2014.08.07
「子育て支援」を「相続税」で拡充せよ――新成長戦略の限界とその克服
社会保障の迷走――「子育て支援員」
日本の社会保障が、迷走している。最も象徴的なのが、「子育て支援員」の創設だ。2014年3月の政府の産業競争力会議で、民間メンバーが「准保育士」資格の創設を提案。それを受けて政府は、小規模保育・一時預かり・企業内保育所で保育士をサポートする「子育て支援員」資格の創設を、新成長戦略の一つとして6月24日に閣議決定した。
かねてより政府は、女性労働力活用と少子化対策を兼ねた成長戦略として、潜在的待機児童を減らすべく、2017年度末までに40万人分の保育の受け皿を整備する「待機児童解消加速化プラン」を打ち出していた。しかしその一方で政府は、「加速化プランに沿って(認可)保育所定員を増設すると、保育士が2017年度末時点で約7.4万人足りなくなる」と予測していたのだった。
なお、厚労省「保育所関連状況取りまとめ(平成25年4月1日)」によると、2013年4月時点での保育所定員は229万人で、厚労省「平成24年社会福祉施設等調査」によると、2012年4月時点での保育所保育士(常勤換算)は公立保育所12万人、私立保育所20万人だ。不足する保育士7万人というのは、かなりの規模であることが分かる。
そこで提案されたのが、「准保育士」資格の創設だ。つまり、「子育て経験があるけれども働いていない人々」(主に主婦)が、子育て経験を活かして保育現場で雇われやすくなるように、「国家資格の保育士よりも簡単な試験や研修で取得できる准保育士という民間資格」を新設しよう、という提案がなされたのである。准保育士の定義上、その賃金は、保育士の賃金よりも安くなる。そのため、「准保育士の安い賃金に引きずられて、保育士の賃金も下がってしまうのではないか。それに伴い、保育の質や安全性も下がっていくのではないか」と、全国保育士会から反対の声が上がった。
政府は、「保育士が今後7万人不足する」と予測している。しかし、保育士が不足する真の原因は、「人材の不足」ではない。むしろ人材は有り余っているのに、「人材を雇用できていない」のが、ほんとうの原因なのだ。つまり、これは労働問題なのである。
厚労省の推定では、「保育士資格を持っているが保育の仕事をしていない人」(いわゆる潜在保育士)は「60万人」を超えている[*1]。つまり、今後不足するとみられる保育士数「7万人」を、はるかに上回っているのだ。ではなぜ、60万人もの潜在保育士たちは、保育の仕事をしていないのか。
[*1] 内閣府「子ども・子育て支援新制度 説明会資料6 「女性が輝く日本」の実現に向けて(抜粋)」2014年6月4日
保育士の年収は平均より「150万円」も低い
厚労省は、「保育士資格を持っているが、保育士の仕事を希望していない求職者」(女性930人、男性27人)を対象に、アンケート調査を行っている(待機児童が50人以上存在する市および特別区を管轄するハローワークで2013年5月に実施、回収率47%)[*2]。それによれば、「保育士の仕事を希望しない理由」(複数回答)としては、「賃金が希望に合わない」が最多で48%だった。また、「希望しない理由が解消された場合、保育士を希望する」と回答した人は、過半数の64%だった。つまり、主に「賃金の低さ」が、保育職から遠ざかっている理由なのだ。
[*2] 厚生労働省「保育を支える保育士の確保に向けた総合的取組」2013年10月16日
もちろん政府は、そのような状況に対して、何も手を打っていないわけではない。私立保育所で働く保育士20万人(以下、私立保育士と略す)の賃金を上げるために、厚労省は、私立保育所に対して、平均勤続年数に応じた補助金を2013年度から支給している。賞与等を含む月収が約30万円だった私立保育士は、2013年度からは、月収が約8000円上がっているという[*3]。
[*3] J-CASTニュース「保育士が仕事に就かない理由は「低賃金」 年収315万円、「専門職なのに安い」と不満広がる」2013年10月27日
