「良い作品を作ろう!」主義がもたらす弊害――日本のアニメはブラック業界

俺たちあたしたちの生活を守れ!

 

1941年に起きたディズニー・スタジオでのストライキ。ミッキーマウスがUNFAIRのプラカードを掲げている絵も当時のもの。

1941年に起きたディズニー・スタジオでのストライキ。ミッキーマウスがUNFAIRのプラカードを掲げている絵も当時のもの。

 

 

ハリウッドのカリスマ・アニメーターがまとめた大著『ミッキーマウスのストライキ! アメリカアニメ労働運動100年史』を昨年訳したことで、ハリウッドアニメ界のこれまでが前よりずっと理解できるようになったのは私にとって大きな収穫だったが、なかでも強く印象に残ったのは、デモやストライキの記録を読んでも、「良い作品を作ろう!」とけっして誰も叫ばないことだった。代わりにUNFAIR!(不公平)と叫ぶのである。

 

 

ワーナー・ブラザース撮影所での衝突。1945年10月。対日戦勝利のわずか二か月後。

ワーナー・ブラザース撮影所での衝突。1945年10月。対日戦勝利のわずか二か月後。

 

アニメ界に限ったことではなく映画業界全体でそうなのだ。たとえば第二次大戦中、アメリカ全土で賃金値上げの据え置きが企業と組合のあいだで取り決められていたのだが、敵国ドイツと日本の敗戦がはっきりするなか、企業と組合間で賃金値上げ交渉が再開し紛糾。とりわけハリウッドでは組合どうしの勢力争い(繰り返すが労働組合は本来、会社ごとではなく業種や業界ごとに作られる組織である)も重なってちょっとした戦争状態にさえなったほどだ。けっして「良い作品を作ろう!」と理想論を掲げなかった。「UNFAIR!」と叫んだのである。[※1]

 

[※1]日本が大正末から「生活給」(年齢や家族構成によって賃金を考慮する)に移行していったのに対し、アメリカは「職務給」(その職種で一律の賃金が定められる)が基本だったこともあってUNFAIR(不公正)には敏感だった、ともいえそうだ。日本のアニメ労働者はこのどちらでもなく「歩合制」(出来高賃金制)のため、腕の未熟な若者にくわえ歳がいって体力がもたない者にも不利となる。だからこそ団体交渉でスタジオの連合と賃金の体系を定めるべきなのだが、あいにく日本のアニメ界はその手がすでに「去勢」されて久しい。脚注6参照。

 

 

日本だと「良い作品を作ろう!」と謳ってしまうのは

 

負けた側である日本の映画界でも、この1945年に労働組合が生まれている。先に触れたようにマッカーサーによる日本占領政策のひとつに労働組合法の導入があって、それに真っ先に反応したのが映画界、というか各映画会社の労働者だった。とりわけ活発だったのが東宝であったことも先に述べたとおりだ。

 

なぜ映画会社で労働組合運動が活発化したのだろう。

 

「戦争責任」への負い目があったようだ。

 

敗戦後、報道や文学や他いろいろなジャンルで戦争協力者が吊し上げられた。映画界もそうだったのだが、映画の場合、企画を立てるのは会社の重役連ということで監督以下のスタッフもキャストも責任はないはずだという理屈が生まれる一方で、そこまで割り切った考え方を責任転嫁だと糾弾する声もまたあった。

 

自分たちが戦争協力者であるという良心を無視できず、といってそこまで自己卑下することにも違和を消せず、その折り合い点として労働組合運動が激化した、とみる。


例えばこれからは企画検討にあたって自分たち労働組合側が会社側と同じだけ発言権をいただく、等。「戦時中に作られた映画はみな、会社の重役連が自分たちの意向を無視して押し付けてきた企画であって、その内容について監督以下倫理的責任はないが、新生日本(敗戦を当時よくこうやって言いかえた)においてはもう同じことを繰り返さない」と理論化された。

 

 

内田巌『歌声よ起これ(文化を守る人々)』(1948年、東京国立近代美術館蔵) 東宝争議 を称えたプロレタリア絵画。作・内田巌。今眺めると「戦争責任」に背を向けているとも読める。

内田巌『歌声よ起これ(文化を守る人々)』(1948年、東京国立近代美術館蔵) 東宝争議 を称えたプロレタリア絵画。作・内田巌。今眺めると「戦争責任」に背を向けているとも読める。

 

 

要するに現代ドイツ人が「第二次大戦の一切の責任はヒトラー率いるナチスにあって、ドイツ国民は敗戦によって『解放』されたのだ」とこじつけるのと同じ理屈である。

 

 

「良い作品を作ろう!」主義がやがてアニメーションに伝播した

 

