2015.06.09

「良い作品を作ろう!」主義がもたらす弊害――日本のアニメはブラック業界

くみかおる 著述・翻訳家

社会 #アニメ#ブラック業界

先日寄稿した拙論「なぜ若者は遣い潰されるのか――日本のアニメはブラック業界」には予想を超える反響があって驚いた。何より驚いたのは、当のアニメ業界内部の方々からの反応が大きいことだった。それも怒りの反応が圧倒的だ。

だがそれも考えてみれば予想してしかるべきだった。まずアニメにはジャーナリズムが働いていない。アニメ情報誌はたくさんあっても、業界の歪みを糾弾することはけっしてない。アイドル雑誌と同じで、アイドルならぬ人気キャラクターの版権イラストを業界側から提供してもらわなければあっという間に休刊に追い込まれる。

そのうえ大手マスコミもこの手の情報誌あがりのライターの言説を取り上げる傾向が近年あるため、アニメの監督や有名スタッフたちは「クリエイター」としてひたすら持ち上げられる。

アニメ情報誌の老舗『アニメージュ』の表紙。アイドル雑誌の紙面作りを踏襲しているのがわかる。
アニメ情報誌の老舗『アニメージュ』の表紙。アイドル雑誌の紙面作りを踏襲しているのがわかる。

そこに「労働者」という視点を持ち込んで、二〇三高地に広がる死体を可視化したのが私の小論だった。この屍(しかばね)、大半は青春のほろ苦い思い出として坂の上の雲に昇華されてしまうので残らないのだ。そのトリックを暴いたのだから、傷を負いながらなお戦闘中の人間にすれば、ひた隠しにしてきた自分たちの傷口に素手で触れられたような気にもなるのであろう。

だが、治療の第一歩は診察と診断である。たとえ手遅れであるとしても、だ。

とりあえず先々月(2015年4月)末に公表された「アニメーション制作者 実態調査報告書 2015」を今回改めて取り上げるところから始めよう。

労働組合についての誤解

 

この報告書の後半を占める、アニメ労働者たちの阿鼻叫喚のなかに、労働組合の話題がちらっと出てくるので紹介しよう。

「うつ」で仕事する気がない日が増えた。アニメーション産業全体のことで、よく「労働組合」みたいなものがなく、機能もしないのは、なぜ?と他業種から言われ、挙句「そこに甘んじているお前らが悪い」という結論になりますが[以下略]

本当に「なぜ?」なのだろう。

 

この問いに答えるには、日本での労働組合のあり方が世界でも特異であることを、まず理解しておく必要があるので、以下駆け足で説明する。

 

18世紀末から19世紀前半にかけて、後に「産業革命」と呼ばれることとなる大変革がヨーロッパに広がっていった。ひとりの、あるいは少数の資本家が統べる工場に、たくさんの労働者が雇われる。労働者はおのれの労働力を資本家に提供し、その見返りとして賃金を貰う  これが「雇用」だ。

資本家と労働者が雇用する/されるの契約を結ぶわけだが、実際にはどうしても資本家のほうが発言力が大きくなる。そこで雇われる側に団結権を認め、資本家と労働者(の団体)が対等な存在として交渉に挑めるよう法を整備しよう  これが労働組合の考え方である。

 

さてここで注意してほしいのは、労働組合は本来、会社や工場ごとに生まれるのではなく、業種や業界別に組織されるものであることだ。

たとえばたまにニュースで、アメリカの自動車産業が一斉ストライキに入ったと報じられることがあるだろう。日本でいえばホンダやトヨタやニッサンなどで一斉に労働者が作業を止めてしまうようなものだ。こんなことが可能なのは、労働組合が企業ごとではなく、その業界全体でひとつになっているからである。

 

こうした労働法(ちなみに「労働法」という法律があるわけではなくて、労働関係のいくつもの法律をこう総称している)の考え方が日本に導入されたのは、あのアジア太平洋戦争に敗れた後のことだ。


先の論文でも少し触れたのだが、アメリカ陸軍元帥ダグラス・マッカーサーが率いる日本占領チームは、日本の軍事的暴走を支えた大きな要因として資本家と労働者の協調路線があると見て、これを双方対立路線に切り替えるために、アメリカ式の労働法制を日本に持ち込んだ。憲法の改正よりも急がせたことからも、マッカーサーがどれほどこのことを重視していたかがうかがえよう。

 

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しかしながら、天皇をしのぐ権力を得た元帥の力をもってしても、労働法を本来の理念のまま日本に根付かせるには至らなかった。

賃金の決め方が日本ではずっと温情主義で、アメリカ式の合理的なやり方(職種給という)がどうしてもなじめなかったことにくわえ、ある会社を辞めて同業種の他社に移ることを重ねながらキャリアアップする、つまり労働市場における人材の流動性が低いこともあって、労働組合もどうしても会社や工場内で完結したものになってしまうのだった。

アニメの世界にも労働組合はあった

アニメの世界はどうか。

昭和36年(1961年)に、今の東映アニメーションで生まれた「東映動画労働組合」がアニメ業界における最初の組合である。ちなみにその2年後に、あの宮崎駿が東映アニメに入社し、あっという間に組合活動で頭角を現すことになるのだがここでは深入りしない。