しかしながら、蓋を開けてみれば、その補助金の効果は、全体としては無に等しかったようだ。厚労省が2012年7月に行った「平成24年度賃金構造基本統計調査」によれば、全業種の平均年収(473万円)と比べると、私立保育士の平均年収(315万円)は158万円低かった(いずれも短時間労働者を除く)。そして、2013年7月の調査でも、全業種の年収(469万円)と比べて、私立保育士の年収(310万円)は、まだなお159万円低かったのである。つまり、340億円の補助金の効果はほとんどなかったとみられるのだ。少なくとも今のままでは、「保育の仕事をするよりも他の『平均的な仕事』をした方が、年収が高い」という状況は変わらない。これでは、有資格者が保育職を避けてしてしまうのも当然だろう。
「子育て支援員」の導入が招く「賃金改善の先送り」
このような状況で「子育て支援員」を導入したらどうなるか。子育て支援員は、その定義上、私立保育士(年収310万円)よりもさらに低賃金で雇われることになる。政府の「子ども子育て会議」のメンバーである駒崎弘樹氏によれば、子育て支援員(小規模保育B型の非保育士)の年収は、保育所の保育補助(パート)の時給をフルタイムに適用して計算されており、「200万円弱」と想定されているという[*4]。これは、都市部においては、貧困から抜け出せない「ワーキングプア」へと陥りかねないレベルだ。
[*4] 子ども・子育て会議(第15回)、基準検討部会(第20回)合同会議「参考資料3 委員提出資料」2014年5月26日
たしかに、全体としては保育スタッフが増えるため、待機児童の「数」は減るかもしれない。しかし、その結果として「待機児童の問題は解決に向かっている」とみなされ、(とりわけ子育て支援員が入る小規模保育所・一時保育所・企業内保育所での)「私立保育士の賃金改善」は、ますます先送りされてしまいかねない。すると、ますます多くの保育士有資格者が、保育現場を避けてしまうことになるのではないか。保育士の割合が減れば、保育現場での保育の質や安全性が低下してしまうことは必至だ。
そういった事態を防ぐには、「私立保育士の賃金改善」はますます急務となる。つまり、子育て支援員を導入しようとしまいと、「私立保育士の賃金改善」が急務であることは変わらないのである。
「新成長戦略」はまだまだ「高齢者優先」
にもかかわらず、「私立保育士の賃金改善」が一向に進んでいないのは、なぜだろうか。それは単純に、「子育て支援に対して、十分な予算が回されていない」からだ。
図1を見れば分かるように、今後2025年まで、世界一の高齢化によって、日本政府の「医療・介護のための支出」はますます増えていく。よって日本の財政は、「社会保障だけで政府収入(税・社会保険料収入)のほぼすべてを使い切ってしまう」という、かつてどの国も経験したことのない未曾有の窮地に追い込まれていく。そのような中で、子育て支援のための予算を増やすことは、「後回しにされても仕方ない」とみなされているのだ。
実際、消費税を5%→8%→10%と増やしていくことを前提とした政府の計画、つまり、2013年12月5日に成立した「社会保障と税の一体改革」[*5]と、それに沿って2014年6月24日に閣議決定された「日本再興戦略改訂2014」(以下「新成長戦略」)[*6]では、「子ども一人当たりの子育て支援支出」は、ほとんど増やしてもらえないことになっている(図2)。つまり、先進国平均のわずか「半分」の支出レベルのまま、据え置かれていくのである。
[*5] 厚生労働省「社会保障・税一体改革 社会保障・税一体改革で目指す将来像」2012年12月7日
[*6] 首相官邸「「日本再興戦略」改訂2014-未来への挑戦-」2014年6月24日
具体的には、消費税5%増税分のうちのわずか0.3%分(0.7兆円)だけが、子育て支援の拡充・改善に使われる。内訳としては、就学前保育・学童保育などの量的拡充に0.4兆円、子育て支援の質的改善に0.3兆円が使われる。なお、この0.7兆円を使っても、質的改善(私立保育士の賃金改善など)にはあと0.4兆円足りない見込みだが、その0.4兆円の財源はまだ確保できていない[*7]。
[*7] 内閣府「子ども・子育て支援新制度について」2014年5月
