2016.09.10
日本はいつマルセーラを解き放つのか?――『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』
1999年5月、コロンビア生まれのシングルマザー、マルセーラ・ロアイサは池袋で夜の街に立った。「ケリー」の名が与えられ、話せる日本語は「ニマンエン(2万円)」のみ。母国での苦しい生活から抜け出すためにエンターテイナーとして日本にやってきたが、その実態はヤクザと「手錠(マニージャ)」と呼ばれるコロンビア女性による管理売春だった――。
コロンビアでベストセラーとなった手記「ヤクザに囚われた女――人身取引被害者の物語」の日本語訳『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』から、ジャーナリストの安田浩一氏による著者独占インタビューを抄録する。(ころから編集部)
「恐怖は消えない。イレズミのように」
「怖い」と彼女は言った。
おそるおそる、私の顔を覗き込む。小動物が天敵に囲まれたときのような怯えの表情が浮かんでいた。
話の接ぎ穂を失いたくない私は、「こわいですよね、わかります」とあいまいな相槌で応えるしかない。 後に続く言葉を探しあぐねる私を気の毒に思ったのだろう。
「ごめんなさい。あなたが悪いわけじゃないんです」
彼女は慌てて付け加えた。
米国西部の某都市──砂漠地帯の乾いた風が吹き込む小さなホテルの一室で、私はマルセーラ・ロアイサと会った。
本書の訳者でマルセーラと面識のある常盤未央子がいなければ、おそらくは相当にぎこちないインタビューとなっていたはずだ。緊張と怯えで固くなったマルセーラの心を解きほぐしたのは、常盤の明るい性格と優しい気遣いであったことは最初に記しておく。
マルセーラは続けた。
「日本人の男性を目の前にすると、どうしても昔の記憶がよみがえってしまうんです」
日本から逃げるようにしてコロンビアへ帰国した経緯については本書でも描かれている。「許してください」と繰り返す彼女の困ったような顔を目にしながら、彼女の心の中に刻印されているであろう日本の風景を、日本の男を、私は思った。
マルセーラは日本のヤクザに追われている。少なくとも彼女はそう思い込んでいる。当然のことだ。彼女を”取り引き”したのはヤクザであり、そして彼女は日本において”商品”であり続けることを拒否した。マルセーラの逃亡に外形上、どれだけの正当性があったとしても、ヤクザのビジネスを破壊したことには違いない。契約の不履行に暴力で応えるのが斯界の筋だ。年月が経とうとも、彼女が日本で目にした暴力の風景は消えることがない。
「過剰な恐怖心だと思われるかもしれません。恫喝と脅迫によって、私自身が洗脳されているのかもしれません。でも、そう思い込んでしまっている時点で、すでに彼ら(日本のヤクザ)のワナにはまっていることを意味するのだと思います」
マルセーラは「それが悔しい」のだと、泣きそうな顔で訴えた。
マルセーラの言によれば、実際に”報復”の犠牲となった者もいるのだという。同じペレイラ出身の女性だ。その女性もまた、日本から逃げて故郷に帰ってきた。ヤクザの暴力と搾取に耐えられなかったからだという。女性は帰国してから3週間後に死んだ。花の配達人を装ったヒットマンに、自宅の玄関で撃たれたのだ。地元では女性の死が「ヤクザの報復」だと信じられている。
真相は明らかとなっていない。いや、マルセーラにとって真相よりも重要なのは、同じ境遇の女性が殺されたという事実だけだ。人身取引は、有形無形の圧力によって成立している。その回路を断ち切るには、ときに銃弾を浴びる覚悟も必要だということを、教え込まれてきた。いまでも彼女は自宅のドアがノックされるたびに緊張を覚えざるを得ない。花束の中に隠された拳銃が自分に向けられる悪夢から逃れられないでいる。
「恐怖は一生、消えない。ヤクザのイレズミと同じです」
彫り込まれた種々の色彩を払い落とすかのように、マルセーラは自らの腕をさすった。
「わたしたちは奴隷ではない」
「いまでも、なぜもっと早く逃げなかったのかと聞いてくる人は少なくない。監視と暴力システムを知ってしまえば、逃げることがいかに困難なのか、誰でも理解できると思うのですが……」