この頃はアニメといっても、テレビCM用アニメ(当時は60秒はあったからちょっとした短編アニメだ)の業界を除けば商業用作品を定期的に制作する営利企業は東映アニメぐらいしかなかったのだが。

そこにいきなり、まんが家であってアニメーション制作はほとんど経験がなかった手塚治虫が、高額納税者の画家部門日本一でもあったその財力を使って自前のスタジオを設立し、週30分のアニメ放映という、当時としては暴挙としかいいようがない企画に乗り出してしまった。

ところが半ば偶然にアメリカ輸出が実現したことで(当時の裏話は拙訳『アニメがANIMEになるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』と訳者解説を参照)、アメリカの強いドルを稼ぐ強力な輸出品としてテレビアニメが着目され、追従番組がいくつも現れた。

テレビアニメ「業界」がこうして生まれたのだった。そして各スタジオに労働組合も生まれていった。

映産労、といってもわかるひとは今はまずいないだろう。正式名称は映像文化関連産業労働組合。もともとは日本映画放送産業労働組合といって、映画の、それも独立プロダクションの連合的な労働組合として発足した。

日本の敗戦後、マッカーサー元帥率いる占領チームによってアメリカ式の労働組合法が日本に導入され、それに最初に感応したのが映画業界だった。とりわけ活発だったのが東宝の労働組合で、若き日の黒澤明も組合員だった。

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アメリカ軍MP150名、歩兵自動車部隊1個小隊、装甲車6両、M4中戦車3両、航空機3機が東宝撮影所を包囲した。まさに「来なかったのは軍艦だけ」(当時はやったジョーク)。1948年。

理想主義に走り過ぎて占領軍の弾圧を受け、活動は沈静化。東宝を去って独立系映画プロダクションを設立するものも少なくなかった。そのひとたちが、東宝争議から17年後にあたる1965年に、映画だけでなくテレビ業界もカバーした労働組合として発足したのが映産労である。

テレビアニメもテレビ業界ということで、やがていくつかのアニメスタジオで映産労系の組合が作られていったのだった。

今は東映アニメの組合のみ

だが1980年代の半ばにはほぼ壊滅したようだ。かつてはアニメ労働者を「社員」として雇用していたのが、やがて「個人事業主」(フリーランス)として「業務委託」する契約が主流となり、つまりは最初から組合にひとが入ってこなくなったのだ。これは若き宮崎駿が所属していた東映アニメでも同様だった。

ちなみに個人事業主だと労働組合に入れないとか結成できないということはないのだが(事実、今のプロ野球選手は労働組合を結成している)、アニメの場合はたくさん絵が描けるものが優遇され尊敬されることもあって、能力が高い者ほど「社員」ではなく歩合制準拠の「個人事業主」になりたがるという皮肉なメカニズムが働く。

社員雇用された者はそのまま社員待遇としても、後から入ってくる者が皆、個人事業主であるから年を追うごとに前者は少数派となり、やがて退社すれば組合も自然消滅したのだった。

日本のアニメ界で労働組合が成り立たない理由、というか消えていった理由が、これでおわかりいただけただろうか。

現在、アニメスタジオで労働組合があるのは東映アニメぐらい。宮崎駿が青春の思い出としてたまに語るので、昔の話だと思われがちだが今も存在している。この組合を原告に、数年前にある非常に興味深い裁判が東映アニメを被告に起きている。もっとも紙面の都合でここでは深入りしない。日本のアニメ界のブラック体質を問う争いだった、と述べるに留める。

日本のアニメはブラック雇用の偉大な先駆けだった

ここ十年で正規雇用つまり定年退職(これもまた日本ならではの制度)まで雇ってもらえるやり方が薄れ、期間限定での雇用がじわじわ増えていることは、お近くの図書館に行ってみれば図書館司書のほとんどが主婦パートに切り替わっていることからも実感できるだろう。

小泉純一郎内閣の頃に推し進められた行政改革のひとつが、官公庁の所轄とされた業務をなるべく民間に委ねるか、独立行政法人に切り替える道だった。それがやがて地方自治体の機関(図書館もそうだ)に伝播し、ついには民間企業の趨勢となった。

同一企業で務めきる(といっても男性の場合だが)のがスタンダードで、横の労働力移動がサラリーマンの場合あまりなかったこの国で、労働力の移動を前提としたこのやり方は、結局は人件費の節減のためのお題目といえなくもないのだが。

いわゆるブラック企業がここ数年で問題になってきたのはこうした背景がある。正社員であれば会社は経営不振時でも首切りはなるべく避ける代わりに長時間労働や出向は受け入れるという共依存関係が1970年代の半ばに日本では確立し、21世紀に入るまでそれがスタンダードとされた。それが小泉政権の行革を受けて揺るぎ始めた。

そこを突くかのように台頭したのがゼンショーに典型されるブラック企業であった。超長時間労働を課する一方で、労働者(というか正社員)の雇用は守るという今までの日本での不文律を無効として使い捨てに走り、それでも生き残った者は未来の幹部候補として優遇するという、経営者にとってはまことに望ましいシステムを正当化したのである。

