビアンナイト』に出てくるジンの類もやはり人間や動物に姿を変えるとされているが、本来の姿については人間とも動物ともつかないグロテスクな妖怪として描かれるのが常である。ディズニーのジーニーはコミカルだが、水色の肌の色など容姿からして明らかに人間とは異なる妖怪の類として描かれているし、『アル・ハキーカ』の記事の挿絵のジンも、やはりコミカルなのだが見てすぐに妖怪だとわかる。
この挿絵を眺めていたとき、私は村人にジンの絵を描いてもらうことを考えついた。彼らのジン像を知るには、良い方法ではないかと思ったのである。ところが、誰の口からも「ジンがどういう姿をしているか知らないので、絵は描けない」という言葉が返ってきた。そこで代わりに、日本やヨーロッパの幽霊や妖怪の画集を使って、幽霊などに関するイメージ調査を行なってみた。そうしたところ、ジンの本来の姿に関するイメージが曖昧で、日本の幽霊のイメージほど固定したジン像が存在しないことが明らかになる。
村人がジンについて曖昧なイメージしかもたないのは、偶像崇拝を禁ずるイスラーム世界で、絵画の類があまり発達しなかったことと無関係ではなかろう。つまり、日本人の幽霊像をつくりあげてきた日本の幽霊画に相当する“ジン画”のようなものは発達しなかったわけだ。
だが、このようなジンの曖昧さは容姿にかぎったことではない。そもそもジンの存在自体がひじょうに曖昧である。
一般にムスリムは、アッラーによって理知を備えた生物が3種創造された、と考えている。一つは泥から創造された人間、もう一つは光から創造された天使、そして最後が火から創造されたジンである。一種の超能力を備えているとされる点で、ジンは天使と人間の中間に位置するといえるかもしれない。しかし、アッラーに仕える天使のような崇高な存在ではもちろんない。能力的には人間よりも劣るようだ。クルアーンには知恵くらべで人間に破れたイフリートの話が出ているし(第27章第39~40節)、『アラビアンナイト』にも人間の機略の前に屈したイフリートの話が載っている。
ジン化現象
人々にとっては恐怖の的でしかないジンだが、この妖怪がイスラームの普及に果たした役割は小さくないと思われる。つまり、イスラームの到来以前に信じられていた異端の神々や精霊の類が、ジンという妖怪に姿を変えてこの宗教のなかに取り込まれていったと考えられるのである。これを私は「ジン化現象(jinnization)」と呼んでいる。
長いあいだ信じられてきた信仰というのは、そう簡単に駆逐できるものではない。それよりもそういったものを内部に取り込んでゆくほうが、新宗教の布教にはむしろ都合がよいはずだ。実際にもイスラームは、古い信仰をすべて駆逐するのではなく、一部を内部に取り込みながら信者を獲得していった。その取り込みの典型的な例が、ジン化現象である。
ジン化の際、ジンの性格の曖昧さや容姿の不確実さが、有利に働いたことはいうまでもない。世界各地のムスリム社会からジン化の具体的な事例がいろいろと報告されているが、そのなかのジンの性格が千差万別なのは、ジン化以前の神々や精霊の性格を、それらが程度の差はあれ受け継いでいるからであろう。アラブ世界に見られる、幽霊と妖怪の混淆とでもいうべき現象も、ジン化と少なからず関係があると私は考えている。
外交官で、1945年1月の阿波丸事件で遭難死した笠間杲雄は、「かくの如く怪奇を極めた神祕的存在が多數にあるが、アラビアの童話や寓話には、死人の怨靈が出たり、幽靈や人魂といふものに會ふ(あう)ことは殆ど絶對(ぜったい)にない。これはイスラムの信仰がイスラム以前の幽靈思想を滅ぼしたものであらうか。…(中略)…此の點(てん)は不思議といへば不思議である。スメリアやバビロンの文學には幽靈が盛んに出て來るのみならず、之を宥める方策なども考へられてゐる」と述べているが(「イスラム傳説に於ける妖怪變化について(読み仮名は筆者が挿入)」、1941年)、むしろこの点については、イスラームの到来によって、他の妖怪などとともに幽霊までがジン化されてしまったのだと私は考える。つまり、幽霊もアフリートやジンなどと呼ばれるようになったわけで、イスラームは幽霊信仰を、「滅ぼした」のではなく、「ジンと総称される妖怪に対する信仰に習合させた」と思われるのである。
最初に18、19世紀にアラブ世界を旅したヨーロッパ人の旅行記や探検記のなかの幽霊に関する記述に言及したが、これらの記述もイスラームが幽霊をジン化したことを示唆しているのではないだろうか。
サムネイル「Aladdin’s Magic Lamp」becosky…
プロフィール
清水芳見
1956年新潟県生まれ。東京外国語大学アラビア語学科卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻博士課程修了。博士(社会人類学)。ヨルダン・ハーシム王国ヤルムーク大学客員研究員、東京都立大学人文学部助手、ブルネイ王国大学客員研究員などをへて、現在中央大学総合政策学部教授。専門は、社会人類学、ムスリム社会研究。著書(単著)に、『アラブ・ムスリムの日常生活 ヨルダン村落滞在記』(講談社)、『イスラームを知ろう』(岩波書店)などがある。