2017.09.12
若者の社会運動とサブカルチャー――運動と日常を行き来する若者たちの葛藤
2011年以降、全国的に盛り上がりを見せた若者による社会運動。彼らの語りから運動の特質を浮き彫りにした、富永京子氏による新刊『社会運動と若者――日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版)。この出版を記念して、社会学者・鈴木謙介氏(関西学院大学准教授)と阿部真大氏(甲南大学准教授)とのトークショーが開催された。若者の社会運動とその文化は現代社会において何を示唆しているのか。2017年6月19日、ジュンク堂書店大阪本店にて行われたイベント「若者の社会運動とサブカルチャー」より抄録。(構成/増田穂・大谷佳名)
2000年代以降、社会運動はどう変わったのか
鈴木 本日は『社会運動と若者:日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版)の出版記念トークイベントとして、著者で立命館大学准教授の富永京子さん、甲南大学准教授の阿部真大さんと私、鈴木謙介で座談を進めて参ります。便宜的に私の方で司会を務めたいと思います。よろしくお願いします。
富永・阿部 よろしくお願いします。
鈴木 富永さんは、大学ではどのような授業を担当されているのですか。
富永 国際社会学の教員をしています。移民問題や国際結婚、多文化共生などについて、1、2回生を中心に教えています。その中では当然、NGOなどによる市民活動についても言及しますが、例えば環境NGOによる政策提言活動の話をすれば「環境保護って重要だよね」、異文化理解を促す教育・交流促進活動の話になれば「他文化への配慮って重要だよね」という反応が返ってくる。ところが日本国内の社会運動の話になると、どこか敬遠してしまう、本当に意味があるのか、といった反応になる。今の学生達は社会運動に従事している人に対して近寄りがたいイメージを持っています。その温度差が気になって、今回の本を執筆しました。
鈴木 富永さんの前著『社会運動のサブカルチャー化―G8サミット抗議行動の経験分析』(せりか書房)は博士論文をもとに書かれたもので、2008年の洞爺湖サミットでの抗議活動を取り上げ、そこに参加された方々とのやり取りから社会運動のあり方を考察されていますね。今回、二冊目となる『社会運動と若者』ではどのような事象を扱っているのですか。
富永 3.11以降の脱原発運動や安保法制、特定秘密保護法への反対運動などを検証しています。「SEALDs(シールズ)」(以下、「シールズ」)をはじめとする若者の団体が多く参加したことが特徴です。しかし、彼らに対して同世代の運動をしていない子たちはあまり良い目で見ているとは言い難い状況もあった。そこがまず気になって、この研究を始めました。
同時に、こうした近年の運動を見ていて、社会運動がメジャーになっているなと感じました。今まで限られた人たちが小規模に続けていた運動が、10万人近く集まるマジョリティの運動になり、メディアでも大きく取り上げられた。社会の中で大きく注目を集めるようになったことが純粋に不思議だったのです。
鈴木 富永さんのご専門は社会学ですが、そもそも社会学の中で社会運動はどのように取り上げられてきたのでしょうか。
富永 日本では、社会運動論はもともと効果的な運動運営のための理論として受容されてきた側面が強いです。具体的には参加者の動員方法、人の配置、政府や企業の動向に沿った活動のタイミングなど、目的を達成するための方法論です。この理論において、運動の参加者は基本的に組織の目標に賛同していて、同じようなアイデンティティやモティベーションを持っていることが自明視されています。労働組合であれば、皆が一様に賃上げや労働時間の短縮化に賛成するという前提がある。国策に対する運動であれば政府や関連機関を相手どった働きかけになる。本来、社会運動とは大きな権力に対する対抗勢力として存在するもので、その担い手は一様に皆同じなんだという前提があり、その中で「連帯」や「団結」を重視した組織作りが求められてきました。