ここまでお読みいただければ、日本のアニメ業界がまさにこのシステムでまわっていることに気がつかれるだろう。スタジオは数あれど、会社としてではなく「絵描きどもに机を貸してやる」場所としてしか機能していなくて、業界全体で巨大なブラック企業となっている。

さらにたちが悪いことに、ゼンショーでさえアルバイトを含めて「雇用」をしているのに対し、アニメの世界で絵描きはほとんどの場合「個人事業主」(フリーランス)として契約しているから労働基準法や最低賃金法も堂々とすり抜けられる。

そしてさらに強調したいことがある。「労働者」ではなく「個人事業主」として働かせるやり方がアニメの世界でスタンダードになったのも、やはり1970年代の半ばだったという事実だ。ブラック企業の台頭は21世紀になってからとはいえ、その始原がアニメのブラック業界化と同じ時期にさかのぼることは、もっと論じられてしかるべきだろう。

駆け込み寺としての組合ならある

ところでゼンショーでは、アルバイト店員たちが裁判を起こし全面勝利の和解を勝ち取った事件があった。ゼンショー社内にアルバイト店員の組合はなかったのだが、「首都圏青年ユニオン」という組合員になることで戦ったのだった。

先ほど産業革命を受けて労働者の団結を認める法制が生まれたと説明した。もう少し専門的な用語を使うと「団体交渉権」といって、労働組合を名乗る組織に対して経営陣は交渉を拒絶できないことになっている。

労働者がばらばらにいきなり裁判を起こすのは経済的にも心理的にも負担が大きすぎるため、日本ではまず社外の労働組合の組合員になって、その組合が「団体交渉権」を盾に会社経営陣と対峙するやり方が定着している。

少々わかりにくいかもしれないが、要するに社内組合ではなくNGO的な労働組合が日本ではいろんな分野、職種、業界ごとにあって、労働者が自分の属する会社のなかに労働組合がなくても、何か雇用や労働環境をめぐって会社と対立した場合、こうした「コミュニティ・ユニオン」と呼ばれる外部組合に相談すれば、そこの組合員として迎えられ、その組合の問題として会社側と交渉できるのである。

「要するに駆け込み寺なんだよ」と、取材の際にあるコミュニティ・ユニオンの代表者から説明を受けて腑に落ちたことがある。交渉が決裂すれば裁判に入るし、それで決着がつけば、駆け込んできた者はその組合を退会する。

アニメの世界でもときどきこうやってコミュニティ・ユニオンの力を借りて裁判を戦う者がいる。最近の例だと、背景美術専門の名門スタジオのSE、仕上げ、撮影の三人が会社側の不当労働行為を訴え、長い戦いの末にようやく経営陣(夫婦である)を交渉の席に引きずりだして和解に応じさせた事件があった。

俺たちあたしたちの生活を守れ!

1941年に起きたディズニー・スタジオでのストライキ。ミッキーマウスがUNFAIRのプラカードを掲げている絵も当時のもの。
1941年に起きたディズニー・スタジオでのストライキ。ミッキーマウスがUNFAIRのプラカードを掲げている絵も当時のもの。

ハリウッドのカリスマ・アニメーターがまとめた大著『ミッキーマウスのストライキ! アメリカアニメ労働運動100年史』を昨年訳したことで、ハリウッドアニメ界のこれまでが前よりずっと理解できるようになったのは私にとって大きな収穫だったが、なかでも強く印象に残ったのは、デモやストライキの記録を読んでも、「良い作品を作ろう!」とけっして誰も叫ばないことだった。代わりにUNFAIR!(不公平)と叫ぶのである。

ワーナー・ブラザース撮影所での衝突。1945年10月。対日戦勝利のわずか二か月後。
ワーナー・ブラザース撮影所での衝突。1945年10月。対日戦勝利のわずか二か月後。

アニメ界に限ったことではなく映画業界全体でそうなのだ。たとえば第二次大戦中、アメリカ全土で賃金値上げの据え置きが企業と組合のあいだで取り決められていたのだが、敵国ドイツと日本の敗戦がはっきりするなか、企業と組合間で賃金値上げ交渉が再開し紛糾。とりわけハリウッドでは組合どうしの勢力争い(繰り返すが労働組合は本来、会社ごとではなく業種や業界ごとに作られる組織である)も重なってちょっとした戦争状態にさえなったほどだ。けっして「良い作品を作ろう!」と理想論を掲げなかった。「UNFAIR!」と叫んだのである。[※1]

[※1]日本が大正末から「生活給」(年齢や家族構成によって賃金を考慮する)に移行していったのに対し、アメリカは「職務給」(その職種で一律の賃金が定められる)が基本だったこともあってUNFAIR(不公正)には敏感だった、ともいえそうだ。日本のアニメ労働者はこのどちらでもなく「歩合制」(出来高賃金制)のため、腕の未熟な若者にくわえ歳がいって体力がもたない者にも不利となる。だからこそ団体交渉でスタジオの連合と賃金の体系を定めるべきなのだが、あいにく日本のアニメ界はその手がすでに「去勢」されて久しい。脚注6参照。

