2013.04.08
「ことば作り」の最前線 ――「困ってるズ」へのエール
1
はじめまして。荒井裕樹と申します。いつもは地味に、目立たないように「困ってるズ」を応援しています。先日、編集部から「あんまり陰でコソコソしてないで、ちょっとは表に出てきなさいよ」といわれてしまいました。なので、誠に僭越ながら、皆さんへの応援メッセージを書かせて頂きます。ちょっと長目の文章になってしまいましたけど、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
私は「障害者文化論」というテーマで研究をしている「研究者」ということに、一応(?)なっていて、最近は、ある精神科病院に併設されたアトリエに毎週通っています。そこはなかなかユニークな場所で、入院者や通院者たちがアート活動を心の支えにしながら、しんどい毎日を何とかやり過ごしているんです。「業界」では有名なので、ちょくちょく見学の人たちも来るんですけど、そういった人たちから、よく次のような感想を頂くんです。
「心の病を抱える人は感受性が豊かだから、自分の心を表現するのも上手なのでしょうね。」
これを言われるたびに、私は「ん? それ…ちょっと違うんじゃない…?」って思ってしまうんですね。現場にいる実感から言わせてもらうと、むしろ逆なんです。
自分の「心」ってなかなか表現できないんです。そのアトリエに通う人たちの多くは、家庭や学校や職場などで「これじゃ自分の心なんか表現できないよな…」と、話を聞くだけで滅入ってしまうような状況に置かれていたりするわけです。アトリエという安心できる空間に来て、ようやく「何か表現してもいいかな……」みたいな気持ちになるんです。
「生きるのがつらい人」「言いようのないしんどさを感じている人」。そういう人たちって、自分が抱えている「つらさ」「しんどさ」を表現するのが苦手だったり、すごくためらいを覚えていたりするんですよね。「大変なら大変って言えばいいじゃん」とか思っちゃったりするんですけど、なかなかそういうわけにもいかないんですよね。
というのは、しんどい人ほど「自分のつらさを表現したって何の意味もないじゃん」とか思っていたりするんですよ。他にも「グチっぽくなるのが嫌だ」とか、「弱い自分を見せたくない」とか思ってたりする。みんな子どもの頃から、周りの大人たちに「がんばれ!」「負けるな!」「怠けるな!」「気持ちが大事!」って言われ続けてきてるから、「つらいとかって言ったらいけないんじゃないか」「ワガママなやつって思われちゃうんじゃないか」って考えてしまって、自分の気持ちを表現しにくい。あるいは、ずっとずっと「しんど過ぎる毎日」を送っている人の中には、「痛い」とか「しんどい」という感覚が分からなくなってしまっていたり…なんてこともあります。
で、ちょっと助走が長くなりましたけど、この文章のテーマはこんな感じです。
「自分が個人的に感じている“しんどさ”って、わざわざ言葉にして表現する意味なんてあるの?」
この問題は、すごく難しいんですね。でも、私は「もちろん! ありますよ!」って応えたいと思います。自分の「しんどさ」を言葉にすることは、「自分のため」を超えて、「ほかの誰かのため」になる!!……はずなんです……たぶん……。
2
じゃあ、具体的にどんな意味があるのでしょうか。いろんな文脈、いろんな事情に応じて、いろんな意味があると思いますけど、今回はページの都合もありますから、一つだけシチュエーションを挙げて、私の考えを記しておきたいと思います。
ここは都内のとある中学校。クラスのなかに溶け込めないA君とB君がいます。
A君は「みんなと同じこと」がちょいと苦手。授業中も最初の15分はがんばるけれど、それ以降は目に入る色んなことが気になって仕方がない。となりの友達の気持ちも考えず一方的に話しかけちゃったり、立ち歩いてしまったり…。「そんなことしちゃダメ」って怒られても、「そんなこと」が何か分からない。とにかく、その場の「空気」とか「雰囲気」とか「文脈」とか、はっきりしないものが分かりにくい……。
B君は国語が超苦手。というか、そもそも「文字」がよく分からない。国語の試験問題なんか、見ているだけでめまいがしそう。授業の課題レポートを一生懸命書いても、「字が汚い!」「もっと丁寧に気持ちを込めて書け!」って先生から怒られちゃう。でも手書きは苦手だけど、パソコンなら結構書ける。明日しめ切りのレポートも、パソコンで書けたらいいのにな……。
二人とも悩んでいて、なんだかとってもしんどい。そんなわが子の様子を見ていて、ご両親も困ってる。それで勇気をもって専門的な医療機関を受診したところ、A君は「発達障害」、B君は「学習障害」と診断されました。なんだかイカメシイ名前でよくわからないけど、でも言葉にならないモヤモヤに名前がついてすっきりしたし、診断書を先生に見せたら「いろいろ協力してくれる」って言ってくれた。だけど、なんだか割り切れない感じもする……。
実は、その「割り切れない感じ」を抱えているのがもう一人。A君とB君の担任の先生です。簡単に言うと、ほかの生徒たちにツッコまれた時に困ってしまう。「A君は授業中にうるさいのに、なんで注意しないんですか?!」とか、「なんでB君だけレポートをパソコンで書いていいんですか?!」とか。そんなツッコミがあった時、果たして何と説明すればいいのやら……。
