2021.08.02
科学的知識を伝え続ける
東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、福島第一原発事故)が起きたことにより、福島県民は、放射能に対する不安と向き合うことを余儀なくされました。放射能による健康影響に対して、フリーライターの服部美咲さんは、前提知識があまりない人にもわかりやすい記事を、シノドスの福島レポートで発信してきました。2021年6月に出版された著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)は、10年間積み重ねられた科学的知見のエッセンスを総合した本です。住民と科学の間の橋渡し役を務めてきた服部さんに、執筆活動の背景や書き手としてのスタンスを聞きました。
原発事故から数年を経ても解決されない問題
――とても分かりやすく書かれていますが、扱っているテーマはとても難解であると思います。まず、こうした記事を書くようになった経緯をお伺いします。かつて服部さんが福島の被災地の書かれた記事を覚えていますが、暮らしの豊かさを伝えることに使命感を持っている印象がありました。
原発事故前から、「書いて伝える」という仕事をしていました。原発事故後、農家さんの取材を重ねながら、環境省「環境再生プラザ」の主催する学習型ツアーに参加しました。そこで高橋荘平さん(一般社団法人・えこえね南相馬研究機構代表)と出会いました。何度かお話を伺う中で、「震災と原発事故前の日常に戻ることはできない。これからは自分たちの手で、新しい日常をつくっていきたい」という言葉が胸に残り、原発事故後の福島で新しい日常をつくろうと歩む方々の姿を伝えたいと考えるようになりました。
――高橋さんの記事は、震災と原発事故を背景にした暮らしの話でした。その後、放射能や被ばくに直接関係する記事が増えていきますが、書き始めたきっかけを教えてください。
福島の方々のお話を伺ううち、原発事故から数年を経ても、解決されない問題が残っていることを知りました。原発事故で受けた放射線による健康影響に関する不安もその一つです。
原発事故後の福島では、放射線や放射性物質の測定がかなり徹底的に行われました。データも公開されています。県内各地域に測定器も設置され、自分で自分自身の被ばく線量や食べ物などの放射能濃度を測ることもできました。しかし、わかった数字の意味を理解して、実際の生活にいかすとなると、別の問題です。特に、妊娠や出産、育児のただなかにいらっしゃる方の迷いや悩みは深かっただろうと思います。
――ある程度データがそろったけれども、それによってすべての問題が解決するわけではないということでしょうか。
放射線被ばく線量と健康リスクの関係については、環境省をはじめとする各省庁や研究機関でも説明されています。その説明に、実際に測った被ばく線量や放射能濃度をあてはめれば、理論上は自分の健康リスクがわかります。でも、それをあらゆる局面で実践し続けるというのは、決して簡単なことではありません。
それから、そもそも「科学的事実を正しく理解するためにはある程度の努力が要るのに、誤った情報は単純化されて印象に残りやすい」という問題もあります。
たとえば「福島第一原発事故による放射線被ばくの影響はわからない」という言い方があります。放射線被ばくの後発影響(がんなど)についてよく目にする表現です。これは、「加齢などのがんの主な要因と比べると、福島第一原発事故による放射線被ばくの影響は、疫学的には確認できないほど小さい」という意味です。日常的に私たちが使う「わからない」とは、少し異なります。
一方で、「被ばくの影響で何が起こるかは誰にもわからない。将来何か酷いことが起こるかもしれない」という誤った解釈を、ネットなどで見かけます。まさに私たちがいつも使っている「わからない」と同じ使い方です。メッセージも単純です。一般的にこちらの方がより受け入れられやすいと思います。たとえばSNS上では、こちらの方がずっと速く広く拡散されるのではないかと思います。Twitterのツイートの傾向分析で、科学的事実よりも、恐怖や不安、怒りなど、感情的な投稿が拡散されやすいという研究もあります。(https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0203594)。
