2011.12.07
国だけでは、もはや日本という社会は支えられない
病気にかかったり、その回復期にあって保育園・幼稚園での集団保育が難しい子どもたちを一時的に預かる「病児保育」は、共働き家庭にとっては欠かせない施設。しかし日本には、その整備がまったく追いついていない現状がある。そうしたなか、社会起業家として病児保育に取り組んできたのが、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さん(32)だ。
NPO法人フローレンスは東日本大震災後、その事業経験を生かしてさまざまな被災地支援にチャレンジしている。12月8日には、外でなかなか遊べない福島の子どもたちのため、屋内で安心して遊ぶことのできる施設「ふくしまインドアパーク」を立ち上げた。社会問題を解決するため、積極的に事業を立ち上げつづけていく駒崎さんに、3.11以降のNPO、社会起業家のあり方について伺った。(聞き手・構成/宮崎直子)
屋外活動ができない福島で、子供が遊べる場所を
―― 「ふくしまインドアパーク」を立ち上げようと思ったきっかけは。
震災直後から放射線の影響で、子どもたちが外で遊べない状況がつづいています。福島県出身の妻の友人たちが嘆いているのを知り、これは何とかできないかと思いました。そこで、フローレンスは「病児保育」事業を軸に、待機児童問題を解決する小規模保育サービス「おうち保育園」や、不動産会社とともに「子育て支援マンション」をつくる事業を行なってきたのですが、東京都・勝どきの施設内で運営していたインドアパークを被災地でもやれないかと思ったんです。
場所を探しはじめたところ、ツイッター上で西友の副社長から「われわれに何かできることはありますか」というメッセージをいただき、さっそく話を進めていくことになりました。半年間の苦労を経て、製薬会社グラクソ・スミスクラインや孫正義氏の寄付によって設立された「東日本大震災復興支援財団」などからの寄付を活用し、12月8日に郡山市最大のショッピングセンター「ザ・モール」内に「ふくしまインドアパーク」を設立しました。乳幼児が安心して遊べるように創意工夫をしています。子ども同士でコミュニケーションをとりながら遊べる、ちょっと変わった遊具を海外から取り寄せています。
―― 乳幼児にとっての「遊び」とは。
乳幼児の「遊び」は人格を形成するために欠くことのできない要素のひとつなんですね。発達心理学では遊びは心をかたちづくる行為といわれています。たとえば子どもは「ごっこ遊び」をしますが、これは想像力を養うプロセスで、コミュニケーション能力の土台となります。相手の行動にどう反応すればいいのかを遊びを通して学んでいきます。子どもにとって遊びは「心の栄養」なんですね。とくに0~6歳の未就学児が外で遊べないというのは死活問題。そこをきちんと手当するような場がいくつも必要です。今後は郡山を皮切りに福島県内の他の都市にも広げていきたいと考えています。
岩手、宮城、福島の中高生800人に「進研ゼミ」を提供
―― 子どもの貧困問題にも取り組まれていますね。
病児保育事業では、ひとり親の方に病児保育を安価に提供することをずっとやってきました。たとえば、ひとり親の世帯では子どもの学校外教育費用を払えません。とくに都市部では学校と塾がセットで受験の勉強が成り立つようになっています。親がお金を払えないことによって子どもの将来の可能性が狭められ、また子どもの収入も下がるというような、ある種の貧困の社会的遺伝が起きてしまいます。
震災後は失業率が高まり、失業保険が切れると一気に貧困に陥ることになります。当然、子どもの教育のチャンスもなくなります。そこで、ベネッセコーポレーションと共同で、岩手、宮城、福島の中学生、高校生を対象に「希望のゼミ」事業を立ち上げ、定員600人を上回る800人に進研ゼミを無償で提供しました。基本的には低所得世帯の子どもたちに対して行なっています。
―― 現地の雇用を生み出すということもつねに視野に入れていますね。
12月4日に、宮城県石巻市で地元の塾と提携して無償学習室を開きました。「希望のゼミ」の受講者を対象に、生徒からの質問に答える学習支援スタッフを常駐させ、生徒の自習をサポートしています。スタッフはハローワークで現地の人を雇いました。ある種のキャッシュ・フォー・ワークとして、地元経済の復興を支える雇用への貢献も目指しています。先の「ふくしまインドアパーク」でも被災地の保育士を雇っています。
―― 「希望のゼミ」を受けた生徒からはどのような反応がありましたか。
生徒一人ひとりに夢を書いてもらっているのですが、あのとき自分を助けてくれた人のようになりたいといった、震災を経験したからこそ描ける未来というものを得た子どもたちが多いんですね。それはすごく本質的なことだと思います。子どもたちはもうすでに前を向いて歩き出している。それをわれわれが「助けてあげる」のではなく、一緒になって走っていくようなイメージで活動していますね。
福島から避難してきた母子の保育支援
―― 「避難家庭保育サポート」についてお聞かせください。
震災によって被災地から東京へ避難してきた家族の子どもを無償で預かる事業です。たとえば、就職活動で面接に行きたくても、東京では待機児童も多いし、保育園での受け入れも厳しいので非常に困っているという意見が寄せられ、われわれが保育の事業を生かしてうまく助けることができるのではないかと、はじめたものです。福島から県外に避難している人は11月末時点で6万人を超えましたが、その人たちのニーズ調査の結果はどこからも出ておらず、統計がない状況のなかで手探りでやっています。ただ、最近は地元の子育て支援機関の場所がわかるようになったり、行政に相談できるようになったりして、避難者も定住化に向けて一歩ずつ踏み出しています。