「良い作品を作ろう!」主義が、敗戦後の日本映画界にルネサンスを呼びこんだのは本当だ。とりわけ黒澤明が監督した『羅生門』は、数奇な運命を経てイタリアのヴェネチア映画祭に持ち込まれ、最優秀賞に輝いた。敗戦国・日本にとって外貨を稼ぐのは至上命題だったところに、映画の輸出という新たな道を提示したのだ。

 

この主義の血が、時を経てアニメーションの世界に混入したようだ。先に少し触れたように、東映アニメで1961年に労働組合が結成され、やがて「良い作品を作ろう!」が謳われるようになった。若き宮崎駿もメインスタッフとして参加した野心作『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)は組合主導の企画だったという。東宝争議のDNAがまわりまわってアニメの世界で再生し、そして最後の大輪を咲かせたというところか。

 

 

『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)予告編。

 

 

自分は同労働組合の初代委員長だった人物にじっくりお話をうかがったことがある。「良い作品を作ろう!」というスローガンがどうしてもなじめず、やがて東映アニメを離れたとのことだった。この崇高にして誰も反論できないスローガンが、実は現実の問題の抑圧に働いていないか。そう感じたというのだ。

 

これはとても印象的な発言だった。事実、このスローガンのもと『ホルス』を作り上げた高畑勲、宮崎駿コンビは、組合活動の先行きを見限ってテレビアニメの世界に移り、そして制作したのが名作『アルプスの少女ハイジ』(1974年)だった。

 

品質の維持のためにあえて少数精鋭主義を取ったこともあって、一日の平均睡眠時間が二時間という信じがたい激務に晒されたスタッフ(しかも男性ではなく女性である)までいたという。

 

『ハイジ』は確かに良い作品になったといえるだろう。しかしながら「良い作品」を作るためならスタッフをどんなに酷使してもいいのだろうか。たとえそれが当人たちの自発的意思だったとしても、そして高畑、宮崎コンビこそが誰よりも不眠不休で働いていたのだとしても、だ。

 

 

虫プロの倒産こそが日本の商業アニメの始まりだった

 

ところで現在に至る日本の商業アニメのビジネスモデル、つまり少ない制作費をマーチャンダイジング等で埋め合わせて利潤を得るやり方が確立したのはいつ頃だと皆さんは思われるだろう。

 

手塚のテレビアニメ『鉄腕アトム』だ、とこれまで言われてきたが、近年のいくつかの研究(私のものも含む)を踏まえるに、どうも正しくは1970年代、それも虫プロの倒産「後」、すなわち手塚の夢が破たんした「後」ではないかと自分は確信を深めている。

 

企業としてアニメ作りに乗り出した先駆けといえば東映アニメだ。日動映画株式会社という、二十数人のスタッフでまわっていたアニメスタジオを東映が吸収し、人員を大幅に増やして「東映動画」として発足させたのが1956年。東映の大川博社長(当時)は「東洋のディズニーを目指す」と高らかに宣言して始まったこのスタジオも、内実は具体的経営方針がまとまらないまま船出したのが実情だった。

 

私は60年代末から70年代頭にかけての東映アニメの財務状況を記した書類を目にする機会があって分析したことがある。

 

高畑・宮崎らによる前述の『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)が東映アニメの当時歴代最低の興行成績だったことは当時のスタッフの回想からもうかがえたが、その翌年に公開され観客動員数で歴代一位になったはずの『長靴をはいた猫』(主人公の猫ペロは今も東映アニメのシンボル・キャラクターである)でさえ制作費を回収できていなかったという事実に驚いた。

 

テレビアニメについても同様で、キャラクター商品の印税収入をもってしても赤字が億単位で累積していく、せっぱ詰まった状態だったのである。

 

東映アニメに限らず、虫プロをはじめ、他のアニメスタジオもどうやらだいたい同じ情況だったようだ。

 

この事実からいえるのは、「『アトム』の成功で新しいアニメビジネスが確立し、手塚は挫折したがその方法論は後続者に受け継がれ、今に至っている」とする従来の定説は正しくないということである。

 

いくつもの取材や文献調査を組み合わせてモデル化するに、60年代の高度経済成長期の風におされてテレビアニメが量産されたものの計画と実際の食い違いが大きくなって、やがて日本の高度経済成長が終焉するのと並走するかのように、テレビアニメ業界でも大規模な再編成が70年代前半にあった、と考えたほうが事実に近いのである。

 

大規模な再編成とは、零細スタジオが次々と店じまいしていったことにくわえ、台湾や韓国の安い労働力に着目して作画・彩色を発注する体制の本格化、それに「製作」と「制作」を明確に分離して前者を重んじることで二次商品の利潤を独占するやり方が、大手スタジオの経営方針としてはっきり打ち出されたりしたことを指す。

 