しかしこの組織論自体が、徐々に社会の動きに当てはまらなくなっていきました。人びとの生き方が多様化し、それが顕在化するにつれて、例えば労働組合運動の中でも女性職員と男性職員では要求するものが違っていたりする。さらに雇用の形態によっても、例えば非正規と正規でまた優先する要素が変わってきます。そうなると、組織をベースにし、統一されたカウンターカルチャーに基づいて運動を作ろうという感覚自体が時代と合わなくなってきます。そうした流れに対応する組織が求められてきているのかな、と思います。
鈴木 運動において、いかにして人を集めるかという考え方が限界を迎えつつある。そんな中で社会運動を見るベクトルが、「権力に対してどう向かっていくのか」という見方から、「社会運動の中身をどう見ていくのか」という見方に変わってきた、ともおっしゃっていましたね。
富永 はい。みんな年齢や所属が同じに見えるような運動でも、キャリアやライフコースはそれぞれ違っています。その中で「運動の内部」をいかに共有するかが運動であるという形で、社会運動論の視角も展開されていきます。ですから、例えば一緒にレクリエーションや勉強会をしたり、お茶の時間や余暇といった居場所を共有したり、「自分がなぜ社会運動に参加したのか」などの体験を話し合ったり。経験もそれぞれですから、居場所や勉強会の方式に対する理想やこだわりも分化されていきます。そこで私は、社会運動も、ひとつの組織的な「カウンターカルチャー」によるものから、理想やこだわりに基づく「サブカルチャー」へと分化するんじゃないかという話をしています。
鈴木 なるほど。さて、今日のもう一人のお相手は社会学者の阿部真大さんです。阿部さんは僕と同じ1976年生まれですが、我々が20代のころの社会運動のあり方は現在とは違った様相でしたね。
阿部 2000年代前半は「当事者の声をいかに届けるか」というテーマが論壇の一つの流れを作っていました。当時、僕の大学の指導教官であった上野千鶴子氏と障害者運動の第一人者である中西正司氏が『当事者主権』という本を出し、「当事者の声を聴け」という流れが強くなった時期だった。近年でも、『「フクシマ」論』という本を書いた社会学者の開沼博氏は、この当事者主権を愚直に実践していると思います。要するに「福島のことは福島の人にしか分からない」、だから結果的に社会運動に対して彼はすごく批判的な立場を取っています。
一方、僕が最初に上野氏の「フェミニズムで当事者主権」というのを聞いて、「なんか怪しいな」と思ったのは、もし女性の中で「専業主婦になりたい」と言う人が大半だった場合に運動は成り立つのか、ということです。同じように、もし福島の人に話を聞いて「自分たちの生活のために原発は必要だ」と言われたら、それでは反原発の運動は成り立たないですね。ですから、当事者だけじゃ運動が息詰まるんだということは明らかです。
そんな中で僕としては、富永さんは当事者主義に対するカウンターとして論壇の中で注目を集めたという印象なのですが、富永さん自身はどう思っていらっしゃるのですか。
富永 当事者主権という点に関しては、私はそもそも意識して研究していない立場です。というのも、私は一冊目の本で反グローバリズム運動について書きましたが、グローバルな社会問題は実は当事者がいるようでいない。大まかには先進国が発展途上国を搾取しているという構図がありますが、簡単にそうとは言い切れない部分もある。例えばスターバックスはグローバル企業で、ローカルな価値観を奪っていく加害者ではあるけれども、一方でCSR活動も相当熱心にやっていたりする。つまり、誰がグローバリズムの被害者で誰が加害者なのか、簡単にわからないわけです。そういう意味で言うと、そもそも当事者主権というもののリアリティがわかない立場なのだと言えるかもしれません。
「当事者でなければいけない」という意識
鈴木 さて、ここからは本の内容に入っていきたいと思いますが、近年、若者も参加する運動が盛り上がりを見せていますね。富永さんはどのようにご覧になっていましたか。