日本だと「良い作品を作ろう!」と謳ってしまうのは

負けた側である日本の映画界でも、この1945年に労働組合が生まれている。先に触れたようにマッカーサーによる日本占領政策のひとつに労働組合法の導入があって、それに真っ先に反応したのが映画界、というか各映画会社の労働者だった。とりわけ活発だったのが東宝であったことも先に述べたとおりだ。

なぜ映画会社で労働組合運動が活発化したのだろう。

「戦争責任」への負い目があったようだ。

敗戦後、報道や文学や他いろいろなジャンルで戦争協力者が吊し上げられた。映画界もそうだったのだが、映画の場合、企画を立てるのは会社の重役連ということで監督以下のスタッフもキャストも責任はないはずだという理屈が生まれる一方で、そこまで割り切った考え方を責任転嫁だと糾弾する声もまたあった。

自分たちが戦争協力者であるという良心を無視できず、といってそこまで自己卑下することにも違和を消せず、その折り合い点として労働組合運動が激化した、とみる。


例えばこれからは企画検討にあたって自分たち労働組合側が会社側と同じだけ発言権をいただく、等。「戦時中に作られた映画はみな、会社の重役連が自分たちの意向を無視して押し付けてきた企画であって、その内容について監督以下倫理的責任はないが、新生日本(敗戦を当時よくこうやって言いかえた)においてはもう同じことを繰り返さない」と理論化された。

内田巌『歌声よ起これ(文化を守る人々)』(1948年、東京国立近代美術館蔵) 東宝争議 を称えたプロレタリア絵画。作・内田巌。今眺めると「戦争責任」に背を向けているとも読める。
内田巌『歌声よ起これ(文化を守る人々)』(1948年、東京国立近代美術館蔵) 東宝争議 を称えたプロレタリア絵画。作・内田巌。今眺めると「戦争責任」に背を向けているとも読める。

要するに現代ドイツ人が「第二次大戦の一切の責任はヒトラー率いるナチスにあって、ドイツ国民は敗戦によって『解放』されたのだ」とこじつけるのと同じ理屈である。

「良い作品を作ろう!」主義がやがてアニメーションに伝播した

「良い作品を作ろう!」主義が、敗戦後の日本映画界にルネサンスを呼びこんだのは本当だ。とりわけ黒澤明が監督した『羅生門』は、数奇な運命を経てイタリアのヴェネチア映画祭に持ち込まれ、最優秀賞に輝いた。敗戦国・日本にとって外貨を稼ぐのは至上命題だったところに、映画の輸出という新たな道を提示したのだ。

この主義の血が、時を経てアニメーションの世界に混入したようだ。先に少し触れたように、東映アニメで1961年に労働組合が結成され、やがて「良い作品を作ろう!」が謳われるようになった。若き宮崎駿もメインスタッフとして参加した野心作『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)は組合主導の企画だったという。東宝争議のDNAがまわりまわってアニメの世界で再生し、そして最後の大輪を咲かせたというところか。

 

『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)予告編。

自分は同労働組合の初代委員長だった人物にじっくりお話をうかがったことがある。「良い作品を作ろう!」というスローガンがどうしてもなじめず、やがて東映アニメを離れたとのことだった。この崇高にして誰も反論できないスローガンが、実は現実の問題の抑圧に働いていないか。そう感じたというのだ。

これはとても印象的な発言だった。事実、このスローガンのもと『ホルス』を作り上げた高畑勲、宮崎駿コンビは、組合活動の先行きを見限ってテレビアニメの世界に移り、そして制作したのが名作『アルプスの少女ハイジ』(1974年)だった。

品質の維持のためにあえて少数精鋭主義を取ったこともあって、一日の平均睡眠時間が二時間という信じがたい激務に晒されたスタッフ(しかも男性ではなく女性である)までいたという。

『ハイジ』は確かに良い作品になったといえるだろう。しかしながら「良い作品」を作るためならスタッフをどんなに酷使してもいいのだろうか。たとえそれが当人たちの自発的意思だったとしても、そして高畑、宮崎コンビこそが誰よりも不眠不休で働いていたのだとしても、だ。

 

虫プロの倒産こそが日本の商業アニメの始まりだった

ところで現在に至る日本の商業アニメのビジネスモデル、つまり少ない制作費をマーチャンダイジング等で埋め合わせて利潤を得るやり方が確立したのはいつ頃だと皆さんは思われるだろう。

手塚のテレビアニメ『鉄腕アトム』だ、とこれまで言われてきたが、近年のいくつかの研究(私のものも含む)を踏まえるに、どうも正しくは1970年代、それも虫プロの倒産「後」、すなわち手塚の夢が破たんした「後」ではないかと自分は確信を深めている。

企業としてアニメ作りに乗り出した先駆けといえば東映アニメだ。日動映画株式会社という、二十数人のスタッフでまわっていたアニメスタジオを東映が吸収し、人員を大幅に増やして「東映動画」として発足させたのが1956年。東映の大川博社長(当時)は「東洋のディズニーを目指す」と高らかに宣言して始まったこのスタジオも、内実は具体的経営方針がまとまらないまま船出したのが実情だった。

