2011.05.23
Bad Science 「デタラメ健康科学 代替療法・製薬産業・メディアのウソ」に寄せて
2010年夏、日本学術会議がホメオパシーについての会長談話を発表した。ホメオパシーには効果がないから、医療に使うべきではない、というのがその内容。
ホメオパシーは200年ほど前にヨーロッパで始まった民間療法(代替医療なんていうしゃれた言いかたもある)のひとつだ。そういう特定の民間療法に学術会議会長がわざわざコメントを発表するなんて、異例の事態なのだけど、それくらい、学術会議はホメオパシーの流行に危機感を持ったわけだ。なにしろ、ホメオパシーに頼って、きちんとした医療を受けなかったばかりに、亡くなった人もいるというのだ。
それにしても、現代医療よりも200年前の民間療法を選ぶ人たちがいるのは、どうしてだろう。ホメオパシーに効果がないことははっきりわかっているのに、なぜ、普通の医療より効果があると信じてしまうのか。もしかしたら、そもそも「効果がある」とはどういう意味なのか、それがきちんと伝わっていないのかもしれない。では、薬や医療の効果を科学的に確かめるには、いったいどのようにすればいいのだろうか。
健康や医療は怪しい話の宝庫だ。本当はなんの専門家ともいえないような人たちが、専門家のような顔をしてテレビや雑誌で無責任な思いつきを話し、みんながそれに「へえ」と感心する。お昼の番組で「そんなときは奥さん、ココアですよ」と言われればココアが売れ、別の番組で「毎日、納豆を2パック食べなさい」と言われれば、スーパーの店頭から納豆がなくなる。
科学的な根拠なんかないような話ばかりだ。だいたい、そんなに毎週毎週すごい話が新たに出てくるはずがない。実際、納豆の番組にいたっては完全な捏造だった。健康雑誌もしかり。毎号のように新しい健康法が紹介されるなんて、おかしくないだろうか。そして、事実かどうかさえ怪しい「ガンが治りました」の体験談に彩られた謎の健康食品の数々。それにお墨付きを与える「博士」たちもいる。
そんな光景に呆れていたあなた。もし「これだから日本人は非科学的でだめなんだ」と日本人の国民性を嘆いていたのなら、本書を読んで少しだけ安心してほしい。怪しい健康情報に踊らされるのはイギリス人も同じなのだ。いや、世界中の人がおかしな話に一喜一憂する。国民性なんか関係ない。自分も信じちゃってたよとちょっと恥ずかしい気分のあなたも、怪しい話に振り回されるのは自分だけじゃないんだと思えば、ちょっとは気分がよくなるかもしれない。安心するようなことじゃないけどね。
本書はイギリスでベストセラーになったBad Scienceの日本語訳。ただのScienceではない。BadなScienceだ。「ダメな科学」っていう感じだろうか。Scienceと題されてはいるものの、科学全般ではなく健康や医療に関係する話題だけを扱っている。日本と同様、イギリスでもこれはダメな科学が大手を振ってまかりとおる分野なのだ。
ホメオパシーのような民間療法や根拠の怪しい話を吹聴する訳知り顔の栄養主義者(英語ではnutrionist、要するに「そんなときには奥さん」のイギリス版だ)、意味不明のサプリメント、そしてそんないい加減なものを流行らせるメディアの責任(あるいは無責任)。商売優先の製薬会社なんていう話もある。
イギリスでの話だから、必ずしもすべてが僕たちになじみのものというわけではない。
日本でも問題になっているものあり、あまり知られていないものありだ。
たとえば、冒頭で取り上げられている脳体操。日本でおなじみの「脳トレ」のことかと思ったら、さにあらず。こちらは本当に体操なのだ。脳にいい体操なんて、日本ではあまり耳にしないと思う。そんなものがイギリスでは学校の授業に取り入れられているらしい。イギリスは日本よりおかしいなあ、なんて思って笑い出したくなる。
でも、よく考えてみると、これって、日本の学校で「テレビゲームをすると脳が壊れるから、やめましょう」と教えられるのと、あんまり違わないのかもしれない。脳にいいか悪いかという違いはあっても、どちらも脳にまつわる怪しげな話を学校の先生や教育委員会が信じ込んじゃっている例だ。笑ってる場合じゃないかもしれない。
そんなわけで、そのものずばりは聞いたことがなくても、似たような問題は身近に転がっているから、日本では何にあたるかなあと考えながら読めばいいと思う。だいじなのは、個別の問題どうこうよりも、考えかただ。科学的に考えるにはどうしたらいいのか、本書にはそのヒントが書かれている。