富永 まず、安保法制反対が一つ大きな動きになりました。脱原発運動以降、いわゆる“普通の人”が気軽に参加できる運動がヒットしてきた。具体的には、ヒップホップ・カルチャーを取り入れたスタイルであったり、プラカードも共通のデザインのものがネットで無料で配布されていたり。そして中心にいるのは、恐そうでもなければ、運動に慣れてそうでもない、“普通”の男の子・女の子たちだったりする。彼らは自己紹介をする際に大学名と名前を言って、いかに自分の生活に安保法案が関係あるのかということを説きます。それも、日常に即したような表現で語る。そうしたスタイルが広く支持を集めたんですね。
阿部 この本の中での彼らへのインタビューを読んでいて強く感じたのは、「自分が当事者なのだと言わなければいけない」という強迫感があるのかなと。もちろん、広い意味で言えば共謀罪も安保法制も日本に住む全員が当事者だけれど、狭い意味での当事者かと言うとそうではない。僕なんかは、「俺は全然当事者じゃないけど、むかつくからやってんだよ」という動機でもいいんじゃないかと思うのですが、なんとなく「当事者」という言葉を使わなくちゃいけない、という意識が彼らの中にはあるのでしょうか。
富永 その通りだと思っています。私の印象ですが、今、社会運動をしている若者は非常に当事者意識も高く、その上、読書量も多いですし、熱心に勉強します。ただ、「当事者意識」と「勉強熱心さ」、本来なら運動するにあたってこの2つはなくてもいいわけです。例えば途上国の支援運動にしても、「南アフリカなんて一生行くことはないだろうし、よく知らないけど募金しよう」でもいいはずです。しかし、多くの学生さんはこの2つを手放すことをしない。
その理由としてはまず、若者という立場であるからこそ外部からのバッシングを受けやすい、それを懸念せざるを得ない可能性はあります。実際、「SEALDs」「シールズ」とGoogle検索するだけで「お前らは関係ないくせに」「何がわかるんだよ」というような批判が出てくる。そこに対するディフェンスとして、当事者であることを主張した上で論理的に説得する、というのが一点あるのかなと思います。また、彼らが社会に関与できる範囲が社会的な構造の上で限定されている側面もある。つまり、将来どのように安保法制と関わるかは分からないわけです。だから現時点において「安保法制がいかに自分の人生に関わるか」について論じるしかない。そして、とりあえず勉強を続けるしかない。そういった選択肢の限られ方が、「当事者性」と「勉強熱心さ」を選んだ側面もあるのだと思います。
鈴木 先ほど「ヒップホップ・カルチャーを取り入れた」という説明がありましたが、彼らの運動のスタイルは具体的にどのようなものなのでしょうか。
富永 前の世代のデモでは、参加者はフードやマスクをつけている人もいれば、ヘルメットを被っている人、コスプレしている人なんかもいて、メッセージも統一されていませんでした。「生きさせろ!」とか「モテたい」と書かれたプラカードを持っている人もいたり。もちろん、デモは解放空間なので参加者はどのような主張をしても構わない。実際に労働問題は原発やエネルギーの問題ともつながっていますし、人権やマイノリティの問題ともつながってくるので、何を主張しても自由です。
ただ、3.11以降の運動では多様なメッセージよりも、その問題に直結するようなメッセージが好まれる。なぜなら、「デモに参加する人は異常な人たちだ」と思われないようにする必要があるためです。原発と労働と人権は関係あるけれど、傍から見ている人がその関係をすぐに把握できるかというとそうではない。それと同様に、普通の格好をして、なるべくポジティブな、誰でも分かる、生活に即した言葉を使う必要があったからです。その中で、親しみやすいポップカルチャーを引用することが重要になってきた。
例えばプラカードのデザイン一つとってみても、ストリートブランドの「Supreme」のロゴをパロディしたものだったり、西野カナの歌詞からとった「戦争したくなくてふるえる」というキャッチフレーズなど、ちょっとおしゃれだったり近寄りやすい感じのものになっている。以前のロスジェネを代表する「素人の乱」などは、「まぬけ」「馬鹿」「貧乏」といった言葉を使って、軽く楽しく、どこか「低い」目線から社会運動を形作ろうとしました。それに対して現在の若者たちは、まじめだけど暗くなくて、おしゃれなプラカードを作って行う、あくまで「等身大」の運動という違いがあるでしょうか。
