2016.07.06
選挙に行くことがなぜ平和につながるのか――安全保障をめぐる争点
6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員選挙。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから最初の投票となります。シノドスでは「18歳からの選挙入門」と題して、今回初めて投票権を持つ高校生を対象に、経済、社会保障、教育、国際、労働など、さまざまな分野の専門家にポイントを解説していただく連載を始めます。本稿を参考に、改めて各党の公約・政策を検討いただければ幸いです。今回は、安全保障の視点から植木千可子さんにご寄稿をいただきました。(シノドス編集部)
岐路に立つ日本
日本は、いま、重要な岐路に立っている。平和憲法の下、限定的な武力行使に留めるのか。それとも、武力行使しやすくして、これまでよりも積極的に安全保障に関わっていくのか。選挙の結果によっては、憲法改正の手続きが始まる可能性がある。
日本の安全と平和、そして世界の安定と平和のために、どちらの道の方が良いのかを判断して投票する必要がある。選挙は、国民が政治に参加して、私たちの代表を選ぶ作業だ。選挙には、この日本の将来がかかっている。
安全保障から見ても歴史的な選挙
2016年7月10日投票の参議院選挙は、18歳以上が投票できる歴史的な選挙だ。今回の参院選挙で初めて投票するという人も多いだろう。20歳以上に選挙権が認められたのは1946年のこと。70年ぶりの変更だ。
安全保障・防衛政策の面でも、歴史的な選挙だ。今年3月に施行された新しい安全保障関連法は、戦後70年にわたって日本が封印してきた集団的自衛権を解禁した。
安全保障に関して、今度の選挙で問われていることは、大きく分けて3つある。
(1)集団的自衛権の解禁をこのまま認めるのかどうか。
(2)さらには、もう一歩進めて、憲法も改正して全面的な集団自衛権行使に踏み切るのか。
(3)あるいは、逆に集団的自衛権行使には、ノーを突きつけ、安保法の廃止を目指すのか。
安全保障に関連して、いま、どのような点が問題にされているのか、どのような意見の違いがあるか、について考えてみたい。そして、今後の日本、そして世界の将来のために考えなくてはならないことを紹介したいと思う。
3つの選択肢
それでは、まず3つの選択肢をもう少し詳しくみていこう。
(1)このまま集団的自衛権の解禁を認める
第1の選択肢は、現状の追認で安倍政権のこれまでの政策を支持することを意味する。投票するのは、与党である自民党・公明党の候補者ということになる。
ここで少し注意しなくてはならないのは、現状維持だと思って自民党・公明党に投票した場合でも、結果的に、憲法改正に必要な議席数を与えると、意に反して(2)の選択肢を選ぶことになるという点だ。実は、今回の参院選挙で安全保障に関して現状維持を掲げている政党はいないのだ。
さて、第1の選択肢に話を戻すと、この選択肢は「このままでいいよ」とお墨付きを与えるのだから、その前提として、今年3月から導入された新しい安全保障関連法案の内容を理解しておく必要がある。大きな変更点は、4つある。
まず第1に、集団的自衛権の行使を可能にした点。これによって、日本は攻撃されていなくても、他の国が攻撃されている場合、日本も武力を使って反撃できるようになった。これまでは、日本自身が直接攻撃を受けた場合にだけ、日本は武力を使って守る体制だった。(これは、「個別的自衛権」と呼ばれている。)
つまり、日本が戦争する範囲が広くなった。日本が攻撃されたときにだけ戦争するという規定が、日本にとって大事な国が攻撃されていれば戦争できるようになった。
想定されるのは、次のようなケースだ。韓国が北朝鮮から攻撃され、アメリカや日本に助けを求めてきた場合、日本も韓国と一緒になって北朝鮮に対して反撃する。これまでは、日本は韓国を直接助けることや、韓国を防衛する米軍と一緒に戦うことはできなかった。
できたのは、米軍を戦地から離れた後方で支援することだった。例えば、米軍の軍艦へ自衛隊が給油する場合などだ。
第2に、一緒に戦う国が増えたことも大きな変化だ。これまでは、日本が共に戦うのは、米軍だけで、それも日本を守るときだけだった。日本が同盟(日米安全保障条約:日米安保)を結んでいるのはアメリカだけだ。