しかも今や、その「一体改革」さえもが、さらに削減されてきている。
たとえば、小学校1~3年生(低学年児童)を受け入れる「学童保育」(放課後児童クラブ)は、潜在的待機児童が「40万人」と推定されている。というのも、全国学童保育連絡協議会によれば、母親が働いている低学年児童は219万人だが(2012年「国民生活基礎調査」)、働く母親の6割は一日6時間以上の勤務時間であるため(2010年「国民生活基礎調査」)、120万人前後の低学年児童は学童保育を必要としている。そして、2013年時点での学童保育の利用児童89万人のうち、低学年児童は78万人であるため、潜在的待機児童は40万人を超えると推測されるのだ[*8]。
[*8] 全国学童保育連絡協議会「2013年5月1日現在の学童保育の実施状況調査結果 報道発表資料」2013年8月5日
「学童保育」の利用児童数(89万人)は、「一体改革」では、「2017年度末」までに(129万人へと)「40万人分」増やす計画だった。しかし「新成長戦略」では、その計画さえもが削減・延期されて、「2019年度末」までに(119万人へと)「30万人分」増やす計画になってしまった。
しかしその一方で、「高齢者一人当たりの高齢者福祉支出(年金・介護)」は、先進国平均という高いレベルのまま、維持されていく予定だ(図3)。つまり、「子どもの福祉よりも高齢者の福祉を優先する」という高齢者優先の政策が、今後も続いていくのである。「一体改革」と「新成長戦略」は、スローガンとしては「女性の活躍促進」を謳っているけれども、実際の予算の使い方で見ると、まだまだ「高齢者優先」を温存していくのが実態といえる。
まず優先すべきは「子育て支援」
このような「高齢者優先の社会保障」に対して、私は、2013年の5月から、雑誌メディア等で何度か問題提起をしてきた(下記※(1)~(2))。社会保障の「すべての領域」を視野に入れて、各領域の「倫理的機能」と「持続可能性」の両方を考慮すべきだ、というのが私の主張である。具体的には、以下のとおりだ。
社会保障とは、住民個人の置かれた社会的状況を、公的支出(現金給付・サービス給付・税額控除)によって改善するものである。その「自分の置かれた社会的状況」に対して、最も責任のない人々がいる。それは、幼い子どもたちと、先天的・偶発的な障害を負った人々だ。倫理的な観点からいえば――とりわけ、多くの人々が共有しているであろう「機会平等主義」の観点からいえば――、社会保障は、まずもって、彼らの社会的状況(子どもの貧困・機会不平等、障害者の貧困・不利)を改善するためのものでなければならない。具体的には、主に「子育て支援」と「障害者福祉」が、優先されなければならない。
しかし、社会保障の倫理的機能と同時に、社会保障の持続可能性もまた、考慮する必要がある。つまり、その社会保障領域が、国内経済や税収確保に、どの程度貢献するのか、という問題だ。
「子育て支援」は、女性の就労機会を保障すると同時に、子どもたちの成育機会を保障するので、人材の多様化・高度化や、納税者の確保などに貢献する。これらはいずれも、経済発展や税収確保につながる(下記※(2)~(4)を参照)。また、「子育て支援」がより充実すれば、先天的な障害を負った子どもたちにとっても、より生きやすい社会になるだろう。
したがって、社会保障の全体像を考える立場から、私がまずもって主張してきたことは、「第一に優先すべきは子育て支援だ」ということである。高齢者福祉を削減する必要はない。しかし、子育て支援を拡充する必要はある。
子育て支援(とりわけ保育サービスと児童手当)を拡充することで、先進諸国最悪レベルの「子どもの相対的貧困」を減らし、「女性の就労」「人材の多様化・高度化」を促すことができる。それにより、「社会保障の倫理的機能」は最も効果的に高まるだろうし、経済成長や安定的な税収確保を通じて「社会保障の持続可能性」も最も効果的に高まるだろう。
※記事リスト
(1)「いま優先すべきは「子育て支援」」『G2』(講談社)第13号、2013年5月
(2)「いま優先すべきは「子育て支援」」(全4回連載)『現代ビジネス』(講談社)、2013年7月
