朝日新聞慰安婦問題とメディアの誤報リスクマネジメント

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もちろん、ひとことで「誤報」といっても、さまざまなものがある。その「悪質度」や影響の大きさもいろいろだろう。今回の朝日新聞の慰安婦報道の場合は、国際関係にも影響を及ぼした可能性があるから、特大級といってもいいだろうが、他社の誤報もなかなかのものだ。せっかくなのでいくつか例を挙げよう。

 

たとえば今回(というか以前から)朝日新聞批判の急先鋒となっている産経新聞については、記憶に新しいところでは2012年、陸上自衛隊が東京23区で行った統合防災演習で、自衛隊側からの要請を11区が拒否したと報じ、11の区すべてから「事実無根」との抗議を受け謝罪した件がある。その前年には中国の前主席である江沢民氏が死去したというこれまた大きな誤報を流した。

 

 

「統合防災演習 東京23区に庁舎立ち入り要請 11区が自衛隊拒否」

(産経新聞2012年7月23日)

 

「江沢民前中国主席死去 84歳 改革開放路線を推進」

(産経新聞2011年7月7日 大阪夕刊)

 

いずれも誤報の方向性がいかにも産経らしいという感があるが、個人的により印象深いものとして、2005年4月15日、フジサンケイグループ主催の「地球環境大賞」授賞式の模様を伝える記事で、秋篠宮殿下のお言葉を改変したケースを挙げたい。面白いので少し引用する。

 

 

「地球環境大賞授賞式 「あかり社会 大きく変わる」松下電工・畑中社長」
(産経新聞2005年4月15日東京版朝刊)

本日、第14回地球環境大賞の授賞式にあたり、今年も、皆さまとお会いすることができ、大変うれしく思います。また今年から、フジサンケイグループが一体となってこの顕彰制度を主催することになり、「環境」と「経済」が両立する持続可能な社会の実現に向けて、ますますその役割を深めていくことを希望します。 近年、地球環境問題は、・・・

 

 

これが産経新聞の報じた秋篠宮殿下のお言葉だが、一見して「おや」と思う人も多いだろう。皇室が公式の発言として一企業の名を挙げてほめるようなことをするとは考えにくい。実際のお言葉はこうだった。

 

 

本日、「第14回地球環境大賞」の贈賞式にあたり、今年もまた皆様とお会いすることができ、大変うれしく思います。 近年、地球環境問題は、・・・

 

 

つまり産経新聞は、「フジサンケイグループが一体となって~希望します」のくだりを勝手に挿入した。自グループの宣伝のためにお言葉を改変、産経の記事によくあるような強いことばを使えば「捏造」したのだ。当然、意図的なものだろう。こんな露骨なことをやって気づかれないと思ったこと自体不思議だが、案の定すぐばれ、翌日産経新聞は以下の通りおわびと訂正を行った。

 

 

十五日付1面の「地球環境大賞授賞式」の記事中、秋篠宮殿下のお言葉の中に、引用の誤りがありました。謹んでおわびし、全文を取り消します。

 

 

「引用の誤り」だそうだ。一応謝罪のことばは入っているが、これを「誤り」というのはそれこそ日本語の「誤り」というものだろう。当然、「謝罪」も「引用の誤り」に対するものであって、皇室のお言葉の捏造(皇室大好きな産経的にはあまりに畏れ多い不敬の振る舞いではないだろうか)に対する謝罪ではない。

 

また読売新聞でいえば、1989年8月17日夕刊1面トップで報じた、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者のアジトが発見されたとして事実と異なる「アジト」のようすを地図や図解入りで詳細に報じた誤報や、2009年11月から2012年10月にかけて報じられ、2012年10月17日に同社社長が謝罪するに至った、iPS細胞の作製や臨床応用に関する誤報などが有名だ。いずれも不十分な取材や思い込みによる誤報だ。

 

 

「宮崎のアジト発見 3幼女殺害の物証を多数押収 小峰峠の廃屋」

(読売新聞1989年8月17日東京版夕刊)

「肝臓がん細胞からiPS作製 米大の日本人研究員ら」

(読売新聞2010年2月24日東京版朝刊)

 

 

また、今回朝日新聞が謝罪するきっかけとなった、福島原発事故の政府事故調査委員会がまとめた調書からは、事故当時、海水注入が一時中断されたことが菅首相(当時)の意向を受けたものとした読売新聞の報道も誤りであったことが裏付けられた。当時、朝日新聞はこの読売報道が事実と異なると指摘していたが、読売新聞は現在に至るまでこれについて何らの対応も行っていないようだ。

 

 