新しい法律の下では、日本は「密接な関係にある」国と一緒に戦える。これに当てはまるのは、アメリカを始め、オーストラリアや韓国だ。しかし、政府が密接な関係にある、と判断すれば、どの国とでも一緒に戦うことは可能になった。
第3は、自衛隊が日常的に他国軍と行動できるようになったことだ。戦争が起きていないときでも、いざという時に一緒に戦うためには日常的に訓練をしないといけないという理由だ。
平和な時から(「平時」という)、実戦を想定して訓練をする。これがどういう意味を持つかというと、実際に戦争で一緒に戦うための訓練なので、自衛隊と米軍の連携はより深まり、情報の共有なども増す。実戦に沿った訓練をすることによって、安全保障上の協力が増す。
政府は、それを他の国々にも見せることによって抑止力を高める効果を期待している。たとえて言えば、日頃から一緒に行動することによって、「こんなに仲がいいんだから、手を出すなよ」と、けんかを売ってくるようなヤツをけん制しているようなことだ。
最後に、大きな違いは、これまでの体制が法律で武力行使を制限していたのに対して、新しい制度は政治の判断に委ねている点だ。これまでは、法律でできないことを多くしていたが、今は、政府の判断によって戦争に加わるか否かを決められるようになった。
つまり、新しい制度において、平和を維持するためには、正しい判断ができるかどうかが非常に重要になる。では、どうしたら、正しい判断ができるのか?このことについては、あとで、詳しく考えてみたい。
(2)憲法を改正して、もっと積極的に軍事活動できるようにする
2番目の選択肢は、憲法を改正して、武力行使の制限をさらに少なくするというものだ。この選択肢に賛成な場合は、改憲賛成党の候補者に投票することになる。改憲に賛成なのは、自民、公明の与党2党に加えて、「おおさか維新の会」と「日本のこころを大切にする党」だ。
今回の参院選で、これら4党が78議席を取れば、憲法改正に必要な3分の2に達する。逆に、憲法改正に反対なのは、民進、社民、共産、「生活の党と山本太郎となかまたち」の野党4党だ。野党4党は、今回の参院選で安倍首相の下での憲法改正阻止を掲げて共闘を組んでいる。
政府の中には、新しい安全保障法制は、まだまだ不十分だ、と考えている人が少なくない。集団的自衛権を行使して、他国と一緒に戦えるようになったが、まだ、「限定的」だからだ。なにが限定的かというと、日本が集団的自衛権を使えるのは、日本の存立が脅かされている場合に限られているからだ。
日本の存立が脅かされていなくても、他国を助けるために戦争に参加するためには、憲法改正が必要となる。アメリカが日本から離れたところで攻撃されている場合、日本の存立が脅かされている、とは言えない。また、国連平和維持活動などにも自衛隊は十分に参加できていない。
憲法改正の推進者には、3通りの理由がある。1つは、現行憲法の解釈の範囲内では、制約が多く、アメリカに十分に協力できない、というもの。その結果、同盟の機能が制限され、引いては潜在的な攻撃国に対する抑止力も十分に発揮できないというもの。
アメリカから協力を要請されても応えられないことが多いと、アメリカに見捨てられるのではないか、という不安もある。日米同盟をさらに強化するためには憲法改正が必要だという考え方だ。憲法の制約をかいくぐって行動しようとすると煩雑すぎる、という効率性を重視する安全保障・防衛担当者らの中にもこのような考え方はある。
2つめは、日本が「普通の国」になるべきだ、という考えに基づく。これは、安全保障からみて問題があるから、というよりも「そうあるべきだ」という主義に基づく。
個別的自衛権も集団的自衛権も国際社会の中で国家に認められた権利だ。国連憲章で、武力の行使が認められているのは、他国の侵略を撃退するときだけだ。自分の国だけで守り反撃する場合が個別的自衛権、他の国を一緒に守り反撃する場合は集団的自衛権で、どちらもすべての加盟国に認められた権利だ。日本にも認められている権利なのに、それを憲法で制限しているのはおかしい、という考え方だ。