阿部 なるほど。前の世代の社会運動に対する一つのカウンターになっている、と。おそらく、彼らの親の世代は全共闘世代の失敗をよく覚えている「しらけ世代」なので、社会運動に没入していくことの危険さが刷り込まれている。だから、こうした冷めた感じの運動になるわけですね。
一方で、僕が彼らを見て最初に感じてしまったのは、「かつて2000年代に我々が批判していたものが蘇った」ということです。当時は既存のリベラルが、女性の問題やマイノリティの問題に特化しており、成人男性の労働問題が見落とされていた。そうした姿勢を批判して、赤木智弘さんや雨宮処凛さんが中心となってロスジェネ論壇が出来上がっていきました。その中に僕もいたんです。
まさしくトランプ現象と似ていて、「その問題の重要性は分かるけど、その前に足元の問題をなんとかしてくれよ」というものだった。社会の都合で使い捨てにされる若者世代が当事者として声を上げ、一つの流れを作っていった。なんとなくシールズなどの子たちを見ていると、またあの“お花畑リベラル”が戻ってきたか、と思ってしまったんです。ただ、この本を読んでからは、彼らがすごくディフェンシブに、そうならないように気を使いながら振舞っていることが分かりました。
富永 先ほど触れた彼らの当事者性も、そうした発想からきているのだと思います。安保法案に対して「遠く見える問題だけど、俺たちにも関係あるんだ」というスタンスをとっているのは、一つの戦略ではないでしょうか。
一方で、社会運動に携わる若者が国内の身近な社会問題にも取り組んでいないわけではなく、例えば「保育園落ちた日本死ね」がネット上で話題となった時に、スタンディングアピールなどをしていたこともありました。しかし、こうした問題は行政の対応も割と早いので、表出的な社会運動として連続的な大きな動きにはなりづらいんです。安保法案や共謀罪、特定秘密保護法などの「遠い問題」は継続的に取り上げ続けなくてはならない。そのために、“お花畑系”と叩かれる、身近でない問題を扱った活動だけがいわゆる「社会運動」として印象に残ってしまうという状況はあると思います。
「親しみやすさ」という戦略
鈴木 一方で、リベラルな運動をしていく上で、なぜ彼らがディフェンシブにならなければならないのか。第一に、彼らを取り巻く環境や周囲の目線があるんだと思います。当然ながら、彼らもデモに行くだけではなく、それぞれの日常を生きている。その中で、社会運動に参加する立場としてどのような葛藤を抱えているのでしょうか。
富永 現在、社会運動に参加している若者には2通りのキャリアを持った人びとがいると思います。一つは、親もリベラルというパターン。もう一つは、親は非常に保守的で排外的、もしくはノンポリで「社会活動はちょっと変わったマイノリティの人たちがやるもの」と思っている、というパターンです。後者の場合、子どもは日常的に社会運動に対するネガティブな感覚を叩きこまれているので、ライフスタイル全てを運動に沿うように変換することは難しいです。
阿部 そうした日本の若者の状況とは反対に、以前、僕がオーストラリアに住んでいたときに感じたのは、あっちでは「リベラル」の人でも仲間が作りやすいんです。多文化・多民族社会なので、街中には当たり前のようにゲイのカップルが歩いていたりする。そうした環境の中でリベラルの人たちは、ファッションから食生活まで、ライフスタイルそのものを「リベラル」にして生きていくことができる。それが街の風景に溶け込んでいるんです。ただ、日本でそれをやるのはすごく困難ですよね。日本でライフスタイルからイデオロギーにもとづいた形にすると、仲間もできにくいでしょう。そうした中で彼らは工夫しながら「いかにしてリベラルな価値観を届けていくか」と考えているわけですね。
かつて僕らが批判していた上の世代のリベラルの人たちは、クラブに通っていたりして、何となく上から目線というか、当時の日本社会の中で少し浮いている存在だった。それに対して若い人たちは、今の日本ではその戦略は通用しないと、あえて西野カナの歌詞をパロディしたり、すごく考えてやっているんだなあと。