一番大きかったのは、後に『機動戦士ガンダム』シリーズで名が知られることになるサンライズのように、設立当初からアニメ絵描きを「社員」として雇用せず個人事業主として扱い、会社経営から分離するやり方に徹するスタジオが現れ、それがやがて業界全体のスタンダードになっていったことだった。

 

 

詳しくは拙論をどうぞ

 

現在の商業アニメの製作それに制作システムが確立したのは実は70年代の半ばだったとするこの史観にもとづいてアニメの労働環境を論じなおすと、これまでの堂々巡りの議論、たとえば「広告代理店の中間搾取が悪い」「手塚治虫が安い制作費でテレビアニメを請け負ったのが悪い」「いや手塚は制作費をそれなりに貰っていた」[※2]「海外発注で国内に新人が育たなくなった」式の論争が、いかに見当違いであるかが浮かび上がってくる。

 

[※2]『鉄腕アトム』原罪説を唱えると、アニメ労働者の多くが「そんな大昔のことが現状と何の関係があるのだ」「これからを論じたいんだ」と反発する理由はなんだろう。想像するに、この原罪説を取るともはや現状は変えようがないという運命論になってしまうため反発したくなるのだ。津堅信之による『アトム』免罪説が業界内でも歓迎された理由もここだ。ちなみに私は、原罪説というよりは「10年早く油田を掘り当ててしまったがゆえの生態系破壊者」として手塚と『アトム』を歴史に位置づけたい。詳しくは別の機会に。

 

そして70年代半ば以降のアニメの労働環境が日本国内でどう推移していったか(というかしなかったか)、そして海外の労働力に頼るようになっていったかについては拙論「アニメーションという原罪」で論じたとおりである。

 

 

ジャニカという団体について

 

もっともこの論のなかで触れなかったことがいくつかあるので、この機会に少し論じておこう。

 

2007年に、ベテランアニメーターの芦田豊雄(2011年に死去)の呼びかけで有名アニメーターが賛同会員として名を連ねた「日本アニメーター・演出協会」(通称ジャニカ)という団体が発足した。

 

設立発表会の様子がここで視聴できる。ざっと拝見するに、テレビアニメが日本で始まった頃にこの世界に入ってきた者たちが60代に達して(男性ばかりなのが興味深いが)、自分たちの老後のことを気にしていたのが、こうしたオピニオン・リーダー的組織を必要としたという印象を受ける。

 

また、アメリカの知財戦略強化方針を受けて日本でも21世紀に入る前後から知財(intellectual propertyの訳語)を国家の柱にすえる方針が模索されていて、その一環として日本製アニメなど「メディア芸術」(前述)を国によって保護・推進する「国立メディア芸術総合センター」構想が福田康夫内閣のもとで検討されていたことも無関係ではなかっただろう。

 

また皮肉な言い方で恐縮だが、国や社会の目をいかにかいくぐって市場を広げるか(そして腕に自信のある者がたっぷり稼ぐか)を裏テーマにしてここまで来た一方でその弊害が出てきたジレンマを、今度は国にすがることでなんとかしてもらおうという狙いが、あるいはジャニカ創設にはあったのかもしれない。


だがこの構想を提唱していた自民党政権(麻生太郎内閣)が衆議院選で大敗して民主党に政権が移ると、総合センター構想は税金の無駄遣いとして取り消された。昨年11月にいきなり発足した「マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟」(最高顧問・麻生太郎)は、このセンター構想の名残であろう。

 

 

第45回衆議院議員総選挙の結果。2009年8月30日実施。

第45回衆議院議員総選挙の結果。2009年8月30日実施。

 

 

ジャニカというアニメ労働者組織について

 

さてこのジャニカという組織だが、アニメファンあがりのある弁護士がボランティア的な立場で運営に参加しだした頃から理事会で内紛が始まった。

 

アニメ労働者のための健康保険制度を整備して会員を増やす方針はそれなりの成果をあげていったのだが、センター構想の破たんで国の後ろ盾や未来のヴィジョンを失ったことで理事のあいだで運営方針の食い違いが浮かび上がった。

 

さらには任意団体から中間法人、さらには一般社団法人に登記を変更する際の弁護士による定款変更のミスを、反対派の会員から突かれて総会が紛糾。このことがあまり世間に知られなかったのは、2011年3月11日の震災でマスコミや大衆の目が逸れたからでもあった。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

・橋本努「新型コロナウイルスとナッジ政策」
・三谷はるよ「市民活動をめぐる“3つの事実”――「ボランティア」とは誰なのか?」
・五十嵐泰正「『上野新論』――「都市の時代」が危機を迎えたなかで」
・倉橋耕平「メディア論の問いを磨く――言論を読み解く視座として」
・山田剛士「搾取される研究者たち」
・平井和也「コロナ情勢下における香港と台湾に対する中国の圧力」