3つめは、国際社会の一員としての役割を果たすために、憲法改正すべきだ、という考え方だ。国連は、加盟国間の相互不可侵を誓約し、どこかの国がそれに違反して侵略行為を行った場合、加盟国全体で被侵略国を助け、侵略国を制裁する。これを「集団安全保障」と呼ぶ。集団的自衛権と似ているので混同しやすいが、集団安全保障は自衛ではなく、侵略に遭った国をみんなで助けるという仕組みだ。そして、集団安全保障への参加は国連加盟国の義務だ。
日本政府は、集団安全保障への参加は憲法で許容する「必要最小限度の範囲」を超えるので許されない、という立場だ。国際社会の一員としての責任を全うするためには憲法を改正する必要があるという理屈になるが、こう主張しているのは少数に過ぎない。現在の改憲推進派は、国連での活動については、あまり強い関心がないようだ。安倍政権も、国連の下での集団安全保障には消極的だ。
集団的自衛権の行使容認に先立って、安倍首相の諮問を受けた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は、集団安全保障は国連加盟国の義務で、そもそも憲法上の制約を受けないと主張したが、安倍首相はこの部分の答申を受け入れる姿勢はまったく示さなかった。
自民党の憲法改正草案を見ると、憲法9条を改正して国防軍の設立を盛り込んでいる。制限がなくなり、制度的には日本は他国と一緒に国際安全保障のために戦えるようになるということだ。しかし、一方で、草案は現行憲法に比べて、個人の権利が制限され公の利益や公の秩序を重んじる内容になっている。個人の自由は誰にも侵すことができない、という考えに立っていない。
これは、世界の潮流に逆行する。世界は、現在の憲法が施行された1947年当時から大きく変化し、個人の権利がはるかに重視されている。個人の人権を守るためには、国際社会は主権を侵してでも介入すべきだという考えが主流になっている。政府が個人の権利を侵害する場合は、国際社会にその個人を保護する責任がある、と国連は決議している。
安倍政権は、アメリカ、EUなどの自由主義先進諸国との連携を安全保障面でも強化する方針だが、人権に対する考え方は一致していない。世界は、武力を使ってでも個人の人権を守るという方向に進んでおり、日本は一緒に戦えるようになっても、そもそも守るべき大事なものが同じではないという矛盾を生む。
憲法を改正すべきかどうか、と考える時、私たち国民は、守るべき大事なものは何なのか、と問うてみる必要があるだろう。命を掛けてでも守ろうとしている大事なものは何なのか?日本人の命か、日本の領土か。あるいは、自由か。日本人の自由は大事だけれど、他の国の人の自由は大事でないのか。あるいは、大事ではあるけれど、武力を使って守るべきでないと考えるか。これらへの答えが、安全保障のあり方の答えにもつながる。
(3)新しい安全保障法を認めず、元に戻す
この選択肢は、今年3月に施行された安全保障関連法に反対し、元の制度に戻すことを目指す。今回の参院選では、安保法の廃止という目標で一致して野党4党は協力している。4党は、民進、社民、共産、「生活の党と山本太郎となかまたち」だ。共産党は、これまでの選挙では全選挙区に候補を立ててきた。それが、今回の選挙では、全国の32の1人区で野党は統一候補を立てて協力している。
安保法について反対の理由は、集団的自衛権の行使容認は、憲法違反だというものが主だ。政府は一貫して現行憲法の下では集団的自衛権は違憲だと説明してきた。ところが、2014年7月に安倍政権は、これまでの憲法解釈を転換して集団的自衛権を認め閣議決定してしまった。日本の存立を脅かす事態(存立危機事態)には、集団的自衛権を行使できる、という新しい説明だった。
これに対して、憲法に違反すると野党は安保法の廃止を求めている。とくに、ホルムズ海峡に機雷が設置された場合なども存立危機事態にあたると、政府は説明しているため、集団的自衛権を行使できる範囲が広すぎる、と野党は問題にしている。このようなケースが存立危機事態に当てはまるのならば、際限なく広がる恐れがある、という主張だ。
安保法の何が問題か?
それでは、安全保障の観点から、安保法の何が問題にされているか、もう少し、詳しく見ていこう。
1.抑止は必ずしも増さない
安倍首相は、安保法の目的の1つを、抑止を増すためだと説明している。本当に、安保法は抑止を増すのに適切なのだろうか?
