2016.07.01

「もやもや」を大事に――災害から参議院選挙を考える

永松伸吾 災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

政治 #18歳からの選挙入門#参議院選挙#災害

6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員選挙。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから最初の投票となります。シノドスでは「18歳からの選挙入門」と題して、今回初めて投票権を持つ高校生を対象に、経済、社会保障、教育、国際、労働など、さまざまな分野の専門家にポイントを解説していただく連載を始めます。本稿を参考に、改めて各党の公約・政策を検討いただければ幸いです。今回は、災害対策の視点から永松伸吾さんにご寄稿をいただきました。(シノドス編集部)

災害世代の皆さんへ

この文章を今読み始めた高校生の皆さんは、多かれ少なかれ「防災」という言葉に関心を持っていることと思います。実際、皆さんの世代には、災害を直接間接に経験している人がかなり多いと思います。

例えばつい最近、熊本や大分で大きな揺れを経験した人もいるでしょう。鬼怒川の水害で自宅が浸水した人もいるかもしれません。もう少し遡ると、2011年の東日本大震災が発生した頃、皆さんは中学生になったばかりだったと思いますが、あの地震で亡くなった1万8000人あまりの方々の中に、自分の大切な人が含まれていたという人もいるでしょう。少なくとも、地震の揺れに恐怖を感じた人は、東日本の広範な地域にわたっていたはずだと思います。

また、あの震災以降、西日本での巨大地震の発生の可能性が強く意識されるようになりました。「被災者」ではないけれども、これから確実に被災するという覚悟を強いられた「未災者」の方もいるかもしれません。

最近は学校でボランティアを義務付けているところも多いようですから、実際に被災現場に行って災害に触れる機会があった人もいるでしょう。そう考えると、皆さんはたぶん他のどの世代よりも、災害を身近に感じる機会の多い世代だと言えるかもしれません。

そして、上記のいずれかにあてはまる皆さんの多くは、自分自身の被災体験に複雑な感情を持っているのではないでしょうか。一般的な「防災」という言葉では捉えきれない、なにかもやもやっとした、つかみどころのない漠然とした問題意識と言った方がいいかもしれません。

「もやもや」を大事に

皆さんに伝えたいことの一つは、災害に接して感じた「もやもや」した感情を大事にして欲しいということです。私は大学の教員という立場上、たくさんの若者達の災害現場での「もやもや」を観察してきました。

「自分があのときどうすれば彼を救えたのだろうか」「なぜ自分だけがこんなつらい目に遭わなければならなかったのか」「自分がどうやったらこの人を元気にすることができるのだろうか」「なぜ大人達は地域の復興を巡って対立するのだろうか」「なぜ自分が生まれ育ったまちの風景がこんなにも変わってしまうのだろうか」など、それぞれの被災体験によっていろんな問題意識があるでしょう。

なぜそれで「もやもや」するのかというと、その理由の一つは、それらの問題に対する回答が簡単には見つからないことにあると思います。

「もやもや」の正体

私が出会ったある女子学生の話をしましょう。彼女は仙台市の沿岸部で中学生の時に被災し、津波で父親を失いました。父親は一旦家族と避難したものの、行方の分からない弟を探しに、再び自宅に戻って津波にのまれてしまいました。実際には弟はすでに避難していて無事だったのです。

震災後、彼女の元の自宅があった地域は、次の津波に備え、より安全な場所へと集団移転することが決まったそうです。彼女にとってその地域は、自分のふるさとでもあり、何より父親との思い出が詰まった大切な場所でもありました。そして、それまでは仲の良かった地域の大人達が、移転の方針を巡って激しく対立する姿を、彼女は目の当たりにすることとなりました。

この話を彼女から聞いたときの彼女の「もやもや」は相当なものでした。彼女はこれから防災の大切さを訴えたいと語っていたのですが、実際何を伝えるべきなのかとなると、答えに窮していたのです。

彼女の経験から得られる教訓とは何なのでしょうか。津波の怖さを事前にもっと勉強しておくべきということでしょうか。より高度で正確な津波の情報が必要だということでしょうか。一家は一度は避難していたわけですから、これらは必ずしも当てはまらないように思います。