そう、簡単なことではないのだ。「想像してもらうことのほうが少ないけど」とマルセーラは嘆いた。毎日、 10人の客を取り、10日ごとにマネージャーへ10万円を渡す。転廃業の自由も、自立もない世界。
「いつしか働くことの意味さえわからなくなってくる。これが私の人生なのだと思い込むことで、毎日をやり過ごしていました」
働くことの意味や誇りなど持ちようがなかったのだ。
仕事を終えてコンビニでおにぎりを買う。それをユンケルで流し込む。
「唯一、美味しいと思えた日本食。そして、唯一ホッとできる瞬間でもありました」
それは終業後に手作りの餃子を口にしたときだけが「まだ人間なんだと実感できた」と話した中国東北部出身の実習生の姿と重なる。この実習生(女性)は後に実習先の縫製工場を労働法違反で訴え、裁判で慰謝料を勝ち取った。勝訴した際、報道陣の前で広げた垂れ幕には「我們不是奴隸(私たちは奴隷ではない)」と記されていた。
その実習生も、仕事そのものを嫌ったわけではない。ささやかな希望と誇りをもって働くことができたかもしれないのに、日本側が取り決めたシステムがそれを許さなかった。
私がここであえて実習生を持ち出すのは、外国人セックスワーカーと実習生が、日本における人身取引の被害者として、国際的に認知されているからである。
米国務省は世界各国の人身取引に関する状況を調査した報告書を毎年公表している。報告書では日本の状況について「外国人女性への売春強要」と「外国人技能実習制度」がともに人身取引に等しい行為であると指摘。日本は主要先進国のなかでは最下層評価のロシアをやや上回る程度の評価認定を受けている。
もちろん、そもそも米国に他国を評価する資格があるのかといった疑問を感じる方も少なくはないだろう(私もそう感じてはいる)。また、たとえば本書においても、凄惨な暴力シーンなどほとんど書かれていないのだから、「人身取引」「人身売買」「奴隷的労働」といった定義づけに違和感を持つ向きもあるか もしれない。だが、直接的な暴力や、暴力を用いての束縛がなくとも、自由で自律的な意志を制限することだけで、広範囲に「人身取引」「奴隷的労働」として捉えることは、いまや世界の常識なのだ。
この点は従軍慰安婦問題をめぐる日本社会の一部の認識とも似通っている。「強制連行」や「軍関与」の有無だけを問題の焦点とするならば、被害当事者の苦痛が見えてこないばかりか、国際社会からの批判をかわすこともできないであろう。
ましてやマルセーラはヤクザのコントロール下に置かれていたのである。
「実際、『逆らったら娘の葬式にも出られなくなる』とヤクザに脅されていました。その恐怖が、私を仕 事に向かわせていただけなのかもしれません」
そうした恐怖は、ときに正常な思考や判断力さえ奪い取る。
本書の中にも、毛嫌いしているはずのヤクザの幹部に恋心を寄せるような記述が出てくる。この矛盾は、しかし、時間が経過してみれば「説明が付くもの」だとマルセーラは答えた。
「本当に好きだったのかと問われれば、多分好きだったのだと思う。誰かに守ってほしかったし、すがりたかった。恋している間は守ってもらえると思った」
絶望のなかにあっても、どんな暗闇のなかであっても、人はわずかな灯りを探すものだ。そこから逃れるために。苦痛を忘れるために。そして、生きていることを確認するために。汚泥に満ちたドブ川にも花は咲く。マルセーラは一輪の花に一瞬の夢を託したにすぎない。
兵士に恋した慰安婦がいたように。
「書くこと」が救いに
コロンビアに帰国してから現在までの間も、けっして平坦とはいえない道のりを歩んできた。
コロンビアでは自身の経験を伝えることで社会のために役立とうと考えるも、世間の無理解が彼女を再びセックスワークの世界に戻すことになる。だが、旅先で偶然に知り合った米国人男性と恋に落ち、結婚のためにコロンビアを離れたことは本書の続編(未訳)で詳細に語られている。
「せっかく日本から逃げ帰っても、故郷に幸せはなかった」とマルセーラは言う。
南米社会に色濃く残るマチズモ(男性優位主義)が彼女を苦しめる。
