新しい生命の哲学/社会

21世紀、それはいうまでもなく「生命」の世紀です。臓器移植、遺伝子医療、脳科学からES細胞・iPS細胞といった言葉はいまや新聞で目にすることも多くなり、私たちにとっても身近なものになっています。

 

そのような20世紀後半からの著しい「バイオテクノロジー」の進歩は、医療技術や生命科学といった領域を変貌させるだけでなく、私たちの「生のかたち」そのものを変えようとし、またこれまでにない多くの問題とともに優生学などの問題も再び提示しています。そう、いま私たちは生とは何か、そして人間とはいかなる存在なのかを、あたらしい枠組みで思考する必要にせまられているのです。

 

生のありようについて哲学的に考察し続けてきた檜垣立哉氏と生命科学の最先端と向き合いながらジャーナリスティックな視点からもアプローチし続けている粥川準二氏という、いま、その私たちの「生」について、最前線で考え続けているお二人が、生命をめぐる問題について語りつくします。(リブロ池袋HPより)

 

 

フーコーの「人間の消滅」説

 

檜垣 檜垣と申します。現在大阪大学の教員をやっているのですが、元々東京の人間で、今回の会場である西武コミュニティカレッジには思い出があります。というのも、私は83年に大学に入学しまして、85年か86年に当時現代思想で有名だった丹生谷貴志さんの授業をこの場所に聞きにきたことがありました。

 

その時のコミュニティカレッジの担当者が、現在芥川賞作家の保坂和志さんでした。僕が質問とかしたら、保坂さんに「飲みに行こう」と誘われて話をした経験もあります。考えてみればいい時代でした。西武さんには申し訳ないですが、西武セゾン文化が一番華やかだった時代ですね。

 

粥川 粥川準二と申します。1969年生まれで愛知県の出身です。学部を卒業した後に雑誌の編集者を3年ほどやっていました。その後フリーライターとして独立して、主に科学技術や医療問題を取材・執筆の領域として仕事をしてきました。翻訳や編集もやっています。

 

ある時期から特に思想分野の勉強不足を実感し、一念発起して2004年に大学院に入学して社会学を専攻しました。ジェンダー論で知られる加藤秀一先生について勉強して、6年かけて2010年に博士号を取得しました。ですから制度的な学位は社会学ということになります。

 

僕は圧倒的にジャーナリストとして紹介されることが多いのですが、これはあくまでも便宜的なもので、現在の職能は4つあります。執筆、編集、翻訳、そして教育。週1回ですが明治学院大学と国士舘大学で教えています。

 

檜垣 編集業もやっておられるんですか?

 

粥川 やっています。ほとんどが医学書ですが。例えば2010年に『がん・放射線療法2010』という著者が100人程いる分厚い放射線関係の本を編集しました。その後に原発事故が起こり、その時の知識が役に立って、『バイオ化する社会』の第7章を書けたかなという感じはあります。檜垣先生の本の内容ですが、『ヴィータ・テクニカ』は具体的にどのような内容なのでしょうか。

 

檜垣 僕は文学部の哲学科を出て埼玉大学の教員をやったあと、大阪大学の教員をやっています。ずっと教養学部とか人間科学部といったところにいたので、いわゆる難解なフランス語を読みましょうというような哲学の勉強だけでなく、いろんなことを考えていました。

 

その中でも僕としては「生命」という問題が非常に重要だと考えていて、本の中では、20世紀から21世紀の哲学における、生命の問題について書いています。粥川さんも『バイオ化する社会』の中で書かれていますが、ミシェル・フーコーは表面だけみると簡単に見えるかもしれませんが、そこで何が言われているのかを考えると非常に難しいんですね。そもそも彼は常識的な哲学者のような記述はしませんし、かといって歴史学者でもない。この人の概念が何を示しているかを論じるだけでかなりの議論になります。

 

たとえば、フーコーといえば「生の権力」や「バイオ政治学」が有名ですが、実は書物の中では少ししか書かれていない。

 

粥川 実はそうなんですよね。

 

檜垣 後でみんなが乗っかって色々と書いているだけで(笑)。まあ哲学っていうのはそういう側面がありますからね。本人がちらっと言ってみただけなのに、それが影響力を持ってしまって、どんどん意図を変えて修正されていく。それは悪いことでも何でもなくて、歴史とはそういうものです。

 