それでは、その父親が再び自宅に戻らないように警察が規制すべきだったのでしょうか。そのようなことは地震発生直後およそ不可能でしょうし、仮に規制していたとしても、父親はそれを振り払ってでも自宅に戻ったのではないでしょうか。

では地震の前に視点を変えてみましょう。例えばより強力な防潮堤を事前に建設しておくべきだったのでしょうか。彼女の住んでいた地域は、美しい海や松原で知られた地域です。彼女のふるさとへの愛着はそうした風景があってのものです。彼女自身、防潮堤で囲まれた町で暮らしたいと思ったことはないはずです。

そもそもそのような危険な場所に住むべきではなかったのでしょうか。彼女の育った地域は江戸時代から人々が定住していた歴史を持っています。美しい風景や海運の利便性と引き替えに、そうしたリスクを背負うことを人々が選択し、そしてまちが形成されていったのです。その歴史を簡単に否定することはできないでしょう。

彼女の「もやもや」の正体の少なくとも一つは、こうした堂々巡りにあったように思います。命はもちろん大事だけれども、人間はそれだけで生きているわけではありません。経済活動やコミュニティの人間関係、土地への愛着なども、時には命と同程度に大事なものに感じられることもあるでしょう。

防災とは、単純に命だけを守れば良いというものではありません。災害の危険性に直面してもなお、私たち一人ひとりが尊厳をもって、幸福に暮らせるような社会のありようを問うことが防災の本質なのです。

ちょっと話が大きくなってしまいました。でもこれが本当なのですから、皆さんが「もやもや」するのは当然です。逆に言えば「もやもや」するのは、それだけ問題に真剣に向き合っている証拠でもあります。ですから、その「もやもや」は大事にしてほしいと思います。

災害は政治に利用される

ずいぶん回りくどい話をするなと思われるかもしれません。投票先を決めるためには、自分の中に確固たる意見がないといけないと思っている人に「もやもやしろ」とはどういうことかと、困惑している人もいるかもしれませんね。

あえて、こうした話をしているのには理由があります。それは、防災や災害というのは、政治家に都合良く利用されることが多いからです。

一つの例をお話しします。皆さんはまだ生まれていなかった1995年の阪神・淡路大震災では、地震直後に5500人以上の命が失われました。当時の日本政府にはこうした巨大災害に対する緊急対応の体制が整っておらず、それは被災県である兵庫県も同様でした。

当時の兵庫県知事の貝原俊民が自衛隊への派遣要請を行ったのは、地震発生から4時間以上経過した午前10時でした。これは、当時の行政の危機管理体制の弱さを示す象徴的な出来事として、様々な場面で語られました。

それから12年後の2007年に行われた東京都知事選挙で3選を果たした石原慎太郎氏は「阪神・淡路大震災では知事の判断が遅かったから3000人余計に死んだ、自分が知事ならそういったことはない」といった趣旨の発言をしました。

彼はそれまでの在任中に、自衛隊を市中に展開した大規模な防災訓練を実施していました。また、2年前の2005年には政府による首都直下地震の被害想定において、最悪で11,000人の死者が出ると発表されていました。このため、防災対策に対する都民の関心が高かったこともあり、石原氏は災害時のリーダーシップを強調する戦略で都民の支持を拡大していったのです。

しかし、石原氏の発言は全くの事実誤認です。およそ5500人の死者の9割は家屋の倒壊による圧死でした。いかに知事の判断や自衛隊の派遣が早かったとしても、劇的に人的被害を減らすことは難しかったであろう、というのが災害研究者の共通認識なのです。政治家が自らの支持を拡大するために、科学的な事実がねじ曲げられて利用されることには、学者として憤りを禁じ得ません。

「緊急事態条項」は必要か

同じような話が、今回の参議院選挙でも隠れた争点の一つになっています。それは、巨大災害から国民の財産や生命を守るために、憲法に緊急事態条項を設けようという動きです。

自民党の選挙公約には「国民合意の上の憲法改正」という項目が最後に掲げられていますから、仮に自民党が次の参議院選において多数を確保した場合には、この議論がさらに現実味を帯びてくることは間違いないと思います。(なお、生活の党も憲法の見直しを掲げ、緊急事態の規定を整備することを公約としています。)