放射線の健康影響について、「いまさら人に相談できない」と思ったとき、スマホで検索する人は多いと思います。ネットには、「印象に残りやすいけれども誤った情報」があふれています。そういう情報に最初にアクセスしてしまうと、そのショックが大きすぎて、あとから軌道修正をはかるのは難しいでしょう。
――データがそろったにもかかわらず解決されない問題の背景には、公的機関や専門家による情報発信が不十分だったこともあったと思います。
そうかもしれません。pdf資料をダウンロードして開くと、専門用語や数字の大洪水。「正直なところ読む気になれないんですよね」という声もかなり聞きました。福島第一原発の廃炉に関する情報発信で、よく見る状況です。もちろん、分野によってはわかりやすい資料もあります。
ただ、とりわけ甲状腺検査に関しては、受診者への情報提供が十分に行われていないというのは、できるだけ早く改善されるべき状況です。通常の医療の現場で、検査や治療にともなう不利益の存在そのものが受診者に伝わっていないという状況が、10年も続くというのは、考えられないのではないかと思います。
意識しているのは「事実を書くこと」
――記事を書くためには相当な知識が必要です。放射線の健康影響に関する知識はどのように得ていますか。
原発事故直後、放射線に関する情報は、今ほど多くありませんでした。2011年3月下旬に放送されたNHKの番組が印象に残っています。浦島充佳先生(東京慈恵会医科大学)が、「福島第一原発事故による放射線の健康影響をどう考えるべきか」というテーマで、解説をしてくださっていました。番組を観てすぐに、チェルノブイリ原発事故後の放射線の健康影響についての国際機関の発表資料を調べました。それがきっかけとなって、放射線の健康影響について、国内外の資料をあたりました。
「今後・どこで・誰に・どんなリスクが・どのくらい考えられるのか」ということの、だいたいの相場観のようなものを掴めたのはそのときです。その後、各省庁や自治体の発表は随時確認していました。放射線やその影響に関する国内外の研究機関の資料も、発表され次第読んでいました。福島のことを伝える仕事とは別に、疾病解説や治療法の解説を冊子などに書く仕事をしていて、医学系の英語論文を読む習慣がありました。
甲状腺検査など、特に専門的な情報は、県の県民健康調査検討委員会のほか、関係する学会やシンポジウムも傍聴するようにしています。NEJMやJAMA、Lancetをはじめとした学術雑誌の最新論文も、できるだけ日々追っています。
――福島第一原発で発生する処理水についての対談をまとめられていますが、廃炉作業の知識はどう得ていますか。
原発構内の状況については、主に新聞から情報を得ていました。原発事故からしばらくは、じつは全体像がつかめないままでした。開沼博先生(東京大学)、吉川彰浩さん(一社AFW)、漫画家の竜田一人さんの「福島第一原発廃炉図鑑」(太田出版)を読んだことがきっかけで、勉強会に参加し、初めて福島第一原発の構内視察にも参加しました。この時期を境に、東京電力の会見やリリース、経済産業省資源エネルギー庁関係の専門家会議などを、放射線についてと同じように、随時読みこめるようになりました。
――難しい内容の記事が少なくありませんが、公開前にどのようにチェックしているのでしょうか。
基本的に、私は、記事を公開前に取材対象の方にみていただくことにしています。その前の段階で、別の専門家の先生にご高閲いただくこともあります。今「基礎知識」として発信している比較的短い記事については、専門の方に監修していただくとともに、現場で状況をよく把握されている方にご指導を仰ぐこともあります。すべて、できる限り正確な情報を発信するためです。
――インタビューを受けた本人にもチェックしてもらうのはなぜですか。
私は、福島について取材し、記事に書くことで、必ず誰かの心を傷つけているのだと常に感じています。同時に、できるかぎりそれを最小限にしたいと意識もしています。
原発事故後の福島についての発言を、書き手の政治的スタンスに基づいて、不自然に切り取られた経験を持つ専門家が少なくありません。それも、発言全体の意図が、実際とは異なるものに変質してしまうような切り取り方です。そういった経験にショックを受け、優れた科学者が福島について語ることをやめられた例を、いくつも見聞きしました。胸が痛みました。それは、結果的に福島の住民の方々の生活の歩みを妨げることだとも思います。