鈴木 ただ、ポピュラリティをもって問題意識を広めていかなければならない反面、広めるために問題意識を薄めているという状態については、彼らはどう感じているのでしょうか。どこまでのことが彼らの中で捨ててはいけない「運動」のラインなのか、気になります。
富永 一つは「親しみやすさ」だと思います。研究者や知識人が、彼らの運動の意味を深読みしていろいろと解釈をつけても、「あ、そうなんですか。そこまで考えてなかったです」と無邪気に返してしまう。それも戦略なのかどうかは分かりませんが、「こだわらなさ」みたいなものを前面に出すことで、難しい解釈の隙を与えない。そうすることで自分と同じ若者が参加しやすいように、自分たちのアイデンティティをうまくコントロールしています。
鈴木 日本は海外と違って、個人が「当事者」として問題意識を持って運動を起こすことが非常に難しい。シールズの活動に対して、ネットでは「売名行為だ」と批判も寄せられましたが、彼らのパフォーマンスはそうしたやりづらさの中での戦略の結果だったと。
富永 はい。個々人の動機を聞くと、しっかり反戦教育を受けていたり、家族の語りを通じて戦争の悲惨さに気がついたという声も聞かれました。一方で、親や周囲の社会運動嫌いを内面化しているために、運動を否定されないようにどうやっていくのかということに細心の注意を払っている子もいる。
鈴木 社会学でいう「役割間葛藤」ですね。ある場所で期待されている規範と、別のところで期待されている規範が対立を起こしたときに、その間をどう調停するかを考え、新たなスタイルが出てくる。世間では「シールズの活動に効果があったのか」ということばかり議論されがちですが、こうした彼らの葛藤との調停の仕方という点も、今後の研究につながっていく重要なポイントだと感じます。
社会運動と消費社会
鈴木 政治的な意見を表明することがこれだけタブー視される社会も少ないですよね。海外ではもっとカジュアルに政治活動に参加できる国が少なくないと思います。
富永 日本は社会運動全般の参加率が非常に低いです。しかし、実はデモへの許容性はそれほど低くありません。
鈴木 「頑張っているし、まあいいんじゃない」というような反応が多いのかもしれませんね。世界価値観調査ですが、日本はヨーロッパ諸国と比べて、企業に対する不信感が低いことも分かっています。海外では企業や政府に対して不信感や批判を持つことはタブー視されていませんが、日本では「当事者でもないのに」という抵抗感が強いのでしょうか。
富永 確かにそうですね。例えば欧米では、「オキュパイ・ムーブメント」として知られていますが、財界や政府に対する抗議行動として、公園や広場に集まって何日間もキャンプをし、そこで寝食や学びをともに続けるという運動があります。香港の雨傘運動も解放空間を占拠することによって自らの主張をするものでした。日本ではこうしたことができません。警察の取り締まりが厳しく、占拠活動は難しいんです。ただ一方で、日本の場合は企業の力が強いので、企業を味方につけると社会運動は一定の認知を得やすい。LGBTの運動などがその一例です。
鈴木 確かに、企業に対する不信感が低いのであれば、ソーシャル・ビジネスを行う社会的企業を通じて運動を肯定していくこともできますよね。これは特に3.11以降のエシカル消費、つまり倫理的消費という形で注目されました。日本ではこうした消費を通じた社会変革の方が広く受け入れられそうです。
富永 過去にあった例としては、生活クラブ生協があげられます。合成洗剤に反対する運動を主導していて、生活者ネットワークとして議員も出ています。また、環境保護運動もマーケットに乗ることで比較的認知されている。日本ではかなり使いやすい戦術と言えます。
鈴木 しかし、消費者はこうした倫理的な消費を行う上で、どの程度、社会変革としての意識を持っていると思いますか。例えば「健康にいい」という理由で倫理的に生産された野菜を買うのと、同じ野菜を「生産者のところに届く」という理由で買うのと、微妙に違いますよね。ベジタリアンやヴィーガンといった食の嗜好も、「個人的な趣味」として取り入れる分には歓迎されても、「日本にはベジタリアン向けのメニューを出す店が少ない」という主張を始めると、とたんに論争的になります。