私は60年代末から70年代頭にかけての東映アニメの財務状況を記した書類を目にする機会があって分析したことがある。

高畑・宮崎らによる前述の『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)が東映アニメの当時歴代最低の興行成績だったことは当時のスタッフの回想からもうかがえたが、その翌年に公開され観客動員数で歴代一位になったはずの『長靴をはいた猫』(主人公の猫ペロは今も東映アニメのシンボル・キャラクターである)でさえ制作費を回収できていなかったという事実に驚いた。

テレビアニメについても同様で、キャラクター商品の印税収入をもってしても赤字が億単位で累積していく、せっぱ詰まった状態だったのである。

東映アニメに限らず、虫プロをはじめ、他のアニメスタジオもどうやらだいたい同じ情況だったようだ。

この事実からいえるのは、「『アトム』の成功で新しいアニメビジネスが確立し、手塚は挫折したがその方法論は後続者に受け継がれ、今に至っている」とする従来の定説は正しくないということである。

いくつもの取材や文献調査を組み合わせてモデル化するに、60年代の高度経済成長期の風におされてテレビアニメが量産されたものの計画と実際の食い違いが大きくなって、やがて日本の高度経済成長が終焉するのと並走するかのように、テレビアニメ業界でも大規模な再編成が70年代前半にあった、と考えたほうが事実に近いのである。

大規模な再編成とは、零細スタジオが次々と店じまいしていったことにくわえ、台湾や韓国の安い労働力に着目して作画・彩色を発注する体制の本格化、それに「製作」と「制作」を明確に分離して前者を重んじることで二次商品の利潤を独占するやり方が、大手スタジオの経営方針としてはっきり打ち出されたりしたことを指す。

一番大きかったのは、後に『機動戦士ガンダム』シリーズで名が知られることになるサンライズのように、設立当初からアニメ絵描きを「社員」として雇用せず個人事業主として扱い、会社経営から分離するやり方に徹するスタジオが現れ、それがやがて業界全体のスタンダードになっていったことだった。

詳しくは拙論をどうぞ

現在の商業アニメの製作それに制作システムが確立したのは実は70年代の半ばだったとするこの史観にもとづいてアニメの労働環境を論じなおすと、これまでの堂々巡りの議論、たとえば「広告代理店の中間搾取が悪い」「手塚治虫が安い制作費でテレビアニメを請け負ったのが悪い」「いや手塚は制作費をそれなりに貰っていた」[※2]「海外発注で国内に新人が育たなくなった」式の論争が、いかに見当違いであるかが浮かび上がってくる。

[※2]『鉄腕アトム』原罪説を唱えると、アニメ労働者の多くが「そんな大昔のことが現状と何の関係があるのだ」「これからを論じたいんだ」と反発する理由はなんだろう。想像するに、この原罪説を取るともはや現状は変えようがないという運命論になってしまうため反発したくなるのだ。津堅信之による『アトム』免罪説が業界内でも歓迎された理由もここだ。ちなみに私は、原罪説というよりは「10年早く油田を掘り当ててしまったがゆえの生態系破壊者」として手塚と『アトム』を歴史に位置づけたい。詳しくは別の機会に。

 

そして70年代半ば以降のアニメの労働環境が日本国内でどう推移していったか(というかしなかったか)、そして海外の労働力に頼るようになっていったかについては拙論「アニメーションという原罪」で論じたとおりである。

ジャニカという団体について

もっともこの論のなかで触れなかったことがいくつかあるので、この機会に少し論じておこう。

2007年に、ベテランアニメーターの芦田豊雄(2011年に死去)の呼びかけで有名アニメーターが賛同会員として名を連ねた「日本アニメーター・演出協会」(通称ジャニカ)という団体が発足した。

設立発表会の様子がここで視聴できる。ざっと拝見するに、テレビアニメが日本で始まった頃にこの世界に入ってきた者たちが60代に達して(男性ばかりなのが興味深いが)、自分たちの老後のことを気にしていたのが、こうしたオピニオン・リーダー的組織を必要としたという印象を受ける。

また、アメリカの知財戦略強化方針を受けて日本でも21世紀に入る前後から知財(intellectual propertyの訳語)を国家の柱にすえる方針が模索されていて、その一環として日本製アニメなど「メディア芸術」(前述)を国によって保護・推進する「国立メディア芸術総合センター」構想が福田康夫内閣のもとで検討されていたことも無関係ではなかっただろう。

また皮肉な言い方で恐縮だが、国や社会の目をいかにかいくぐって市場を広げるか(そして腕に自信のある者がたっぷり稼ぐか)を裏テーマにしてここまで来た一方でその弊害が出てきたジレンマを、今度は国にすがることでなんとかしてもらおうという狙いが、あるいはジャニカ創設にはあったのかもしれない。