ただ、伺った言葉だけをそのまま文字に起こしただけでは、かえってお話の本意は伝わりません。声のトーンや表情、身振り手振り、背景事情など、文字だけでは起こしきれない大切なことはたくさんあります。それらと取材以外でのやりとりなどもあわせて、インタビューの「場」を、記事の上で再構築できればと思っています。
――切り取り方に関して言うと、福島県の業界団体の責任者の方々のお考えを報じることは、とても難しいと感じています。なぜなら、出席された会合によって発言内容が変わったり、各メディアのインタビューごとにまったく違うことを話したりすることは珍しくありません。
インタビューは、生きものだと思います。同じ人へのインタビューでも、聞き手がかわれば、大きくかたちを変えます。ただ、内容が正確であることと、読み手を混乱させないことは、記事を書く上で大切なことだと思います。
何度もお話を伺ったり、公式の会合でのご発言をたどったりして、インタビューの場で伺ったことと総合し、いったん記事をつくった上で、ご本人に、真意との大きな齟齬がないかどうかを確認していただくようにしています。
――中立的であろうと意識されることはありますか。
私自身は、特に意識して中立であろうとしたことはありません。私が意識しているのは、「事実を書くこと」です。その上で、各分野で合意をみていない領域については、できるだけたくさんの論文を読み、専門家の先生方のご指導を仰ぎます。
提言をするためには科学的な事実が出揃う必要がある
――事実を伝えるだけではなく、提言をしたほうがよいとの意見もありますが、どのように考えていますか。
生活の主役は福島の住民です。生活の根幹にかかわる価値判断の主体も、また住民です。私ができることは、原発事故後の福島について、今わかっている事実を、できるだけわかりやすく伝えることだけです。どんな意見や立場の方にも、事実がひとしく届くようにしなければならないと思っています。私個人の意見(オピニオン)を前面に出すことは、事実(ファクト)が届く範囲を狭めかねません。実際に、原発事故後の福島では、オピニオンが氾濫したために、届かなくてはならないファクトが、届かなくてはならない住民に届かないという状況が頻発したのではないかと感じています。
提言の是非とは別に、提言が実現可能かどうかを考えなければなりません。
提言をするためには、まずは科学的な事実がある程度出揃う必要があります。それから、たとえば甲状腺検査についての提言であれば、それは制度設計の提言です。設計された制度からこぼれ落ちる住民が想定されるような提言は、不備のある提言です。福島には、さまざまな価値観や思いを持つ住民がいます。それをほぼすべて想定した上での提言でなければ、出す価値がありません。
科学的な事実がいつ出揃ったのかについて考えます。まず、2018年に国際がん研究機関(IARC)が甲状腺検査について勧告を出しました(http://publications.iarc.fr/571)。このときまで、「子どもや若年者の、原子力災害後における、甲状腺がんスクリーニング」について、提言のよりどころにできるほどの科学的根拠はありませんでした。そして、制度設計を提言するためには避けて通れない要素が、原発事故後の福島の子どもの初期被ばく(甲状腺がんのリスクとなる放射性ヨウ素の被ばく量)のレベルです。この報告がまとめられたのが、2020年のことです(https://www.nature.com/articles/s41598-020-60453-0)。このときまで、福島の子どもの初期被ばく量が、甲状腺がんの原因となるようなレベルではなかったとして、提言のよりどころとできるような科学的根拠はありませんでした。
以上のことを考えると、少なくとも甲状腺検査の改善案の提言が可能になったのは、2020年以降である、ということになります。そしてまさにその直後に、緑川早苗先生と大津留晶先生の『みちしるべ』(POFF)が刊行されています。この本で提言されている甲状腺検査の制度設計は、2020年にようやく十分に出揃った科学的な事実をベースにしながら、住民をひとりも取りこぼさないようなものとして、きわめて綿密に組まれています。
原発事故後の福島で、甲状腺検査の現場に開始当時から立ち続け、住民と寄り添い、この問題について徹底的に知り、考え抜いた緑川先生と大津留先生だからこそ可能な提言だったと思います。これ以上の提言は私には到底不可能ですし、またその必要も感じません。