(3)「社会保障のマクロ効果に関するパネルデータ分析」(内閣府経済財政諮問会議「今後の経済財政動向等についての集中点検会合」第1回会議古市憲寿提出資料)、2013年8月
(4)「子育て支援こそ成長戦略」(総力大特集:安倍総理「長期政権」への直言――気鋭の若手論客10人の提言を聞け)『文藝春秋』第91巻第13号、2013年11月
「子育て支援」の財源はまだまだ足りない
では、以上の視点から、「新成長戦略」の社会保障部分を、改めて見直してみよう。
まず、理念的なスローガン(方向性)としては、「女性の更なる活躍促進」(子育て中の女性が働ける環境整備、女性の登用を促進するための環境整備、女性の働き方に中立的な税・社会保障制度等への見直し)を掲げており[*9]、それ自体は高い評価に値する。
[*9] 首相官邸「「日本再興戦略」改訂のポイント(改革に向けての10の挑戦)」2014年6月24日
しかし、実際の予算規模を見ると、とりわけ「子育て支援」の部分は、スローガンの達成にはまだまだほど遠いことが分かる。
すでに見たように、「子育て支援」の予算規模は、実質的にはほとんど拡充されず、これまでどおり先進諸国の「半分」のレベルのまま、据え置かれていく予定だ(図2)。そのため、就学前保育の待機児童(のうちの40万人分)を解消するための「質の改善」(私立保育士の賃金改善など)に必要な予算0.4兆円は、いまだ財源が確保されていない。さらに、学童保育の待機児童(推定40万人)を解消するための予算も、30万人分しか確保されていない。したがってこのままでは、就学前保育についても学童保育についても、待機児童の解消はまだまだ(少なくとも10万人分以上)見込めないのが実態だ。
他方で、「高齢者福祉」の予算規模は、ほとんど削減されず、これまでどおり先進諸国の「平均」のレベルのまま、維持されていく予定だ(図3)。つまり、スローガンでは「高齢者優先の社会保障から脱却して、子育て支援を重視していく」と掲げておきながら、しかし実際の予算配分では、「高齢者優先の社会保障をこれからも続けていく」というのが実態なのである。
したがって、私の現時点での主張は、「政府は、子育て支援のための『新たな財源』を、早急に作るべきだ」ということである。
財源は「相続税」で
では、どのようにすれば、「新たな財源」を作ることができるのだろうか。高齢者福祉の予算を削らないとすれば、増税をするしかない。では、どういう増税パッケージであれば、国民生活や国内経済への悪影響が最小限で済むだろうか。
私が現時点で提案したいのは、「相続税」(およびそれとセットになる贈与税。以下同様)の拡大(基礎控除引き下げや、税率引き上げ、累進性強化)である。
相続税であれば、拡大しても、国民生活や国内経済に悪影響を与えないばかりか、むしろ高資産高齢者の消費を促進し、経済に良い循環をもたらすと予測されるからだ(なお、相続税の支払いが負担になる場合は、その相続を放棄すればよい。もともと自分の資産ではないのだから、相続を放棄したとしても、自分の資産が減ることはない)。
また、「人口動態」に着目すると、「日本では今後2100年頃まで、国民全体の死亡率が上がっていく」と予測されている。したがって、人口に対する死亡件数は増えていくため、相続税は、あと100年は「安定的な財源」として期待できる。
さらに、「預金」(国内全体で860兆円)に着目すると、日本の「一人当たりの預金額」(676万円)や「預金が家計金融資産で占める割合」(54%)は、欧州やアメリカよりも大きい(図4)。そもそも預金は、直接は運用されていないため、税収(運用利益からの所得税収や、運用手数料からの消費税収)に結びつきにくい。しかし、相続税を拡大すれば、その860兆円もの預金(の一部)から、税収を得られるようになる。
倫理的な面を考えても、資産の相続は、所得格差を親子間で再生産し、「子どもの相対的貧困」(機会の不平等)を親子間で再生産してしまう。子や孫への相続や生前贈与は、できるだけ縮小させる(税収や消費に回す)ほうが、「相対的貧困の再生産」を予防できるので、倫理的に公正だといえるだろう。
