2014.12.13
最高裁判事の国民審査では何を判断すべきなのか?
衆議院議員選挙と同時に、最高裁判所の国民審査が行われます。
「最高裁判所の国民審査」といわれても、なんだか難しくてつまらなそうです。この原稿も、タイトルだけでやめてしまう方も多いのではないかと危惧しております。この行までたどり着いていただいたことをうれしく思います。
ということで、最高裁判所の国民審査についてお話しましょう。
なぜ国民審査なのか?
日本国憲法には、次のような規定があります。
【日本国憲法第79条2項】
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
つまり、国民の意思によって、最高裁判所判事がやめさせられる可能性がある、ということです。日本国内では、任命された公務員を国民投票や住民投票で解職する制度はほとんどありません。他に解職制度があるのは、住民によって直接選挙で選ばれる知事や首長だけです。また諸外国を見渡しても、裁判官を国民が審査する制度は珍しく、アメリカ・ミズーリ州の憲法※を参考にしながら作られた制度だと言われています。
※アメリカには、各州に「州憲法」や「州最高裁判所」があり、それぞれの州が、独自の司法システムを持っています。
最高裁の裁判官は、司法の最終判断を担当します。市民の間の紛争はもちろん、市民と国家の間の紛争についても、公正・公平に判断することが司法には求められます。国家の権力が、不当に国民の権利を侵害した場合には、裁判の場で、そのようなことをしてはいけない、と宣言するのが司法権をつかさどる裁判所です。司法権は国民の権利を護るための最後のよりどころですから、裁判所が公平・公正な判断を行っているか、見張っておく必要があるでしょう。
さて、国民が権力を監視するには、幾つかの方法がありますが、まず、権力に関する情報を公開することが必要です。立法を担当する国会は公開の討議が原則ですし、行政機関のレベルでも情報公開法があります。憲法は、民事・刑事の裁判も「公開」(37条1項、82条)するよう求めています。
次に、国民が、公務員の選定に関与できなくてはいけません。国会議員は選挙されますし、行政の中心を担う内閣総理大臣は、国会で選挙されます。では、なぜ憲法は、最高裁の裁判官を選挙するようにしなかったのでしょうか。
ここには、司法の独立という理念が関係しています。
例えばもし、「こいつは、〇×党員だから」という理由で、やってもいない無実の犯罪を認定されてしまったら、あるいは、明らかな憲法違反の拷問を、「時の政権が望んでいるから」との理由で、「合憲だ」といってしまったら、国民の自由は失われてしまいます。
ですから、裁判官は、「法」と良心のみに従い、それ以外の政治的圧力や経済的利害関係や宗教などから「独立」して、司法を運営しなければなりません。選挙は、司法を政治の中に巻き込んでしまうもので、裁判官の選び方としては、あまりよい方法ではないと考えられています。
また、裁判官の能力は、ある程度の法律知識や法曹の世界を知らないと測定できないので、選挙しろと言われても、多くの国民は困ってしまうでしょう。
そこで憲法は、専門知識を持った人に裁判官の選定をゆだねる一方、国民には、その選抜過程に問題がないかチェックしてもらう方式を考えたのです。
したがって、国民審査では、「どの裁判官にやってほしいか」を考えるのではなく、「その裁判官の選ばれ方に問題がないか」、「選ばれた後の裁判官の仕事に問題はないか」、ということを中心に判断をすることになります。
そもそも最高裁判事はどうやって選ばれるのか?