富永 ご指摘の通りだと思います。もちろん先程言及した生活クラブのように、自ら商品を作って行ったり、消費者の権利を集合的に主張する活動がないではないのですが、日本で現在メジャーな倫理的消費というのはもっぱらフェアトレードとか、あくまで他の商品との比較によって「選択」するタイプの活動ですよね。消費者集団は自ら生産できないので、提示された商品を選ぶことしかできない。
鈴木 日本社会は企業活動を通じた社会貢献に対して寛容である反面、資本主義そのものを批判的に見るというモチベーションが根本的に欠落しているようにも思えます。海外では「消費社会」という言葉そのものに否定的なイメージが強く、「大企業が儲けるために“消費者の権利”を謳って作った選択の不自由の現れが消費社会だ」という意識が広く共有されている。そう考えると、日本は「選ばされている」感がないのかなと思うことがあります。
富永 日本は各種運動の要求に応じて社会福祉を拡大していった結果、諸外国と比較して早い段階で組合の影響力が失われていきました。70年代以降は生活が豊かになり、被雇用者の不満も少なくなって、労働組合の組織率も低下していきます。人々の間で「労働者」としてのアイデンティティが希薄化していくと、それに代わる共通のアイデンティティとして「消費者」という意識が台頭しました。だから日本の消費者運動は国際的にかなり発達しているという評価もあります。一方で、つながりが薄れてしまった労働者としての運動はなかなかうまくいかない。
鈴木 確かに海外と比べて、「消費者」というアイデンティティ以外で自分たちを定義することができないため、結果として消費者意識が発達しているように見えるのかもしれません。僕たちは働く側でもあり、働いて得たお金でしか生活できない消費者側でもある。そうした立場から社会の中で争うときに、2つの方向性があると思います。一つはロスジェネに代表される「労働者として守ってくれ」という方向性。彼らは別のオルタナティヴとして生きるのではなく、労働者になるという道を選んだという点では、根底で消費社会を肯定していたようにも見えます。
それに対して現在では、「労働者にしてくれれば万事オーケー」とはいかなくなってきた。社会問題が収入や生活保障に収斂しがちだった時代が終わり、その先にある個々人の抱えている課題や社会的企業だけでは解決しきれない問題、そうしたことまで射程に入れた運動が芽生えようとしているのかもしれません。個々人が生活の中で持っているイシューをいかに政治と結び付け可視化していくのか。そうした流れは、すでに欧米の議論では主流になってきています。
阿部 ロスジェネの社会運動は、旧来型の階級闘争に戻っていったと感じています。民主党政権下でリベラルに追い風が吹いていた時期だったこともあり、非正規や失業の問題が喫緊の課題になっていた。消費者としてのアイデンティティ承認の問題や国家権力の問題よりも、「とにかく食わせろよ」という風潮でした。
ところが、社会運動がぐっと旧来型に戻ると、また政権交代が起こり、社会全体がどんどん保守的になっていった。今のリベラルはそうした現状から立ち直らなければいけないわけです。だから近年の若者の社会運動は、労働者としてのブラック企業の問題、消費者としての承認の問題など、多種多様な課題をまるごと抱え込んでいて、「運動の総合百貨店」的になっていると感じます。それは彼らがまじめだからかもしれない。まじめだから、これまでの運動の欠点を全て踏まえた上で新しいものを作ろうと努力する。そういう意味では僕は彼らに期待しています。
“総合百貨店”化する社会運動のあり方
鈴木 「第二の近代」と呼ばれる現在、さまざまなイシューが生活と結びついている。その一つひとつに個別に手を出すとイシュー間にコンフリクトが生じ、うまく意見統一できないこともあると思います。こうした現代における社会運動の今後の見通しや、富永さんがこれから調べてみたいことなどはありますか。