「首相意向で海水注入中断 福島第一 震災翌日、55分間」

(読売新聞2011年5月21日東京朝刊)

 

東電から淡水から海水への注入に切り替える方針について事前報告を受けた菅首相は、内閣府の原子力安全委員会の班目春樹委員長に「海水を注入した場合、再臨界の危険はないか」と質問した。班目氏が「あり得る」と返答したため、首相は同12日午後6時に原子力安全委と経済産業省原子力安全・保安院に対し、海水注入による再臨界の可能性について詳しく検討するよう指示。(中略)
首相が海水注入について懸念を表明したことを踏まえ、東電は海水注入から約20分後の午後7時25分にいったん注入を中止。(中略)その結果、海水注入は約55分間、中断されたという。

 

 

「枝野官房長官「海水注入中断は東電の判断」 福島第一原発事故」

(朝日新聞2011年5月23日朝刊)

 

枝野幸男官房長官は22日、東京電力福島第一原発1号機で震災翌日の3月12日にいったん始めた原子炉への海水注入が一時中断された問題について「東電がやっていることを(政権側が)止めたようなことは一度も承知していない」と語り、海水注入の中断は東電側の自主的な判断との認識を示した。

 

 

「福島第一原発 海水注入巡り指揮混乱」

(NHK NEWSWEB 2014年9月12日)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140912/k10014546541000.html

 

東京電力から官邸に派遣されていた当時の武黒一郎フェローは、吉田元所長に直接電話し、官邸ではまだ海水注入は了解していないとして中断するよう指示し、吉田元所長は、原子炉の状況を考えて、みずからの判断で注入を継続し、本店には中断したと事実と異なる報告をしています。

(中略)

これに対し当時、官邸にいた細野元総理大臣補佐官は「実は止めたんじゃないかとか、情報が官邸に入っていたのではないかということに関しては、これは断言できます。みんな海水は入っていないと思っていました」と話し、海水の注入が始まっていたことは東京電力から知らされていなかったと証言しています。

 

 

また、朝日新聞が誤報とともに批判を受けている、週刊誌の新聞広告に対する拒否や黒塗りについても、読売新聞は、たとえば週刊新潮2012年10月11日号の広告を掲載するにあたって、同社系列であるプロ野球チームの監督を務める人物の名を、そのスキャンダルを報じた記事の見出しから削除したりしている。下掲記事にある「言論の自由」に関していえば、同紙の記者で所属を明かしたツイッターアカウントを一時期から見かけなくなった点も気になる。

 

 

「原監督が週刊新潮にでた自称愛人を告訴」

(NAVERまとめ2012年10月3日)
http://matome.naver.jp/odai/2134924540782085501

https://pbs.twimg.com/media/BwrIQGWCMAAh8qv.jpg:large

 

「朝日だけでなく読売も文春も!マスゴミの“自社批判”掲載拒否の歴史」
(LITERA2014年9月6日)
http://lite-ra.com/i/2014/09/post-437-entry.html

「はっきりいって、読売は朝日より自社批判への検閲が厳しい。批判どころか。渡辺会長の“ナベツネ”という言葉を使っただけでもNGをくらいます。読売は今回の池上彰の問題のような、原稿の掲載拒否トラブルもしょっちゅう起こしていますし、朝日と比べものにならないくらい言論の自由はない」(週刊誌関係者)

 

 

雑誌ももちろん例外ではない。雑誌、特に独自取材に基づくスクープ記事を多く掲載する週刊誌の世界では、記事に関して名誉毀損等で訴えられることはいわば日常茶飯事だ。出版社はそうしたリスクをコストとしていわば織り込み済みでビジネスをしているわけだが、ここ数年、高額賠償を命ずる判決が相次いで出ており、大きな負担になっているという。これらは誤報によるもの以外も含むが、訴訟の多くを占める名誉毀損において真実性の証明が争点となることが多いことから、誤報のリスクは新聞以上といえるだろう。そして彼らは、そうした誤報が少なからず存在することに対して「これからも臆することなく堂々と報じていきたい、との決意を新たにする」と言明し、むしろ開き直っているのである。

 

 

「一連の「名誉毀損判決」に対する私たちの見解」

(社団法人日本雑誌協会2009年4月20日)

http://www.j-magazine.or.jp/opinion_003.html

 

…雑誌ジャーナリズムのあり方をめぐって、懲罰的ともいえる判断が続出する背景には何があるのでしょうか。これまで出版社、とりわけ週刊誌・月刊誌は、なにものにもとらわれない自由な言論を標榜するジャーナリズムとして、政治家・官僚・財界人などから距離を置き、タブーを恐れず報道してきました。公人や著名人の疑惑や不正、人格を疑うような行為に対しても、敢然と取材をし、真相を読者に伝える、そこにこそ雑誌メディアの存在理由があると信じます。