「抑止」とは、攻撃しようとする相手に対して、「攻撃したら倍にして返すぞ」あるいは「攻撃しても成功しないぞ」と言って思いとどまらせることを指す。この線を越えたら反撃する、と明確に示して思いとどまらせる。抑止が難しいのは、武力を使わないで相手を思いとどまらせなくてはならないところだ。
戦争は、勝敗の見通しが食い違っているときに起こる、と言われている。つまり、Aという国が戦争になれば自分たちが勝つと思っていて、Bという国も自分が勝つと思っているときに戦争は起きる。Bが自分たちは負けると思っていたら、戦争を回避できる可能性がある。すると、抑止というのは、「自分も勝てる」と思って攻撃を仕掛けようと考えている国に対して、「勝てないからやめろ」と納得させることだ。
その抑止の成功には、3つの条件があると考えられている。
〈1〉反撃する能力と意思があること。
〈2〉能力と意思があることを相手に正確に伝えることができること。
〈3〉認識が共有されていること。
一般的に抑止に必要なのは、〈1〉だと考えている人が多い。安倍首相もその1人のようだ。新しい安保法が目指すのも軍事能力と意思を強くすることだ。ところが、抑止が成功するためには〈2〉と〈3〉が重要だ。正しく伝えるためには、日頃から意思疎通ができること、通信手段が確保されていること、口からでまかせを言っているのではないという一定の信頼関係があること、が必要だ。
〈3〉の認識の共有は、1線を越えたら反撃されるけれど、越えなければ攻撃されることはないという理解だ。線を越えなくてもどっちみち攻撃されるのであれば、思いとどまる方が損だということになる。こうなると、不信の連鎖に陥る危険があり、国際関係は不安定になる。
この3つの条件に照らして考えると、安保法は必ずしも抑止を高めない。一番の問題点は、日本が武力行使する「存立危機事態」が何か明確でないことだ。越えてはいけない1線が明確でないと抑止は成功しない。
以前の体制は、日本が攻撃を受けた時にだけ日本は反撃するという態勢で、どこに1線が引かれているか明瞭だった。日本が攻撃されれば日本は反撃する。攻撃されなければ日本の方から攻撃することはない。日本の自衛隊はけっして弱くない。最新鋭の武器を持ち、防衛費の額は世界で第7位だ(国際戦略研究所:IISS、2015年)。そのうえ、世界で群を抜いて強いアメリカと同盟を結んでいる。
日本の意図を伝えることに関しても、北朝鮮にしろ、中国にしろ、正しく伝えられていると考えるのは楽観的すぎる。安倍政権は、中国との関係改善には尽力していて、2014年秋以降、2回の首脳会談も開かれた。しかし、まだまだ不十分だ。
2.効果はあるか?
日本の新しい安保法が、効果を上げているかどうかで評価する方法もある。日本は、法律を新しくしただけでなく、日米安全保障ガイドラインを改正して、平時から協力ができるようにし、お互いを守れるようにした。
アメリカはアジア回帰戦略(ピボット)を実施しており、日米同盟を韓国、オーストラリアとも連携してネットワーク化することを進めている。東南アジア諸国との連携強化も模索している。その結果、協力は進んでおり、日米韓、日米豪で共同軍事訓練などを実施している。協力は確かに増している。
しかし、その結果、中国がより協調的な行動に転じたかというとそんなことはない。南シナ海の人工島建設は進めており、7月5日からは南シナ海で軍事演習を実施するなど行動はむしろエスカレートしている。東シナ海でも、6月9日には尖閣諸島の24海里内の接続水域に中国軍の軍艦が進入するなど、行動を抑制する気配はない。
北朝鮮も2016年だけでも、長距離弾道ミサイルの発射実験や核実験を繰り返しており、非協調的な行動を思いとどまらせる効果は見られない。
安全保障上の正しい判断をするために必要なこと
新しい安保法は、日本の軍事行動を法律で縛る代わりに政治の判断で縛る制度だ。この制度で安全を確保するためには、正しい判断ができる仕組みをつくることが非常に大事になる。現在のところ、安倍政権は正しい判断のための仕組み作りの話はしていないし、野党も安保法そのものに反対なので、安保法を踏まえて仕組み作りの議論をしていない。
必要な仕組みの一つが、国会による承認だ。これは法律でも書かれているが、実際の運用の詳細は何も決められていない。政治が正しい判断をするためには、端的には国民が判断できる情報を共有している必要がある。
もちろん、戦争が起きるかもしれない、という状況で国民すべてに情報を開示することは難しいことが予想される。現実的には、与野党を問わず国会議員に情報が開示され判断する仕組みが必要だろう。
アメリカなど諸外国の議会には秘密会議の制度がある。日本にはない。秘密会議は、その中で議論される内容、開示される情報は秘密にされる。情報は厳しく管理されて、漏洩は許されないが、国民の代表である国会議員が与野党を問わず議論に参加できることで、より正しい判断を得られるようにしようという工夫だ。
行政府である内閣と外務・防衛という省庁に判断を任せるのではなく、立法府のチェック機能が十分に発揮される制度作りが必要だ。アメリカの安全保障関係者らは、日本が集団的自衛権を行使できるようになったことを歓迎しているが、同時に、日本の国会の監視機能が不十分なことを懸念する意見もある。
選挙に行くことが、なぜ平和につながるのか?