「A君は“発達障害”だから仕方ないでしょ」「B君は“学習障害”だから分かってあげて」 こんなふうに障害の名前を持ち出すのが「その場の説得力」では一番有効なんだけど、でも、これにはちょっと弊害もある。なんだか重々しい「〇〇障害」って聞くと、ほかの生徒たちが身構えて、イヤな感じの距離感が出てしまう。「あいつら、普通の人間じゃないんだ…」みたいな感じで遠ざけられちゃったり、「ごめん……悪いこと聞いちゃった……」みたいな感じで妙にヨソヨソしくされちゃったり……。
A君もB君も、たしかにみんなとは違う。でも、まったく違うわけじゃない。同じクラスで生活していて、遠足も修学旅行も文化祭も体育祭も一緒にやってきた。だから、同じ仲間なんだけど、でも、違うところがちょっとだけ違うというか……「同じなんだけど、ちょっと違う」「ちょっと違うところもあるんだけど、でも基本的には同じ」みたいな距離感でやっていけたら一番助かるんだけど……ああ、なんだか、ちょうどいい言葉がない。
3
そう、「ちょうどいい言葉」がないんです。
「〇〇障害」とか、「〇〇症候群」とか、お医者さんが付ける診断名って、かた苦しいですよね。で、こういう診断名って「違う」という側面が強く出過ぎてしまう。もちろん、障害や病気の種類によっては、まったく違う扱いをしないといけないものもあるでしょう。でも、「確かに違うんだけど、そこまで違うわけじゃない」っていう感じの障害や病気もあるわけですよね。A君やB君がそういうパターンに当てはまるわけです。この「違う」と「同じ」の微妙な感じを表す言葉が、私たちが日常使っている言葉の中には少ない。というか、まったくないんですよね。
で、ここが「困ってるズ」さんたちの腕の見せどころになるはずです。A君やB君が、クラスの皆とちょうどいい距離感でやっていくためには、どんな言葉で説明すればいいでしょうか? この距離感を説明する言葉を考えるのは、もうお医者さんの仕事じゃないんです。彼らと同じような状況で「困ってる」人たちが、自分たちの体験を持ち寄って、「こういう言い方がしっくりくる」という言葉を出し合っていくのが良いんだと思います。
急いで断っておきますけど、「医者が付けた病名などに頼るな!」「そんなものいらん!」というわけじゃありませんからね。とりあえず、今の社会のなかでは、医療のケアを受けたり、福祉の人にサポートしてもらうときには必要になりますから……。
じゃあ、この文章のはじめに出した問題に戻ってみましょう。
「自分が個人的に感じている“しんどさ”って、わざわざ言葉にして表現する意味なんてあるの?」
そう、きっとあると思うんです。
いま見てきたように、「違う」と「同じ」の距離感を表せる「ちょうどいい言葉」を考えて、みんなで作っていく。できれば、分かりやすかったり、伝わりやすかったりする、あんまりかた苦しくない言葉がいいですね。そういった言葉を社会の中に貯めていく。「ことば貯蓄」や「ことば作り」のようなものをしていく。そうしていけば、いつかA君やB君と同じように困っている人たちが、「ああ、こんな言い方があるのか!」って、とても助かるかもしれないですよね。
病気や障害を持っているからって、「あなたはみんなとは違うから…」って遠ざけるのはやめてほしい。でも逆に「同じ人間なんだから、もっとがんばってみんなに合わせろよ!」って無理をさせられるのもご免こうむる。いろんな事情をもった人たちが、いろんな距離感を保ちながら生きていくためには、もっともっと「違う」と「同じ」を説明できる言葉が必要なんです。
いま、学校でも職場でも地域でも、「あなたはみんなと同じなの? 違うの?」って、二者択一をせまってくる感じが強くなってきているんですよね。で、「みんなと同じなら全部同じことをして! 違うなら専門家のところに行って!」って、細かく住み分けようとする。それが親切なことで、適切な対処なんだって、みんなが何となく信じている。まるで「敵か? 味方か?」をせまられてるみたいですね。
でも、「同じだけどちょっと違う」とか、「違うけど少し同じ」とか、「んー、7対3で味方かな…」みたいな人たちが、なんとなく一緒にいられる社会の方が、きっとフトコロが深くて居心地がいいんじゃないかなって、私は思っています。そんな社会のフトコロを広げるためにも、ことばを作っていくことが必要です。「困ってる人」たちが自分のしんどさを語るのを避けてしまったら、次に続く人たちも語りにくくなってしまいます。それは、ますます「困ってる人」たちを増やしてしまうんじゃないでしょうか。
だから、この「困ってるズ!」というメールマガジンは、その「ことば作りの最前線」なのかもしれませんね。みなさん、後に続く「困ってる人」たちのために、自分たちの言葉を信じてみてください。
……と、約束の文字数もオーバーしちゃったので、本当ならここで原稿を終えなきゃいけないんですけど、編集長! お願い! 一つだけ宣伝させてください!
「つらいことって、どうすれば表現できるの?」と思っている人に、ぜひ観てほしいアート展が開催されます。私も実行委員を務めています。日ごろ大変すぎて心に余裕のない方も、逆に余裕のある方も、よかったら覗きに来てください。なんと入場無料でやっております!
東京精神科病院協会主催「第4回 心のアート展――それぞれの感性との出会い――」(会期:2013年4月24日~29日 場所:東京芸術劇場) 詳しくはHPをご覧ください。
http://www.toseikyo.or.jp/art/index.html
(「困ってるズ!」応援版より転載) ※メルマガ「困ってるズ!」は終了しました。
プロフィール
荒井裕樹
2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。