では、そもそも、最高裁判事はどうやって選ばれるのでしょうか。憲法は、内閣が最高裁判事を選ぶと決めています(6条2項、79条2項)。これだけを聞くと、時の内閣が自分に都合のよい人物を選んでいそうな印象を受けますが、実態は、それほど単純ではありません。
現在、最高裁判事の定員は長官含めて15名。この15名には「枠」があると言われていて、裁判官出身が6、弁護士が4、行政官僚が2、検察官が2、法学者が1と言われています。
例えば、現在の寺田逸郎長官は、東大法学部卒業後、判事任官。法務省勤務などを経て、東京高裁判事、広島高裁長官などを歴任し、平成22年に最高裁入り。平成26年4月1日から現職で、いわゆる「裁判官枠」の1人です。その他の裁判官は、以下のようになります。
【現職の最高裁判事一覧】
千葉判事から大貫判事までの7名が民主党内閣、鬼丸かおる判事から池上政幸判事までの5名が自民党内閣によって任命されています。一覧表にしてみると、6:4:2:2:1の割合は維持されており、民主党内閣と自民党内閣の指名に、大きな傾向の違いはありません。
なぜ、でしょうか。
内閣が、最高裁の意向を尊重する慣行があるからです。最高裁は、「判事枠」・「学者枠」は自ら選び、「検察官枠」・「行政官枠」は検察庁や法務省・内閣法制局・外務省などの意向を尊重して人選します。また、「弁護士枠」は日本弁護士連合会の推薦で人選します。最高裁は、それらを取りまとめて内閣と懇談し、人選が行われるわけです。
もちろん、時の内閣が全く働かないというわけではなく、例えば、「法学者」枠の岡部喜代子判事の任命には、鳩山由紀夫首相の女性に活躍してほしいという意向が働いたと言われています。
実際、岡部判事の学問的業績は、これまでの「法学者」枠の判事、藤田宙靖先生や奥田昌道先生に比べると見劣りすると評価する法律家は多いと思いますし、判事の経験が長く、どちらかというと「判事枠」の人選ではないかと評価する人もいます。
また、山本庸幸判事の前職は、内閣法制局長官です。内閣法制局から最高裁判事に任命される例は、これまでも多数ありましたが、安倍首相の強引な長官人事と絡んでの任命だったので、注目を浴びました。
こうした人選は密室で行われ、内部でどのような議論があったのかは、ほとんどわかりません。公正確保のためには、選考過程の透明化が必要だろうと指摘されています。
最高裁判事はどのように判決を書くか?
それでは、今回の審査対象になる裁判官は、どのような人たちなのでしょうか。
今回対象となる五名の裁判官は、いずれも安倍内閣によって任命されています。経歴は、それぞれ立派で、法律家が一見して「なぜ、この人をわざわざ?!」と思う人物は含まれていないといってよいでしょう。
とはいえ、その経歴だけで判断するのは、あまり気持ちの良いものではありません。それぞれの法律家としての個性を掘り下げてみたいところです。では、何を見ればよいのでしょうか。
現在、最高裁には、3つの「小法廷」があり、それぞれ5人の裁判官が所属しています。最高裁に上告された事件は、まず、この小法廷で取り扱われます。そして、憲法違反が疑われるとか、重要な判例変更が必要だといった重要性があるものだけが、「大法廷」に送られます。
「大法廷」は、15名全員が参加する法廷です。裁判所の判断は、裁判官の多数決で決まります。例えば、大法廷で「無期懲役」が10人、「死刑」が5人となった場合、判決は「無期懲役」になります。このとき多数派になった意見のことを「法廷意見」と言います。
ただし、裁判官は、それぞれ、自分の「個別意見」を述べることができます。意見には、次の三種類があります。
【最高裁判事の個別意見】
どのような法廷意見を支持したのか、また、どんな個別意見を書いたのか。ここを見ることで、裁判官の個性や法律家としての能力を評価することができます。
裁判官の個性が表現された個別意見の例を、一つご紹介しましょう。
1995年(平成7年)から1997年(平成9年)にかけて長官を務めた三好達さんという元裁判官がいます。三好さんは、東大法学部卒業後、裁判官になり、最高裁調査官や東京高裁長官などを歴任し、最高裁長官に任命されました。
そんな三好さんが、退官間際に、愛媛玉ぐし料事件を扱った訴訟で、反対意見を書きます。