さて、薬や治療法の効果を科学的に確認したいのなら、その方法ははっきりしている。きちんと無作為化したプラセボ対照実験をすればいい。聞き慣れない言葉かもしれないけど、これが標準的なやりかたなのだ。
もちろん、実験によって効果が出たり出なかったりと結論が割れることもあるかもしれない。被検者が少なければ偏った結果も出るだろうし、実験方法に思いもよらない欠陥があるかもしれない。あるいは、残念なことだけど、意図的なデータのごまかしもないとは限らない。そんなときは(そんなときでなくても)、メタ分析というこれまた聞き慣れない解析をする。これも広く使われている方法だ。実験によって結論が違うときには、自分の気に入る結論を勝手に選んだのではしかたない。メタ分析では、たくさんの実験結果を総合して結論を出す。そういう手法があることを知っておくのはとてもだいじだ。
無作為化したプラセボ対照実験がなぜ重要なのか、具体的にどうするのか、メタ分析で何がわかるのか、なぜそういうやりかたをするのか。本書ではそういう「効果を調べる方法」が詳しく議論されている。ホメオパシーのニュースでは「ホメオパシーはプラセボ効果しかない」と言っていた。では、そもそもプラセボ効果って本当はどういうものなのだろう。そういう疑問へのいちおうの答も見つけられるだろう。
繰り返しになるけれど、だいじなのは考え方だ。個々の問題はあくまでも例に過ぎない。真偽の怪しい健康法はこれからも次々と発明されていくはずだし、それをメディアが大々的に宣伝することもあるだろう。明日、どんなとっぴな新健康法が話題になるかなんて、予想がつかない。でも、考え方がわかっていれば、そんな新発明の前でうろたえることもないはずだ。プラセボ対照実験の結果なの? と尋ねればいい。
法律で取り締まればいいって? もちろん、薬事法や医師法というものがあって、勝手に効能を謳ったり、素人が医者のまねごとをしてはいけないことになっている。そうは言っても、法に触れない範囲でなら、でたらめを言うのは自由だ。それは民主主義の根幹をなす表現や言論の自由というやつだからしかたない。だからこそ、考えなくてはならない。怪しい話には疑問を、それを宣伝するメディアには「ノー」を。そのためには、まず考えかただ。
もちろん本書にも欠点はある。ひとつ挙げると、メディアの無責任には腹に据えかねているようで、「メディアにいる文系が悪い」みたいな書き方が何度か出てくるのだけど、それはちょっと言い過ぎだと思う。理系か文系かなんていうのはただただ不毛な話で、どちらであれ、ダメな人はダメということじゃないかな。ちゃんと考えられる人なら大丈夫。
ところで、本書に先立って、サイモン・シンとイツァート・エルンストの「代替医療のトリック」という本が邦訳されて、話題になった。本書と重なる話題もあるので、読み比べてみることをお勧めする。
(この文章について)
この文章はBad Science日本語訳の解説として昨年秋に書いたものだ。昨年シノドスのニコニコ生放送でホメオパシーを取り上げた際、僕はこの本を紹介して、もうすぐ日本語版が出ると言った。あの時点で翻訳は完成していたし(僕がやったわけではない)、解説も送ってあったから、遅くとも年末には出版されると思っていたのだが、結局半年ほど遅れて出たことになる。僕もほとんど忘れかけていた。もっとも、僕が解説を頼まれたのは河出書房新社ではない。だから、河出版には僕の解説はついていないはずだ。幻の解説にするのももったいないし、これはこれで書評として成立していると思うので、公開することにした。事情はさておき、日本語訳が出たことは喜ばしい。
プロフィール
菊池誠
大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。専門は統計物理学・計算物理学。テルミンという怪しい電子楽器も弾く。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『おかしな科学』(渋谷研究所Xと共著、楽工社)、『信じぬ者は救われる』(香山リカと共著、かもがわ出版)、訳書に『ニックとグリマング』『メアリと巨人』(ともにフィリップ・K・ディック、筑摩書房、後者は細美遥子と共訳)などがある。