以上の点から考えれば、相続税(と贈与税)は、可能な限り拡大すべきではないだろうか。なお、『21世紀の資本論』(未邦訳)で近年注目されているフランスの経済学者トマ・ピケティもまた、資産課税の拡充(とりわけ「資産から負債を差し引いた純資産」への累進課税の強化)を提案している(なお彼は、それに加えて、富裕層が国外流出しないように、「資産課税の国際的取り決め」も提案しており、注目に値する)[*10]。
[*10] 朝日新聞デジタル「(インタビュー)新しい資本論 トマ・ピケティさん」2014年6月14日
相続税の拡大は「実質1.4倍」で十分
なお、「相続税の拡大」(基礎控除引き下げや、税率引き上げ、累進性強化)によって得られる財源の規模について、私は、上記※の(4)で試算したことがある。ここでは、その試算の最新版を紹介しよう。
まず、現在の潜在的待機児童は、政府の見込む「40万人」ではなく、実際は、もっと多い「約100万人」であると考えられる。
というのも、労働政策研究・研修機構が2011年に行った全国調査では、6歳未満の子どもをもつ専業主婦の61%(約154万人相当)と、6歳未満の子どもをもつ無業の非婚母親の45%(約4万人相当)は、「保育サービスがないので働いていない」と答えている[*11]。多少の誤差を考慮して少なめに見積もったとしても、潜在的な待機児童は「100万人以上」存在するとみられるのだ。
[*11] 労働政策研究・研修機構「子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査」2012年3月17日
なお、2008年の厚労省調査では「85万人」という推計結果だった[*12]。しかしその調査では、「働きたい」と答えた人のみに「保育サービスがほしいかどうか」を訊いていたため、「保育サービスがないので今は働きたくない」人の保育需要は、無視されてしまっていた[*13]。また、東京財団の石川和男氏は、世帯数などのデータに基づいて「300万人以上」と推計したが[*14]、ここでは控えめに見積もって「100万人以上」としておく。
[*12] 朝日新聞デジタル「「保育所使いたい」 潜在待機児童85万人 厚労省調査」2009年4月8日
[*13] 厚生労働省「新待機児童ゼロ作戦に基づくニーズ調査<調査結果>」2009年2月
[*14] 石川和男「“潜在待機児童数”の的確な把握を」東京財団、2012年7月25日
さらにいえば、2012年の労働力調査では、20~40代女性の「8割」は働くことを希望している。しかし実際に働けている女性は「7割」に留まり、「職探しはしていないが実は働きたい」という20~30代の女性は、約140万人に上る[*15]。やはりここからも、「100万人以上」の子育て期の女性が「働きたいのに働けない状態」であることが分かる。
[*15] 内閣府男女共同参画局『男女共同参画白書 平成25年版』「第2節 女性の労働力率(M字カーブ)の形状の背景 3 非労働力人口における就業希望者」2013年6月
そこで、保育サービスを「100万人分」増やすとすれば、どのくらいの相続税拡大が必要になるだろうか。
先に見たとおり、今回の新成長戦略が確保した「40万人の量的拡充」+「質の部分的改善」の予算は0.7兆円である。これに加えて、もし「私立保育士の賃金の5%改善」(「子ども・子育て支援新制度」では「5%の改善」によって不足保育士7.4万人を十分に確保できるとしている)に必要な追加予算381億円を上乗せしても、0.7兆円という規模は実質変わらない[*16]。
[*16] 内閣府「子ども・子育て支援新制度について」2014年5月
すると、この「40万人分拡充=財源0.7兆円」という政府推計をそのまま応用すれば、「100万人分拡充」にはおよそ「1.8兆円」の財源が必要となる。そのうち0.7兆円は、消費税増税(5%→10%)によって確保されるので、残りの「1.1兆円」を、「相続税拡大」で賄うことになる。2012年度の相続税(+贈与税)の税収は「1.5兆円」なので、それに1.1兆円を加えた「2.6兆円」(つまり今の1.7倍)へと、相続税の税収規模を拡大する必要がある。