自民党が案として発表している緊急事態条項とは、簡単に言えば次のようなものです。大規模災害やテロ・軍事攻撃などが我が国で発生した時に、内閣総理大臣が緊急事態の宣言をすると、内閣が法律と同じ効力を持つ政令を定めることが出来ます。また自治体の首長に必要な指示を出すことができるようにもなり、国民は国や公の機関の指示に従うことが求められます。

この条項が実際に運用されるとどういうことが考えられるでしょうか。例えば災害対応に必要だという理由で、皆さんの住む家が政府によって収用され、避難のために取り壊されるといったことも理論上は可能になります。また、内閣が地方自治体に必要な指示を出し、自治体はその通りに行動することが求められます。

すなわち、緊急事態条項とは、一言で言えば内閣に権限を集中させることによって、そのリーダーシップで危機を打開することを可能にしようというものなのです。そしてそれは、あたかも東日本大震災でこうした制度があれば、多くの命が救えたかのような論調で主張されています。

私は、防災・災害を専門的に研究する人間として、この案には反対です。私だけではなく、防災や災害復興に関わる法律家にも緊急事態条項に反対する人は少なくありません。

まず、東日本大震災のような大規模災害においても、緊急事態条項がなければ解決できなかった問題は具体的にはほとんど提示されていません。そもそもトップのリーダーシップを強化して危機を打開しようという考えそのものが、非常に古い考え方です。

自民党は熊本地震の対応で、「自治体の要請を待たず必要な物資を「プッシュ型」で供給するなど、先手先手の対応を取りました」と誇っていますが、要請していない物資が一方的に送られた被災自治体の混乱は相当なものだったようです。

最近では米国でも、警察や消防、ライフライン機関など様々な組織を一元的に掌握するのではなく、それぞれが対等な立場に立って、お互いに協力することの重要性が強く認識されています。

また、福島第一原子力発電所事故の検証委員会の報告でも、現地対策本部ではなく、むしろ官邸主導で対策をおこなったことが問題として指摘されています。毎日新聞の調査でも、被災自治体で緊急事態条項が必要だと認識している市町村は37自治体のうち1自治体しかありませんでした。

こういった事情を考慮すると、「緊急事態条項」設置は、私には、将来もっと大きな憲法改正を狙う人々が、比較的「国民合意」が取りやすいと思われる災害の問題に絞って、憲法改正の実績を作ろうとしているようにしか感じられないのです。先ほどの東京都知事選の例と同じように、まさしく「災害」の政治利用です。

災害の現場に直面して「もやもや」した皆さんであれば、災害対応がそんなに簡単なものではなく、誰かの指示一つでうまくいくようなものではないという直感的な理解があるのではないかと思います。「もやもや」を大事にすることは、災害の構造を単純化し、政治的に利用しようとする勢力に対する歯止めとして機能するのではないかと期待しています。

具体的公約の比較:予防対策について

抽象的な話が続きましたので、具体的な公約の検討もしておきましょう。ここまでは自民党に批判的な意見ばかり述べましたが、防災に関する公約でみると、自民党は他党に比べて遙かに充実して、かつ具体的な内容になっています。とりわけ、私が評価したいのは、自民党や公明党は老朽インフラの問題に対して踏み込んだ公約を提言しています。

皆さんに知っていただきたいことなのですが、日本は高度経済成長期に急速に道路や上下水道、鉄道網などのインフラを整備してきました。こうしたインフラが一斉に老朽化して、更新期を迎えはじめています。これらは決して放置が許されるものではありません。

また、それらのうち特に重要な道路や施設については大災害時にも機能するような備えが必要です。自民党は先の政権交代以降、こうした対策を「国土強靱化」として、地方自治体を主体とした取り組みを推進してきました。また、公明党も「防災ニューディール」と称したハード対策を提言しています。

本来、こうした政策の是非はぜひ争点の一つにしてほしいところなのですが、残念ながら他党の公約にはこの問題は一切取り上げられていません。とりわけ、民進党については、政権を担った経験のある民主党の流れを組む政党だけに、具体的な対策を示して欲しいと思います。

前の民主党政権時代には「コンクリートから人」というスローガンを掲げていたのですが、もしその理念がまだ残っているのだとすれば、コンクリートに頼らない防災をどのような戦略で実現しようとするのでしょうか。今のところ「万全な避難計画を定める」といった程度の公約しか出てきていません。非常に残念なことだと思います。