だがこの構想を提唱していた自民党政権(麻生太郎内閣)が衆議院選で大敗して民主党に政権が移ると、総合センター構想は税金の無駄遣いとして取り消された。昨年11月にいきなり発足した「マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟」(最高顧問・麻生太郎)は、このセンター構想の名残であろう。

第45回衆議院議員総選挙の結果。2009年8月30日実施。
第45回衆議院議員総選挙の結果。2009年8月30日実施。

ジャニカというアニメ労働者組織について

さてこのジャニカという組織だが、アニメファンあがりのある弁護士がボランティア的な立場で運営に参加しだした頃から理事会で内紛が始まった。

アニメ労働者のための健康保険制度を整備して会員を増やす方針はそれなりの成果をあげていったのだが、センター構想の破たんで国の後ろ盾や未来のヴィジョンを失ったことで理事のあいだで運営方針の食い違いが浮かび上がった。

さらには任意団体から中間法人、さらには一般社団法人に登記を変更する際の弁護士による定款変更のミスを、反対派の会員から突かれて総会が紛糾。このことがあまり世間に知られなかったのは、2011年3月11日の震災でマスコミや大衆の目が逸れたからでもあった。

新人育成計画「アニメミライ」の顛末

「アニメミライ」をご存知だろうか。毎年、文化庁の予算で新人アニメーター中心のスタッフを編成して短編アニメを作らせることで新人育成の背中を押す企画だ。各スタジオが企画案と新人スタッフを提案して四社が選ばれ、完成した作品は「アニメミライ」という催しへの出品作として世に送り出される。

この企画はセンター構想破綻後にジャニカ(の監事に就任した弁護士)の手で文化庁に提案され、回りだしたものだ。

その作品企画募集要項がネットで今でも読めるので拝見すると、「新人育成計画」を謳ってはいるが、本当の狙いは「賃金体系の確立」であることがわかる。

2009年に公表されたアニメ労働者労働実態調査(先々月公表の報告書はこれの第二段だ)を踏まえて、都内で新人が暮らしていくには最低限必要な月収を算定し、それをもとに賃金を文化庁が保証して短編アニメを作らせる。

「ほんの少し賃金を増やしてあげるだけで、この高品質で面白いアニメが作れるし、しかも見違えるように新人たちの腕が磨かれるのですよ」と毎年アピールしていけば、スタジオ経営陣(の団体)も現実的な枠内でアニメ労働者に支払う額を増やす気になってくれるのではないか、というわけだ。

だがそうはならなかった。結局は、先に論じた「良い作品を作ろう!」主義に昇華されてしまって、今までより改善された賃金体系の模索と確立という動きにはおよそ至らなかった[※3]。

[※3]アニメ制作のデジタル化によって、色塗り等の作業効率が格段に良くなったためこの職種の者の収入が増えた一方、デジタル対応の作画を要求されるアニメーターは作業能率が下がって収入が減るという事態を是正するためにも賃金(というか報酬)体系の再編が急務とされた。一枚いくら一カットいくらの報酬制度なので、作業能率の変化はアニメ労働者にとって死活問題だった。

アニメライターたちが「アニメミライ」の宣伝にも駆りだされたが、労働環境問題にもともと関心がない人種だったこともあって、やはり「良い作品を作ろう!」に収れんしてしまうのだった。

そして昨年(2014年)、「アニメミライ」はジャニカではなく日本動画協会にさらわれてしまった。もともと文化庁の事業であり、新人の育成が狙いだというのならアニメスタジオの連合的団体で、大掛かりなアニメイヴェントを毎年手がけている日本動画協会に委ねた方が自然という文化庁側の判断であった。

この協会はアニメスタジオ経営者の団体である以上、賃金の改善というテーマは後回しにされてしまう。事実、同協会の手に移ってからの「アニメミライ」実施要項からは賃金体系改善の話題は見事に消されてしまっているのである。[※4]

[※4]賃金の問題にくわえ、中堅~ベテランが新人によるできのよろしくない仕事の補正作業で時間を取られてしまうという問題がある。同情はするが「ならばそれなりに教育された人間でないと入れないような仕組みをなぜ業界全体で作ろうとしなかったのか?」と問われたとき、きちんと答えられる者が業界内にどれだけいるだろう。私が日本のアニメをブラック業界と断ずるのは、こうした外部からの素朴な疑問に答える努力を怠ったまま何十年もまわっている現実についてでもある。

自衛隊が「軍」ではないように

ジャニカは結局、自衛隊なのだ。日本は敗戦の衝撃から、戦争そのものを絶対悪とすることで自分たちの「戦争責任」をとりあえず免罪する(先に触れた東宝争議に通じる)思想を育み、ついには軍事力を持たないことを憲法で宣言した。しかしながら軍事力のない独立国家なぞそもそもありえないという冷厳たる現実を前に、このガラパゴスな「平和国家」思想は揺らいだ。そこで「軍」ではなく「隊」として「防衛力」を認めることにした。それが自衛隊である。

日本のアニメの世界で労働組合がどう生まれ、やがて衰退していったのかはすでに述べたとおりだ。もしジャニカを労働組合として発足させても自滅することは目に見えていた。それで「一般社団法人」として存続しているのだ。労働組合ではありませんよ、と。