富永 まずこれまでの流れをまとめると、日本の社会運動においては戦後主要な位置を占めていたのは、労働運動かと思います。いかに生きるか、いかに食うかということが、運動の主要な目標としてあった。それが60〜70年代になると豊かな時代の新しい社会運動がスタートしてきた。それまで経済的格差に隠れて見えていなかった、民族マイノリティや女性などの隠れた格差を浮き彫りにする承認の運動です。90年代以降はグローバル化が進み、経済状況の悪化も重なってロスジェネが登場する。そして2000年代にまた労働・貧困の問題が重要になってきます。そして2010年代以降は、ご指摘の通り労働運動も承認の運動も両方共やらなくてはいけなくなってきた。そういう意味では「総合百貨店的」にならざるを得なかったんです。
こうした若者の運動から私たちが学ぶべきところも多くあると思います。これまでの社会運動の担い手は、理念と行動を一貫させ、左派的な理念を一貫しようとしてきました。9条は守らなければいけない、原発は反対、遺伝子組換えはダメ、「旦那さん」「奥さん」ではなく「パートナー」と呼ぶ……など、色々な社会問題とそれに伴う行動がある程度パッケージ化されていました。それに対して今の若者は、それぞれの主張を切り分けているんです。まず、彼らは自分たちのことをリベラルあるいはレフトだと思っているとは限らない。実際に運動に携わっている人びとに話を聞いてみても、「私は最低賃金の問題にはコミットしていないけど、脱原発運動には参加している」という子もいたりする。
それから、ワーク・アクティビズムバランスがはっきりしています。これまでの左派の人々は、運動に人生を投じるという規範的な価値観がありました。1968年の学生運動などが代表的かと思うのですが、運動と自己は深く結びついていて、場合によっては死を選んだりもする。彼らはそうした価値観とは距離をとっていて、例えばシールズ創設者の一人である奥田愛基さんは「海やディズニーランドに行くようにデモに行っていい」と言います。つまり、日常生活の一つの局面として社会運動がある。興味深いのは、生活を守ったまま、その余力で数ある運動の中からできるときにできることをチョイスしてやっていきましょう、という考え方をしているところです。運動における「燃え尽き」や「自己犠牲」の課題は問題視されてきましたから、それに対する答えのひとつを見たように思います。こうしたやり方は、上の世代の人たちにも共有されていい価値観だと思います。
鈴木 この本は、社会運動をその結果や影響力の大きさという観点で見る方からすると少しまどろっこしく感じるかもしれません。しかし今日お話を聞いていて、そのまどろっこしさが、周囲の環境の中で葛藤を抱えながらも社会運動を続けていこうとする人たちの一つのスタンスを示しているのかもしれない、と感じました。どうもありがとうございました。
プロフィール
富永京子
1986 年生まれ、立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論・国際社会学。社会運動・政治参加とサブカルチャーの関係を通じて、現代社会における人々の意識や行動のあり方を考究する。
阿部真大
甲南大学准教授。専攻は労働社会学。気分は高揚しつつも徐々に身体が壊れていくバイク便ライダーたちの姿を描いた『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!』(集英社)でデビュー。その後も、現代日本の過酷な労働現場を分析し、政治と文化の側面から現状を打開する方策を探っている。
鈴木謙介
1976年福岡県生まれ。関西学院大学社会学部准教授。専攻は理論社会学。情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論研究を架橋させながら独自の社会理論を展開している。著書『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)以降は、若者たちの実存や感覚をベースにした議論を提起しており、若年層の圧倒的な支持を集めている。他に著書は『サブカル・ニッポンの新自由主義』(ちくま新書)など。現在、TV、ラジオ、雑誌などを中心に幅広いメディアで活躍中。