復興支援について

共産党、民進党は公約の中で、生活再建支援金の支給金額を現行の最大300万円から500万円に引き上げることを主張しています。生活再建支援金は、災害が起こって自宅が損壊した場合に国から支給される資金のことです。

特に年金収入しかない高齢者世帯にとって、自宅が損壊した場合の生活再建は困難を極めます。多くが長期にわたる仮設住宅での暮らしを余儀なくされ、最終的には公営住宅に移動せざるを得なくなります。

生活再建支援金制度は、そうした被災者にまとまって現金が支給されれば、自力で再建できる被災者が増えるだろう、という趣旨で設立されたものです。しかしながら、この政策は非常にコストがかかります。

考えてみてください。南海トラフ地震では最悪239万世帯の住宅が全壊すると考えられています。一世帯当たり200万円の支援金が増額するとすれば、この政策のコストは最悪の場合4兆7800億円になります。

共産党、民進党は、こうした財源を何によって賄おうとしているのかを本来明記すべきだと思います。日本の財政状況は厳しさを増しており、しかも今回の選挙ではほとんどの政党が消費税増税の先送りを容認してますので、短期的にも財政状況が大幅に好転することは期待出来ないのではないでしょうか。簡単にこれだけの資金が調達できる保証はありません。

東日本大震災の復興過程で行われているような、大規模な防潮堤の建設や高台移転などを削減するというのは、一つのアイデアでしょう。しかし、その場合はどのようにして被災地の安全を確保するのかという問題が出てくるように思います。

こうした議論がないまま支援金を増額しますと公約するのは、やはり災害を利用して都合の良い政策を打ち出していると批判されても仕方ないでしょう。

そもそも、支給金額が300万円から500万円に増額されて、どれほどの人が新たに住宅を自力再建できるようになるのでしょうか。効果がないとは言いませんが、直感的にはそれほど多くないと思います。

これは私の個人的意見ですが、これだけの金額があれば、被災者支援を行うためのNPOや団体の活動をもっと支援した方がいいのではないかと思います。いろんな人たちが被災者と関わりながら、新たなコミュニティを構築していくことの方が、被災地の復興にとってより本質的なことではないかと思うからです。

その中で、次の災害に向けてどうするべきか、新たなまちづくりにむけてどうすべきか、「もやもや」したものを形にしていく機会が生まれるのだと思います。

残念ながら私のこの「もやもや」については、まだどの政党も言葉にしてくれていません。なので私はこういった方向性を一番実現してくれる可能性が高い政党はどこかという視点で考えてみようと思っています。

おわりに

防災・減災に関する政策は、各党とも公約に掲げるようにはなっていますが、論点がそれほど明確になっているわけではありません。このため、防災対策で投票すべき政党を決めるのは正直、難しいかもしれません。

それでは、はっきりと決められない皆さんは選挙で投票するべきではないのでしょうか。投票に行かない人の中には、「政策がよく分からないから自分が投票すべきでない」という意見を持つ人も確かにいます。

しかし、私はそうは思いません。皆さんの「もやもや」になんとなくフィットする考え方の政党を選ぶ、あるいは「なんだか嘘っぽい」という政党を消去して選ぶ、そのような考え方は、案外正解に近いように思います。もはやその際に参照すべき公約は防災に限る必要もないかもしれません。

すでに述べたように、災害を身近に感じて「もやもや」した皆さんは、問題の本質に迫るからこそ「もやもや」しているのです。だから皆さんの「なんだか嘘っぽい」という感性は、本質を隠したり、ずらしたり、あるいはすり替えようとする政治家にとっては、最もやっかいな相手なのです。

「災害世代」の皆さんがそうした存在になることを、心より期待しています。

プロフィール

永松伸吾災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

関西大学社会安全学部教授。1972年福岡県北九州市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程退学、同研究科助手。2002年より神戸・人と防災未来センター専任研究員。2007年より独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員を経て2010年より現職。日本災害復興学会理事。2015年より南カリフォルニア大学プライス公共政策大学院客員研究員。 日本計画行政学会奨励賞(2007年)、主著『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)、村尾育英会学術奨励賞(2010年)など。

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