 

「集中連載・週刊誌サミット:裁判だけではない……写真週刊誌を追い込む脅威とは?」

(BusinessMedia誠2009年5月26日)

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/26/news005.html

 

「雑誌を殺す裁判所 名誉毀損訴訟という「言論弾圧」」
(選択 2011年3月号)

http://www.sentaku.co.jp/category/culture/post-1537.php

 

 

他にも例はいろいろあるがきりがないので以下省略する。いうまでもないが、朝日を擁護するため、あるいは産経や読売を非難するために挙げたのではない。そもそもどの会社がいい悪いという話ではないのだ。今回朝日新聞が批判されているような誤報は、もちろん朝日新聞の責任であり、その影響も大きいが、少なくとも朝日新聞にしか起こりえない話ではない。程度の差、あるいは多少の個別性はあるにせよ、メディアは概ねこの点に関し共通のリスクに直面し、同じ課題を抱えている。朝日新聞だけを批判していても埒が明かないことは確かだ。

 

今回の慰安婦報道問題を受けて、一部の論者は、「朝日新聞は廃刊せよ」といった過激な主張をしている。誤報そのものやその後の対応に批判されるべき点があるのは事実だが、上の例からわかる通り、どのメディアにも誤報はつきものである以上、誤報のたびにメディアをつぶしていたのでは、日本からメディアがなくなってしまう。そうした極論は単に「そのくらい慰安婦問題は他の問題と比べて重要だ」もしくは「朝日新聞が嫌いだ」といった価値判断あるいは趣味嗜好を表明したものでしかない。

 

誤報はどのメディアにも起こりうるし、実際起きてきた。今後も起きるだろう。これまでに慰安婦報道に関して朝日新聞が行った検証は充分とはいいがたく、今後も検証が必要であろうとは思うが、より構造的な問題に着目する必要がある。

 

 

誤報問題の構造

 

こうした誤報はなぜ起きるのか、どのようにすれば防げるのかは、メディアの当事者にとって重要な関心事項のはずである。しかしその割には、必ずしも有効な対策がとられているとはいいがたい状況が、今に至るまで続いている。大きな問題が起きるたびに謝罪なり釈明なりが行われ、検証と反省と「二度と再び」の誓いが続くが、しばらくすればまた同じことが繰り返される。過去に学んでいないといいたくなるが、それはやや的外れというものだろう。問題があるとわかっていながら繰り返されるということは、そこに個々の個人や企業の資質や体質を超えた構造上の要因があるとみるべきだ。

 

誤報についての研究は、少なくとも国内においては、業界関係者による経験談ベースのものや、科学コミュニケーションやリスクコミュニケーションなど特定の文脈を前提としたものなどを除いて、あまり進んでいるとはいえない。誤報が生まれるプロセスを解明するためには、取材現場や編集の現場で実際に何が起きているかを広く深く知らなければならないからかもしれない。

 

古典的な研究、たとえば小野(1947)では、誤報の原因として、「不十分な調査」「不十分な理解」「予想記事または憶測記事の作製」「雰囲気の影響」「一方的取材」「不確実性の粉飾」などを挙げている。また、萩野(1998)は、「ニュース・ヴァリューを即断しなければならないこと」「逸脱的状況に注目することの恣意性」「主題提示のインパクトが全体の印象を支配すること」「象徴として取り上げられた事象が誇大に受け取られること」「センチメンタリズムの過剰」「大衆の潜在意識的願望への迎合」「叙述の「合理化」によるもう一つの真実の成立」「問題の所在を明らかにしこれをイッシューにする危険」など、メディア単体というより、社会との関係の中から誤報が生まれることに注目している。

 

これらは誤報が起きるメカニズムを概括的にとらえたものといえようが、こうしたメカニズムがあることを前提として、これにどう対応するかについて、深く掘り下げられているようにはみえない。あまたある論考も、その多くは個別メディアあるいは全体としてのメディアをただ糾弾する、あるいはメディアに関わる個人や企業の資質や心構え、職業倫理や経営姿勢を問うにとどまる。確かに、こうした問題は対処が難しいものではあるが、どうしてこのようになってしまうのだろうか。

 

ジャーナリズム論は専門ではないが、1ついえることがある。この分野の論考の多くが、誤報を「メディア」や「ジャーナリズム」の範疇でのみとらえているようにみえることだ。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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