沖縄に基地があるのは地理的宿命か?

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沖縄への移転

 

一方の沖縄はどうか。沖縄が地理的な理由にもとづいて日本の安全、あるいは米国の戦略にとっての「要石」だとすれば、冷戦期から今日まで、基地の配置や態勢には一貫性がみられて然るべきである。しかし、沖縄における米軍基地の態勢は、70年代まで実際にはきわめて流動的だった。

 

今日の在沖米軍の中心をなす海兵隊(沖縄における基地のおよそ70%は海兵隊が使用している)が、沖縄に駐留を始めたのは、朝鮮戦争が終結してしばらく経った1950年代中期以降のことである。しかもそれ以降、米国は再三再四、海兵隊の沖縄からの撤退/移転計画を検討してきたことが知られている。その移転候補地は、グアムやサイパン、マリアナ、フィリピン、韓国とじつに多様だった。

 

たとえば、ベトナム戦争がピークをむかえていた1968年から69年にかけて、米国は沖縄に駐留する海兵隊の米本国への完全なる撤収を計画し、それにあわせて普天間基地の閉鎖を検討した。軍部はこのとき沖縄の海兵隊を戦略的に重要なものとはみていなかった。普天間飛行場は空軍から海兵隊へと主を替えた1960年からしばらくの間、戦略的位置づけが曖昧だったし、69年1月の時点では、わずか4機のヘリが展開するのみだった。

 

いずれにせよ、このときの基地再編の結果として、日本本土の米軍基地は減少し、沖縄の基地が相対的に増大した。背景には、当時、深刻な撤退圧力にさらされていた首都圏の基地を縮小せざるを得ないという日米双方の政治的事情があった。

 

いったんは「不要」の烙印を押された普天間が一転して残留、ないし後の固定化へと舵が切られたのも、厚木基地(神奈川)の返還に伴う代替措置(厚木の航空部隊の受け皿)としての側面があった。横田(東京)所属の戦闘機、板付(福岡)所属の爆撃機も同じく沖縄に移転された。本土復帰(1972年)前の沖縄は、日本本土で維持できなくなった基地の「収容場所(repository)」だった。沖縄はまぎれもなく、本土の「身代わり」だったのである。

 

 

歴史を「処方」するということ

 

もっとも、このように歴史のひとつの断面を切り取ることで、現在の基地がもつ戦略的意義をやみくもに否定するような態度は慎むべきである。実際、今日の日本に所在する基地の相違の多くは、戦略環境や地理的条件の違いによって説明できてしまうことも疑いようのない事実だからである。

 

あるいは、仮に当初は明確な目標をもたず、またごく小さな基地として誕生したとしても、一定の条件の下ではそれは時間の経過とともに成長し、他の基地との相互作用を繰り返しながら当初の目的を上書きしつつ、あるものは環境に適した、戦略上重要な機能を備えていくようなケースも十分に想定できるだろう。

 

実際、施政権返還前後の時期を分水嶺として、沖縄の基地は動かしがたい政治的「解」となっていった。また、普天間のような軍事活動の中心地は「磁場」のような働きをみせ、しだいに別の海兵隊基地・施設を引き寄せていった。

 

69年11月に第3海兵師団司令部がキャンプ・コートニーへ移り、第4海兵連隊もキャンプ・ハンセンへ移駐した。71年4月には、第3海兵水陸両用軍司令部がキャンプ・コートニーに配備され、8月には第12海兵連隊がキャンプ・ヘーグに入った。キャンプ瑞慶覧は新たに海兵隊基地司令部の拠点となった。岩国からは、第一海兵航空団司令部が沖縄に移転され、牧港補給地区も陸軍から海兵隊へと移管された。かくして、沖縄には第3海兵師団司令部、第1海兵航空団司令部、そして第3海兵水陸両用軍司令部が集結し、現下の海兵空地任務部隊(MAGTF)の条件と訓練環境が整った。

 

それらの事実に鑑みれば、本稿の主張は抑制的にならざるを得ない。せいぜい、かような基地の集中は沖縄でなければ生じなかったとはいえない、といったところだろうか。しかし、そのことが含意するものは決して小さくない。詳細は省かざるを得ないが、戦後の在日米軍基地の配置は、地理や脅威をはじめとした外部環境によってのみ形成されてきたわけではない。国内で生じる米兵による犯罪や事故、地方選挙の結果といった社会的・政治的摂動が基地の再編を促し、そのたびに、外部環境との相互作用をつうじた調整がなされてきた。

 

本稿が取り上げた60年代後半の基地再編も同様である。このとき生じた沖縄への基地の集中には、地理に紐付けられた戦略的要因よりも、本土の反基地運動や目前に迫る安保自動延長問題、沖縄の施政権返還問題等々の政治的要因が強い影響を与えていた。

 

タイミングの妙もあった。たとえば、もしエンプラ入港(68年1月)や九大への戦闘機墜落事故(68年6月)が、沖縄の施政権返還(72年5月)よりも時期的に後に生じていたとすれば、それによって高揚する本土の反基地運動は、はたして着地点を見いだせていただろうか。そのときすでに日本に基地の「収容場所」はなく、仮に沖縄への移転を考える者がいたとしても、それを実現するための「政治価格」は跳ね上がっていたはずである。

 

さればこそ、事象のタイミングやその順列によっては、今日とはまったく異なるかたちで基地が配置されていた可能性があったと推論することは決して不自然ではない。このように、もし現在の沖縄の状況が地理的宿命によって生じたものではないとすれば、われわれの手中には、じつは想像よりもはるかに多くの政策的選択肢が残されているのかもしれない。

 

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