一般的なフーコー学者というのは、バイオ的な権力というものを非常に悪く捉えていますが、僕はそこに関しては、フーコー自身が何を考えているのか分からないということで、両義的だと捉えています。一方、フーコーは例の有名な「人間の消滅」を言った人でもあります。

 

粥川 『言葉と物』の最後の部分ですね。

 

檜垣 フーコーは、全ての人間は明るく消えていくと言っています。多くの人がそう述べる時にありがちな悲壮な感じはない。むしろ人間はなくなってせいせいするという言い方をしている。僕はこれをどう捉えるかということが、大きな問題ではないかと思うんです。

 

ですから、『ヴィータ・テクニカ』を書く時に念頭にあったのは、人間の消滅を考えた時に何が問題になるかという点です。フーコーは、人間はさっさとなくなるのがいいと思っていた部分がありますが、本当にそうなのかなと。

 

フーコーは1984年に亡くなっていますから、その後の90年代、2000年代の免疫や脳の話については知らないわけです。もしフーコーが生きていたら、こうしたテーマをどう扱っていたのかなという思いがありました。

 

 

人間と自然の関係をどう捉えるか

 

粥川 ポストフーコー主義者の人たちがいろいろ言っているわけですね。

 

檜垣 ええ。例えばアガンベンが言っていることは非常に重要で、何かある一つのことがあった時に、善か悪かはっきり言えないようなグレーゾーンが出てきていると。

 

今、動物論が哲学の領域で流行っています。いわゆる英米圏で言うような「自然保護」や「動物の権利」という話ではなく、人間は動物だということから考えていこうという学問です。やはり、生態系の中には人間がいじれる部分といじれない部分が存在するということは、考えざるを得ないと思います。

 

こうした議論はドゥルーズとつながってもいるんですが、身体に関する思考を大きく書き換える可能性があると思いますね。いままでの哲学は「生物性」ということをあまりに無視してきた。

 

要は「バイオテクノロジーをどう捉えるか」ということです。例えばベンヤミンやドゥルーズは、テクノロジーは自然から人間を理解するという発想をしています。テクノロジーが見せてくれる生の自然というものもあるわけです。

 

すごく分かりやすい例で言うと、アメリカの地形をずっとカメラで撮ったとして、1分間で4万年分を早回ししたら、地形だって生物みたいにうにょうにょ動いているのが見えるだろうと。私たちは、地形は全く動かないものだと思っていますが、カメラで回すと生き物のようになるわけです。すると、何が自然なのかという話になる。

 

自然と人間の関係が変わってきたんですね。今までは、自然とは自分の身体の向こう側にあるものとして捉えていたのが、例えばMRIで見た自分の脳を「自然」と捉える考え方もあるわけです。近代エコロジーの考え方は19世紀イギリスの産業革命の後に出て来ましたが、その時には自然は「向こう側」として想定されていました。

 

マルティン・ハイデガーは20世紀最大の哲学者だと思いますが、ハイデガーの技術論は典型的で、「技術は自然の搾取だからだめだ」と言っています。ですから、ハイデガーにとって善き人というのは農民です。悪いものは工場。

 

一方ドゥルーズは、平滑空間と条理空間という言い方で、人間が大地を計画化して物を搾取するのも実は農業なんじゃないの? と反論しています。これは考えてみれば当たり前ですよね。農業以上に自然を人工化しているものはない。そして人間の歴史の大転換点は農業の成立だと思います。例えば飛行機に乗って空の上から見ると分かりますが、ドイツって全面四角いんですよ。

 

粥川 農場が四角く区切られているということですか?

 

檜垣 そうです。全ての土地が耕作されていて、しかも真四角で、計画的農業がすごく進んでいる。デンマークもそうですね。

 

ともかく、二人の議論が示しているのは、どこからが自然でどこからが人間なのか、あるいはどこからが善でどこからが悪なのかが分からなくなってしまっているということ。

 

バイオの話になるとさらに分からなくなります。人間が過去に築き上げてきた「人間のイメージ」のようなものを持たないと判断できないわけだけれども、基調が変わったときに同じことは言えないわけです。違うことを言っても世間に通用するわけではない。では誰が判断するの? と言っても、みんな分かりませんとなる。

 

結局最後には儲かる、儲からないという経済的合理性の話が前面に出てきてしまって、儲かるものを良いものにしようとなる。でも、倫理的に考えると難しいですよね。つまり、ここから先は誰がどう結論を出しても、「暫定的な結論」でしかなくなります。

 

 

粥川準二氏

粥川準二氏

 

 

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