だが本当にアニメの労働環境問題を是正したいのであれば、拙訳『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』で活写されているように、雇う側/雇われる側が定期的に押し合いへし合いしながら折り合い線を探っていくしかないはずだ。海外への作業発注についてもだ。[※5]

[※5]ちなみにある統計調査によると、テレビアニメの年間総制作分数は2000年から2012年のあいだに40%近く増えている。「製作」と「制作」を分離するやり方によって「制作」に一方的しわ寄せが来て、それが海外下請けをさらに加速させているようだ。

 

そしてその手すら日本の商業アニメ界ではとうの昔に「去勢」されていることは、ここまでこの小論を読んでいただければ、もはや繰り返し念押しするまでもない事実だとおわかりいただけるだろう。[※6]

[※6]脚注1参照。

日本の特異な雇用システムがアニメ労働者を追い詰めた

それにしても離職率90%という想像を絶する急坂を駆けあがって、とりあえず食べていけるようになり、やがて中堅やベテラン、それも「勝ち組」になると、今度はなぜ「新人たちが苦しんでいる」と世にアピールするわりには「それでもかけがえのない夢がある仕事です」とか「あきらめずに続けていればちゃんと幸せに生きていけます」とか必ず補足をしたがるのだろう。

ここには日本の雇用システムの裏メカニズムが働いている。

むろん業種や職種や業界によって違うのだが、日本では概して雇う側は個々の就職希望者がどこの学校の生徒であるかには強い関心を示すけれど、その志望者の個性とか学校での成績にはあまり関心がない。それどころか「学校で学んだことを社会で生かしたい」と面接試験で口にすると確実に落とされるとまでいわれている。

日本において雇う側は、とにかく柔軟性と協調性がある若者を手に入れて、あとは自分たちの手で使える兵隊に育てればいいと考えている。この仕組みが世界でいかに特異であるかは、この分野の研究の第一人者である濱口桂一郎の著作にあたれば理解できるだろう。それはすなわち、日本では転職とは格落ちと見なされることを意味する。

そういう労働市場メカニズムにおいては、「アニメ業界はブラックと気が付いたから転職しよう」と考えても実行が難しい。いや若いうちならまだそれも可能だとしても(だからこそ入って三年間での離職率が90%と異常に高率なのだ!)、歯を食いしばって生き残り、やがてご指名で仕事が入るぐらいになっている頃にはもう30を越しているから、もはや転職が効かない。自分が選んだ道だからとこのブラック業界を生きていくことになる。そのうえ、歳を重ねれば経験も蓄積される一方で体力の衰えも待ち構えるため、歩合制でまわるこの世界は改めて辛いものとなる。

先月公表された労働実態調査報告書の後半を占める、アニメ労働者たちの阿鼻叫喚の正体がこれなのである。

その一方で、90%が三年で挫折するとわかっていても「この仕事は夢がある」とか「20代で頭角を現す者だって何人もいる」とか呼びかけるのが、数少ない「勝ち組」の人びとだ。年金制度と同じで、若者がたくさん入ってこなければ自分の生活が成り立たなくなってしまうからだ。

「自分たちが降りるまでバスを走らせようと必死なようにしか見えんのだけど」とツッコミをされて、言い返せる者が果たして何人いるだろう。

なかには「海外に仕事が流出するから新人への賃金が減っているのだ」と悪あがきの理屈をこねて自分たちを免責する向きもあるようだが、正しくは「国内の新人を信じがたい低賃金で働かせてもなお業界全体で労働力が足りないから海外に依存している」であろう。

因果関係をすり替えてはいけない。

結び・「ダダをこねるない いいかげんにしろっ」(ブラックジャック)

まことに救いのない話である。ブラック企業なら法律を盾に叩くことができるのに、業界ぐるみのブラックとなると法律でも手を出せないのだ。

そのうえ今まで診察・診断もろくになされてこなかった。なぜならそういう学問がアニメについては存在していないからだ。アニメ学、アニメ研究と称する書籍や論文をいくつも拝見したものの、「アニメ労働環境論」というジャンルそのものがないのである。

だからこそ「治療法を提示しろ」と言われても出しようがない――と突き放してしまっては論がうまく締まらないので、アニメーター出身のあるアニメ監督のブログにある逸話を紹介しつつ、それに論評をくわえることで、見えない明日を探ってみよう。

今から5~6年前に私は新人アニメーターの困窮する現状を見かねて、関東経済産業局に現状改善の相談に行った事があります。

一枚200円の動画単価を続けてはアニメーターの新人は育たず、日本のアニメ界は遠くない将来、国際競争力どころか制作力自体を失ってしまう。「行政指導による最低賃金を保証する方法は無いものか?」と訴えたのでした。

しかし、担当の方から返ってきた答えは、

「なぜ、そんなに低い労働単価なのに皆さん仕事を請けるのですか?」と言う、扱くシンプルな疑問でした。

「一枚1~5円の袋貼りやネジの仕分け梱包作業の単価が適正か?適正でないか?それはその金額で請け負う人が居るか居ないかで我々は判断します。その金額で受ける人が居るのであれば、それは適正価格なのではないですか?」