――2017年に服部さんが発表された記事「福島における甲状腺がんをめぐる議論を考える――福島の子どもをほんとうに守るために」(https://synodos.jp/fukushima_report/21587)は、福島で行われている甲状腺検査について、全体像をコンパクトにまとめた初めての記事であったと思います。あれから4年以上たっていますが、福島県や県民健康調査検討委員会の改善に向けた動きは鈍いです。この検査を今後どうしたらよいのか、お考えをお話しいただけますか。
今福島で行われている甲状腺検査のあり方は、改善される必要があると考えています。今の形の検査によって、福島の子どもたちや若い人たち、そのご家族が深く傷つくリスクが指摘されています。そして、原発事故から10年が経過した今、住民の不安の性質や、不安を抱えた人がどこにどれだけいるのか、少なくともそれが原発事故当時とまったく同じであるとは考えにくいのではないでしょうか。
ただ、ある日突然検査のすべてを中止するのではなく、住民の甲状腺がんについての不安や、その陰にかくされた別の課題などをすくいとれるような、より本質的な「見守り」のかたちを同時に考える必要があるとも考えています。緑川早苗先生と大津留晶先生が出版なさった書籍『みちしるべ』に具体的な案が示されています。
科学的事実やデータを前にしたときどのようにふるまうか
――福島に関するメディアの記事や報道姿勢に関してはどのようにみていますか。
福島の住民は、仕事や家事、育児に追われています。専門家会合やシンポジウムなどを傍聴したり、学術的な論文を読んだりすることは、現実的に難しいと思います。だからこそ、それらを取材して伝える報道の責任は重いでしょう。
新聞やテレビなどのマスメディアについては、福島の地元紙や地元テレビ局、大手メディアの地方局の方々の努力がありました。ただ、今般の新型コロナウイルス感染症に関する情報をはじめ、さまざまな災害や事件、事故など、日々のニュースを伝えるだけでも手一杯だと思います。
原発事故後の福島について、一般の私たちにまでは情報が届いていなくとも、「科学的にはここまでは言えるのだ」という知見は日々重ねられています。それを正確に伝えるためには、発表された論文の内容をしっかり理解する必要があります。また、専門家会合では専門用語が頻出しますし、最新の論文は当然読んでいるものとして議論が展開されていきます。委員の発言の意味や意図を理解するためにも、やはりかなりの本数の論文を読みこまなくてはなりません。しかもその多くは英語で書かれた学術論文です。
「福島レポート」では、原発事故後の福島のことに特化することで、日々のできごとの取材や報道に追われる既存メディアがカバーしきれない部分を補う役割の一端を担えればと思っています。
――福島の人たちは、地震や津波、原発事故、風評被害などで被災者は厳しい環境に置かれ続けています。出会った被災者の姿から感じたことを教えてください。
心が深く傷を負うような体験は、深刻なマイナスの影響を人生にもたらします。大切な家族を奪われ、故郷を追われ、突然見知らぬ土地でゼロから生活を作り直せと言われて……。「もう二度と立ち上がれない」と思うほど打ちのめされてしまうのは、人として当然のことだと思います。今、この瞬間にも、どれほど前を向こう、立ち上がろうともがいても、どうしようもないほど苦しんでいる人もいることでしょう。立ち上がろうと思うことすらできない人もいると思います。
それでも、人は自分の人生をより豊かにする糸口をつかむことがある。私は福島で、そう教えられました。
あれほどの体験を生き抜き、今を生きていらっしゃるすべての方々に、私は畏敬の念を抱いています。
――「復興する福島の科学と倫理」というタイトルにした理由と、そこに込めた思いを聞かせてください。
この本は、「原発事故後の福島について知りたい」と思った方に手に取っていただきたいと思って書きました。
今の福島について知ってほしいことは、まず科学的な事実です。参考文献をできるだけ細かく挙げました。最新情報にアクセスできるような情報も入れました。
「倫理」は、「人の行動の根幹にあるもの」(行動規範、行動様式)のことです。医療倫理や報道倫理など、それぞれの分野によって、少しずつ意味合いを変えて使われていると思います。日常的には、「道徳」と同じようなものとして使われているかもしれません。
同じ科学的事実やデータを前にしたとき、どのようにふるまうか。原発事故の福島で、科学者や報道機関が最も問われたのが、「倫理」だと思います。