愛媛玉ぐし料事件は、愛媛県知事が、靖国神社・愛媛県護国神社のお祭りに公金を支出した事件です。大法廷の法廷意見(最高裁大法廷判決平成9年4月2日民集51巻4号1673頁)は、15名中13名の支持を受け、違憲説が圧勝。神社のお祭りに公金を出しているわけですから、政教分離原則に反すると言われてもやむを得ません。
しかし、三好長官は、こう述べます。
【三好長官の反対意見】
戦没者に対する追悼、慰霊は、国民一般として、当然の行為であり、また、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としても、当然の礼儀であり、道義上からは義務ともいえるものであること、また、靖國神社や護國神社は、多くの国民から、日清戦争、日露戦争以来の我が国の戦没者の追悼、慰霊の中心的施設であり、戦没者の御霊のすべてを象徴する施設として意識されており、現実の問題として、そのような施設は、靖國神社や護國神社をおいてはほかに存在しない……。
要するに、靖国神社・護国神社は、「戦没者の追悼、慰霊の中心的施設」であり、そこで追悼・慰霊の意を表するのは「国民一般」の「義務」だ、という意見です。
靖国神社・護国神社については、様々な評価があるところですが、宗教団体であることを否定する人はいません。明らかな宗教団体に公金を支出するのが、「道義上からは義務」だから政教分離違反でないと断言する見解に、多くの法律家はあっけにとられたと伝えられます。
このような反対意見を見ると、最高裁判事については、経歴とは別に、どんな意見を書く人なのか、ということもチェックしておきたい、と思うところでしょう。
11月26日大法廷判決の個別意見
その点で、2014年(平成26年)11月26日の大法廷判決が参考になります。この判決は、記憶に新しい2013年(平成25年)夏の参議院選挙の有効性を扱ったものです。この選挙では、最大で4.77倍となる一票の格差が問題となります。
ここでは、今回審査の対象となる裁判官が、それぞれ個性を発揮しています。
【2014年(平成26年)11月26日判決における5名の裁判官の立場】
この判決の法廷意見は、4.77倍の格差は違憲状態ではあるものの、それを是正するための時間がなかったので、2013年の参院選は合憲だとしました。
「時間がなかった」という判断には、それなりに理由があります。実は、最高裁は、参議院の定数配分については、「都道府県」という枠を維持するために、ある程度の不均衡は生じて良いとしていました。
しかし、2012年(平成24年)10月17日の最高裁判決は、もはや都道府県という枠組みに拘ることは許されないとして、それまでの基準を大きく変えたのです。今回の判決の法廷意見は、国会が違憲状態を認識したのは、この2012年(平成24年)の最高裁判決が出た時点で、そこから今回の選挙まで9か月しかなかったのだから、立法のために十分な時間があったとは言えない、というわけです。
池上政幸裁判官(検察官枠)は、この法廷意見に参加し、個別意見は執筆していません。さっぱりとした態度と言えるでしょう。他方、山崎敏充裁判官(判事枠)は、法廷意見に参加しつつ、「次の選挙が是正の期限ですよ」と釘を刺す補足意見を書いています。
他方、鬼丸かおる裁判官(弁護士枠)と木内道祥裁判官(弁護士枠)の二人は、参議院では長年、5倍近い格差が続いてきていて、改正のための時間は十分あったとして、選挙は違憲だったと判断します。ただ、選挙自体は有効とし、違憲の宣言に止めるべきだとします。
これに対し、山本庸幸裁判官(行政官枠)は、一人一票は唯一絶対の基準なのだから、今回の選挙は違憲であり、違憲なのだから無効だと、最も強硬な意見を執筆しています。
山本裁判官に比べると、他の裁判官は穏健に見えるかもしれません。しかし、これまでの裁判官やその他の裁判官に比べると、安倍政権下で任命された裁判官は、総じて一票の格差に厳しい姿勢をとっていると言えます。
国民審査では、このような各裁判官の意見も参考にしていただければと思います。
サムネイル「Scales of Justice – Frankfurt Version」Michael Coghlan
プロフィール
木村草太
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。