3.11以後のNPO、社会起業家のあり方
―― 震災後、3つの事業を立ち上げるに至った、その原動力は何だったのでしょうか。
妻の実家が福島にあり、震災直後は水も出ない、ガスも出ない、食料もきていないという状況でした。命からがら疎開してきた妻の家族を受け入れて、埼玉にある自宅で2、3週間ほど共同生活を送りました。震災を傍目に見るというよりは、すごくパーソナルな問題として感じていたので、被災地を支援したいという気持ちは自然と強くなっていきました。
国だけでは、もはや日本という社会は支えられないということを、この3.11ほど明確に国民に示したものはないと思います。原発事故にしても復興支援にしても、「国は何をやっているんだ」といっているうちに人が死んでいってしまうような状況のなかで、企業やNPOに関係なくみんなで支えていこうと動いていった。
たとえば、Googleが被災者の安否を調べられるツール「パーソンファインダー」を提供したように、本来だったら行政がやるべきことを企業がどんどん担っていく、ある種新しい公共というものが出現しました。社会起業家になる人は今後加速しこそすれ、いなくなることはないのではないでしょうか。むしろ、ぼろぼろの政府や行政を補っていく人たちがどんどん増えていってほしいし、そのロールモデルとしてがんばっていきたいと思いますね。
―― 地方への展開についてはどのように考えていますか。
震災を受けて、とくに地方で個人が立ち上がることが重要だと思いはじめています。たとえば、被災地でNPOなどの市民同士の連帯があった地域とそうでなかった地域とでは、避難所のあり方がまったく違っていて、被災住民たちのクオリティ・オブ・ライフに如実に影響してくるんですね。「ソーシャルキャピタル」とはまさにこのことかと痛感しました。NPOにしても企業にしても、幅広い分野でソーシャルな活動をする人材がこれからどんどん出てくる必要があると感じています。
病児保育に関しては、昨年大阪で「NPOノーベル」(http://nponobel.jp/)というフローレンスをモデルにした団体が立ち上がりました。現在は鳥取からふたり研修生を受け入れ、半年から一年のプログラムを組んでノウハウを提供しています。また、「子ども・子育て新システム」によって子育て支援や保育園のシステムが大きく変わろうとしているなか、訪問型病児保育を政策に反映させ、国が補助を行なうように厚労省に呼びかけてもいます。さらに既存のベビーシッター会社や保育会社で病児保育をはじめるところも増え、徐々に一般化しつつあります。全国にはこうしたかたちで広がっていますので、必ずしもぼくらは支店を出す必要はないんですね。むしろ支店を出していたら遅くなる。業界が立ち上がっていくほうが、早くて網羅性が高いと思います。
―― 海外との連携についてはどう思いますか。
今回の震災で、いままで支援する側だった日本が、はじめて支援される側になったわけですが、日本のNPOが国際的に認知されているかというとまったくそうではありません。われわれはもっと国際発信をして存在感を出していく必要があります。日本の課題解決モデルは世界に輸出できます。日本は世界で最速のスピードで少子高齢社会に向かっています。
2050年には人口の4割が高齢者で、労働人口は現在の3分の2になりますが、そんな国は他にはありません。しかし多くの国、とくにアジア諸国は、あるポイントを超えたら少子化に向かって日本の後を追います。中国、シンガポール、台湾、韓国もそうです。そうすると、日本はどうやって解決したんだろうと必ず参照されるはずなんですね。そこで、われわれはこのようなイノベーションを起こし、こうくぐり抜けてきたんだというノウハウを提供してあげることが重要になるのではないかと思います。
―― 最後に駒崎さんが考える社会起業家とは何ですか。
ぼくはマハトマ・ガンジーの「あなたが見たいと思う変革に、あなた自身がなりなさい」という言葉が好きです。社会を変えることは、自らを変えていくことに等しいという意味で、本当に真理だなと思うんですね。自分が動いてもどうせ変わらないというメンタルモデルをまず変えて、とにかく自分は動くんだと一歩踏み出すことによって確実に社会は動いていく。いまでこそ、社会起業家は社会的にリスペクトされ位置づけられるようになりましたが、一方で、ぼくは社会起業家を定義できるほど、まだ実体が足りていないと思っています。
われわれは行ないあるのみです。つまり社会起業家ってこういうもんだという「もの」を見せることが、ぼくら実務家に一番大切なことかなと思うんです。サンプルはぼくも含め、日本ではたかだか百何十人というレベルです。もっともっと、何千人と増えていかなければいけない。そこにおいて、はじめてきちんとした定義ができる。手を汚して、本当にその事業に掴みかかっていくような人たちが、まだまだ足りないんじゃないかなという気がしています。
NPOフローレンス http://www.florence.or.jp/
プロフィール
駒崎弘樹
NPO法人フローレンス代表理事。1979年東京都江東区生まれ。慶応大学総合政策学部卒業。「子どもが熱のときに預かってくれる場所がほとんどないという『病児保育問題』を解決し、子育てと仕事の両立が当然の社会を創ろう」と、05年4月に全国初の非施設型・共済型病児保育サービスを開始。2007年ニューズウィーク「世界を変える社会起業家100人」に選出。10年からは待機児童問題解決のための小規模保育サービス「おうち保育園」を開始。2011年内閣官房「社会保障改革に関する集中検討会議(座長:菅首相)」委員に就任。プライベートでは10年9月に1児(娘)の父に。経営者でありつつも2か月の育休を取得。著書に『「社会を変える」を仕事にする』『働き方革命』『社会を変えるお金の使い方―投票としての寄付・投資としての寄付』など。