「売春経験を話すことはコロンビアを貶めるものだと怒る人もいました。女性が社会運動に関わるだけでも非難する人がいます。また、国会議員のなかには売春ビジネスに関わっている人もいるので、そも そも”告発”じたいが好意的に受け止めてもらえない」
人身取引廃絶を訴える社会運動の前線に立つことも許されず、かといって他に仕事を見つけることもできない。マルセーラが帰国した母国において高級娼婦の道を選んだのも、その仕事しか残されていなかったからだ。
「本当は、もう、セックスが嫌で嫌で仕方なかった。でも、生きぬくためには、子どもを育てていくためには、自分を壊していくのも仕方ないと思ったんです」
そうした自暴自棄から彼女を救ったのは、セラピーだった。
せめてもの心の平安を願って受けたセラピーが、マルセーラに新しい希望を与えることになる。
「辛いと思っていることを、そのまま書いてほしいと言われたんです。私には文章を書く力も経験もなかったから最初は戸惑いました。でも、自分の経験や胸の内を素直に書き綴っていたら、不思議なことにだんだんと気持ちが落ち着いてきたんです」
自分のなかに苦痛をため込まないことが大事だと教えられた。だからすべてを吐き出すように言葉を紙に連ねた。苦痛を、不安を、自分では整理しきれない矛盾も。
「書き始めたら止まらなかった」という。怒りを叩き付けるように、とにかく書いた。書きまくった。
誰に向けた怒りだったか。自分を利用したヤクザか。体の上を通り過ぎていった日本の男たちか。蔑むような目つきをしたコロンビアの政治家か。女性に仕事の選択肢を与えない社会か。貧困か。それとも自分自身に向けてだったか。
サバイバーとして体験を語る
過去の自分については家族皆が知っている。誰もそれを責めることはない。いまの小さな幸せが、過去の犠牲の上に成り立っていることを家族がきちんと理解しているからだ。
だから、呼ばれれば講演にも積極的に出かける。米国各地だけでなく、英国やインドで講演したこともある。
「人身取引の恐ろしさを話すことで、さらなる犠牲者が出ることを防ぎたいんです。モラルや道徳を伝えたいわけじゃない。ただ、理不尽な悲しみが世の中に増えることを私は望んでいないだけです」
人身取引を生み出すものは何かと私が問うと、彼女は次のように話した。
「すべての原因は貧困にあると思うんです。貧困があるからこそ、教育の機会が奪われる。貧困のためにチャンスに恵まれない。そして人生の選択肢が狭められる。その問題に取り組まない限り、人身取引も奴隷労働もなくならない。本当は政治が解決すべきことなんです。でも、政治家が本気で取り組まないのであれば、せめて、私の地獄のような体験を人々に伝えて、自衛してもらうしかない。売春が悪だと言いたいのではなく、都合よく利用されるためだけに、自分の意志を殺して売春することは避けてほしいと思っているんです」
なぜならば —— とマルセーラは続けた。
「幸せな結末を見たことがないんです。少なくない女性たちが、自分自身を壊していく」
売春に身を投じた仲間たちのほとんどは消息を絶っている。どんなに稼いでいても、どこかで「壊れて」 いく。ドラッグにおぼれていく者も少なくない。そこに人身取引が絡んでいけば、その時点で自分の体は他人によってコントロールされることになる。
「恐怖によって支配されたビジネスが成立すること自体がおかしいでしょ? せめて人間としての尊厳だけは捨ててはいけないと思うんです」
彼女の体験は、一つの結論を導き出すものではないだろう。しかし、何かの議論を促すきっかけにはなるはずだ。同時に彼女が見た日本を、彼女が感じた日本を、彼女が嫌悪して、でも少しだけ愛した日本人のことも、できることならば日本の地で話してほしい。
私はそう伝えた。
マルセーラは表情を変えずに黙っていた。
少しの沈黙。小さな戸惑い。彼女のなかで「日本」がよみがえっていることだけはわかった。
長い時間をかけて打ち解けた後だったから、出会ったときのように「こわい」とは口にしなかった。
だが、マルセーラは結局、答えらしい答えを口にすることなく、私に笑みを返しただけだった。
日本」はまだ、マルセーラを解き放してはくれないのだ。