たとえば、同じ量の放射性物質を前にして、「前年の2倍に増えた」と報じるか。あるいは「自然界にもともとある放射性物質による影響の1/2000だ」と報じるか。これは実際にあった報道の比較です。受け手にあたえる印象が逆方向だと思います。これは科学的な問題ではなく、報道する者の倫理の問題でしょう。報道者の倫理については、本書では収めきれませんでした。いずれきちんと考察するべき課題だと認識しています。
今回、甲状腺検査の倫理的問題について大きく紙幅を割きました。福島の甲状腺検査は、倫理的な課題です。科学的には、初期被ばく線量がチェルノブイリ原発事故に比べて桁違いに低く、とても甲状腺がんのリスクとなるようなレベルではなかったことがわかっています。福島県も、環境省も、検査実施機関である福島県立医科大学も、その点では合意しているはずです。それでも、甲状腺検査は、10年前とほとんど変わらない形で継続されています。
福島の甲状腺検査をめぐる状況は、とても理解しにくいと思っています。まず、「過剰診断」という、医療従事者でも十分に理解していないような専門的な現象を理解しなければなりません。それからもうひとつ、通常の医療行為(検査や治療)から、「はみ出ている」(行政サービスなど複数の)検査であるということも、事態を複雑にしていると思います。
原発事故に、多くの人が心配したのが、「福島の子どもの甲状腺がんが増えるんじゃないか」というでした。だからこそ、福島県は、行政として、「子どもの甲状腺がんについては、本気で見守っていますよ」ということだけは、絶対に県民に約束しなければならないと判断したのだと思います。実際に、ある医師は「県民との10年前の約束を守らなければならない」と語っています。本書でインタビューに応えてくださった医師は、「本気で見守りたいのであれば、検査機器を喉にあてるのではなく、一人ひとりの今このときの思いに耳を傾け、長い時間をかけて、共にその苦しみを解きほぐしていくべきだ」と仰いました。
甲状腺検査に限らず、原発事故の福島では、科学ではとてもカバーしきれない人間の選択と苦悩がありました。原発事故後の福島をめぐる倫理については、今後さらに考えを深めていきたいと考えています。
――本書の「はじめに」と「おわりに」からは、福島で子育てをされているお母さんたちに最も読んでほしいのではないかと感じます。
育児の合間に、インターネット検索をする前に、ちょっと開いてみていただけたらと思っています。参考文献も、紙幅の許す限り示しました。
原発事故から10年が過ぎました。今、福島県外で、福島のことを知ってみようと思った人にも、届くことを願っています。
――原発事故の影響に向き合うためには、科学的知識が必要でした。被災地の住民は、そうした知識をどのように活用できるのでしょうか。
飯舘村に帰って暮らす友人が、「原発事故後の福島で暮らすために、科学的な知識が役立った」と仰いました。その一方で、「科学を振りかざして」という言い方を、今でもときどき目にします。科学的な事実それ自体は、善くも悪くもありません。ただそこにあるものです。でも、科学的な事実に裏打ちされた「正しさ」(価値判断)の押し付けが、かえって住民を傷つけることもあると思います。
住民の中には、感情的な口調で「放射線への不安」を表現する人もいます。そこに、国や東京電力への怒りや、大切な故郷を奪われた悲しみを感じ取ることがあります。福島に住む方の多くは、地震と津波、そして原発事故によって、多かれ少なかれそれまでの日常を傷つけられました。喪失の痛みを、「放射線への不安」として表現する人が、「放射線の影響を心配する必要はない」と科学的な正しさだけを語る言葉を聞けば、その奥にある痛みまでも否定されたと感じても不思議はありません。
一方で、放射線への不安を誰にも言えない住民もいます。放射線の知識を伝える人を「科学棒」と嘲ることは、住民の知る権利を奪うことにつながります。
原発事故後の福島には、本人でさえ把握しきれないほど、複層的に交じり合う痛みを抱える人がいます。科学的な知識を伝えるときにも、そして逆にそれが凶器になると指摘するときにも、丁寧に相手の心に耳を傾けていきたいと思っています。
プロフィール
服部美咲
慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。
遠藤乃亜
大学卒業の2年後からライター業を始め、