ここで他国を参考にしてみよう。OECDデータによれば、2011年の「相続税(贈与税含む)」の税収規模(対GDP%)は、例えばベルギー(0.666%)では、日本(0.312%)の2.1倍である。しかも、この税収規模を、両国の高齢者人口比率で割って「高齢者一人当たり」に変換すると、ベルギーは日本の実に2.9倍になる[*17]。よって、日本の相続税の税収規模を今の1.7倍にすることは、決して不可能ではないはずだ。
[*17] OECD.StatsExtracts(2014年6月25日閲覧)
しかも2015年以降は、基礎控除引き下げ(2,570億円増収)と税率引き上げ(210億円増収)によって、相続税収は0.3兆円増える見込みなので[*18]、それだけで相続税収は1.2倍になる。よって、1.7倍にするには、実はあと一歩なのだ。1.2倍になる規模を1.7倍へと拡大するには、実質的には「さらに1.4倍」にすればよいだけなのだから。
[*18] 財務省「平成25年度税制改正 (参考)平成25年度の税制改正(内国税関係)による増減収見込額」2013年5月
「相続税の拡大」によって、潜在的待機児童100万人をゼロにすることは、決して不可能なことではない。あとは政府が、「1.2倍への拡大」をすでに巧妙に(つまり世論で争点になることなく)実現したのと同じようにして、「さらに1.4倍への拡大」を巧妙に実行するだけである。
社会保障の「グランドデザイン」へ
最後に、以上の議論が、今後どのような議論や社会構想につながっていくのかを、少しだけ記しておきたい。
今後私たちは、「現役世代向け社会保障」をしっかりと視野に入れた、「日本の社会保障のグランドデザイン(全体設計)」を考えていかなくてはならない。なぜなら、日本の社会保障にとって、その長期的な「持続可能性」を確保していくためには、税・社会保険料の収入を安定して確保していく必要があり、そのためには、税・社会保険料を収めてくれる「現役世代」を、「現役世代向け社会保障」(直接的には子育て支援・教育支援・就労支援など、間接的には介護支援など)によって、十全にサポートしていく必要があるからだ。
では、「現役世代向け社会保障」をしっかりと視野に入れた「グランドデザイン」は、どうしたら失敗リスクを最小化しながら設計していくことができるのだろうか。論理的に考えるならば、少なくとも、欧米諸国など他の先進諸国の近年(とくに低成長期以降)の経験から賢く学びながら、つまり、国際時系列データや国際社会調査データなどの統計分析をふまえながら(エビデンス・ベースドで)、設計していく必要があるだろう。
私が現在、刊行に向けて準備している『社会保障は日本をどう変えるのか(仮題)』(勁草書房)も、そのようなエビデンス・ベースドのグランドデザインを試みている。「現役世代向け社会保障を視野に入れた、エビデンス・ベースドの社会保障グランドデザイン」が急務となっている今、できるだけ早い時期での刊行を目指している。
サムネイル「March 26 – Obesity – Obesity Blog Image Preschoolers in Park」U.S. Department of Agriculture
プロフィール
柴田悠
京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。1978年生まれ。京都大学総合人間学部卒、京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。日本学術振興会特別研究員、同志社大学准教授、立命館大学准教授を経て現職。著書に『子育て支援が日本を救う――政策効果の統計分析』(勁草書房、2016年)、共編著に『ポスト工業社会における東アジアの課題』(ミネルヴァ書房、2016年)、共著に『Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia』(Brill、2015年)、『変革の鍵としてのジェンダー』(ミネルヴァ書房、2015年)、『比較福祉国家』(同、2013年)など。