と聞かれたのです。

「アニメの場合は袋貼りの内職とは中身が違って…」と仕事の質や業界においての新人アニメーターの意味を懸命に説明したのですが

「では、なぜ会社や業界が自ら新人を育てないのか?」と続いたのです。

確かに、この業界に関係の無い立場から見たら、まったく理解出来ない事が平然とまかり通っているのがアニメ業界の現状です。

これを読んだとき、ああ臓器移植の問題と同じだと思った。日本国内だと法律の規制が厳しいこともあって望みの臓器が手に入らない。そこで海外に飛んで、臓器を買う。現地の病院で取り換えてもらう。帰国してしばらくは健康に暮らす。ところが年を経てまた具合が悪くなる。日本国内の病院に駆け込む。「何とかしてください」 病院は困ってしまう。「どなたの臓器を使ったのですか」「知りません」「どういう医者に手術してもらったのですか」「わかりません」「手術のカルテは」「ありません」

「先生何とかしてください」「履歴もわからんのに治せるか!」

もし治療を望むのであれば、自分たちの業界が腐っていった過程を履歴にまとめる作業から始めるべきではないか。法律の網の目をかいくぐって、アニメに憧れる若者の臓器をいくつもいくつも手に入れて交換して生きながらえてきた、妖怪の半生を「歴史」として語るのである。

それは痛みをともない、血を流す作業となるだろう。自分たちでできないのであれば、外部の人間にメスを委ねるしかあるまい。そしてここでいう外部の人間とは、深夜アニメを録画してネット上で論評し合うマニア層でもなければ、『サザエさん』しか普段見ないようなごくありふれた人々でもない。日本のアニメ界で働いてみて「ここは違法操業の巣窟だ」と喝破した外国人アニメーターに連なる人々のことなのは、いまさらいうまでもない。少なくとも私の論を読んで「アニメ業界に問題が有るとは、私も思ってはいるが、この評論は評価に値しない」などと感情的反発を続けるかぎりは、明日はけっしてやってこないと思うのだが。

追記

アニメーション制作者 実態調査報告書 2015」の公開後、調査元の団体に私から二つの企画を提案した。

ひとつは、アメリカのアニメ界で使われているユニオン(組合)協約書の全訳とウェブ公開。プロ野球で現在使われている野球協定は、実は敗戦後にアメリカのメジャーリーグの協定書を翻訳・研究して生まれたものである。アメリカアニメ界の労働研究の第一歩として、ユニオン協約書の和訳は意義があると考えたのだが却下された。

もうひとつは日本のアニメ労働者の人口調査。あの調査報告書に欠けているのが業界全体での人口統計概算なので、それを補う必要があると考えた。

とりあえず週およそ90本放映されている新作(『サザエさん』も含む)アニメのOP、EDから期間限定で名簿を起こしていけば、職種別人口の割合が概算できるし、それを足掛かりにさらにいろいろ興味深い研究が可能になると提案したのだが、これも却下された。最高10万円の助成金がおりる制度が同団体にあるので、それに着目したのだが……

そこでOP、ED調査は私個人のプロジェクトとして試みることにした。むろんひとりでは不可能なので、名古屋の南山大学アニメゲーム研究会との共同研究として準備中である。同種の調査を連続的に行っているアニメ研究者チームならすでに存在するのだが、そのデータは公開されておらず、それに人口調査に応用する試みは現在行われていないらしい。

SETIをご存知だろうか。Search for Extra-Terrestrial Intelligence(地球外知的生命体探査)。宇宙から降り注ぐ電波を受信し、異星人からの信号を探す大がかりなプロジェクトだ。

k-10

信号解析用のスーパーコンピュータをそろえる予算がないので、世界中の個人用パソコンを、使用者が使っていない時間帯に絞って使わせてもらうことで現在も続行している。

「電波データと解析用ソフトを無料提供するのでお手元のパソコンにインストールしていただければ、後は自動的に解析を行い結果はSETI本部に自動送信される。もし異星人の信号と判明したら、発見したパソコンの所有者の名は不滅のものとなる」とのことだ。

同じことを、自動ではなく人力入力だがアニメ研究で行えないか、と考えている。

とりわけ大学のアニメ研究会の皆さんに期待している。この試みに興味がある方は、どうか私のツイッターブログ宛にご連絡ください。

プロフィール

くみかおる著述・翻訳家

著書は『宮崎駿の時代 1941~2008』(鳥影社、2008 年)、『宮崎駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004 年)。訳書は『スーパーマン――真実と正義、そして星条旗(アメリカ)と共に生きた75 年』(ラリー・タイ[著]現代書館、2013 年)、『パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス』(クリスティン・R・ヤノ[著]、原書房、2013 年)、『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』(トム・シート[著]、合同出版、2014 年)など。現在、書き下ろしの新刊『エマに中学英語はこんな風に聞こえる    私の母校にガイジンの娘を3年間通わせてみて判明した、あなたたちが中学英語からやり直しても必ず無駄に終わる本当の理由』(仮題)を準備中。

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