さて、最後に、そもそも選挙に行くことと戦争が関係あるのかどうかについて、少し考えてみよう。国の政治には、経済、教育、社会保障(年金や健康保険制度、介護、福祉など)、安全保障など、いくつかの分野がある。経済や教育、健康保険などは、高校生にもなじみがあると思う。それに対して、安全保障・防衛は、自分の投票がどのように影響するのかが実感できないのではないだろうか。
ところが、選挙と平和は、密接な関係にある。
先ほど、抑止の仕組みのところで、日本の意思が正しく伝わることが抑止成功の条件だ、と述べた。選挙結果は、日本が何を考えているかを諸外国に伝える重要な機会だ。
民主主義国家同士は戦争をしたことがない。民主主義国家は、時に非民主主義国家に戦争を仕掛ける。ところが、民主主義国家同士の戦争はない。これは「民主平和論」と呼ばれている。その原因については、まだ研究が続いているが、原因の1つは、民主主義国家の方が、外から国内の議論が見えて意図がわかりやすいからだと考えられている。抑止成功の条件の〈2〉だ。
独裁国家の指導者が、「首都を火の海にしてやる」と脅しても、他の国はハッタリだと思って信用しない。しかし、日本国内で自民党も民進党もそして共産党も口をそろえて、この1線を越えたら許さない、と言えばその信憑性は高まる。これは、明確な1線を引くことに貢献する。言論の自由が保障されて繰り広げられる議論は、抑止したい他国へのメッセージにもなるのだ。
素朴な疑問を大切にする
国民が安全保障に関心を持って、疑問の声を上げ続けることも重要だ。国民が関心を持てば、議員らも関心を持ち、安全保障の議論が深まる。私たち個々人が持っている安全保障の情報や知識は限られている。なかなか、政府が掲げる政策に対して代案を提示することはできない。ただ、「あれ?なんかおかしい」と感じることはできる。この素朴な議論を大事にして、納得がいくまで答えを探すことが重要だ。
日本では、戦後、自衛隊の活動について制限することが主で、防衛・安全保障政策が適正なのかどうかのチェックをあまりしてこなかった。防衛費は適正なのか? 多すぎないのか、逆に少なすぎないか。予算に見合った安全が確保されているか? 購入する予定の兵器の性能はどうか? 例えば購入予定の戦闘機F−35は日本の安全保障上の課題に照らして最適な機種か?
平和を守るのは、自分たちだという意識を持つことが重要だ。私たち、国民にはその責任がある。そして、選挙での投票は、その責任を果たす大事な機会だ。
さあ、まずは、7月10日、選挙へ行こう。
プロフィール
植木千可子
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)国際研究センター・安全保障プログラム客員研究員。専門は、国際関係論と安全保障。麻生内閣で首相の諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員を務める。朝日新聞記者、防衛省防衛研究所主任研究官などを経て現職。MIT博士Ph.D.(政治学)。現実的な視点に立つリベラルな安全保障の専門家として注目されている。著書に『平和のための戦争論』(ちくま新書)、『北東アジアの「永い平和」』(勁草書房)
など。